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あなたに捧ぐ、栄光の勝利

全体公開 キバユウ作品 5 31210文字
2023-05-05 21:59:52

チャンピオンダンデを下して、チャンピオンになったユウリ。彼女のことを、キバナは複雑な思いで眺めていた。
ところが、ローズとダンデがいなくなったポケモンリーグは大混乱。おまけに、ポケモンがダイマックスする事件も発生して……
ポケモンリーグの危機に立ち向かうキバナさんとユウリちゃんが、絆を深めて惹かれ合うお話です。

* pkmnバトルでキバナさんがダンデさんに勝利するシーンがあります。ご不快に思われる方は、閲覧をお控えください。

敗北

「決勝戦、そろそろ始まりそうか?」
 分厚いガラスの壁の向こうで、期待と熱気が渦を巻く。
 レフェリーが登場し、緊張感にひりつくバトルフィールドを一瞥して、キバナは特別席に誂えられた自分の席に深々と腰を下ろした。
「あら、遅かったじゃない。どこで道草を食っていたのかしら」
 斜め前に座っていたルリナが流し目でキバナを振り返る。けれども一際大きな歓声が響いて、彼女の目はまたすぐに前へと引き戻された。
 フィールドに、チャンピオンとチャレンジャーが姿を現したのだ。
 耳をつんざくような大歓声にスタジアムが揺れて、観客たちの興奮は最高潮だ。射抜くようなスポットライトの光が交差して、フィールド内にチャンピオンとチャレンジャー、二人だけの空間を作り上げる。
(昨年は、あの場所に立ったのはオレサマだったんだがな……
 キバナの心の中に、何度も噛み潰した苦い想いが浮かび上がる。
 一年前、確かに自分はあの場所で、ガラル中の視線を一身に集めた。けれどもその時の記憶は、霞ががって曖昧だ。声援を浴びたことも、スポットライトに照らされたこともよく覚えていない。
 あのときは、目の前の王者に食らいつく。ただそれしか考えていなかったから。
(あいつらは……今、何を考えているんだろうな)
 再び浮かんだ感傷を深呼吸して意識の外に追いやって、キバナは隣に座るネズへとスマホをかざした。
「見るか? これ、レアだぞー。決勝戦に向かうチャンピオンとチャレンジャーの写真。さっき、両陣営に行って撮ってきたんだ」
 スマホの中には、笑顔でVサインを向けるダンデと、引きつった笑顔を浮かべているチャレンジャーの姿があった。
 その画像を覗き込んで、ルリナとネズはあからさまに顔を顰める。
「うわっ。やめなさいよ、そういう嫌がらせは」
「バトル前のトレーナーを茶化しに行くとは、ずいぶんとまた悪趣味ですね」
「ひど。オレサマ、あくまで激励に行っただけなんだけどなー」
 おどけた口調で茶化してみるが、我ながら説得力がない、と苦笑いが浮かんでくる。
 バトル直前の、ポケモンのコンディションを確認しながら集中力を高めていく大切な時間。それを邪魔されて喜ぶトレーナーはいない。そんなことをされたら、キバナ自身もキレる自信があった。
 けれども、決勝戦までの時間をただ座して待つことは耐えられなかった。二人を茶化しにでも行かないと、沸き上がってくる感情で頭がおかしくなりそうだったのだ。
……これが嫉妬っていうやつなのかねぇ)
 そんな低俗な感情は自分には無縁のものだと思っていた。けれども予選リーグで自分を含めたジムリーダーたちを易易と下し、厄災の竜、ムゲンダイナをも従えた彼女が、自分のライバルへと挑戦する。その現実に、身体を掻きむしりたくなるような焦燥感が沸き上がってくるのだ。
 昨年までは自分のものだったあの場所。それを奪った彼女へなんとも醜い嫌がらせをしてしまうほどの、激情。
 けれどもそんな嫌がらせで心が晴れるはずもなく、ただ自己嫌悪が積もっていくばかり。
 少女へ向かう嫉みは、ふがいない自分自身に対しての単なる八つ当たりでしかない。わかっているのだが、どうしても自分の感情をコントロールできなかった。
(ま、でも、これくらいのことで崩れるような奴なら、ダンデと対等な勝負なんかできないからな……
 心の内で言い訳をして、キバナはすうっと目を細めた。
……ダンデ相手にどこまでできるか。チャレンジャーのお手並み拝見といこうじゃねーか」
 羨望、嫉妬、自己嫌悪。ごちゃごちゃする感情を飲み込んで、キバナはへらっと笑ってみせた。その時だ。
……始まるみたいだよ」
 スタジアムを眺めていたカブの呟きが響いて、一同の視線が一点へと集中する。
 無敵のチャンピオン、ダンデと、チャレンジャー、ユウリ。
 間違いなく伝説級の、二人の勝負の火ぶたが、今、切って落とされた。

 
 互いに一礼して、始まりを告げる鐘が鳴る。
 ダンデが繰り出したのはギルガルド。チャレンジャーはアーマーガア。
 鈍い不協和音を響かせて、はがねの技同士がぶつかり合う。
 まずはアーマーガアがギルガルドのキングシールドに苦戦し、ダンデが有利にバトルを進める。奮闘虚しく、アーマーガアはギルガルドに敗北した。続いてチャレンジャーが繰り出したのはルカリオ。手堅くギルガルドに止めを刺して、次に出てきたドラパルトと睨み合う。
 決勝戦にふさわしい一進一退の攻防。観客席の熱気も高まっていく。
 キバナの目にも、両者の実力は拮抗しているように見えた。強いて言うならば、場数を踏んでいる分、ダンデの方が僅かに有利。
 そう試合を分析していたキバナは、ふと違和感を感じて眉を寄せた。
 フィールドでは、ドラパルトがルカリオのコメットパンチを躱している。特段の異常はない。けれども、何かが引っかかる。
 違和感の正体がわからないまま周りを見渡すが、困惑した表情を浮かべているのはキバナだけだ。皆、真剣な表情で目の前のバトルに集中している。普段は落ち着いているカブですらも興奮を隠しきれないようで、瞬きもせずに二人のバトルに見入っていた。
(なんだろう。何か、嫌な予感がする……
 気持ち悪さの正体がわからぬまま、キバナは再びフィールドに視線を落とした。そして数分間バトルを眺めて、違和感の正体を悟る。
「嘘だろ? ダンデ……
 呆然としたまま立ち上がり、フィールドと観覧席を隔てるガラスへと手を叩きつける。当然、キョダイマックス技すらも弾き返す特殊ガラスはびくともしない。
 突然のキバナの奇行に、しかしその場にいるジムリーダーが彼を咎めることはなかった。
 ジムリーダーたちも、キバナの感じた違和感に気づいたのだ。
 視線の先で、ドラパルトがルカリオに敗北した。
 なんとも言えぬ沈黙に満たされた特別観覧席の中、口を開いたのはポプラだった。
「あの娘、チャンピオンには一歩及ばないと思っていたけれど、なかなかいい動きをするじゃないか」
「そうだね。会場の空気に慣れたのか、開始直後よりもポケモンとの連携が格段に鋭くなっているよ」
「というか、まるでポケモンとシンクロしているみたいじゃない? バトルのテンポが異様に速いわ」
「あれについていくダンデくんも凄いとは思いますが、でも少し苦しそうですね」
 そう。チャレンジャー、ユウリのポケモンに指示を出す速度は、時間の経過とともに目に見えて速くなっていた。もちろん、ポケモンたちも的確に指示を実行する。素早い彼らの連携は、少しずつダンデを追い詰めはじめていた。
 序盤は確かにダンデが優勢だった。それがいつの間にか互角に持ち込まれ、今、ユウリ優勢に傾きつつある。
 彼女が最初は手を抜いていたのか、それとも今、この決勝戦の中で成長しているのか、それは誰にも分らない。
 はっきりしているのは、無敵のチャンピオン、ダンデの敗北という、誰も考えもしなかった可能性が、今、皆の頭にちらつき始めたということ。
(嘘だろ! そんなの……ありえねぇ……
 予想だにしなかった現実に、頭をかち殴られたような衝撃が走る。キバナは口元を抑えて席を立ち、そのままトイレに駆け込んだ。そして誰もいない空間で、涙を拭って嗚咽を飲み込む。
「うっ……はっ……はぁ、はぁ」
 水道水で顔を洗い、幾分すっきりするが、心は全く晴れなかった。
 ダンデが負ける? いやまさか。そんなことはありえない。けれどもバトルの展開は厳しい。でもあいつにはガラル最強のポケモンがいるだろう? そうだ。リザードンがいる限り、ダンデは負けない。
「オマエはこんなところでくたばるような男じゃないだろ。なんて言ったって、世界で最強のトレーナーなんだ。それに……
(オマエを倒すのは……オレサマだ……
 そう強がってはみたものの、チャレンジャーと自分の力量には大きな隔たりがあることもわかっていた。衝動的な激情が去って落ち着くと、己の不甲斐なさ、情けなさを悔やむ気持ちが込み上げてくる。
 ひときわ大きな歓声がエントランスに響き、モニターを見上げるとチャレンジャーのパンプジンがダンデのドサイドンを下したところだった。大きく映し出された現実を、キバナは目を閉じて否定する。
 ダンデの手持ちは残り二体。一方チャレンジャーは、ほぼ瀕死のパンプジンを除いてもまだ三体のポケモンが残っていた。状況は、完全にチャレンジャーが優勢だ。
 「ダンデ……頼む……勝ってくれ……
 勝利の女神の存在なんて一度も信じたことはない。勝利は実力で掴み取るものだと、誰よりもよく知っていた。それでも、今この時ばかりは祈らずにはいられなかった。
 一瞬だけモニターにアップになったダンデの横顔。その表情にキバナは目を奪われる。
 いつもは余裕に満ちている端正な顔。そこに隠しきれない悔しさが滲んでいた。髪を振り乱し、眉間にくっきりと皺の刻まれた眼は、瞬き一つせずにチャレンジャーを睨みつけている。固く引き結ばれた口元には、微かな血がにじんでいた。
 「……オマエもそんな顔をするんだな」
 その殺気に満ちた表情を、叶うことならばオレが引き出したかった。
 ダンデのゴリランダーのウッドハンマーでチャレンジャーのサーナイトが吹き飛ぶ。攻撃の余波で転倒したチャレンジャーは、自分が立ち上がるよりも先にラプラスを繰り出した。出てくるやいなや放たれるラプラスの冷凍ビーム。目も止まらぬ速さで繰り出された攻撃に反応出来ず、ゴリランダーはまともに攻撃を受けてモンスターボールへと戻っていった。
 痛みに顔をしかめながら、チャレンジャーが立ち上がる。息を荒げながら汗を拭う彼女。その闘志に満ちた瞳が、鋭くダンデを睨めつけた。
 これで残りは一対二。ダンデのリザードンは確かに強い。しかし、チャレンジャーのラプラスと、おそらく最後に繰り出してくるインテレオン相手に勝てるだろうか。

