狂乱の道を彼ひとりに帰らせて、何を為しうるのか試させよう。
囚獄の勇者の赤い森チャレンジ。終始グロ描写なので閲覧注意です。
@chuchuhakokaina
**Day1**
その異様さには、明確に覚えがある。囚獄の勇者、カイの転機になったあの日のことだ。そう、臭いこそ死体が堆積されたときのように生臭く感じる。しかし、当然発生してしかるべき、蠅や死肉を漁る獣の類には出会っていないのだ。あまり意味がある行為ではないと知ってはいるが、鼻口を布で覆う。
目を眇めて遠くを見やれば、地平線の一部が、赤く染まっている。あそこがいわゆる「赤い森」なのだろう。本当にあった。見つけてしまった。
先日、囚獄の勇者は、魔王であるところの友人、ウィリデルクスから、改めて彼の来歴に関わって、ある場所についての情報を取得した。友人からしてみれば随分と若輩であることもあり、カイに話そうと思うまでには決心がいることであったろう。と、いうのは、その情報というが、カイが大牢獄に囚われるきっかけになった、あるいは初めて心底から世界への絶望を認識した、「嘆きの谷」に関することだったからだ。
やはり、とカイは思う。
「自分の認識なんてあてにならんもんやな」
近づく赤色に眉をしかめながら、呟いた。
「嘆きの谷」については、かつて相応に調査したのだ。当時のカイが出来得る限りのことをしている。にも関わらず、カイはその術者が魔王であり、殺したのが、聖界では黒い翼の天使として知られている伝説的な存在であるということにはついぞたどりつけていなかったのだ。だからこそ、カイは再び「嘆きの谷」について、書館の勇者が統べる叡智の集積地、ビブリオテカ国で調べものをした。今度は、あの地についてというよりは「魔王」と「呪い」というものに焦点を当てて。そうして、「赤い森」の伝承にたどりついた。聖界のどこかに存在する、狂気に満ちた呪われた森。その先にあるという「赤い海」の様子が、どうにも「嘆きの谷」に似ている印象があるのだ。
土地と伝承、歴史と社会を結びつける学問は、いわゆる地誌学の範疇だ。カイはこの学問に極めて精通している学者のキキ、という人物と、ひょんなことから浅からぬ縁を得ている。フィールドワークが多い学問だが、賢人が集うと誉れ高いビブリオテカに彼も他の学者と共有して研究拠点を持っていた。その場所を尋ねると、運よく滞在していた彼だけでなく多数の研究分野の学者がわらわらと集まってきて、いつの間にか歴史学や考古学や宗教学、数学、工学、物理学、魔法学などの知恵を持て余した人間が学際的な議論を交わし始めた。もはやカイには訳が分からない。彼らから数日の猶予が欲しいと言われ、期日に行ってみれば良い笑顔の学者連中に囲まれた。
「やぁ君のお蔭で非常に有意義な考察ができたよ勇者くん!『呪い』の単純な外観的類似から『赤い森』と『悲嘆の谷』を関連付けるとは、原理に詳しい専門家には逆に思いつかない。語るべきことはいくらでもあるが、君は別に詳細な経緯など必要としないだろう。結論だけ言えば、その場所の候補を幾つか挙げることができたぞ。もっとも、我々が分析し得なかった条件がある可能性もあるので全部ハズレでも恨まないでくれたまえ!」
カイ、いつかは我々も調査に行くだろう、だが君がいち早く動くつもりなら十分に気を付けて。そう言うキキに渡された地図を頼りに、カイはこの場所にやってきた。恐らくは非常に幸運なことに、長くさまようことなく、カイは正解の場所を引き当てた。周辺では「赤い森」があるという噂こそあったが、実際に見たことがあるという者はなく、それはこのあたりだけでなく、他の候補地でもそうだった。それが「見て帰ってきたものがいない」ということなのか、「本来はその場には存在しえない」ということなのか、カイに判断できることではない。
カイはただ、見に来たかったのだ。あの谷の「呪い」がどういったものなのか。そしてこの場所を知り辿り着いた以上、あの谷の子供たちに言った最良を尽くすという約束を果たしたかった。
