@umeichi_saiki
ヒミズさんが、俺が初めてひとりで作ったラムレーズンを試食している。
薄手のビニール手袋を取り去り、スプーンに置いたうちの一つをきれいな白い指でつまみ上げると、感触を確かめ、薄い唇に寄せた。
桃色をした滑らかな舌先がそこから覗き、指が舌にふれた瞬間、ほのかなピンク色をした爪がひとさし指の先端で艶やかに光った。
小さな一粒を口の中で大事そうに転がすと、細い顎を軽く動かし、ヒミズさんはゆっくりと噛みしめる。
なぜだかその瞬間、自分の胸にある突起をヒミズさんに甘噛みされたような感覚に陥って、俺は思わず「は」、と小さな吐息を漏らした。
ヒミズさんが俺を見る。柔らかく微笑んで、俺に向かって手を伸ばす。
吸い寄せられるように、ヒミズさんの胸に近づく。
あれ、ヒミズさん、ハダカだ。
あれ?俺もハダカだった。
ヒミズさんの心地いい肌に唇を寄せる。
いいにおい。おいしそう。
目の前にあるヒミズさんの体。きれい。
ああ。ヒミズさんの白い胸に浮かぶ淡い橙色、とてもかわいい。
ヒミズさんの背中に腕をまわした。逃げ出さないように。
するとヒミズさんも俺の肩を抱き寄せてくれて、俺の髪にキスをする。
―― 上出来です、春川。
ご褒美をください。
―― 何が望みですか?
俺が顔を上げたら、俺にちゃんとキスをしてください。
―― え?わかりませんでした。もう一度。
だから。
キスしましょう、ヒミズさん。
―― なんて?
ああ。もどかしい。舌がうまくまわらない。ちゃんと言わなきゃ。
「……ヒミズさんキス…… ………」
はっ!
起きた!自分の寝言で目が覚めた!
天井から、眩しすぎるほどの朝の光。
「ふわ…」
店長!?
俺の目の前に店長がいる!
店長は怪訝な顔をして俺を見ている。
なんすかその顔…!?
さっきの寝言、聞かれたのだろうか…!
寝言…
なんて言ったっけ。
あれ?…夢…?
…どんな夢だっけ…。
店長のせいで夢の内容が一気に吹き飛んでしまった。
とても楽しい夢だった気がするのに。
店長は、俺に向かって穏やかにほほ笑んだ。
まるで吸い込んだ朝の光を俺に向かって振りまくかのようで、ああ、この人の笑顔には本当にかなわないと思う。
「おはよう、ハル。」
「…おはようございます。…お酒、大丈夫ですか。」
昨夜の店長は珍しく酔っていた。ベッドに入ってくるなり俺に覆いかぶさってきて、『うわあ、始まる』、そう思って俺が身構えると、なんとそのまま寝てしまった。
重くて死ぬかと思った。昨夜は遅くまでヒミズさんにフランス語を教わっていて、疲れて眠りかけていたのに、店長が重いせいでしばらく眠れなかった。
店長は、自分の好きなときに俺を抱きに来る。
今の俺の家は店長の持ってるビルにあるためか、店長は俺の家のスペアキーを持っていて、夜、たまに俺の家に遊びに来てはそのまま俺と寝て、朝方、隣の自宅へ帰る。
カフェが休みの時に来るここ(店長の実家)でも、店長はスペアキーを使って俺が寝るゲストルームに易々と入ってくる。
朝方帰るのは、ヒミズさんに見つかりたくないからだ。なにしろ店長の本命は、ヒミズさんなのだから。
俺はそれをわかっていて、それなのに店長を拒めない。
なんていうんだろう、こういう関係。
店長はヒミズさんのことが好きだけど、ヒミズさんとは絶対的な関係性にあるから、俺と寝るのも平気なんだろう。
でも、店長のことが好きな俺としては、この関係は体だけの付き合いみたいで、最初は少し…いや、かなり、嫌だった。
なのに、最近はだいぶ慣れてきた。
最中に、店長が俺に「きれい」だとか「とてもいい」と言ってくれるのが、褒められているように感じられて心地いいから。
あと…、単純に、気持ちがいいから…ということもある。
…俺ってほんと、駄目なやつ。
「大丈夫だよ。ごめんね酔っぱらってて。それよりさ、誕生日、おめでとう。ハル。」
今日、2月14日は俺の誕生日。
店長のところに来てから今日でもう4回目の誕生日を迎えたことになる。
店長は昨夜もムニャムニャ言ってくれたんだけど、たぶん酔っていて覚えていない。
「あ、ありがとうございます…、…というか今…、何時ですか…」
俺の誕生日より今は日の高さのほうが気になる。
店長の実家のゲストルームは半地下のうえ北向きにあるから、普段は朝でもけっこう薄暗い。
でも、天井近くにある天窓のブラインドが反対側の壁にくっきりと白い光を描き出している様子からすると、太陽光が大いに活動を始めていることは確かだ。
まずい。休みの日でも朝ごはんは7時30分と決まっている。
ベッドサイドに置いている目覚まし時計が気になる。鳴ってないけど、いたずら好きの店長が止めてしまった可能性もある。
「9時ちょっと前だよ。ね、おはようのキスしよ、ハル。」
「9時前!?」
飛び起きようとして店長の腕に阻まれた。ベッドマットに押さえつけられる。
「どしたの、キス、ほらハル。」
「いやちょっと、寝坊してます、は、早く朝ごはんを…」
「誕生日なんだからヒミズも怒ったりしないよ。」
そういうことじゃない!俺はヒミズさんに失望されたくないのだ!
