@20neo14
・鬼と剣士【炭善】
走れ。走れ、走れ、走れ。前を見て、脇目も振らず、一心不乱に、ただ走れ!傷付けてしまった。此の手で妹を傷付けてしまった。禰豆子。ごめんな。怖かったな。痛かったな。走れ。走れ!!このままでは家族みんなを傷付けてしまう。母ちゃん。竹雄。花子。茂。六太。
みんなごめん。謝るよ。みんなに謝る。傷付けたこと。怖がらせたこと。悲しませること。置いていくこと。本当にごめんな。みんな、ごめん。禰豆子。禰豆子……少しでも早く、お前の傷が治りますように。心の傷が癒えますように。俺のことを哀しまないでくれますように……
頬を伝う涙。後から後から、溢れて止まらない。
鋭い爪に残る血は生温く、震えるほどの食欲をそそられると同時に、胃の腑が空っぽになるまで吐きたいような嫌悪に襲われる。嫌だ。嫌だ。こんなのは間違ってる。妹に襲い掛かるなんて、長男のすることじゃない。もう家族の元へは戻れない。人を喰らおうとするなんて━━━
俺は、鬼になってしまった。
◆
「チュン!チュン、チュン!!」
「何だよチュン太郎!また任務?!いい加減少し休ませて!最後のご飯くらいゆっくり食べさせろよ!どうせ次こそ俺、死ぬんだからさ!!」
慌てて食べ掛けの麺麭を口に放り込み、横に置いてあった刀を掴む。日輪刀。唯一、鬼の頸が切れる刀。うまく使えるわけではないけれど、お守り代わりに手放せない。できればこの刀を見て、鬼が俺のことを恐れてくれますように。俺が立派な剣士として、鬼の目に錯覚されますように…!!
不肖、我妻善逸━━━鬼殺隊に入り約二ヶ月、度重なる任務で休む暇はなく疲弊の一途を辿っている。厳しい師匠だったじいちゃんの元を離れたらちょっとは楽になるかと思ったけど甘かった。さよなら、俺の安寧。また来たな、辛酸の日々。
毎日毎晩、補佐役であるところの鎹雀(チュン太郎って名付けてやったのに、かなり反抗的で可愛くない)に突っつかれてしんどい。鬼狩りに向かわないと更に噛み付かれて痛い。行ったら行ったで、鬼は顔が怖いし、体つきも恐ろしいし、牙や爪が鋭くて泣きそうになる。凶暴で、俺を見るとすぐに喰おうと襲い掛かってくるし。やめてって云ってるのに。美味しくないって叫んでるのに。あまりの恐怖に毎回逃げ回って夜が明ける。すると鬼たちはいつの間にかいなくなっている。跡形もなく消えて気配すらも残っていない。何故なんだろうね?鬼は何処へ行ったの?チュン太郎は構わず俺を次の任務へ急き立てる。俺はあまりに怖くて、深く考えないことにしている。
今度の任務も田舎の鬼退治らしい。人里から離れて二日ほど、だいぶ山奥まで来ていた。日が暮れて辺りは薄暗く、影が濃い。もう怖い。既に怖い。鬼じゃなくても野盗とか、熊とか、狼とか、毒虫や毒蛇に咬まれたり、道を踏み外して崖から落ちたり、獣道に迷い込んでも一巻の終わりだ。やだ。もうやだ。帰りたい……懐のチュン太郎が身動ぎして俺を牽制する。鳥目のくせに夜中までよく頑張るよ…そんなに頑張らないでいいのに…逃げにくいじゃないの……
と、唐突に足元を掬われ、懐に意識がいっていた俺は、為す術もなく派手にスッ転んだ。
「ひぐぅッ…?!」
ビキ、と足首から間抜けな音がする。ヤバい、捻った。物凄い痛みが右足首から身体中を駆け抜け、暫し地に伏して悶絶する。懐から案じる呼び掛けが小さく聴こえて、安堵した。庇った相手が無事なら、足を捻った甲斐があったというものだ。本当は受け身を取って無傷でいられたら、完璧だったけどな。
激痛をやり過ごし、そっと足元を確認すると、雑草に隠れて見え難いが、草を結んで足が引っ掛かるよう、人為的に輪が拵えてあった。よく地面を見ると、此処彼処に罠が張られている。そう━━━これは罠だ。植物はこんな不自然に点々と自らの枝葉を結んだりしない。
(此の山、誰かいるんだ。鬼……はこんな面倒なこと、しないよな。里人の賊対策?それとも追っ手の足止めとか……だったら隠れてるのは犯罪者?!怖すぎる!!いや、もしかしたらほら、悪いやつに追われてる可愛い女の子かもしれないよね?!そうだ、そうに違いない!これは俺が守ってあげないと!!よし、早く先に進もう!!!)