近づくにつれ、見れば見るほど異様な森であるということが分かる。木々は、枝葉も幹も赤く、生える地面もまた、赤黒い。陰影すらべったりと色で塗りつぶされているかのようだ。深い森は日の光を殆ど通さず、しかしあの谷の水のように、ぼんやりと自ずから光を発している。生臭い空気は澱み、風にかき回されることもない。この森だけで透徹されたひとつの世界のような、聖界では違和感しか覚えない、煮凝った場所だ。
一歩踏み込む。周囲は静かだ。体重をかければ僅かに沈み込み、地面は水気をもって柔らかだとわかる。じわりと生臭い蒸気が立ち上る。「嘆きの谷」の赤い水が、火傷を伴ったことは刻銘に覚えていた。この場所では、腰を下ろして休憩することすら注意が必要そうで、となると、分身から意識を手放して本体に戻るのが難しいということだ。一度砂漠を旅していた時、過酷な自然環境の中で本体に戻った結果、分身が死にかけたのは苦い記憶である。
ただ、調べに来ただけだ。できるだけ危ないマネをせず、深追いはせず、ある程度の材料が集まった時点で戻る。
左手に短剣を構え、木に印をつけながら、カイは覚悟を決めて中に入っていった。
**Day2**
随分と長いこと歩いていると、日の光が入らないせいで、時間が分からなくなってくる。赤い葉を拾う。以前書館の勇者の部屋で見た、赤い樹の葉とは大違いだ。あれは生命を優しく包み、必要なものを与える樹だった。それに比べこの木々は、生命の理を度外視して内側を静かに侵し掠めるものだ。
周囲はまるで森の中とは思えないほどの静寂である。風の音も、虫や鳥の声も聞こえない。鼻がバカになってきたのか、生臭いにおいにも慣れ、気分の悪さばかりが呼吸器のあたりにわだかまっているように感じられる。カイは辟易しながら、目線の高さで樹に傷をつける。赤に満たされた代わり映えのしない道なき道では、方向感覚もだんだんと曖昧になっていくからだ。
どれほどの時間が経っただろうか。
森に絹を裂くような長い悲鳴が響いた。
カイは知っている。この森が、狂気の森と呼ばれているということを。誰かしら迷い込んで、ひどい目にあっているのかもしれない。カイがまだ遭遇していない、恐ろしい出来事に見舞われたか。反射的に、声の聞こえた方角に向かって走る。高い、子供か女の声。つらそうな声に、こちらまでつらい気持ちになる。女子供が森に迷い込むというのはいささか不自然で、罠や幻覚の可能性もあったが、無視することなどできない。
聞こえた大きさからすれば、さほど遠くはないはずだ。だが、どれだけ走っても誰かがいるような気配がしない。誰かが襲われているような物音も、危機に見舞われた人が出す身じろぎの音も。
立ち止まり、周囲に意識を巡らせる。音はしない。もはや、悲鳴も聞こえない。なんの音もなく、静まり返ってしまった。
再び歩き出す。先ほどの声も、何かの気配も、見逃さないように。森は応えを返さない。どこまでもべったりと赤いだけだ。貼り付けたように。完結した物語のように。
再び、今度は違う方向から、異なる悲鳴が聴こえる。
走る。静まる。
助けを求める声が聴こえる。
そちらに向かうと消える。
また声が聴こえる。
走る。
消える。
声が聴こえる。
声が、やまない。
やまない。
**Day3**
絶えず聞こえる声たちに、カイは応え続けた。どれほどの時間が経っただろうか。正確なことは一切わからない。わからないが、分身だけでこれほどまで長時間動き続けるのは久しぶりだった。走っては、足をとめて、辺りを探った。藪の中をかき分け、低木の枝を押しのけて、その声たちがいったいどこから聞こえるのか探し求めた。
というのも、声に応じてさまよい始めてからだいぶたったある時点で木々に印をつけ損ね、もはや自分の位置を見失ったことには気づいていたからだ。すでに始めに決めていた、深追いはせずすぐに外に出るという手段は失ってしまった。ならば、囚獄の勇者がとる行動はとくに迷うこともなく決定された。すでに習慣のようになった彼の生き方の選択どおりに。
そうすることしかできないわけではなかった。ただ、なんの気負いもてらいもなく、そうしたいからそうすることを選ぶだけだった。
「どこや!どこにおる!もっと気張れんか!」
