@allenemy
●目次
・始めに
・「禁忌降臨庭園セイレム」とは、何だったのか。
・作品外の構造(ライターの意図)
・作品内の構造(ラウムの意図)
・アビゲイルとラヴィニアについて
●始めに
この長文は、あくまで「感想」に過ぎません。解答ではなく、「私はこう読みとった」というだけです。かなり強引だったり、単なる願望だったりする部分も多々あります。
というわけで、一意見として参考にしたり否定したり、あるいは単純に読みものとして読んでもらえると喜びます。
また当感想においては、意図的に「クトゥルフ」要素について言及していません。そのへんは詳しい人に任せます。あくまで「タイプムーン世界観から読み解くセイレム」となります。
プレイ直後の感想は以下にまとめてあるので、そっちを参考にしつつ読んでもられると幸いです。
https://twitter.com/i/moments/937053111113326592
まず前提として、おそらく今回のライターは『星空めてお』さんです。元々はライアーソフトという会社でゲームを作っていて、『Fate/hollow ataraxia』からタイプムーンに参加、その後は貴重な正社員(外部ライターではない)となって、エイプリルフールに企画したり、TMブックスで本を出したりしています。奈須さんと武内さんのお気に入りで、腕前をかなり信頼されてます。特徴は、以下の通り。
・『物語』『役割』というキーワードを使い、メタ構造を表現する。
・何らかの法則にのっとった閉鎖空間を描く。
・大量の出典をばらまいて、意味を重ね合わせる。
・ひとつの台詞、ひとつのキャラ、ひとつの展開に、複数の意味を重ね合わせる。
・説明をしない。
・ゲームにおいて、キャラの心情描写を文章ではあまりしない。代わりに、立ち絵や声優の演技、音楽等で、「感情」を表現する。
という、読者にあまり優しくないというか、二週目前提みたいなものを描く人です。
それは良い悪いではなく、そういう作風だ、というだけなので、好き嫌いはわかれると思いますが、ぜひ色々人の感想呼んだり元ネタあさったあとで二週目をしてみてください。
この感想も、ついったー上でのやりとりや他の方の感想をけっこう参考にしています。とても楽しかったです。
なお個人的にセイレムで物足りなかったのは、最後の部分に関してで、ここは明確に不満です。FGOはノベルゲームじゃないから……とは思うけれど、フルボイスかつCCCコラボイベくらい演出が凝っていたら、またちょっと違ったのではないかと思います。(#無理では?)
フルボイス版、ぜひやりたいですね……
●「禁忌降臨庭園セイレム」とは、何だったのか。
一言で言うと、『演劇/舞台』です。
セイレム、という街、半径7kmの暗黒空間が、『舞台』。その中では繰り返し演劇が公演されていました。1692年4月21日のセイレム、という舞台設定で、上演と閉演を繰り返すのが、魔神柱ラウムのやっていたことです。
セイレム(現実)に住んでいた五万人は、舞台の下(裏)に詰め込まれて、舞台を上演するための魔力電池として使われていました。
そのため、作中のセイレムに登場する人間は、全員が何らかの役を背負った役者です。誰もが、何らかの役を背負っている。(そしてライターのめておさんによって、「意味」を背負わされている)。
だからアビゲイルは、作中で「本物の職人のお芝居なんて、初めてだわ!」と喜びます。セイレムそのものが、素人たちの舞台。
脚本は魔神柱ラウム。
主演はアビゲイル。
演目は、『FGO第一部再演/在りえたかもしれない、終局特異点』。
役と役者は、以下の通り。
役 / 役者
ソロモン / 魔神柱ラウム
主人公 / アビゲイル
マシュ / ラヴィニア
