以下で公開中の短編小説の、改稿前版。
https://ncode.syosetu.com/n8679cq/
第三回ナロラボ杯応募当時の原稿になります。
ナロラボ杯については以下URLから。
http://narolab.com/narolabcup-result-3/
@lisakilizan
1. Drunken, Sunken, Legal Seagull
「災難だったな!」
その日、宴席で顔を合わせた第一声は、全員もれなくこの一言だった。
続く同情と労いの言葉には、どことなく嬉しそうな声音がにじむ。ざまぁみろ、とでも言うような。
それを俺が言及すると、「当然だ」と頭をこづかれた。
「あんな強気の業績予想出しやがったときから、ずっと見たかったんだ、お前のこーんな顔。下方修正で『ほらみろ』っつってやるつもりだったのに……ったく、かわいくねぇ決算出しやがって」
「ああ、低能経営者どもの、見苦しい嫉妬か」
相手は全員数世代上だが、数年来の付き合いでこの会合にすっかり馴染んだ俺は遠慮なく呟く。
今度は肩甲骨の下にヒジが入った。
いつもどおり末席に座ろうとした俺は数人かがりで引き止められて、むりやり奥の席へと押し込まれる。半透明の水色薄膜――防音フィルタが個室の内側を覆う。しまった、退路を絶たれた。
あきらめて、切子細工の青いグラスを受け取る。透かし模様入りの懐紙を開いて、注がれたばかりの無色透明の液体にぱらぱらと粉末を降らせた。
空調がそれをゆったりと混ぜあわせる。
「乾杯!」
号令とともにグラスが打ち付けられる。
この飲み会は、一応、俺の慰労という名目だが、その実、憂さ晴らしの一環だ。気落ちしている俺を笑いたいだけだ。
このオヤジどもは、鬱屈とした景気の海で溺死する前に、一瞬だけ、経営者としての顔を忘れて騒ぎたいだけなのだ。
「儲かってる証拠だからな、むしろ喜べ」
身勝手で他人事極まりない励ましに、俺はため息をつく。
今日一日、後処理に走り回った疲れがどっと押し寄せてきた。
箸を持つなり、産地直送(ノンストップ)で運ばれてきたお通しが各人の前で静止する。皿を覆っていた白い冷蔵傘がぱっと霧散して消える。
やいやいと騒ぐ声を聞き流し、箸を動かす俺の前の中空に、ふわふわと球体が泳いできて視界を遮った。|新着情報(ノーティス)のアイコンがちらつく。
「おい、浮かせすぎだ」
|浮遊情報(フローティングアーカイブ)をせっせと浮かせていた斜向かいの男に文句を言ってから、俺は所狭しと流れる球体の隙間に生食用の魚を適当に泳がせつつ、文字列に目をやった。
見出しには、今朝方、株価急落で大打撃を受けた某有名ベンチャーの名。俺の会社だ。
「ちゃんと読めよ、これ全部違う記事だぜ」
そう言って、斜向かいに座る男がパチンと指を鳴らす。泳ぐ魚に押し流されていた球体群が戻ってきて、元どおりの位置にすんなり整列する。わざとらしく、びっしりと、俺の前だけに。
「……座標記憶か」
古い技術だ。今更こんなもの組み込んでどうするのか。呆れた目を向ければ、そいつ――物流会社の社長は得意げに胸を反らす。
「まさか。全体最適化だ」
そう言って手前の一個を消した。すぐさま、さざなみのように揺れて、球体の配置ががらっと並び変わる。
敷き詰められた球体の隙間で行き場を失った魚を、俺は箸でつまんで救助してやった。そのまま口に運ぶ。残酷だと笑われた。
「いやしかし、そろそろだと思ってたよ。遅いくらいだ。お前もこれで、ようやく俺たちの仲間入りか」
「……|あれ(・・)を基準にするなよ」
不愉快な言い方に、眉間のしわを掻きながら俺が呟くと、次々に否定の声が上がる。
「いや、じつにカッキリした指標だよな」
「どこだったか、|通過儀礼(イニシエーション)と報じてたぞ」
うまいな、と肴をほおばりながら言うもんだから、一体どっちについての形容なのか分からない。
「標的は明らか、なのに誰も防げないってんだから……勿体ねぇよな。あれだけの腕があったら、間違いなくFやDCあたりから声かかってるだろ」
