@nainieymugen
終わりが近いということを、口には出さないまでも誰もが感じていた。
神父様の容態は悪くなるばかりだ。もはやベッドから起き上がることはできず、食事もままならない。それでも神父様は、可能な限り笑顔を崩すまいとしていた。それによって救われた者は多かっただろう。
もちろん彼を除いては、である。
従僕の勇者と呼ばれるその少年は、朝も夜も、おそらくずっと、神父様の部屋の片隅に立っていた。何かをするでもなく、どこを見るでもなく、ただ気が抜けたようにぼんやりと立っている。私も何度か声をかけたが、反応らしきものは何一つ返ってこなかった。
私は神父様に負担をかけないよう、できるだけ部屋を訪れる回数を減らそうとしていたが、神父職の引き継ぎのためにやむを得ず質問をしに行く事があった。その夜も、私はそれなりに急を要する質問のために神父様の部屋に入ろうとした。話し声が聞こえたのはその時だった。
勇者くんと神父様の声だった。厚い扉越しではくぐもって内容は分からないが、泣いている勇者くんを神父様が慰めているような様子だった。
珍しい、と思った。勇者くんは普段、めったな事で感情を表に出さない。昔は良く笑い良く泣く子だったのだが、神殿が襲撃されたことがあってからそれらの表情は一切消えてしまった。しかし、彼もあれだけ慕っていた神父様が死んでしまうのが悲しくない筈がない。私は彼が人間らしく感情を露にしている事に安堵を感じた。そして、邪魔をしてはいけないと立ち去った。
翌朝、何かが頭の中を駆け抜けていったような感覚を覚えて私は飛び起きた。一体何かと考えて、私はこれと同じものを過去にも感じたことを思い出す。勇者くんがまだ能力を制御できなかった頃、溢れだしてしまった感情の奔流。あれと同じものだ。
今の彼が感情を押さえきれなくなる事なんて一つしかない。同じ事を考えたのか、神殿のあちこちがにわかに騒がしくなった。
部屋に着いた時には、既に数人のシスター達がベッドの脇で泣き崩れていた。少し離れて神官達が目頭を押さえ、それをさらに遠巻きに勇者くんが見ていた。彼は私に気が付くと、音もなく私の隣に立った。
「…昨日の夜、珍しくぐっすりと眠られていて。僕が目を覚ましたら、もう息をしていませんでした」
その言葉は、いつもと同じように感情が感じられず、無機質だった。いっそシスター達のように泣き叫ぶ方が彼にとっても楽なのではないか、とはいえ私自身も神父様が本当に亡くなられたという事実を受け止めるのに精一杯で、彼の事を案じている余裕は無かった。
だから、隣に立つ『従僕の勇者』の妙な目付きにも気が付かなかった。
「神父さん」
そう呼ばれて、振り返った。半ば呼ばれた事に対する反射で、何と呼ばれたかなど意識していなかった。
青い瞳と視線が合う。
その瞬間、『全て』が私の中に流れ込んできた。最初は意味を成さない感情の塊、そして記憶、思い出、神父様が生まれた時の事、神父様の子供の時の記憶、奔流は私の全てを押し流す、青年期、神官になった、私は神父の職を受け継いだ、雨の中で倒れている少年、襲撃、勇者、病、後を継ぐように頼んだ若い神官、そして、そして…
「神父さん」
私は目を覚ました。そこは、人混みの中だった。シスター達が泣いている。神官達が慌ただしく行き来している。そして、おお、なんと、私はそのただ中に立っている。これは一体どういう事か?
そして私は、ベ ッ ド の 上 に 横 た わ る 私 自 身に気付いてしまった。
声がした方を振り返ると、前よりも低い位置に青い瞳を見つける。その顔は一瞬歓喜の笑みを浮かべるが、やがて普段通りの鉄面皮に戻ってしまった。
私は、全てを理解した。
ああ女神様、私はなんと傲慢だったのでしょう。私は彼を救えたと思い込んでいた。少し依存しすぎる所はあるが、それは親の無い幼子故の甘えなのだと。こんな事になるまで、私は彼の闇に気付いてあげられなかった。
「迷子くん、君は…」
しかし、先の言葉が続かない。この哀れな少年に、私がかけられる言葉などあるはずもない。
葛藤する私とは裏腹に、迷子くんはいつもと全く変わらない態度で「他の方にも知らせてきます」とその場を去っていった。