レフ / シバの女王
魔神柱 / カルデアのサーヴァント
ゲーティア / 主人公
……どういうことだ、という感じではありますが、各役については別項目で詳しく説明します。まずはおおまかな意味だけ説明。
●作品全体の構造(ライターの意図)
これは完全に、「FGO第一部を振り返り、1.5部を経験した主人公が、2部に向かって歩きだす」という物語です。
禁忌降臨庭園セイレムが、FGO第一部を再構成したものである、という伏線はあちこちに張られています。(とくに、作中劇や肝です)
:カーターの肉体を魔神柱が使う、というのはゲーティアの比喩。
ソロモン/ゲーティアの関係と、カーター/ラウムの重ね合わせ。
最後に玉座と指輪が残った一部、最後に十字架が残ったセイレム。
:第一の演劇は、「ソロモンの物語」である主張。
同時に、魔神柱からソロモンへの感情を描いている。
「エルサレムですら、悪徳は蔓延していた」という主張。
表面的には素晴らしい部分と、住む人類の悪徳を描いた上で、
魔神混じりのシバが「貴方はこの都市にふさわしい」と称える。
三番目の問いをソロモンが答えられず、主人公が助言するのは、
主人公がいなければロマニは失敗した、という事実の比喩。
:ジャンヌの演劇は、「焼却される人理」の暗喩。
人理を護る砦は、屈強なものから崩れてゆく。
ダヴィンチちゃん曰く、「カルデアは砦」。
最後に残るのは、旅してきた中で繋がった、絆。
終局特異点の、「みんなが駆けつけてくる」の表現。
:途中の演劇において、マシュが舞台にあがったのは、
FGO第一部において、途中から積極的に世界に
関わっていったマシュの在り方との重ね合わせです。
:終局特異点で「マシュと、主人公と、ゲーティア」の関係を、
ラヴィニア、アビゲイル、主人公の三人で再演。
「ありえたかもしれない、終局特異点」を、セイレムで演じる。
:セイレムにおける「七日間」は「七つの特異点」の縮図。
その果てに、終局特異点に辿りつく。
ラスボス戦は、「どこの時間軸にも存在しない神殿」。
:認識阻害によって「何も信じられなくなった」カルデア面子は、
「何も信じられなかった」ロマニ・アーキマンの再現です。
……という風に、禁忌降臨都市セイレムは、あちこちが「FGO第一部を振り返る」「終局特異点を振り返る」「ソロモンの在り方を再確認する」という作りになっています。
(構造が完全に一緒、というわけではなく、「似た要素を大量にばらまく」というのが、星空めておさんがよくやるやり方です)
なぜか。
これは完全に予想になりますが、「第一部の終局特異点で答えを出した主人公が、人間の悪性に満ちた1.5部を経験した上で、あのときと同じことを言えるのか?」という問いかけになります。
人は醜く、おぞましい。
足を止めた方が幸せかもしれない。
お前に恨みをもつものがいる。(新宿)
全てを放りだして快楽に浸ってしまえ。(CCC)
理想的な国など存在しないぞ。(アガルタ)
まだ見ぬ悪意がお前を待ちうけている。(剣豪)
そして、人の生は、罪に塗れている。(セイレム)
第一部で「ただ、生きる」という、生きるために走り続けてきた主人公につきつけられる、人が生きるというのはどういうことなのかという亜種特異点。今作のもうひとりの主人公であるアビゲイルは、「生とは全ては色褪せ、最後に残るのは苦痛だけだ」とつきつける。
そして、主人公は答えを出す。
それでも、前に進むことを。
ならばこそ主人公は、歩みを止めないのならば、さらなる苦難と脅威に遭遇するだろう――新たなる外敵に。新たなる獣に。そして、新たなる味方と、彼は出会うだろう。
主人公の歩む先にあるのは、FGO第二部。そこで何が待つのか、こうご期待!
