@nainieymugen
突く。払う。回して、振り下ろす。
「55。56。57」
捌く。避ける。崩して、叩く。
「122。123。124」
カウントが増える度に、体に鈍く硬質な痛みが走る。しかしその痛みに怯めば、今度は体勢を崩され、ひっくり返される。はたき落とされた棒に飛びつき、頭上に持ち上げて振り下ろされた木刀を弾き、そのまま振り回すように殴り掛かる。しかし不安定な姿勢から繰り出された攻撃はいとも容易く避けられ、バランスを崩した従僕は思わず杖から手を放し、地面に突く。
「125」
重心は地面に落ち、両手は塞がっている。無防備になった顔に、容赦なく木刀が振り下ろされた。
***
「すまない、力加減を間違えた」
「いえ、お気になさらず。……っ」
従僕の勇者の右頬には、大きく青痣が広がっている。軍師の勇者は木刀を収めると、痣を見分し、従僕に向き直った。
「今日はこのくらいにしておこう。それは早く冷やした方がいい」
「分かりました、そうします」
「始めたばかりの頃よりは、動きの鋭さが続くようになってきている。その調子で、体力作りを怠るなよ。そして、不安定な体勢から攻撃するのは隙を増やすだけだ。確実に当てられる状況でなければ、狙うべきではない」
軍師は淡々と、従僕の戦闘を分析する。従僕はそれを真面目な顔で聞き、しっかりと頷いた。
「ありがとうございました」
「うむ」
神殿の入り口まで軍師を見送り、従僕は普段の仕事に戻った。
***
目を覚ます。
目に入るのは、見慣れた白い天井。自分の部屋ではない、女神の間だ。
そっと起き上がり、頭を振って記憶を探る。自分は今度は、一体どうして死んだのだったか。
「……ああ、そうだ」
街に買い出しに出かけたはずだった。そこに、強盗が現れたのだ。平和な国だが、訪れる旅人が多いせいで、必然的に犯罪も増える。路銀が尽きた旅人や、国を追われた犯罪者が凶行に走る事は珍しくもない事だ。その強盗も、そんな一人だった。
従僕は、自らの命を以て強盗を取り押さえた。ナイフをわざと自分に突き刺させ、武器を奪った上で組み伏せたのだ。当然ナイフが刺さった状態では、動けば動くだけ体の中身はずたずたになっていく。しかし彼は、それよりもナイフを抜く事で大量の血液が店内を汚す事を心配した。
内臓が傷付く感覚を思い出し、服の上からナイフが刺さっていた場所を撫でる。そこには傷も、わずかな痛みも残っていない。
「……よし」
立ち上がり、服を整える。確か、今日の午後は軍師さんに稽古をつけて貰う日だったはずだ。彼は杖と荷物を拾い上げると、急いで神殿へと戻って行った。
***
突く。回す。振り下ろす。
棒の取り回しにもだいぶ慣れて来ただろうか。伝わって来る重さと手ごたえから、棒のリーチをある程度推測できるようになった。軍師が来るまでの間、こうして一人で取り回しの練習をするのは習慣のようなものだ。
「励んでいるな」
遠くから声がかけられる。
棒を振るうのを止め、従僕は軍師に駆け寄る。
「軍師さん、お待ちしておりまし…た…?」
従僕の足が止まった。
代わりに険しい顔の軍師がつかつかと従僕に迫ると、その胸元を掴んで顔を引き寄せる。従僕の頬を指で撫で、そこに無いものを確認し、表情が強張る。
「先週。……先週の時に与えた傷は、一週間で治るようなものではない」
声はあくまで冷静だが、そこには隠しきれない激情が孕まれている。予想外の反応に当惑する従僕を静かに見据え、軍師は言った。
「……お前、死んだな?」
鋭い視線が従僕を射竦める。思考を読む事すら躊躇われる程の真剣な表情に、従僕はなんとか返事を絞り出すので精一杯だった。
「……はい」
「そうか」
突き放すように従僕を解放すると、軍師は腰に差していた木刀を抜き、投げ捨てる。
代わりに、同じく腰に差された剣を抜いた。
「……さあ。訓練だ。"いつもと同じように"」
従僕に剣を突きつける。
「……死ぬ気で避けろ。死んだのなら出来るだろう?それとも。私にお前を殺させるつもりなのか?」
その顔には、もはや表情らしい表情は無い。従僕の無表情とは違う、冷静で冷酷な『軍師』
の顔だ。
「かかってきたまえ」
従僕は棒を握り直すと、重量を乗せて振り下ろした。
避けられた後を追うように振り上げ、それが外れれば短い側の端で突きを繰り出す。体重をかけた突きが外れた隙を、軍師が見逃す筈もない。
「1」
剣が閃く。
棒を体に引き寄せ、棒ごと転がるように回避する頭上を刃が掠めていく。起き上がった従僕は、再び棒を構えて殴りかかる。
「2」
僅かに引くのが間に合わなかった腕に、小さく痛みが走る。木刀であれば痛みすら残らないような当たりだ。いつもと違う鋭い痛みに、ほんの一瞬動きが止まる。
だが、止まる事はない。無心に棒を振るい、カウントが増える度に少しずつ傷が増えていく。
訓練の段階を上げるだけの話だと思った。しかしこれは、何か様子が違う。
腿に痛みが走る。腕から血が流れる。耳元を冷たい金属が掠めていく。
その度に、何か妙な感覚が背筋を走る。
疲労と痛みで、段々と頭が動かなくなる。それはいつもの事だ。違うのは、働かない頭で考える事だった。
いつもはただ当てる事を、棒を振るう事だけを考える。しかし刃を前にして残るのは、いかに避けるか、防ぐかという事だ。たとえ脳で理解できなくても、体が刃を避けようと勝手に動く。
「93」
手の甲に切り傷が走り、思わず棒を取り落とす。それを拾おうと体勢を崩した従僕の眼前に、冷たい刃が迫る。
「94」
自分の表情が崩れるのをはっきりと感じる。
目の前、ぼやけるほど近くで止まった刃を前に、従僕は思わずへたりこんだ。
肩で息をする従僕を見やり、軍師は剣を収める。
「……2度と。こんな事をさせるな」
覇気の薄れた声が落ちて来る。深く被り直した帽子の下の表情は、影になって伺う事はできない。
何か言わなければならない。しかし、上手く思考がまとまらない。ぼやけた思考とあちこちに残る痛みの中から、1つの言葉が自然と口を突いて出た。
「……ごめん、なさい」
軍師は、僅かに表情を緩める。
「分かればいい」
立ち去る軍師の背中を見送り、従僕は考え込む。
軍師は怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。状況から考えて、自分が死んだ事が理由だろう。しかし、軍師が何故自分が死んだ事を悲しむ必要があるのだろうか。訓練を受けているにも関わらず負けた事を怒るならまだしも。
「……ごめんなさい」
なぜ自分はそんな事を言ったのだろう。口にしてみると、妙に胸に引っ掛かるものがあるように感じる。
分からない。
分からない事だらけだ。
軍師が帰るのを見たのだろう、遠くから神父の呼ぶ声がする。
痛む体を叱咤して、その声に答えるために従僕は立ち上がった。