店長はかまわず俺に覆いかぶさろうとする。あーもう!
店長の腕から抜け出そうと格闘して、でも簡単にマットに戻されるという無駄な往復運動を何度か繰り返していたら、店長は最後に俺の両肩を掴んでマットにぼんっと跳ね付けた。
「ふ、ぐっ」
店長がベッドから降りる気配。
体を起こすと、店長は「はははっ」と笑いながら廊下へ続くドアのほうへと小走りで向かっている。俺の気をよそに、完全に楽しんでいる。
俺も急いで店長を追いかけ、店長が開けてくれたドアへと向かうと、振り向いた店長に“とおせんぼ”された。
ドア枠を掴んで、俺が横をすり抜けようとするとそっちへ体を持ってきて通してくれない。身長が低い俺にとって長身の店長はまさに壁。
ちょっと!ふざけてないで!
何度も試してみるものの、動く壁が簡単には俺を通してくれない。
ああ!本当にこの人は、俺の気持ちをオモチャのようにもてあそぶ。
「おはようのキスしてくれたら通してあげるー。」
ああ、もう!
わかりましたよ!
店長の首に手をまわして、飛びつくようにキスをした。
店長は少し驚いたような顔で俺のキスを受け止めて、そのあとガシンと右腕を俺の背中に絡め、左手で首を支えるようにして俺の頭を肩に寄せた。
「…ありがと、ハル。」
足が浮いている。不安定な格好になって必死で店長にしがみついていると、「ふふ」店長は小さく笑って体を反転させた。ゲストルームからようやく出られた。
降ろしてもらってすぐに、長い廊下を明るいほうへとひた走る。
―― ペタ ペタ ペタ …
ああ。スリッパを履き忘れた。床暖房のきいた部屋から出て硬い大理石を蹴りだすたびに、廊下の打ちっぱなしのコンクリートに間抜けな音が反響する。店長の実家は、『土足厳禁』ならぬ『素足厳禁』。
突きあたりを右に折れると、正面には壁一面の壁面ガラスが広がる。
やっぱり今日はよく晴れている。高い天井から見える対面のグレーの棟の上には、突き抜けるような空の青。
黒っぽいグレーの壁に四角く囲まれた中庭には、背の高い、白い細身の樹木が3本。葉先にキラキラとした陽光をまとわらせてまっすぐに立っている。あれが白樺なのだと教えてくれたのもヒミズさん。白樺の足元には、冬特有の白っぽい芝生が広がる。
俺はこの中庭がとても好きだ。
店長のカフェの壁にも描かせてもらったし、美大の卒業制作のモチーフにもした。ただしそっちは、別のことをイメージして描いたものだけど。
走るのを止めて、少し傾斜のついた細長い廊下を、足音を小さくするために今度はそろそろと進む。
右側の壁の切れ目を直角に曲がれば、そこには廊下と壁一枚で隔てられただけのリビングがある。
…こわい。がっかりしたヒミズさんの顔を見るのがこわい。
ああ~。顔も洗ってない。
ゲスト用の白の綿パジャマのままだし。ああー…
壁の切れ目の直前で立ち止まって、正面にある壁面ガラスを鏡代わりに、指で粗く髪をとかす。
寝癖もばっちりついている。…ああー…
どん。
追いついた店長の胸に背中を押される。
目の前に俺用の白いモコモコスリッパを差し出された。
ありがとうございます。
でも、朝ごはんに遅刻したのは店長のせいでもあるんですからね。
スリッパを両手で乱暴に受け取ってから屈んで足を入れたあと、そういう意味を込め、少しむくれて店長をにらんでみた。
店長は相変わらずにやにやとしている。
待てよ。
だいたいこの人、昨夜はざっくりとした綿シャツ一枚だったのに、今はふっかりとした白いセーターを身に着けている。ズボンだって着替えているし、ということは、一度俺より早起きして、自分の身支度を整えてから俺を起こしに来たのだ。なのに起こしてくれなかった。朝ごはんも食べ終わっているのかも。
