@Thatsright_CM
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街を見晴るかす卯辰山を背に、茶屋様式の町屋が連なる石畳の道を、行列は緩やかに進む。茜色の大きな番傘を差した和装の花婿花嫁を先頭に、紋付袴や留袖、フォーマルドレスに彩られた、略式ながらも華やかな花嫁道中。
観光客らしき人々が驚き顔で道をあけては、すぐ笑顔になって「おめでとう」と声をかけ、カメラやスマートフォンを向ける。左右に並ぶ木虫籠の奥からは、三味線や横笛の優しげな音色が流れてくる。お茶屋の芸妓さんたちも祝福しているのだろう。
薄荷色のワンピースにレースのボレロを羽織った私は、花嫁・桜子の従妹として行列の中ほどを歩いていた。式が終わった神社の拝殿で、買ったばかりのハイヒールを探している間に、お母さんはさっさと前の方へ行ってしまった。
わけあって、桜子――サッコの家以外の親戚とは疎遠だったし、花婿側に知り合いはいないも同然。周りは見慣れない人ばかりだ。誰かを蹴らないよう、ダークブラウンのハイヒールの先を見ながら黙々と歩く。留袖姿ですぐ前を歩く、遠い親戚らしいおばさま方はお隣同士で喋りっぱなしだ。
「いやあ、いいお式やったね」
「ほやねぇ。もうすぐ梅雨やし、今日は雨降るって天気予報で言うとったけど、うまいこと晴れたわいね」
「今日は『雨降って、地固まる』ってスピーチ、聞かんで済むね。この時期のお祝い事はそればっかりで、耳にタコやわ」
聞こえてくる会話に、思い出す。結婚式の日取りを電話で教えてもらったときのことを。
「花嫁道中するんなら、春の方がいいんじゃないが? サッコの名前にピッタリな桜の季節やし。六月なんて、雨、だいじょうぶかいね。せっかくの衣裳、濡れたらたいへんやよ」
「うん、ありがと。でも、年度始めは何かと忙しいし、やっぱりジューン・ブライドには憧れるしね」
天気を心配する私に彼女は笑い、最後にこう付け加えた。
「それに、彼、この季節が好きやから」
「サッコちゃん、本当に綺麗やったね。もともとがすごいべっぴんさんやけど、花嫁衣裳がよう似合っとって」
「浩則さんも、ご立派で堂々としておられて。やっぱり、学校の先生は人前が慣れておいでるからかね」
茶屋街の奥にまします青葉に包まれた神社。深閑とした鎮守の森で厳かに響く神主さんの祝詞。一音一音が場を清める雅楽の中、朗々と読み上げられる新郎の誓詞。木漏れ日の下、薄紅色や白銀で刺繍された桜の花びらが輝く白無垢に身を包んだ花嫁の、凛とした美しさ。
……うん。いい結婚式だった。本当に。
「ねぇ、あなた。勝代さんとこの、えーと……ミドリちゃんやったっけ?」
おばさまの一人が、急に振り返って話しかけてきた。
「え? あ、緑子(みどりこ)です」
びっくりして、答える声が裏返る。
「ああ、ほうやわ。サッコちゃんと似た感じの名前やったね」
笑顔のうなずきに、もうひとりも話に乗ってきた。
「へぇ、桜子ちゃんもやけど、モダーンで素敵なお名前やねぇ」
「素敵なお名前」――そう褒められるとき、いつも顔を見つめられる。そうして、意味ありげに微笑まれるものだった。サッコと一緒にいるときは、特に。
「あなたがまだ小さいとき、法事で見て以来やわ。いやぁ、大きくなったわ。本当に大きくなったねぇ」
「あ、ありがとうございます」
しきりに「大きくなった」と言うおばさまは、ハイヒールを履いた私よりも背が高い。お礼を言う唇が少しばかし引きつってしまう。
「さっき勝代さんに聞いてんけど、サッコちゃんと同じ大学やってんろ? 浩則さんのことも、前から知っとるん?」
先生の、こと?
