貿の魔王様の船の乗組員アッサード・ソヘイルのお話。
かーこさんと貿の魔王様をお借りしました。
モック・キング=民俗学でいう「王殺し」「偽王」の風習。船乗りにも似たようなものがあったそうな。
@chuchuhakokaina
晴れた海のモックキング
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アッサードは、彼の父と同じ生き方をすると思っていた。
父である王とアッサードは、よく似ていると言われた。顔立ちや雰囲気はもとより、あまり怒ることが得意ではない穏やかな気質、当人にとってはありがたいことに健康で過酷な行軍にも耐える身体。当然ながら生まれた国も同じで、同じように生まれながらにして王位継承者として育った。アッサードという名は、幸運を意味する。名の通りの生き方をしていくのだと思っていた。
近隣諸国とは緊張状態にあったが、父王はうまく協定を結び、軍事的にも経済的にも政治的にも拮抗していて、実質停戦状態でもあった。両国はだんだんと豊かさを取り戻し、正式な停戦も間近と言って差し支えなかった。だからこその気楽な見通しでもあったし、その見通しが楽観的にすぎるとは言えない程度には、アッサードは自分の国と人と物をよく観察していた自負があった。
大きな国とは言えないが、平和が漂着する潮流のようなものを、父王やアッサードが尽力して築き上げることができたと思っていた。
***
彼は、いまでもよく思い出すことがある。王都に最も近く国で一番大きな港に視察に出た時に、王室と時折取引をしている画商の荷の中に美しい絵をみた日のことだ。アッサードは港が好きだった。人の熱気にあふれ誰もが活力に満ち、商業の発達した場所ならではの家族や夫婦、恋人たちが非日常を楽しむ笑顔が見えるのも嬉しかった。
商人に見せられたのは、濡れ羽色の髪に、白々とした月色の肌。星のない空のようなドレスを纏った若い女性の肖像だった。その瞳を彩る、この色をつくるのに鬼に魂を売ったのだと言われたら頷いてしまうような緑色は、明け方の暖かい海のような穏やかさを持ちながら人の目線を吸いつけて離さない鬼気迫る魅力があった。
「この絵はどこから仕入れたのですか」
とアッサードは商人に尋ねた。商人は、
「隣の小さな港でよく海を描いていた画家の作品でございます。もう死んでしまいましたが」
と答え、他の遺作もろとも引き取って、他はすっかり売れてしまったが、これだけは出来がいいので高値にしている、どうしてか売れないけれど、とぼやいた。
アッサードは、この商人から今後美術品の類を買うのはやめるべきか、と一瞬迷った。他の商品のやりとりを含めた商才については長い付き合いで信頼しているが、これが売れない理由が分からないなら、あまり美術品を見る目はないだろう。
これは、調度として飾るにはあまりに人目を惹きすぎるのだ。値段設定から手が出せるのは王家や貴族だが、上流階級のような、美術品を「対人コミュニケーションの道具」として使う立場には、単独で人を惹き付け過ぎる絵は全くふさわしいものではない。かといってただ手元に置きたい、という欲望のままに買うには、いささか危険すぎるほどの魅力がある。絵に描かれたものに無意味に入れ込んで他の何も手につかなくなることは、理性のある者なら避けようとするのは当然だし、アッサードの国の貴族はそうした判断をできる者が富と地位を得ている。
「ご興味がおありで?王家でお引き取り願えますか?」
「いいえ、素晴らしい作品ですがわたしの手には余りますし、身近な者も諸侯も必要とはしないでしょう。どうか、遠くの地で引き取り先をお探しなさい」
こうした良いものがこの国から生まれ、それを担って他国に顧客を求める船主がいるのはわたしも誇らしいことです、とアッサードは本心から言った。実際、海がこの国を支えているのだ。国の境も、人や物の行き来も、海が根幹を担っていた。アッサードも、父王も、その恩恵を喜んで臆することなく海に出ている。