 観覧席に戻る気力もなく、かと言って一人でバトルを見続けることも耐えられなくなったキバナは、スタジアムの廊下を彷徨ううちに、いつの間にかチャンピオン控室の前まで来ていた。自動ドアの前に立つと、扉が開いてキバナを迎え入れる。施錠を忘れるとはなんとも不用心だと思いながらも中に入り、崩れ落ちるように椅子に腰を下ろす。
 目を閉じると、ダンデがチャンピオンになってからの十年間が走馬灯のように流れた。ああ、自分は彼の隣でずっと戦ってきたのに、ダンデが自分以外に負ける可能性なんて、これっぽっちも考えたことがなかった。
 今日もそうだ。いつものように、楽しませてくれよ、と送り出し、難なくチャレンジャーを下したその圧倒的な強さを讃え、次はオレサマが勝つ、と吠える。何度も繰り返してきたそのやり取りが今日で潰えるなんて考えもしなかった。
「っつ……
 背後で膨らむ歓声に、息を止めてモニターを振りかえる。そこにはラプラスが地に伏す映像が映し出されていた。
 ようやくこれで1対1。しかしリザードンも無傷ではない。凍りついた左手を振りかざし、リザードンは己を鼓舞するように火を吐き吠える。
「っく……ひっく……
 口を抑えても零れる嗚咽が止まらない。熱い雫が、ズボンに小さな斑点を描く。
 情けないライバルですまない。オレはオマエに勝つことはおろか、満足に応援することすら出来ない。誰よりもオマエに負けて欲しくないと願っているのに。

 永遠のように感じたその時の終焉は、意外と早くにやって来た。
 歓声、そしてざわめきと、どよめき。
 泣き崩れてモニターを振り向くことの出来なかったキバナは、その音で戦いの結末を知る。

 ガラルに十年間君臨したチャンピオンが、今、王座を奪われた。

「ダンデ……ダンデ……

 悲しみと後悔、そして行き場のない怒りと嫉妬に全ての気力を奪われ、キバナは抜け殻のようにその場に泣き崩れるのであった。



事件

 どれほど絶望しようとも、太陽は巡り時は流れる。
 特にジムリーダーともなれば、ちょっとやそっとのことでは立ち止まることは許されない。
 前リーグ委員長の逮捕、チャンピオンの交代と、非常事態が重なればなおさらだ。

 劇的なチャンピオンの交代劇から二日後。キバナはシュートスタジアムの会議室を訪れていた。
 ここ数日間の内に、二人のトップが不在となったポケモンリーグの、今後の体制を話し合うための会合に呼ばれたのだ、が……
「おい。なんでこんなことになってんだよ……
 少し遅れて到着したキバナが見たのは、議長席近くで取っ組み合いの乱闘をしている男達。
 その顔ぶれを見ると、喧嘩の原因はすぐにわかった。
 今殴られているのは、マクロコスモス社の役員。殴りつけているのは、ポケモンリーグの幹部。どちらも、長年ローズの腰巾着だった男たちだ。
 マクロコスモスの社長とポケモンリーグ委員長。二つの顔を持っていたローズの両陣営の後継者は、ローズの逮捕という危機的状況に協力しあえるはずもなく、彼らはどちらがポケモンリーグの主導権を握るかで、醜い勢力争いを繰り広げていた。
(にしても拳でどつき合うって、子供の喧嘩かよ……
 呆れ果てながらも横目で辺りを伺うと、その場にいるリーグスタッフたちは縋るような目でキバナを見ていた。明らかにキバナの介入を期待する眼差しに、げんなりしながらも助っ人になりそうな人物を探す。けれどもその場にいる顔見知りはオニオンとメロンのみ。それと部屋の隅で、小さくなっている新チャンピオン。
 さすがに彼らに喧嘩の仲裁の助力を頼むわけにはいかず、渋々ながらも腹を括る。
「おい、お前ら何やってんだ! やめろ、やめろ!」
(ホント、オレサマも何やってるんだろうなぁ)
 周囲にも、自分自身にも呆れながら、キバナは声を張り上げて男達の間に割り入っていく。
 結局、この日は両陣営の牽制合戦を仲裁することに時間を費やし、肝心の物事は何一つ決まらなかった。




 迷惑極まりない野心家たちのせいでポケモンリーグが大混乱になっているとある日。キバナはナックルシティで査察官に宝物庫を案内していた。
 ブラックナイト事件の主な現場はナックルシティ、それもナックルジムお膝元の地下プラントだった。そのため、地下プラントはもちろんのこと、事件解決の手がかりがあった宝物庫でも、連日現場検証が行われていたのだ。
 もちろん、ナックルジムの潔白を示すために、キバナは進んで操作に協力している。しかしそれも毎日のこととなると、キバナにも、ジムトレーナー達にも、負担と疲労が蓄積していく。
 だから宝物庫の中でぐらりと足元が揺れた時、キバナはまず自分の体調不良を疑った。
(ん? 立ち眩みか?)
 けれども異常を感じたのは自分だけではなかったようだ。その場にいた全員が、不可解そうに辺りを見回している。なんだか嫌な予感がして、キバナは外へと飛び出した。
 外階段から身を乗り出し、吹き付ける砂混じりの風に目を細めながら神経を研ぎ澄ませる。すると微かな地響きと共に、今度はナックルシティの街並みが揺れた。
「何だ?」
 明らかな異常事態の気配。耳を澄ますと、風に乗って人々の悲鳴と怒号が聞こえてくる。それは、ナックルジムの方角からだった。
「レナ、査察官殿を安全な場所へ誘導。その後、ヒトミとナックルスタジアムへ向かえ。オレは先に行く!」
 同席していた部下に素早く指示を飛ばし、モンスターボールを放り投げて城壁から身を躍らせる。
「フライゴン、ナックルスタジアムへ急げ!」
 弾丸のように空を駆けてナックルジムへ近づくと、ずん、とまたジムが大きく揺れた。同時にスタジアムの窓ガラスが赤く光り輝く。
(くそ……何なんだ!)
 ジムの中で何が起こっているのか、皆目見当がつかなかった。中のスタッフたちは無事なのか。不安が募る。
 ジムの敷地の隅に降り立って、逃げる人の波に逆らいながら、キバナはジムの中へと入っていった。

