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ふたりの恋

全体公開 12639文字
2017-11-03 12:13:32

#探偵と助手企画

Posted by @lmyonsanl

 放課後、学校を出る前に一度図書室を覗いてみるのが、僕の日課だった。
 きっかけは部活動の一環。
 僕の所属する文芸部で定期的に発行している文集を、図書室に預けに行った時のこと。
(あ……。あの子、前号読んでる……
 夕日を背に、先月出した文集を静かに読んでいる少女がいた。
(へえ……
 部員以外で文集を読む人間を見たことが無かったから、僕は少し驚いた。読んでくれる人がいるんだ、と。
……?」
 ばれないよう、さり気なく彼女を見ていたつもりだったけれど、しっかり僕の視線は届いていたようで。文集を読んでいた少女が、パッと顔を上げた。

 ――彼女の顔には見覚えがあった。

 夕日を背負う彼女は、この学校の有名人――
(御守……夜子、だ……!)
 親は有名な探偵で、自身も学生ながら探偵資格を持ち、親である探偵の助手として活躍している少女。さらに成績優秀で先生の覚えもよく、優等生と呼ぶにふさわしい人。それが《御守夜子》――らしい。
…………
…………っと……
 顔を上げた彼女と僕の視線が交差する。
 突然目が合ってしまったことに困惑し、僕は咄嗟に彼女から目を逸らした。怪しい奴に見えるだろうが、どうすればいいのかわからなかったのだ。――僕はいわゆる、コミュ障というやつだ。
 彼女――御守さんは小首を傾げると、「あっ」という顔をして立ち上がった。そして一直線に僕のもとへとやってきて、涼しげなまなこを僕に向けた。
「あなた、文芸部の方ですか?」
 訊かれたのは、僕にとって予想外の内容だった。僕はてっきり、じろじろ見るんじゃないとかそういうことを言われると思っていたのに。
「あっ、あっ、そ、そうだよ……!」
「やっぱり。――手に持っているのは新作ですか?」
「う、うん」
 彼女は僕の預けに来た文集が気になっているようだった。先月発行したものも読んでいたし、もしかしたら彼女は読書が好き……なんだろうか。
「お伺いしたいんですが、これ……。三年生のこの人が書いたお話の続きって、それにも載っていますか?」
 御守さんは前号をパラパラめくり、あるページを開いた。それは――――
「僕の書いた話……!」
 彼女が指したのは、僕が先月発表した短編だった。
「あなたがこれを書いた先輩ですか。じゃあ直接感想をお伝えできますね」
 御守さんがスッと目を細める。
「私、娯楽的に扱われている異形の者や探偵についての作品に、普段あまり触れないのですが……。こちらのお話は、とても面白かったです。探偵業に従事している身からすると、新鮮でした」
 僕が書いているのは、探偵小説という名の娯楽小説。もっと詳しくいうと、実際に起こった『異形の者に関する事件』を僕なりに解釈して、架空の女子高生探偵に解説させるというものだ。聞き手は彼女のクラスメイトの少年。彼に教えてあげるというていで話は進んでいく。
「あ、ありがとう……!」

 ――――実はこの物語に登場する女子高生探偵には、モデルがいる。

 モデルは、《御守夜子》。
 実は、僕は彼女のことをずっと前から知っていた。
 遠巻きに見ていただけだし、話したこともなかったけれど。僕とそう年も変わらないのに、異形の者とやり合う選ばれた人だなんて……。探偵小説を書くと決めた時、モデルにするのにうってつけの人だと思ったのだ。
 ――それに僕は、彼女に憧れていた。
 僕は探偵になりたいと思ったことはない。けれども異形の者に対しては、ずっと興味があった。
 だから高校に入学して――僕は高校からの外部進学組だ――、中等部に探偵事務所で働く子が通っていると聞いた時から、彼女と一度話してみたいと……。願望を抱いていた。
 ここまで言ってしまうとバレバレだけど、物語に出てくる聞き手の少年は、僕の理想を固めて生まれた存在だ。あまりにも自慰がすぎるから、これは友達にも話したことはない。

