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鮮赤と灰のループバック 前編

全体公開 ムゲンWARS 1 6841文字
2016-11-24 12:54:50

ステイルメイトを探して。翡翠さんと囚獄さんと、最後に少しだけ伝令くんが出てきます。

Posted by @san_ph7

「それじゃあ、よろしくね。翡翠」
 鏡の向こう側へ通り抜けていく水色の髪をした人に、黒い翼を持つ魔王はそう言って見送った。最後に残った腕が、挨拶のつもりなのか軽く手を上げる。それから鏡は一際波打つように大きく歪んで、やがてただの平らかな鏡面になった。
 その部屋には8枚の大きな鏡が、床からわずかに浮くように天井から吊るされていた。鏡は入り口扉を一辺に数えて八角形状に並んでいる。窓はなく、部屋の四隅へ申し訳程度に魔法の明かりが灯されている。足元は組木が複雑な文様を描いており、知識のないものが見ても見事な細工であることが分かるだろう。もちろんその床の上に立つ魔王は、この模様が転移の魔法を使うための補助であることをよく知っている。
 薄暗い部屋、八角形に並んだ鏡の中央に立つその人を災の魔王といった。頭上に割れた天輪を頂き、背に壁を負うような大きな黒い翼をもつ。夜色の髪は、毛先だけが金の色をしていた。明るい黄緑色の瞳は、見つめるものを蠱惑する呪いのかかった宝石のようだった。しかしどの鏡にも、彼の姿は映らない。
 部屋から出ると、彼は廊下をうろうろする人間の青年を見つけた。淡い色の髪を後ろでひとつにまとめ、灰色の瞳をサングラスで覆っている。カイ、と彼が声をかけると、笑ってこちらへ歩み寄ってくる。

 彼らは先程まで顔合わせをしていた。
 囚獄の勇者、カイは大牢獄に本体を繋がれた「出歩く囚人」だ。ここにいるのは分身である。カイが翡翠の勇者をその人として認識したのは恐らくこれで3回目で、前回はカイが腕を落としたオークションの最中に会っている。それ以前にも、覚醒勇者だったが故に大牢獄の奥深くに幽閉された本体を翡翠の勇者は一度訪ねているが、しかしそのときカイはあまり目が見えていなかった。
 そうしてお互いを見知ってはいたが挨拶を交わすのは初めてだろうふたりは、軽い自己紹介を済ませ、円滑に話し合いは始まった。彼らをこうしてきちんとした形で引き合わせておきたかったことも然ることながら、各々が持つ情報を共有することも彼の意図するところだった。
 円卓に上る話題は多岐に渡り、特に翡翠の勇者から聖界、魔界問わず広く情報がもたらされた。つい最近まで女神の証を使って移動することのなかったカイにとっては、初めて聞く国や魔王の名前もあっただろう。カイからは改めて自分の置かれている状況について。彼は翡翠が話してくれた情報の補足を入れ、そして自分の能力についての説明をした。つまり過去を見て、未来を予測することができる、ということを。
 大方の情報の出し合いが終わり、議題は今後の方向性へとシフトする。目指すべき未来へ辿り着くために、彼らにはまだ知るべきことがあるはずだった。といっても何を求めるべきかそれすらもひどく曖昧で、結局としてこの話し合いは「さらなる情報収集」に帰結する。ただ、洗いざらい虱潰しに、というわけにもいかない。聖界へ帰還させるためゲート部屋に通した際に、彼は翡翠には難しい頼みごとをした。もうひとりの勇者に託すには少々気が引けることだった。思案の後、諾と返事をもらう。
 