 
 ナックルスタジアムの中は緊迫した空気に包まれていた。轟音と共にスタジアムが揺れて、ぱらぱらと石くずが落ちてくる。
 中にいた人の避難は完了したのか、ロビーに人気はなかった。時折、ジムトレーナー達が避難のために駆け足で外に出て行く程度だ。
「リョウタ! 何が起こった!」
 逃げる人々を誘導している部下を見つけ、キバナは彼の元へと駆け寄る。キバナの姿を見たリョウタは強張った表情に安堵の色を滲ませた。
「キバナさま! スタジアムのバトルフィールド内で、突如四体のポケモンがダイマックスしました。原因は不明です。スタジアム内の人は避難させましたが、ポケモンは外に出ようと暴れています。バトルモードにして障壁を貼っていますが、このままではスタジアム自体が持ちません」
 リョウタの懸念を裏付けるかのように、再びナックルスタジアムが大きく揺れる。
 キバナの脳裏に、一ヶ月前に起こったブラックナイト事件の記憶が浮かんだ。
 あの時は、ダイマックスしたポケモンを倒したのはダンデだった。ムゲンダイナに立ち向かったのもダンデだ。けれども今、ここにダンデはいない。
 キバナは歯を噛みしめ覚悟を決めた。
「そろそろ避難も終わるよな。他に人がいないか最終確認してくれ。間もなくヒトミとレナが来る。ヒトミは近隣住民の避難、レナは救護班の手配をするよう、伝えてくれ」
「キバナさまは?」
 眉間に皺を寄せて問いかけてくるリョウタに、へらっと笑ってみせる。
「ちょいとスタジアムの中を確認してくる。何、ちょっとフライゴンで飛んでくるだけだ。心配するな」
 リョウタを不安にさせないよう軽く伝えたが、帰ってきたのは唾を飛ばさんばかりの怒鳴り声だった。
「ダイマックスしているのは凶暴なドラゴンポケモンばかりですよ! 危険すぎます。今、応援を読んでいますから、お待ち下さい!」
「んなこと、待ってられるかよ」
 そもそも、その応援が役に立つ保証もないのだ。スタジアム内に、ダイマックスしたドラゴンポケモンが四体。おそらく、キバナの実力をもってしても自分の身を守るので手いっぱいだ。他の人員を守る余裕はない。そして、おそらくリョウタ程度の実力では、足手まといにしかならない。
 自分が実力不足なことは、リョウタもよくわかっているようだ。だからこそ、キバナ一人を特攻させるのは反対のようだ。
 地響きする廊下で二人が揉めていると、微かな足音が響いてきた。リョウタが呼んだ応援だろうか。足音は徐々に近づいてきて、そしてキバナの後ろで止まった。
 振り返ると、そこにいたのはよく見知った顔ぶれだった。
「ネズ! っと、ホップにチャンピオンと、研究所の……ソニアだっけ」
「大丈夫ですか? スタジアムでポケモンがダイマックスしているんですよね。助太刀します。詳細を教えてください」
 この緊迫した状況下でも、新チャンピオン、ユウリはいたって冷静だった。
 スタジアムに四体のダイマックスポケモンがいると聞いても、戸惑う素振りも見せない。「早くダイマックスから解放してあげないと、ポケモンたちの身体にも負担がかかりますね」とポケモンを気遣う余裕すら見せる。その堂々とした態度に、キバナにも冷静さが戻ってきた。
 しかしネズは眉間に皺を寄せたまま顎に手をあてて考え込む。
「ダイマックスしたドラゴンポケモンが四体ですか。なかなかに厄介ですね。一人一体受け持つとしても、各々がポケモンへ向かうだけでも危険です。へたにポケモンに背中を向けたら、後ろからダイドラグーンが襲ってきますぜ」
「うっ。マジかー。一人一体ってことは、オレも一人でダイマックスポケモンを抑えなきゃならないってことなんだよなぁ。自信、ないんだぞ」
 ホップも顔を顰め、頭を抱えて項垂れる。そんなホップに追い打ちをかけるように、ネズは告げた。
「それと、我々はダイマックスはしない方がいいと思います。おそらく四体のダイマックスポケモンが暴れるせいで、スタジアムの強度は限界でしょう。これ以上ダイマックスポケモンを増やせば、最悪スタジアムが倒壊するんじゃねーですか?」
……そうだな。ネズの言う通りだ」
 ネズの意見を苦々しい気持ちでキバナは肯定する。
 ナックルジムは古い建物だが、スタジアム自体はポケモンがダイマックスしても問題なく耐えられるように、きちんと改修されている。しかし、それはシングルバトルを想定したもの。四体以上のポケモンがダイマックスするなどという事態は考慮されていなかった。
 二人の考えを裏付けるように、また地響きがしてスタジアムが揺れる。
 状況は圧倒的に不利。暗い顔をして黙り込んだ三人の横で、考え込んでいたユウリが顔を上げた。
……私に考えがあります」
「考え?」
「どんなだ?」
 キバナは、この新米チャンピオンのことをさほど信頼している訳ではなかった。だから彼女の意見をそれほどしっかりと聞くつもりはなかった。けれどもネズとホップは違うようで、二人は真剣な表情でユウリに意見を促す。仕方なくキバナもユウリへと視線を向けた。
 ユウリはヒトミとレナが確認してきたスタジアム内の状況を紙に書き記す。
「まず、スタジアムの一番奥にいるのはジャラランガですよね。これは……キバナさんに相手をしてもらいたいです。なるべく、壁を背にして引きつけてほしいんですが……いけますか?」
「それくらい余裕だぜ。オレサマを誰だと思ってるんだ」
 スタジアムの奥まで行くには、三体のダイマックスポケモンの横を通り抜けなければならず、最も危険なことはわかっていた。気は進まなかったが、一番経験のある自分が危険を冒さなければ、と腹を括る。大丈夫、フライゴンで飛べばなんてことはない。そう自分に言い聞かせ、キバナは頷いた。
「ネズさんは手前のヌメルゴンをお願いします」
「一人一体を相手にする作戦ですね。まあ、それが無難でしょう」
「ホップは中央のフライゴンをよろしく」
「わかった。全力を尽くすぞ……
 そう頷きながらも、ホップの顔は青いままだった。そんなホップを励ますようにユウリは満面の笑みを浮かべる。
「大丈夫。私のサーナイトをダイマックスさせてみんなを守るから安心して。……キバナさん、防御に徹するならダイマックスポケモンをもう一体くらい出しても平気ですよね?」
「あ、ああ……そうだな」
 ユウリの提案は思ってもみないもので、キバナは一瞬返事に窮した。確かに、味方がダイウォールで相手の攻撃を阻止するならば、比較的安全にスタジアムの中を移動できる。サーナイト一体で四体のポケモンの攻撃を防ぐのは難しいとしても、戦いは格段に楽になるだろう。
「最初のターンの防御は請け負います。全員、全力で相手の元へ走って下さい」
 そう力強く言い切るユウリの目には気弱な感情は一切見られなかった。ただ静かに闘志を湛え、真っ直ぐにキバナたちを見る。その姿が、ついこの間まで追いかけていた嘗てのチャンピオンの姿と重なって見えて、キバナは思わず息を呑んだ。
「りょーかい。オマエの作戦に乗ってやるぜ」
「ま、この状況下ではユウリの提案が最善ですね」
「みんな自身満々で凄いんだぞ。……オレは、この状況で笑うのは無理なんだ」
 下を見ながらぶつぶつと呟いているホップも、作戦自体に異論はないようだ。
「ホップなら大丈夫だよ。でも、不安なら私のザシアンを応援に行かせようか?」
「それだとユウリの戦力が削れるだろ。ただでさえサーナイトが離れるんだぞ。……なんとかザマゼンタと一緒に耐えてみる。トドメを焦らなくていいなら、頑張って、粘る」
「偉い! さすがホップ。頼りにしているからね。私の背中、任せたよ」
 励まし合うユウリとホップの姿が、やけに眩しく見えた。まるで昔の自分を見ているような、感傷的な気持ちが沸き上がってくる。
(ダンデ……。どうか、オレに武運を)
 この場にいない自身のライバルに祈りを捧げ、キバナは大きく息を吸う。
「準備はいいか? なぁに、心配ないさ。最強メンバーの布陣だからな。行くぜ!」
 モンスターボールを手にする仲間たちに活を入れ、キバナは先頭に立って駆け出した。



 招かれざる侵入者の存在に、ポケモン達はすぐ気づいたようだ。四種類の雄たけびがスタジアム内に響き渡り、フィールドが赤々と照らされる。
 緊迫した雰囲気の中、最初に動いたのはホップだった。ザマゼンタの背に跨って、一直線に駆け出す。その動きに迷いはない。ポケモン達の視線が、ホップとザマゼンタに集中した。
 その隙にキバナはフライゴン、ユウリはアーマーガアに乗り飛び立った。急加速に耐えるキバナの眼下に、ダイマックスヌメルゴンに向かっていくネズとタチフサグマの姿が見えた。
 ダイマックスフライゴンがキバナとフライゴンに目を留め、力を溜め始める。ダイドラグーンの予備動作だ。
 赤い瞳から放たれる殺気に、焦りながら視線を走らせるが、頼りのサーナイトはまだダイマックスしていない。このままでは、躱すにも防御するにも間に合わない。キバナは覚悟を決めて相手の攻撃に備えた。
 その時、目の前でダイマックスフライゴンがぐらりと体制を崩した。放たれたダイドラグーンは天井に衝突する。轟音と共に、明滅する天井のライト。ユウリの隣を並走するムゲンダイナの攻撃が、まともにフライゴンの頭を直撃したのだ。
 ダイマックスフライゴンにかなりのダメージが入り、ふらつく。その直後、サーナイトがダイマックスした。これで盤面が整った。
 ダイマックスフライゴンの横を通り抜けたユウリは地表に降り立ち、ダイマックスオノノクスと対峙する。キバナはさらにその横を通り抜けて進み、フライゴンから飛び降りた。目の前にはダイマックスジャラランガ。咆哮を飛ばしてキバナを威嚇している。
「全力でいくぞ! フライゴン、ドラゴンクローで牽制しながら、ジャラランガを壁際にひきつけろ! ジュラルドンは、流れ弾を防げ! 後ろで戦っているユウリを守るんだ!」