埠頭を振りかえれば、太陽を返して煌く波が水面に白く群れを為している。時に荒ぶるあの白馬は、忠実に国と王家に寄り添い守る騎士無き騎馬隊であった。水平線の遠くを見ながら、アッサードは様々なものを見ていた。見たことのない場所に赴く果敢な船乗りたちを。彼らによってもたらされる恩恵と、愛しいこの国と人々の暮らしを。また、この国の人々と同じように笑顔の人が集う異国の港を。
だが、その日が故郷の海を見た最後の日となったのだ。
***
ある時から、交易や商取引で不審な物価の偏りが生じているのは、アッサードにもすぐに理解できていた。対処の方法も提案していた。だがアッサードが直接実務にまで手出しできるような余裕はなかった。風邪ひとつ引いたことのない王が病で伏し、アッサードが多くのことを取りまとめる必要が出ていたからだ。それに連動して、周辺諸国との比較的安定していたバランスが崩れていくのはあっという間のことだった。大潮の浜が見る間に波に沈んでいくように。
父王の病を除けば別段内政も外交も周辺諸国の様子も物価の急激な変動を引き起こすような要員はなく、王の病も聞いたことのない症状で、何もかもが分からないまま故郷は波にさらわれてしまった。
本当に、瞬きの間のことというよりほかない。出ざるを得なくなった最後の戦で孤立し虜囚となって、国を離れる際にアッサードが見たのは、病みやつれた父が絞首台につるされたところだった。国の民や、他の身近な人々ががどうなったのか、生まれ育った土地と海がどうなったのか、確かめる暇も許されなかった。
死んだ王はその生涯で、檻に入れられ、みせしめに荷馬車に載せられて隣国まで晒されることはなかっただろう。途中で大物狙いの野盗に襲われ、手枷足枷をつけて縄を掛けられ奴隷として売られることもなかっただろう。アッサードは父である王と道をたがえることになった。国の為ではなく自分の為の生き方をしなければならなくなったのは、恐らく幸運なことではない。だが不思議と、唾を吐かれようが、罵られようが、暴行を受けようが、道中は辛いものではなかった。故郷を離れた時からアッサードが愛したものは彼の傍からすっかり失われ、これ以上誰かによって傷つけようがなかったからだ。
「アッサード・ソヘイル……ほう、奴隷のわりにしっかりと自分の名前を覚えているんですね。となると元はきちんとした身分の方だったのでしょう。政治経済歴史などの知識に富んでいるとも商品欄に書かれていますが自身としてはどうです?はい、なるほど……ふむ、嘘ではないようですね。貴方を買いましょう」
流れ着いた先は、見知らぬ港だった。鎖の先にぶら下がった値札を見ながらつぶやく身なりのいい青年に「旦那様」と声を掛けながら、周りの奴隷商人たちはひれ伏すように恭しく枷の鍵を捧げていた。アッサードは自分が「高く売りたいが、早く手放して足がつかないようにしたい」商品であろうことは簡単に想像がついた。そのワケアリ商品を、相応の高い値段で買い取る意思をみせたなら間違いなく上客だろうが、それにしても態度がへりくだり過ぎている。とあれば、条件は限られてくる。おそろしく金を持っているか、おそろしく権力を持っているか、単純におそろしいか、だ。
「あの船で働いてもらうことになります。私……?モノとヒトとカネの動かし方を、誰よりも知っている生き物です。『貿の魔王』などと呼ぶものもいますね」
きちんと元がとれるくらいには生きてくださいね、と彼はなんということもなしに言ってのけた。アッサードは、気まぐれにこの奴隷を買った「旦那様」は、つまるところ「金」と「権力」をもった「おそろしい」ひとなのだろうと、自分の先ほどの想像の確かさを望まず実感した。というのも、示された船が、多くの船を見たアッサードにとっても見たことが無いほどに大きく、また非常に目立たないところに巧妙に魔術機構を搭載しているようだったのだ。
「貴方は買値よりも価値がありそうで何より」
アッサードの目の動きをおって何を見ているのかに気づいたのか、魔王は口の端を引き上げた。アッサードは黙っていた。国を離れてからというもの、沈黙はいつもアッサードの命を守ってくれたからだ。