 変にこじれた憧れから書いていた、僕と御守さんの――いや、女子高生探偵と少年の物語。
 その小説を、御守さんが面白いと言ってくれた……
「そちらの新作も、異形の者による事件のお話ですか?」
 御守さんが、僕の持つ文集に目をやる。
「あっ、そ、そう……! N県の山荘で起こった事件をテーマに――
「三匹のイタチ事件?」
「そう! すごく有名で、いろんな人が題材にしている事件だけど、僕も僕なりに考えてみたくて! 面白い事件だよね! 作者によってものすごく残虐にも悲劇にもなって! 僕が一番好きなのはこの前賞をとった作家の――――!」
 ここまでまくしたて、僕は「しまった!」と口をつぐむ。つい鼻息荒く話しかけてしまったが……。御守さんは、引いていないだろうか。
 恐る恐る、彼女の様子を窺ってみる。御守さんはきょとんと目を丸くさせていたが、
「知人が関わっていたこともあって、あの事件についての本は私もたくさん読みました。ライトな文体の作品を読むのは初めてでしたが……。先輩はよく調べていらっしゃるんだなとわかりましたし、読み応えがありました。ですので新作も楽しみです」
 表情を和らげ、こう言ってくれた。
 僕は嬉しいやら恥ずかしいやらで、胸がいっぱいになってしまって。モゴモゴとくぐもった返事しかできなかった。
 御守さんは不審極まりない僕を特に気にする様子もなく、「こちら、貸していただいてもよろしいですか?」と言った。
 僕が慌てて文集を差し出すと、彼女は澄ました顔で「ありがとうございます」と受け取る。
「と、図書室には、よく来るのっ……?」
 文芸集用の貸し出しカードに記入をしに、カウンターへ向かった御守さんの背に声をかける。彼女はくるりと振り返り、「ええ」と短く答えた。
「受けられなかった授業のおさらいや、課題をやりに。家に持ち帰りたくないので」
――――そっ……かぁ……!」
 御守さんは貸し出しカードを書き終えると、机に戻り帰り支度を始めた。ちょうど帰ろうと思っていたところだったらしい。
「では先輩。お先に失礼します」
「うん……! さ、さようなら……!」
 御守さんはスタスタと図書室を出ていく。良くも悪くもさっぱりした性格だと、噂で聞いた通りだ。
……よく、来るのかぁ……
 僕は御守さんの言葉を噛みしめた。
(また図書室に来れば、御守さんが文集の感想を言ってくれるかもしれない……!)

 それから僕は、放課後に図書室を覗くようになった。――――あわよくば、を期待して。
 幸運なことにそれは叶って、御守さんは僕と顔を合わせると作品の感想を伝えてくれた。辛口だなと思うこともあるけど、それでもやっぱり、彼女と会話できるようになったのは嬉しい。
 そうして何ヶ月か過ぎて、文芸部の作品や最近ニュースになった事件について、軽く話をする間柄になった頃、それは起こった。
 御守さんがいるであろう図書室に、僕が書き上げたばかりの新作を持って向かった日のことだ――――

◇◆◇

「こんにちは。新作ができたんですか?」
「うん……! 御守さんに読んでもらいたくて持ってきたんだけど……。今大丈夫……かな……?」
「ええ。私も今日お会いできればと思っていたので、お互いちょうどよかったですね」
 その日僕が持っていった話は、文芸部に入って一番力を入れて書いた――最高傑作だった。
 これまでの僕の作品は、もうすでに解決した事件について僕なりの見解と物語を加えるというものだった。
 ――けれど今回は違う。
 今回題材にした事件は、とある学校で起こり、今も探偵が捜査をしている『進行形』の事件だ。だから僕は作品執筆の為、事件の舞台となった学校を直接訪ね――幸運にも、たまたま弟が通っている学校だった――独自の調査を行ってから完成させた。
 僕は御守さんに作品を読んでもらえるようになって、作品の明確な読者像を得ることができた。
 これは、実際に異形の者とやり合う現場に立つ彼女をがっかりさせないよう、『リアリティ』を追求し執筆した作品。
 ――――御守さんに喜んでもらいたくて書いた話なのだ。
「今ここで読みますので、少し待っていただけませんか?」
 彼女はいつも「ゆっくり読みたいから」と言って、作品を家に持ち帰る。だが今日の御守さんは時間があるようだ。
「う、うん……!」
 彼女に作品を印刷した、製本もしていない紙束を手渡す。
「ありがとうございます」
 ――紙束を受け取り、御守さんが静かに文字を追い始める。
 彼女が紙を捲る音を背景音にしながら、僕もカバンから小説を取り出す。――が、内容は一切頭に入らない。
 彼女は僕の書いた話に、どんな感想を抱くのだろう。そればかりが気になってしまう。