 スタジアムでの乱闘は、覚悟していたよりも早く決着がついた。
 ジャラランガの瞳から光が抜け、小さくなりながら倒れていく。伏したまま動かないジャラランガを持ち上げコータスの上に乗せて、駆け付けてきたリョウタに救護室へ運ぶように指示をする。
 一息ついて振り返ると、後方ではユウリのサーナイトのマジカルシャインが、ネズと相対していたダイマックスヌメルゴンの後頭部を打ち抜くところだった。ヌメルゴンも、光をまき散らしながら小さくなっていく。
 これで全てのポケモンのダイマックスが解かれた。スタジアムの中はぐちゃぐちゃだが、倒壊は免れた。作戦成功だ。
(はーっ。疲れた……
 安堵と共に力が抜けて、思わずへたり込みそうになる。
 崩れかける足腰を叱咤激励しながら、スタジアムの損害具合を確認していると、ぴょこぴょことユウリが駆け寄ってきた。
「お疲れ様でした。さすがキバナさん」
「当然の結果だぜ。オレさまを誰だと思ってるんだ。ってか、オマエこそ大活躍だったじゃねえか」
 ジャラランガとの戦いに必死で後ろを振り返る余裕はなかったが、今回一番の功労者はユウリだろう。キバナがジャラランガを倒したときには、もうオノノクスもフライゴンも倒されていたのだから。
 そう指摘すると、ユウリは得意げに胸を張った。
「ふふん。そりゃ、まあ、チャンピオンですから」
 その仕草が、彼女の功績に似合わず可愛らしく思えて、キバナは吹き出しながら彼女の頭を撫ぜた。
「さすがチャンピオンだ。……すごいぜ。頑張ったな」
 奇跡的に一人の怪我人も出ずに終わったが、四体のドラゴンポケモンがダイマックスしたことを考えると、死傷者が出てもおかしくはなかった。これだけの損害で済んだのは、本当にこの小さなチャンピオンのおかげだった。
 キバナの感謝の気持ちが伝わたったのか、ユウリは頬を赤く染めてはにかんだように視線を下げる。それから辺りを見渡して、安堵で潤んだ声で呟いた。
「本当に……良かったです」
 その時、出入り口の方から「キバナさん! ヌメルゴンも医務室に運んじゃっていいですか?」とホップが呼ぶ声がした。視線を向けると、ホップとネズが二人がかりでヌメルゴンを抱え上げている。
「おう! 頼むぜ!」
「というか、呑気にしてないでおまえも手伝いんしゃい!」
「そうだな。今行く!」
「あ、待って! 私も行きますから!」
 そう言って共に走り出そうとしたユウリをキバナは呼び止めた。
「どうしました?」
 不思議そうに首を傾げるユウリに、キバナは笑いかける。
「何か事件が起こってるんだろ? ここはオレさまに任せて行きな、チャンピオン……いや、ユウリ」
 信頼と親愛の気持ちを込めて、役職名ではなく名前で呼びなおすと、よほど嬉しかったのだろうか。ユウリは呆けた顔でぱちぱちと二、三度瞬きをして、それからぱぁっと顔を輝かせた。
 よほど嬉しかったのだろうか。ユウリは呆けた顔でぱちぱちと二、三度瞬きをして、それから顔をぱぁっと輝かせた。
「はい! じゃぁ、お言葉に甘えてここは失礼します!」
「おう。手助けしてやれなくて悪いが、片が付いたら食事にでも行こうぜ。オレサマが、なんでも奢ってやる」
「え、いいんですか? やったぁ! 私、全力で頑張ってきますね!」
 嬉しそうに飛び跳ねて、「行ってきます!」とユウリは元気に駆けていく。そしてヌメルゴンを事務スタッフに渡しているネズとホップに合流して、三人はそのまま外へと飛び出して行った。
「チャンピオン、ユウリ、か……
 そんな三人を見送って、キバナはすうっと目を細める。
 正直、彼女のことを侮っていた。運を味方につけてダンデを下したラッキーガール。もしくは、ポケモンバトルだけが強い田舎の小娘。ポッと出てきて全てをかっさらっていった少女のことを、そのように評価していた。けれどもそれは、自分の醜い嫉妬と妬みが見せた幻影だった。
「あいつ……意外といいやつじゃねぇか」
 人見知りで大人しい子供かと思っていたら、頭も回るし行動力も胆力もある。そしてなにより、強い。
……面白れぇ女」
 ユウリが出て行った扉を見つめて、キバナは小さく呟く。その口元は、優しく弧を描いているのであった。



結託

 あの日はナックルシティだけでなく、ガラル地方の各ジムでダイマックスしたポケモンが暴れ回っていたらしい。
 キバナがそう知ったのは、ユウリ、ホップ、ネズの三人が事件の首謀者の二人組をコテンパンにしてつるし上げた翌々日のことだった。

(ははっ。あいつら、本当にすげぇや。ダンデ抜きであれだけの事件を解決しちまいやがった)
 今までは、突発的な事件はチャンピオン・ダンデが解決していた。けれども今回事件を解決したのは、新チャンピオンになったばかりのユウリ。事件はユウリを持ち上げるように報道され、その評価はうなぎ上りだ。
 キバナは興奮気味にシュートシティの廊下を歩いて行く。ユウリと交わした食事の約束を果たそうと、彼女を探しているのだ。
「ユウリ……あ、チャンピオンいるか? ……執務室の中? サンキュ」
 近くにいたリーグスタッフに声をかけ、ユウリの居場所を尋ねる。教えられた奥まった部屋の扉を開くと、書類で埋もれた机の向こうに話題の少女のベレー帽が見えた。
「よっ、ユウリ。近くに来たから寄ってみたぜ……って、大丈夫か?」
 自分を囲むように積み上げられた書類にせっせとサインをしているユウリの目は、昨日とは打って変わってどんよりと淀んでいた。
 キバナの声で、ユウリは緩慢に顔をあげる。
「あ、キバナさん。お疲れさまです」
 その顔に昨日の溌剌さはない。一晩で何があったのか、目の下にはうっすらと隈まで見える。
「お疲れさまって……明らかにオマエの方がお疲れじゃねーか」
 そう言うと、「うぅ……」と、ユウリが呻いた。シパシパと瞬く目に涙が溜まりだし、キバナは慌てて持ち歩いているハンドタオルをユウリへと差し出した。
「ほれ、拭け。涙で書類が駄目になるぞ」
「ありがとうございまふ……
 さめざめを涙を流すユウリを見かねたのか、隣に立っていたリーグスタッフが説明を始めた。
「未だリーグ委員長が決まらず、リーグ全体の決裁が進まないのです。非常事態なので事務方で最低限のことは回しているのですが、実効には全てチャンピオンのサインが必要で……
「昨日からずっとサインと判子押しを繰り返しているんですよー」
「昨日からって……あー、あの、シルソルコンビをぶちのめした後からか……
「はい……
 どうやら、ただでさえぎりぎりでこなしていたリーグの事務処理が、昨日の事件の後始末が追加されたことによって崩壊したらしい。リーグ内は混乱していて通常業務も滞る事態で、チャンピオンの決済印で無理やり諸々の手続きを完了させているようだ。
 非常事態だから仕方がないとはいえ、昨日まで外を飛び歩いていた少女に突然のデスクワークは酷だろう。いったいどれだけのサインを繰り返しているのか、消毒臭を漂わせる右手の湿布が痛々しい。
「腱鞘炎には気をつけろよ。……と、そうだ。この後、オレサマの会議が終わったら一緒に飯でも食いに行こうぜ」
 気分転換だ、とキバナが笑うと、ユウリはぎぎっと首をリーグスタッフの方へと向けた。
 目が半分死んでいるユウリの無言の問いかけに、女性は苦笑いをしながら頷く。
「昨日の事件でユウリさんはかなり注目されておりますから、目立たないようにご注意くださいね」
「オレサマが付いてるから大丈夫だぜ。よし、決まりだな。後で迎えに来る。それまで、頑張るんだぜ」
「ふぁい。お願いしま……くしゅん!」
 書類から埃が飛んだのか、ユウリが大きくくしゃみをする。そのタイミングの良さに吹き出しながら、キバナは「またな」とユウリに手を振るのであった。

