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「踊る阿呆」試し読み

全体公開 7744文字
2017-10-02 22:26:29

10/28(土)Text-Revolutionsで発行予定の小説です。雀荘でバイトする大学5年生の主人公が、雀士で50歳男性独身の魔女のちからでツキノワグマに変身しちゃうお話。

Posted by @Okwdznr

「踊る阿呆」試し読み
10/28(土)Text-Revolutionsで発行予定の小説です。

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(本作はリストに掲載されておりません)


[あらすじ]
休学中の大学5年生、三熊拓磨(みくまたくま)は、雀荘のウエイターを始めた。店で出会った打ち子の"奥さん"は、魔女だという? 奥旭日(おくあさひ)さん、みんなから奥さんと呼ばれており、ビルの屋上に住むつかみどころのない50歳。奥さんはしばしば寝ぼけて、拓磨をツキノワグマに変えてしまう……
自分の顔しか好きじゃない男が誰かをちゃんと好きになることができるのか、みたいなお話です。

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「踊る阿呆」

  一 

 奥さんは雀荘で働いているが、麻雀のウデはそこそこだと謙遜した。牌をみがくのがとても上手く、こちらについては堂々胸を張った。洗牌という作業だ。枯れ枝みたいな手が牌の列をくるりとまわし、リズミカルに拭いてゆく。固く絞ったおしぼりと乾拭きのふきんで手早くすみずみまできれいにした。几帳面だと思った。
「ひとの手が触れるものだからね」
 奥さんが言う。きちんと拭いておかないと脂が残ってしまって卓でうまく混ざらないらしい。
「それに、ちょっとでもべたべたしていたら気持ち悪いでしょう」
 なるほど、勝負師たちはみな神経質だ。いらっしゃいませの声かけだって、おれたちは控えめな声でおこなう。お客の邪魔にならないよう気を使う。
 まとわりつく風には潮が混じっている気がした。どぶくさいからそう思うのかもしれない。夏だというのに雨が多く野毛の町はそこかしこじっとり濡れている。横浜市中区野毛町は黒ずんだ雑居ビルのひしめきあう街で、おおきなカーブをえがく川沿いにちいさな飲み屋が軒をつらねている。坂のうえには動物園がある。
 湿気でうまく牌を扱えないとき、奥さんは卓の内側や牌にベビーパウダーをまく。こうしておくといくらか良くなるから、と笑った。
「おまじない」


 奥さんは魔女。いや男性だから魔女とは言わないだろうか? でもやせた身体に黒い服が似合うし、夜毎おれを魔法にかける。奥さんの長い指からベビーパウダーがふわっと香るたび、おれは赤んぼになってしまう。まぎれもなく魔法だ。
 奥旭日さん。おく・あさひという変わった名前で、みんなから奥さんとか奥様とか呼ばれている。苗字がそうというだけで誰の配偶者でもない。五十歳。やわっこい髪は白髪が混じる。ひとりでビルの屋上に住んでいる。プレハブの塔屋だ。雀荘のすぐ上で、職住接近だと奥さんは肩をすくめた。
 ビルにぽこんと乗っかった箱みたいな部屋は夜になると波音がきこえた。
「波じゃないよ。これは車の音」
 奥さんがささやく。塔屋はビルの六階にあたる。知ってる。行き交う車が水たまりをはねかし、さざなみのようにきこえるのだと言いたかった。が、言葉はもつれた。眠い。
「この部屋は海に浮いているようなものだね。船かもしれないし潜水艦かもしれない。港が近いから、ほんものの汽笛がきこえることもある。でも風向きや何かがうまいこと作用しないとむつかしい。正月の三が日の晩なんかはこのあたりががらんとするから届くかもしれない。寒くて乾いてみんな冬眠しているみたいでね。でもいまは八月で日も暮れきらない、ねむっているのは赤ちゃんだけだよ」
 赤んぼになったおれは、にせものの波とそれにかんする奥さんのおしゃべりを子守歌にしてねむった。奥さんの手がおれのまぶたの上に置かれる。目隠しだ。ごく軽い力だがまぶたが圧迫されて、気持ちいい。やせているから血の管があおく浮いている。目を閉じていてもどんなだかわかる。それならおれだって魔法がつかえる。

