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渡るひと

全体公開 オリジナル 3115文字
2015-07-03 23:45:11

第53回フリーワンライ参加作品 企画アカウント様(https://twitter.com/freedom_1write) 
お題:笹舟が行き着く先、川に橋を掛ける誰か
ジャンル:オリジナル

Posted by @huyutoya

「ねえ、お舟はどこに行くの?」
 幼い声が、母であろう女性に問うた。
 何とはなしにそちらに意識を向けると、小川に幾つも笹舟が流れていた。
 問いを発した少女の手にも、不格好な笹舟が乗っていた。
「ずーっと、海まで行くのよ」
 少女の母親が答える。
「海に着いたら?」
「そうねえ」
 母親は少々、間を繋ぐように首を傾げた。
 沈むんじゃないかしら、と夢も希望もなく思ってみる。
「お空の川に、流れてくのよ」
 少女が空を見上げる。
 一点を指し、にわかに興奮した表情で歓声を上げる。
「じゃあ、あのお星さままで行く!?」
「きっと届くわ」
「じゃあ、じゃあ、お手紙乗せれる?」
「お手紙は大きすぎるわ。だから、あやは元気ですよーって、いっぱい笹舟に込めてあげて」
「わかった!」
 少女――あや、というらしい――は、ぎゅっと目を閉じて笹舟を額に押し当てる。
 おいおい潰れるよ、という程に強く強く。
 母親はそっと少女の肩を抱いて、優しく見守っている。
 空を見上げた。
 満点の星空だ。一体、少女はどこの星を指したのだろう。
「できたよ!」
「それじゃ、流しましょう」
「うんっ」
 母親に支えられながら、少女は笹舟を川の流れに乗せる。
 また目を閉じ、手を合わせ、何かもごもごと呟いているようだった。
「さ、もう遅くなるから帰りましょう」
「うん」
 少女は名残惜しそうにちらちら川を振り返りながら、母親と手を繋いで帰っていった。
 笹舟は意外な速度でぐんぐん流れていく。
 上流からは、他の笹舟がまだ幾つか流れてきている。
 土手から立ち上がった。
 そして川辺に沿って、下流へと歩き出す。
 笹舟の後を、追うために。



 川辺は草ばかりだが、思いのほか歩きやすかった。
 幾つも、幾つも、笹舟は流れてきた。
 綺麗に折ったものも、さっきの少女のように不器用に折られたものも、色んなものがあった。
 わたしは歩く。
 笹舟はわたしの速度よりもずっと速くて、さっきから追い越されてばかりだ。
 何故、こんな酔狂を試みたのだろう。
 腕時計の針は、とうに十二時を回っている。時間なんてどうでもいいといえば、いいけれど。
 ざくざく、草を踏みしめる。
 また一つ、笹舟がわたしを追い越していく。
 このまま、海に辿り着くのだろうか。辿り着いてしまったら、そこからわたしはどうすればいいのか。
 あの母親が言っていたように、天の川に辿り着くのだろうか。
 笹舟に乗っていないわたしは、辿り着けないのだろうか。
 自問を繰り返し、結局自答できないままにわたしは歩く。
 少女の笹舟は、まだ流れているだろうか?
 それとも――――
 目線を上げると、さっきよりもずっと、近く眩く、空の川は輝いていた。