 ひとり、またひとりと図書室から人が消えていく。
 いつの間にか残っている生徒は、僕と御守さんの二人だけになっていた。しまいには司書の先生までも、「トイレに行くから」と僕に声をかけ、図書室を出ていってしまう。
 ――――ついに御守さんと僕、完全な二人きりだ。
……ふぅ」
 彼女にばれないように、そっと息を吐く。ドキドキするし、緊張するのだ。
「どうしました?」
 ばれないように――という僕の考えは無駄だったようで、彼女はふいと顔を上げた。
「い、いや、なんでもないよ……! ちょっと疲れただけ」
 御守さんは図書室の壁時計に目をやると、「ああ、もうこんな時間ですか」と呟いた。
「今回のお話もとても読みごたえがあって、すっかり夢中になってしまいました。――ところで、作品中の『学校の七不思議』というのは、うちの学校にあるものではないですよね」
「うん。弟の通ってる学校で流行ってる七不思議。弟の学校には、何年か前に起こった未解決の事件があって……。当時、事件は異形の者が学校に潜んでいるせいだって噂が立ったんだって。それが七不思議となって伝わって――
 御守さんは僕の話を聞き、かすかに眉根を寄せた。
 僕の心臓がざわりと不安で苦しくなる。実際に被害者が出ている未解決事件を書くのは……さすがにまずかっただろうか。
 僕は弁明の為、恐々と口を開いた。
「あ、あの……! み、御守さん……!」
 ――その時だった。
「えっ――――!?」
 唐突にチャイムが鳴った。
 学校中に大音量で鳴り響くチャイムは、何故か調子が外れていて……。聞いているだけで不快になる、嫌な音だった。
「これは……
 御守さんが険しい眼でスピーカーを睨んだ。――こんな表情の御守さんは見たことがない。僕はなんだか落ち着かなくて、目を逸らし窓の外を見た。
「あッ……! み、御守さん……!」
 御守さんの名を呼び、僕は慌てて窓に駆け寄った。窓の外に広がるこの光景……。これは尋常じゃない。
――っ!」
 小走りで僕の隣にやってきた御守さんが、隣で息を呑む音が聞こえる。
「た、太陽が……
 僕が呟くと、御守さんは「明らかに異常です」と言い切った。
 図書室の窓から見えたもの――――

 それはあり得ないほど大きな太陽が、門の外に沈んでいく不気味な光景だった。

「ここは、どこなんだ……
 僕は思わずそう漏らした。
 図書室の窓から見える風景が、僕の見覚えのある、いつもの学校と全然違う。
 ――大都会のど真ん中にあるこの学校のグラウンドは、さして広くはない。だからグラウンドの外にはすぐ、いくつもの高層ビルが立ち並んでいる光景が見えるのだが……
 それが今は一棟も無い。
 グラウンドの外には、ただただ赤い夕焼け空が広がっている。
……とりあえず、外に行ってみましょう」
 御守さんは言うと、カバンを肩にかけ――そういえば、今日の御守さんはいつもと違い大きなエナメルバッグを持ってきている――出入口へと足早に向かっていった。
 僕も慌てて自分のカバンを持つと、彼女のあとを追った。こんなところにひとり残されてはたまらない。
――さっきの七不思議のひとつみたいですね」
 御守さんは急に振り返ると、僕の目をじっと見つめ言った。
「うん……
 僕はそれに小さく頷き――――、先日まで一生懸命になって書いていた文章を思い返した。

◇◆◇

 ある高校には、昔から伝わっている七不思議があった。
 そのほとんどが『踊り場にある階段をじっと覗き続けると、自分の将来の姿が映る』、とかいう他の学校にもよくあるような話だったけれど。
 ひとつだけ、他と気色の違うものがあった。

 それは、とある《呪われた生徒》の話だ。

 ――昔、ある生徒が異形の者と『契約』をした。
 契約の理由、それは復讐だった。生徒はいじめられていたのだ。
 生徒は自分をいじめた人間全員に、目も当てられないほどの不幸が降りかかることを望んだ。