FやDCというのは、名だたる大財閥を指す隠語だ。そいつらに雇われさえすれば、いま奴がチマチマとくすねてるはした金なんて、一瞬で稼げるだろう。それどころじゃない、今はそこらじゅうの企業にちょっかいかけてるせいで犯罪者扱いをされているが、財閥の傘下で指示された相手とケンカをするのなら、追われる心配もなく、合法的にハッキングができるのだ。
なぜ、そうしないのか。
「ものすごいガキなんじゃないかって噂あるよな。|経済指標(すうじ)と機械語はネイティブ並にぺらっぺらだけど、法律やらヘッドハンティングのメッセージとかの通常言語はまるで読めないっつう」
「ははっ、んだそれ」
俺の隣席の男が赤ら顔で笑い飛ばした。
俺たちが話しているのは――
かつてこのオヤジどもの会社を、そして今朝は俺の会社をハッキングして、株価を大暴落させたハッカーの話だ。
|HN(ハンドルネーム)は『VAIU』。事前にある程度備えておくことはできるが、襲われたら最後、嵐が過ぎ行くまで打つ手なし。そんな由来から、付いたあだ名は。
登場時こそ世界中の企業を震撼させたが、ある程度暴れ回ったあとはすんなり標的を移すことが分かると、世界的に結託して対抗するという話は次第に消えていった。
今やまるっきり、『新入りの優良企業に必ず降りかかる洗礼』扱いだ。
宴もたけなわ、俺の会社の今後の進退について好き勝手に騒ぎ立てるオヤジども。
それを眺めて酒を舐めつつ、俺はぼやいた。
「梅雨が、いつから天災(ディザスタ)なんて大仰なものになったんだ」
「おいおい、雨を舐めるなよ?」
「ややこしいな、どっちの話だ」
高尚気取った酔っ払いの話は面倒くさい。
「ま、今回は災難だったな。犬に噛まれたと思って忘れろ」
忘れる? 何もしないまま?
ムッとして、俺は思わず言い返した。
「俺がアレをどうにかする、という可能性は考えないのか」
一同がきょとんとなる。赤ら顔に一斉に笑われた。
慰めるように肩をたたかれ、ついでにのしかかられる。重い。
「やっぱり若いな! お前ならどうにかできなくもないかもしれないが……意味のないことはやめとけよ」
間近でわめかれて、酒臭さに顔をしかめる。
「ちょっとヒドい|感冒みたいなもんだ。一過性って分かってんだから、わざわざ手間かける必要もないだろ」
「そうそう。お望みのところまで株価が下がったら勝手に引いてくんだから、引き伸ばすほうが損だぜ」
そこまで下がるのを指をくわえてみているのが許せない、と言い返したら、きっとまた青い若いと笑われるのだろう。
それが分かったから、俺は憮然としたまま黙ってグラスをあおった。助言したがるジジイどもの言葉は適当に聞き流し、好き勝手に騒がせておいた。
***
帰宅するなり、俺は自社サーバーのログを呼び出した。《天災(ディザスタ)》に荒らされた形跡をもう一度確認する。
「増えてはいない、な」
規則正しい昼型人間か、と安直なプロファイリングをする。
正確にはプロファイリングではない。現在の法律において、は俺にとっての犯罪者ではないから。
長らく、この分野の法整備は随分と遅れていたが、数十年前の大々的かつ革新的な法改正で随分と分かりやすくなった。
自衛できる奴が自衛しないのは、ただの過失。自己責任。
ある程度の技術力を持った個人や組織が、何らかの悪質な攻撃を受けて損害を被った場合、それを防げるレベルの技術や資産を持っていたと判断されれば――刑法そのものが適用されない。
実にさっぱりした内容だ。
……IT技術の複雑化に追いつけないと判断した政府が、いさぎよく法律での束縛を放棄した、とも言える。
だが、これでいい。このほうがいいという意見が世論の大多数だ。ド素人の無知な第三者が、偉い顔して余計な首を突っ込んでこられても邪魔だけ、ケンカがややこしくなるだけ。勝負で片がつくほど分かりやすいものもない。
そもそも、実力と才能で他人の資産を奪っていく経済競争と、一体何の違いがあるのか、って話だ。
(ちなみに、昔ハッカーだのクラッカーだのと呼ばれていた連中らが、ひとくくりに「ハッカー」と呼ばれるようになったのもこのせいだ。)