 
 そんなこんなで出席した今日の会議も、またろくでもない結果に終わった。
 まず、ようやく選出されたリーグ委員長代理が、ブラックナイト事件の証拠隠滅とかなんとかで逮捕されていた。
「あの人、反マクロコスモス派のタレコミで捕まったらしいよ」
 そんな噂が、まことしやかに囁かれる。
 ブラックナイト事件とダイマックス事件でリーグ内はてんやわんや。ワンパチの足も借りたい状態なのに、よくもまあそんな非建設的な権力争いができるものだ。会議場で罵り合う彼らを仲裁しようという気にもなれず、キバナは大きくため息を吐く。
 それだけでも十分頭が痛いのに、それとは別に新しい問題も発生していた。各ジムが運営するトレーナーズスクールに、入学希望者が殺到しているのだ。
「あれってジムチャレンジの推薦状狙いだよね。ほら、チャンピオンが女の子になったし、ジムリーダーも何人かなったじゃん? 今年のジムチャレンジは難易度が下がって狙い目なんだって」
……ったく、チャンピオンやジムリーダーが変わったからって、楽できるわけねぇだろ!)
 声を大にして言いたいところだが、混乱しきったポケモンリーグには、そんなたわいもない噂を訂正する余裕もない。
 とはいえ、ポケモンスクールが盛況なのは本来ならば喜ばしいことだ。けれども、今回ばかりはタイミングが悪かった。
 リーグ委員長が不在の今、ポケモンリーグの運営に協力すべきジムリーダーが、トレーナーズスクールの対応に追われて身動きできなくなってしまったのだ。ターフジムのヤローとバウジムのルリナ、そしてエンジンジムのカブも、今日の会議は欠席だ。新ジムリーダーとなったビートとマリィもまずは自分のジムの運営に専念しなければならず、会議や実務には参加できない。人手不足は深刻だった。


「だーっ。疲れた……
 会議が終わって、ユウリと訪れた喫茶店。出されたお冷を一気に呷って、キバナはぐったりと項垂れた。
「大変そうですね……お疲れ様です」
 そう薄く笑うユウリも顔色が悪い。ナックルジムで出会った時は気づかなかったが、彼女の眼の下にある隈は一日や二日で出来たものとは思えなかった。
「オマエも、委員長がいなくて大変だろ」
「そうですね……覚悟していたよりも、大変です。……リーグ委員長がいれば、私の仕事ってもっと楽になるんですか?」
 ユウリは不思議そうに首を傾げる。
(そっか……。こいつは今の、クソみたいなポケモンリーグにいきなり放り込まれたんだよな)
 少し前までは、ダンデがいて、ローズがいた。
 厄介ごとが起きても、ローズとオリーブ、ダンデが速やかに解決し、致命的な問題は何も起こらなかった。キバナも、リーグスタッフ達も、皆が誇りをもって各々の仕事に取り組んでいた。それなのに。
(こうも呆気なく崩れちまうとはな)
「オマエは、本当ならしなくていい仕事まで抱え込んでいるんだ。だから委員長が決まれば、もっと自由時間も増えるはずだぜ」
「そうなんですね。……新しいリーグ委員長、早く決まるといいですね」
 少し眠たそうに笑うユウリの負担が伺えて、胃がずんと重たくなる。本来ならユウリもマリィやビートのように、前任者から引継ぎを受けながら徐々に業務を担っていくはずだったのだ。
……その前任者が、捕まらねーのも問題だよな)
 ユウリの前任者、ダンデは現在行方不明だった。ブラックナイト事件の参考人として事情聴取に出かけたっきり連絡が取れない。ローズの秘書だったオリーブも同様だった。
(示し合わせて雲隠れしているとは思えねぇが、困ったもんだ。あいつのことだから、迷子になっている可能性もあるが……
 ダンデは責任感の強い男だ。この現状をみすみす放置しておくとは思えなかった。
(ユウリのためにも、早く顔を見せて欲しいもんだ)
 ユウリは、やってきたサンドイッチを一切れ食べただけで、ぼんやりとサラダをつついていた。どうやら、あまり食欲も無いようだ。
「これ、パンにつけて食ってみろよ。美味いぜ」
 手付かずだった自分のスープをユウリへと渡す。彼女は言われるがままスープへ手を伸ばし、「ホントだ。美味しい」と口元を綻ばせた。
「だろ? オレさまのオススメだぜ」
 口にあったみたいで良かった。ゆっくりと手を動かし始めたユウリを見つめ、キバナはほっと息を吐く。
 お腹が膨れて気が緩んだのか、スープ皿を空にしたユウリは重たい口を開いた。
「なんかね、皆に囲まれるとどうしていいかわからなくなって、身体が縮こまっちゃうんです。私、チビだから、大きい人が怖く感じて……
「大きい人って……オレもか?」
「キバナさんは平気。さっきも、庇ってくれてありがとうございました」
 ユウリが語るのは、つい先程の出来事だった。シュートスタジアムを出た途端、ユウリとキバナは昨日のダイマックス事件へのコメントを求める記者たちに囲まれた。その時はキバナが記者を追い払ったが、ユウリはキバナの影に隠れて身を縮こまらせていた。
 群衆の中から「ちっ。ノーコメントかよ。ダンデとは違うな」という声が上がった時、ユウリの表情が強張ったことにキバナは気づいていた。投げつけられる不躾な視線に、無遠慮な言葉。それは、まだあどけないユウリを傷つけるには十分な鋭さを持っていた。
「今はリーグも頼りにならないし、ああいう手合いはなるべく避けないとな」
「上手く避けられたらいんですけど……
「そうだなぁ。じゃぁ、オレが近くにいる時は、なるべく一緒に行動しようぜ。暫くはオレサマも、シュートに拘束されそうだしな」
 ユウリが恐縮しないように言葉を選んで軽く告げ、キバナはスマホを取り出した。
「連絡先交換しとこうぜ。また、何かあったら話くらい聞くからさ」
 記者も野次馬も蹴散らしてやるぜと笑い飛ばすと、釣られるようにユウリも薄く微笑んだ。
「では、お願いしますね」


 人の心とは全くもって不思議なものだ。
 チャンピオンカップが終わったあの日。キバナはユウリに憎しみに近い感情を抱いた。
 自分の目指していた場所を、横から攫って行った人物。倒すべき目標を、難なく倒してみせた人物。
 彼女は悪くないと理解しながらも、妬み、羨む気持ちは止められなかった。。
 しかし、冷静になって自問する。
 自分はチャンピオンになりたかったのか? いや、違う。自分は、今のジムリーダーとしての仕事に誇りを持っている。この場所を放り出してまで、チャンピオンになろうとは思わない。
 では、ダンデに勝ちたかったのか? それはそうだ。そのために、自分は研鑽を積んできたのだから。
 しかし、チャンピオンカップで勝つ必要はなかったはずだ。確かに、無敵のチャンピオンを倒すことは魅力的だ。地位、名声、全てが手に入るのだから。
 けれども地位や名誉に拘らなければ、今後もダンデに勝利するチャンスはいくらでもあるのだ。チャンピオンではなくなっても、ダンデというトレーナーが消え去るわけではない。むしろ、チャンピオンでなくなった今のほうが、気軽にダンデとバトルができる気がした。
(なんでオレサマはダンデの敗退に、あれ程絶望したんだろうな)
 考えれば考えるほど、自分がユウリを妬む理由がわからなくなる。
 チャンピオンになりたかったわけではない。ユウリがダンデを倒したからと言って、自分がダンデを倒せなくなるわけでもない。
 あのときの自分は、何を焦っていたのだろうか。
 

