@apr_fish
去年のちょうど今頃、憧れの作家さんと直にお話をする機会に恵まれました。作家さんの新刊発売を記念した、ご本人による朗読イベント。西荻窪の小さなカフェでその夜見聞きしたものは、すべからく私の宝物です。
――大いに悩んでください。ものを書く人ならば、貴重な悩みの時間です。
その日、私の質問に対し、いただいた答えがその言葉でした。それを胸の真ん中に額に入れて飾り、今年は格闘してきたように思います。今宵はそんなお話なぞ。
まず、初めまして。座木春と申します。座木の読みは「クラキ」です。これは大好きな小説のキャラクターからいただきました。書いているものは、いわゆる暴力ポルノとでもいうべき暗めのボーイズラブ小説です。暴力ポルノ、と説明するとたびたびフォローしようとしてくださる方がいるのですが私はそういうものが大好きで、そういうものを書くのが好きです。ですから己の作風を訊かれたときは一貫してそう説明しています。
今年の活動に関して振り返るというのがこの文章のテーマなのですが、そのためには一年前の西荻窪の夜を無視して語ることはできません。その頃、私は創作関するあらゆる全てが苦しくて堪りませんでした。書いても、書いても全く手応えがなかったのです。たとえるなら一人で甘くないお菓子を延々と作っては泣いているような感じでした。
決して恵まれていないわけではなかったと思います。ただ、その頃はいつも自分が裸の王様に思えました。心地よい場所にいるのに呼ばれていないパーティーで乾杯しているような不安。西荻窪のイベントに赴いたのはそんなときでした。
創作における人間関係は、楽しい判明デリケートな面があると思います。その頃までに、私は創作の世界でそれなりに安定した人間関係を築いていました。お互いの作品を読んだり、読まれたり、感想を送ったり、もらったり。最初は何も感じていませんでした。けれど親密になるうちに少しずつ、個人単位の地雷やルールがポツポツと見えるようになりました。
特に私が息苦しさを感じたのは、素直な作品への好き嫌いを言えなくなったことでした。
同じ作者さんの作品にも大好きなものと苦手なものがある。好きなものばかりを書く方の作品でも、特に大好きなものと普通のものがある。それが、私は当然だと思っていました。作者にとってのお気に入りが、必ずしも、読む人のお気に入りにはならないことも。
でも人と関われば関わるほど、そういった自分の価値観が揺さぶられるようになりました。素直な反応より、相手の気持ちを慮ること。少しずつ、そんな風になってゆきました。でも、それって自分に返ってくると少しも嬉しくないのです。あるコミュニティにいる限り、何を書いても、何を言っても、とりあえず賛同されるし反応ももらえる。心地よさは最初だけでした。私はそういう環境で作品を書き、載せてゆくことが怖くて苦しくて何も書けなくなりました。
イベントの終盤、作家さんに一対一でタロット占いをしていただけるコーナーがありました。(その作家さんは兼タロット占い師で、雑誌の占いコーナーなどにも時折登場する方でした)私は清水の舞台から飛び降りるような気持ちで自分も拙いながら小説を書くこと、そして最近前述のようなことに悩んでいると打ち明けました。憧れの作家さんに「私も小説を書きます」なんて、一生分の勇気を振り絞るような気持ちでした。けれど、どうしても訊いてみたかったのです。答えが欲しいというよりは、敬愛してやまない方でもこういうことに悩んだりすることがあったのか、なかったのか、そこが知りたかったのかもしれません。
「私も昔はそういうことがありました」と作家さんは仰いました。でも、あるときから本当のことしか言わないと決めて、それを貫き、ある日「私は、今本当の言葉で生きている」と思ったそうです。そして、自分の言葉に力が宿っていると思うようになったと静かに話してくださいました。
自分は、どうするべきか。考えました。現状維持か、一人に戻るか。作家さんは、私の問いに対するカードを見つめ、「どちらを選んでも悩み続けることになります」と言いました。そして「大いに悩んでください」と微笑まれました。それすら、ものを書く人間なら楽しんでください、とも。
結局、私は一人に戻って悩むことを選びました。そしてその決意といきさつ、今までに感じていたことを全部包み隠さず、率直に文章に綴って公開しました。非難と、沈黙と、傷つきましたという言葉、そして一握りだけど応援と共感をもらいました。中には「よく分からないからちゃんと話したい」と正面から声をかけてくれた人もいました。一つ反応されるたび、自分は間違っているんじゃないかと不安になったり、申し訳なくなったり、あるいは憤ったり嬉しくなったり、書くことに関する自分の気持ちが麻の葉のように千々に乱れました。でも、それは同時に久しく見失っていた、嘘偽りのない自分の心の声でした。
2016年の活動は、そんな感じで始まりました。最初は不安ばかりでした。人との親密な関わりをなくしたら、自分の作品は歯牙にもかけられないのではないか。今までもらった言葉は皆、私の反応に対する対価でしかなかったんじゃないか、と。ある部分では予想通りの反応が返ってきました。分かっていたけれど「やっぱりな」と落ち込むこともありました。でもその一方で、自分には縁がないだろうと思っていた機会に恵まれたり、変わらず反応を寄せてくださる方もおりました。そういった諸々を踏まえた上で今、振り返ってみると、今年の自分は覚悟を決めて活動できたと思います。「どうしたいのか」を真剣に考え、覚悟を決めて行動し、それに対する反応を受け止める心の準備をすること。それが必要なんだと気づいたことが今年一番の収穫のように思います。雨降ってなんとやら、です。
今年は表に出す、出さないに関係なく、沢山の作品を書きました。一年で書いた作品数は過去最多だと思います(ただし短編が多いので文字数はさほどですが)。活動の場もオンラインからオフラインへとメインを移しました。なので、書いたものの大部分はフラッシュメモリーの中で眠っている状態です。(このうちの幾つかは来年三月に頒布予定の短編集に収録する予定です)
不安を右手に、焦燥を左手にどうにか踏ん張っているような始まり方をしましたが、今自分の両手を見ると出会いや発見や喜びを沢山もらった一年でした。このうちの幾つかは、またいつか手放すこともあるのだろうし、必死で握りしめていても留めておけないこともあるのでしょう。でも、そういったものの何もかもを貴重な悩みの時間として大切に、できるなら楽しめる強さを身につけたい。そんな風に思います。
今年、最も長い夜に。
座木 春