 その日も生徒は、誰もいない屋上へと向かう階段の片隅で、ひとり泣きながら、悔しさと憎しみをぶつぶつと吐き出していた。
 そんな生徒に、声をかける者がいた。
「君の願い、叶えてあげようか」
 生徒は突然かけられた言葉に驚き、顔を上げた。するとそこには見たことのない――しかし同じ制服の――少年がひとり、にこりと笑みながら佇んでいた。
「君の願いは知ってるよ。――叶えてあげようか」
 少年の言葉に生徒は呆けながらも、しっかりと頷いた。いかなる理由があってそのようなことを口にするのか、なぜ自分の願いを知っているのか、そもそも彼は誰なのか。そんなことはどうでもよかった。今のこの苦しさから解放され、憎い奴らに復讐できるのなら――――
 少年は笑みを深くすると、生徒に『本当の姿』を見せた。少年は人ではなく――異形の者だった。
 生徒はそれに驚きはしたが、『これなら本当に自分の願いが叶うかもしれない』と薄暗い希望を抱いた。
「君の願いを叶えよう。その代わり――

 復讐相手ひとりにつき、生贄をひとり――捧げろ。

 生徒はそれから、復讐の為に自分と関係のない生徒を生贄として異形の者に差し出し始めた。
 気の良さそうな人間を見つけては、異形の者が待つ屋上まで呼び出し――異形の者は、学校に棲んでいた――閉じ込める。
「やあ、ありがとう。これで君の願いが少し叶うよ」
 ――さて、こうやって生贄に捧げられた者達はどうなるのかというと。
 彼らは皆、異形の者を『満足』させることに必死になっていた。
「僕を『満足』させることができたのならば、ここから出してあげよう」
 生贄達は生徒の罠に嵌められ、異形の者に捧げられて以降、学校内に閉じ込められていた。――正確に言えば本当の学校ではなく、学校を模した『誰もいない』校舎だ。
 見た目こそ勝手知ったる学校だが、教室の窓から見える景色は、恐ろしいほどに何もなく。真っ赤な夕日に照らされた地平線が見えるだけ。全ての教室を見て回っても人の気配は一切ない。
 誰の助けも期待できない、そんな虚無の空間に投げ込まれた生贄達は、必死になって自分にできること全てをやってみせた。
 異形の者を『満足』させることができなければ――待っているのは確実な《死》だから。
 しかし生贄に捧げられた者達は、誰ひとりとして『誰もいない学校』から帰ってくることはなかった。
 皆、異形の者を満足させることができず……、餌となってしまったのだ。

 ――校内で行方をくらませた者達の話は、次第に噂となって広がっていく。

 放課後ひとりでいると、《呪われた生徒》に声をかけられる。そしてその生徒の言葉に従い着いていくと、悪魔に捧げられてしまう、と。
 この噂は、生徒の頭を悩ませた。――生贄が手に入りづらくなってしまったのだ。
 それでも生徒は、復讐を諦めたくはなかった。そして焦った結果――声をかけてはならない人物を生贄に選んでしまった。
 その人は賢く勇敢で、生徒に声をかけられてすぐ『こいつが噂の《呪われた生徒》なのだ』と気がついた。
 人気のない屋上へ執拗に入るよう迫る生徒を、その人は言葉巧みに躱した。
 その結果――――
「おや。お前が次の生贄か」
 異形の者が待つ屋上に閉じ込められたのは、異形の者と契約をした《呪われた生徒》自身だった。
 因果応報というべきか。――契約者の自分が、逆に生贄になってしまったのだ。

 しかし《呪われた生徒》が生贄となってからも、この学校では時折人が消えることがあった。
 それは生贄となっても復讐を諦めきれなかった《呪われた生徒》が、新たな生贄を異形の者に捧げているからだという。
 そして生贄を要求した異形の者は、いまだ学校に潜み、生徒らを喰らっている――――