ベッドで俺の間抜けな寝顔を見ながら、今のこの状況を想像して内心くすくすと笑っていたんだろう。やっぱり目覚まし時計もこの人が止めたのにちがいない。
そんな、恨みを込めた俺の視線を知ってか知らずか、店長はにやにやしたまま体全体を使って俺をぐいぐいリビングへ向かって押し出そうとする。うわ、わ。
「おはよう、春川ちゃん。」
すでに朝食を終えたらしいアンドーさんがお茶を飲んでいるところだった。お湯のみにしては小さな湯呑を使っている。
「あっ、おはようございます、アンドーさん。すみません。寝坊してしまいました…」
「うふふ。いいわね若いコは。たっぷり眠れてうらやましいわ。睡眠は美容にとって重要なエッセンスなんだから。」
今日のアンドーさんはボーダーシャツ。衿口が広くて、そこからのぞく鎖骨がきれいで思わず目に焼き付けたくなる。俺の好きないい形。
アンドーさんはオカマ…じゃなかった、ゲイ。見た目はきれいな男の人だけど、女言葉を使う。(そういえば俺はこれを思うたびに、俺だってゲイだろ、と一瞬考えてしまうのだが、俺には自覚がない。というか、そもそも俺はゲイの基準が未だによくわかっていない。)
アンドーさんはもともと面倒見がいい性格なのかいつも俺によくしてくれて、一人っ子だった俺にとっては本当のお姉さんみたいで頼りがいのある存在だ。いや、本当は医師免許を持っているれっきとしたお医者さんらしいから、頼りがいがある、どころか、実に頼もしい存在。店長やヒミズさんとも昔から仲が良くて、カフェやここにもよく遊びに来る。(店長によると、店長の家のお抱え医師なのらしい。)
天井の高い広いリビングには、庭のほうに暖かみのある赤いソファと格調高いローテーブルが配置されていて、そこから一段上がったところにあるダークブラウンのダイニングテーブルには椅子が6脚。アンドーさんは、テーブルの奥の一番右側に腰掛けてこちらを見ていた。ヒミズさんはいないようだ。
ダイニングテーブルの上には天井から吊るされたオレンジ色の細長いランプが5つ、規則的に並んでいる。
ダイニングテーブルの左奥にはキッチンがあるが、対面式ではなくて壁で隔てられていてここからは見えない。
キッチンはご飯担当のヒミズさんのテリトリーで、カフェが休みの日にみんなでここへ帰って来ても、ヒミズさんはたいがい自室かあそこに(引きこもって)いる。
ヒミズさんが一人で動き回るには十分な広さという程度のキッチンには、壁や棚に調理道具が整然と並べられてあり、棚の奥にあるパントリーにはヒミズさんお手製の保存食(ジャムやリエットなど)の瓶がぎっしりと詰め込まれている。ほどよい広さの空間と、ヒミズさんの技巧が凝縮されたようなあの重厚な雰囲気も俺のお気に入り。とても好き。
ヒミズさんはカフェで使う食材をそこから持って行ったりもするので、カフェで働かせてもらっている俺も時々パントリーに入れてもらい、食材を小瓶に詰め替える作業などを手伝わせてもらったりする。ヒミズさんは俺にその食材についての情報をいろいろと教えてくれる。俺にとっては新鮮で奥深い内容ばかりで、一緒に作業するのは実に楽しい。それに、普段は口数の少ないヒミズさんが俺に対して流暢に言葉を紡ぐ様子は、まるで俺に心を開いてくれているように感じられて、俺にとってはそれが無性にうれしいことでもあったりする。
リビングにいない、ということは、ヒミズさんは今もテリトリー(=キッチン)にいて、おそらく寝坊した俺のために朝ごはんを温め直してくれている。
ああ。申し訳ない。
「お誕生日、おめでとう、春川ちゃん。」
小さな湯呑をテーブルに置くと、アンドーさんはにっこりとほほ笑んで俺に言った。
続けざまに誕生日のお祝いを言われるなんて。なんだか照れてしまう。
「ありがとうございます。…へへ」
(……!!)