さて、話を戻すが――
いま俺を苛立たせているコイツ、《天災(ディザスタ)》くらいの相手には、どんな攻撃をしたって、大抵は自衛可能の範囲内に入る。
|防火壁(ファイアウォール)や逆探知や|罠&破砕(トラップ・アンド・クラック)が合法的に許可されるのはもちろんのこと、対抗ウイルス注入やら|誘導催眠(スリープ)などの反撃をやらかしても、それらはあくまで自衛の手段、正当防衛として処理されて問題にはならない。
軍隊でも借りて組織的に殺しにかからない限り、俺が罪に問われることはない。少なくとも、バーチャルの範囲での|攻防戦(・・・)ならば無法地帯と言うわけだ。
望むところだ、|攻防戦(・・・)。
ああ、そうだ、大事なことを言い忘れていた。
コイツが気づいているかどうかは知らないが、俺も奴と同等の技術力くらいは有している。だから、コイツが俺の会社の資産をぶんどっていった今朝の攻撃が合法になるというわけだ。お互いに、大抵のことでは法律は介入して来ない。殺人以外の刑はほとんど無罪になる。
――「俺がアレをどうにかする、という可能性は考えないのか」
宴席でのあの言葉。
俺は、負け惜しみや苦し紛れで言ったつもりはない。
「久しぶりに、俺を怒らせたな」
極度の負けず嫌いだという自覚はある。自分の領域が侵されているのを、ただ指をくわえて黙って見ているのは性に合わない。
俺は、今朝の一報の直後に取り寄せておいた最新の量子端末を引き寄せると、ニヤリと笑い、指の関節を鳴らした。
「覚悟しろよ」
2. Hello, Fellow
俺は怒りに任せて、|前面花弁(ファサードパネル)を革靴で踏みつけた。
そうやって固定したパネルに片っ端から開錠コードを叩きこんでいく。
核心部の|防火壁(ファイアウォール)が起動する前に、セキュリティ構造を適当に書き換えてやる。さっきから暴れていた免疫機構が急に大人しくなる。
停車したタクシーがポンと信号を鳴らして扉を消す。俺が車から降りると頭上で課金音が鳴る。
しばらく俺の背後で|滞空(ホバリング)していた黒塗りの車両は、次の呼び出しを受けて走り去る。
怒りと急激な活動で沸騰しきった頭を、吹きつける夜風が気休め程度に冷やした。
高級ホテルのそれと見まごうほどの豪華なエントランスを足早に抜ける。セキュリティは先ほど車中ですべて解除したから、妨害は一切ない。
観音開きの透明な扉の前で、くるくると回転している|認証端末(メトリクスポータル)に、用意しておいた黒い立方体をかざす。扉が消える。中空のモニターには「DAMN...」の文字。
『な、なにそれ?!』
唐突に飛んでくる、ハウり気味の電子音声。もちろんシカトする。
壁状に敷き詰められた白亜のパネルの一つを選んで、行き先階を押し、背を向ける。肩甲骨がじわりと熱を帯び、全身を浮遊感が襲う。
非接触エレベーターは俺を一瞬で最上階に運び――俺はの自宅に、初めて足を踏み入れた。
***
あの日から、俺は幾度となく《天災(ディザスタ)》に応戦していた。初めて打ち負かしてやったときは、驚いたのかびびったのか、しばらく音沙汰がなかったが、すぐに体制を改めて、それまでの数倍の反撃がきた。
それからは、ずっと拮抗戦が続いていた。
株価は横ばい。
だが、俺はそんなこと既にどうでも良くなっていた。
意外にも、これがなかなかにスリルで面白い。暇つぶしのエンターテイメントと思えるくらいには楽しんでいた。
元々、経営に興味を持ったのも、でかい勝負事がしたかったからであって、それが別に経済競争でなくてもよかったのだ。
そういう日々が日常になって、半月が経った。
だが――今夜はさすがにぶち切れた。
女といる最中、ちょうどいいタイミングで、ビジネス用の緊急電話、鳴らしやがった。
四日連続。
どう考えても故意だ。
ビジネスの領分を侵されるのは、俺の自衛不足で過失で自己責任だ、だからそれは良いが――まさかプライベートまで同じレベルで踏み込んでくるほど非常識な奴だとは思わなかった。
