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藤嗣の過去編

全体公開 2 5348文字
2016-03-22 12:52:50
Posted by @yaku826

――藤嗣。

名前を呼ばれた気がして振り返る。
そこには驚いたように瞳を瞬かせる女の姿があった。半開きの唇、半ば程持ち上げられた右手。今まさに俺を呼び止めようとした状態で彼女は固まっていた。
……やだもう。びっくりさせないでよ」
「悪いな。驚かせるつもりはなかったんだが」
ツンと唇を尖らせる女に苦笑を漏らし、そっとその栗色の髪を撫でる。
「名前を呼ばれた気がしてな」
「あら」
せっかく綺麗に整えたのに乱さないで、と手を払い、手櫛で整えた後クスッと笑う。
「かける前に感じ取ってくれたのね」
笑うと気の強そうな目元が柔らかく細められる、綺麗な女。恋人である金瀬葛葉(カナセ クズハ)。今年で付き合って3年目だろうか。同じ軍属の自立したしっかり者の女性で、無意味に甘えたりしないサバサバした奴だ。細い身体の何処にそんな力があるのか、かなりのサイズの大剣を使って戦う。そういえば一年くらい前に組み伏せられた事あるな。うん、強い女だ。
「藤嗣、また遠征に出るって
「ん?ああ、まぁな。黒軍の生徒じゃなくて軍人が出て来てるらしくて。こっちは生徒送るんじゃ可哀相だろう」
ふふ、貴方らしいわね」
女の中では大きい方に入る葛葉だが、何しろ俺が188㎝あるために胸の辺りから見上げてくる。細い指で俺のネクタイの歪みを治して微笑む。
「気を付けて」
「ああ、ありがとう」
ネクタイから肩を登って首に手が回ってくる。片手で軍帽を脱がせてそのまま彼女は俺を引き寄せた。
「出発は明日?今夜は明日の準備で忙しいかしら?」
「そうだなぁ、ごめん」
いつもの事でしょ」
諦めたような苦笑、もう一度ごめんなと謝って髪を頬を撫でる。
馬鹿」
「帰りを楽しみにしててくれよ」
返事をしない彼女に首を引かれ、唇を重ねた。