思わず頭を掻いたそのとき、キッチンからヒミズさんがお盆を持って現れた。
無意識に、半端ない速さで手を下ろして“気を付け”している。背筋がピーンと伸びたのが自分でもわかる。
ヒミズさんがちらりと俺を見た。
今日は黒いエプロンを付けている。真っ白なシャツが細身の躰によく合って、腰から下を覆う黒いソムリエエプロンが腰のラインを際立たせる。ああ描きたい …って、それどころではない!
「おはようございますヒミズさん!ねっ、ねぼうしてしまいましたごめんなさい!」
もはや素振りに近いヘッドバンキングレベルのお辞儀に、アンドーさんがくすっと笑ったのを頭頂部で聞く。
「体育会系男子みたいよ春川ちゃん。」
さっと体を起こすとヒミズさんは俺から目を逸らし、俺を無視してテーブルにお盆を置いた。
ああ~。怒ってるのかな。近くで見ないとわかんないんだよな~、ヒミズさん感情表現ヘタだから。
(また失望されたかな、俺…)
「別にいいわよねえ寝坊くらい。誕生日だし。」
アンドーさんが横からフォローをいれてくれたが、ヒミズさんは相変わらず仏頂面でテーブルに小さな土鍋のようなものをセッティングしている。…じゃなくて、土鍋だ。今朝はお粥かな?
「ハルからおはようのキスしてくれたー。ハルのほうから。」
ちょっと!
「あんたが春川ちゃんを通してあげなかったからでしょ。丸聞こえよ。ばかね。」
「はははっ」
店長が笑いながら軽く体当たりをするようにして俺をさらにダイニングテーブルへ向かわせる。
なんてことを言うんだ店長…ヒミズさんに誤解されたらどうするんだ。
店長はヒミズさんのことが好きだから、今のはヒミズさんの嫉妬を誘いたくて言ったんだろう。
店長は、俺とヒミズさんをくっつけたがっている。ヒミズさんが俺のことを好きなんだと勘違いしているからだ。なのに平気でこういうことを言う。俺も気持ちも知らないで…
…ん?俺の気持ちって…
そもそも、どうしてヒミズさんに誤解されたら困ると思ったんだ?俺は…
まとまらない思考のままダイニングテーブルまで来ると、テーブルには、今朝は真っ黒のテーブルクロスがかけられていた。ヒミズさんのエプロンはクロスの色に合わせているようだ。奥の真ん中の席に、黒茶色の厚手の板が乗せられてある。
板の上にはおしぼりとレンゲと、一人前用の白い土鍋と小皿が数点。やっぱりお粥みたい。小皿は3つあって、一つ目にはナッツ。松の実だ。
ナッツ類はヒミズさんの『お気に入り食材』。サラダやスイーツだけでなく、お粥や雑炊にも細かく砕いたものが薬味代わりによく添えられている。
それから、青菜が入った白い小皿。もう一つ、黄金色の、パンを揚げて千切ったようなものがある。
一人前ということは、やっぱり店長はもう朝ごはんを済ませている。うーん、裏切者。
配膳を終えたらしいヒミズさんはキッチンへ戻ってしまった。
アンドーさんと店長に挟まれる形でテーブルに座り、温かいおしぼりで手を拭いて、遅刻したお詫びを言い足りずモヤモヤした気分のまま手を合わせて「いただきます」をする。
左右のふたりがじっと俺を見るので食べにくそう。だがこれも寝坊した罰だ。店長に至っては頬杖をついてあからさまに俺に顔を向けている。無だ、無になれ。朝ごはんに集中だ。
土鍋の蓋のうえには小さな白い布巾が乗せられていて、ヒミズさんの細やかな気遣いに敬意を表しながら布巾ごと蓋を掴んで土鍋を開ける。
ふんわり。
ほかほかした湯気が鼻先にまとわりつくのと同時に鶏ガラとショウガのいい匂いが鼻孔をくすぐる。
ああ。今朝は中華粥だ。