現実逃避しつつ立ち上がろうとして再び無様に転がった。ア゛━━━ッ!怪我したの忘れてた!!これはだめ!死ぬ!死んでしまう!!痛すぎる…っ!!せめて可憐な少女に出会ってから死にたかった~~
「だ、大丈夫か…」
「ひぇあうっ?!」
一人で騒いでいたら急に声を掛けられて縮み上がった。誰だ?薄暗くて相手の顔がよく見えない。若い男だというのは声で解る。それから身体音が━━━、
息を飲む。音が……音が、人の出す音じゃない。でもこの旋律は今まで何度も聞いている。俺の倒すべき相手……こんな状況で、出くわすなんて。
「怪我をしたのだろう。すまない、その罠は、俺が仕掛けたものなんだ」
相手は━━その、鬼は。俺と対して変わらない年頃の男の姿をしていて。伸ばしっぱなしの黒髪、市松模様の羽織、粗末な着物を来て、古びた葛籠を背負っていた。俺が恐怖と痛み、驚愕も合わさって身が竦み動けずにいると、彼は、葛籠を下ろしながらゆっくり此方に近付いてきた。
「薬がある…手当てさせてほしい。お詫びに。本当にすまなかった」
陰影から現れた顔立ちは、まだ幼さを残す円やかな子どものそれだった。大きな瞳、広い額、何故か火傷のような跡が目立つが、もしかしたら単なる痣かもしれない。両耳に特徴的な札のような耳飾りを付けている。眉は申し訳なさそうに下がったまま、俯きがちにおずゝと俺の側に膝をついた。
懐の雀がまた身動いだ。その動きは今回の標的が此の子どもだ、という事実を的確に認識させた。俺は静かに身を起こし、刀に手をやって、赤味がかった彼の視線を確りと捉え━━━
「!……ありがとう。信用してくれて」
刀を脇に追いやり、頷いて怪我を指し示した俺に、少年は火花が散るような明るい声音で礼を云った。彼の音は怖くない……鬼だけど、恐ろしくない。丁寧に薬を塗布する手つきが壊れ物を扱うかのように優しい。黙りこくった俺に、察しの良い雀はもう動かなかった。俺はよく人に騙される方だった。でも俺は、自分が信じたいものを信じることにしているのだ。
◆
竈門炭治郎だと、本名を名乗ることにした。俺を信頼してくれた相手を、俺が疑う道理はなかったから。肉体的損傷が異様な速さで治癒してしまう鬼の自分に、人の薬は必要ない。道中の路銀稼ぎに煎じた薬だが、作っておいてよかったと心から思った。
鬼になって活動するのにどうしても血肉が必要で、山の動物を狙うために仕掛けた罠に、人が掛かるとは思わなかった。里の者なら深夜にこんな山奥で立ち往生したりしない。彼(我妻善逸……偽名だろうか?だとしても文句を云う筋合いは、俺にはない)、善逸は、明らかに里人ではなかった。何の目的でこんな処までやってきたのか……彼が悪い人間ではない、ということは匂いで解る。けれど彼の刀には圧倒的な畏怖を覚える。近付きたくない…近付いてはいけない。だとすれば、きっと彼自身も、俺が近付いてはいけない人物なのだろう。
「…もう少し先に、俺の暮らす山小屋がある。よかったら、足が治るまで逗留してくれ、善逸」
「いいの?!あ、えっと、助かる、うん、凄く助かる!ありがとう炭治郎!!」
怪我をさせたのは間違いなく自分の不注意だ。少なくとも歩けるようになるまで数日、面倒を見てやるのが人としての礼儀だと思う。最近見つけた山小屋に彼を背負って連れてきた。借り物の塒だと、見抜かれなければいいのだが。
普段使っている薄縁に羽織を重ね、青白い顔の善逸に休むよう伝える。手当てはしたものの、患部は腫れてきていた。これから熱を持ってくるに違いない。体力は温存しておかなければ。それに…人用の食料は備蓄がなく、このままでは彼が飢え死にしてしまう。今宵は多目に狩らなければ。幸い秋口だし、獲物に苦労はしないだろう。
「炭治郎」
出掛けようとすると、背後から、か細い声が聞こえてきた。横たわった善逸はいかにも怪我人然とした弱々しさで、しかし気丈にも、笑顔で見送ってくれた。
「気を付けろよ……」
どくり。心臓が跳ね上がる。
「………うん」
慌てて外へ駆け出した。な、なん……なんだ、何だろう、これは……何故か言葉が出なかった……心が浮き立って、そうっと締め付けられて、苦しいような、でも、嬉しいような……?━━━どく、どく、心臓が鳴る。
アケビ、サルナシ、オニグルミ、ヤマノイモもあったっけ、掘り出せば結構取れるだろう、
━━━どく、どく、どく。
ムクノキはどうかな?ヤマボウシなら美味しく食べてくれそうだ、タラの芽とヤマウドでおひたしもいいな、それと兎か猪でも一緒に……
━━━どく、どくり。鼓動が止みそうにない。
「……ぜんいつ、」
心が、ほんわり暖まる。誰かに心配されたのは、もう二年ぶりのことだった。
◆
※なんちゃって序章である。
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