おかげさまで、当分使うことのないだろうと思っていた切り札を早々に持ち出す羽目になった。
さっき言ったとおり、バーチャル上では拮抗戦。どこまでいっても平行線。
だから、この怒りを鎮める方法はただ一つだ。
――物理的に、ボコる。
奴の身体データは、政府当局の国民健康データベースから既に入手済み。シミュレートするまでもない、間違っても俺が負ける相手じゃない。
人感センサーがシーリングライトを灯し、リビングと思しき広い部屋が明るく照らし出される。
「ねぇねぇ、さっきのどうやったの」
足元から柔らかな声がした。
俺は仁王立ちのまま、見下ろす。
フローリングに寝転がり、絹糸のような髪をほうぼうに散らす、少女が一人。
不覚にも――俺は見とれた。
女に不自由するような生活とは無縁の俺が、だ。
日焼けのない白い肌。小柄な頭部と体躯、恐ろしく細い四肢。
身体データ上は中肉中背だったが、どう見たってそんなもんじゃない。
「……お前、数値ごまかしてないか」
「あーあれね、うん。そのまんま書くと、いっぱい検査に引っかかっちゃうから、サバ読んでる」
「逆サバだ」
「そう言うの?」
ハッカーのご多分にもれず、コイツも好奇心のかたまりのようだ。仰向けに寝転がったまま、裸足の足を動かしてこちらにずり寄ってくる。
「知るか。総務と秘書の子が話していたのを聞いただけだ」
「どの子?」
そう言って少女の口からぺらぺらと出てくる人名は、全て弊社の社員だ。それも、俺のお手つきの。
まぁ俺の女性関係くらい、コイツには寝ていても把握できるだろう。あいにくと隠すような人脈はない。
……ああ、本題を思い出した。
「ねぇどの子って聞いてん――」
しゃがみこんだ俺は、白いワンピースの胸倉を掴みあげて引き上げる。想像以上に軽い体は、あっさりと俺の前に宙吊りになって間抜けに揺れた。
人形のような顔立ちが、苦悶の表情に歪む。
「痛い、放せー」
「……まさか、それで暴れてるつもりか」
俺の手首に両手を添えているだけとしか思えない。いくらなんでも非力すぎるだろう。
こんな奴相手に軍隊雇うと一瞬でも考えた自分を疑う。間違いなく、俺がボコったら一発で即死する。
長いため息をついて、俺はクソガキをソファに下ろした。数回むせこんだ少女はころりとソファに横になり、俺の次の攻撃を防ぐために|簡易防護壁(シャッター)を下ろした。
俺はぎょっとして周囲を見回す。
「おい、今の……どうやった」
|指示動作(サイン)なしに起動できるVRなんてものは、まだこの世界のどこにもない、はずだ。
まさか脳波まで使ってるのか、と考え始めた俺の耳に、簡潔な返答が届いた。
「まばたきー」
「……もう少し動くやつにしろ。そのうち筋肉が全滅するぞ」
自動起動したメディカルチェックの赤い光が、少女の喉元を辿って下りていく。異常なし、の文字に俺は息を吐いた。床に座りこみ、少女の寝転がるソファに背をあずけ、女の家で律儀に締めてきたネクタイを緩める。
俺がソファのほうを振り返れば、白い人形も、ころりと寝返りを打ってこちらを向いた。
「大体、お前が悪いんだぞ」
俺の言葉に、少女は目を丸くして首を傾げた。
「なんで?」
長い髪がさらりとソファから床に流れる。
心底分からない、というような表情に、俺はあっけにとられる。
「なんでって、お前が邪魔するからだろうが」
少女は横たわったまま、ぷぅ、と頬を膨らませた。
「だって、ああいうの見せられてもつまんない」
「ああ? 誰もお前に視……ああ、何、いたたまれなくなったか」
適当に言ってみると、少女はいきなり顔を真っ赤にして勢い良く飛び起きる。
「ちちち違うバカ!」
「………………あー」
なるほどな、ただのガキだ。予想以上にお子さまだった。
俺の予想はまんまと外れた。ケンカは俺の勝利に終わり、あとは物騒な口喧嘩の応酬だろうと予想していたのに。
皮肉の一つも言えない、好奇心に満ち溢れた、世間知らずのただのガキだ。
宴席で聞いた、「ものすごいガキなんじゃないかって噂」がまさか本当だとは思わなかった。アイツに一杯おごらなきゃいけないな、とどうでもいい考えがよぎる。
