@rokurouza
川のせせらぎが響いている。午後の日差しを受けて、澄んだ川はきらきらとまぶしく輝いていた。
果樹園にトウの実を採りにいった帰りだ。若菜の背負った籠には、赤く瑞々しいトウの実がいっぱいに入っている。手をつなぎ歩く妹の常盤(ときわ)は、眠さで足もとが覚束ない。朝から収穫を手伝ってくれたのだから仕方がないが、ぐらぐらと傾ぐ首やら今にも閉じてしまいそうな瞼が危なっかしくて仕方がない。
「常盤、あとちょっとだから起きてろよ」
「……いや。ねえお兄ちゃん、おんぶして」
「無理だろ、籠があるんだから。頑張ってくれよ」
「いや。おんぶして」
常盤はぶんぶんと首を振り、だだをこねた。最近わがままが目立つ妹に少し苛立ちながら、若菜は無理やりに手を引いて常盤を促す。
しかしついに常盤は座り込んで、がんとして動かなくなってしまった。こうなると泣いてぶすくれてわがままを押し通すのが常盤だ。若菜がいくら言っても聞かないだろう。とはいえ、籠を置いて帰るわけにもいかない。
仕方がないかと、若菜は籠をおろした。籠を前に抱きかかえるようにして持って、常盤を負ぶって帰るしかない。果実のいっぱい入った籠も常盤も同じくらい重いけれど、そうするしかなさそうだ。
家までの距離はここからまだ少しある。そう思うと気が重い。自然ため息が漏れる若菜の耳に、ふと知った声が飛び込んできた。
「おい黒陶(こくとう)、お前また土いじってんのかよ。暗いやつだな」
「まあ、これがおれの仕事だからね」
「辛気くせえよなあ、土師(はじ)ってやつは! それに比べてオレは、ほら、見ろよ! すげえだろ! このでっけえ魚、オレが穫ってきたんだぜ! すげえよな!」
「うん、潮(うしお)はすごいね」
「ほぉらな! しみったれた面してねぇでもっと褒めろって!」
「やめなよ潮、恥ずかしいよ」
「何が恥ずかしいんだよ鐵(くろがね)!」
「自分の手柄を褒めてくれっておおっぴらに主張するところだよ」
「はぁあ!? 普通のことだろ! なあ黒陶!」
「うん、そうだね」
せせらぎに混じり聞こえる悪友たちの声に、若菜は疲れが増すような気がした。籠を置いたままそちらに歩みを進めつつ、おい、と声を投げる。
「おい潮。黒陶いじめるなよ」
「はぁ!? いじめてねぇだろ!」
「わめいて騒いで無理矢理同意させるのはいじめてるって言うんだよ」
「んなことねえよ! うっぜ! 若菜うっぜ!!」
「ああもうほら、若菜に口で勝てるわけないんだから突っかかるのやめなって。行くよ」
鐵はなだめるように潮の肩を叩いて、海のある方を示す。森に属する若菜と、海に属する潮は、そのせいなのかは知らないが顔を合わせるたびに何かと口喧嘩をする仲だ。潮はまだわめき足りないようだったが、若菜ともめるのも面倒に思ったのか、大人しく鐵に従った。
「バーカバーカ! 若菜のでべそ!!」
「出てない」
「出てなくてもでべそー!! あっ、千鳥(ちどり)! 見ろよこれオレが穫ったんだぜ! すげぇだろ!」
潮は魚を頭上に掲げて、まるで犬のように駆けていった。ここからは見えないが、海へと向かう途中、顔馴染みの少女の姿を見つけたらしい。鐵は呆れまじりに嘆息して、潮のあとをゆっくりと追いかける。じゃあね、とひらり振られた手に手を振り返して、鐵も大変だなと同情した。とはいえ、性格は真反対であろうというのに、何だかんだであの二人は仲が良いのだから不思議なものだ。
「なあ黒陶、お前も嫌なら嫌って言えよ。俺がいつだってまもってやれるわけじゃないんだからな」
「うん。でもおれ、潮がああやっておれに構いにくるの、結構好きだよ」
「変なやつ」
「うん。心配してくれてありがとう」
「……してない」
ぷいとそっぽを向いた若菜に、黒陶はくすくすと小さく笑った。
「大丈夫だよ。おれは若菜よりお兄さんなんだから」
「たったの十日だろ」