S
 
 おそらくはおでんの出汁割のせいだった。出汁割とは焼酎をおでんの出汁で割って飲むというしろもので、絶妙なぬるさと塩気によってぐいぐいすすんでしまう。数杯飲んでも千円足らず、あっというまにべろんべろんだ。野毛の街は良心的な価格で客を二日酔いにエスコートする。おれも例にもれなかった。
 どうしてそんなに飲んだんだっけな。動機はない。たぶん場の流れでしかなかった。
 なにしろ昼間はちん毛を抜いていただけで半日終わってしまった。どうも生えかたが不格好な気がした。はさみで切って整えてもよかったが、いっぽんにほん、抜いてみたら面白くなってしまった。あらためて股のあいだをていねいにさぐってみると、妙な位置から生えていたりへんに太くて縮れているものがあったり、なかなか興味深い茂みだったのだ。きんたまのふもと、ひとつの毛穴からヒジキみたいに太いものが三本も生えているのを見つけたさいは宝物を見つけた気分だった。たしかにわりと毛深いほうではあるけれど、にしたって、立派すぎる。じゃまなものをぷちぷち抜いていった。けっこう痛いのがやみつきになった。顔や身体を自分の気に入る状態に保つというのは大事なことのように思える。いつどこでパンツを手放すダンスになるかわからない。胸の毛の生えかたや、へその下の毛がうっすらちん毛につながる感じはわれながら気に入っている。毛の根元、白色の球が大きいものをアタリとし、なかでも縮れ具合とのバランスをみてゲージュツ的だと認められるものをティッシュに並べた。一ダース集まったあたりで急にばかばかしくなった。バイトに行く時間だった。
 雀荘わかばでウエイターを始めて一週間が経とうとしていた。