◇◆◇

「駄目そうですね」
 校門の向こうに広がる赤い空間に向かって、御守さんが小石を投げる。小石は門の外に出た途端、音もなく掻き消え――それを見た御守さんは、溜め息交じりに呟いた。
「下手に出ようとしないほうがよさそうです」
 言って踵を返した御守さんは、迷いなく校舎へと戻っていく。僕も慌てて彼女のあとを追った。
「ど、どうするの?」
「校舎内を探索します。普通には外に出られなさそうですし。何かしらの情報を得なければなりません」
 パシャパシャと水音を立て進む彼女の足元に、波紋がいくつも広がる。僕はそれに目を落としたが――白く細い御守さんのふくらはぎが眩しくて、すぐに視線を外した。
 ――水音。そう、今僕達がいるグラウンドは、不思議なことに全面水浸しになっていた。水はくるぶしまであり、引く気配は一向にない。いまやグラウンドは、ちょっとした池のようだ。
――――……
 さっきまで規則正しく聞こえてきた水音がはたと止まる。
 御守さんは立ち止まり――――、何かをじっと見つめていた。
……? な、何かあった……?」
「いえ。ただ――
……ただ?」
「空の赤と、水面の赤がとても綺麗だと思って」
 御守さんはまっすぐ前を見据え、そう言った。どちらかと言えば表情に乏しい彼女の口角が、わずかに持ち上がっている。
 普通じゃない光景を目の当たりにしても冷静で、景色の美しさを感じることのできる御守さんは頼もしい。それに彼女が、この世界を『綺麗』だと表現したことが、僕はなんだか嬉しかった。
 ――けれど気の利いた台詞なんて出てこなくて。
……うん」
 赤い世界と御守さんを目に焼き付けながら、小さな声でぼやけたことしか言えなかった。
 僕がそんなふうなものだから、この状況に怖がっていると御守さんは判断したのだろう。
 いつもより比較的優しい声で、
「大丈夫。私がなんとかします」
 そう言ってくれた。
 それから下駄箱に戻り、足をタオルで拭った僕達は――こんなこともあろうかと、僕はタオルを持っていたのだ――端から端まで学校を探索した。
 けれど――――
「おかしなところは……、特に無かったね」
 校内を歩き回った結果わかったのは、この場所が僕達の知っている学校と寸分違わず同じだということ。人が誰もいないという点を除いては、だけども。

 歩き疲れた僕達は、結局一番最初に異変に気づいた場所――図書室に戻ってきていた。
…………
 目の前に座る御守さんは、顎に手を当て黙り込んでしまった。僕はというと――――
………………
 かける言葉が思いつかず、そわそわと落ち着かずにいた。
 何か喋ったほうがいいというのはわかるのだけども……。どんな話題も、この状況にはそぐわないような気がしてならない。
――学校に伝わる七不思議というのは……、移動するものなのでしょうか?」
 ぽつりと御守さんが呟く。
「移動?」
「さっきあなたに読ませてもらった話との類似についてです。あなたが話の題材に選んだのは、先輩の弟さんが通っている学校での話でしょう? もし今のこの状況がその学校で遭遇したものだったのなら……。合点がいきます。――《呪われた生徒》の噂は本当だったのだ、と」
 御守さんはちらりと窓の外に目をやる。相変わらず外は赤い。
「ですがこの学校にはそんな七不思議はありません。唐突ではないですか? それとも私の知らないあいだに、似たような七不思議が――学校に閉じ込められるというような噂が、我が校にも広まっているのでしょうか?」
……ああ……。なるほど。それで移動か……
「どう思います?」
……ううん……。た、確かに唐突……かも。だけど『トイレの花子さん』みたいに、どの学校にも似たような怪談話はあるものだよ。僕達が知らないだけで、突然学校に閉じ込められる噂が、実はこの学校にもあったのかも」
 御守さんは、「ふうん」と言って目を細めた。納得しきってはいないようだ。
……私達は今、明らかにあなたの書いた話と同じ目に合っています。そうですね?」
……うん」
「そしてあなたの書いた話を読んだところ、この七不思議について……。というよりも《呪われた生徒》による失踪事件について、ですね。これは現在も探偵が捜査している、そう見受けられますが? 作中で探偵が捜査中と言っていたのはフィクションですか?」
「いや……。数ヶ月前実際に生徒が校内で失踪したんだ。それで十数年ぶりに七不思議が蘇ったって、弟が話題にしてて……。僕は面白いなと思って調査を……
「そうなんですね。――実は私、この話はどこまでフィクションなのだろうと考えていたんです」
 御守さんはイスの背にもたれて腕を組んだ。イスの軋む音が鳴る。
「《呪われた生徒》の被害にあった人達は、最後のひとりを除いて誰も異界から帰還していませんね? そして最後のひとりは、自分の代わりに《呪われた生徒》を異形の者が待つ部屋に閉じ込めたので、異界に足を踏み入れてはいないと思われます。ですから、異界の様子を伝えることができる者はいないはずなのです。――でも。七不思議のひとつとして……。呪われた生徒の怪として、『赤い夕陽に満ちた』『誰もいない学校』という光景が伝わっている。『誰』が伝え、広めたのでしょう?」
 御守さんは問いかけるような視線を僕に向けてきた。
「《呪われた生徒》が帰還していたというのも無くは無いでしょうが……。可能性は低い気がしますね」
 僕はなんと答えたものかと逡巡し――結局思ったままを口にした。
「僕は……。僕が調べ訊いたこと、僕が知っていることをもとに書いただけだから……。そこまではよくわからないよ。……ごめん」
 そう言って頭を下げると、向かいからファスナーの開く音と固い金属のぶつかり合う音が聞こえてきた。反射的に顔を上げると、ちょうど御守さんがスポーツバッグから、何かを取り出しているところだった。
 重そうな一対のそれは、手甲に見える。
「それは……
「私の《武器》のガントレットです」
 手慣れた様子で腕にガントレットを装着すると、御守さんは軽く両手を握ってみせる。
「そろそろ、この場所を作っている方と話をつけようと思いまして」
 僕はあんぐりと口を開け、立ち上がった彼女を見上げた。「この場所を作ってる方……って……」と訊くと、御守さんは眉一つ動かさず言った。
「《呪われた生徒》と契約した、異形の者です」
……《呪われた生徒》と契約した……異形の者……。そ、それは、その話は、この学校のことじゃない……
「ですが、状況的に同じなんですよ。それに噂の大元の学校で探偵が動いているということは、失踪事件は本当に異形の者の仕業である可能性が高い……。探偵の手が迫ってきたことを察知して、元いた学校からうちへと逃げ込んだということだって」
「そんな……
「長年学校を棲家にしていた異形の者です。その者がうちに来たのではと考えるのは、そうおかしな想像でも無いと思いますが? 同じ区内なんですから」
……それで……、それで御守さんは武器を持って、どこに行く気なの……
 御守さんは机の上に置かれた紙束――僕の作品だ――を指差した。
「結末はすでに用意されている。――そうでしょう?」
 彼女は紙束を手に取ると、「お借りしても?」と首を傾けた。
……君にあげようと思って書いたものだから」
 僕の言葉に、御守さんはゆるりと表情を和らげた。
「では……。向かいましょう、屋上へ」