こんな奴に半月も踊らされていたのかと思うと、俺は急に、ひどい虚脱感に襲われた。
「あー、悪かったな」
「……へ」
きょとんと見返してくる小さい頭部に手を置く。
悪気がないから許す、なんていう話じゃあない。俺はそこまで聖人君子じゃない。
無意味だと思っただけだ。
|こういうこと(・・・・・・)で俺がキレても、クソガキのコイツには到底理解できまい。IQがいくら高くても、理解できないことは学習できない。たぶんコイツはまた繰り返す。
ならキレるだけアホらしい。それだけのことだ。
「ほら、お前も俺に謝れ」
「ん?」
「俺に迷惑かけたことはわかってるんだろ」
「いやだ。そっちだって反撃してきたじゃん。合法だし」
「お前ね、合法でもやっていいことと悪いことが……あー」
法改正後に生まれたこの世代は、法律外の罪の意識が薄いってあれ、本当だったのか。
なんだか急に疲れてきた。現在時刻を思い出して、急な睡魔もやってくる。
ああ、もう、いいか。
俺は立ち上がって、さっさと玄関に向かう。
「ほどほどにしろよ、じゃあな」
「え、もう? なにしに来たの?」
俺自身もそう思う。
毒気を抜かれた、が一番しっくり来る表現だ。当初の目的を果たしたところで、俺がすっきりしないんじゃ意味がない。
「生存確認。ひとまず、|高度人工知能じゃないことは分かった」
そう答えてひらりと手を振り退室した俺の背後で、けらけらと笑う声が聞こえた気がした。
3. Call from the Doll
「しゃ、社長」
泣きついてくる情けない顔の社員を押しのけて、オープンミーティングエリアに散らばる情報をざっと見回す。
「こりゃあ……ひどいな」
いくら偶発的なトラブルが重なったって、ここまでこじれるものか。こうまでクラッシュしまくると、社内SEにも、契約中の業者にもお手上げだ。
どうしたものかと思案しながら、寝ずの対処をしていたSEたちを集めて最新の状況を確認していると、緊急連絡用の電話が鳴った。
『えにしー』
ふんわりと柔らかな声が、俺の名を呼ぶ。
曲がりなりにも俺は一企業の社長、本名のセキュリティレベルは相当に堅牢。一体どこから調べたのか。
「ああ、お前か――梅雨(つゆ)」
では、俺も呼んでやることにしよう。
『……う』
変なうめき声が聞こえて、しばらくの静寂。
俺は少し首を傾げ、まぁいいかと続ける。
「まさか本名とはね」
『そっちだって安直なくせに』
「へぇ。そこまで分かったのか」
あれからちょくちょく、こういう内容のないイタ電などもかかってくるようになった。
まったく、とことん、ガキだ。
「あの、社長……?」
この事態の最中に砕けた口調で通話し続ける俺に、説明途中だったSEが不安そうな顔をする。
「ああ、そうだった。おい、切るぞ」
『ゆっとくけど私じゃないからね』
「あ?」
『遠隔自律サーバーのクラッシュ。えっへっへー、今日になって気づくとかー、ぶ・ざ・ま!』
「……お前、いつから見て」
舌打ちを一つ鳴らして――ふと、そこで気づいた。
「おい、お前、」
そうだ。コイツなら。
「自家用|AID(エイド)持ってるって言ってたよな」
『ん~あ?』
肯定だか否定だかよく分からない返事に構わず続ける。
「お前、コレ直せ。――ええと、そうだな、」
青白い発光文字が、俺の指の動きに応じて、中空に試算値を弾き出す。|電子秘書がそこに、本日の俺のスケジュールを同期させた。末尾で明滅する太字の数字を、俺は親指でなぞって読み上げた。
「AM11:45までに片付けてくれ」
ぶっ飛んだ指示に、SEがぎょっとなった。
告げた時間は三時間後だ。
「できるだろ?」
『うん。その代わり?』
にやにやしている顔が見えそうな、弾んだ声だ。
俺は思案しながら、頬に手を当て。
「その代わり……私のできる範囲なら、なんでもしてやる」
豪胆な返答に、SEが更にぎょぎょっとなった。
『ほんとう?!』
意外にも梅雨はものすごく弾んだ声で、俺のぶら下げた餌に飛びついた。
「ああ」
まさか、何らかの地雷を踏んだか?
