@flashnotED1
私が目を覚ました時、目の前に太陽があった。
いや。あまりに明るい色だったので、太陽と見間違えた、が正しいかな。すぐに顔を見て懐かしいと思わず大声を上げる。
「小狐丸さん!」
「久しいですね、石切丸」
彼は私よりも先に顕現し、この日の近侍を務めていた。三条小鍛冶の縁なのか、こうして私はこの本丸へと来た。
「今剣と岩融はもう来ています」
「本当かい? それは会うのが楽しみだね」
三条の銘を持つ刀剣、父の手で打たれたものは皆、百を待たず神となった。だから多くの同朋は顔見知りだけど、
「ん?」
「はい」
「三日月宗近さんは、来ていないのかい」
「ええ。どうやら大変稀な刀であるらしく――」
そうして、私はその本丸で人としての生活を始めた。何をするにも、この千年では味わえなかった経験であり新鮮だったね。馬を癒し、畑を耕し、手合わせで押され押し返し。それからしばらく、小狐丸さんが出陣した際に持ち帰って来た刀剣に、本丸中が湧きたったのを覚えている。
「三日月宗近。うちのけが多い故、三日月と呼ばれる」
桜の舞う姿の、これほど似合う刀がいるだろうか。最も美しいといわれるその刀を顕せば、それはそれは美しい男でね。
「よろしくたのむ」
「ああ、こちらこそ」
ちらり、と私は隣に立つ小狐丸さんを見る。腕でつつけば、ようやく我を取り戻して紹介する様だった。千年も前から知っていたことだ。小狐丸さんは三日月さんを慕っている。同派なら誰もが知っていること。最も、本人はそれを口にしたことがなのだけれども。
「で」
「言わぬのか」
「小狐丸さん」
彼の部屋に今剣さん、岩融さんと一緒に押しかけると、小狐丸さんはきょとんとしたのちに、くだらないと一蹴した。
「くだらないはないでしょう。せっかくせんねんにして、であえたのですよ?」
今剣さんの言葉はもっともで、今この本丸でこうして顔を合わせているのは奇跡に近いこと。今を逃せば、次に逢えるのは彼岸の彼方かもしれない。逃げようとする彼を取り囲み、その身体をつんつんと弄っていると、あまりの煩わしさに彼が口を割る。
「言いましたよ」
思わず突き指しかけたよ? まあそうなってもすぐに祈祷して治すけど。
「いつ!?」
「千年も前に」
溜息のような「あなやー」が三人分、部屋に渦となり飽和する。なんだって、と聞き返すには遅すぎる。
「あの三日月のことだ、お主の心が伝わっておらぬのでは」
「ありえません。三日月殿は他人をよく見ておられますから」
「で、今同室でないところを見ると・・・・・・」
その恋は実らなかった、と。千年も前の恋を案じ、その結果を今知るなど、なんと味気のない、同時に、何とも無粋なことをしてしまった。三人共にすっくと立つと、そそくさ部屋を去る。とうの昔に終わった惚れ腫れを治すなど、私にはできないしね。
けれど真意を確かめたくて、彼の隣で茶を飲んでいた時、こっそり尋ねてみた。
「小狐丸さん」
「はい」
「三日月さんのこと、まだ好きなのかい?」
彼は息を吸い、吐くときに自然と「はい」と答えた。やっぱり、とその時思ったなぁ。だって彼から三日月さんへ向けられる視線は愛しみと少しの熱がこもっている。きっと千年、その感情を飽くことなく三日月さんへと向けていたのだろう。狐は執念深いといわれるけど、それはきっと「愛情深い」のはき違えなんじゃないかな。
それからのち、小狐丸は度々、主と一緒にいるようになった。もともと近侍を務めることが多かったけど、最近錬度が最高に達してからはあまり従事していなかった。それが、急に庭や部屋の中で一緒にいることが多くなったから何事かと周りが噂し始めた。庭に出て、花を手折り、主の御髪に飾っているところを見かけたことがあるけれど、滅多に血を通わせない頬を染めて微笑んでいたのが見えた。
おや、新しい恋を見つけたのかい。
本丸では主と小狐丸さんをくっつけようと茶々を入れ始める者もいた。けれど、なにかおかしいと真っ先に気付いたのは私たち三条派だ。
小狐丸さんの部屋に押しかけること、再び。
「で」
「今度は言ったのか」
「小狐丸さん?」
あ。今、明らかに「またか」という顔をしたよね? だって気になるじゃないか。千年来の腐れ縁なんだし。小狐丸さんは奥手そうに見えて素直に気持ちを伝えてくるから、獣の性はあなどれないというべきか。
「言うわけないでしょう」
「いつ!? ――ん?
