@snzasi
堀川が和泉守兼定との再会を果たしてから、それまで止まっていた兼定の時間はほんの少しだけ動き出した。
静かな館内にやって来て必ず開口一番に声をかけてくる堀川に届きもしない返事を返し、開館中は姿を追い、帰りは自分の前で他愛もない話をしてから帰る変わり者のそれに人知れず耳を傾ける。たまに目が合ったかと思うと記憶と重なる柔らかい表情をする堀川に、笑い返すでなく実は見えているのではないかとあれこれしてみるも全て空振りに終わる結果に気を落とすのも最早日課で、その度に兼定の顔が曇るのを誰も知らない。
それから数日後、堀川は閉館後の明かりが消えた薄暗い館内を回っていた。いわゆる最終当番だ。全てのフロアを回って最後にいつも通り和泉守兼定の元へと足を向ける。今日は何から話そう?と静かな館内に少し浮き足立った堀川の足音だけが止まることなく響きわたる。
和泉守兼定と共に堀川が来るのを待っていた兼定はいつもより早い位置で止まった足音に疑問符を浮かべてそちらを見やれば、同じく疑問符を浮かべた顔の堀川と目が合った。またいつものだろうと苦笑いを浮かべる兼定が堀川の瞳に映る。
「…誰?」
一瞬の沈黙の後に問いかけるというよりは思わず出たというに近い声が空気を揺らす。
「…!俺が見えんのか?!」
「え?あの…」
戸惑う堀川をよそに兼定はズカズカと足早に距離をつめる。昨日までとは異なる反応に嬉しい筈なのに緊張して自然と顔が強張り声も出ない。たじろぎもせず僅かに自分を見上げる堀川の顔は滲んだ視界に阻まれてよく分からない。
二人の僅かに空いた距離に音もなく滴り落ちるそれに気付いた堀川は「あの、良かったらこれ…。」と控えめに手拭いー堀川が初めて来た時にお土産に買った、臙脂地に白で和泉守兼定の紋の入っている物だーを差し出す。見知らぬ男が訳も分からない事を言ったかと思えばいきなり近付いてきて目の前で泣いているという展開に涼しい顔をしながら内心では混乱に近い状態で動揺するも、悪い人ではなさそうだと少し落ち着いた頭で相手を見れば随分と変わった格好をしている点に気が行く。差し出された手拭いを受け取ろうと手が動いたのが視界に入って自然と下がるそこに見覚えの有るものが写りこんだ。…気がした。
「!」
手拭いが手から離れた次の瞬間、腕を引かれて抱きしめられた為に正確には分からないものの和泉守兼定の紋だった気がしてならず今のこの状態よりもそちらが気になって仕方ない。とは言え相手に聞いてみようにも泣き止む気配はないどころか更に酷くなっているようだ。幾重もの布越しで分からないがおそらく肩のあたりは涙で濡れそぼっているだろう事は容易に想像がつき、「どうしよう…。」と完全に落ち着きが帰ってくる始末だ。我が子でも抱きしめるかのような腕の回しかたに不思議と嫌な気はせずとりあえず泣き止むのを待つことにした堀川はふと、肩越しに見える和泉守兼定がいつもより輝いているのに気付いた。
薄暗い館内であり得ない程にはっきり見えるそれに思わず声が漏れる。
「兼さん…?」
堀川としては和泉守兼定に向けて、しかしほとんど独り言に近い四文字も兼定には名前を呼ばれたようにしか聞こえず思わず体が跳ねる。記憶の有無に期待と不安が入り交じる状態でゆっくりと腕を解くと堀川と目が合った。兼定の記憶とさほど変わらない顔とは逆に以前より高い位置に―それでも兼定より低い点は変わらないが―ある目がまっすぐに自分を見つめる。きちんと見えているという事実が嬉しくて自然と口角が上がる。
『 』
涙混じりの声でそう言うのが精一杯だった。