 次にキバナがユウリと出会ったのは五日後。シュートスタジアムの廊下でだった。
「キバナさーん」
 呼び声と共に軽い衝撃を腰に感じて、キバナはたたらを踏む。ぶつかるように、ユウリが抱きついてきたのだ。
 仕事の愚痴や相談事などのメッセージを交わす中で、ユウリはずいぶんとキバナに心を開くようになっていた。
「あ、わり、ぼーっとしてた。ちょっとばっかし、忙しくてな」
 ついでに生あくびを一つ零すと、腹のあたりで笑うユウリが人差し指を伸ばしてきた。
「ふふ。隈がありますよ」
「そうねー。オレサマもそこそこに疲れているのよ」
 そうおどけながら、今日はユウリが笑顔でいることに安堵する。少し目の下は黒いけれども、ずいぶんといい顔色をしていた。
「オマエこそ、ちゃんと寝れてるか?」
「もちろん。キバナさんが話を聞いてくれるおかげで、モヤモヤも吹っ切れてぐっすりです」
「そうか。よかったぜ」
 目の下を人差し指の背中で撫ぜ返すと、ユウリはくすぐったそうに目を閉じた。
 なんだかふわふわして楽しい一時。するとそこで、はっとユウリが我に返った。
「って違うんです。聞いてください、キバナさん! 私、パーティの招待状を貰っちゃったんです」
 そう言ってユウリが差し出した招待状は、キバナも見覚えのあるものだった。
「あ、それダンデからだろ。オレのとこにも来てたぜ」
 質素だけれども上質な封筒の表にはバトルタワー開設記念式典の文字。裏には『バトルタワーオーナー、ダンデ』という署名があった。
「どうしましょう。私、パーティなんて初めてです」
 不安と焦りからか、わたわたと手を振るユウリの頭をぽんと叩いてキバナは笑う。
「心配すんなって。オレサマも呼ばれてるから一緒に行ってやるさ。なんなら、衣装も見繕ってやろうか?」
「本当ですか? やったー。これで一安心です。よろしくお願いします」
 キバナの言葉にユウリは表情を明るくし、深々とお辞儀をする。
 キバナもユウリに微笑みかけて、それから視線を窓の外へと移した。ちょうどそこからは、間もなくバトルタワーと名前を変える予定の大きなビルが見える。
 ユウリもキバナにつられて外を見上げ、呟く。
「それにしても……ダンデさん、ずるいですよね。チャンピオンを降りて、バトルタワーだなんて、自分だけ楽しそうに。あのたっかいビルから私達を見下ろしているかと思うと、腹が立ちます」
「お、オマエもそう思う?」
 いい子ちゃんのユウリがダンデに対して腹を立てているとは思わなかった。けれどもよく考えると、ダンデがポケモンリーグを去って、一番大変な思いをしているのは彼女だ。
「うーん。ダンデさんを倒した私が言うのもなんか悪いんですけどね。引き続きの時も、『ユウリくん、チャンピオンには決まった業務は無いんだ。だからキミも自由にしてくれていいんだぜ』って、真っ赤な嘘でしたね」
「あいつがチャンピオンだった時は、事務作業は秘書のねーちゃんが大部分を片付けていたからな。なんのかんの、ローズさんもすげぇ人だったし」
「はあ、私にも頼れるリーグ委員長と有能な秘書が欲しいです」
「お、親切なジムリーダーは頼りにならないか?」
「優しいジムリーダーさんにはとってもお世話になってますけど、それでもお仕事は辛いです……
 しくしくしく、と泣き真似するユウリの頭を再びぽんと叩いて、キバナはゆっくりと廊下を歩き始める。
 どれほど泣き言を言おうとも、これがポケモンリーグ内の問題である以上、どこからも救いの手はこない。自分たちで一つ一つ問題を解決していくしかないのだ。
 けれども、恨み言の一つや二つは言いたくなる気持ちもわかる。
「はぁ、ダンデのやつが委員長になってくれればベストなんだが……あいつ、今は新しいおもちゃに夢中だからな」
 キバナは恨めしそうにバトルタワーを一瞥した。
 ポケモンリーグとて、今の混乱をよしとしているわけではない。チャンピオンだった時の手腕を評価して、何度もダンデへリーグ委員長への就任を要請していた。けれどもバトルタワーの構想に夢中なダンデは、委員長への就任をなんのかんの理由をつけて逃げ回っているのだ。
「そーですね。でも、バトルタワーの運営が始まったら、それこそ委員長にはなってくれないんじゃないですか?」
「あのバトル馬鹿のことだから、その可能性は十分にあるな」
 ポケモンバトルを通じて、ガラル地方を盛り立てる。その考えは十分に立派だが、それならばポケモンリーグのことも少しは気にかけて欲しい。
「誰かあいつを一発ぶん殴って、あのおもちゃを取り上げてくれねーかな」
 八方塞がりな状況に、キバナは冗談めかしながらも穏やかでは無い本音を吐く。その言葉にユウリが反応した。
「それですよ。それ。キバナさん、ダンデさんをぶん殴りましょう」
 にっこりと笑った可愛らしい口から似つかわしくない不穏な単語が飛び出す。キバナは思わず目を点にして、パチクリと瞬かせた。
「は、オマエ、眠すぎておかしくなってるぞ」
「もー、なんでですか! おかしくなんかないですよ」
 ユウリは頬を膨らまして抗議した。
「私だって何度もダンデさんにお願いしたんですよ。でも、私の言う事なんてちっとも聞いてくれないんです。もう、私だって怒ってるんですから! なので、キバナさん、ダンデさんをぶちのめして下さい!」
 キバナの脳裏にゴリランダーのように鍛えられた、ダンデの立派な体格が思い浮かぶ。
「オレさま、暴力沙汰はちょっと、な」
 キバナもそれなりに身体を鍛えてはいる。その辺の男にも引けを取るつもりはない。けれどもダンデはまた規格外な男だ。だってあいつは、ガマゲロゲと相撲をとったりするんだぞ。
 完全に引いているキバナを見て、再びユウリは頬を膨らませた。
「なんでそうなるんですか! ポケモン、ポケモン勝負ですよ。ダンデさんと、リーグ委員長の座をかけて勝負です!」
 そう言われて、「なるほど、ポケモン勝負ね。それだったらいけそうだ」……となるはずがなかった。
「いやいやいやいや。無理だろ! オマエ、オレとダンデの戦績を知ってるだろ」
 ダンデが現役だった頃、確かにキバナは公認のライバルだった。けれども、それは決してキバナがダンデと同等の実力を持っているということではない。
 もちろんキバナはトップジムリーダー。ジムリーダーの中でも実力は抜きんでている。けれどもそんなキバナでもおいそれとは勝利できないほど、ダンデとは実力の差があった。
 公式戦でもここ数年は連敗記録更新中で、勝てた試しがない。勝てなくはないだろうが、勝率は良く見積もっても三割。
 ダンデをぶちのめしてリーグ委員長にさせるなんて作戦に打って出るには、分の悪い賭けだ。
 けれどもユウリは諦めない。
「勝算はあります! 大丈夫です! 私が教えますから……特訓しましょう!」
「特訓って……そんな付け焼刃で勝てるほど、ダンデは甘い奴じゃねーぞ」
 それは、ずっとダンデを目指して戦い続けてきたキバナが誰よりもよくわかっていた。加えて、一応キバナもジムリーダー。ドラゴンタイプの育成には、それなりの自負がある。いくら実力は折り紙付きとはいえ、ついこの前までジムチャレンジャーだったユウリに教えを乞うのはプライドが許さなかった。
 けれども。
「キバナさんのジュラルドンなら、ぜーったいに勝てます!」
 ユウリの自信にあふれた言葉に、キバナの心は揺れ動く。
 ジュラルドン。ダンデとリザードンに何度も苦渋を舐めさせられた、キバナの一番の相棒。こいつと一緒に、もう一度ダンデと戦えるなら。あいつらに打ち勝つ可能性があるなら。
 この小さな悪魔に、魂とプライドを売り渡してしまうのもありなんじゃないかと思うのであった。



勝利

 その日は雪が降り、ホワイトクリスマスとなった。
 白く染まったシュートジムのメインストリートを、仕事を終えたリーグスタッフのカップルたちが腕を組んで帰って行く。
 その光景を、キバナはシュートスタジアム上階にあるチャンピオン室から冷めた視線で見下ろしていた。
「ったく、世の中はクリスマスだってのに、今年は恋人を作る余裕もなかったなぁ」
 もちろん、眉目秀麗、頭脳明晰かつトップジムリーダーの地位にあるキバナは非常にモテる。クリスマスを共に過ごす相手には事欠かないのだが、とてもじゃないけれど今年はゆっくりと休暇を楽しめる状況ではなかった。
……はぁ」
 憂鬱さを含んだため息をついて、何をするでもなく部屋の主の帰還を待つ。
 いよいよこれから、キバナはバトルタワーオーナー、ダンデにバトルを挑みに行くのだ。
……何も、クリスマスにしなくてもなあ」
 クリスマスになった理由は簡単だ。相も変わらず委員長不在のポケモンリーグは大変な混乱ぶりで、キバナとユウリの予定が全く空かなかったのだ。
 加えて、そろそろ委員長を決めてリーグ内の業務を正常に戻さないと、多忙でクリスマス休暇すら取れなかったリーグスタッフが、ストライキを起こす危険性も出てきたのだ。
 