添えられていた陶器製の白いれんげでお粥を掬うと、ご飯粒はすでに煮込み過ぎて割れてしまっていて、俺が寝坊したせいかな、とまた少し残念な気分になりかける。すると、横からアンドーさんが「アラ、本場っぽくなって今の方が美味しそう」と言ってくれたので、これで正解なのかとも思う。
「お米の花が咲くっていうのよ。」
俺の頬にくっつきそうな勢いでお粥を覗き込んでいたアンドーさんがそう言いながらすっと離れ、そこに割って入るようにヒミズさんの腕が伸びる。
「近すぎだアンドー。食べにくいだろうが。」
「だって若い子の寝起きの肌って吸い付きたくなるくらいおいしそうだもの~」
―― ことん。
横長の木の板の上にさらにお湯のみが置かれた。アンドーさんが飲んでいた小さくて薄い湯呑ではなく、店長の実家に来た時にいつも俺が使っている縦長のシンプルなぐいのみ。今日はその中に、緑茶ではなく中国茶が入っているらしい。
ヒミズさんに何か言おうとして、でもヒミズさんはまたさっさとキッチンへ戻ってしまった。
仕方なく、掬ったお粥を口に運ぶ。
―― ふう。ふうう。
息を吹いて熱い食べ物を冷ますとき、いつもヒミズさんの「ふうふう」を思い出す。俺が熱を出した時、ヒミズさんが作ってくれた特製雑炊をそのまま食べようとして俺は舌を火傷しかけた。するとヒミズさんが器をすっと取ってくれて、器の中の雑炊を「ふうふう」してくれたのだ。
あのときの、あたたかな空間と満たされた気持ちとを心の中でなぞるたび、俺の心は優しくほぐされ、じんわりとぬくもる。
はふっ…
(………!)
んなー!やっぱりおいしい!
温もりが胸の中心に向かって降りていく…
とろとろになったお粥には柔らかくほぐされた鶏肉が入っていて、濃厚な中華スープのなかでとろけかかった長ネギがいいアクセントを醸し出している。
「その油条(ユイジョウ)入れたらさらに美味しいわよ。」
「んんじょう?」(飲み込みながらしゃべってしまった。)
「揚げパンみたいなの。」
「松の実もおいしいよ、ハル。」
うん、うん、うま!
それぞれの小皿の中身を少しずつ散らして味の違いを楽しんでいたが、どの小皿も美味しいので最後は全投入してかき混ぜながら食べる。
朝からこんな美味しいものを、素晴らしい景色(中庭)を眺めながら、素敵な人たちに囲まれていただける俺ってなんて幸せ者なんだろう。
「ハル、食べ終わったら買い物へ行こうよ。」
「え?お店の買い出しですか?」
「ちがうよ、誕生日でしょ、ハルの。きみのプレゼントを買いに行くんだ。」
えっ。
「アラよかったわね春川ちゃん!ここぞとばかりに好きなものたくさん買ってもらいなさい。純金なんていいわよ、価値が変わらないから。純金たくさん買ってもらいなさい。」
「アンドー、きみさあ…」
「…あ、の…、すみません、」
実は、俺…
そう続けようとして、
「ヒミズー、ぼくもアンドーと同じ凍頂烏龍茶飲みたいー」
「アタシもおかわりー」
言うタイミングを逃した。どうしよう。
と、ヒミズさんがキッチンから再び現れた。今度は小さめのお盆の上に、あれは、ゴマ団子…確か名前は、芝麻球(チーマーチュウ)。きっとデザートだ。さすがヒミズさん、今朝は中華で統一するんだ。
飲み干すようにして一気に食べ終えていた土鍋が下げられ、代わりに、2つのゴマ団子が乗った陶器のお皿が目の前に置かれる。
香ばしくていい匂い。俺が知っているものより少しだけ大き目サイズ。これも手作りなんだろう。
ヒミズさんは土鍋と小皿を持ってきたお盆に移すと、再びキッチンへ戻る。
「春川ちゃんには誕生日(バースデー)ケーキを用意しているのかと思ったわ。」
ヒミズさんの背中に向かってアンドーさんが言い放つ。ああ、やめてください余計なこと言うの。俺は内心ハラハラする。