…………という、『二部からメインライターとして参戦する星空めておさんが、めておさんなりに一部と終局特異点を振り返ったうえで、主人公に二部へと挑む心意気を表明させる」というのが、禁忌降臨都市セイレムの裏構造だと思っています。
助走……二部への助走だコレ……
だからラストシーンを素直に解釈すると、「外宇宙への旅という形で人理世界から消滅したアビィ」と「第一宝具によって人理世界から消滅したソロモン」が重ね合わさってて、アビィがいつか戻ってくるなら、ソロモンもくるかもねっていうちょっとした希望なのかもです。
そしてそれは、人理にとっては必ずしもいいことじゃなくて。
ソロモンを望むシバの女王は、それゆえに未来において敵対するのかもしれません。
●作品内の構造(魔神柱ラウム)
魔神柱ラウムが「最初に」やろうとしていたことは、他の魔神柱と同じく人類史の否定です。
ゲーティアは失敗した。人類は基本的にどうしようもないので、人類史を最初からやりなおしたところで意味がない。
「じゃあいっそ人類以外に支配してもらお!現状の魔術法則なんてぜんぶぶっ壊す、異界の法則に任せよ!」
というのがラウムの目的。とある空想作家のかいた小説が、たまたま別次元の宇宙に繋がったので、それを利用して外宇宙の超越生命体(神)を召喚、地球を支配してもらお、というのがラウムの初期目的。
これは、タイプムーン世界観的には前例がある行為でもあります。
一つは、ゼパルの言っていた「一万四千年前の失敗」。これは『フェイト/エクステラ』において詳細が語られていますが(面白いので是非やってください)、外宇宙の存在によって地球が支配されかけました。
結局失敗に終わったので、ゼパルは「それは無理でしょ」と言ったわけです。某最強人理ビームは対宇宙人特攻だからね……
もう一つは、タイプムーンの別作品、『月姫』において設定のみ描かれるキャラクター、『ORT』ならびに『朱い月』。詳細ははぶきますが、それぞれが「地球の魔術法則がいっさい通じない、異界の法則で生きる、超越的宇宙存在」です。
「ひとつの世界(星)の頂点に立つ存在であると共に、その世界(星)の法則を定めるもの」である彼らは、ある意味で「全にして一、一にして全」と呼ばれるものです。通称、アルティメットワン/アリストテレス。
これもやっぱり失敗しますが、ちなみに、こいつらの類似が本格的に地球を支配しようとしたのが『鋼の大地』という作品になります。
また、「暗闇で世界を覆う固有結界を持つ人身鳥頭の人理否定存在が、アルズベリの儀式というのを行って、異界の法則を持つ神を降臨させ世界を塗り変えようとする」というのは、『月姫2』という作品で描かれています。(やろう、月姫2。)
というわけで、不可能ではないのです。
「セイレム」という舞台を用意して、舞台上で「魔女裁判」という儀式を繰り返させる。「空想小説の登場人物の役」を演じる役者をいっぱい配置する。生贄を捧げ、「超越生命体のいる別次元」への穴を開ける。最後の鍵は、素養があったアビゲイルに開けさせる。
向こう側から異端なる神があらわれ、地球の魔術法則・物理法則は全て浸食される。人類史は否定される――というのが、ラウムの当初もくろんでいた構造。
当初。
なんで当初かというと、鍵として使い捨てる予定だったアビゲイルに、ラウムがドハマリしたからです。伯父と姪という「役を演じて」いるうちに愛情が湧いたというか、アビゲイルの無垢さにうっかり救われてしまって、世界を滅ぼす気が失せたからです。
…………こ、こいつ……!亜種特異点の魔神柱、どいつもこいつも人間にどはまりして本来の目的忘れてる……!!
というわけでアビゲイル墜ちして以降、ラウムの目的は変わります。人類はろくでもないからどうにかしたい。でもラウムは救いたい。異次元の神を召喚する準備はできている。
「……そうだ! 神に滅ぼしてもらうんじゃなくて、神を降臨させたアビゲイルが全人類を支配・管理すればいいじゃん!」
……………………こ、こいつ……!! それは完全に失敗フラグだってあれほど……!!
