@cima_ni_hic
The Telegraph紙2016年6月10日に掲載されたMark Bailey氏によるクリス・フルームインタビュー【Cycling champion Chris Froome on THOSE cheating accusations - and being spat at and urinated on by angry fans】全文を訳してみました。
※元記事URL→
http://www.telegraph.co.uk/men/active/cycling-champion-chris-froome-on-those-cheating-accusations---an/
※長いです。もしかしたら後日消すかもしれませんご了承ください。
※誤訳、誤解等ありましたら遠慮なくご指摘ください。謹んで訂正いたします。
訳文責@cima_ni_hic
≪以下本文≫
私が英国の不可解なケニア生まれの自転車選手であり2回のツール・ド・フランス勝者、妻のミシェル、6ヶ月の息子ケランと共にモナコに住むクリス・フルームにインタビューする前、彼のチームであるスカイからのメッセージには
「あなたのサイクリングキットをご持参ください」
とあった。それが気がかりだった。
3週間のツール・ド・フランスでフルームは3500kmを走り、60000mの標高を登る。これは海抜0mからエベレスト山頂までを6.8回登るのと同じだ。
彼のVO2max(心臓や肺や筋肉がどれだけの酸素を使えるかの指標)は88.2ml/kg/min. ジムに通う人の約2倍。彼の心機能はとても効率的。休憩時の心拍数は29回/minである(通常は60~100)。
そして彼の脚は400ワットを超える力を出し続けることができる。これは鉄を切ることのできるブラックデッカーKS500ジクソー〔訳者註:電気ノコギリ〕よりも強い。だから彼と走ることは抵抗し難く、恐ろしかったのだ。
31歳になったフルームがモナコの坂の上、スカイのトレーニングベースで私を迎えてくれた。彼の6フィートの直線的な体格は目立って細く、しかし彼の脚は筋肉がぎっしり詰まった厚板のような輪郭だった。しばらくの間、私はフランスのリビエラ沿いを漕ぎ、世界最高の自転車選手を追いかけた。
・フルームの生い立ち
生: 1985年5月20日
子供時代:彼の兄ジョナサンとジェレミーと共にケニア育ち。6歳のとき家族のホリデーキャンプビジネスが破綻し、彼の両親は離婚。
教育: 彼の兄弟はイングランドの寄宿舎学校へ。しかし、資金難のためフルームは母親とケニアに留まる。10代に学業のためヨハネスブルクに移り、父親と暮らす。
私生活: 妻ミシェル、6ヶ月の子供ケラン、モナコ在住
選手キャリア: ケニアのサファリ・シンバズレーシングチームで自転車を学ぶ。
2007年: UCIのアスリート育成チームに加入するためヨーロッパに移る。
2008年: 英国のライセンスでレースを開始。
2010年: チームスカイに加入。
2013年: ツール・ド・フランス1度目の優勝
フルームは頭を下げ、肘を突き出して前を牽く。ケニアのNgong Hillsで磨き抜かれた特異なスタイルで。ペースが落ち、会話を始める前に私の自転車がメカトラブルを起こすと、フルームはアーレンキーを取り出して自分が修理すると言い張った。
ランス・アームストロングが1999年から2005年までのタイトルを剥奪されたあとの最初の勝者、2013年と2015年に大成功を収めたフルームは称賛と非難を巻き起こした、彼は世界的スーパースターなのか? 新たなドラッグチートなのか?
