@nainieymugen
「…迷ったなあ」
方向音痴の少年、もとい従僕の勇者はそう言って途方に暮れた。
事の始まりは数時間前、神殿の手伝いをしていた頃まで遡る。勇者の軍師を抱える大国の側にある国とあって、従僕の勇者の国に訪れる旅人はそこそこに多い。彼らの多くは宿泊施設を兼ねる従僕の勇者の神殿に滞在していくのだが、そんな旅人達が気になる話をしていたのだ。
曰く、とある魔界に自生する茶葉は聖界のどんな茶葉よりも美味な紅茶になるのだと。
それを聞いた勇者は、手際よく掃除と洗濯を終えると意気揚々と魔界へ向かったのだった。
***
鬱蒼とした森の中で、彼は立ち尽くしていた。
前を見ても後ろを見ても木しか見えない。真っ直ぐ進んできた筈なのだが、下手に周りを見回してしまったせいで自分が進んできた方向も分からなくなってしまった。幸い魔物や魔族がいる気配は無いが、茶の木がありそうな空間も無い。どうするか、と彼が考え込んだその時だった。
背後から音がした。
ガサガサという、枝と葉の擦れる音…ここに来るまでに自分が幾度となく立てた音だ。従僕は杖を構え、勢いよく振り返る。そして蠢く茂みをじっと見据える。
果たしてそこから現れたのは、人間の青年だった。
燕尾服に身を包み、二本の剣を携えた青年は少し遅れて従僕の勇者の存在に気が付いた。青年の視線は従僕が首から下げた勇者の証に、そして杖を握りしめる手へと動く。同じく従僕も、青年が腰の刀に手を添えているのに目を向ける。緑の中に、張りつめた空気が流れる。
そして二人は同時に動いた。
従僕の勇者がコートを翻す。いつの間にか杖は地面に転がっており、代わりにその手にはシンプルなティーセットがあった。続いて携帯容器に入った茶葉と魔法瓶を取り出すと、てきぱきとティーポットに入れていく。
対して青年が燕尾服を翻すと、その手には上品なティーセットが現れた。続いて慣れた手つきで火を起こすと、水を沸騰させ、これまたどこかから取り出した茶葉と共にティーポットへと入れる。
湿った森に、芳醇な沈黙が流れる。
そして二人が再び動き出すのも同時だった。
森の深い緑を背景に、二種類の赤が流れ出す。空気を含んだ紅茶は一滴も零れることなく、ティーカップへと吸い込まれた。
従僕の勇者の堅実な手つきで注がれたダージリンと、青年の優雅な手つきで注がれたアールグレイが二人の前で湯気を立てている。
二人の視線が重なる。
そして彼らは出会ってから一言も発する事無く、がっちりと握手を交わしたのだった。
***
「そうですか、あなたも勇者だったのですね」
「ええ。忠誠の勇者と申します」
二人の勇者は適当な丸太に腰かけ、お互いの紅茶を味わっていた。良く知らない魔界のど真ん中でティータイムなど一部の勇者が聞いたら卒倒ものであろうが、彼らはまるで当然のように茶菓子まで広げている。
「しかし、これほどの技術を持つ勇者は初めて見ました。素晴らしい紅茶です」
「いえ、僕なんて忠誠の勇者さんに比べればまだまだです」
お互いの紅茶を評価しながら、身の上や自身の主についての話をする。二人とも無表情を崩さないが、もしこの場に心の読める勇者がいれば—従僕の勇者以外に、だが—二人が興奮しているのが容易に分かっただろう。
「そういえば、忠誠の勇者さんは何故この魔界に?」
そう切り出されたのは、3杯目の紅茶が注がれた時だった。空気はすっかり緩んでいる。
「目的、ですか。実はこの世界には聖界のどの茶葉よりも美味な紅茶が淹れられる茶葉があると聞きまして。是非お嬢様に味わって頂きたいと探しに来たのです」
そう言って、彼は茶菓子のクッキーに手を伸ばす。それを飲み込んでから、
「結構探したのですが、見つからないんですよね」
と続けた。
「実は僕も、茶葉を探してここに来たんです」
「おや、同じ目的でしたか…それは都合が良いですね。良ければ茶葉を見つけるまで一緒に行動しませんか?」
「それは助かります、是非」
そうと決まればと二人はそそくさと片付けを始める。二つのティーセットは、それぞれの上着の中に消えた。
***
森は段々深くなる。
木々はより密度を増し、足元を這う木の根や蔦に足を取られる。先を歩く従僕が杖で枝を払い退ける後ろで、忠誠が何かを見つけた。
「あちらの方、少し明るくなっていませんか?」
