@LostGarden_nana
「魔女」
遠い昔。
自然豊かな森に囲まれ、清らかな小川に翡翠のさえずりが響く小さな村があった。
林業が盛んなその村は、辺鄙な場所にあるにもかかわらず暮らしに困らない財を蓄えていた。
そしてそこには村人から絶大な信頼を得る才女が住んでいた。
名を"るり"という。
村長の娘である彼女は、生まれも育ちもこの村だ。
外の世界などほとんど知らないはずだが、蔵に蓄えられた文献を熱心に読み漁り持ち前の頭の良さと機転で村の繁栄に大きく貢献していた。
顎に手を当て思案する姿は天女のように美しく、ゆったりと微笑まれれば村の男は皆るりに恋をする。
だが才女は一途であった。
幼い頃に親同士で決められた許嫁であったが、時を過ごすうちにるりは心の清い青年、清次郎に惹かれ、清次郎もまたるりを愛した。
彼女が村のために尽くすのはひとえに村の繁栄のため商談に駆けずり回る彼を支えるため。そして厳格であったが惜しみなく愛情を注いでくれる両親に恩返しをするためだ。
幸せだった。
愛しいものと過ごす日常。頬を撫でる優しい風。
そのすべてをるりは一等愛していた。
異変の始まりは小さなことから。
村で一番立派な畑が荒らされた。
害獣の仕業かと思われたが、足跡やそれらしい痕跡はない。農作物は乱雑に散らばっているが食い荒らされた形跡もこれまたない。
きっと天候かなにかの影響だろう、それか酔っ払ったじいさんが踏み荒らしたのかもしれぬ。
妙な気味悪さはあったものの、村人はそう笑い飛ばした。
そのあくる日。
件の畑に若い鹿の死骸が血まみれで転がっていた。
見つけたのはその家のお嬢さんで、あまりの惨い様に悲鳴を上げたそうだ。
これはなにかが起きているのかもしれない、そんな予感も過ったが、ごくごく平凡で平和な村だ。
偶然死にかけた鹿がここに倒れただけだろうと村人たちはほぼ無理やり納得する形でそう結論付けた。
そのまた次の日。
村の中心の井戸が突如枯れた。
また日を跨いだ朝。
まるでなにか化け物の爪で掻かれたかのような酷い裂傷が御神木に浮かび上がった。
また次の日、あくる日。
村に襲い来る様々な厄災。
『これはあまりにもおかしい』
『まさか御神木が傷つけられるなんて』
『しかし見たか?あの傷』
『ああ、あれは化け物の仕業に違いねえ』
穏やかな村を襲った前代未聞の怪現象に村人は皆竦みあがった。
いくら平和ボケをしていようとこれは偶然であるわけがないと、やっと気づいたのだ。
いそぎ外れにある集会場に集まり、膝を付きあわせて神妙な顔で話し合う。
『…よろしいでしょうか』
控えめに手を上げて小首を傾げるのは、村で一番の山造の娘、とわだ。
やや引っ込み思案ではあるが頭の回る彼女はみながこちらを見たのを確認し、こほん。咳払いをした。
『にわかには信じがたいのですが、近ごろ"魔女"のうわさがございます』
『魔女?』
『ええ、まじないで祟りをもたらし、土地を枯らす恐ろしい存在です』
『それがこの村を呪っておると?』
『巫女の八重が気配を感じたと』
なるほど。神社の娘であり巫女を務める八重ととわは昔馴染みで親交が深い。
そこから話を聞いたのであろう。
『巫女様がいうのならばもしかしたら、そういったこともあるのやもしれぬ』
ところで、と口を開いたのは村長。
蓄えた髭を撫で付けつけながらとわを見つめる目はあくまで冷静で、彼が理知的で類まれなる慧眼の持ち主であることが伺える。
『魔女はどういった者なのだ?この村におるのか』
村の外から呪っているのか。はたまたこの村の中にいるのか。たしかにそれは大きな問題だ。
外からならば防ぐことを最優先に考えなければならない。だが、もし中にいるのならば。
『わたくしが聞いた話によりますと魔女は目も眩むほどに美しくまたとても賢い、と』
集まった村人の脳裏に思い浮かべたのは青みがかった艶髪の女。るりだ。
近くの町の商談に向かう許嫁に付き添い出かけたため、この場にはいない。
だがあるはずはない。あの健気で利発な娘がそんなことをするはずもなければ、そもそもずっとこの村で生まれ育ったのだから。
ざわつく村人を気にもとめず、とわはうっそりと目を細め、しなやかな指をおもむろに立て微笑んだ。
『ひとつ、考えがございます』
▽
やはりここの空気は格別に美味しい。
町の賑やかさも嫌いではないが、るりはこの村の暖かくも澄んだ雰囲気が大好きだ。
隣を歩く彼の存在も大きいのかもしれない。いつも絶やさない優しい笑みにいつだってるりの心は癒された。
「ん…?」
だが村はいつもと様子が違うようだ。
中心地に父親を含めた村の重鎮たちがあつまり、るりをじっと見つめている。その感情ははっきりとは読み取れない。
「お父様…?どうされました?」
平常とは言えない様子にるりが声をかけると、横から華奢な体が飛び出してきた。
