刀ステ感想というか妄想メモ。おもに三日月、鶴丸、山姥切まわり。みかつる視点。
観劇日は6/7、夜公演。
なにか気づいたら、都度、直したり付け足したりします。メモだから。
@3000_meters
※一度しか見てないので記憶違いも多々あろうし、顔の表情はあまり見えていないし(隣席の方はオペラグラス使っていた距離)、観劇後はあんまりよそ様の感想もあさってないので、いろいろぼんやりしている。
らいびゅまでに諸々整理しておこうという主旨の、近侍とみかつるメインメモ。
まんばくんが「何ものなんだ?」って三日月に鋭く問うシーン、一瞬「?」って違和感があった。文脈が見えないなあって。話を逸らすという感じでもなかったので。
この時、三日月がまんばくんに語っていたのは、畑の世話をするものと畑の野菜について。
まんばくんを前者、小夜くんを後者になぞらえ、近侍として気負いすぎて空回っているまんばくんにヒントを与えようとしていたのだと思う。野菜自身の力を信じて見守ることも大事だぞ、と。お話の登場人物は山姥切と小夜です。
けど、そこでまんばくんは「あんたは」と突然(突然と見えてしまった)、三日月に矛先を向けた。勘違いなのか、意図は伝わっていたけどそこに違うストーリーが重なって見えてしまったのか(のちの小夜くんに対する態度の変化をみると、あとの方かな、って思う)、ともかくも、まんばくんには登場人物を三日月とする思考の道筋があった。
世話をするもの=三日月、野菜=この本丸、という構図が浮かんだんだと思うんですよ。今まで同じ畑の野菜同士だと思っていたのに、ふと、三日月の視点が畑を俯瞰していることに気づいてしまった。だから、「この本丸をどうしたいんだ?」という問いが生まれる。
まんばくんは聡い。だてに近侍はまかされていない。ただ、ここまで三日月に迫りつつも、まんばくんはあくまで疑問は疑問として胸におさめ、野菜畑の内側(三日月の手のうち)にとどまるんですよね。このあと彼は、三日月にアドバイスされた通りに、まるで(虚伝でのまんばくんに対する)三日月のやり口で、小夜くんの鬱屈を晴らそうとする。
これと対照的なのが、その前に三日月さんと対峙した鶴丸さん。
まずはっきりと違うのが、まんばくんの疑問は偶然の気づきのうえに成り立ってた(と感じた)けれども、鶴丸さんは、意図的に論点をそっちにもってってるように見えたこと。
初っ端から「大変だなあ、山姥切の心配云々」といきなりかまをかけて、「みんなのことを心配している」と、「世話をするもの=三日月、野菜=この本丸」の構図を三日月自身の口から引き出しているのが、もう策士。老獪。
ただし、言わされた三日月さんのほうも、鶴丸のことも心配している、とバッサリ斬り返している。(鶴丸も野菜のひとつ、みんなと同じ、と釘を刺しているんじゃろ、コレ。自分と鶴丸さんのあいだに線を引こうとしている)
そんな三日月さん相手に、天より驚かせたいものはあんただと言ってのけたのは、俺は野菜側にはとどまらないぞという宣言に他ならないでしょうよ~!
あんたばかりが畑の外だと思うなよ、俺を野菜だとばかり思うなよ、ということでしょうよ~!
鶴丸さんの鶴丸さんたるゆえん! 鶴丸国永の越境属性! そして三日月宗近のメタ視点! この鶴丸と三日月の解釈どんぴしゃだ! となったポイントですよ、オエェェ…みかつる…
「骨が折れるぞ」と冷たいおっかない声で言い放った三日月さんが、ここで鶴丸さんの宣言をどのていど真正面から受け止めたのかは、わからない。考えてもわからない。でも、軽く流すことはできなかったんだよね、と思いたい。鶴丸さんのちからを重く見たからこそ牽制する必要があったと思いたい。
…んだけど、身の程わきまえろくらいの冷たさでもいいし、無意識に天然に、同じところに立てるものがいるわけないと思い込み過ぎているゆえの、へ?
