@nainieymugen
真っ白な世界は、今日だけは色彩に彩られていた。
そのうちの多くを占めるのは青だ。空に浮かぶ映像のどれもが、一人の勇者を映し出している。
ある映像では、彼は勇者と会話している。
ある映像では、彼は魔王と言い争っている。
ある映像では、彼は母親に抱きしめられている。
ある映像では、彼は血塗れで倒れている。
これらはどれも可能性だ。外の魔王の干渉によって送り込まれた勇者、魔王、その他の特異な人間によって生まれた無数の「可能性」が、真っ白な外の世界を青く照らし出している。
外の魔王は手を伸ばす。絹糸のように細い可能性の束をより分けて、かき分けて、勇者の命が絶たれる可能性を千切るように摘み取っていく。本当はもっと、勇者が良い方向へ導かれるように手を伸べたい。だが、彼にはもはやそれができる力も、手段も無かった。
そして、時は訪れる。
聖界の時間が、彼の映像に追いつく。
可能性の糸は彼の手を離れ、束となり、勇者を導く道となる。
指の一本も動かせない程に疲れ果てた彼だったが、それでも彼は勇者の結末を見届けるために、1つ残った映像に視線を注いでいた。
目の前が真っ青だ。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
ただひたすらに悲しい。
もう何が悲しいのかも分からない。
なんで悲しんでいたんだっけ。
ああ、そうだ。
僕は、恐ろしい事を。
怖い。怖い。怖い。
罪を認めるのが怖い。だって罪の償い方なんて分からない。
それに、それにだ。
もし僕が間違っていたのなら、何もかもが間違っていたのなら、
僕のした事が、僕の感情が、善と悪の区別が、誰かに良かれと思っていた事が、
神父さんが死んで悲しいと思う気持ちが、
自分のした事を恐ろしいと思う気持ちが、
それが間違っていたのなら、
「僕」が間違っていたのなら、
僕は、なんのために生きている?
生きていい理由がどこにある?
僕は……
誰かの悲しみが耳元を騒がせる。
もう聞きなれた音だ。悲鳴と、慟哭と、恨みの声。
聞きなれたけど、その一つ一つは心を刺す。
―『分かるよ。……痛ぇよなぁ。辛いよなぁ。どうしようも、ねぇんだよなぁ……』
誰かの気配を感じる。そこにいるのは誰だろう。知っている人だろうか?
その人影に向かって何かを言ったような気がする。…それも幻覚だろうか?
―『どうして泣いてるの?』
泣いている?僕が?
ああ、そうか。この青い物は僕の涙か。
では、どうして?
音が聞こえる。聞きなれた音だ。音楽と、祝詞。ああ、これは葬送曲か。花の匂いが流れて消える。
人の気配は少しづつ増える。一体何故?
―『バカな事をしようとしている人を、助けに来たんです』
助けに?僕を?
それは違う、僕は助けてもらえるような人間ではない。僕にそんな価値はない。
きっと何かの間違いに決まっている。
―『そんなはずは、ないわ』
誰かが涙を拭う。そんな事をしたら汚れてしまう。
だって僕は、許されない事をした。したのだ。
―『君は君の罪をわかっているのかにゃ』
罪。ああ、そうだ。
僕は、この手で神父さんを殺してしまった。
死んでほしくなんてなかったのに。殺すつもりなんてなかったのに。
―『どう言い訳しても、もうその手についた血は消せませんよ』
その通りだ。
僕は、罪を償わなくてはならない。僕は許されない事をした。
―『はい、それであなたはどうしたいですか?』
……僕は。
目の前に剣がある。
……僕は、僕には、もはや生きている意味なんて。
―『馬鹿野郎!』
誰かが僕を引き留めた。
どうして止めるのか。僕にはもう価値なんてない。生きているだけ無駄なんだ。むしろ僕が生きている事が、周りの人の害になる。
なのになぜ、僕を止めるのか。死なせてくれないのか。何故?