たしか、とわという娘だったか。
『るり様、ご無礼をお許しください!』
突然の割り込みに目を丸くするるりに、とわはなにか液体をるりの顔に吹き付けた。
驚く暇もなく、皮膚に触れた途端突如熱を帯びた液体にるりは思わず悲鳴をあげる。
「っ!!!!!!あっつ、熱い!!!!!」
『とわ嬢、いったいなにを?!』
両手で顔面を覆い隠し悶絶するるりを覆い隠すように抱き留めながら、清次郎がとわに声を張り上げる。
『!!清次郎様!お離れくださいまし!るり様は…いいえ、その女は…魔女にございます!』
酷く脅えた表情をしたとわが、るりを指さしぶるぶると震え上がる。
魔女?何の話だ?そもそもなぜるりにそのようなものを吹きかける?るりは大丈夫なのか。
困惑する清次郎の前にしゃらり、巫女服を身につけた女が現れた。
髪飾りを嫋やかに揺らす女、八重は伏せた瞳をおもむろに上げて凛と通る声で告げた。
『それはわたくしの神力を込めし聖水。災いを招くもの…魔女には効果は覿面に現れます。もちろん…』
八重が懐から取り出した聖水をとわに吹きかけるも、とわには何も起こらない。
隣でるりはこんなにも苦しんでいるというのに。
『この村には呪いが蔓延っております。魔女というのは生まれ落ちる場所はきまぐれ。覚醒は遅かったのでしょうが、もうこの村に置いておくことはできません』
神力が混じった彼女の言葉は村人の耳に馴染みよく響いていく。だが、しかし。
るりに限って、そんな、まさか。
「…うっ、お父様、お母様……清次郎、さま…」
苦しそうに顔を歪ませながら懇願するように開いた、るりの瞳は血の色のように"真紅"に染め上がっていた。先程まで艶やかな黒色だったにも関わらず。
はらはらとこぼす涙もその異質な瞳から流れれば恐怖を煽るものでしかない。
『ひっ』
その声を上げたのは父だったか、それとも後ろでどうにか娘を救おうとしていた母だったか。
最愛の婚約者だったか。
否、その全てだった。
るりは絶望した。
自分は魔女だったのか?大切な人たちはわたしのことを守ってはくれないのか。
ここにいることは叶わないのか。
すべてを、失うのか。
…ちがう、わたしは今この瞬間すべてを失ったのだ。
耐えきれずるりは走り出した。
その蔑む瞳を、恐ろしいものを見る目を、これ以上視界に入れたくなかった。
涙が止まらない。聖水を吹き付けられた目が痛くて痛くて仕方がない。
視界が悪いばかりに近くの森の中を相当長い間走り回っていた。足がもつれて転んだその時、耳入ってきたのは女の声。
『ありがとう、とわ。あなたのおかげで上手くいったわ』
『いいのよ、あの女。ほんとうに邪魔だったんだもの。ちょっと顔がいいからってちやほやされて。ふふ、祟りだなんて。あんなものちょっと細工したらどうとでもできるのに。ふふ、ふふふ』
『あの子に使った聖水に毒が入ってたなんて誰も気づかないわよね』
『大丈夫よ、八重は村でも一目置かれた巫女だもの、それより』
『これで、清次郎様と上手くいくといいわね』
ああ、アァ。
あああああああああああ!!!!
私は嵌められたのだ!
たかが嫉妬で。僻みで!
惚れた男を手に入れたいという女の我欲で!
憎い、憎い!憎い!!!
あの女たちが憎い!!
そして、あんなにも私のことを愛してくれていたあの人たちがこうも簡単に私を捨ててしまうことも!!
…ッ嗚呼!!!!!!
▽
惨めに地面を這いずり回っていれば、村から随分離れたところまで来ていたようだ。
あたりにはなにもない。
このまま、ここで死ぬのだろうか。
優しいと思っていた世界に裏切られて。
惨めに捨てられて。
「こんな世界…!消えてしまえばいい!みんな、みんな!!消えろ!消えろ!私に関わるな!!もう、もう…」
もう力も入らない腕で地面をガムシャラに叩きつける。砂利で血だらけになろうと構いはしなかった。
どうせ死ぬ命なのだから。
その時。
最期の力で思い切り殴った地面が割れ、いつぞやに都会で見た洋風のくたびれた建物がめきめきと地面を突き破って構築された。
それは一つではなく、無数にそびえ立ち。
気づけば辺りには冷たく無機質な街が出来上がっていた。
呆然と持ち上げた腕は、先程まで流れていた血がぴたりと止まっている。
つるりとした肌はまるで傷など最初からなかったようだ。嘔吐くような具合の悪さも、顔面の痛みも嘘のように全くない。
「は、ハハ、あはははハハ!!!これが化け物と言わずしてなんという?本当に魔女になってしまった!あは、ははは!!!」
壊れたように笑う女の瞳は紅く煌々と輝き、それは狂気に満ちている。
これが退廃の楽園のはじまり。
るりという女が、魔女になった日。
▽推定該当者リスト
蕗谷 るり(推定19) 1〇〇2年に発行された文献より
とある村で魔女として追放された。
"あの場所"になにかしらの関係があると考察する。