予想外の質問に心臓が小さく跳ね「あっ、はい」と、また声が裏返る。
「サッコと一緒に講義受けました。えっと、兼六園のこととか、この茶屋街のこととか。すごく優しい先生で」
目の細かい木格子を表す「木虫籠」なんて言葉も、先生から習った。よく覚えている。
特に一回生で受けた『金沢の文化と歴史』の初回は、忘れようにも忘れられない。月曜の一時限目。大学に入って初めて受ける講義だった。十年ほど前のこと。
「そんときは、まさかふたりがこんなおめでたいことになるなんて、思いもせんかったやろ?」
「そ、うですね。その頃はサッコには別に彼氏がいたし、先生のことは『問題外』だなんて言ってたし……」
あわてたせいで、口が滑ってしまった。
「浩則さんの方は、一目惚れやったって話やけどねぇ。教え子相手に。禁断の恋ってやつやね」
「まぁね。でも、実際にお付き合いし始めたのは、卒業してから何年も経った後やっていうさけ、セーフ、セーフやわいね」
おばさま方が、またお隣同士の会話に花を咲かせ始めた。私の失言は聞き流されたようだ。
ほっと軽く息を吐き、視線をさらに上げた。何列か前で、お母さんが誰かと談笑しているのが見える。また余計なことを喋っているんだろう。さらに先では、人々の頭の間から先頭のふたりの後ろ姿がちらちら覗く。
雲の切れ間の空の青に、花婿の持つ鮮やかな茜色の番傘と花嫁の真っ白な綿帽子が眩しくて、石畳に目を戻した。留袖の黒地にたゆたう金糸銀糸の熨斗や花曲水が、やっぱりなんだか眩しかった。
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見物客からのお祝いや写真撮影で何度も小休止しながらも、行列はようやく茶屋街の出口に到着した。
停まった黒塗りのハイヤーの前で一礼し、花婿が花嫁をエスコートする。番傘を閉じたり、花嫁の手を取ったり、とにかく一挙一動の度に周囲がなにかとはやしたてる。
受けるふたりは照れ笑い。いつもなら「もっとおだててくれてもいいのよ」なんてふざけるタイプの桜子も、白無垢に身を包んだ今はおとなしい。
花嫁が車に乗りこんだところで、燕尾服のボタンをぽっこりお腹ではちきれんばかりにさせたおじさんが躍り出てきた。佐久間先生側の親族だ。
「えー、みなみなさま! ここは万歳三唱で、ふたりを披露宴会場に送り出すといたしませんか!」
ろれつがあやしい。「親族盃の儀」で飲んだほんのちょっぴりのお酒で、もう酔ってしまったらしい。顔もほんのり赤い。
「それでは! 佐久間 浩則・桜子の門出を祝して! ばんざい、ばんざい、ばんざーい!」
音頭に合わせて、参列客や関係者はもちろん、ノリのいい観光客も両腕を挙げた。私は参加できなかったけれど。
三唱後の拍手の中、照れ笑いを浮かべた佐久間先生が四方へ何度もおじぎをした。おじぎとおじぎの間に、目が合う。先生は、こちらにも礼をした。私も頭を下げた。
番傘は世話人に預けられ、先生も車に入った。クラクションが軽く鳴らされ、黒いハイヤーは披露宴会場のホテルへ出発した。
いまだおめでたムードに満ちた茶屋街の空に、濃い灰色のちぎれ雲が浮かんでいる。ぶ厚い雨雲のこごる医王山の方から流れてきたみたいだ。
やっぱり雨が降るかもしれない。「弁当忘れても、傘忘れるな」という言葉があるほど雨がちな石川県の、しかも六月なのだからしかたない。まぁ、残るはホテルでの披露宴だけだから、新郎新婦が雨にさらされることはない、かな。
「晴れて、本当によかった」
安堵の息をもらしたところで、サッコのあの言葉が頭の後ろを軽く叩いた。
――彼、この季節が好きやから――
兼六園の方へと首を巡らせた。淡い青空。雲はまだ、届いていない。
「ほら、ウチらも行くよ」
気がついたらそばにいたお母さんに肩を叩かれて、うなずいた。披露宴は二時間後なのに、早く早くと急かされる。立ちっぱなしが続いて、とにかく早く座りたいらしい。
大通りへ一歩出ると、空気が変わった。お茶屋さんが立ち並ぶ石畳の路地から、歩道の狭いアスファルトの大通りへ。三味線の音が流れる瀟洒な非日常空間から、エンジン音と雑事に追われる生活道路へ。