この有毒な疑いは、彼が穏やかにあやつるインタビューで確実なものとされ、そしていくつかの謎を残した。しかし自転車を並べて走れば心を開いた会話が始まる。
思い込みとは反対にフルームはよく笑う、恥ずかし気な、少年的なくすくす笑い。ここは男性サイクリストが水着の女性に見惚れて落車するところなのだと示唆したり、眠るときにはKikoy(ケニアの服)を着る癖があるのだ、と話したり。
フルームは、彼のジェームズ・ボンド風の銛での魚取りへの愛を語り、申し訳なさそうな微笑で、彼が妻と共にサイクリングに出かけた際にとうとう彼女が首の捻挫で救急病院にかかる羽目になったことを告白する。我々がカフェで止まった時、
「僕がこういうコーヒーライドに出ることはあまり無いんだ」
とフルームは説明した(彼のアクセントは柔らかい南アフリカ風、しかし英国風の発音)。
彼はコーヒーとともにたった一口サイズのパニーニを届けさせることを自分自身に許可した。
「自転車は魅力的なスポーツだというのは一般的な誤解だ。ベッドから起きた瞬間からベッドで眠るまであらゆる小さなことを考える必要がある、ダイエットのこと、トレーニングのこと、リカバリーのこと。でも、休日には銛をもって2~3時間海に行って、静かな場所を探して何を捕まえられるか探すことはできる。
年のうち200日をレースやトレーニングキャンプで過ごすのは新米の親としてつらい。家を離れているときと同じといったら嘘になる。父親としては子供のすべての小さな変化を見たいと思う------特に子供が小さいときは。毎週ケランは変わっていくし、できなかったことができるようになる。毎晩彼と顔を合わせる時間を持つけれど、でも苦しいんだ」
家では彼は別室で眠る。
「休息は僕の実質上の仕事だ。だから妻はとてもよくやってくれている。彼女は夜中の全てのことをしているし、ありがたいことに、彼(ケラン)はとてもよく眠るんだ。一度だけおなかをすかせて起きるけれど他のときはずっと眠っている。僕らは幸運だよ」
スレンダーなブロンドのミシェルはウェールズで生まれ南アフリカで育ち、2012年にモナコ(コートダジュールはサイクリストには人気のあるところ。近くに山があって、一年中晴れの日が多い)に来るまではITシステム開発者と自転車フォトグラファーとして働いていた。
彼らの最初のデートのとき、彼は蕁麻疹に苦しんでいた。
「僕はどんな女の子の憧れでもあったと思う」
彼は顔を赤らめた。
「他に何て言えばいいんだ? 僕はとんでもない衝撃を受けた、ミシェルがその時点で僕に何らかの魅力を見出したことに」
我々がスカイのベースに到着したとき、ミシェルもそこに立ち寄った。
彼女は彼の夫の職業にとって不可欠な部分を担っている。スケジュールを管理し、深夜一時にメールを送り、パンケーキの屋台から彼を引き剥がす(彼の厳格なダイエットで禁止されている)。彼女の彼への第一印象は、
「恥ずかしがりや、静か、まちがいなく礼儀正しい。あと、彼にはいたずら好きのユーモアがあると直感した」
カップルは2013年に婚約した。プロポーズはどんなふうに?
「ベッドに朝食を運んできて、片膝をついて、手に指輪をもって、震え声で。彼の目は私がイエスというかノーというかわかっていないように見えた。完璧だった」
彼らは先年、ケープタウンの海岸を離れたヨットの上で結婚した。
「牧師さんが『私はいくつかの言葉を述べる』と言ったとき、彼は自分自身のことを言ったのに、クリスは何かスピーチをしなければと思い込んだ。彼の顔はパニックになったように見えた」
フルームの静かな尊厳と礼儀として------今日も彼がタオルを取ってきたし、私たちのためにタクシーを呼んだ------彼らの成功がドラッグによってもたらされたと信じる好戦的な少数派を避けることはできない。
彼はツール・ド・フランスで尿や唾を浴びせかけられた。フランスのジャーナリストは執拗な告発を投げ続けた。
「個人的にはそういうものを受け続けるのは苦しいのだけれど、僕はそうした」彼は言う。
「僕も人々が何度も騙されてきたのを見てきた。でもそれを区別し、痛みを受けずにいることは難しかった。不幸なことに、多くの自転車ファンには過去のことが焼き付いているんだ。そして彼らに信用を取り戻す時が来た」
ミシェルはネット上のモンスターに挑むことを恐れない。
「愛する人を守ろうとする気持ちは自然なものだから」
「特に尿の事件があった去年は難しい時期だった。私は妊娠していて、とても感情的だった。彼は根っから心の優しい人、そういう風に扱われるのは、胸が痛かった」
フルームは1985年、ナイロビに生まれた。