「キバナさーん。来てますかー」
 緊張が高まり、落ち着かなさそうに胃を擦るキバナの耳に、なんとも呑気な声が聞こえてきた。ユウリだ。
「先にくつろがせてもらってるぜ。オマエも、おつかれさん」
 ノックの音に扉を開けてやると、そこにいたのは、ミニスカートのサンタクロースの衣装を纏ったユウリ。おそらく、クリスマスイベントの仕事が終わってすぐにやって来たのだろう。
 仕事が立て込んでいるせいか、今日も彼女の顔色は悪く、肌も荒れていた。目の隈は今日も健在だ。しかし、その瞳には強い光が宿っていた。
「昨日の首尾はどうだった?」
 部屋に着くやいなや、ユウリは勢いよく服を脱ぎ始める。その光景を直視しないように視線を逸らし、緊張を隠してキバナは尋ねる。昨日、ユウリは偵察のために、バトルタワーへと行ったはずだった。
 ユウリからの返答は、顔に向かって投げつけられた脱ぎたての衣装。
 視線を逸らしていたせいで、まともに頭に当たった服を指先で摘まんで、着替えを終えたユウリへと投げ返す。ユウリの機嫌もあまりよろしくはないようで、彼女は受け取ったサンタ衣装を丸めて床へと叩きつけた。
「負けました。もう、最悪です。『キミの力はそんなものか!』って。ダンデさん、満面の笑みで笑っていて。……あー、思い出すだけでも、腹が立ちます」
 よほど悔しかったのだろう。ユウリは眉を顰めたまま大きく息を吐いた。
「しかしそうするとまずいな」
 ただでさえ重たい胃がさらに質量を増して痛み始めた気がして、キバナはまた腹部を擦る。
 あの決勝戦の後、ユウリとて腑抜けていたわけではない。忙しい合間を縫って、キバナとポケモンバトルの研鑚を積んできた。ダンデは、そのユウリですら敗北するほどの強さを誇っているのか。
 キバナはガシガシっと頭を掻いて、それからまた大きなため息を吐く。
 けれどもユウリはそこまで悲観しているようではなかった。
「いえ、きっと大丈夫です」
 そう言いながらユウリはポットに近づいて紅茶を淹れ始めた。そこでようやく、キバナは自分が飲み物も用意せずに部屋で突っ立っていたことに気づく。これほど気が回らないなんて、本当にらしくない。
 そんなキバナの緊張に気づいているのかいないのか。ユウリはキバナの分の紅茶を差し出して語り始めた。
「昨日は、ダンデさんが私への対策を練ってパーティを組んできたから焦ったんです。しかも、リザードンが二番手に出てきてキョダイマックスしたんですよ。完全に意表を突かれました。でも、次は油断しません。そう簡単に負けてやるつもりは、ありませんから」
 ユウリは昨日のバトルを思い出したのか、鞄から紙の束を取り出しながら続けた。
「結構データも取れました。ダンデさん、やっぱりポケモンにレアなアイテムを持たせていますね。バリコオルにゴツゴツメット。ドサイドンにじゃくてんほけん。リザードンが何を持っているかがわからなかったのが悔しいです。絶対に何かを持たせているはずなのに。あと、今までとは違う特性を持つポケモンもいました。その上、全体的に強化されています」
 早口でまくし立てるユウリはひどく興奮しているようだった。キバナは思わず身震いする。そんな相手とこれから戦うのか。本当に、勝てるのだろうか。
「大丈夫です。勝てますよ」
 キバナの心を読んだかのように、ユウリは大きく頷いて断言する。その風格は、自信に満ち溢れたチャンピオンそのもので、非常に心強く感じられた。
「昨日の戦いでわかりました。ダンデさんはチャンピオンの時とは違って、パフォーマンスなんか気にせずに全力でこちらを叩き潰しに来ます」
 ダンデは強い。その彼の強さは、とてもチャンピオンらしいものだ。正攻法で、真っ向勝負を挑んでくる。それは裏を返せば、搦め手を封印しているということだ。
 相手の能力を下げる。自分の能力を上げる。相手を状態異常にする。防御と回復に徹して持久戦を狙う。そのような、地味で盛り上がらない戦法は使わなかった。けれども、今のダンデがそのような戦法を使ってこない保証はない。
 緊張でじっとりと汗ばんだ手を振り、キバナは無言で腕を組みなおす。
 そんなぴりつくキバナに、しかしユウリはあっけらかんと告げた。
「なので、ダンデさんのポケモンの選出順は、バリコオル、オノノクス、リザードンです」
「は?」
 ユウリの言葉が全くもって理解できず、キバナは目を瞬かせながら聞き返した。
 そんなキバナに、ユウリはにやりと笑みを返す。
「キバナさん、ダンデさんに、最初はどんなパーティで挑もうと思ってました?」
「えっと、フライゴン、ヌメルゴン、ジュラルドンだ」
 絶対に負けられない、ダンデとの勝負。もちろん自分の最強のパーティーで挑むのが礼儀だろう。
 けれどもユウリは若干呆れを含んだ視線をキバナへと向けた。
「ですよね。キバナさん、自覚はないかもしれませんが、いつもそのパーティでダンデさんに挑んで負けているんですよ」
「え、そうか……も、しれねえ…………
 自分では気づいていなかったが、冷静に考えてみると、ユウリの指摘する通りだった。
「キバナさんとダンデさんの公式戦、非公式戦、ここ五年分を分析しました。あ、この表がその結果です。キバナさんのバトルは、大体七割くらいがフライゴン、ヌメルゴン、ジュラルドンの組み合わせになってました。今までのダンデさんでしたら、タイプ相性は考慮せずに力技でごり押ししてたと思いますが、バトルタワーのダンデさんはおそらく、キバナさんのパーティ編成を読んで弱点を突いてきます」
 ユウリの目つきと言葉に鋭さが増してきた。普段の温厚さが鳴りを潜め、チャンピオンとしての顔つきになっていく。
「ダンデさん目線で選出を予想してみますね。順当に考えると、まずはキバナさんのヌメルゴンを警戒するはずです。だから特性『そうしょく』に弱いゴリランダーは無し。フライゴンやコータスなどのじめんタイプを警戒してエースバーンも無し……ですね」
「わかった。無しなんだな」
 まだ今一つ信じられないが、あまりにもユウリが自信満々に断言するので、ひとまずキバナも頷いておく。
「データ的にも、キバナさんが一体目にフライゴンを選ぶことが多いというのはわかっています。だから、じめんタイプに弱いギルガルドも無いですね。……私がダンデさんだったら、ドラゴンタイプに強いバリコオルを選びます。三体の枠のうちのもう一体はリザードンで確定。あと一体は、オノノクスかガマゲロゲ、ドサイドン、もしくはインテレオン。ダンデさんの性格からすると……オノノクスを選んでくると思いませんか?」
「まー、そうだな」
 ユウリの言いたいことはキバナにもわかった。
 ドラゴンタイプにドラゴン技はばつぐんに効くので、ドラゴンタイプ同士の戦いは常に激しい消耗戦になる。なんのかんの言って、ダンデはそういった派手な戦いを好む傾向にあるのだ。
「不確定要素はありますが、ダンデさんの選出ポケモンは一応予想できましたね。それを前提に、キバナさんのポケモンを選出します」
 そう言いながら、ユウリはごそごそと自分の鞄の中をあさりだした。
「ダンデさんのバリコオルに対して、キバナさんの初手は……誰がいいと思いますか?」
「そりゃ、コータスだろうな。ほのお技、じめん技。両サイドから攻められる」
「そうですね。コータスはあまりダンデさんとの戦いに出たこともありませんし、意表もつけると思います。ダンデさんがガマゲロゲやインテレオンを選ぶ可能性は低いとは思いますが、みずタイプが来たらすぐに他のポケモンに変えてくださいね」
「んな初歩的な事は百も承知だぜ」
 これでもトップジムリーダーだ。ちゃんとわかっている、と口をへの字にして不快感を表すキバナに、ユウリはにっこりと笑いかけて紫がかった大ぶりな玉を差し出した。
「はいこれ。いのちのたまです。コータスに持たせてください」
 それはバトルタワーが独占販売をしている、かなりレアなアイテムだ。
「ユウリ、これって……
 目を見開くキバナへユウリは即答する。
「お貸しします。ダンデさんだって、ポケモンに持ち物を持たせているんです。こちらも全力でいかないと、負けちゃいますよ」
 ぐうの音も出ないほどの正論だった。正直、ユウリからアイテムを借りるのは、ずるをしているようで気が引けた。けれども、そんなことを言っている場合ではない。なんとしてでも、ダンデから勝利をもぎ取らないといけないのだ。
「キバナさんの二番手は……ヌメルゴンにしておきましょうか。ヌメルゴンの役割は、弱点攻撃を受けてからキョダイマックスをすることです。はい、じゃくてんほけん。大丈夫、絶対にダンデさんは弱点を突いてきます。ヌメルゴンの攻撃力をぐーんと上げて頑張りましょう!」
 緑がかった紙を両手で受け取り、まじまじと凝視する。これもかなり珍しいアイテムだ。おそらく、バトルタワーで取得してきたのだろう。
「三体目は……ジュラルドンがいいんですよね」
 鞄に手を入れたままのユウリに尋ねられて、「もちろんだ」と頷く。いかに勝利が必要だとしても、キバナの一番の相棒はジュラルドンだ。彼と共にダンデに勝つ。それだけはどうしても譲れなかった。
「いいだろ、別に。オレのジュラルドンならダンデのリザードンに遅れは取らないぜ」
「普通のリザードンならいいんですけど、相手はキョダイマックスしてきますからね。頑張って耐えてください。……というか、どうせジュラルドンはストーンエッジで戦うんですよね。どうせいわタイプ技を繰り出すなら、ギガイアスにした方が楽ですよ」
「ギガイアスだと、能力的に一段落ちるだろ? オレサマの一番の相棒は、ジュラルドンだ」
「はいはい。ゴツゴツメットととつげきチョッキがありますけれど……ここはとつげきチョッキですね」
 差し出されたレアアイテムを、じっと見つめる。これを受け取らなければならないことはわかっていた。しかし、ここまでユウリを頼りきりになることには、まだ抵抗があった。
 ユウリは強引にとつげきチョッキを手渡して、念を押す。
「受け取らない、なんて言って昨晩の私の時間を無駄にさせないでくださいね。これをゲットするために、三時間もバトルタワーで粘ったんですから」
 そう言われると、受け取らないわけにないかなかった。「サンキュ」と小さく呟いてずっしりと重たいチョッキをしまう。そんなキバナを励ますように、ユウリはキバナの背中をぽんと叩いた。
「私の休みをもぎ取るためにも、キバナさんには勝ってもらわないといけないんです。……というか、本当にダンデさんがリーグ委員長になったら、私の仕事が減るんですよね」
 訝しげな問いかけを、こくこくと首を振って肯定する。ここまでしてもらってユウリの負担が減らなかったら、インテレオンの狙撃練習の的にされそうだ。
「本来ならこのアイテムをポケモンに持たせて実践を積ませたかったのですが……時間が全然足りませんでしたね。それだけがすごく残念です」
 そうつぶやいたユウリの肩から力が抜け、瞳のぎらつきが落ち着ついていく。眠たそうに目をこすって、首をコキコキと鳴らした彼女は、最後にふぁと欠伸を零した。
「じゃ、私は帰って寝ますね。できることはやり尽くしました。あとはキバナさん次第です。……ま、キバナさんなら大丈夫ですよね」
「おい、ずいぶんあっさりしてるな。ついてきて応援とかしてくれないのかよ」
 気だるそうに鞄を背負うユウリに、熱く語っていた先ほどまでの面影はない。思わすキバナが突っこむと、目を半分にしたユウリは、また大きな欠伸を零した。
「私、先週から超絶忙しくて、睡眠時間が毎日三時間ほどなんですよ。明日も年末のイベントのリハーサルがありますし……身体が持たないので、今日は帰って寝ます」
「そ、そうか。悪かったな」
 そういえば今日はクリスマス。世の中はクリスマス休暇の真っ最中だ。例年、この時期はポケモンリーグも各地でイベントを行い、ポケモンバトルの啓発に力を入れる。リーグ委員長不在とはいえすべてのイベントを中止にするわけにもいかず、ユウリは慣れない中、必死にチャンピオンの仕事をこなしていたのだ。その上で、キバナのバトルの監督もしていた。
 キバナは静かに瞠目して、万感の想いを込めてユウリを抱きしめた。
「ここまでしてくれてありがとうな。オレサマにとって、最高のクリスマスプレゼントだぜ」
 微笑むキバナに、ユウリは不敵ににやりと笑い返す。
「ここで終わりじゃないですからね。最後のプレゼントは自分でつかみ取って下さい。大丈夫です。私の優秀なキバナさんは、絶対に負けません」
「オレはオマエんじゃねーよ。……けど、特訓に付き合ってくれてありがとな。行ってくる」
 しっかりと視線を合わせて頷いて、どちらからともなくハイタッチを交わす。
 そして、キバナはユウリに背中を向けて歩き出した。目指すのは、シュートシティの一番奥にそびえたつバトルタワー。
 
