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猪討伐

全体公開 1 5698文字
2017-04-07 04:02:25

従僕の勇者の日常

一行は、息を潜めながら森の中を進んでいた。

先頭を歩くのは二人の狩人。親子程の年齢差がある二人は実際親子のようで、揃いの弓を背負っている。細身の息子は半ば地面を這うようにして何かを探し、背の高い父親が鉈を使って枝を払い、道を開いていた。
それに続くのは、十数人の騎士達だ。森の中でも身動きが取れるよう、鎧の装備は最小限に留めてある。壮年の隊長を筆頭に、騎士達は全員が槍を装備していた。
そして殿を務めるのは、不自然な程に幼い一人の少年だった。黒いコートに身を包み、体よりも大きな杖を携え、しかし前を行く大人たちに一歩も遅れずついて行く。

いかがですかな、レルフ殿」
隊長の問いに、レルフと呼ばれた狩人の息子は首を振る。
「毛一本落ちてませんね。そもそも、それほど大きな猪が本当にいるとすれば一目で分かるような痕跡が残っていてもおかしくないんですが」
それだけ言うと、レルフは再び地面へと視線を戻す。集中している様子の彼を邪魔するのは忍びないと思ったのか、隊長は父親の方へと話を移した。
「そもそも、この森に猪がいたという話は我々騎士団も聞いた事が無いのですがそれは狩人の方々も同様ですか?」
「いやあ、ここらの森には猪自体住んでないはずなんですが。どこかから迷い込みましたかねえ」
そうしてまた沈黙が流れる。実はこの話も似たような流れが三回目である。
それからしばらく一行は黙々と歩き続けたが、やがてレルフの父親が振り返った。
「少し先に開けた空間があります。ここらで休憩にしましょう」

太陽の光が差し込む空間で、騎士達は思い思いに休息を取っていた。軽装とはいえ、鎧を付けて森の中を歩けば相応に疲弊する。騎士達が集まって簡単に食事を取っている横で、狩人親子は干し肉を齧りつつ弓の弦の調子を確かめ、少年は持参したらしいサンドイッチを頬張っていた。
「しかし、そんなに大きい猪本当にいるんですかね?」
そう口を開いたのは一足先に食事を終えた若い騎士だった。それを受けた隊長は持っていた固焼きパンを二口で飲み込み、口を開く。
「『家程もある大きな猪を見た』という具体的な目撃証言が複数人から寄せられている。それに、証言に信憑性がある事は既に勇者君が確認済みだ」
それを聞いて、騎士と狩人達の視線が一斉に少年へ集まる。少年は急に話題が自分に向いた事に目をぱちくりさせていたが、サンドイッチを膝に置くと改まった様子で話し始める。
「確かに、証言をされていた皆様は実際に猪を目撃されていたようでした。しかし、皆様の証言を見ている中で気になる事が
しかし勇者は唐突に口をつぐみ、辺りを見回し始めた。一拍遅れて、辺りに微かな振動が響き始める。
レルフ、弓用意しとけ」
「えっ?ああ、分かったけど
父親が、張りつめた面持ちでレルフにそう指示する。段々と大きくなる振動に、騎士達も次々に立ち上がり武器を取る。振動はやがて地響きとなり、そして、それは現れた。

「グオオオオォォォォォ………!!!」

木々をなぎ倒しながら現れたのは、文字通り家よりも大きな紫色の猪だった。その目は真っ赤に血走り、一本一本がロープ程もありそうな体毛の下で筋肉が波打ち、硬質に光る二本の牙は成人男性よりも大きい。
最初に動いたのは隊長だった。
「全員散開しろ!奴の正面に立つな!」
指示を受けた騎士達が一斉に散らばる。レルフは猪のあまりの大きさに呆然としていたが、父親に引かれて木の影に身を隠した。
「っおい、あいつ!」
誰もが離れる中、勇者の少年だけは猪の正面に立ち尽くしていた。まるで危機感を感じていないような態度で、悠然と杖を構えている。
レルフは思わず飛び出そうとしたが、父親に止められた。
「なんで止めんだ親父!あんなところにいたら死んじまうだろ?!」
「馬鹿、あの子は勇者だ。いいから黙って見てろ」
「けど!」
尚も心配の視線を向けられているとは知らず、勇者はじっと猪を見据える。猪の側も、目の前に立ち尽くす格好の獲物を発見すると、荒々しく息を吐いた。

そして、猪は走り出した。

巨大な質量が迫ってくるのも意に介さず、勇者は胸元に下げた勇者の証に手を触れる。そして凝視するレルフの前で、唐突に勇者の姿が掻き消えた。
いきなり獲物が消えた事に驚いた猪は思わずスピードを緩める。騎士達が戸惑った様子で辺りを見回す中、狩人の敏感な耳が風を切り裂く音を捉えた。
「あそこだ!」
レルフが指さした上空には、いつの間にそこまで上がったのか、落下を続ける勇者がいた。杖を上段高く振り上げた勇者は、自分の全体重と落下エネルギーを乗せた一撃を猪の脳天に叩き込む。

