@raixxx_3am
「ごめんね、やっぱりご飯食べて帰ることになりました。先に済ませておいてください」
スマートフォンに届けられたメッセージを前に、ふ、とちいさく息を吐く。
予想通りの展開なので、とやかく言うつもりは勿論ない。ならばこちらも手軽に済ませよう。ちょうど冷凍庫の整理もしたかったところだし。
ストック済みの食材の中から一枚ずつラップに包んでおいたチヂミを取り出しながら、数日前に交わしたやり取りをぼんやりと反芻してみる。
仕事上のつきあいがあることくらいはいくらでもわかっているし(なんせ、こちらとておあいこなので)いまさらとやかく言うつもりはない。
快く送り出せるか否かを問われれば、話はまた別だ。
「ルポライター?」
「うちの広報誌で連載してもらってる人なんだけどね、結構評判よくて。今度特集記事にもゲストで出てもらおうかって話になってて、その打ち合わせ。夕方からなんで近くの喫茶店でって話になってるんだけど、もしかしたらこの後〜ってなるかもしんなくて」
「初対面?」
「や、会社でいっぺん。なんかね、そん時に気に入られたっぽくて。瀧谷さんのご都合はいかがです? って指名されちゃって」
まんざらでもなさそうにくしゃり、と得意げにほほえむ姿に、胸のうちは無様にざわめく。
「つまんない? そんなに」
くるくるとよく動く瞳が、じいっとこちらを捕らえる。
面白いか面白くないかと問われれば言わずもがな、ではあるけど。
答えられずに口ごもるこちらを前に、追撃の言葉は続く。
「じゃあ心配?」
「別に、」
心配なんてする必要ないと確信しているだなんて、思い上がりだと言われても仕方あるまい。
「お土産買ってきてあげるから、いい子で待っててね」
瞳を細めながらくしゃくしゃと頭をなでられると、子どもじみたそんな仕草に反して、さわさわと心の根はあっけなく揺さぶられてしまう。
わかってやっているあたり、忍はいつまで経ってもほんとうにたちが悪い。
忍の仕事相手だという彼女の綴るコラムは、周も目を通していた。
私小説風の語り口で綴られる、実在のレストランを舞台に男女の駆け引きめいた洒脱なやりとりが繰り広げられる文章は都会的な洗練と鮮やかさに満ち溢れていて、清冽でありながらどこかしら艶かしさを身に纏っているのが特徴的だった。
文学への専門知識も美食への拘りも、どちらも持ち合わせていない周にもどこか一際きらりと光るようなエッセンスが感じられるのだから、見識のある人間にしてみればより感じ取れるものはあまたあるのだろう。
朝方目にした恋人の姿を、ありありと思い返してみる。
いつもよりもどことなくかしこまった装いに身を包んで、恐らくいまごろはこのコラムに出てくるようなこじゃれたレストランで、そこに相応しいような女性とふたり。
もしかしたら今夜のことだって、虚実交えながら彼女の綴る「物語」になるのかもしれないし。(それがいいのか悪いのか、なんてとやかく言うつもりはないけれど)
(何がそんなに気に入らないんだか、まったく)
自分の狭量さに改めてほとほと呆れながら、温めたチヂミに箸をつける。
ほら、ちゃんと美味しい。それならまだ大丈夫だから、きっと。
「すみません、お待たせしました」
「お気になさらずどうぞ。瀧谷さんこそ、大丈夫でしたか? この後ご予定でもおありだったとか」
一通メールを送りたいから、と席を外してかけられた一言がこれだ。
「いえ、特には」
にこりと取り繕うように笑いかければ、たちまちに投げ返される言葉はこうだ。
「じゃあ待ってくれる人が居るとか」
「恐らくは」
はぐらかすような物言いはあまり好きではないけれど。まぁ、少しくらいは。
ぱち、と微かなまばたきののち、目の前の彼女は答える。
「じゃあ行きましょうか、この近くにおすすめのお店があるんです」
「場違いじゃなければいいんですが」
「どんなおおげさな場所をご期待ですか」
声を立てずひそやかに笑うのに合わせて、ほっそりとした手首に嵌められた華奢な金の鎖がさらりと揺れる様を盗み見るようにする。
はてさて、連れてこられた場所はといえば、思いもよらないセレクトだった。