とはいえ、ラウムは動きます。五万人の魔力が途切れれば、強制的にセイレムという舞台は終わってしまう。それまでに、アビゲイルには神様になってもらわないといけない。具体的にいうとアビゲイルに人間の悪性をがっつりみせて人間を信じるのを止めてもらわないといけない。人間なんてろくでもないですよーアビーが支配して苦痛を与えるのが唯一の救いなんですよー、みたいなノリ。
だから、ラウムにとって、カルデアの面々は敵ではなく、客だった。同時に、役者だった。この「アビゲイルを曇らせて人類を管理させよう演劇」の協力者でさえあった。制限時間はそう長くない。だから自分が魔神柱であることも隠そうとしなかったし、話の展開を進める助言さえした。
そしてその目的はおおむね成功した。ラヴィニアを殺し、自分もカルデアに殺されることで、アビゲイルは完全に曇って、ついに人間を信じるのを止めた――
結果としてアビゲイルは人類を支配することはできなかったけれど、一方でカルデアの善性によって滅びず旅に出ることになったので、どっちに転んだとしても「アビゲイルを救いたい」というラウムの目的は叶ったと言っていいでしょう。
ラウム的には、ベストエンド(アビゲイルと一緒に人類支配)ではないけれど、そこそこ良いエンドに到達したのでは? バッドエンドはアビゲイルが覚醒せず、セイレムと一緒に時間切れ(五万人の魔力切れ)で街ごと消滅するルートです。
これはかなりあり得たルートで、ラウムやマタ・ハリ、ラヴィニアが決着を急いでいたのはこれが理由でしょう。
逆にアビゲイルは、親友であるラヴィニアだけが「外」へと逃げて、自分はセイレムと共に消滅することを祈っていた節があります。
……人類の救済を最後の最後で放り投げるところ、亜種特異点らしいというか、魔神柱らしいというか。ゲーティアさんの最後、見せてあげたいですね。
なおラウムがしょっちゅう「この街は神に見捨てられた!」と叫んでいるのは、FGO世界は既に神様と決別してるからです。
人間の本質が悪性だから――ではなく、ソロモンが指輪を返して消失してしまったからね。
●アビゲイルについて。
「禁忌降臨庭園セイレム」の主人公。
作中では、唯一誰の役割も演じていない、「本物のアビゲイル」。
作外では、「FGO第一部における、藤丸立香」の役。
キャラ実装とマテリアルを読まないかぎり詳しいことはいえませんが、想像で語るのなら、この子はある種の「根源接続者」に近いものがあります。両儀式と一緒。
繋がってる先が地球の根源ではなく、異界の根源(全にして一、一にして全なる超越的存在)なのですが。だからラスボス形態は、宇宙産ビーストみたいなものです。
この作品「お話の構造」は先に述べた通り「FGO第一部」を模していますが、「セイレムという舞台」は、「空の境界」を模しています。
具体的には、FGOでコラボもあった矛盾螺旋、小川マンション。
小川マンション:
住人全員が、昼間は生き、夜はゾンビになる。
生と死を内包することによって、「閉じた異界」を作る。
その中で、「根源と繋がる両儀式」を用いて、根源に接続する。
セイレム:
住人全員が、昼間は生き、夜はグールになる。
生と死を内包することによって、「閉じた異界」を作る。
その中で、「ある種の素質を持つアビゲイル」を用いる。
住人に創作小説の役をやらせて、接続先を根源ではなく異界にする。
おおむね、構造的にはおなじ。
小川マンションが、「荒耶という人間が作りだした地獄」であったように、セイレムは「魔女狩りに纏わる人間が作りだした地獄」です。
場を用意したのはラウムなのですが、ラウム自身はここまでやるつもりはなかったというか、彼の手を離れてガンガン地獄化していったのは本編でちょこちょこ語られています。
(ラウム自身は史実のセイレムを再現したかっただけで、人間がここまで罪と欲望に塗れているとは思っていなかった)
本編で唐突にメフィストが出てきたのも、このセイレムが「人間の手によって作られた地獄」だからです。空の境界コラボイベントと一緒。あのときとまったく同じ環境なので、まったく同じメフィストが登場して助言したのでした。
魔神柱のせいではなく。
人間は、人間自身の手によって、地獄なのだと。
そして人間が地獄であるのを見続けたが故に、アビゲイルの信仰は揺らぎ、人を信じるのをやめ、苦痛という救いを全人類にもたらすことにしたのでした――というのが、禁忌降臨庭園セイレムの終盤。
だから、アビゲイルにとって、主人公(藤丸立香)は特別な存在なのです。
「自分と同じように、人間の悪性を見てきたのに。」
「自分と同じように、世界法則を塗りかえる機会に立ち会ったのに。」
「どうして、自分と同じように、信仰を捨てないの?」
「どうして――座長さんは、自分と同じように、人類を救済してあげようとしないの?」
それが、禁忌降臨庭園セイレムの終盤で、アビゲイルから主人公に向けた感情です。
>「喜びも、愛情も、みんな色褪せ、消えていくわ……ただ、犯した罪の意識だけが残り、ずっとさいなまれる……。」
>「マシュさんと違って、座長さんは、解ってくれるわね……」
終局特異点において主人公を守って死んだマシュは「私に色彩をくれた人」と世界を色鮮やかな肯定的に捉えているけれど、大切なものを喪って生き残った方は、世界がだんだんと色褪せて、色彩を失ってゆく。
それは、ラヴィニアを失ったアビゲイルも同じこと。
だからこそアビゲイルは、「マシュにはわからないけれど、座長さんは解ってくれるわよね」と言うのでした。
「人類を救済しようとしたゲーティアを、藤丸立香は否定した。
だったら、貴方には義務があるんじゃないの?