「拓磨くん、まさか大三元いけると思った?」
 カウンターに戻るなり店長が言った。あ、やっぱり見え見えだったか。女流プロと打てる店とみずから看板をだす店長はその日も口紅が濃かった。
「小三元トイトイで狙ってましたけど、もしかして化けるかなと思ったんですよね」
「ばか。ふたつ鳴いちゃったんだから来るわけないでしょ」
 ここぞとばかりに強気で攻めていた。アガリの回数が多くたって点棒を集めねば勝てないのが麻雀だ、いけそうな目があったら思い切って突っ張ってやれ。とはいえ気持ちが前のめりすると見切りをつけるのは難しい。アッサリほかを見過ごしてしまった。周りのペースが速いのにも焦った。やはりスマホアプリとは勝手がちがう。つまりおれはまるきり初心者で、こんな雀士のまねごとをするレベルではなかった。
「さすがに本走は厳しいか。ま、これも勉強ね」
 本走とは客の人数が合わないときに卓に入って打つ仕事で、打ち子とかメンバーさんとか呼ばれる。
 雨が続いて店がすいていたため、店長が退屈しのぎみたいにおれに本走をやらせた。常連さんに勉強させてもらいなと言って、ゲーム代は店長が出してくれた。半荘二回、当然ボロ負けしたが、軽く頬をつねられただけでゆるされた。へったくそ。セックスのさいも店長はおれの胸毛をひっぱりそう言った。ちゃんと数回いってくれたあとでのふざけた言い草だったから、落ち込みもしぼみもせず、むしろ甘えられた。
 いきなりおれを突き出したのは、打ち子の奥さんがまだ出勤していなかったからというのもあったろう。
「なんかマンガとか映画みたいですね、けっこう緊張しました」
 店長はケラケラ笑った。
「図太い。これだから顔のいいワカモノは」
 大学五年生になってしまった。とくにこれといって何もしていなかったが(いや、だからか?)単位という単位を取りこぼした。親不孝ついでに一年休学することにし、せっかくだからなにか変わったバイトでもやってみようと思った。夏だし、海の家とか面白そうだよな、金が貯まったら留学かバックパッカーでもやってハクをつけたらいいかもしれないな。
 いや、デタラメなワガママだということは自覚していた。けれども親の反応がわりとあっさりしたものだったので悲壮は失せてしまった。というのも父親が宝くじで百万円当てたのだ。百万円は人生を変える金額ではないが、おれの学費にはなった。ヨノナカってうまいことできている。
 そうしてクラブで踊ったり遊んだり道玄坂をうろついていたら、顔見知りの歳上美人にスカウトされた。横浜の雀荘で雇われ店長をやることになったの、若い男の子のウエイターを探しているからヒマなら来ないか——。上手すぎるDJのプレイングみたいに唐突な誘いだった。
「横浜は遠いっすね。家、池尻大橋なんです」「じゃあ中目から東横乗ればいいじゃない?」「おれ、麻雀って強くないですよ」「いいの、顔採用だから」。
 美人に言われると悪い気はしない。とりあえずその晩パンツを手放し相性のいいことをたしかめあい、生まれてはじめて他人の足裏で射精し、裸単騎、次の日には黒いチョッキに蝶タイを締めていた。「夏のあいだだけ、海の家だとでも思って」。たしかに。ドリンクを出しレトルトのカレーをよそい灰皿を交換し、やることは浜辺のそれと変わりない。ジャラジャラうるさいのだって波音みたいなものだろう。髪やピアスを好きにしていいのもよかった。
「でも様子みて代走には入ってもらうね。きみみたいな若くてでっかいイケメンが打ってると景気良さそうでいいね」
「おれってウエイターじゃなかったんですか」
「雀荘のウエイターなんだから代走もやるに決まってるでしょ」
 あっ、そうなんだ。きいてなかった。いやきいたかもしれないけどあたまに入ってなかったな。おれはそんなことばかりだな。
 そういえばいつだったか、悪友のYにも言われた。「三熊拓磨、きみはびっくりするほど忘れっぽい」。ちがう、おまえが執念深い女なんだ。とは言ったっけ、言わなかったっけ。Yとはしばらく会っていない。社会人一年目と休学中の五年生とでは生活リズムが異なるから仕方ない。のか? 