従僕が見てみると、確かに忠誠が指で示した方向は周囲よりも僅かに明るくなっている。二人は顔を見合わせて頷くと、明るくなっている方へと方向を変えた。
しばらく進むと、急に視界が開けた。
直径200m程の土地がお椀状に窪んでおり、木の代わりに花が茂っている。しかし、より目を引くのはその中央に蹲る何かだった。
「…魔物…でしょうか?」
「そのように見えますが…」
植物でできたドラゴンのような容姿をしたその生物は、勇者達の声を聞きつけたのかむくりと起き上がった。そして寝ぼけ眼で周囲を見回し、勇者二人に目を留める。
滑り降りて来た二人をじろりと睨み、ドラゴンは口を開いた。
「貴様ら勇者か。我が眠りを邪魔するとはどういう了見だ」
しかし勇者達は臆する事も無く、忠誠が口を開く。
「茶葉を探しに来たのですが、ご存知ではないですか?」
「茶葉ぁ…?」
ドラゴンはふんと鼻を鳴らすと、小馬鹿にするように言った。
「さあ…知らんな」
「そうですか」
その答えに、興味を無くしたように忠誠は踵を返して戻ろうとする。しかし何かを考えているような顔の従僕を見て歩みを止めた。
「従僕さん、どうしました?」
「花…」
「花?」
「どうやらここに生えている花が、茶葉の正体のようですよ」
従僕はそう言って足元の花を指さす。改めて見てみれば、確かにその葉は茶葉に形が似ていた。
それを聞いたドラゴンは明らかに表情を変える。
「貴様…何故分かった?!」
「ええ、思考を読みました」
「なんだと…?!」
動揺するドラゴンをよそに、勇者達はすっかり花に興味を向けている。無視されている事に腹を立てたのか、それとも花を守るためか、ドラゴンは音もなく長い尾を持ち上げると二人めがけて振り下ろした。
風を切る音に、二人が顔を上げる。顔色を変えた従僕は勇者の証に手を伸ばすが、瞬間移動で逃げられるのが自分だけであることに気付き、慌てて忠誠の方を振り返る。しかし、隣には既に彼の影は無い。
二本分の抜刀音が響く。
振り下ろされる尾に自ら近づく形で飛び上がった忠誠は、目にも止まらぬ速度で剣を閃かせた。剣が一度光る度に、尾が短く切り落とされていく。立ち尽くす従僕の前で、華麗に着地した忠誠の周りには輪切りにされた尾の残骸が散らばっていた。
忠誠は剣を鞘に納めると、従僕に歩み寄った。
「危なかったですね、さあ、早く茶葉を集めて主の元へ帰りましょう」
「そうですね。すみません、お手数をお掛けして」
「いえいえ」
殺されかけたにも関わらず、尚も自分を無視し続ける勇者達にとうとうドラゴンは怒りを爆発させた。
「貴様ら…我を侮辱して無事で済むと思うなよ!!!」
森中に響き渡る咆哮と共に、ドラゴンの体からみしみしと音が鳴る。体を構成する植物が成長し、地面は揺れ、体が膨れ上がっていく。
…が、その巨体を冷たい視線が貫いた。
「「邪魔をしないで頂けますか」」
二人の従者から放たれる凍り付くような怒気に、ドラゴンは思わず怯む。その瞬間、目の前に炎が燃え上がった。否、正確にはドラゴンの脳裏にその情景が無理矢理捻じ込まれただけなのだが、植物の体を持つ故に心底忌避している炎のイメージに、彼は思わず恐怖で硬直する。頭を振ってその恐ろしいイメージをなんとか振り払うが、その時には勇者達は眼下にいない。
首元に、冷たい金属の感触が走る。
反転する景色の中彼が最後に見たのは、無感情に自分を見下ろす勇者達だった。
***
「このくらいあれば十分でしょうか」
「そうですね。あまり取り過ぎても繁殖しなくなってしまうでしょうし」
二人は戦闘など無かったかのように茶摘みを再開していた。体積の増えた袋を手に、従者達は満足げに頷く。
「では目的も達成した事ですし、私はこの辺りで」
「ええ、僕もそろそろ帰らなくては」
二人は、改めてお互いを見た。
身長も年齢も、戦い方も違う。敬語であるから同じように見えるだけで、おそらくは性格も異なるだろう。しかし彼らは、お互いに強いシンパシーを感じていた。
誰かのために生きるという事。
誰かのために戦うという事。
それは彼らにとってこれ以上なく崇高な行為であり、そのために身を捧げる者は須く尊敬の対象であるのだ。
きっと、そこに言葉は必要ないのだろう。
「では」
「また」
二人の従者は戻っていく。
全てを捧げた、彼らの主の元へ。
そして彼らは、倒したドラゴンがこの魔界の魔王であったと知る事は無かった。