@nainieymugen
白い。
とても白い。
真っ白、という訳ではない。白い雪の下からは、時々黒黒と湿った樹や岩が覗いている。降り積もってから少し経ち、重く湿り気を帯びた雪に時々足を取られながら従僕の勇者は進んでいく。
とうに食糧は尽きている。
燃料も僅かしか残っていない。
携えた鉄の杖は、薄い手袋越しに容赦なく手から温度を奪っていく。
今は、雪は降っていない。
一体どれだけ歩いただろう。
特に目的があった訳ではない。というより、本来はこんな所に足を踏み入れるつもりはなかった。ただ、なんとなく誰かに呼ばれた気がして。遠い遠いどこかから、誰かが呼んでいた気がして。真っ直ぐ、そちらへ歩き続けていた。
何度か帰ろうと思った。
何度も死のうと思った。
けれどその考えは妙に薄っぺらい気がして、勇者の心を揺らすには至らなかった。
足が痛い。
歩き通しの疲労と、容赦なく蝕む冷気が足の感覚を急速に麻痺させていく。こうなってはもう長くない。進み続けるのは半ば惰性だ。
夜の森は静かに音を吸いこんで、温度の気配はどこにもない。
雪に覆われた白い森を、勇者は歩く、歩く。
段々と視界が暗くなる。
顔を上げれば、そこに丘があった。
丘を登る。
気がついたら、杖はどこかに置き去っていた。
遠目から見たら丘のように見えるそれは、触れてみれば雪が覆った岩の塊だった。雪の中に手を突っ込み、岩を掴んで、体を持ち上げる。
体温で溶けた雪によって重くなったカソックを脱ぎ捨てる。寒気は直接に体を刺す。手袋はあちこちが赤く滲んでいる。吐いた息が即座に凍る。岩に引っ掛かった勇者の証が千切れて落ちたが、彼は気付かない。
雪はじわじわと彼を冒す。思考までも雪に覆われたように、真っ白に染まっていく。
一体どれだけ登っただろう。
ふと後ろを振り返ってみれば、自分の歩いてきた軌跡が雪の中に道を作っていた。
一人分の道。
戻ろうと思っても、きっともう戻れない。
鉛のような体を引き上げて、頂上に体を横たえた。
もう動かない指も気にせず、親指の付け根で顔にかかった髪をはらう。背中から這い上がる冷気に震える程の熱量もなく、ただ荒い息が少年の命を繋いでいる。白い吐息は吐かれたそばから空気に溶けた。
蒼い瞳に星が降る。
晴れた空は、不純物が全て凍り落ちてしまったかのように澄み切っていた。
月のない星空は、彼を覆って優しく照らす。
それは彼が初めて見る星空だった。
彼が初めて見た、純粋な星空だった。
星の1つ1つが、炎のように輝いている。
大小の光が寄り添うように、黒い空で長い時を生きている。
宝石よりも美しく、炎よりも暖かい。手を伸ばせばその息吹を指に感じられそうだ。
何かを言わなければならないと、そう思った。
この記憶を、この感情を、誰かに伝えなければならない。生まれて初めて星空を、泣きそうなほどに美しいと、声が出ないほど綺麗だと、誰かに伝えないと、心がはちきれてしまいそうだ。
けれど何故か悲しくて仕方ないのは、誰に伝えていいか分からないからか。
乾いた空気に喉は枯れた。
口の奥まで凍り付いた。
叫ぼうと吐いた心の熱は、どこへも飛ばずに凍って落ちる。
心の底で脈動する熱が、星を含んで目尻から流れ落ちた。
寂しい。
苦しい。
僕はこの美しさを誰かに伝えたい。
「 」
降り始めた雪は、一人分の道を静かに消し去ってゆく。