彼の父親クライヴはケニアに移って旅行代理店を開いた。彼の母親ジェーンはケニアで生まれ、UKから来た者と結婚した。彼は兄のジョナサンとジェレミー(現在2人とも会計士)と裕福な郊外で育った。鮮やかなアフリカの子供時代を過ごし、自然を探検し、カバに追いかけられ、ニシキヘビをペットにしていた。
「僕は素晴らしいアウトドアライフで暮らし、両親は僕を自立させてくれた。若い頃から様々なことを体験してきたので、僕はとても早く育った」
フルームが6歳のとき、両親の代理店は破綻し、彼らの結婚も破局した。その際2人の兄はワーウィックシャーのラグビー校にいたが、彼は理学療法士の訓練で生計を立てていた母親と共にケニアに残った。
彼はケニアで生まれたことを誇りにするが、常に英国人だと感じていると主張する。彼はサンデーローストとシェファーズパイを食べる。学校ではラグビーをしていた。
「僕は英国人の家庭で育った。でもその場所は完全に英国から離れていた。そして僕は強い英国の価値観と道徳と信念と共に育った」
この両方のアイデンティティは現在も残る。
「僕は確かに2つのアイデンティティ(英国とケニア)を持っている。でもそれは今では当然のことだと思っている。世界は変わっているし、これはとても新しいことだよ」
彼はリフトバレーのマサイ族の領土をサイクリングするのが好きで、ヒヒやキリンを追い抜いていく。
「僕はツール・ド・フランスの知識を何も持っていなかった。サイクリングは周囲を走り回ることで、愉楽だった。僕の自由であり、自立だった。僕がツール・ド・フランスをテレビで観たのは17歳以降で、それがここ以外のスポーツ全体の姿であることにようやく気付いたんだ」
彼の母親がローカルレースで、ケニアのサイクリスト、デヴィッド・キンジャに自転車に取り憑かれた彼女の息子のトレーニングをしてくれるよう頼んだのは重要な瞬間だった。キンジャはサファリ・シンバズという選手達を率いていた。
フルームの友人たちが池の周りでくつろいでいる間、彼は歳上の選手たちと丘のでこぼこ道を走り、時にはライドの後ケニアの子供たちとキンジャの、一部屋しかない屋根の薄い家で雑魚寝した。彼らはフルームを【ムルンガル(ひょろ長い子)】と呼んだ。
「シンバズは僕にスポーツの生の情熱をくれた」
高地での生活とトレーニングは、薄い空気の中でより多くの酸素を運ぶ赤血球を身体に適応させ、それがフルームのスタミナを増大させた。
「僕が変わるためにそこで大きなことがあったと思う。とりわけ、コロンビアの高地で生まれたナイロ・キンタナと比較して」
多分それは(ドーピング疑惑に対する)問題へのベストな例ではないかもしれない。だが東アフリカの選手はマラソン競技を常に支配している。男子のケニア人とエチオピア人はロンドンマラソンを14回勝っている。
しかし、主にヨーロッパのサイクリングの世界では、フルームはアフリカ生まれの数少ない選手のひとりだ。
ティーンエイジャーになり、フルームはヨハネスブルクに移って父親と暮らす。しかしハイヴェルドの高地トレーニングは続け、休暇はシンバズと過ごした。20歳のとき2006年のコモンウェルスゲームズに出場し、TTで衝撃の17位に入る。
長い髪、麻の服を着て腕輪をした門外漢がレースを1時間以上リードした。サー・デイヴ・ブレイルズフォード、当時British Cyclingのトップであり現在チームスカイのボスは、彼を【サンダルを履いた小僧】と記憶している。その年のU23世界選手権で彼は選手・コーチ・メカニックの役割を全て自分一人で成し遂げた。
「振り返れば僕の決意を笑わずにはいられないけれど、そうすると心を決めたら、僕はあらゆる手段を尽くすんだ」
100通を超えるメールのやり取りの末、2007年にフルームはUCIの選手育成特別チームでレースをするためヨーロッパに渡り、ベルギーのコニカミノルタに入る。
明確な才能にもかかわらず、彼は戦術に関しては無知だった。
あるレースでは花壇に突っ込み、別のレースではフィニッシュラインを間違えた。アルプスの下りではどうすれば安全にブレーキをかけられるのかを知らなかった。
「殆どの選手が10代の頃からアカデミーや国の基金で走っているけれど、僕はそういう段階を経なかったから、そういうことを初めて学んだんだ」
2008年、フルームは英国のライセンスでレースを始める。彼のモチベーションは英国人であること(僕は英国の観点に立っていることは疑いが無い)と、英国はよりプロのサポートをしてくれると知っていたことの両方だった。バルロワールドで2008、2009年と走った後、彼は新しく作られた英国のチームスカイへと移籍する。