ええ? 言ってないのかい?」
「あなた方・・・・・・問う相手を間違えていますよ」
ふ、と笑う小狐丸さんの目が、どこか光なく揺蕩うのを見て、私たちは顔を合わせてそそくさと退室。そして、角を曲がった先に見えた光景で合点した。
「あそこにいるのは――」
「し、今剣。なるほどなあ・・・・・・いや、しかし」
「私たちが口を出していい問題でもないだろう。見守るしかないみたいだね」
庭先に居たのは、主と三日月さんだった。ついこの間まではそこの位置には小狐丸さんがいて、ただ違うのは、主が頬を染めているかいないかの、絶望的な差。
しかし、後に私たちは盛大におせっかいをすることになる。主はあれだけ頬を染めながら気持ちに気が付いていないし、三日月さんもなかなか好意を抱くことがどういうものなのか理解が追いつかなかった。その二人の仲をうまいこと転がしたのは、ほかならぬ小狐丸さんだった。
「いいのかい?」
ある晴れた日。洗濯物を干しながら、尋ねてみる。
「はい」
「はい、って。君、好きなんだろ?」
言っていて、私も(あ)と気づく。そうか、小狐丸さんは、主も、三日月さんも、好きなのだから。
「時々、泣きたくなるのです」
日差しを受けた風が、布と布の間を駆け抜けていく。干された布の向こうに、淡くできた影は、微笑んでいるように見えた。
「私の愛した者と、私が愛したかった者。その二人が手を取り合って、燦爛たる陽と花園の中を練り歩き、微笑みあっている。それを見て、愛しいと思うのは間違いでしょうか。尊いと、涙を流すのは間違いでしょうか」
「それは――・・・・・・」
難しい、と思ったよ。人の身になって、感情が、経験がより豊かになっても、私には彼の心の内を理解しきれなかったなぁ。答えられないで、沈黙を貫いているうちに、小狐丸さんはどこかへと行ってしまって。洗濯籠も、いつのまにか空になっていた。
ほどなくして、皆を集めた主が、三日月さんと祝言をあげると話してくれた。うん、まあ、朝から二人とも幸せな空気をわんさか振りまいていたし、昨晩契ったのだろうとか野暮なことを聞くわけにもいかず。昼餉の時にそう宣言されて、部屋の後ろからこっそりと抜けだした小狐丸さんが心配でついていくと、縁側から素足で外へと出ていった。
途端、晴れて真っ青な空から、雨粒が降って来た。居間がわいわいと騒がしいのは、とにかくめでたいから宴会を今からはじめてしまうのだろう。
降り注ぐ雨はどこまでも透明で、その中をただこらえきれず駆けゆく。白い獣の口元は緩やかに上がり、天から降りくる愛を受け止めるように両腕を広げてくるくると舞う。まるで干ばつで雨を乞うた巫女のように、素足ではしゃぐ。その喜びで、天の気さえ変えてしまう天狐の祝福は、人知れず夕暮れまで続いた。
それから。