気おされながらも首肯する。今はこれ以上に優先させるべき事案はない。
間髪いれず、俺が社内全員に「手をつけるな」と厳命したシステムが起動音を鳴らし、すぐさま、目まぐるしい勢いで数値が動く。
青ざめ慌てるSEを制して、俺は「ご苦労。しばらく様子見だ」と休憩を告げる。
4. Sweet Treat
なんのことはない。初めから。
そう、初めっから。
***
扉を開ければ、得意げな笑みと高慢な態度が待ちうけていると身構えていただけに、これには虚をつかれた。
絨毯敷きの玄関ホールにぺたんと座り込んでいる白い人形。
伏せられた顔は、長い髪に隠されて見えない。
ガキで効率主義のコイツには必要ないとわかっていたが、俺は一応、形式的な労いの言葉を投げてから、
「で、報酬は何にする?」
と、いつもより穏やかな口調で問いかけた。
がけっぷちにあった俺の会社がコイツの腕に助けられたのは、紛れもない事実だ。
俺の所有資産額も人脈も生活パターンもコイツには筒抜けなので、どこまでが『できる範囲』なのかをわざわざ説明してやる気はない。必要もないだろう。
だが、俺がコートとジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩め、迷惑をかけた取引先への謝罪回りで凝った肩を回す間じゅう、梅雨は身動きしなかった。
「おい?」
呼びかけても返事はない。
俺が入室したときはわずかに反応したように見えたが、まさか、座ったまま寝てるんじゃないだろうな。
「おい。悪いが、今日は長居できな」
まだ残っている事後処理の算段をつけつつ、片膝をついて、うつむく顔を覗き込んで――絶句した。
梅雨は、ボロボロと泣いていた。
「……おい?」
なんでだ。意味が分からない。
女の泣き顔など見慣れているはずの俺は、だが、なぜか異様にぎくりとした。
らしくもなく、酷く動揺する。
盛大に泣きじゃくりながら、か細い声で梅雨が言った。
「……い、いらない……っ」
ない、ではなく、いらない。
ということは、欲しいものがあった、ということだ。
あれだけ喜んだのだ、ないわけはないだろう。
少なくともあの電話のときには、思い描いた何かがあった。
嗚咽に震えてうずくまる小さな体躯を見下ろして、俺は目を細めた。
よし。ひとまず――
――全力であやすか。
「梅雨」
そっと呼びかければ、ピクリと震える薄い肩。
怯えさせないように腕を回して、引き寄せて、抱きしめる。
「……う、うわ」
梅雨は途端に、こぼれそうなほど両目を見開く。白い顔が花咲くように朱に染まる。その頬を伝う涙をぬぐって、しゃくりあげる背中をなでる。
温度が伝わる。息遣いが聞こえる。
しばらくそうして、ささやかすぎる全体重を俺に預けてきた頃合いで、
「運ぶぞ、つかまってろ」
「……え、わ!」
抱き上げて、リビングのソファまで運ぶ。
そっと座らせて、乱れたワンピースの裾を整えてやったところで、
「も、もう、充分!」
息を切らし死にそうな顔で叫んで、梅雨は俺の胸を押しのけようと両腕をつっぱった。
「……ふぅん、なるほど?」
もう充分、か。
つまり、コレか。
「いいぞ、梅雨」
だから俺は言った。
「『できる範囲』だ」
きょとんと見上げてくる小さい頭を引き寄せて、その額に口付ける。
「ひ!」
奇声をあげて逃げ出す様子を笑いながら、小さい体をソファの端まで追いつめて。
「よし、これからはコレだな」
「な、なにが」
「今までのイタズラの礼だよ。路線変更だ」
面白いようにうろたえるその顔をマヌケだと笑ってやる。
その細い指一本で、数々の世界企業の頑健な経営をひっくり返してきた豪胆な奴と同一人物には、とても見えない。
俺がソファに片足を載せると、なにをどう思考を回したのか、真っ赤な顔で梅雨が叫んだ。
「あ、悪党! タラシ! せ、節操なし!」
覚えたての言葉のようにカタコトのイントネーション。
……ああ、いつぞやコイツがいたたまれなくなって電話を鳴らしたときの体勢に限りなく近いな、と気づく。
「何言ってる。俺の改心っぷりは、お前が一番良く知ってるだろ?」
「……っ」
「俺の女遊びをゼロにしたのはお前だからな」
「そ、そん、うあ、」
あごをすくって顔を寄せれば、あふれた大粒の涙が目尻から零れ落ちた。
「……また泣くのか」
「泣いてない!」
からかうのは一時中断。宥めるように背をさする。
「……で、どうした」
うつむいたまま、梅雨はぽつりとこぼす。
「で、でもっ、……だって、えにし、キレーなお姉さんが好きなんだろ」
「……なに寝ぼけてる」
「寝ぼけてない!」
盛大な誤解だ、別に俺は面食いでも身体重視でもない。
そりゃ、自分のものにするなら良いに越したことはないが。
