《青の地平のトーラ》D卓のlv1が完了したので初投稿です。
アレットの物想いとかからキャラクター性を掘り下げたかったんだ……
アフターダイブ後〜次の導入までの間の時間軸です。
@KLEAM_SAN
【理想郷の考察】
その日は快晴だった。頭を垂れた小麦畑の畦道で、同年代の子供たちに混ざって虫を追いかける。そんな彼らをぜえぜえと追いかける少女──ネイシャに、彼──アレットは手を差し伸べた。
先日レーヴァテイルになったばかりのネイシャは、以前より明らかに体力が低下していた。前ならこうして足取りが遅れることなんて無かったし、寧ろ先頭を走っていたくらいだった。女の子は不便だなぁ、なんて思っていたのを、彼はまだ覚えている。
「おんぶしたげようか?」
「……うん」
体格はそう変わらない彼女を背負って、どんどん遠くへ行く皆の背を追いかける。おいてかないでと呼ぶ声は、おそらく届いていなかっただろう。
置いていかれてしまった。けれどあちらには彼の下の兄が付いてるし、迷子になられる心配は無い。彼は足を止めて少女を降ろし、適当な水路の縁に座り込んだ。
「いっちゃったねー」
「そう、だね」
少し休んだら、一足先に家の方へ戻ろう。そう思って上がった息を整える。この時、幼馴染の少女の横顔が少し翳っていたことを、彼は後になって知った。
その日も平穏だった。もうすぐ収穫期を迎える田畑を見渡し、忙しくなる近未来を想像する。未だこの先の困難を知らなかった頃、愚直な努力さえ報われると、一片の疑いも無く信じていた時。
「A……AaaaAaaaa──」
歌声が聞こえたのは、そんな時だった。歌というよりは金切り声のようで、けれども確かにメロディを纏った声。誰かが魔法でも使っているのだろうか、と視線を巡らせる。
けれどもそこにいたのは、そんなのんきなモノではなかった。
「cIzU, dIzLYI, nImOlLYI/.」
破壊的な音。大気を揺るがす、唸り声めいた詠唱。破れた太鼓を狂ったように叩く鬼のアイコンが、『それ』の頭上に浮かんでいる。
「cOzI, dIzLYO, nOmOlLYI/.」
詩が連ねられるたびに、黒い雷雲が勢力を増してゆく。いつも耳にするヒュムノスとは全く異なる音の並び、明らかに正気でない胡乱な瞳の術者──I.P.D.だ。
知っている顔だった。数日前に風邪を引き、暫く顔を合わせていなかった近所のお姉さん。冷や汗と吐き気が同時に押し寄せる。ネイシャが泣き叫びたいのを必死に堪える呻きが聞こえて、それで少しだけ冷静になれた。
「czN, dzN, nmlN/.」
彼女は、まだこちらに気づいていない。このまま息を潜めてやり過ごせば、騎士隊が到着するまで無事でいられるだろう。だが、暗雲は畑を──ヴィナーグル家の畑を覆っていた。
「xI rre Aeje cIzO gkgul/.」
アレットは小石を手に取っていた。愚かな判断だと、自分でも思った。けれども、今畑をめちゃくちゃにされたら、今年の収穫が無くなってしまう。そうなればもっと怖くて苦しい思いをするだろう──だから、彼は石をI.P.D.めがけて投擲した。
果たして投石は彼女の頭を打った。大したダメージは無く、だが標的をこちらに移すには十分。突然のことに凍りついている少女に、彼は鋭く言った。
「ネイシャちゃんは、逃げて」
「待って、アレットくん!」
彼はI.P.D.の前に躍り出る。彼女はゆっくりとこちらに近づきながら、更に詩を重ねてゆく。細い紫電がアレットの麦わら帽子を焦がしたが、引くわけにはいかなかった。
「こっちに来い!」
彼女に追いつかれないように、けれども標的が逸れないように。細心の注意を払って、田園地帯の外へ誘導する。