◇◆◇

「考えてみると……。うちの学校は屋上への立ち入りが禁止なので、ここへ立ち寄るという考えは頭になかったですね。あなたの作品に屋上の描写があったから、『そういえば』と思って来ましたが」
 ――嘘だ。
 御守さんは笑ってそう言うが、君は全部わかっていたんじゃないだろうか。
「普通なら鍵がかかっているはずですが……。異界だから開いているかもしれませんね。まぁ、閉まっていても力ずくで開ければいいですが」
 拳をぶつけ、御守さんがガントレットの音を鳴らす。
「あ、はは……
 僕が乾いた笑いを零すと、彼女も小さく笑んだ。そして――――
「では、開けます」
 屋上へと続く扉のドアノブを、ゆっくりと回した。
――――うわぁ……!」
 扉を開け、屋上に踏み出した御守さんが感嘆の声をあげる。彼女に続いて僕も屋上へと出ると、目に入ってきたのは――――

 夜の帳が下り、煌めく宝石が散りばめられた濃紺の空だった。

 御守さんは屋上のフェンスへ駆け寄ると、「見てください!」と僕を呼んだ。
「ほら……! 凄いです!」
 僕が隣に並ぶと、御守さんは頬を上気させグラウンドを指差した。
 ――グラウンドに張られた水面には、夜空がそのまま映っている。
 上にも下にも星があり、まるで宇宙に飛び込んだような気分だ。
「綺麗……
 無骨なガントレットでフェンスを掴み、御守さんが零す。
 御守さんのほうが綺麗だ――と思ったけれど、当然言えやしなくて。僕はぐぅと変に喉を鳴らした。けれど。
(今、言わなくてどうするんだよ……。今言わなきゃ、もう一生、伝えられないんだ……
 生のあるうちに訪れるいくつかのチャンスは、その時を逃してしまえばもう二度と得ることができないものと、再び巡ってくるものとあるだろう。