三日月さんと主は祝言を上げ、慎ましくも穏やかな夫婦生活を送っていた。それもすぐに終わりが来た。三日月さんが折れたと聞いたときは、誰も信じなかったね。この本丸で最も強く、手合わせでは誰にも負けたことのない三日月さんが折れた。皆、折れた鉄塊を見てようやく認識した。主もそれを認めると、部屋に籠り伏せっていた。悲しんでいるから、当たらず触らず、ただ内番だけをこなす日々を過ごす中、ただ小狐丸さんだけは主の部屋を熱心に訪れていたよ。本丸では、三日月さんがいなくなったから狙い始めたんじゃないか、とか嫌な噂がちらほらと出たけど、そうじゃないという確信があった。それを立証するかのように、後日主の腹に子がいることがわかってね。飛び上がり喜ぶ者、主の身重を気遣う者、見守りに徹する者・・・・・・小狐丸さんは主が産気づくまで、ずっと傍にいたよ。新しい命が産声を上げて、主の命が燃え尽きたその時は、部屋の外にいたけれど、本丸に居れば主が命を落としたことなんてすぐにわかる。馬小屋でも、畑でも、水を汲みに川へと行っていた者も、台所で食事をつくっていた最中でも、皆々悲しみへと突き落とされた。
悲しみが渦を巻く中、小狐丸さんは湯で清めた赤子を腕に抱きながら、主要な男士たちを呼び付けた。三条派をはじめ、それぞれの刀派をまとめる者、派に所属しない刀剣に関してはその類をまとめる者。見れば、空の端から世界が溶け始めていた。
「ああ、小さいなあ」
御手杵さんがまだ名前もついていない赤子を腕に抱き、それから各々頬に触れたり小さな手に指を掴まれたりしながら、別れを惜しんだ。最後に、小さな命はまた小狐丸さんの腕に戻ると、深く呼吸をし、告げた。
「では、各々、抜かりなく」
主にも、ここに住まうすべての刀剣にも、了解は得ていた。私も東に向かうと、石切丸を突き立てて祈った。どうかこの、愛すべき世界を消さないでくれ、と。蔵の方は準備が終わった。それぞれ本体へと戻り、再び審神者なるものがこの世界に現れるまで、眠りにつくために。私も結界が張り終わる時を見て、己へと戻る。本丸の崩壊を防ぐには、その方法しかないと彼が提案したとき、その頭の正気を疑ったね。今でも本気かと疑っていたけど、陽が七色に輝き、影が立ち上がったのを最後に見て、ああなんと勇気ある神かと心の底から褒め詞を送った。
目覚めは、真っ暗で何も見えなかった。大太刀になんて酷い所業を、と思ったけれど、蔵から方々明かりが灯りだしたのを目印に、目覚めたばかりの重い体を動かす。いくら本体にいたと言っても、崩壊を防ぐための境目をずっと守ってきたのだ。器よりも、それを成り立たせる気力が奪われていた。それでも己を奮い立たせて、やっと騒ぎの中心へと立つ。
誰かが外の灯篭に火を入れただけの、薄暗い部屋。その真中に座る小狐丸さんの肌に、わずかな――そう思っているうちに、どんどんその痣は広がっていく。もう長くないのは、誰の目からも明らかで。ぐすぐすと「新たな主」が泣いているところを見ると、きっと別れもまだ済ませていないのか。私は他を部屋から追い出し、障子を閉める。その間際、彼があまりにも悲しく微笑むものだから。こちらもとうとう、決心がついてしまった。今剣さん、岩融さんと待つ間、部屋の中から聞こえてくるのは穏やかで、優しい愛の物語だ。言葉のひとつひとつに、愛がこもりすぎていて。廊下にすすり泣きが響き、「岩融」と声が飛んできた。ようやく開けられた部屋に、薄明りでもわかるほど変色しきった小狐丸さんがいた。
小狐丸は主によって、鞘から抜かれていく。粉となり、軽く空気に舞う鉄錆の匂いで、彼の軽い冗句が聞こえてきた気がした。
「身から出た錆」