現実に戻ったことで、疲れを思い出した体が重くなる。体重のかかる爪先が痛くなってきた。お母さんも慣れない着物で歩きにくそうだ。レンタルの留袖で飛ぶ鶴が不恰好だ。
手配したタクシーの待つ駐車場へ向かっていると、後ろからお母さんの名を呼ぶ女性の声が聞こえた。
「勝代さーん。勝代さんじゃないがけ?」
足を止めて振り返る。御所車柄の留袖を着た白髪のおばさんが、小走りで寄ってきた。
「やっぱりそうや。久しぶりやね」
顔に覚えはないけれど、お母さんと親しげに話し始めたから、きっと親戚のひとりなのだろう。
「ねぇ、この子、ひょっとして緑子ちゃんけ? 大きくなったねぇ」
また「大きくなった」か。このおばさまも、私より背が高い。
「勝代さん、あんた、女手ひとつでよう育てあげたねぇ。えらいもんや」
お母さんは親の反対を押し切って、十代で「できちゃった結婚」した挙句、出産直前に離婚したせいで、親きょうだいと折り合いが悪かった。姉であるサッコのお母さんだけが何かと気にかけてくれたけれど、他の人たちとはよっぽどのことが無い限り会うことはなかった。
だから、私は親戚の顔をほとんど覚えていない。しかも、今日の女性はほとんど留袖姿で、見分けがつかない。
実のところ、ここ三年ほどはサッコとも疎遠だった。遊びや食事に誘っても「ちょっと忙しくなっちゃって。ごめんね」と断られることが続いていた。やりとりが復活したのは、つい最近のことだ。
「えーと、緑子ちゃん、いくつになったんやったっけ? サッコちゃんより、ちょっと下やったっけ?」
私に対する質問を、すかさずお母さんが「なーん、同い年や。サッコちゃんの方が、ふた月ほど先やけど」と答える。そして、いつものようにまくしたて始めた。
「今月でもう三十なんに、ぼけーっと家に居座ったまんまで恥ずかしいげんて。いい話もぜんぜん無いし。ねぇあんた、誰かいい人、紹介してくれんけ?」
サッコと同じ大学だったのを別の親戚に漏らしたことといい、お母さんは他人に言ってほしくないことばかりをちゃべちゃべと喋る。
というか、一人暮らししたいって打ち明けたとき、親不孝だなんだと暴れたのは誰だっけ?
「ちょっと。やめてま、お母さん」
肘で軽くこづくと、ハンドバッグで叩き返された。
「なんやいね。あんたはこれぐらいせんと結婚できんがんやからね。サッコちゃんと違って、ブサイクねんから。それに、いっつもおどおどして、どんくさいし。ひとりで生きてけるほど、賢くもないし。悔しいげんたら、とっとと自分で相手見つけてこんかいね」
あまりの言いぐさに、白髪のおばさまが苦笑いで助け舟を出してくれた。
「そんな心配せんだかて、だいじょうぶやわいね。今どき三十なんてまだまだ適齢期や。それに、あんたには言うとらんだけで、緑子ちゃんにもお付き合いしとる人ぐらいおるわいね。ねぇ」
「は、はい……」
明らかに否定的な私の声のトーンに、お母さんはこれみよがしな溜息をつく。
「まぁ、ウチが生きとるうちに片づいてほしいもんやわ」
「ああ、ほやほや、結婚といえば――」
別の親戚の近況へと話がそれて助かったけれど、ふたりのお喋りはまだ続く。待つ私は立ち止まったままで、足の疲れがひどくなってきた。
「お母さん、私、タクシーここまで呼んでくるわ。おばさまもよかったら、一緒に乗って行きませんか」
そう提案して、私は早足で駐車場へ歩き始めた。とにかくこの場から離れたかった。
お母さんが人前で――特に、サッコを知っている人の前で、率先して私を笑いものにするのはよくあること。
よくあることだけど、いつまでたっても慣れるものじゃない。だからといって、真っ向から反抗もできない。お母さんの言うとおりだから。
それに、めんどうくさい。「一(いち)」言おうものなら「百」言い返される。口だけじゃなく、手が出てくるときもあった。だから今日のワンピースも「色がなんだかなぁ」と思いながらも、お母さんに勧められるままに黙って着た。
久しぶりに会う親戚たちはみな、私を見て「大きくなった」としか言わない。その理由は、サッコと私の姿を見比べればわかるというもの。