「じゃあ鏡がないのか。ああ、確かに見当たらないな」
「なんで鏡?」
「……お前ねぇ」
前にも言った気がするが、こいつ、顔は悪いほうじゃない。
俺がみとれるほどだ。最近の誰より上等だ。
病的なまでの青白さも、細すぎて壊すんじゃないかと思うような手足も、悪くはない。後日気になるようなら、まともなメシでも用意してやれば良い。
あいにくと、好きな女を甘やかすのは苦ではないし、嫌いでもない性分だ。
さて、まずは――この頑なな小娘に、それをどうやって説明するかだ。
「俺は外見重視じゃないぞ」
俺が相手に求めるのは、同レベルとはいかないまでもある程度は俺の思考レベルについてこれて、ウィットに富んだやり取りや気兼ねなく仕事の話ができる頭脳だ。商売女も含め。
その点においてコイツは、及第点どころか諸手を挙げて喜びたいほどの逸材だ。
「うそつき、どんだけさかのぼっても総合容姿指数30以上で体格指数18以下でEカップ以上の」
「……お前の辞書には、モラルやらプライバシーと言う言葉はないのか」
日常会話は壊滅的だし、それ以外は何かと不安な面のほうが多いが。
心配せずとも、じゃじゃ馬の飼い慣らし方はそれなりに心得てる。今までは飼おうとしてなかっただけだ。
(この甘い目論見が木っ端微塵に砕かれるのは……まぁ、また別の話だ)
「お前さ、いくつだ」
「じゅうはち」
泣きべそをかく少女の言動からは、ちっともそうは見えないが、公式データも確かそのくらいだった。
「なら、つかまりゃしねぇな」
「……な、なにするの」
ソファに広がる毛先をすくいとって口付ける。
我ながらキザだと思うが、効果はてきめんらしく――たちまち赤面して呼吸を止める梅雨。
俺は笑って小さな頭をなでて、最上級の愛の言葉と、
「覚悟しろよ」
と囁いた。
5. With this Kiss
宙に浮いて回転する虹色の立方体が、複雑な軌道を描いて十二面体へと、ゆるやかにその形を変える。散らばるように数値が浮き上がる。
俺は頬杖をつきながら、指先でそれをつついた。
最近、画面上で、これと同じものを見た記憶がある。
「……なんて言ったか、あの有名なアナリストが五年後の実現予想で、これと似たものを出してなかったか」
「ああアレね、笑った」
「……」
そんなレベルか。コイツにとっては。
こんなものが実在していると知ったら、ウチの会社の併設研究所が涎を垂らして欲しがることは間違いない。
いや、それどころではない。世界中が欲しがってコストを惜しまず投資して、開発に躍起になっているところだ。
その隣に置かれていた古びた箱が、ジリリリ、と古臭い音を鳴らした。
「お、懐かしいなこれ」
飛び回る黒い箱を、手のひらの上で転がす。部屋の隅に座り込んで作業をしていた梅雨が駆け寄ってきた。
「それね、拾ったんだけど、なんに使うの」
「珍しい。お前が分からないとは」
三回まばたきをした少女は、肩をすくめて。
「調べたけどね。読んだけど、分かんなかった」
ああ、と俺は納得した。この時代には必要のないものだ、実感がなければ理解できまい。
「侵入した先のタイムリミットに応じてアラーム鳴らすんだよ」
俺の説明に、梅雨は綺麗な顔を歪めて変顔を浮かべる。
「……なんで」
「最近まで時限抑制(タイムレストレイント)機能なんてなかったからな」
「なんで」
「誰も思いつかなかったからだろ」
「ふーん。えにしも?」
「……おい、そのバカにした目をやめろ」
理解して満足したらしく、梅雨は俺の手から箱をつまみあげてリサイクルボックスに放り込んだ。三秒で分子レベルまで分解された無用な箱は、万能ペレットとなってころんと排出された。
それから、梅雨は近くのカウチに座って足を揺らす。
「えにしはさー、なんでハッカーやめて起業したの」
「お前みたいな生き方もよぎったけどな。大学時代でハッカーは飽きたんだよ」
ぷらぷらと細い足が揺れるのを眺めつつ、俺も隣に腰を下ろす。
「ふーーん。デキの悪い頭を持つと、人生がかわいそうだね」
「んだと?」
「ずっと触ってるけど、飽きたことない」
あ、思いついた、と呟いて、梅雨が指をくるりと回す。
見たこともない無数のデバイスが宙を舞って、梅雨の周囲の空間を埋め尽くす。世界に流通する大半の最新端末を取り扱うと自負している俺が、見たこともないデバイスが、だ。
「自前か」
「うん」
「天職だな」
からかうように口笛を吹けば、わずかに眉を寄せた不満げな顔がこちらを見る。
「ほめてる?」
「さあな。――で、お前、司法取引は」
「とっくに終わったよ? 用意した取引材料の一割もいらなかった」
「……そうか」
何の話かというと。