―『なぁ少年。何を以って贖罪とするかは君自身で決めなくちゃならない。しかし、最適解を見つけたとして罪が無くなるわけではないよ』
……それ、は。
―『今ここであなたの命を断つということは、受け取ってしまった神父の命を再び断つのと同意です』
―『モシオ前ガシンデ後カラ女性ニ追イ死ニナンテサレタラドウ思ウ?』
―『ゴメンナサイは生きてないとできないんだぞ!』
………。
でも、僕を裁きに来たのでないのなら、僕の過ちを正しに来たのでないのなら、
あなた達は、どうしてこんな所に?
―『あなたのことを心から大切に思っている人たちの言葉を伝えにきました』
僕の事を大切に思っている人……?
……そんなの、
―『お前、痛いとか苦しいとか、ここに倒れてる奴らに一回でも言ったことあんのかよ』
えっ?
―『貴方自身が気づいてないだけかも知れませんが… 色んな人が貴方を愛し大切に思っているんだと思います』
―『あなたには助けてくれる人達がいる』
そんな事、ある訳が。
だって僕は。僕は、
―『そんなことはない!!オレも君がずっと心配だったし、オレ以外にも君を気にかける勇者や魔王が必ずいるし、君の母親だって君を見捨ててなんかなかった!!!』
―『ねえ、貴方も気付いていたはずよ』
―『お前、自分で思ってるより愛されてたんだぞ』
いつの間にか、思考を苛む幻覚はどこかへ行った。
ただ、暖かい気配が僕を囲んでいる。
みんなが名前を呼んでいる。
ずっと、忘れていたもの。
僕はそれを、それが僕の物である事を、その名前に与えられた愛を、受け取っていいのだろうか?
―『『『アルク!!』』』
僕は顔を上げた。
顔を上げた瞬間、視界が暗くなり、重量が僕を床に押し倒した。
「ぐんし、さ、?」
それは、処刑された筈の憧れだった。
何故彼がここにいるのか?いや、それよりもだ。
体がおかしい。
胃が焼けるように痛い。体が妙に熱いのに、腕にも指にも力が入らない。
回らない頭で考える。……僕は一体どれだけ、何も食べていなかったのだろう。
そして僕は、何かが擦り切れる音を聞いた。
***
犬の鳴き声が聞こえる。
頬を舐められる冷たい感触で目を覚ました。一体ここはどこだろう?
しかし体を起こすと、そんな事はどうでもよくなった。
「しん……かん、さん」
「その名前で呼ばれるのは久しぶりだね、勇者くん」
そこには、自分が消滅させてしまった筈の男が立っていた。
「神官さん、どうして」
「それは、君も分かっているんじゃないのかな?ここがどういう所なのか」
それは、なんとなく察していた。はっきりと知っている訳ではないが、誰かが教えてくれたような、あるいは前に来た事があるような。いや、本来勇者である自分が来れる場所ではないはずなのだが。
「さて、お互い言う事がありそうだね」
足元を走り回っていた犬が僕の足元に座り込んだのを見て、神官さんはそう口に出す。
僕はぐっと拳を握り締めて、一息に叫んだ。
「ごめんなさい!!」
そう言い切った後、しばらく神官さんの顔を見るのが怖くて、僕は視線を地面に向けていた。
しかし神官さんは何も言わないので、恐る恐る顔を見上げる。
「こちらこそ、酷い事をしてしまった。謝って許してもらえる物ではないけれど、……ごめんなさい」
彼はとても申し訳なさそうにそう言って僕に頭を下げた。そして彼は、事の顛末を僕に説明する。
「……本当は、あんな形で君に手をかけさせるつもりは無かった。神父はあくまで事故で亡くなる筈だった。君は、私が思っているよりもずっと強かった。大切な人を守れる程に」
「確かに、僕はすごく辛かったです。……今でも。でも、……神父さんも、望んでいた事なのでしょう?」
「もちろん。……あの方は、最後まで君を案じていましたよ」
僕は、ふっと考え込んだ。何か、不思議な感覚があったからだ。
「あの、神官さん。上手く言えないんですけど……聞いてくれますか」
「話してごらん」
心の中で浮かんだ言葉を、1つづつ拾って口に出す。
「神父さんがまた死んでしまった事、すごく悲しいし、辛いです。けど、前の時とは何か違う。今、確かに神父さんが大好きで、とても大切で、それは変わらないけど……けど、いなくなっても駄目とは思わなくなった、というか。……神父さんがいなくても、大丈夫だと思うんです。僕を助けに、心配してくれる人がたくさんいたから、それを教えてもらったから」
