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(抹消せられたる告白の文及び関連する記録)

全体公開 4 5226文字
2015-11-15 20:05:20

作者:みやねね子様(@MiyaNeneko) 作品名(抹消せられたる告白の文及び関連する記録) イメージ曲名:映日紅の花 登場キャラクター:へし切長谷部 小説

(初秋。)(午後。)
(一人の男が正座して文机に向かっている。)
(外からは子どもの声が聞こえる。)(「もういいかい」「まだだよ」の声、聞こえる。)

(間)


〔以下数行墨滅〕万事かなひ玉ふでうすをはじめ奉り。いつもびるぜんのさんたまりあ。さんみげるあるかんじよ。さんじよあんばうちすた。たつときあぽすとろのさんぺいとろ。さんぱうろ。もろもろのべあと。又御身ぱあてれに。〔墨滅了リ〕


抑々は貴方。貴方です。貴方さへ居られませなんだなら、俺も斯様なもの思ひは致しますまい。
其の名なのです。其の名を口にする時、人々は皆一種の憧憬と、好奇と、畏敬と、そして些かの侮蔑の色とを浮かべます。さうして終には或る種の〔「蔑称」ノ二字墨滅〕尊称を奉つて迄貴方を畏れ尊び其の事跡を口に上らせ等するのです。
そんな街談巷説の中に俺の名の紛れてゐる事は、果して喜ぶべき事でありませうか。新風を好まるるが故の絢爛や放埒、旧弊を否む余りの暴虐や冷徹の例の中に、此の俺を俺たらしめ、又と無い此の名を与へ給ふた彼の〔「罪業」ノ二字墨滅〕狼藉が語られる様な事は。否、さうであればこそ、俺が、貴方の其の類稀なる御所業の数々を疎み乍らも此の上無く御慕い申し上げるのは理といふものでありませう。
若し、本当は良く覚えてゐないのだと申し上げたら、御怒りになられますか。否、泉下の貴方には最早其の様な感情も御座いますまいが。凡ては彼の時から始まつて居ります。此の名を頂きましてからの後の在り様が其れ迄とは決定的に異なつて仕舞つた、其れは確かなのです。けれども、其れすら単なる情報に過ぎないのです。貴方に就いて俺が存じ上げている凡ては街談巷説の、好奇で以て語られる様な物語とさう変はりません。其れが俺には大層〔「かなしく」ノ四字墨滅〕虚しく思はれます。
只、此の身を得て一つ変はつた事があるとすれば、物事を判じ、断ずる心が備はつた事でありませう。人の心を得て漸く、俺は俺が何であるかを知つたので御座います。
〔「其れ故に」ノ四字墨滅〕けれども、此の心は只、直た向きに貴方を御憎み申し上げるのです。名を与へつつ〔「下郎に」ノ三字墨滅〕然して思ひもせぬ者へ下げ渡された此の身をかこち、その御勘気や苛烈をあげつらひ等するのです。其れは詰まり貴方を此の上なく御思ひ申し上げてゐるといふ事にはなりますまいか。誠に愚かな事であると、さうも思ふのでは御座いますが。

思へば、彼の男もさうであつたのでせう。憎悪を憎悪に留める事の出来ぬ儘、遂に貴方を弑し奉つた。俺が其の日を知らぬ事は、此れも又、喜ぶべき事であるのかも知れません。彼の水色の、桔梗を染め抜いた指物は炎熱逆巻く空に清々しく映えた事と思ひます。〔以下数行墨滅〕其れを直接見知つた筈の者も居りますが、何故かしら俺は其の時の事を訊けずにゐるのです。だうも俺のひとらしい部分がさうさせまいとする様です。何時か此の身を捨てる日が来たならば、其れを訊く事も有るのかも知れません。〔墨滅了リ〕
彼の男が貴方を殺した事は、確かに罪であつたでせう。彼の男も又殺され、遂に其の名を天下に残したのですから。罪人の名に違ひはあらずとも、其の名は今も尚〔「些かの同情と共に」ノ八字墨滅〕語り伝へられてゐるのです。
だとすれば、蓋し貴方も又罪人でありませう。少なくとも彼の男にとつては紛う方無き大罪人でありましたらう。さうで無ければ、見す見す晩節を汚すやうな男では無かつたと、其れ位の事は俺も知つてゐるのです。
貴方は屹度御怒りになるでせう。人の罪を指差し数へるからには、其の身は其れに敵ふ程に清廉潔白であるのかと、〔「御怒りに」ノ四字墨滅〕御笑いになるでせう。