何言ってんの? という無理解の溝でもいいと思うんだよね~。溝~。
いずれにせよ、鶴丸さんはひるまない。どころか、同じ地平に立ってくれって言いました。驚かせるから、驚かせてくれ。あくまで、50/50をのぞむ、と。
……。……。オエェェ…。
ちなみに、「天よりも」と鶴丸さんは言ったわけで。つまり鶴丸さんにとっては天を驚かせるほうが易い、ということなのでは? となってしまうのですよ。
虚伝のとき、「天だよ!」って言った鶴丸さんを見て、それ三日月さんのことデスヨネ~と暢気に萌えたみかつる脳だが、鶴丸さんにとって三日月さんって天のさらに上なんだってさ。外側なんだってさ。へー、ふーん。ほー。
(まあ、「天」の意味するレベルも修正だな。天=この世の摂理、って思ってたんだけど、天=知覚しうる限りの最遠、くらいのとこに。その外側が三日月さん)
ここでいきなり図を書く。
きったないので後で書き直すかも。まあ自分がわかればよい。

これは、虚伝を最初に(初演のライビュ)見たとき脳裏に浮かんだ構図です。
真ん中に「信長(信長像)」、それを取り巻く織田刀たち、それを見守る本丸のものたち(特に近侍の山姥切)、さらに外側の三日月(三日月と本丸の橋渡し役となる境界線上の鶴丸国永)。
信長の上には月が浮かんでおり、「織田信長は何者か」という問いと、三日月-山姥切軸で展開された「月の心」の話が対応する。信長と月はほぼ同じような意味を持たされており、相互に位置を入れ替えてそれぞれに向けられたセリフを浴びせても、成り立つように思える。
(この月の見立てを示したお話のEDで、月にも見える白い傘にかたなたちの名を黒々と記し、客席からの「思い」を受けさせるのが、ものすごくえぐい演出だな~とも思ったのだった。2205年に向けてつくもがみの根拠を集めているようでもあるし、それを握って立っている役者さんたちは、ひとの欲望を受けて立つ仕事を選んでいるひとたちでもあるので)
あっ、そうそう、ここでのみかつる萌えポイントは、本丸よりさらに外側に立つ三日月さんと、境界線上を行き来する鶴丸さんです。繰り返しそういう話(妄想)をしたのを覚えている。
対して、義伝。実は、虚伝とのいちばん大きな違いは、三日月さんが明確に「語り手」としてふるまうことだと思っているんですよね。冒頭でも、休憩明けの二幕頭でも、「語るとするか」と言っている。わたしの観た回はログボ担当も三日月さんだったのでさらに倍率ドン。
暗示されてるとかわたしの妄想とかでなく、本当に三日月さんが世界の外側に立っている…(くらくら)
とすると、三日月さんの位置ってここなんじゃないの? という図。さらにきったない…。

虚伝で見上げられていた月の位置に三日月さんがいて、すべてを見ている。
「月から見た地球」ってどなたかも仰ってました。
今のところ1度だけ見た時点での感想としては、虚伝に比べて話が散漫な印象あるんだけども、同心円でないものを上からの視点で語ったなら、それはそうなのかな、という感じ。
虚伝から引き続きのテーマは、物語を引き受けること、で、義伝のテーマは、強さとは何か、ってことかなあって、今のところぼんやりと思っている。小夜の悩みでもあるし、小夜から見た伊達刀のことでもあるし、黒甲冑の存在でもあるし、忠興と政宗の意見の相違、小十郎の在り方のことでもある。歌仙の立ち方、大倶梨伽羅の立ち方、鶴丸さんの立ち方、山姥切の立ち方、などのことでもある。
いろいろ、演技の変わってゆくところなどもあるだろうし、このへん、ライビュでどう印象が変わってくるのか楽しみです。
ところで古語で「驚く」には「目が覚める」の意味もあるんですけども、ステのシリーズがすべて三日月宗近の千年の夢であり、その目を覚まさせるのが鶴丸国永、という妄想もたいへんおいしいのではないかと思います。
そうそう、観劇直後には、三日月さんが長門有希のようだと思っていた。帰路で、消失じゃん…と口走ったもん、たしか。のちに厄災の主因となるものが、自分の意思では避けられないそれへ対抗しようとしている、そのためには時間さえ飛びこえる。
でも、三日月さんが月の位置からの語り手だとするならば、「試練」の主因が山姥切というのもありそうだなあ、と思い始めているところです。この場合、三日月さんはそもそもこの本丸の所属でない(本丸に対して完全に外)としても筋が通るんだよね…
(そうすると、あちこち渡り歩いてきたおかげで特に拠って立つところがない、うつろを抱えている(意訳)と語った鶴丸さんとのあいだに、ある種の相似が生まれるところがあって、それもまたおいしいのであった…)