出し直されたおしぼりでまた軽く手を拭いて、ゴマ団子を手に取る。温かい。やっぱり出来立てかな。
温かなゴマ団子にかぶりつこうとすると、ヒミズさんがすぐに戻ってきたのでつい視線を向けてしまう。
ヒミズさんは今度は四角いお盆にせいろを乗せてきた。せいろといっても、ざるそばを乗せるものより少し分厚い。せいろのうえには急須と、口の広い陶器製のシンプルなポットが乗っている。お盆にはせいろのほかに、お湯呑みと、お湯が入っているらしき銀製のポット。
ああ、何度か見たことあるぞ。中国茶を本格的に楽しむキットだ。(『キット』って、俺…)
ヒミズさんはアンドーさんの横でお盆を置くと、立ったままおもむろにお茶を淹れ始めた。
お湯をさばく手つきがあまりにもきれいで見とれていたら、ヒミズさんがちらりと俺を見た。
「食べないんですか?」
ああそうだった、見られるのがいやなんだ。
急いで手元のゴマ団子に視線を戻すと、アンドーさんがこっちを見るのがわかった。肩を小さく揺らして笑う。
「アンタの反応が見たいのよ。」
目の端でヒミズさんの動きが一瞬だけ止まる。あ、今、イラついたんだな。
ヒミズさんは感情をほとんど表に出さないけど、最近は少しだけわかるようになってきた。
イラついたとき、驚いたとき、照れくさいとき、そして、うれしいとき。
ヒミズさんは照れるとほんの少しだけ耳を赤くする。色白だから、よく見ているとすぐにわかる。
うれしいときはさらに赤くなる。頬がぽっと上気したような桃色になるときもあって、こういうことを言うと悪いけど、本当にかわいい。
見られるのを嫌がるのは、そういった自分の感情を他人に悟られたくないからだと俺は思う。そういうところ、感情や考えをすぐに人に悟られがちな俺と似ている。『似ている』、なんておこがましいけど、ヒミズさんをより身近に感じられて俺はうれしい。(いやだよね、ヒミズさんも。)
昔、俺はヒミズさんのことを怒ってばかりいるひとなのだと思っていた。
最近わかってきたことだけど、ヒミズさんが俺に怒ることって滅多にない。と、思う。少なくとも理不尽な怒り方はしない。(店長はよく怒られているけど理不尽ではないし怒られている本人は全く気にしてない。)
ヒミズさんのそういう部分がようやくわかってきた俺に自分で敬意を表しながら、ゴマ団子にかぶりつく。
(…ん、おいしひ…)
香ばしいゴマともちもちした生地、そのあとで甘い餡が口の中でハーモニーを…
……ん?
…なんだ、この…酸味?
中庭を見ながら幸せを噛みしめていた視線をゴマ団子に戻す…と、そこには驚くべきものがあった。
こし餡の中に、いちごがある。
…いちごがある!!
「びっくりした?」
なぜかアンドーさんが嬉しそうに言う。
びっくりするもなにも、これは、いちご大福ならぬ、いちごゴマ団子!!
ンお……ッ!合う…!噛みしめるたびに広がる酸味と甘みと香ばしさ!
これは……革命だッ!
ゴマ団子革命だ!!
「すごいですこれヒミズさん!!」
ヒミズさんはお湯呑みにお茶を注いでいるところだった。
手つきがふと止まり、そのあとで耳が徐々に、徐々に赤くなる。
見続けると可哀そうなのでゴマ団子に向き直って、残りのゴマ団子をまた一口ほおばり、味わう。
やっぱりおいしい。いちごが入っている前提で食べるとまた新たな視点で味わえる気がする。
「これは…カフェでも使えるかも。女の子もぜったい好きそうです。」
頭の中にカフェでの光景が思い浮かぶ。これを食べて驚きを伝えあうお客様たち。
……いい!ぜったいに喜んでいただける!
「常連さんで試してみますか?あっ!」
そうだ!