「翡翠さんて、えらいひとやな。色んなこと知っとって、強くて」
 廊下を並んで歩く。彼が翡翠を先に帰して、カイをここに残したのには理由があった。
 外はこの時期にしては珍しく快晴で、窓から見える眼下の雪景色が冬の様相を伝えている。
「今度手合わせでもしてもらえばいい。僕とやるよりはいい鍛錬になるだろ」
 もっとも、カイと手合わせなどしたことはないのだが。
 ふたりは西区画の2階の突き当りに向かって歩いた。最奥にある角部屋は今は談話室として使われている。扉を開け、中へ入る。毛足の長い絨毯が床のほぼ全てを覆い、あちこちにクッションやソファが置かれている部屋だ。奥の壁に設えられた暖炉には魔法がかかった炎が揺らめき、この部屋の温度を快適に保っている。部屋の二面には大きな窓があるが、今は分厚いカーテンがかけられて外は見えない。
 話したいことがあったとは切り出しづらく、いつものように暖炉の前の椅子へ腰掛けた。この前ここで翡翠と話して以来、チェス盤は出しっぱなしになっている。灰色のポーンが3つ、マス目に沿わずに置かれていた。
 このチェス盤も、この城も、彼の持ち物ではない。それもこれからカイに話したいことと深く関わることだったが、それが今必要なことなのか、この直前でも彼はまだ迷っていた。黒のポーンをひとつ手に取る。塗装の所々剥げた、古い木製の駒だ。
「おれ、強ないで?」
 頬を掻きながら、困ったように勇者は笑った。
「ポーンだけでどうやって遊ぶんだよ」
 ジリ貧だ、と言って駒をボードの上に戻す。
 この世界で行われている神々の陣取りゲーム。このゲームにはチェックメイトを目指す為の特別な戦力など存在しない。故に、彼はこのボードの上にポーンしか配置しなかった。
 ……プロモーションも、チェスにはある。目の前の人を見る。不思議そうな顔でこちらを見つめる、証さえなければただの凡庸な人間にしか見えない男を。彼を最終列に押し上げ、駒を昇格させるときは、きっと「引き分け」をわざと狙いに行かねばならないときだろう、と思う。
 黙って思考を巡らせていた彼を見て、カイは仄かに笑った。
「ウィルがそうやって口数少ないときは」
 いつも大事な話んときやな、と呟いて、灰色のポーンをひとつ手に取る。
「そういうところは……
 よく見てるんだな、とか、そういうのは言わなくていい、とか、色々物申したくなったが、言い返す気は起きなかった。カイにはこちらの意図を汲む姿勢はいつだってある。伝わらなかったのは、いつも彼が遠回しだったからだ。
「嘆きの谷の話だ」
 サングラスの向こうの目が見開かれた。
「君がいつだか僕に話してくれた、大牢獄に捕らえられるきっかけになったあの場所を僕も知っている」
 気が重たい。だが説明はしておかなければならない。
「あの呪いをかけたのは、魔王だ。あれは大牢獄に出入りしていて、恐らく当時の牢の魔王と共闘関係にあった。大牢獄側があの村をどのようなものとして見ていたのか、僕は知らない。けど、僕はその呪いをかけた本人を知っている」
 本当は知っているどころではない。カイには、言えない。
「当然なんだ。……僕が殺したんだから」
 赤と灰色。鍔のない剣。忘れたことなどなかった。本当は忘れたかった。脳裏に焼き付く最期の光景。
”お前に本物の呪いを見せてやる”
 それが嘆きの谷のことだったのか、そうではなく、忘れることなど永遠にできない記憶のことだったのか、或いはそのどちらもなのか、彼には分からなかった。ただ、彼にとってそれは呪いではなく、報いではないかと思われた。
 何故なら、彼は親友を殺したからだ。
 頭が痛み、思わず目を逸らした。暖炉の炎を見つめる。ここでよく話をした。ここでチェスもした。だが今目の前にいるのはその人ではなく、カイだ。時代も立場も全く違う。彼もあの頃とは志すものを変えた。そんなことは百も承知だ。それでも、いくら時が経てども褪せることない鮮明な記憶と、何よりこの場所が、まるでカイを殺してしまったかのように彼に錯覚させた。
 しかしどうしてそんなことが、カイに言えるだろう。
「せやけど、おれ自分で調べたとき、聖界で討伐されたって……。ウィルのことは何も」
「僕がそうした。あの場でそれを知り得たのは僕以外にはいなかった。聖界側にそう伝えたのは、嘆きの谷に近づく者が出ないようにと、そういう意図のつもりだった。魔王が魔王を討ったなんて話よりは、聖界でその魔族が討伐されたと、その方が残りやすいとも考えて」
 何故と、きっと聞きたいのだろう。けれどカイは口を真一文字に結んで、静かにしている。
「術者を倒せば、かけられていた魔術なり魔法なり、普通は解けるものだ。でも君も知っている通り、谷はあのままだった。呪いは解けなかった」
 悲惨な谷の様子を彼も思い出せる。けれど、彼は呪いを解く方法にあてがなかった。
「谷が、あのままだったのは、僕がそれを解く方法を探さなかったからだ。君が大牢獄に捕らえられることになったのも、僕が……僕のせいじゃないかと、思ったんだ」
 独り言のように呟いた。カイは神父でもなければこの場所は懺悔室でもない。罪の告白をただひとりの勇者に向かって、ただ吐き出した。大事な話とカイは言ったが、実のところ彼は楽になりたかっただけだった。
「アホか。ほぼ関係ないやん」
 当の勇者は笑ってそう言った。
「おれがいま大牢獄にいてるのは、他の誰のことも関係なくおれが選んだことの結果や。そんで、ウィルがその魔王を討ったあとは、あの谷の解決じゃなくて別のことのために動くことを選んだんやろ? その『選択』を誰が責めるん?