 幾つ笹舟を見送っただろう。
 幾つ、どれほど、わたしは川を下ったのか。
 川は次第に幅広くなり、見下ろせば夜の星が川面に浮かんでいる。
 上も下も、左右の景色でさえも夜の色に染められて、星だけがひたすら輝いている。
 遠く、涼やかな音が聞こえた気がした。たぶん虫の音だ。
 少女の笹舟はどうしてるだろう。先の見えない海にまでもう流れ着いた?
 きっと、どこかで沈んでしまった。
 わたしが追いかけている筈のものは、追い越してしまって、気付かないままなのかもしれない。
 それでも辿る。歩き続ける。
 どうしてだろう、どうして。
 辿り着いたら、答えは見つかるのだろうか。
 ざざ、ん。
 規則正しい流れを示す水音が、少し変わった。
 目を凝らす。
 ――川辺に、大きな岩がある。
 その岩に人影が一つ、寄り添うように立っていた。その頭上には、小さなほの白い光が揺れている。
 まるで星のようだ。
 少し速度を緩めて、人影に近づいた。
……こんばんは」
 身体を突き抜けるような、澄んだ声だった。
 その人影は、頭から足元まで長い布を被っているような、不思議な恰好をしていた。軽そうな布だったが、完全に身体を覆っていて、顔と手、足首が少し見えるかどうか。
「こんばんは」
 挨拶を返すと、人影はそっと表情を和らげた。
「よく、ここまで来たね」
「そう、かな」
「そうとも。まあ、何もないけど、せめてこの岩に寄りかかるといい」
 言って、人影は一歩、わたしからみて左に退いた。それに合わせて手に持った杖も動き――その杖の先には、さきほど見た灯りが括り付けられているのが分かった。りん、と微かな音を立てて、その灯りはランプの中で揺れる。
「つかれただろう?」
「別につかれては……
 いない、と続けようとした言葉を呑み込む。だいぶ、歩いてきた筈だ。
 じっとこちらを見つめる人影から目を逸らし、その横の岩におそるおそる背中を預ける。
「幾つも舟が来たよ」
「ええ。幾つも見た」
 このひとに訊けば、分かるだろうか。
 笹舟はどこへ行くの。海に着くの。今まで流れてきた舟は、辿り着いたの?
 答えが、出てしまう?
 何故かひどく動揺して、口を噤んだままわたしは混乱した。
 人影は、そんなわたしを見ている。
 ……ふ、と、人影が微笑んだ気配がした。
「きみはここまで下ってきた。きみの見た笹舟たちも、あるいは幾つかは」
 弾かれるように人影を見る。
 人影はやはり、笑っているようだった。
「大丈夫だよ。橋を架けるから」
「は、はし?」
「きみが渡る橋。舟は、自力で海や空を越えて貰わないとならないけど、きみみたいな人には、橋が要るからね。ここまで来たら、あとは渡るだけだよ」
 歩くのは大変だったろう? でもやってきたんだよ、と人影は言うけれど、何の話か分からない。
 穏やかな声と、揺れる灯りは、心を落ち着かせるような、かき乱すような。
「大丈夫」
 それでもそう断言されると、すとんと心のどこかに何かが落ちた。
 人影は頷いて、岩から川の方へ向かう。
「おいで」
 川辺までついていくと、人影は灯りのついた杖を川の上へ垂らす。
 灯りが川面に映り、揺れる。
 その揺れは映った星々も巻き込み、ついには水面までもが揺れて、大きな波紋をつくった。
 星の光が、広がる。
 人影が杖を戻した時、灯りを追うように星の光が線を引く。
 気付くとそこには、川を横切る吊り橋があった。
「さ」
 りん、と杖から音がした。
 ふらりと前へ踏み出す。
 ああ。
 舟は、この先へいったのか。
……わたし……渡って、いいの?」
「言ったろう。きみはここまで辿り着いた。そして人には橋が必要だ。だから、いいんだ」
 不意に零れ出た疑問に、人影はやはり笑って答えた。
 橋の先は見えない。
 こんなに大きな川だったのか。
「ああ、もうすぐ夜が明けるね」
 川下の空に目をやって、人影は言った。
 腕時計を見ると、針は十二を過ぎたところで――あれ?
 目を瞬いて、もう一度近くで見る。
 ……五時になろうかという、ところだった。
 人影の手が文字盤を撫でる。
「おいき」
 その終始柔らかだった声に押されるように、わたしは橋へ一歩、踏み出した。
 歩き出す前に振り返ると、人影は文字盤を撫でた手を振って布の中で笑っている。
 そういえばずっと、顔が見えなかったと気付いた。
 ――この橋の先のように。
 確かにあるけれど、見えない。
「振り返らずにおいき」
 その言葉に頷いて、それから思い直して手を振った。
 りん、とまた涼やかな音が、それに答えてくれた。
 橋を、渡ろう。
 踏み出した足は、そこにないのにある、不思議な感覚を伝えていた。


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