『恋人が捕まるのはゴメンだ』という俺の言葉にあっさりうなずいて、梅雨は自衛できない企業への攻撃をやめた。これまでの余罪は、司法取引に応じることで帳消し。
これで、こと『VAIU』は、晴れて犯罪者から脱したという訳だ。
この突然の事態に、各国メディアは連日大賑わいだ。このまま情報が飛び交えば、俺たちの関係が報じられる日もそう遠くはないだろう。梅雨が恥ずかしがって隠したりしなければ。
で、その梅雨だが。
相変わらず、俺の会社や俺レベルの相手を見つけて喧嘩を売っているのかと言うと、これがそうでもなかったりする。
梅雨の目の前でひっきりなしに通知を鳴らし続ける立体モニターを、俺も一緒になってのぞきこむ。
「まさか、お前にケンカ売る奴が出てくるとはなぁ」
「いまんとこねー、5勝5敗5引き分け。えにしより強敵だよ」
生意気な小娘の頭を小突く。
「俺との戦績を捏造するな」
3勝3敗80引き分け。数字で見れば同列のはずだ。
「えーじゃあこれ代わりにやる?」
見たこともない記号の羅列に、顔をしかめて押し返す。
「おいおい、互いにイチから作ってんのか。相手はどんな奴だ?」
「んーどこだっけ、どっかの地方都市の海沿いの普通マンションのー、最上階に住んでるー、13歳、女、貧弱で根暗で、すんごい生意気」
「誰かさんに、良く似てるな」
横目でからかうように言うと、梅雨はなぜか泣きそうな顔をして。
「浮気? んと、ロリコン? 若い方がいいんでしょ」
「………………どこでそんなこと覚えてきた」
「調べた」
このくらいで済めば可愛いものだが――好奇心のかたまりは初心なくせ、日に日に耳年増になっていくから、どうにも困る。
「そうか」
ため息をついて抱き寄せて、囁きかける。
「お前でこんだけ手ぇ焼いてるのに、お前よりガキな奴の面倒なんて見れるわけないだろうが」
「う」
真っ赤な顔で暴れ始めた梅雨を、そのまま膝の上に乗せて、腕の中に閉じ込める。ゆるやかに巻かれたつむじに鼻先をのっけた。
「この頭で、ちょっと考えりゃ分かるだろ」
「わ、分かんない」
「そうか?」
組んでいた腕を一度外して、そっと抱きしめる。みるみる温度を上げていく小さな体。
「わ、分かった、分かったから、放せー」
奥手な脳みそがショート寸前で半泣きになったところで解放してやる。これ以上からかい続けて|簡易防護壁(シャッター)でも下ろされたら面倒だ。
梅雨はカウチを数回転がって、うつぶせのまま息を整え、その体勢のまま俺の膝を爪先でつついた。本人にとっちゃ蹴っているつもりだろう。
「おいこら、行儀わりぃぞ」
たしなめるとすぐに足が引っ込む。
「ちゃんと座れ」
「うん」
起き上がって俺の隣に居住まいを正す。
……素直、なんだがな。
夕闇に目を向けた梅雨が、急にそわそわし始める。
「ね、ねえ、……帰んないの」
そんな顔で言われてもね。
「あー、泊まる」
有無を言わせず断言すると、梅雨は目を泳がせた。
これで何度目のやりとりだか、と俺は呆れた目を向ける。
俺はここ最近、梅雨の家に入り浸っていた。どこでだって仕事はできるし、むしろ、ここの機材は、俺の自宅や会社の設備より数倍効率的だったりする。
「喜んでいいんだぜ」
「だっ……!」
のしかかって酔っぱらいのように絡む。もちろん体重はかけていない。
ひとしきりからかって遊んだところで、俺はふと思いついて言った。
「あー、夕飯どうするか」
「|携帯口糧(レーション)」
呼び出し音とともに、実物が梅雨の手に握られる。
その味気のない栄養機能食が、梅雨の主食にして毎日の食事のほとんどを構成していると知って、俺が全て押収したはずだったのだが、まだ持っていたのか。
「お前ね、」
奪って説教をかまそうとして――ここで頭ごなしに全否定しても、余計頑なになるだろうことに気づく。
「そうだな……お前、|飴色料理(キャンディキュイジーヌ)って食べたことある?」
コイツが好みそうな名前で栄養バランスのよいものを選ぶと、
「なにそれ?!」
途端に満面の笑みが俺を見上げる。
そんな表情を見るだけでこんなに満足するんだから、俺も安くなったものだ。
「よし、食いに行くか」
「行く!」
勢い良く立ち上がった少女に、真新しいコートを着せて、帽子を乗せて、その背を押す。
ものすごく照れた顔で、振り返った梅雨が言う。
「ねぇねぇ、えにし」
「ん?」
「……初でーとだね」
たまらず口付けた俺は悪くない、はずだ。
真っ赤な顔の梅雨を連れて部屋を出た俺は、たぶんそれ以上に変な顔でニヤついていたと思う。
その浮かれた顔と熱を持つ頬をごまかすように、晴れた夕焼け空を見上げる。
右手で握った小さな手のぬくもりを感じつつ、駆け引き抜きのこんな甘ったるい恋も悪くない、なんて思いながら。