神官さんは、僕のぼろぼろの言葉を黙って聞いていた。そして僕が話し終わると、そっと僕の頭を撫でて、笑った。
「では、きっとその人達が心配しているよ」
彼は一方を指さす。そこには道があった。
「さあ、いきなさい」
「…はい!」
僕が道に向かって歩き出すと、白い犬が僕を先導するように歩き始めた。彼はまるで、どこに向かえばいいかを知っているようだ。一人では分からない様な道を白い犬に導かれながら、僕はずっと背中で神官さんが見守っているのを感じていた。
「……ルク!アルク!」
目を覚ました。
目の前には、涙を流す女性。知っている人だ。ああ、僕はこの人の想いを知っている。
「……かあ、さん」
酷く乾いた口でそう呼ぶと、彼女はわっと泣いて僕を抱きしめた。
暖かい肩越しに、寝かされている軍師さんとこちらを見て安堵の表情を浮かべている神殿の人々が見える。あれだけあった気配の主はもういない。もしかしたら、最初からいなかったのだろうかと思わせる程だ。
母さんと神殿の人々は口々に、良かった、と呟く。
僕は何か言おうと思った。
言葉の代わりに、涙が溢れてきた。
ずっと言えなかった言葉があった。
神父さんにも言えなかった言葉だ。もしかしたら気付いていなかったのかもしれない。
いまなら言っていいだろうか。
僕の言葉を受け入れてもらえるだろうか。
僕はこの後、全てを話さなければならない。きっと何事もなくは終わらないだろう。
けれど、今だけ。この一瞬だけ。
従僕の勇者の名前を捨てて、ただのアルクとして、この愛情に甘えてもいいだろうか。
「母さん、僕、」
―『たとえきみが間違えたことをしても、迷惑をかけて消えてしまいたいと願っても、ここにいる皆は、君のことを』
「……愛してって、言ってもいい?」
しばらくの後、従僕の勇者は国王に全てを話した。
神父の殺害に関しては、神殿の者の証言もあって彼の罪では無いと結論が出た。
だが、問題は彼の行った「人格の書き換え」だった。
それは紛れもなく一人の人間の命を奪う行為であり、仮にも人助けをする勇者として名の知られていた彼の犯し、隠していた罪は決して無視する事のできない物であった。
国王が下した判断は、一国を背負う物としては正しい物であっただろう。
「勇者さん、本当に行っちゃうの?」
子供達に囲まれて、従僕は神殿の入り口に立っていた。その手には普段持っている杖に加え、少し大きい鞄が下げられている。
「ええ、それが僕に与えられた罰ですから。大丈夫ですよ、たった10年です」
そんなー、という声が次々に子供達から上がる。それを見て苦笑する従僕に、騎士から声がかけられる。
「勇者どの、そろそろ」
「ああ、はい。お待たせして申し訳ありません」
子供達と神殿の人々に見送られ、従僕は神殿を後にする。
しばらく重い沈黙と共に歩いていた彼らだったが、ふと騎士の一人が口を開いた。
「そういえば、これはあくまで私の独り言だが……国王様が、この神殿付近は警備が薄いという話をしていたような気がするな」
「ああ、そういえばそうだったな。魔族が攻めて来るならともかく、人間の一人や二人ならこっそり入り込んでも気付けないのではないかと心配なされていた」
「まあ、我々とて節穴ではない。怪しい者は容赦なく城門で止めるつもりだが」
「しかし、まだ成人もしていないような子供の見た目をしていたらうっかり通してしまうかもしれんな」
騎士達はあくまで真っ直ぐ前を見据え、真顔で『独り言』を続ける。
それを最初はあっけにとられた様子で聞いていた従僕だったが、ややあって微かに笑みを漏らした。
「それでは、ご無事を祈ります」
「ありがとうございました」
城門を通り、従僕は国の外へ出る。
これからどこへ行こう。あの時来てくれた誰かに会いに行こうか。それとも誰かに言われた通りなにか新しい物を見に行こうか。あるいは勇者らしく、また魔王を倒しにいくべきだろうか。
彼はひとしきり悩んだ後、しっかりと自分の意志で、最初の一歩を踏み出した。