あれから数週間が経って、遠征を何とか終えて京都へと帰ってきた。軍へと戻る道すがら、すれ違う人達の様子がいつもと違う事に気付く。困ったような、怯えたような表情をしている。どうしたというのか。
何かありましたか」
無視出来ずに声をかけると、向こうで女の人が男の人に追われていたのだと教えてくれた。軍人のように見えたからどうすれば良いのかと思っていたらしく、様子を見てくると伝えればホッと息を吐き出していた。
聞いた場所へ向かったがもうそこに男女どちらの姿もなく、もう移動してしまったらしい。きょろきょろと辺りを見回して、足を止めずに二人を探す。しばらく走っていると女の甲高い声が聞こえた。
「!」
その声には聞き覚えがあってサァと血の気が引いた。慌てて声が聞こえた方に駆け出す。
「葛葉!」
肺いっぱいに息を吸い込んで名を呼ぶ。
「と、藤嗣?藤嗣っ!ぅ、いやあああっ」
「葛葉っ」
焦った彼女の声、次いで上がる悲鳴。名前を呼びながら建物の裏へと回り、少し開けたその場所に彼女はいた。大剣を握り、だが地面に座り込んで、脇腹に血が滲んで足にも怪我を負っている。そんな彼女から奥へと目を向ければ一人の男が血の滴るレイピアを持って立っていた。あいつが、葛葉をこんな目に遭わせたらしい。
「藤嗣、ごめんなさい、私
「事情は後で聞くから。大丈夫か?」
男から目を離さずに恋人に近付いて肩に触れる。カタカタと小刻みに震える彼女の肩を撫でて、フツフツと沸くのはあの男へと怒りだろうか。
葛葉を背後へと隠して男を見据える。怯む気配もなく、真っ直ぐに見つめ返して来た。
「うちのに何か用でもあったのか」
……愛河藤嗣だな」
? そうだが」
訪ねた事とは関係のない返事に訝しみながらも答える。俺の答えを聞くと、彼は目を細めて何処か哀れんだような表情を浮かべた。
……恨んではくれるな」
「何?」
男の低い声に眉根を寄せる。これから戦闘になった時の事を言っているのだろうか。俺と彼とは敵同士、殺ろうが殺られようがそれは自分が弱かっただけの事。恨みはしない。殺しは嫌いだが。
「っ、」
が、否。
彼が言っていたのは、俺の予想とは違ったらしい。
「貴方は恨んだりしないわ。そういう人だもの」
背後から聞こえた軽やかな声に、グッと歯を食いしばる。
ああ、どうして……
「くず、は……
恋人の名を呼び、自分の胸元へ視線を落とした。燃えるように痛む胸。そこから生えるのは見慣れた大剣。
後ろから俺の胸を大剣で貫いたのは、葛葉だった。
ゴフッと血を吐くと同時に、剣が引き抜かれた。途端におびただしい量の血が溢れ出し、白い軍服を染め上げる。震える手で傷を押さえてみるも、あまりに大きな傷。流れ出す血を止める事は不可能だった。足の力が抜け、堪え切れずに膝をついてしまう。激しい痛みに視界が霞む。果たしてこの痛みは傷だけのものだろうか。
「何故
「あら、分からないの?」
首を捻り、後ろを振り返る。俺の血に濡れた大剣を持ち、クスクスと笑う恋人自身も返り血を浴びて赤く染まっていた。今更に気付いた、彼女の傷から鉄臭さがしていなかった事に。
「裏切ったのよ」
「ぅ、ぐぁああぁっ」
認めたくなかった事実を淡々と告げ、葛葉は俺の背中を思い切り蹴る。彼女に貫かれたその場所を。
力の入らない身体は容易く地面に倒れ伏し、また痛みに声を上げる。上手く息が吸えない、吸っても吸っても酸素が足りないような気がして。そんな俺を気にも留めず、ひょいと飛び越えた葛葉は黒軍の男の元へと駆け寄った。そのまま首に抱きつき、口付けを交わす。背けたいのに動く事は出来ず、恋人と男との口付けが目に焼き付く。
それを見て漸く事実が頭へと入って来た。
彼女は白軍を、俺を裏切ったのだと。
「何故、裏切った
悔しくて悲しくて、もうこれ以上見ていたくなくて言葉を必死に紡いだ。俺の声に反応して2人はゆっくりと唇を離す。男の唇には葛葉の口紅が少し移っていた。
……つまらなかったの」
親指で男の唇から口紅を拭い、葛葉が振り返る。
「ねぇ、藤嗣。私は貴方に、もっと強欲に生きて欲しかったの」
「何
「もっと野心を持って欲しかった。貴方は昔から優秀で、白軍内でも有名だったわ。文武両道、上官からは信頼されて、後輩からも慕われていたわね」
男の傍を離れて俺の前へと歩いて来ると、その場にしゃがみこんで髪を撫でて来た。
「だからきっと貴方は出世すると思ったの。上を目指してると思ってた。野心を持って。……だから近付いたのに」
優しく撫でていた手が、ギュッと髪を掴んだ。
「だけど貴方はいつまで経っても今の階級のままだった。現状に甘んじて、求めれば手に入るものを拒んだわ!」
地面に叩き付けるように俺の髪から手を離し、立ち上がって声を荒らげる。
「もっと求めて欲しかったのよ、お金も名誉も何もかもっ。このままで良いなんて言って後輩達と戯れて。私の事も求めやしなかった」
「葛
「私は、私は優しさなんて欲しくなかったの、もっともっと強く求めて欲しかった。皆に慕われる愛河藤嗣は、私のものだって優越感に浸れるでしょ?上を目指して、貴方とスリリングな毎日を過ごしたかった」
頭がくらくらしてきた。出血のせいか、それとも。剥けて行く優しい恋人の仮面、俺が愛した女は、どうやら幻だったらしい。
「この人はね、貴方と違って野心家なのよ。軍の上層とも繋りを作って、どんどん進んで行くわ。私の事もたくさん求めてくれる、貴方の遠慮がちな愛なんて捨てちゃうくらいにね」
ぴったり、男に寄り添って微笑む。ああ畜生、綺麗な微笑み浮かべやがって。虚しさばかりが募って、もう怒りさえ湧いて来ない。
「はぁ、く、ずはお前、は
「なぁに?ふふ、苦しそうね?」
地面に爪を立てて、歯を食い縛って、落ちそうになる顔を上げる。やはり息を吸っても足りない、出血も酷い、目の前が霞んで恋人の顔ももう良く見えない。
「ほ、んとうに、裏切った、のか
「この期におよんでまだ信じられないの?」
……いや、」
信じたくないだけだ。
葛葉はクスリと笑い、小さな瓶をポケットから出して俺の目の前に落とした。途端にズシリと心にのし掛かるものがあった。彼女が右胸を刺したのは、もしかしたら致命傷を避けるためだったのかも、なんて甘い考えを踏み躙る。
「貴方は、生きていられるかしら」
くそ。
何の毒薬だよ。本当に、本気で殺しにきていた。心臓を貫かなかったのは自分が受けた不満を俺に伝えるためか。絶望的だ、痛い、苦しい。力なく地面に頬を押し付けた。もうピクリとも動けない、目も霞んで、意識も飛びそうだ。
目蓋が落ちる、視界は黒く染まって、最後に聞こえて来たのは、愛した女の軽やかな笑い声、俺から離れていく足音だった。