「振り込まないように気をつけてくれればいいよ。いないあいだの卓はお客さんに見えないから、無難に打つのが大事だからね」
「や、それが難しいんじゃないですか」
 トイレだとか電話だとか、客が席を外しているあいだ代わりに打つのが代走だ。ゲームが止まらないよう客に頼まれ留守をあずかる。打つのは短い時間だが、上手い代走は客の打ち筋を意識しておこなうらしい。もちろんおれにそんな芸当はできない。
 わかばの客はおっさんやじいさんばかりでわりあい気のいい人たちだが、やはり雀荘に来るような輩なのでクセは強い。レートの低い店だから暴力団みたいな人はほとんど来ないとはいえ、おれみたいなシロウトでも務まるものだろうか。
「大丈夫大丈夫、奥さんにでもコツを教えてもらいな」
 店長は軽い調子で言い、缶コーヒーを寄越した。160円の高いやつだ。うれしくなった。まあいいや、代走はおれの給料で打つわけではない。失敗してもせいぜい客に怒鳴られるだけ、金も命もとられまい。
 ひとの指示に従うのは面白い。おれのあたまや身体がおこなうことなんて限られているのだから、あれしろこれしろと命令してもらえるのはうれしい。思いもよらない景色と出会える。ような気がする。
 そうしてうわさをすれば、奥さんが降りてきていた。
「店長、ちょっとたばこ買いに行ってきていい?」
 奥さんはこのビルの屋上に住んでいるから、店との行き来を「上がる」「降りる」と言った。つかみどころのないおじさんで、この日も出勤早々コンビニへ行ってくるとあくびした。蛍光灯にめがねがひかった。
「どうぞ、ついでにあたしのぶんも」
 奥さんは打ち子として雇われているから本走に入るのがメインだ。いろいろな町の雀荘を転々としているという無頼な感じがうらやましいようなそうでないような、大学ではそうそうお目にかかれない人種だ。とはいえやくざな仕事のわりに雰囲気はおとなしい。小柄だからそう見えるのかもしれない。おれは誰であれ、自分よりちいさいいきものをこわいと思ったことがなかった。いざとなったらぶっとばせるもんな。
 奥さんは苦笑しながらシャツの袖をまくった。
「店長ってゴロワーズでしょ。たばこ屋じゃないと売ってないんじゃないの」
 黒いシャツだ。いつも袖を一回、くるりと折り返す。動きやすいようにだろう、骨ばった手首は白くてシミがあり枯れ枝に似ていた。野毛の路地裏によく落ちている。夏なのに、木だって少ないのに、どこから? つまり街はとっちらかっていた。店長、ゴロワーズって渋いな。
「遠回りしてきてくださいよ」
 奥さんはうちの父親とそう変わりない歳で、つまりヨノナカにはいろいろなジンセーがある。百万円で息子を甘やかす者、ツモって捨ててを繰り返す者。
「はいはい」
 奥さんと、いっしゅん、目が合った。流し目だ。奥さんはしばしば目だけぬらりと動かす。雀士らしい癖のように思えた。とはいえ奥さんはシャツのすそでめがねを拭いていたので、おれと視線がかち合ったことには気づかなかったろう。
 本走は自分の財布で勝負する。ゲーム代は給料から天引きで、半分は返してもらえる取り決めだが負けがこめば悲惨な羽目になる。とはいえバカ勝ちしてもうまくない、ほどほどに客を楽しませつつ自分の損が膨らまないようにする。奥さんはさじ加減が上手いと店長は言う。ウデもツキも人並みなんだよと奥さんはのらりくらりかわした。
「ついでに動物園でも覗いてこようかな」
 野毛山動物園は店から近い。坂をのぼってすぐだ。市営で入園無料だがそれなりにニギヤカで、キリンもペンギンもツキノワグマもいるという。
「奥さん、動物園好きよね」
「動物はしゃべらないからね」
 とはいえ雨も降っていたしほんとうに動物園に行ったわけではなかったろう。出かけてすぐ帰ってきた。
 しかし、けもののにおいが漂った気がしたのだ。