正直、サッコと一緒にいることで惨めな気分になることは少なくなかった。けれど、嫌いにはならなかった。彼女自身は、あっけらかんとしてイヤミの無い子だし。悪いのはサッコじゃない。口さがない周りの方。
「だいたい、お母さんがこんな名前つけるから、なおさら比べられやすいんじゃないがかいね」
「桜子」にふた月遅れて生まれた「緑子」。どこか懐古主義的な名前。
名前の由来を尋ねてみたとき、「画数がよかっただけ」なんてとぼけていたけれど。あれだけお世話になっておきながら、お母さんは何もかもが順風満帆な伯母さんの家に対抗意識を抱いているとしか思えなかった。
それに、どんなに優雅な響きの名前をつけて張り合ってみたところで、結局は、美しく咲き誇る「桜」の花と、添え物の葉っぱの「緑」。
私は長い間、この名前が好きじゃなかった。
行列の中では気をつかって自由に歩けなかった分、思いっきり爪先を上げて歩く。心の中では、御所車に向かってけたたましく鳴く鶴を、一歩ごとに蹴り飛ばしていた。
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披露宴がとり行われるホテルは、茶屋街からタクシーで五分程度の近場にあった。二時間の待ち時間をもてあます招待客のためにラウンジが貸し切られ、お茶や焼き菓子などが振る舞われている。
旧交を温め合ったり、たくさんの写真に彩られたウェルカムボードを眺めたり、配布された新郎新婦のミニアルバムをめくったり。披露宴から参加の招待客も加わって、みな、それぞれの時間を過ごしていた。
お母さんは、お喋りの輪を渡り歩いている。私は学生時代の友人と再会を喜んだ後、トイレで席をたった。
フォーマルバッグの中のスマートフォンで時刻を確かめる。まだ一時間は余裕がある。お母さんたちのお喋り中に向けられる視線から逃げたかったし、人の多い場所に疲れたので、ホテルを出て少し散歩することにした。
空模様はさっきと変わらない。青空を流れていく灰色のちぎれ雲。
ホテルの前には、大手堀ごしに金沢城公園の森が広がっている。お堀の水面でオシドリやカモたちが優雅に波紋を描くのを横目に歩き、白鳥路に入った。
金沢城公園の脇を通って兼六園側へ抜けるその遊歩道は、木々に囲まれた自然のトンネル。無数の枝葉が太陽の光をやわらげて、吹くそよ風が少し寒いぐらいだ。以前は砂利道だったけれど、いつの間にか舗装されていた。
森の上を黒い影が飛んでいく。この森を根城にする大量のカラスがずっと前から問題になっていることはニュースにもなっていたし、先生の講義でも習った。
なんとなく歩いているうちに、白鳥路を抜けてしまった。車道を隔てて、もう目の前は兼六園だ。信号はちょうど、青。
本当は、少し歩いてすぐホテルに戻るつもりだったけれど、ついついここまで来てしまった。
……来てしまったら、もう心がざわついて、このまま引き返すことはできなかった。
桂坂口でお金を払って入園する。歩きにくい砂利の坂道を、歩きにくいハイヒールでよっこらよっこら登っていると、大学時代の記憶がよみがえってきた。
単位の数合わせのためだけに取った講義『金沢の歴史と文化』。月曜の一時限目、大学に入って最初の講義。
四十人ほどしか入らない小さな講義室の教壇に立ったのは、三十前半に見える男性だった。大学の先生なんて、おじいちゃんおばあちゃんばかりだろうと思っていたので、若さに少し面くらった。
他に顔見知りがおらず隣の席に座ったサッコが、私のノートに走り書きしてきた。
「イケメンやね」
彼女には付き合ってる彼氏がいたけれど、歌手やモデルやコンビニの店員さんに対しても「イケメンイケメン」とはしゃぐのは、いつものことだった。お母さんから顔も知らない父へのグチを聞かされて育ったせいか、男のひとにあまり興味が持てなかった私は「そうやね」と軽く返した。
「この講義を担当する佐久間 浩則です。大学院を卒業したばかりで、講師として初めての講義になります。みなさんと同じ『一年生』ですね。どうぞよろしくお願いします」