それよか、助かったわ。わかったような気になって勘違いしたらあかんって、ずっと前に後悔したはずやのにな」
 彼は眉を寄せて、それから傍らに置いてあったクッションを引っ掴んで投げつけた。ぼふ、と音を立ててカイの顔面に命中する。抗議の声を上げようとしたその人を遮って言う。
「君のそういうところ、腹立つ」
 何か望みの言葉を得たいだとか、そういう期待をかけたわけではなかった。そういう反応をするだろうことも、薄々分かってはいた。
 それなら、この苛立ちはどこからくる?
「少しは気にしろよ」
「気にしたら、ウィルは楽になるんか?」
 今度はカイが目を逸らした。サングラスに暖炉の炎が反射して、その向こうの瞳にどんな感情を湛えているのか、彼からは見えない。ただ、投げつけられたクッションを膝に置いて、こぶしを握っている。
「そういうところが腹が立つって言ってんの!」
 もうひとつクッションを投げる。流石に2回目ともなるとカイも甘んじて受けるようなこともなく、乱暴に投げられたそれを片手でキャッチするとそのままこちらへ投げ返してくる。
「八つ当たりやんか」
 むっとしたような、それでいて困惑したような顔をして、カイは言った。
「八つ当たりだよ。わかったような気になってるのは今もだろ」
「何が言いたいねん」
「僕は君に全部なんか話してない。話すつもりもない。昔話が得意じゃないし、何より君にそういう反応されるのが嫌だ」
 生来の性質だと言ってしまえばそれまでだが、このお人好しと呼ぶに相応しい勇者は許容する優しさというのを心得ている、と彼は思っている。その実、許容というのは裏を返せば他人へ干渉して傷つけることを嫌がる姿勢でもある。受け入れてしまえば、それ以上踏み込む必要などない。彼が苛立っているのは、そういった優しさが嫌だったからではなく、カイがこの期に及んで踏み込むことや傷つけることを彼に対して臆病になっているように見えたからだった。
 カイが信頼や信用を置いてくれているのは嬉しくないわけはなかった。彼だってカイを信頼して世界の真実を告げ、真名をも明かしたのだ。志すものが同じといえど、来し方も肉体も魂も、何もかも全く違うふたりだったから、こうして思うことが行違うこともあれば、初めて城に連れてきた日のように口論になることだってあるだろう。
 でもカイは彼を不用意に傷つけぬよう、適切な距離を保ちたがっている。そんな気遣いは今更いらなかったし、そんな風に思われるような間でもない。信頼と優しさの間にある溝のようなものだと思う。彼が言葉足らずなところも勿論あるのだろう。歯痒い気持ちが胸に満ちる。いつだってままならない。大事な友達なのに。
 鋭い頭の痛みを感じてクッションに顔を一瞬伏せた。会話と平行してカイの過去を遡行していたのだが、ひと月どころではない魂の記憶を閲覧して情報過多になったらしい。異変を感じたカイが立ち上がりウィル、と声を掛けかがんだところに、すかさずカイの顔面へクッションを押し付けた。脂汗が流れる。
 カイの為に出来うる限りをしたいと思う。これまでのことではなく、これからのことを考えたい。気にして欲しくない、と言ってもカイには無理かもしれない。何しろ生来のとんでもないお人好しのくせに、自分が誰かにとってどういう存在なのかにはひどく鈍感なのだ。言葉にするのが難しいけど、伝えようとする気がなくては伝わるものも伝わらない。
「君はもう少し、僕に大して無神経になっていい」
 だから、これから君が必要とすることは全部言え、と続ける。押し付けた向こう側からくぐもった声をあげるカイに気づいて、クッションを降ろした。
 困った顔して、何か言葉を探している。言えばいいだろ、と促せば、そういえばまるで正反対のことを前に言われたことがある、と答える。
「大牢獄で、悪魔に会ったんやけど」
 カイはそれから牢獄の鉄格子越しに出会った者たちの話をした。半分は以前に聞いたことがあった内容だったが、もう半分は初めて聞く。カイの過去を遡ったうちに出てきたあれが邪神の使いらしかった。それ以降の経緯はよく知っている。何故邪神に会おうと思ったと問えば、
「色々聞けそうやん、女神様には聞いたら怒られることも邪神ならオーケーかもしれへんやろ」
 と言う。邪神。伝令の悪魔。頭の違和感が消えない。彼は虚空を睨んだ。視の魔王を思い出す。この縁の薄い糸は、一方的に視られているときの糸だ。
「こいつは知っているのか」
 呟き、立ち上がる。カイが邪神のところまで無事辿り着けるように、できることを探したかった。無論、自分もその場所へ辿り着く手段を探さなくては。
 もごもごしたままのカイの腕を引っ張って、言いたいことがあればはっきり言え、とゲート部屋まで引きずる。廊下を行くうちに先程のことを指摘され、どこか悪いのかとしきりに聞いてくる。歳食うといろいろガタが出るんだよ平気だ、などと適当に返答をしながら、鏡の向こうにカイを押し込んだ。
「やるべきことをやれ。僕もすぐに行く」
 不安そうに出された手を痛いぐらいに握り返して、カイを見送った。
 波打つ鏡面が穏やかになったとき、彼は膝をついた。カイの腕を引っ張る間中、ずっと計算を行っていた。このほんの僅かな時間で能力をフルに使ったために、幻覚症状が出る一歩手前まできている。頭が熱い。精度はあまり高くないだろうが、構わず未来予知の結果を、視た。