けれども、子供の足で出来ることなんて限られていて、どうにか田畑から彼女を引きずり出した頃には、すっかり息が切れてしまっていた。この先どうするかは考えていなかったな、とゴロゴロと鳴りながら増幅してゆく雷雲を見上げ思う。
「wIwUjLYInUcLYO LYIale──!!」
そして遂に、詩魔法が放たれる。破壊される鬼の太鼓、降り注ぐ稲妻──雷を避けるなんて離れ業、彼が出来るはずも無くて。
「あ──があああああっ!?」
何故死ななかったのか不思議なくらいの痛みと、天地が逆転するかのような感覚の断裂。辛うじて意識だけは現実にかじりついたが、第二波を用意するI.P.D.から逃れる術はもはや無く。
痺れる手足に、それでも必死に力を込めて、這いずってでも逃れようとする。だがその逃走はあまりにも鈍い。一度は奇跡的に耐えられたけれども、二度は絶対に有り得ない──絶望と恐怖が胸の裡を支配する。
「Was quel ga khal yanyaue yor.」
けれども、そんな弱気を抱きしめるような詩を、彼は聞いた。気が付けば、彼の前にはネイシャが立ち塞がっている。震える体を抑えながら、彼女は、謳っていた。
「Rrha granme gagis na guol yos eux.」
黄金の光が、ぶわっと沸き立つ。光の奔流の中から現れたのは、両手に分厚い盾を携えた騎士だった。1ストンほどもの高さを持つ騎士は、術者の前に仁王立ちして盾を構える。
「Rrha quel gaya khal kiala memora.」
救われない厄災の詩は、既に黄金色の守護の詩にかき消されて聞こえなかった。迸る電流も、降り注ぐ稲妻も、騎士は揺るぎ無く受け止める。
「Rrha yant gagis na guaysu yor.」
詩魔法。想いの奇跡。薄れゆく意識の中、素朴な歌声と金色の光が、彼の記憶に鮮烈に焼きついていた。
その後、騎士隊が到着するまで、彼女は謳って守り続けてくれたらしい。らしい、というのは、彼女の魔法を目撃した直後に、気絶してしまっていたからだ。
彼女がダイブを経ずに詩魔法を紡ぎ上げたことが、それこそ奇跡的な偉業であったことを知るのは、この事件の数年後のことになる──。
* * *
目を覚ました。黄金色の夢を見ていたようだ。
ううんと寝返りを打ちながら、寝台のすぐ近くのカーテンに手を伸ばす。そうすれば、すぐに眩しい黎明の光が差し込んだ。朝日を浴びた頭が、急速に覚醒する。
「う、うう~ん……」
夢を見たということは、眠りが浅かったのかもしれない。気持ち常より強い眠気を払うように、体を起こして大きく伸びをした。
薄ら冷える朝の空気は、布団の温もりを恋しく思わせたが、アレットは誘惑を振り払ってベッドから離れる。肩を震えさせながら洗面所に向かい、冷たい水で顔を洗って、パサついた長髪を手櫛で落ち着かせて、首の後ろで一つに結ぶ。次いで歯磨きに取り掛かりながら、ぼうっと今朝の夢を回想する。
彼が10歳だったころ、暴走したI.P.D.に出くわし、それから生還した事件。あの一件についての記憶は、良くも悪くも強烈な痕を残した。雷は今でも苦手だし、詩魔法というものに深い畏敬を抱くようになったのも、あれがきっかけだ。
彼の無謀については散々兄姉や父母に叱られたし、同時に恐怖を慰められもした。ネイシャに対しては一家揃って感謝を告げに行ったくらいだった。──あの後連れ去られたI.P.D.の彼女の安否を、彼は知らずにいる。
(懐かしいな……)
けれども、どうして今になって夢に見たのだろう。きっかけとして思い立つのは、先日の──ソル・クラスタから来たというレーヴァテイル、トーラへのダイブだった。
ダイバーの立場となるのは、実に10年以来。ネイシャとの関係が『少し気まずい友人』になってから、彼はダイブという行為をする機会が無かった。
