@snhe387
頭部にあたる部分には、まるで胴体を茎とするかのように、一輪の大きな花が開いている。自分と形が随分と違うようだ。加州清光の感想は、それだけだ。人間からすれば、異形。その姿の美醜に言及しようと思えば一言か二言か持ち合わせていたが、付喪神である清光が、その姿に恐怖を感じることはなかった。品定めするような目や、唇がないだけ、かえって心地よい具合である。花のかんばせとはこういう事か、などと、別段面白くもない冗談が、ぼんやりと頭に揺蕩う。
さて、この状況に説明をつけよう。偵察は苦手だ。どうやら彼女たち(服装から察するに、そう呼ぶべきだろう。メイドと呼ばれる女性使用人の服を纏っているのが、奇妙なメルヒェンである。)が、清光に好意的であるらしいことも察することができた。大きな頭部を持つ割にはしゃんと背筋を伸ばし、給仕服の裾を翻さない程度にしずしずと動きながら、椅子を立とうとする清光を制した。制したといっても、彼の首元に垂れるマフラーを整えただけだ。清光はいよいよどうしたらいいか分からずに、腰掛け直した。世話を焼かれているらしいことは分かるが――。いざとなれば、斬ればよい。思うも、肝心な腰の刀が見当たらないのであるから、それだけが引っかかった。この花の頭部を持つ女性たちに奪われたのだろうか。なぜ、ここに来た経緯を思い出すことができないのか――。
難しい顔をして、無意識にへの字に曲げられているのを見て、清光ははっとした。いつの間にか、目の前には大きな鏡が置かれている。一人、もしくは一体がワゴンを引き、清光の傍に寄せた。不審な目をやれば、化粧道具が並んでいる。清光が持っていないような、上等なものであることは一目で分かった。清光は大きく瞬きをした。
「俺をどうするつもり?」
聞いたところで、答えが返ってくるはずもない。その代わりに、一人が目映い金の櫛を手に取り、清光の髪の毛を優しく梳かし始めた。
「……なに? お手入れをしてくれるの?」
彼女たちの肌はまるで陶磁器のような質感で、血の通った色をしておらず、すぐに罅が入ってしまいそうだ、という清光の感想に反して、指先まで繊細に曲がり、優しい手つきで清光に奉仕し始めた。一撫でされるたびに、髪に艶が増すような気がする。鏡をぼんやりと見ていると、ふわふわの毛束で頬をなぞられた。何事かと思って見ると、粉末の頬紅をはたかれているらしい。内面から滲むような赤が現れると、途端に顔が生き生きとして見え、自信が溢れてくる。
鏡を見るのが好きか、嫌いか、と言われればどちらでもないが、どちらかといえば嫌いではない。顔色がよくないときは紅をさしたり、肌が荒れているようならば隠すこともできるし、不揃いな髪の毛があれば整えることができる。鏡を見ると、上手に愛される自分に安堵をするし、欠点を自分で見つけることで、更に安堵する。人に気付かれる前に、直してしまえばいいのだ。完璧になろうなんて、格の違う刀と同じ土俵に上がろうだなんて、最初から思ってもみなかった。自分は、自分の最高の状態を保つ、それが加州清光の自信である。
彼女たちの手つきに身を任せるのは心地よい。顔の仕上げを一人に任せながら、左の方では牡丹を咲かせた女性が手を取り、爪紅を塗り直している。爪紅、というよりはマニキュア、と呼ぶべきか。清光が普段筆で溶いているようなものとは違い、小瓶に入っている。横目に見て、清光は、彼女たちの爪も同じように赤く塗られていることに気付いた。よくよく考えなくても、皆、赤い花を頭部に持ち、清光のために誂えたかのような、黒く塗られた木に赤の布を張り、金の細工を施した椅子といい、この部屋も、この生き物も、清光のためだけに用意されたと考えて間違いないだろう。
「あんたたちは、何? 主に頼まれてきたの? 俺の刀はどこ?」
目がない相手に語りかけるのは、まるで独り言と同じのようだ。話しているのに、言葉を空中に投げるような空虚な感覚だけが残る。そうだ。主は、本体とも呼べる刀は。あれを折られてしまったら、消滅してしまう。微睡みかけていた頭が覚醒する。
白い部屋は奥行きがあり、清光の周り以外には家具らしいものは置かれていない。清光が左を向くと、遠くに真鍮のドアノブがついた、重厚そうな扉が見える。右を向くと、奥にはヴェルヴェットのカーテンがあり、その奥に何があるのかはわからない。先程、ワゴンを引いてきたのはこの奥からだったと思う。清光は大人しくマニキュアを塗られながら、扉を見つめていた。あの向こうには、外だろうか? 頭を動かしていると、顎を持ち上げられて、唇を筆が這った。途端に潤んだ唇を、いつもの癖で馴染ませるように一度内側に巻き込む。鏡の中の自分は、充分可愛くできていると思う。少し気になっていた跳ねた毛束を、ワックスを塗った指で内巻きに整えられて、清光は満足した。
「はやく主のところに行きたい。これが終わったら、出て行っていい?」
はやく乾くように、左手の爪に息を吹きかける。当然のように返事が無いので、退屈な気分になっていると、察したかのようにどこからともなく音楽が流れ始めた。スピーカーはどこにも見当たらないが、天井から降り注ぐようなその音は、清光の知らない異国の言葉で、厳かに奏でられている。右手の爪も塗り直されると、彼女たちは一人を残して清光の傍を離れた。ワゴンを引いて、カーテンの奥へ消えて行った。
「見張りってわけ? いい気分しないな」
睨み上げたところで、隣に立っているのは美しい薔薇だ。清光の好きな花の一つだが、己の部屋に飾ろうとは思わず、もっと豪奢な場所に飾られる花だと思っている。