***
魔物が満載された船に奴隷の人間など入れたら、それこそ「旦那様」の言うように長くは持たないかもしれない、と思っていたアッサードは、自分自身でも意外ながら、最初の二か月を何とか乗り越えた。楽なことではなかった。目が覚めてハンモックから起き上がるとき最初にチェックするのは両手両足と首から上が胴体についていて、目と耳が機能しているかどうかということだが、幸運なことにこれまで数分もすれば動ける程度の不具合しか経験していない。
ここで彼を守ったのは、やはり沈黙だった。初日に名前と、港で主人に買われたことだけを告げて一切を黙っていれば、周囲の荒くれ者たちは「人間の姿に化けるのがとても上手い新入りの魔族」と勘違いをした者が多かったようだ。獅子の頭を持った大男に肩をつかまれ、鰐の皮膚をもつたくましい男に腕を引かれ、ひさしぶりの後輩を歓迎するぞ、とことさら念入りに力仕事を教わった。
それから自然と居場所も部署も彼らのもとに決まったようで、知識が入用の時だけ秘書官に呼び出され、そうでないときは主に雑用をしながらいろいろな立場の先輩に引き回されている。動力部に行けば無邪気な兎の狙撃手とペンギンの技師が楽しそうにポップコーンを温めているのにつき合わされるし、船医の後を喜々として追う青毛の獣人がよく廊下で倒れているのを回収する機会も増えた。ヒトの国や言語について知っていることを語れという秘書官からの指示を伝えにくるのはもっぱら水に溶けこむ力を持つ青鬼である。誰もかれも、悪いひとたちではない、とまるでアッサードは他人事のように考えている。
お前は本当に化けるのが上手いな、頭もいいやつだな、と言われれば、曖昧に笑って見せるしかない。同じ時期に入った人間の奴隷で、「沈黙を味方につけられなかった者」は悉くはじめの一か月で、他ならならぬこの優しい船員たちになぶり殺しにされた。理由は「暇な道中の娯楽」だそうだ。知らずある港でその犠牲者を文字通り潰して作ったのであろう食事を食べさせられた時には、流石に吐いた。その勢いのまま船端から海に落ちて流されてしまいたいとすら思った。悪気なく、船酔いかよ、肉食ったのに吐いちまうのはもったいねえな、と心配された。
「悪いひとたちではない」のだ。そう、相手が人間でさえなければ!この船の上に、常に死は身近にある。一声かけるまでもなく、一歩進めばすぐにでも踏み込むことができる。それは一種の安心感ですらあった。
***
警戒や見回りは、下働きの人間の仕事だ。アッサードもまた、順番が回ってくれば夜の見張りに立つ。月明りの下、照らし出される水面には、静かに駆ける白馬の背のような波が散っていた。夜の見張りはたいてい何事もなく、ひとりきり静かな時間が過ぎるだけだ。藍色の水が波音以外の音を吸い込んでしまう。
船端に身を預け、見るとも無しに、遠くを見ていた。陸からは遠く離れ、そうでなくても海の夜闇に見えるものは少ない。何も見ていないのと同じであった。怠慢だろうか。だが許されるだろう。どれだけ気を張って見ていたところで所詮は人の身だ。寝ている魔族たちのほうが早く危機に気づくかもしれないと思えば自分の行動ひとつ大した問題ではない。アッサードが何も見ていなくても、何も見えなくても、誰も困ることなどない。
「そんなに身を乗り出して。落ちてしまうわ」
どれほど時間が経っただろうか、声をかけられてアッサードは振り向いた。
「落ちたら、死んでしまうでしょう?」
そこには、長い黒髪の女性が立っていた。この船の上で女性を見かけることは今まで一度としてなかった。だが、彼女には見覚えがあった。夜の海の底に揺蕩う珪藻の輝きのような複雑な緑の目の色は、故郷で見た絵画の、渾身の色合いだ。なんとも奇妙な偶然である。何者だろうか。この船の誰かの身内だろうか。だが、アッサードは黙って彼女に頭を下げるにとどめる。少なくとも侵入者には見えない。それならば、いつだって彼を守ってきたのは沈黙だ。
見張りなのに、見とがめないのね、と女性は笑った。ならば、とアッサードは口を開く。
「こんばんは、レディ」
「こんばんは、船員さん」