ゲーティアとは別の手段で、人類を救う義務が。
救われなかった人類を、救ってあげましょうよ。
貴方こそが、次のゲーティアになるべきだったのよ」
人類を救わなかったという、罪。
「人王」を殺したという、罪。
罪は――贖う必要がある。
それが、アビゲイルの言う、「主人公のなすべきこと」です。
それはロビンと主人公によって否定されてしまうのですが……人類に必要なのは救済ではなく、たとえ滅ぶとしても、悔やむのだとしても、それでも前に進むことなのだと……否定した主人公に対して、アビゲイルは言います。
>「無意味に、死んでくださいな」
それは、さながら。
人類を救済しようとして、できずに死んでいったゲーティアのように。
……また、アビゲイルは明確に、「生贄」として描かれています。
>「金色のウサギがいるよ」
とは主人公がアビゲイルを指して言った言葉ですが、ウサギは作中において生贄として用いられています。
人類が救済されるための、生贄。
彼女が神に捧げられ、苦痛をもたらし続けるからこそ、人類は救済されつづける。
それはまるで、人類の悪性を背負ったアンリマユのようで――閉鎖された舞台的な世界とあわせて、禁忌降臨庭園セイレムは、「hollow atraxia」の構造を重ね合わせたものでもあります。
またアビゲイルが真名が存在しない(アビゲイル役をやっている有名な英霊とかではなかった)のは、彼女が「何者でもなかった、ただの藤丸立香」の立ち位置だからだと思います。
ただの一般人だった、藤丸立香。
ただの村娘だった、アビゲイル。(素養はあっても)
――その夜、運命(黒い鴉)に出会う。
……まあもっとも、型月世界の「ただの」ってたいてい曰くつきだというのはお約束。
あと憶測だけど、聖杯が埋め込まれてるのアビーじゃないかな。イリヤのような本物の器じゃなくて、桜系列の、むりやり聖杯埋め込んだ「偽物の聖杯」。儀式が進むにつれてだんだん体調悪くなるのも含めて。
SNだと「サーヴァントの魂」を詰め込むことで穴が開くけど、
今回だと「贖罪された魂」で開きそう。
通常村人は強欲で贖罪されないから吊るしても吊るしても聖杯にたまらずグールになって復活する。贖罪し、生への未練が消え、グールになって復活しないような魂が必要だった、という話なのかも。
●ラヴィニアについて
「禁忌降臨庭園セイレム」のヒロイン。
作中では、「ラヴィニア」の役を演じる名もなき少女。
作外では、「FGO第一部における、マシュ」の役。
マテリアルが公開されないと何ともいえませんが、この子の正体は、「ある種のホムンクルス」です。
アルビノ、細い身体。魔術師、それも錬金術師の家系。フリークエストで出るホムンクルス。魔術師の家系にも関わらず、彼女自身は魔術を使わない。にもかかわらず、魔術的な使命はある。
おそらく本来の目的は、「異界の神を降ろす器」として使い捨てることだったのかも。アビゲイルが支配する方向に切り替えたから、役目がなくなって、「外で生きられる」ということになっただけで。
……もっとも、それもどこまで「真実」かは怪しいけれど。
ラヴィニアという少女は、身体も、精神も、全てが偽物です。そんな人物は、FGO世界には存在しない。おそらくは、空想小説である「ラヴィニア」の役を、どこかの錬金術師がつくったホムンクルスの少女に「おまえは設定が似てるからイケるだろ」と演じさせているだけ。