色々と、思い起こされるものの多いひとときだった。そこで一旦思案を切り上げて口を濯ぎ、彼はリビングに向かう。腹が減っては農作業も出来ぬ、朝食の用意に取り掛かる。
昨夜の残り物のカレーを温めて、皿に取り分けようとして、残りが1食分で、共に食卓を囲む者も居ないことに気づく。鍋もそう深いものではないし、そのまま食器にしてしまおう、と彼は鍋敷きを取り出した。パンを焼いて水をコップに注いで並べれば、それで朝食の用意は完了である。
「いただきます……」
覇気の無い声で呟いて、彼は食事を始める。以前どうしても余ってしまったのを押し付けられたガルディニエ曰く『激辛』のカレーは、彼の心身に栄養を与えてくれる。元々彼は辛いものが好きだったが、一人暮らしが始まってからますます加速したように思う。
いつでも食事の始めは、美味しいな、だとか、きちんと料理に向き合ったことを考えているのだが、少しするとすぐに思考がとっ散らかる。昼に持って行く軽食は何にするか、だとか、今夜の献立はどうしようか、だとか。
しかし今の彼は、常とは毛色の違う思索に耽っていた。彼の翠の目に映るのは、青々と広がる小麦畑である。
──ラプランカの心は誰にも宿っている。
アレットは、トーラの精神世界でそう語った。果たしてそれは、彼女の心を動かしたように見えた。思えばその言葉は、自分の根底に突き立つ大きな支柱でもあるのだと思う。
大陸創成──ルカ・クローシェの2名によるメタファリカの成功は、きっと誰もの心に深く刻まれた出来事だった。アレットもまた、彼女たちの詩に心を救われた人間である。
「うりぇにゃす・らぷらんか・うぃーん・ふぁんでる・わらしぇ……」
あの日聞いた歌声の一節を口ずさむ。アレットにヒュムノス語を理解する学なぞ無いが、それでもクローシェの真摯な想いは彼も理解した。メタファリカ以降、クローシェのファンであると明確に自認するようになるくらいには。
理想郷とは、選ばれた誰かが布くものではなく、全ての人々の手によって育まれるもの。裏を返せば、誰もがマオになれるし、誰もがラプランカになれるのだ。
この開拓村だって、きっと皆の『メタファリカ』なのだろう。──現に、あの小麦畑は。
(僕にも、きっと……ラプランカの心は宿っている)
聖女なんてガラじゃないけれど。例え悪を知ろうとも如何に愚かしくとも、理想郷を育まんとする限り、祝福はもたらされるのだろう。クローシェの詩は、そう信じるアレットを肯定するものだった。
ただ、少しだけ、胸を掠めるものがあった。夢の中の光景を思い出す。
あの夢に出てきた畑の地形は、既に旧ミント区のそれではなく、今毎日のように見渡している地表のものだった。……忘れてしまったわけではないけど、印象が塗り替えられつつあるのは確かだ。
良いことなのか、悪いことなのか。それは彼には決められない。ただ、その事実があるだけだ。
「……ごちそうさま」
また覇気無く呟いて、鍋と食器の片付けに入る。手早くそれを終えると、ここまでずっと寝間着だったのをいつもの野良着に着替え、軍手をはめ麦わら帽子を被った。
「行ってきます」
条件反射的な口癖となった挨拶を虚空に投げ、彼は家を出る。目覚めた時は半分ほどしか顔を出していなかったソルが、既に地平線を離れ浮かんでいるのを認め、彼は自然と微笑みを浮かべた。
「今日も一日、頑張ろう」
今度は、決して強い語気というわけではないが、確かな意志を込めて。同様に仕事に繰り出す隣人たちと挨拶を交わして、彼は畑に向かう。
「わす・くえる・が・くぁる・やんやぅえ・よあ──」
何となく、懐かしく輝かしい詩魔法を、聞きよう聞き真似で歌う。もう随分と昔のことなのに、意外としっかり覚えていた自分に驚きながら、アレットはジョウロを手に取り歩き出した。