「不躾なことをお伺いしますが、どちら様でしょう。見とがめが必要な方には見えませんが何分新参者でして、家庭を持っておられる方を把握できていないのです」
続けて自分の名を名乗ると、彼女は一瞬ぽかんと表情を緩め、そしてはにかみながら返した。
「私は、この船の主のものなの」
なるほど、とアッサードは納得する。なればこそ、下働きのアッサードが会う機会は今までなかったし、魔物しかいないといっても過言ではないこの船に女性が乗っていて無事でいるのだ。魔王の妃とあれば彼女自身相応の力を持つだろうし、そうでなくとも王の力を恐れるのであれば不用意な扱いはできまい。
「奥様、でしたか」
「うん。奥様なの」
嬉しそうに微笑んだ顔は、絵で見るよりも暖かな印象を受ける。
「夜風は冷えます。その、もし何処かに何か御用があるのでしたら代わりに参りますので、部屋に御戻りを」
「御用ってほどでもないの。あんまり甲板が静かだったものだから、今夜の見張りさんが寝ちゃったのかと思って見に来ただけ。見たら納得したわ。静かなひとも、落ちたら死んじゃうひとも、この船では珍しいもの」
なんなら見張りを代わろうかしら、前にもね、ナイショで代わったことがあるの、と彼女は言う。勘違いとは思いつつ、言外に「死ぬつもりか」と問われたような気がして、アッサードは首を振った。
「落ちなければ、死ぬこともありません。見張りは自身で続けます」
彼女の姿を見ていて、故郷の海を思い出した。彼女の笑顔に、故国のどこにでもいた幸せな夫婦や恋をする女たちを思い出した。王であったはずの自分も、思い出した。忘れたことはなかったが、ここのところはただ息をしているのすら精いっぱいで、意識することも少なかった。なんとはなしに、安易に死ぬことは選択肢から消えていた。
『モノとヒトとカネの動かし方を、誰よりも知っている』
「旦那様」はそういった。この船は、魔界も聖界も境なく、ときに海だけでなく空まで駆けるシロモノだ。長年それを以てあらゆる場所をめぐり、貿易を熟知しているのだと誇るのであれば、故郷の崩壊の理由も彼ならば、突き止めることができるかもしれない。
「旦那様」は「魔王」と呼ばれているらしい。しかし、彼は王らしく国の統治をしているわけでもなく、ときおり自分の世界に帰港する以外はもっぱら旅の空にみえた。そうならば、アッサードもまた王であって構わないはずだ。他者に使われ船の上にあるが、亡国となり、王を失った国の、継承者である。故郷の人々を、あの海を、忘れてはいなかった。ならば、その滅びの理由と、意味を、知らなければならない。可能であれば、その責を負わなければいけない。王としての務めだった。
「わたしは、海に落ちて死ぬことも、他の船員さんたちに害されて死ぬことも、ないでしょう。きっと父と同じ死に方をするでしょうね」
もし自らの手で死を選ばなくても、人の法では、人を傷つける船や海賊船の乗組員は、縛り首だ。そして王を自負して吊るされるなら、それは父と変わりのない姿であるはずだ。
「そうなの?私はどうやって死ぬのかは解らないけど、どこで死ぬのかは決めているわ」
それはまた何方で、と問うのは出過ぎた真似だ。アッサードが口を閉ざし、次いで旦那様のところまでお送りしましょう、と言ったところで、声がかかる。
「それには及びませんよ」
「陛下!」
女性がひらりと駆け出し、声の主の傍らに寄り添う。それがとても自然な姿に見えた。どこで、と問うのであれば、彼らはきっとどこで死ぬにしても、同じ場所にいるだろう。自分の死に場所はどこだろう、とも思う。こちらをマークするかのような「旦那様」の赤いまなざしを感じながら、願わくば彼の怒りを買うことなく、いつか故国にたどり着いて死ねたのなら有難い、と思う。
礼をとって背を向け、見回りに戻る。まだ、彼は生きている。
***
アッサードは、彼の父と同じ死に方をしたいと思っている。
アッサードという名は、幸運を意味する。名の通りの生き方をしていくのであれば、彼の願いは貿の魔王の船に乗せられて、叶う日がくるかもしれない。
***
END