最初、コーチたちは彼がなぜいくつかのレースで印象的な走りができたのかを理解できなかった(2010年コモンウェルスゲームズTTで5位)。2010年の遅くに彼はビルハルツ住血吸虫症(水を媒体とした感染症:彼はケニアの川で泳いだときか、自転車で水たまりに突っ込んだときに感染したと信じている)と診断された。
「ビルハルツ住血吸虫症は身体中の全てを弱らせてしまう。僕がどのぐらいこれを持っていたかなんて誰がわかるんだ? アフリカに住んでいる何百万人がこの寄生虫を持っていて彼らはそれを知らないんだ。ただし、それは長距離のアスリートには大きな影響になる」
懐疑論者の論法ではこれをフルームの急激な改善への便利な言い訳とするが、ビルハルツ住血吸虫症は世界の2億5000万人に影響を及ぼす、マラリアに次ぐ寄生虫疾患だ。
「ビルハルツ住血吸虫症でツールを勝てるか? もちろんできない。僕らが限界近くまでハードな努力をしたとき、免疫機能がそれに対処できなくなるんだ。いつもどこかが悪くなる前兆ははっきりしていた。競争心に火がつくたびに風邪を引いてしまって、それを押し戻してしまうんだ」
適量のブラジカンテル製剤が彼を救い、ようやくフルームはチームスカイが促進するトレーニング方法の恩恵を受けることとなる。テネリフェの火口まで自転車で上り、適応した登りの限界セッション(40分の強度の高い練習)と絶食ライド(朝食前)が彼の身体の脂肪を燃やしていった。
「クリスは信じられないほど集中する。ひたむきに------時にはイライラするぐらい。そして頑固」
ミシェルは言う。「彼は殆どの人が降参しても、ずっと続けている」
一流のレース、ブエルタ・ア・エスパーニャでの印象的な2位にもかかわらず、彼はサー・ブラッドリー・ウィギンスのために走った2012年のレースで脚光を浴びることになる。
物議をかもした第11ステージの、チームからの指示で戻るまでの加速をウィギンスは裏切りと感じた。フルームは、ウィギンスのための彼の役割が満たされたら彼自身の順位のために闘う契約だったと主張した。
2人の選手の妻たちはツイッターで短い非難の応酬をした。その壊れやすい注文は改善され、フルームはウィギンスの勝利を助け、彼自身も2位になった。そして2013年、彼はウィギンスに取って代わり、自身のツール優勝に向けて突き進んだ。
翌年の夏の落車の後、彼は2015年に再び勝った。
「そのツール・ド・フランスは残忍で、幾晩か僕はシャワーの中に座り込み立ち上がることができなかった。でも翌朝また150マイルを走らなければならないんだ」
彼は一日に8000kcalを消費した。
「3週間のために自分自身を隅々まで変えてポディウムに立つ、そのハードワークと挺身について考える。全ては複雑な感情だ」
2013年の優勝スピーチで彼はその勝利を2008年に亡くなった母親に捧げた。そしてこの勝利は時の試練だと主張した。
彼は、母親の記憶をチートすることで裏切ることはできない、と言う。
「育ってきた英国の価値観に鑑みて、僕はみんなにこれが僕なのだということを見せることができたと思うし、その上で彼らが非難していることを僕は理解できない」
先月、彼はケンブリッジ公からOBE勲章を受け取った。
この夏彼は3回目のツール・ド・フランスを追い(彼はウィリアム王子に「私のできるすべてをします」と約束した)、フルームはリオ五輪での金メダルを狙う。
英国の大衆はケニア生まれのフルームよりもキルバーン育ちのウィギンスを受け入れがちだが、オリンピックの金メダルには、彼がロンドン五輪で獲得したTTの銅メダルが助けになるだろう。
「自分自身が人気者になったことはない。【僕が】ではなくて、僕が【何をして、どうやったか】ということで英国民の尊敬を得ることが重要なんだ。ツールが優先だが、リオでの成功も素晴らしいものになるだろう」
攻撃はフルーム個人だけにとどまらない。チームスカイはサイクリングの中で最も華やかなチームで、2500万ポンドの予算があり、21st.Century Foxのような有名スポンサーを持ち、世界有数のスポーツ科学のコーチや栄養士がいる。怨恨は避けられない。
そしてフランスは1985年以来ツール優勝者を輩出していない。一部のフランスメディアはLes Rosbifs(ローストビーフ野郎=英国人)が彼らのレースを支配することを理解しようとしない。しかしサイクリングの暗い歴史を考えると、疑問は公平ではないものの、不可欠のものである。
透明性を担保するために、彼は昨夏、グラクソスミスクライン・ヒューマンパフォーマンス研究所で独立した身体テストを受けることを志願し、その結果をエクスクワィアマガジンで公表した。