「カフェでは小さなポットであたためた練乳を添えたらどうでしょう。いちごですし。練乳が添えられていたらきっと不思議に思うけど、割ってみたらいちごが出てくるからなるほどね、…って、これもすごく楽しいと思いませんか!?」
妄想が止まらない。
「あたためたココナッツミルクでもいいかも…メープルを添えてもコクが生まれる気がする…夏なら冷やしてもイケそう…餡の代わりにアイスクリームというも面白いか…皮の部分はもっと甘くして、サクサク感を持たせてもいいかもしれません、どうでしょうヒミズさん!」
気付くと俺は椅子から立ち上がってヒミズさんを凝視している。ヒミズさんは完全に動きを止めて、俺をじっと見ていた。うん、あれは、試す価値ありと判断してくれている!
「やりましょうヒミズさん!試作品作りましょう俺手伝います!」
「ハル。」
店長にパジャマの裾を引かれる。
「ハル、お買いもの。」
「あっ、それなんですけど店長、実は俺、今日はやりたいことがあって。」
店長が少し驚いた顔をする。
「なあに?せっかくの誕生日なのに。」
アンドーさんが続きを聞いてくれる。
「あの俺、自分で自分のバースデーケーキを作ってみんなに食べてもらいたいんです。俺が初めて店長たちに出会って、ヒミズさんが作ってくれたバースデーケーキ、あれをいちから再現したいんです。」
やっと言えた、今日の目的。実はずっと前からやってみたいと思っていたことだった。
「ヒミズの…あの、チョコレートケーキ?」
「はい、だから今日の買い出しは、ヒミズさんに手伝ってもらいたくて… …忙しいとは思うんですけど…」
ヒミズさんの顔色をちらりとうかがうと、ヒミズさんは少しあって口を開いた。
「…残念ですが春川、いちからというのは無理です。なぜなら、あのケーキのスポンジには、」
知ってる!
「生地にラムレーズンが練り込まれてあるんですよね!ブランデーも入っていたけど、食感が独特だったから、俺なりに考えてみたんです!」
ヒミズさんの瞳孔がわずかに開く。あたり!
「それで俺、こないだから家でラムレーズンを何回か試作してて、出来が良かったものを瓶に入れていくつか持ってきてるんです。ヒミズさんの理想に一番近いものを選んでもらえますか!?」
ヒミズさんは黙ったまま俺を見ている。細い目がまた少し開いた。脈ありだ。これは気の変わらないうちにすぐに味見してもらわないと…
「取ってきます!ついでに買い出しに行く準備もしてきます!俺なりに買い物リストも作ったんで、足りないものが合ったら教えて欲しいし、いい材料の選び方も教えて欲しいです!」
言い終わるととても喉が渇いてしまったので、行儀が悪いけど立ったまま、ちょっと急いでお茶に口をつけた。
ん、プーアル茶。美味しい。いちご入りのゴマ団子の余韻がスッキリと洗い流されていく。
飲み終わって、手を合わせ、お辞儀をするように「ごちそうさまでした」をした。
今日はきっと忙しくなる。木の板におしぼりを置きなおして、お皿ごと持ち上げようとすると、「そのままでけっこうです。」ヒミズさんが言ってくれた。
「ありがとうございます!すぐ、支度してきます!」
スリッパをパタパタさせて廊下へ急ぐと、後ろから店長の声で「おもしろくない」と聞こえた。…気のせい、かな?
とにかく、善は急げだ。
ヒミズさんに早くレーズンを味見してもらいたい。
今日はヒミズさんとケーキを作る。
うまく出来上がったら、店長も喜んでくれるだろう。
今日はきっと、一生涯忘れられない幸福に満ち溢れた一日になる。
最高の一日にしよう。
俺が店長たちとどんなに幸せなときを過ごせていたか、店長たちにわかってもらおう。
大切な人たちと、俺が焼いたケーキで自分の誕生を心から祝う。
自分が生きていることを祝うことが出来るのが、俺は今、とてもうれしい。
最高のケーキをヒミズさんに。
最高の笑顔を店長に。
俺がもらったぶんを、お返ししてあげるんだ。
そして、最高の祝福を、俺に。
~ おわり ~
長いうえにタイトルにそぐわずすみません。さらに身内ネタで土下座
…って、ここまで読んでくださってるひといるのかしらっ(笑)
なんにせよつづきはムーンで…
丸重すまる様、さくら怜音様、素敵な企画に参加させてくださりありがとうございました<m(__)m>