ならば、此の俺の罪とは如何なるものと御思ひになられますか。

先ず第一に、貴方といふ罪人を今も心に掛けてゐる事。寧ろ其の罪を嘲り、揶揄する事に囚はれてゐる事。貴方は御許し下さいますまい。俺がどれ丈の言葉を尽くして貴方の悪行を人に吹聴してゐるかが御耳に入つたならば、俺は屹度御手ずからに罰せらるる事になりませう。〔「嘗て貴方が俺をさうして使つた時の様に。」ノ一文墨滅〕。けれども其の様な目に未だ逢つて居らぬ所を見ますと、存外貴方は度量の広さも御持ち合はせなのでせう。併しながら、此の様な歪んだ感情を腹に抱き続けてゐる事は、ひとつの罪に違いありますまい。
第二に、俺に恩寵を恵まれ給ふた方の事を強ひて忘れやうとしてゐる事。貴方が俺を〔「下された」ノ四字墨滅〕御与へになつた其の人は、又其の後の代々の方々は、誠に俺を慈しんで下さいました。物を思ふ心を持たなかつた時分の俺を家の宝よ末代までの宝よと愛惜しんで下さいました。其の良き記憶が、喩へ其の善良さの為に私を苛む類のものであるからとて、忘れて良い事でありませうか。否、さうで無い事は、俺自身が最も存じて居ります。〔以下数行墨滅〕此の事に就いて俺を責める者も居ります。当然の事で御座いませう。責められれば責めらるる程に、其れが罪であると思ふことが出来るのは、ややもすると有り難い事であるのかも知れません。〔墨滅了リ〕
そして最後に、此の生まれつきを、俺自身が微塵も恥じて居らぬといふ事。思へば此の身は人ならねども元々の罪を負ふ戦道具に御座います。其れは厭ふべき事に違ひありません。振るふ人の手にこそ罪はあると言ふ者も居るでせう。けれど其れは、其の手を持たぬ身なればこそ言ふ事の出来る文言でありませう。俺は己が抜き身を取る手を遂に得て仕舞つたので御座いますから。嗚呼、我が同輩の内に、其の切れ味の優れたる事を誇る名を持つ者の、何と多い事か。其れは誉れの名で御座います。此のへし切長谷部の〔「名」ノ一字墨滅〕銘と同じ、誉れの名で御座います。傷つけ、殺める事を悲しむとて、悔やむとて、口を持つたからには何とでも申せませう。けれど俺には、だうも俺の口からは、其の様な言葉は吐けぬので御座います。人を圧し切つた此の名を誉れと思はれ、自らも思ふ身である限り、其れは俺には申せぬ類の言葉なのです。其れを上辺丈にでも悔いる事が出来ぬのは、其れこそ罪ではありますまいか。

〔「斯かる罪人」ノ五字墨滅〕なればこそ、俺は〔「天下に良きも悪しきも名だたる」ノ十四字墨滅〕〔誰カノ名記サレテアルト見エシガ不詳〕貴方の刀であつた事を忘れられないのでせう。

〔以下数行墨滅〕斯様な俺の罪を御疎みになりますか。其れとも哀れと思して下さいますか。へし切の銘等持たぬ儘、唯の長谷部国重作が一振りの儘、何れかへ紛れて仕舞つた方が、此の俺にとつての幸ひであつたのではないかと、思召して下さいますか。今でこそ思ふのです。此の煩悶が人の身故の物であるならば、人とは何と〔墨滅了リ〕


〔以下数行墨滅〕こころ、ことば、しはざをもて。おほくのとがををかせる事をあらはし奉る。これわがあやまりなり。これわがあやまりなり。わがふかきあやまりなり。これによてたのみ奉る。〔墨滅了リ〕


(間)

(夕刻)(夕日が射している。)
(子どもの声、未だ聞こえる。)(「かごめかごめ」の歌声、聞こえる。)

(間)

(ふと顔を上げて、)
――これは、主。お気付きもいたしませず失礼を。この長谷部に何か御用でも?
(畳の上に朱塗りの盆が差し出される。)
(硝子器に盛られた果実数個。畳まれた白い濡れ布巾二枚。銀の刀子。数本の楊枝。)
無花果の実でございますか。いえ、特に嫌いという訳では。
(逡巡の様子。)
今これを食べてしまっては、夕餉に障りませんか。怒らせてしまっては面倒な奴も、
(言いさして止める。)
はい、有り難く頂戴致します。では失礼して。
(手袋を取る。)(布巾で手を浄める。)(刀子を取って皮を剥く。)
(含み笑い。)
長谷部は無花果を剥くのが上手だと、そう仰せられますか。そうなのですか。何、ものを切るのは性分ですから。お望みとあらば何でも――違う?
(笑い声。)
(実を切り分け始める。)
いえ、ふざけてみただけですよ。え? 似合わない事をするなと? これは不調法を致しました。申し訳ありません。
(そう言いつつ顔は微笑を湛えている。)
(もう一つを手に取る。皮を剥き始める。)