恋人に裏切られ、瀕死の状態に陥った俺だが、間一髪のところで生き長らえた。
たまたま通りかかった後輩によって病院へ運ばれ、緊急手術を行われ、生死の境を彷徨って、数週間意識が戻らないまま眠り続けた。その間に外傷を受けて弱り、その傷からの感染、葛葉が塗った毒薬によって侵された右肺が酷い膿腫になり、切除された。
その後体調は安定し、俺は意識を取り戻す事になる。目を覚まして一番に見たものは、顔から出せる全ての液体を流しまくっている甥の顔だった。兄に似た天パを爆発させ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔、思わず吹き出して、力の入りずらい腕を持ち上げて髪を撫でた。
目を覚ましてからは軍からの事情聴取が続き、葛葉が裏切った事も全て離した。裏切りに気付かなかった事を軽く咎められ、労りの言葉をかけられて事情聴取は終了。以来はリハビリを始め、見舞いに来てくれる上司、同僚、後輩達と話すだけの日々。珍しく焦燥を乗せた表情で、けれど自分の事でいっぱいになっている、そんな友人が遠くから見舞いに来て「女性を信じるからだ」なんて言われて。過去に恋人に裏切られた彼の言葉は重く、けれど。
「どちらか一方が悪いなんて事はないんだもんなぁ」
良く見舞いに来てくれる可愛い後輩に、何とはなしに話しかける。
「そうだろう?確かにあいつは俺を裏切ったけど、その原因は俺にもある」
そんな、藤嗣さんは彼女を凄く愛してた、大切にしていたじゃないですか。近くで見て来たから分かります、藤嗣さんは悪くない」
「えぇ?ふふ。優しいなぁ、真は」
椅子に座った篠塚真の頭をわしわし撫でる。葛葉に対し、本当に酷く憤慨した様子の後輩に苦笑して撫でていた手で今度はポンポンと軽く叩いた。
確かに、愛してた。後輩と遊ぶのも楽しかったけど、あいつといるのも楽しかったんだよ。連絡が来れば優先的に返信したし、時間が出来れば会いに行った。でも満足してたのは俺だけだったんだよな」
気付かなかったなぁ。人の感情には敏い方だと思っていたんだけれど。葛葉の方が一枚も二枚も上だったらしい。騙され、上手くいっていると思い込んで、まるで道化だ。情けない。
……なぁ、真」
「何ですか」
腕を下ろして、キャッジアップしたベッドに凭れかかり、窓の外へと目を向けた。
「ちょっと頼まれてくれないか」
「構いませんよ、俺に出来る事なら何でも」
少し身を乗り出して来た後輩にクスッと笑う。良く慕ってくれる優しい後輩、きっとこいつには辛い頼み事になってしまうだろう。多分こいつが、一番俺と葛葉を見て来たから。
俺ん家の書斎のデスク、その上から二番目の引き出しにさ」
ああ、本当に馬鹿だなぁ、俺。
……指輪がさ入ってるんだよ」
みっともないんだけどさ、処分しといてくれないかな。
俺の言葉に真はくしゃっと表情を歪めた。彼とは反対に俺の口元は曲線を描いて。
戻ったら、プロポーズするつもりだった。彼女となら、一生を共にしても良いと思っていたから。彼女を幸せにしたいと願っていた。殺伐としたこの世界で、彼女となら幸せになれると思っていた。
……本当に、愛してたんだけどなぁ
26年、出会って来た誰よりも。もう彼女以外を愛する事はないと、本気で思っていたのに。
笑った顔も、怒った顔も、泣いた顔も、声も、仕草も、彼女の温もりも。全部全部愛していた。
どうして、上手くいかなかったかなぁ
人生はままならない。上手く行っていたのが奇跡だったんじゃないかと、26年を振り返りたくなる。
小さな呻く声は真が漏らした。俺は自嘲じみた掠れた笑い声を吐き出して、ただ一つ、雫が頬を伝って落ちた。

傷も何とか治って、もう軍人は出来ないけれど、上司から教官をしないかと誘われて、無職になるのは回避出来た。戦場に共に赴き、生徒を守る事は出来ないけれど、戦場で生き抜く術を教え守る事なら出来ると。ありがたく話を受け、新しく前に進むしかない。
退院の日、わざわざ迎えに来てくれた兄夫婦と甥っ子。俺が退院したからまた遊んでもらえるとはしゃいでいる甥に微笑んで、危なっかしく走る背中を抱き上げようとしたところで風が吹いた。
――藤嗣。
名前を呼ばれた気がして振り返える。
そこに恋人の姿はもう無く、枯れ葉が舞い落ちているだけだった。


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