専門家はフルームのVO2max88.2を人間の能力の最大限界値に近いと結論付けた。重要なのは、彼は80.2という別の驚異的な記録を2007年のスイスオリンピックメディカルセンターで達成しているということである。
簡単に言えば、彼の卓越したエンジンは9年前に既にあり、コーチングと彼の専心(とビルハルツ住血吸虫症の克服)によって自分の可能性に追いついたのだ。
もう一つ、改善の秘密は体重減にある。2007年から2015年までの間に彼は75.6kgから67kgまで減量した。
その劇的な変化は彼の【パワーウェイトレイシオ】----重力が敵となる山岳のパフォーマンスの鍵となる指標-----として知られる。
体重の各キロはそれだけの重さの砂糖袋を山に運ぶのと同じだ。フルームは効果的に8.6kgの砂糖袋を捨てることによって、より軽く、速くなった。
「出力重量は自転車にとって重要だ。体重は落としたいと思うが、レースのパフォーマンスのためのパワーも必要だ。簡単なことじゃない。基本的には、唇を通過するあらゆるものに気を配らなくてはならない」
フルームはグルテンと加工食品、砂糖を減らし、赤身のタンパク質と野菜とキヌアを食べる。彼の体重減少はチームの栄養士から常に安全に監視されている。
「空腹のときもある。でもオフシーズンになったら食事にピザやパンを食べることができることも知っているよ」
スポーツは常にチートを誘発するが、近代的な検査は堅牢だ。
フルームは毎年80回以上検査され、2013年には1日に3回の検査を受けた。
「毎日の暮らし、年間365日、薬物テスト当局に居場所を知らせておかなくてはならない」彼は言う。
2015年、フルームはイタリアのホテルでロマンチックな休暇を過ごしていたが、彼らの客が朝7時に訪れたとき、ホテルスタッフは彼らを追い返した。
彼は【もっと先を見越して】行動すべきだったと受け入れている。12ヶ月で3回テストを逃すと制裁に直面する。
UKアンチドーピング協会は、2010年から2014年までに英国のアスリートがドラッグテストを逃したケースが224回あると明らかにした。仲間の英国人サイクリスト、マーク・カヴェンディッシュも2011年に1度ミスをしている。モー・ファラーもロンドン五輪の前に2度逃していると伝えられている。
今日、各検体は冷凍され試験科学の進歩を待ち、遡って検査を受けるために冷凍されている。
「もしまたルールを破ろうとする人間が居ても、彼らが捕まるのは時間の問題だ」フルームは述べる。
サファリ・シンバズを追っていた頃からツール・ド・フランスを勝つまで、フルームの非凡な旅を追いかけてきたとき、傍聴者は信用と疑いのどちらかを選ばなくてはならない。しかし、健康な懐疑心を暗い皮肉で捻じ曲げることは、罪悪感から成功そのものを有害なものへと回帰させることになる。
科学はフルームが優れたアスリートであること、彼の天賦の才は確実に自然(生い立ちと高地トレーニング)と育成(厳格にトレーニングと減量)に起因するものだということを確認した。
アントニー・バイヤー、発言力の強いフランス人コーチ兼ジャーナリストは、不安定な科学計算でフルームを【ミュータント(突然変異体)】と非難したが、ドクターJeroam Swart、世界的に有名なスポーツ医師はフルームの生理的な性能のデータは【人間の能力として信頼できる】と呼び掛けている。
科学的討論は継続するが、信頼の一端の余地も許されねばならない。ランス・アームストロングの元チームメイトたちはキャリアの途中から彼の関与を示唆していた。フルームについてこのような内部からの告発はない。アームストロングはドーピングについて語った者をしつこく追跡していた。フルームはトレーニングキャンプでの複数の薬物検査を要求し、ツールで提案された深夜の検査を歓迎している。
エマ・オライリー、アームストロングのソワニエ(サイクリングの全てを見渡すマッサージ師のこと)は彼の薬物使用を暴き出した。フルームのソワニエ、デヴィッド・ロズマンは彼の子供にフルームの名前をつけた。
このような詳細は何も証明しないが、彼らは視点を与えてくれる。
「僕は身体情報を公開しオープンにするという意味ではライバルたち以上のことをしてしまったけれど、僕の仕事はレースをすること、疑う者たちを喜ばせることではなくなる時が来るだろう」とフルームは言う。
「それが、僕がポディウムで言った、僕はもうマイヨジョーヌを汚すことはないだろうという言葉の意味だ。そして僕は、10、20、30年後にも僕のリザルトがそこにあることを知っている」
≪以上≫