『気取らない店』だなんて言っても、てっきり「お箸で食べるイタリアン」の類だろうとは思っていたので。
「柚子塩鳥だしラーメン、麺は硬めで」
「あっさり醤油チャーシュー麺、硬さは普通で」
「サイドメニューいります? メンマとねぎは取り放題ですよ」
「えっと……正岡さんって内臓系大丈夫です?」
「大好きです」
「じゃあモツ炒めを」
「あと、もやしナムルもお願いします」
てきぱき、と注文をする姿を、どこか呆けたような心地でぼんやりと眺める。似合わない、と言いたいところだったけれど、存外さまになっている。
「次郎系とかの方がよかったです? もしかして」
ちら、とこちらを覗きこむようにしながらかけられる言葉を遮るように、すっと首を横に振り、忍は答える。
「学生の頃は付き合いで何度か行きましたけど、なんか気が済んだっていうか。ある意味テーマパークみたいなもんでしょ、あの手の店って」
「縦に伸ばせばいいって考えは安直ですよね」
小奇麗なカフェ風の装いの落ち着いた雰囲気の店内や、あの手の店特有の暑苦しさを感じさせない店員の態度を見れば確かに「相応しい」場所には見えるけれど。
肩をすくめるようにしながら、忍は尋ねる。
「てっきりイタリアンとかフレンチとかその手のこじゃれたお店が行きつけかと思っていたので」
正直な意見を手身近に述べれば、くすくすとかわすような笑い声を立てながら告げられるのはこんな一言だ。
「行きますよ、ラーメン屋も吉野屋もマックもサイゼリアも小汚い中華屋も。サイゼもちょうどさっき目の前にあったので、少し悩みましたけど」
あからさまな冗談だと分かる一言に、それでも胸の奥をくすぶられるのを抑えきれない。
「ムール貝と青豆サラダは欠かせないですよね」
「プロシュートとグリルソーセージも。ワインにもよく合いますよ」
「なんなら、今度はサイゼ呑み特集でも組んで見ましょうか」
「いつもよりもよっぽど評判になったりして」
口元を隠すようにしながら声を立てずに笑う、一連のその仕草の滑らかさや、角度によって光の下でかすかにきらめくパールベージュを灯した指先を、素直に美しいと、そう感じる。
「たーだーいまー」
つけっぱなしのバラエティ番組の男女のはしゃぐ声に混じって届く聞きなれた声に、引き寄せられるままに玄関へと向かう。
「ただいま周、いい子にしてた?」
「おかえり、早かったな」
戸惑いを隠せない様子のこちらを前に、すっかり見慣れた満面の笑顔でかぶせられる答えはこうだ。
「十時からのドラマ見たいからって言ったら、じゃあ早めに解散しましょうかって」
「……おまえなぁ」
冗談だとわかっていても、それはどうなんだか。
苦笑い混じりに答えれば、得意げな笑い顔とともに告げられるのはこんな返答だ。
「お土産買って来たよ、フルーツタルトね。周好きでしょ、まだあんまし遅くないしお茶入れていっしょ食べよ。あ、先にお風呂はいっていい?」
「おう」
答えながら紙袋を受け取るようにすると、ちいさく「ありがとう」の言葉が返される。
「ね、いっしょ入ろっか?」
「………もう入ったから」
「けーちー」
わざとらしくつまらなそうに頬を膨らませて告げられる言葉に、ばかみたいにさあっと胸の奥を高鳴らされるのはいつまで経ってもわからない。
まったく、忍はいつになってもたちが悪い。
――それでもちっとも構わないと思ってしまっているあたり、なんといえば良いのやら。
「面白い人だったよ」
カフェオレとぴかぴかに輝くフルーツタルトを挟んで告げられる本日の『顛末』の第一声はそれだった。
「話し上手で聞き上手ってああいう人のこと言うんだろね。なんか気づいたら色々喋ってて、仕事だってこと半分くらい忘れてたかも」
「へぇ」
シロップでつやつやときらめく日向夏を金のフォークで口元へと運ぶかたわら、恋人は続ける。