「タクマくんが来てくれて助かってるよ」
 おでんのたまごをほおばりながら店長が言った。
 閉店後、店長に誘われ飲みに来ていた。女一人で飲み歩くには勇気のいる街だからつきあって、と。たしかに黄金町あたりは今なおスラムのようで、わかば周辺もどことなく雰囲気がよろしくない。となりのビルは古びた銭湯だが入り口には「地域の衛生向上をめざして」と看板があり、ほんとうに二一世紀の日本なのかあやしいものだ。
「きょうは朝までのお客さんがいたからね。交代で休憩できてよかった」
 風営法上では0時閉店だが、もちろんそんなわけはない。新たに客を入れないというだけで卓が割れるまで店は開けている。きょうは学生グループがだらだらやっていた。ウエイターはおれ含め何人もいるからいちおうは昼番・夜番のシフト制だが、急に朝までコースになっても対応出来る融通性、すなわちヒマ人で体力があるというイミでおれは価値ある存在らしかった。雀荘のバイトは拘束時間が長いから毎日は入れない。だいたいの店員はべつの仕事と掛け持ちしている。
 そういえば奥さんはどうだろう。ほかに何かしているようすはないが、打ち子だけで食っていけるものだろうか。
 夜明けの街は水色で、川から吹き抜ける風が涼しかった。どぶみたいに淀んでいるからか、磯くさい。疲れた身体に茶色いおでんがしみた。串揚げ屋とハシゴしたため胃袋は川より濁っているだろう。このあたりは早朝から酒をだす店が多い。夜に働くひとびとは朝に酔う。道端ではからすたちが控えめにごみをつついていた。
「タッパがあってガタイがいい、顔も悪くない、怖いもの知らずで度胸がある。ありがたい人材だよね」
「おれって怖いもの知らずですかね?」
「うん、前半をいっこも否定しないところがとくに」
「店長が顔採用って言うから……
「自分で言うなや」
 グーで小突かれた。ざっくばらんでいいなと思う。たぶん店長もおれと同じ部類だ。自分で自分の肉体が好きでなくちゃ、こういうぴちっとしたスカートは履かない。おれをスカウトしたのも、じぶんが魅力的な女だと自覚しているやりかただ。「うちで働かない?」だなんて、八百屋でひとやまいくらの野菜みたいだ。スツールに腰掛けた尻はスカートからはちきれそうにまるい。このあと、やらしてくれんのかな。
 で、どうしてそんなに飲んだんだか、やはり動機はなく場の流れでしかなかった。小三元いけそうだな、配牌とツモの偶然は神のみぞ、全自動卓のみぞ知る。それとおんなじだ。
「阿呆だね」
 誰かが言った。誰だ? 
「阿呆。そうじゃないよ、ちゃんと流れと河を見るんだよ」
 店長の知り合いという人やら、たまたま隣の席にいたおっさんやら、いろんな人が入れ替わり立ち替わりやってきていた。おれと店長は四人席で飲んでいて、空いているふたつには誰だって座れた。これじゃ店のフリー卓だなあなんて思っていたら、ほら、奥さんが本走に入るみたいにトイメンに腰掛けた、おれが酔っ払って箸を落っことしたのをくすくす笑った、箸が転げても可笑しいだなんて、奥さん、あんたそれじゃ女の子だ、あれ、どうして奥さんがここに?
「店長、酔っ払うと電話魔なんだよ」
 呼びつけられたらしい。横を見やれば店長は何やら電話をかけていた。迎えに来てよう、などと甘えており、あっ、なんか意外だ、おれとしゃべるときはイキのいい姉さんって感じなのに。
「それはきみがコドモだからじゃないかな」
 奥さんは店でのシャツ姿でなく、寝巻きみたいな格好だった。下はステテコなのに肌寒いのかカーディガンを羽織っており、おじいちゃんみたいだ。
「おれってコドモですか。もう二十三なんですけど」
 マドラーでつつかれ梅がほぐれた。奥さんは梅干し入りのお湯割を飲んでいるらしかった。くすんだ赤がコップで散ってゆく。
「おとなはみんな、コドモの前ではしゃんとしようかなって思うよね」
「奥さんも?」
「僕はおとなじゃないよ」
 奥さんがひょいと足を組み、膝が当たってテーブルががたんと揺れた。コップたちが大げさな音をたてた。
「ごめんね」
 奥さんは低い声でなぜかそう言った。失礼、それくらいの意味合いだろう、でもそれだけのことになぜかぎょっとした。奥さんのしろい膝で突かれたのはおれであるような気がした。
「僕はおとなじゃないよ。僕は魔女だから」
 魔女? 何の話だ? 奥さんが組んだ足のつま先を揺らした。サンダル履きだ。白い甲は皮膚がうすい。骨のかたちがありありとわかった。
「それ、ちゃんと拾いなさい」
 おれが落っことした箸をつま先で指した。きたねえ床にさわりたくなかったので放っておいていた。床はべたつき、よくわからない何かのかすや髪の毛がはりついている。でも言われるまま手を伸ばしていた。奥さんのつま先はまだ揺れている。
「はい、いい子」
 奥さんがにっこり笑った。そうして店の外へつうっと流し目を送った。外に何が? ぞわりとした。枝が転がっているような気がした。

(つづく)
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