とどのつまりは、SNにおける小次郎と一緒です。小次郎などという英霊は存在しない。燕返しを使えるから、という理由で、それっぽい幽霊が小次郎を演じているだけのこと。
ラヴィニアも同じで、ただ悪質なのは、「元の少女」の記憶を塗りつぶす形で、「ラヴィニア」の偽の記憶を植えつけられていること。
(鯨たちがやってくるのは「夏」で、「もうすぐ夏」の時期で、この世界は七日間を繰り返しているだけの偽物なので、アビゲイルとラヴィニアがほんとに一緒に鯨を見た事実はない。そういう記憶があるだけ)
アビゲイルが、実質的に両儀式なら。
ラヴィニアは、実質的な臙条巴です。
確かなものなどなくて。
その身体は偽物の器で。
役目を果たして消える。
……彼女は、明らかに「マシュ=キリエライト」を重ね合わせたキャラクターです。そういった理由もあって、本編中でマシュはラヴィニアのことを気にかけ、「答えを出すための場」につれてきたのだと思います。
たとえ死ぬかもしれなくても。
答えを出さないままでいるほうがつらいことを、マシュは知っているから。
そしてFGO第一部において、マシュが色彩という答えを得たように、ラヴィニアも答えを出します。
たとえ自身が偽物でも。
この記憶さえ偽物でも。
胸にある想いは、本物なのだと――
そしてマシュとまったく同じように、大切な相手のために、命を落とすのでした。
マシュと違うところがあるとすれば、
奇跡を叶えた獣が、彼女の傍にいなかっただけ。
だからこそ――この禁忌降臨庭園セイレムは、「ありえたかもしれない、終局特異点」です。
マシュが蘇らなかったかもしれない、終局。
藤丸立香が人間に見切りをつけたかもしれない、終局。
なおこの「偽物の存在の、本物の想い」というのは、Fateや空の境界においても描かれてきた構図で、これらも重ね合わされています。
今作においても、ラヴィニアだけでなく、「ナタ」がその構造を担っています。太乙真人によって魂を作られ、一度は人間の肉から生まれながらも、贖罪のために一度死に、その後蓮の花の化身として生まれなおした彼女は、ある意味でラヴィニアやマシュに近いものです。
>「人形とは 意思無き者也。汝に苦悩無かりせば クグツと変わらじ
汝は人形也や?」
>「真に穢れなき強さを持つなら 打倒した後であろうと 何かが残る……! 我が魂魄の有様こそ その証なり」
ナタが本編で叫ぶ台詞は、自分という在り方こそが、ラヴィニアやアビゲイルにとっての応援なのだ、ということなのでした。
またラスボスのクラスに、バーサーカーが弱く、アルターエゴが有利なのも、「異界存在に対峙する際には、意思こそが求められる。狂人では勝てない。自我をもって相対せよ」ということだと思います。
もっともそれだけではなく、アルターエゴという「分身、別の自分、人工物」が、「ラヴィという偽物の存在こそ、アビーの胸に突き刺さる」という理由だとかなりエモくて嬉しいです。
だってアルターエゴ、「親友」っていう意味もあるんですってよ。エモすぎない?
(なおここから先は同人誌で色々かくつもりなのであんまり語らない模様)(とくにアビゲイルとラヴィニアの関係性とか)(いいよね……)(鯨を見に行こう――)(偽物の記憶ではくて。今度こそ本当に、鯨を――)
●おまけ:カルデアの面々について
時間ができたらそのうちきちんと描きたいですがここでは保留。
とりあえずクロダオサフネさんとかカップリングがガバ野郎さんとか人畜さんのツイートとかRTを追いかけると楽しいですと宣伝。