 ――――これは、もう二度と得ることができないほうのチャンスだ。

「み、もり……さん……っ!」
 僕は、意を決して彼女を呼んだ。
 長い髪を揺らし、御守さんがこちらを向く。意志の強そうな澄んだ瞳に、僕の顔が映っている。
(ああ――。やっぱり御守さんは綺麗だな)
 彼女のすべてが泣きたくなるほど綺麗で、彼女の背後にある星空とこれ以上ないほどにマッチしていて。――やっぱり夜空を用意してよかったと思えた。
「御守さん……!」
 御守さんは改めて向き直り、じっと僕の顔を見つめた。見つめてくる彼女の顔からは、表情が読めない。それでも僕は、今しかないんだと――――
「好き……です……!!」
 一世一代の……。終わりを悟った僕の告白。
 御守さんは驚いたのか少しだけ目を見開いた。そして。
――それはあなたの気持ちですか? それとも先輩の気持ちですか?」
 胸の下で手を組み――ガントレットがぶつかり合う音が耳に痛い――、そう言った。
 やっぱり、御守さんは全部わかってるんだ。
……どちらも」
 御守さんは整った笑みを僕に向けた。もう、これだけで答えがわかる。
「ありがとうございます」
 彼女の涼やかな声を聞くと、ツンと鼻の奥が痛くなる。

 あの日、あいつが僕になって、僕があいつになった日から、僕らと御守さんの終わりがこうなるであろうことは目に見えていた。
 あいつから得た御守さんのすべては、僕と――そしてあいつの――思い通りになることなんかないと示していたから。

――帰りましょうか」
 もう帰らないと、皆心配します――彼女はそう言ってフェンスから離れた。
 御守夜子の為だけにある夜の世界でも、引き留めることはやはりできないようだ。予想通りなのが、悲しくも嬉しい。
 僕は彼女が気に病まないよう、精一杯の笑顔を作って、ずっと考えていた理想を告げた。
「僕は……。ここで眠る気で来たから。だから、御守さん。――――君の手で眠らせてほしい。……できるだけ、ゆっくり眠りにつけるようにしてくれると嬉しいな」
「私にそんな趣味はありません」
 御守さんは少しだけ顔を顰めるが、そうきっぱり言い放った。
「でも、僕を『満足』させないとここを出ることは叶わないよ? 『排除』だと僕は消えてもこの場所は残るかも……
 そう言って僕は屋上の床に寝転がり、空に広がる星々を眺めた。全部僕の作った人工物だけど……。御守さんも喜んでいたし、なかなか上出来――だと思う。
…………
 御守さんの足音がこちらに近づいている、そう思った時。僕の視界に広がっていた星空が、スカートを押さえた御守さんに遮られる。
 そして無言のまま、御守さんは僕の隣にしゃがみ込んだ。
「何か、話しておきたいことはありますか?」
……そうだなぁ……。父さんと母さんに『今までありがとう、親不孝してごめん』ってことと、弟に『お前が噂の話をしたせいじゃない』ってこと……。あと友達にも『ありがとう』って」
「それは『先輩』の言葉? 『あなた』は?」
「『僕』は好き勝手生きてきたことを、反省も何もしてないし……。最期に……、えっと……。こ、恋……とか……できて、楽しかったし……
「『あなた』はずるいですね」
「うん……。別に……、それでいいと思ってるから……
「そうですか」
 ――御守さんの細腕が、ゆっくり僕の首へと伸びる。
……ぐっ……!」
 無骨なガントレットが僕の皮膚に触れた瞬間、そこから僕の体に電流が流れた。
(そうそう、探偵の武器ってこんな感じだっけ)
 痛みを感じた個所から、皮がピリピリと破れ捲れていく感覚がある。御守さんに中身を見られてしまうんだなとぼんやり思っていると。
「そういえば、あなたの書いた作品ですけど」
 首に両腕を沿えたまま、御守さんが話し出した。
「とても面白かったです。主人公の探偵も、聞き手の男の子も、真剣にこの事件に取り組んでいましたね。思えばあの話は、今のこの結末まで含めて、ひとつの作品だったのですね」
 御守さんの腕に少しだけ力が入る。ちょっぴり苦しいが、それでもまだ呼吸はできた。
「あなたは私にすべてを気づかせようと、あの話を書いたのでしょうか?」
…………
 僕は瞬きで「そうだ」と伝えた。
 僕が書いた女子高生探偵最後の話は――――。実は聞き手の少年が異形の者だったというオチだ。それが判明した物語のラストシーン、女子高生探偵は少年を排除する直前にこう言う。

「『楽しかったです、あなたと過ごした時間はかけがえないものでした』」

「あり……がと……う」
 僕が笑いかけると、御守さんも微笑を返してくれた。そして。

 頭に一瞬だけ「苦しい」という感情が浮かんだあと、僕の思考は止まった。


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