カイのほうからも、呼びかけるようになった。だが、自分の声すら、カイ自身にとっては、他から聴こえる煩いくらいの悲鳴がかき消すように思われる。答える声はない。絶え間ない叫びは、どこから来ているのか把握するのも難しい。意思を持って答えてくれる声が欲しかった。静寂も、一方的な叫び声も、カイ自身の呼びかけも、カイが為すべきことを為すには足りない。
ひときわ悲痛な声が聴こえた。長く響く、ひきつけのような震えた声。やっと向かうべき方角がとれる。そう思ってしまう程度には、感覚がマヒしてきていた。カイは走った。彼は、自身の気力体力に、まだもう少しだけ余裕があるように思っている。
「あ、あああああああああああ、ああ」
「おれはここに居る!動いてくれ!あんたのとこまで行きたいねん!」
掴めなくなっていた距離が縮まっているような気がして、カイはさらに足を速める。まだ、まだ間に合うかもしれない。赤い汚泥を踏みつけて、ひらけたところにでる。
カイがこうべをめぐらすと、声の主はすぐに見つかった。高い枝から赤い蔦に逆さづりにされるようにして、ひとりの男がぶら下げられていたのだ。
その肉体は全身を火傷で侵され、風景となじむように真っ赤に染まっていた。自然に還るような腐敗の痕跡はなく、ただ時間の経過に負けたように骨から肉と血が滴っている。顔は半分ほど残っていて、なぜかめいっぱい口を横にひきつらせ、まるで笑みを形作っているようにすら見えた。一見してもはや生きている人間ではない。だが、おそらくは死に瀕した苦痛だけをそのままに、誰かのことを呼びつづけていたのだ。
その声なき声に、助けを呼ぶ意思すらあったかはわからない。だが、まだ顔が分かる。そして、この場所でつりさげられっぱなしは、少なくとも良いことではないだろう。
カイは黙ったまま、蔦を短剣で斬り落とし、死体を抱き上げ、さっと背負った。
蔦を斬った感触は柔らかく、軽くて強度の弱いここの樹は斬ったり加工したりが難しくなさそうだ、とどこか冷静に思う。せっかく遺体を回収できたのだ。森から出るのであれば、連れて行ってやりたい。そして生死を問わず、他にも回収できる人がいれば、簡易のソリのようなものを作って寝かせて曳こう。まだ、悲鳴はどこからでも聞こえているのだ。
ちがうところから声が聴こえる。
カイは歩き出す。二人分の体重で、足取りは重く泥濘に沈み込んだ。
**Day4**
気づけばカイの曳くソリには、何人かの人間の肉体が積み重なっていた。耳にわんわんと響く悲鳴は絶え間なく彼を狩りたて、それに従って走れば、様々な形で命を失った人の名残と遭遇する。彼が出会うのは死んだ人間だけだった。間に合ったためしはなかった。いつだって、間に合わなかった。
引きずる死体の重みに足をとられそうになりながら、カイは歩いていた。聴こえる声の多さを思えば、全ての声に応じることは、はなから不可能ではある。そして、ずっと走り続けるということも、今やあまり現実的でないようにカイには思えた。
呼ぶ声があれば出来るだけ迎えに行きたいと思う。幸運にも出会えた残骸があれば、一緒に外に出たいと思う。彼らにも、待っている人がいるはずだった。待っている人がいなくても、ここ以外に還るべき場所があるはずだった。この場所でカイにできることは限られている。だが、言うなればいつだって、カイにできることは限られていた。いつもどおり、間に合うかもしれないという希望だけは、手放さずに歩いた。
唐突に彼は、目の前の森が開けたことに気づいた。たどりついたその景色を見て、足元の赤い岩場に、おもわず膝をつく。
空は、夕暮れの空だった。或いはもしかしたら、朝焼けの空だったのかもしれない。確かめるすべはなかった。立ち込める霧の中で、明確な太陽らしきものが一切ないのだ。昼と夜の一瞬の隙間から、色合いがその源もないというのに空一面にとめどなく垂れ流されている。それがそのまま地面に流れ落ちてきたかのように、目の前にはどこまでも続く、水面が広がっていた。真っ赤な大海原の水は煌々と光を発して、岩場のすぐ近くまで波をつくり、小さく寄せては返している。ずいぶんと静かな景色に見えたが、カイの耳には依然として、絶えることなく誰かの悲鳴が聴こえていた。