轟音が森に響く。

攻撃によってバランスを崩し地面に転がった勇者は再び姿を消し、少し離れた所に姿を現した。地面に頭をめり込ませ動きの止まった猪へ、騎士達がじりじりと近づいていく。
駄目です、効いてません!」
勇者が叫ぶのと、猪が頭を上げるのは同時だった。

「オオオオオオオオォォォォォォォォォ――――――――!!!!!!!!!」

猪の咆哮が轟く。

先程とは比べ物にならない咆哮が騎士達の脳を揺らし、鎧を震わせ、動きを止める。攻撃を受けた事で怒り狂った猪は、相手構わず牙を振り回し、蹄を打ち鳴らす。騎士達は武器を投げ捨て、避けるのに精一杯だ。勇者も、猪のあまりの暴れように手を出せないでいる。
レルフは、弓に矢をつがえていた。
意識を集中する。狙うのは、猪の目だ。最悪外れても、一瞬意識を逸らす事ができるかもしれない。その間に騎士達が体制を整える事ができれば。
猪が一瞬動きを止める。
彼は合わせて息を止める。そして、

「おい、馬鹿!!」

父親の声が聞こえた時には遅かった。
限界まで引き絞られた弓から放たれた矢は、寸分狂わず猪の左目に吸い込まれていく。しかし同時にレルフは、自分の体がいつの間にか木から離れ、完全に姿を晒してしまっている事に気が付いた。
そして確かに眼球に命中した筈の矢は、何故か傷一つ付けることなく弾かれる。血走った瞳が、レルフの姿を捉えた。
「しまっ!」
逃げよう、と思った時には既に巨大な牙が目の前に迫っていた。やばい、と思った瞬間、目の前の景色が回る。頭上を凄まじい勢いで牙が通り過ぎて行くのを感じながら、レルフは目の端で父親が吹き飛ばされるのを見ていた。遅れて体が地面に激突する。突き飛ばされたのだ。

「親父っ?!」

木に体を打ち付けたらしい父親は、答える代わりに呻き声を上げた。大丈夫、生きてはいる。しかし、動くことはできない。なんとか父親の方へ近づこうと立ち上がるが右足から激痛が走り、その場に再び倒れ込んだ。
「ぐぁっ、ぅ何、だ?」
見ると、右足首は真っ赤に腫れあがっていた。倒れた時に捻ったのだろうか。原因はともかく、このままでは自分も歩く事ができない。
騎士達が叫んでいるのが聞こえる。混乱する頭には、その意味を理解する余裕はない。ただ目に映るのは、少し距離を取り、突進のためにこちらを見据えるあの猪の姿だ。
やべえ、俺今度こそ死ぬのかな。走り出す猪を見ながらぼんやりとそんな事を思った時だった。

目の前に黒い影が躍り出た。

杖を構えた勇者は、猪の突進を真正面から受け止めた。少年とはいえ、杖と合わせればそれなりの質量に衝突した猪の突進の軌道は僅かに逸れ、勇者を跳ね上げながらレルフの横を駆け抜けていく。血をまき散らしながら上空へ跳ね上げられた勇者はそのままレルフの眼前へ落下し、嫌な音を立てた。
突然の事に状況が良く飲み込めないまま、レルフは痛む足を引きずって勇者の元へ近寄る。敏感な鼻をむっとするような血の臭いが刺激する。見ると、腹に大穴が空いていた。おそらくあの牙に貫かれたのだろう。誰がどう見ても致命傷だ。
「っ、げほっレルフ、さんご無事です、か?」
「馬鹿、喋るな!今血を止めていや、これ、どうすれば
血を吐きながら話す勇者に、レルフはなんとか命を救えないかと普段使わない脳を精一杯回転させる。しかしそんなレルフの手を、勇者が握る。死にかけの人物とは思えないその力強さと、自分を見つめる勇者の眼光の強さに、一瞬レルフは現状の危機を忘れた。
レルフさん、良く聞いて下さい。あの猪は、聖界のものではありません。おそらく、魔力を持たない攻撃が効かないのです」
「魔力?」
騎士団の方々の武器には僅かながら魔力がこもっていますしかし、僕は魔力を持ちません。あなたの矢も同様です。そして騎士団の方々でも足止めはできれど、倒す事はできないでしょう」
「じゃあ、どうすれば?!」
慌てるレルフを諭すかのように、勇者はレルフの胸を正確にはそこにしまわれている物を指さした。
「狩人が技術を受け継ぐ時に行う儀式その時に御守りとして作られる矢には、魔力がこもります。この国の狩人なら誰もが必ず持っているはずそうですね?」
その言葉に、レルフは急いで首にかけている御守りを取り出した。そこには普段使う物よりも数段小さい、琥珀の矢尻を持つ矢が下げられていた。
「けど、これ一本でどうやって?!」
勇者の顔色は既に血の色を失っている。それでも勇者は僅かに気だるさを感じさせる程度の声で、淡々と続けた。
「最初に猪に殴り掛かった時に、額に奇妙な結晶が癒着しているのを見つけました。おそらくあれが弱点です。魔力を持った矢で弱点を射抜く事ができれば、あの猪を倒すか、弱体化する事ができるでしょう」
もはや言葉は囁きに近い。それでも少年は伝える事を伝えるべく、レルフをじっと見据えたまま言葉を紡ぐ。