「作家さんていろんなお話が頭の中で同時進行してるんでしょ、それってどんな感じなんですかって聞いたらさ、脳内にシェアオフィスがあってそん中でいろんな企画会議が同時進行してるから時々顔でも出すかって、テレビのチャンネル変えるみたいに切り替えて様子見に行ったら時々自分じゃ手に負えない事態になってて、どうにか収集つけるために駆けずり回る感じだってさ。面白いよね。降ってくるっていうあれですかって聞いたんだけど、ラジオのチューニングみたいなのを合わせる感じなんだって」
「想像がつかないな」
「ねー?」
ニコニコと笑いかける顔を前に、緩やかに瞳を細めてみることで応えてやる。
自分の人生(らしきもの)だけで手一杯のこちらには想像もつかない話ではあるけれど、想像上の他者の人生に介入するだなんて、考えただけで手に余るような話だ。
「どんな仕事も創造的で、対話から生まれるものだっていうのは言ってたけどね。料理なんかはその最たるものだし、食べることは一番原始的なコミュニケーションな上に、日常生活にも組み込まれてるものでしょ。だから興味があるし、掘り下げる価値がある永遠のテーマだと思ってるんだって」
さすが作家先生。目の付け所が違うと言うのかなんと言うのか。
自分用の日記すらつける気にならない、自分の奥底に眠るものを形作ろうとはなかなか思えない周には想像もつかない話だ。
それを直に耳にした忍が「面白い」と素直に感じるのは当然のことで。
「で、思ったんだけどね」
にっこりと得意げに笑いながら、忍は続ける。
「だったらさ、俺も周もほとんど毎日いっしょにご飯食べて毎日こやっていろいろあったこと喋るでしょ? それって、言葉だけじゃなくていろんなものぜんぶでおしゃべりして分かち合ってるってことだよね。そういうのが巡り巡って俺と周の体とか心のぜんぶになってるんだよね。なんかさぁ、良いなぁって思うよね」
答えながら、金のフォークに突き刺されたいちじくのタルトのひとかけらがこちらへと差し出される。
「はい周、アーンして」
「……なんだよ」
不服そうに答えるこちらを前に、忍は続ける。
「だってほら、おんなじもの食べてたら細胞とか血の成分もおんなじになって、おんなじ体になるでしょ」
如何にもな「らしい」言い分に、うわずった胸はさあっと高鳴る。
「じゃあおまえも食べる、これ」
手元の日向夏タルトの皿をずい、と差し出せば、返されるのはおなじみの得意げな満面の笑顔で。
「順番だよ、順番。まず先にこっち、ね?」
渋々と目を閉じながら口を開けて見せれば、さっくりと上品なタルト生地に覆われたやわらかでみずみずしいいちじくの風味が口の中いっぱいに広がる。
今度は周も一緒にどう?
ささやくような柔らかさで誘いを告げられたのは、ベッドに入ってからのことだ。
「今度は恋人もご一緒にいかがですかって、帰り際に」
「男連れてきてどうすんだよ」
悪い冗談と受け流してくれればともかく、何かしら言いふらされでもしない、とは限らないわけだし。
「だいじょぶだってー、ね? 正岡さんそんな人じゃないよ。恋愛に優劣つけるようなナンセンスな人間ほど軽蔑する相手はいないって言ってたよ」
「……どんな話してきたんだよ、おまえ」
「会ったらわかるよ、周も」
どこか意味深にほほえむ姿を前に、返事をする代わりのようにするりと頬にかかった髪をなぞる。
……楽しみなような、そら恐ろしいような。
「楽しみだね、ほんと。周のこと紹介したらさ、やっぱびっくりするかな? でもきっと良いねって言ってくれるよ」
「なんでわかんの」
「わかるもん」
ゆるやかにほほえみながら告げられる言葉に、波打つ胸はますます高鳴るばかりで。
ほら、やっぱり忍にはいつだって叶うわけなんてあるわけもない。でもそんなあたりまえのことが、こんなにもうれしい。
なにやら楽しい時間を恋人にくれたようでありがとうございます。もし会う機会があるというのなら、その時にはどうかよろしく、と。
まだ見ぬ相手を思いながら、夜のしじまへとぬるい吐息をそうっと吐き出す。
かすかに触れ合った互いのぬくもりはこらえようのない愛おしさで繭のようにふたりを包んだまま、ふたりきりの夜は今宵もこうしてしめやかに更けていく。
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