それだけの差で兄ぶられても腹立たしいばかりだ。このいとこは何かにつけて兄ぶるが、若菜は一度だって黒陶を兄のようだと思ったことがない。のんびりしていていつも穏やかな黒陶よりはむしろ、若菜の方が兄といっても良いくらいだ。
「おにーちゃーん! あたしもう歩くのやだぁー! おんぶー!」
「ああもう、うるさいな。泣くなって」
籠と共においてきた常盤がついに泣き出した。
「手伝おうか?」
「そうしてくれると助かるけど。良いのか?」
「うん。練習してただけだし」
籠のところまで戻った若菜は、ぐずる常盤の髪を撫でてなだめた。籠からトウの実を取り出して、川で洗う。柔らかな皮ごと半分に割ると、甘く爽やかな香りが立った。これなら、今年もきっと良い酒が出来るだろう。割ったそれを黒陶へと差し出す。
「やるよ」
「良いの? ――ああ、でも、手がこれじゃあなあ」
「良いよ、このまま食えって」
「うん。いただきます」
若菜の手から直接トウの実を頬張って、美味しいよと黒陶がまなじりを下げる。残った半分を常盤の口元に持っていってやれば、わがままな妹は頬を膨らませて顔を背けた。
「黒陶くんのあまりなんて、いや!」
「そうかよ。じゃあこれは俺が食うからな」
「いや! あたしも食べる! おなかすいたぁー!」
若菜は手を汚す赤い果汁を舐め取って、残った半分を自分の口にいれた。甘く爽やかな風味が口いっぱいに広がる。若菜は嘆息しながらもう一つトウの実を手に取った。川で洗ったそれを、常盤の小さな手に持たせてやる。
「ほら、食って良いから。母さんたちには内緒だぞ」
「うん! ありがとうお兄ちゃん! 大好き!」
「……そうかよ」
はあ、とわざとらしく大きな息を吐く。若菜は屈んで、背に乗るようにと常盤を促した。若菜の背におぶわれ、常盤は上機嫌でトウの実を食べている。時折首筋に果汁がしたたって気持ち悪い。若菜の代わりに籠を負ぶってくれた黒陶が苦笑する。
「大変だな、お兄ちゃん」
「うるさい」
「甘やかしてあげようか?」
「うるさい」
黒陶の戯れ言を聞き流し、午後の穏やかな日差しの中、若菜は家路につく。実を食べ終えた常盤はいつの間にやら眠っていて、若菜の肩に頭を預けてすやすやと寝息をたてている。
「この実、杜氏のところに持っていくの?」
「ああ。まあ、先にこのワガママを家に置いていってからな」
「そういえば、さっき千鳥がいたみたいだね。おれは見えなかったけど」
「潮の視力が動物並なんだろ。収穫を手伝ってくれてたんだ。先に家に戻ってるって言ってたから、帰る途中だったんだろ」
光る川面がまぶしくて、若菜は目を細めた。太陽の光を受けて、川も木々も、遠くに見える海もきらめいて見える。
「若菜も、あとちょっとで十になるね」
「ああ。十になる日に、森へと連れていってくれるって、母さんが」
「そっか。代替わりの儀式か」
「ああ」
その日のことを思えば、胸がさざ波だつような心地がして、妙に息が苦しくなる。緊張と喜びと畏れと不安と、その他にもたくさんの気持ちがまざりまざって、若菜の幼い胸はいっぱいになる。
「若菜が森林官さまか。お祝いしないとね」
「別に。良いよそんなの」
「たまには素直に甘えなよ、お兄ちゃん」
「……黒陶が兄ちゃんなんだろ」
「兄ちゃん。あはは、新鮮だな。もう一回呼んでよ」
「呼ばない」
たわいもない言葉を交わしながら、家を目指す。吹き抜ける風は花の香りを運び、鳥が高く鳴く声が澄んだ空気を揺らした。
「あ、と」
黒陶が慌てた声を出した。籠から転がり落ちたトウの実が、黒陶が手を伸ばすのも間に合わず地面に落ちる。
ぐちゃり、と。
音を立てて実が潰れた。潰れた果肉が川原の石に広がって、果汁がツゥと赤い筋を描いて流れる。
「あー……。ごめん」
「良いさ、仕方ない」
潰れた果肉を目ざとく見つけ、鳥たちが舞い降りてくる。果肉をつつき貪る鳥を後目に、若菜は常盤を背負い直した。むにゃむにゃと何か寝言を言う妹も、寝ている時ばかりは大人しく素直だ。
仰ぎ見た空は今日も青く澄み渡り、冴え冴えと美しかった。
一応の注釈
黒陶=土師
潮=海部
鐵=鍛冶
千鳥=杜氏