レルフさん、あなたが頼りなのです」

抱えた体から力が抜けていくのを感じながら、レルフは戸惑っていた。勇者が自分を守って命を落としたそしてその自分にあの猪を倒せという。一体自分にそれほどの価値があったというのだろうか?本当に自分にそんな事ができるのか?
「あなたが頼りなのです」

彼の決意を固めたのは、その言葉だった。

レルフは弓を拾い上げ、猪の方へ向き直る。一度矛先が変わった事で体勢を立て直した騎士達が猪と戦っているが、彼らが与える傷はどれもかすり傷にも満たないようなものばかりだ。このままでは疲弊した騎士がやられるのも時間の問題である。
レルフは姿勢を安定させる為に背中を木に付け、御守りの矢を弓につがえる。意識を集中する。そして猪の頭を見つめ、勇者から聞いた弱点を探す。そして猪が頭を下げた瞬間、キラリと光る物が見えた。
再び放たれた矢は、真っ直ぐ額の弱点目がけて飛翔する。琥珀の矢尻は吸い込まれるように結晶へ近づきしかし命中する直前、猪が突然振り返った。
固い鼻に当たった矢はいとも簡単に砕け散る。そして何を感じたのか、猪の視線は再びレルフへ向けられている。
失敗した。
絶望が彼の体を支配する。もはや逃げようとする気力すら失われた彼は、ただ茫然と自分を睨みつける猪を見ていた。今度こそ終わりだ。全部無駄だったんだ。親父が助けてくれた事も、自分を庇って死んだ勇者も、自分の覚悟も。自分はここで、何もできないまま無駄に死んでしまうんだ。

「僕はそうは思いませんね」

聞こえるはずのない声がした。

目の前に、琥珀の矢が差し出される。顔を上げると、そこにはあの勇者が傷一つない姿で立っていた。
「な、なんでっていうかこれ?!」
勇者は静かに父親の方を指さす。振り返ると、目を覚ました父親が苦しそうな顔ながらもレルフに親指を立てて見せた。
「そうか、親父の
レルフが矢を受け取ると、勇者は真っ直ぐ猪の方へ歩き始めた。猪の注目が勇者に向く後ろで、レルフは三度弓を構える。
もう失敗しない。あいつを倒せるのは、自分だけなのだから。

そして、矢は放たれた。

***

「まさか生き返るだなんて知らなかった
勇者の手当を受けながら、レルフがぼやく。父親は少し離れた所に寝かされ、騎士達は猪の死体を見分している。
「まあ、あまり広く知られても良い事は少ないですから。すみません、驚かせてしまって」
「驚いたよ
終わりましたよ、と告げられて足を確かめる。限られた道具で何をしたのか、痛みは大分楽になった。
あの時俺を庇ってくれたのは、猪を倒すためか?」
レルフの中で、それは未だに引っ掛かっていた。魔力を持つ物で攻撃すればいいのならば、不思議な力を持つ勇者が矢や騎士の槍を借りれば良かったのではないだろうか。結果的に助かったのでむしろありがたいのだが、あの時勇者が自分を庇う必要性は無かった筈だ。
勇者は少し考える素振りを見せたが、あの死にかけていた時と同じように淡々と答えた。
「単純な計算です。一度死んだら終わりのあなたより、生き返ることのできる僕が攻撃を受けた方が良いと判断しました」
その答えはあまりに子供らしくなく、レルフは少しの間衝撃で言葉が出なかった。ようやく「そうか」と絞り出したが、納得していないのが目に見えて分かったのか、勇者はこう付け加えた。

それに、守れる物は守るのが勇者ですから」

***

「おかえり、迷子くん」
勇者を迎えたのは、30歳程の若い神父だった。しかしその表情はどこか達観していて、見た目の何倍もの年月を生きているのではないかと感じさせる。
神父はボロボロになり、背中に大穴の空いた勇者の服を見ると困ったようにため息をついた。
「また無茶をしたのかい?君は普通の人間よりは強いだろうけど、それでも無茶な事はほどほどにしておくれ。私が心配になってしまう」
その言葉の意味を分かっているのかいないのか、勇者は無表情を崩さずに答える。
「大丈夫です。勇者である限り、僕は死にませんから」
少年勇者はそう言うと、神殿の奥へ歩いていく。その背中を、神父はなんとも言えない顔で見送っていた。


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