圧倒的なその風景を、しばし茫然と眺めるしかなかった。赤い森のつながるところ。伝承で語られる赤い海とは、こうした場所であったのか。
だが、彼に休む暇など与えられなかった。波間に、天をつかむように伸ばされた腕を、見たのだ。すがるものを求めて指を彷徨わせ、もがき、力なく水の中に消えようとしている。
ならば、ためらう余地などなかった。剣と荷物と上着を置いて、ソリをひっくり返して死体を下ろす。そして空になったソリを水面に浮かし流して、水の中に飛び込んだ。
まるで皮膚をはがすような、身体を食い破るような激しい痛みが全身を襲った。思わず意識が遠くなる。早く水から上がってしまいたい。しかし、この痛みに苦しんでいるのは、自分だけではないのだ。波の間に見えた人は、きっと長く苦痛に悶えている。そしていうまでもなく、あの谷の人々は未だにこの痛みに苦しんでいる。想像を絶する痛みだった。水をひとかきするだけで、肉が溶け落ちているのではないかという錯覚にとらわれるほどだった。耳に聴こえているのが、自分の悲鳴なのか、誰かの悲鳴なのかすら、よくわからない。
波が静かなことだけが救いだった。なんとか先ほど人の体が見えたところに辿り着き、手を伸ばす。指先に何かが触れた。柔らかく、まだ熱を持ち、生きている鼓動を感じる。なんとか力を入れて、水に浮かべたソリの上に引き上げる。
次の瞬間、天地を揺るがすような断末魔の叫びが響いた。
その体は、すべての皮膚を裏返され、臓物と脳漿をはみ出させて、その上から焼き固めた人のようであった。その無惨に傷んだ体を、水から引き上げるや否や、火がついて燃えていったのだ。
黒い影のような炭だけを残して、その身体は燃え尽き、カイがつかんでいた腕はばっきりと折れてしまった。
あたりには静寂がみちる。
カイの耳にも、なにも聞こえなくなった。
**Day5**
カイは静かな森の中を、死体を山のように積んだソリを曳いて歩いていた。多少の手当はしたが、ひどく火傷を負った身体の痛みは消えない。だが、悲鳴が聴こえない分、すこしばかり気が楽ではあった。
赤い水の光がどこか先を見えづらくしていると気づいたのは、海から上がった後のことだ。
樹がある以上、松明くらいは用意できるが、これまでのことを想うとこの森で火をつかうのも余計なことを誘発しそうな気がする。そう考えたカイは、持ち歩いていた「幸運の竜の角」を光源にできないかと考えた。かなり前のこと、砂漠で死にかけたときに縁のできた、願望の勇者から受け取ったものだ。意思をもって掲げれば手の中で灰色とも銀色ともつかない光をちらつかせる。心もとない灯りではあったが、赤にならされてしまった目には柔らかく感じられる光だった。
長く歩いた。長く、長く歩いた。
ときおり死体を拾った。機械的にソリに積んで、歩いていく。
いつの間にか、先に、遠くの方に、赤以外の色が見えてきた。
ゆっくりと重いソリを曳きながら、その方向を目指した。揺らして、これ以上状態を悪くするわけにはいかない。彼らを少しでも見れる姿で、連れて帰りたい。
赤い幹の目線の高さに、自分の付けた傷を見つけた時、カイは自分が出られることを確信した。
しばらく行くと、森の外にでることができた。
ソリを振り返ると、まるで人の体を捏ね上げ、巨大な肉の塊のように粉砕したような何かが載せられていた。
ほんの数分前までは、黒く焦げ落ちた死体以外の顔は解る状態だったはずなのに、とカイは首をひねる。
とはいえ、カイはひどく疲れて、体が痛いと思った。ソリをその場に置いて、へたりこむ。ソリに体を寄せて、分身の意識を手放した。
**after**
蓄積されたフィードバックが、やつれて力ない本体を完膚なきまでに叩きのめした。
自身のまき散らした血液で赤く染まった石の床に倒れ伏し、火傷まみれでのたうちまわり、多すぎる情報に頭を掻きむしる姿は、奇しくも嘆きの谷で「ダメになった人々」の姿とよく似ていたことを、当のカイは知る由もない。
END