「あんたたちも、俺たちと一緒? 食事なんか摂らなくたって、生かされているんでしょう? ……あー、せめて何か意思表示してくれたら、話し甲斐もあるけど、あんたたちに感情があるのかどうかも、わかんないし……」
頭を掻きたかったが、爪も手入れをされたばかりであるから、清光は両のひじ掛けに腕を投げ出しながら、
「思うんだけど。花は散るから美しいなんて言うけれど、散らない花がいたら、皆愛してくれるのかな? 終わることを前提に愛されるなんて、俺は嫌だよ」
鏡の中の自分を見据える。
「ずっと咲いてみせる。今、綺麗にしている俺を、愛してほしいからね」
隣に佇んでいるのは、自分の従者というよりも、まるで、
「あんたたちはさぁ、俺の……」
清光が言葉を切ったのは、下がっていったと思った二人が、今度は立派なティーセットを押してきたからだった。ワゴンの上には丸みが愛らしいブランのポットがあり、揃いのカップに注がれた紅茶から湯気が上がると共にベルガモットが香った。タワーになったマカロン、これは清光は本丸のテレビでしか見たことがなかったが、口紅のような見事な赤色をしており、恐らくカシスやベリーのジャムがサンドされているのだろう。別の小皿には、金箔の映えるオペラが切り分けられている。
審神者の携帯に入っている写真で、こういった光景の画像を見たことがあった。清光の主が生きる世界には、見た目が可愛らしくて、味も美味しい食べ物が、たくさんあるのだという。いつか、一緒に行こうねと、約束をしたのだ。主と――――かつて主を同じくした仲間と共に。清光の瞳は僅かに輝くも、手を付けることなく席を立った。
「せっかく塗ったグロスが落ちちゃう。順序がなってない。やっぱりあんたらには、心が足りないらしい」
さぁて、と伸びをする。仕上げとばかりに右手の爪に息を吹きかけた。
「俺の刀はどこ。出して」
最早分かり切ったことだが、返答はない。清光の声に、空気を震わせるような怒りが滲んだ。
「出せ。って言ってるの」
凄んだところで、彼女たちは整列して、花瓶に生けられた花のように、この物語とは何の関係もありません、というような顔をして立っている。清光は溜息をつき、奥の扉に視線をやる。次に、カーテンのある方へ目をやる。
どちらが”出口”だ?
なんとなくだが、選択を誤ってはいけないような気がする。心地よく耳殻を撫ぜていた音楽の音量が上がったような気がする。思考を妨害するように圧し掛かってくるように思えた。
――――ああ、考えたってわからない。ただ一つ、わかることは。
清光は目の前の大きな鏡に手を当てた。椅子と合わせて作られたのだろうか。金の細工の感じがよく似ている。最早、笑うしかないのだった。
清光は腰を捻り弾みをつけると、振り上げた足のヒールで、鏡を叩き割った。
途端に、照明が落ちたかのように部屋が暗くなる。散った破片の数々、罅の走った鏡の一部屋一部屋に、清光の紅い目が煌々と輝いている。
目の前の鏡には、確かに自分が映っていた。しかし、自分以外は映らなかった。それだけならば、あの花の彼女たちが怪しかった。
「ずっと咲いてみせる」と。そう呟いたとき、鏡の中の自分は満足そうに頷き、そのまま席を外してしまったのだ。鏡に触れた時も、そこにはもう清光の姿は映らなかった。誰も映し出しはしなかった。その代わり、鏡の中に残された椅子の上には、刀としての加州清光が立てかけられていた。
暗闇に目が慣れるかというころ、目が眩んだ。もう一度部屋が明るくなると、花の彼女たちも、調度品も、部屋の扉すら、消え失せていた。
ただ、白い空間に横たえられているのは、己の本体である。
近付いて手に取ると、身体が浮遊するような奇妙な感覚があった。
「皆が戦ってるかもしれないのに、俺だけ呑気に着飾られて茶を飲んでるだなんて、そんな馬鹿なことがある? 俺はさ、刀なんだって」
目を閉じてその感覚を追う。身を任せる。己を連れ出そうと輝く光の先に、懐かしい匂いがした。
◆ ◆ ◆
清光の目に飛び込んだのは、暗闇だ。失敗したのか、と思った。背中が冷たい。己が仰向けに横たわっていることに気付いたと同時に、「清光!」と、慣れ親しんだ声がした。
「やすさ、」
言いかけたところで、腹部の鈍痛に身体が強張る。思わず押さえた手には、ぬるりと嫌な感触があった。駆け寄ってきた安定の顔は青ざめている。
そうだ、今日は池田屋に出陣をした。なぜ、思い出せなかったのだろう。
「撤退だ! 敵を通すな!」
安定が振り返って叫んだ。この反応から見るに、倒れてから時間は経っていない。
清光は笑いそうになった。刀があの世を見たってこと?
さながらあれは、死に化粧だったというわけだ。
いよいよ安定は気が確かでないと思って、担ぎあげようとしたが、清光は刀を支えに一人で起き上がった。ポケットには、主がくれたお守りがある。取り出そうとすると、灰になって散ってしまった。なんとなく気まずいまま、安定とその行方を目で追う。
――あの世か。沖田くんは、いなかったな。
意識が遠のくが、今回はしっかりと抱きとめてくれる感触があった。そこに掴まっていれば、大丈夫、帰ることができる。咲くことができる。誰かが咲かせようとしてくれるならば――、加州清光は花になる。
一生の、花でありたいよ。
それはきっと贅沢な望みなのだろうけれど、「おかえり」と、安定の次に抱き留めてくれるあの人を、期待していた。
【完】