私たち新入学生よりもずっと初々しさをにじませて、先生はペコリと頭を下げた。
サッコのシャーペンが、またノートに入ってきた。
「あ、ダメ。問題外」
どうしてかを尋ねる前に答が書かれていく。
「だって、結婚したら『サクマ サクラコ』になるげんよ。サクばっかやがいね。サックサク。なんかイヤやわ」
「サックサク」という言葉の響きがなぜかツボに入って、噴き出してしまった。サッコとふたり、肩を震わせて笑いをこらえる。
「こら、そこ。笑わない!」
自分が笑われていると勘違いしたらしい先生が、頬を赤くして私たちに注意した。
「はい、すみませんでした」
悪びれずに笑顔で謝るサッコの横で、叱られた私はただ顔を下に向けた。
砂利道を歩くうちに、左のハイヒールに何か入ってきた。近くのベンチに腰かけ、うっすら砂埃の付いた靴を脱いで振る。小石がいくつか転がり落ちた。
園内の説明をするガイドさんの拡声機ごしの声や、カメラを手に行き交う観光客の姿が、近づいては去っていく。
「団子、うまいよー! 草団子、おすすめです!」
近くの団子屋さんの客寄せの声だけが、留まり続けている。見れば、私と近い年頃の男性が、店先で来る人来る人に声をかけていた。いかにも体育会系ながっちりした体格に、紺色のはっぴがきゅうくつそうだ。
「団子だけじゃございません! 金箔工場謹製、吸収性抜群のあぶらとり紙! 雨の街・金沢の景色によく似合う和傘などもございます! ぜひ、お立ち寄り下さいませ!」
魚市場みたいなテンションの高さで手を叩き、声を張り上げている。郷土愛の強いお年寄りなんかが見たら「場をわきまえろ。品の無い」なんて舌打ちしそう。
でも、それだけ集客に必死なんだろう。県内屈指の観光地とあってにぎわってはいるけれど、お花見や紅葉の時期に比べるとぜんぜん人出が少ない。
「そりゃそうやわ」と、ぼんやり思う。
似たような色の似たような葉っぱばかり茂らせる草や木よりも、色とりどりに咲きこぼれる花々の方が、みんな好きなはず。
……好きな、はず……。
「みなさん、兼六園の一番の見頃はいつだと思いますか?」
自己紹介が終わると、先生はそう切り出した。初回は全国的に有名な兼六園を取り上げるようだ。返答を求められた学生たちは発言しようかどうしようか、もじもじと顔を見合わせている。
「春のお花見の頃だと思います」
サッコが口火を切ると「紅葉もいいよね」「観光客的には雪吊りとか珍しくていいがじゃない?」などと、次々に声があがった。
先生は嬉しそうにうなずいた。
「たくさん挙げて下さって、ありがとうございます。春の桜、秋の紅葉、冬の雪吊り。どれも素晴らしく、誰もが認めるところでしょう。でも、私が一番おすすめしたいのは、梅雨から初夏にかけての兼六園なんですよね」
「えーっ」と、みなが驚く。私も驚いた。「梅雨なんて、雨ばっかりで一番嫌な季節やがいね」と、みなが言う。私もそう思う。
「みなさんの仰るとおり、梅雨は嫌なものですよね。洗濯物も乾かないし、お出かけするのに何かと困りますもんね。けれど『雨降って、地固まる』という言葉もありますし――おっと、話を戻しましょう。雨の兼六園には侘び寂びの渋い魅力がありますし、なにより、長雨の後が素晴らしいんですよ」
先生は拳を口に当てて、もったいぶった咳払いをひとつした。
「兼六園には約百五十種・八千本以上の樹木が植えられていて、そのほとんどが常緑樹です。『唐崎の松』や『根上の松』をはじめ、サクラやツツジなどが有名ですよね。さらにカキツバタやカタクリなどの草本植物や苔などを合わせると、何百種類にものぼります。個体数にして何万本、何万株になるでしょうか。それら幾万の葉や茎が雨で洗われて、ますます色を深く鮮やかにする」
どこか遠くを見ながら、とうとうと先生は語り続ける。私はうつむいた。植物の話は、好きじゃない。
けれど、次の言葉で目が覚めた。
「それはもう、綺麗な緑色なんですよ。雨の後、日光でつややかに輝く緑を眺めるのが、私は一番好きなんです」
つい、勢いよく顔が上がってしまった。