 飛び飛びになる映像。ビブリオテカの学者街。提示された場所。

 地平線が赤くーーあかい。 
 赤。
 赤い森、赤い空、赤い海。
 赤い水。
 あかい、あか、あか、赤。
 
 赤と、灰色。
 
 まずいと思ったときにはもう遅かった。頭の中で風船のように膨れ上がる大量の鮮赤が、派手な音を立てて破裂する。焦点が合わない。覚醒したまま、意識はここではないどこかを視界に写し始める。床に手をついた。地面が波打つ。組木の上に点々と赤が落ちる。鼻から血を流しながら、それでも未来視を止めることができない。映像は次第に過去彼が直面した「あの日」と二重に重なりはじめる。

『俺が死んで終わりだと、本当に思ったのか?』

 聞き覚えのある声は前方から聞こえた。顔を上げる。その場所はもう彼の知るゲート部屋の様子とは全く異なっている。彼が手をついている先の床は砂だ。しかし小石のような感触を感じたかと思えば、手のひらから伝わる感覚はすぐに霧散する。
 いや、これは灰だ。
 灰が埋め尽くす空間。部屋の壁も組み木の床も、もうどこにも見えない。ただ1枚残った鏡には、彼は映っていない。にわかに銀の鏡面が波打ち、赤い靄が広がっていく。その中に、かつての友の姿を視た。彼と似たような色をした瞳が、愛しげに、憎らしそうに、嬉しそうに、呪わしげに、彼を見つめている。
―――――
 喉から自然と声が出た。それは、彼が知るその魔王の名前だった。
 哄笑響き渡り、赤い鏡の表面にびしりとヒビが入った。
 ヒビの隙間から、赤が、血のように滴り落ちる。
 びしり、びしり。
 鏡の向こうの「彼」が手を伸ばした。手のひらを、割れた鏡面へ押し付ける。
 直後、ガラス片を吹き飛ばして鏡が爆発した。
 鏡より流れ出る大量の赤い水が決壊した川の濁流のように彼を飲み込む。
 彼は幻覚の中で、ついに意識を手放した。


        ***


 組み木の床へうつ伏せに倒れた彼の傍らに、ふたつの影がある。
 ひとつは白い髪の少女。床へ座り込み、左右違う色の瞳で心配そうに彼を見ている。
 もうひとつは。
「呼ばれたからキたのに」
 わざとらしく肩を竦めて、伝令の悪魔はそう言った。


後編へ→(http://privatter.net/p/1992726


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