(間)

(少し驚いた顔をする。)
(手の内の実に目を落とす。)(ややあって掌のうちで実を切り分ける。)
――俺も――、そうできれば良かったのですが。主のおっしゃるように、この実を半分に割って、齧り付くことが出来るような。ええ、まあ、誰も見てはおりませんが。俺には、どうも。さて、何故でしょうね。俺にもわかりません。
(自嘲めいた笑み。)
さあ、切り分けましたのでどうぞ。はい。俺も頂きます。
(楊枝に一切れを刺し、口へ運ぶ。)(鬢の髪をかき上げる。)
(咀嚼の後嚥下。)(二個分が速やかに無くなる。)
(顔を上げる。)(困惑した顔。)
――は、と、仰いますと。そうやって喰って見ろと。長谷部は一つで満足ですが。ああ、丁度其処らに短刀が居りましたでしょう。お前が喰えと、そう仰せですか。ならば、斯様な意地の張り合いはこちらから折れて差し上げましょうか。
(苦笑)
――頂きます。
(手に取った実をつくづくと眺める。)
此方の実は一際熟れている様ですが、いいのですか。はい。成程、だからこそ割ってで無くては喰えないと。そうですね。服を汚しては示しがつきませんから。
――では。
(果肉に沈みかけた親指の力を加減する。)(実を割る。)
(透き通る程に熟れている。)
(口に運ぶ。)
……そうですね。甘い。大変甘いです。
(半分を食べ終わる。)
(笑う。)
やはりお食べになりたくなったのではありませんか。いえ、しかし俺の食い差しでは。よろしいのですか。はい。では。
(半分を手渡した後、布巾で丹念に手を拭く。)

(間)

(何も言われぬ先にもう一枚の布巾を差し出す。)

(間)

(視線は盆の辺りに落としたまま、)
――どうされたのですか。今日の主は酷くお優しい。
あまりお優しいと妙な事を勘繰りたくも……はい、明日の第一部隊の編成ですか。
(ちらりと文机の方に目を向け、そのまま向き直って、)
変更はないように聞いておりますが。何か――
(驚いた顔。)
――俺を、ですか。いえ、否やはございませんが。
よろしいのですか?

(間)

……申し訳ありません。今、俺は妙なことを言いましたね。いえ、何でもないんです。
はい。でしたら万事抜かりないように整えておかねば。
(笑顔。)
随分張り切っている? そうですね。はい。そうでしょう。これも主命でございますから。手落ちのないように臨まねば。
(華やかに笑う。)
ふふ、心配して下さるんですか。ありがとうございます。
――あ。
(笑みが消える。)
……それは、失礼を。はい。きちんと戻って参りますから。主の御前に無事な姿をお目に掛けて見せましょう。このへし切長谷部の名に懸けて。
(苦笑。)
主は随分と多くのものを俺に望まれますね。いえ、嬉しいのです。はい。必ずや――いえ、善処いたしますとも。はい。楽しみにお待ちください。

(間)

(食器の触れ合う音。)
ああ、俺が。――お手数をお掛けします。はい。それでは、夕餉の折に。
はい。そういたします。今日はゆっくり休みます。よく眠れると良いのですが。
(微笑。)
はい。主がそう仰せなら、よく眠れる気がいたします。え? いえ、根拠などありませんよ。
――それでは。

(間)

(しばし廊下の方を見やる。)
(再び文机に向かう。)

(間)


思へば貴方は一つの徒花でありました。誠に徒花の多い世でありました。不思議と其の様な徒花の世の事をこそ、人は慕う様で御座います。
そして俺も又徒花で御座いませう。実も付けぬ花の類で御座います。
けれども主は、今俺が主と仰ぐ御方は其れを是とされました。それでも良いとされました。罪と恥とを覆い隠す葉の蔭に憩いする事を許して下されました。
だから俺は此の身を捧げるので御座います。長谷部国重作の此の身を其の掌に委ねるので御座います。そして其の手の内で、此の先も罪を重ねて行く所存で御座います。

貴方に再び御会ひしたくないと言へば嘘になりませう。
けれど。
もう御目に掛かる事はありますまい。


〔以下数行墨滅〕いつもびるぜんのさんたまりあ。さんみげるあるかんじよ。さんじよあんばうちすた。たつときあぽすとろのさんぺいとろ。さんぱうろ。もろもろのべあと。又御身ぱあてれ。わがためにわれらが御あるじでうすをたのみ玉へ。あめん。〔墨滅了リ〕


(間)

(薄闇。)
(子どもの声はもう聞こえない。)
(つと立って障子を閉める。)

(障子の向こうに灯りが点る。)



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