 決戦の時刻は、もう間もなくだった。



「ようやく来たな。待ちくたびれたぜ」
 クリスマスの喧噪を感じさせない静かなタワーの上層階で、ダンデは挑戦者を待っていた。
「久しぶりだな、ダンデ。ったく、いるんなら最初から出てこいよ。もったいつけやがって」
 バトルタワーに着いてすぐにダンデと対戦できるのかと思ったら、なんとエレベーターで上に上がり、幾人かの一般トレーナーを倒せと言われたのだ。
 出鼻をくじかれたキバナの機嫌は、悪い。
「ははっ、悪いな。そういうルールなんだ。ほら、身体を暖めるための前座も必要だろ?」
「そんな気遣いは無用だぜ。最初っからフルスロットルだからよ!」
 ユウリのおかげで、気合も気迫も十分だ。モンスターボールを手にしたキバナは、身を低くして戦闘態勢を取りながら、久しぶりに会うライバルを観察した。
 なるほど、確かにバトルタワーオーナーとなったダンデは、以前とは違う雰囲気を醸し出していた。
 もうここにはチャンピオンという偶像を望むファンも、好感度を要求するスポンサーもいない。チャンピオンという仮面を脱いで、ただのトレーナーとしてバトルタワーに君臨するダンデは、冷徹な眼差しでキバナを見据えていた。
 モンスターボールを取り出し、ダンデはバトルを始めようとする。それを制して、キバナは言葉を発した。
「せっかくのクリスマスバトルだ。お互いに、何か賭けないか?」
 意味ありげな笑顔を見せて、余裕があることをアピール。けれどもそれはただのポーズであり、キバナの鼓動は緊張のため早打っていた。
「いいぜ。それでお前の本気が引き出せるなら、喜んで」
 そうダンデは薄く笑う。その笑みには、絶対的な自信が滲んで見えた。
「オレサマが勝ったら、オマエにはリーグ委員長になってもらうぜ」
 幾度も袖にされたキバナの望みを、ダンデは大きくうなずいて請け負った。
「わかった。その代わり、オレが勝ったらユウリくんを貰うぜ」
「は?」
 予想だにしなかったダンデの発言に、キバナは目を剥き絶句する。
 ダンデはキャップで口元を隠し、愉快そうに笑った。
「ははっ。オマエのそんな顔も久しぶりに見たな。……何、そんな大したことじゃない。前々から、ユウリくんにはバトルタワーの特別顧問になって欲しいと思っていたんだ。彼女のバトルセンスは目を見張るものがある。その才能を埋もれさせておくには、惜しくてな」
「惜しいも何も、ユウリはチャンピオンだぜ。オマエがリーグ委員長になってユウリを導いてやればいいじゃねーか」
 嘗て、ローズがダンデを導いてきたように。
 そうキバナが諭すと、そこまで考えが及んでいなかったのか、「それもそうか」とダンデは思案顔で頷く。そのあっさりとした態度に、キバナは拍子抜けしてしまった。
「あいつ、バトルタワーに行きたそうだったぜ。でも、仕事が忙しすぎて自由時間がないんだ。オマエがポケモンリーグに来てユウリの負担が減れば、もっとバトルタワーに行くんじゃねえか?」
「わかった。リーグ委員長の就任依頼の件、前向きに検討しよう」
……なんだ。こうやって説得すればよかったのか)
 別にダンデと戦わなくても、道はあったのだ。
(別に、ユウリと一緒に特訓なんかしなくてもよかったんじゃん)
 肩透かしを食らって、張り詰めていた緊張を緩めたキバナの脳裏に、ふと、ユウリの姿が浮かんだ。
『最近、私、よく眠れないんです』
 そう言って、ユウリは泣いていた。目の下に隈を浮かべ、うつろに笑い、ぽろぽろと涙を零していた。
 キバナはぎり、と歯を食いしばる。手を握り締め、深呼吸をして闘志を高める。やはり、こいつは一発ぶん殴らなきゃ気が済まない。
 自分のためにも。ユウリのためにも。
「どう転んでもオマエがリーグ委員長になるんなら、賭けは成立しないな。……だったら、オレサマが勝ったらオマエを一発殴らせろ」
 そう言って睨みつけると、ダンデは実に愉しそうな笑みを返した。
「賭けを続行してもいいのか? オレが勝ったら、ユウリくんはバトルタワーにいただくぜ?」
 愉快そうな金の瞳が、本当にいいのか、とキバナに問いかける。
 モンスターボールを握りしめた手を振りかざして、キバナは吠えるように答えた。
「ああ、ちっとも構わねえぜ。オレは、オマエには負けねえからな!」
「そうか。ならば、問題ないな」
 ダンデは笑みを深くして、モンスターボールを振り投げた。


 ダンデが繰り出したのは、バリコオルだった。
 ユウリの見立て通りの選出だ。彼女の考えを疑っていたわけではないが、キバナは内心舌を巻く。
「行け! コータス!」
 キバナがコータスを出すとは思っていなかったのか、ダンデの目が大きく見開かれた。チャンピオンカップで初めて見せたダンデの悔恨の表情。それを引き出せたことに、胸がすく思いがする。
 バリコオルのねこだましで最初の攻撃こそ防がれたが、次のターンではコータスの特性「ひでり」で強化されたふんえんが、容赦なくバリコオルを焙っていく。
 力尽きて倒れたバリコオルの代わりに出てきたのは、これもユウリの読み通りのオノノクスだ。
(っは! やっぱ、ユウリはすげえな!)
 ダンデが惚れこむのも、気に食わないが、頷ける。
(オマエに、ユウリはやらねえけど、よ!)
 コータスが倒れ伏し、ヌメルゴンを繰り出す。険しい顔をしていたダンデの顔に、微かな笑みが浮かんだ。
 けれども。
『キョダイマックス、忘れないで下さいよ』
(はっ。ここまでお膳立てされて、忘れるわけねぇだろ!)
 記憶の中で囁くユウリの声を笑い飛ばす。ぴったりとハマったユウリの戦略に、ダンデが翻弄されている。楽しい。アドレナリン全開だ。
「ヌメルゴン! ダイマックスだ!」
「何!」
 まさかヌメルゴンがダイマックスをするとは思わなかったようで、ダンデの動きが一瞬止まった。
 キバナは大きく振りかぶり、ボールを解き放つ。ガラル粒子を振りまきながら巨大化したヌメルゴンの腹に、オノノクスのワイドブレーカーが命中。じゃくてんほけんが発動する。
 全てが自分の思惑通り、まるでフィールド全体が自分の手中で転がるようだ。楽しくて楽しくてたまらない。ぞくぞくと全身が愉悦に震える。
(ダンデ。オマエはいつもこんな気持ちだったのか)
 視線を向けると、ダンデはその顔を歪ませて唇をかみしめ、キバナを睨みつけていた。
(あぁ、そうだ。これが、これこそが)
 ダイドラグーンがオノノクスをねじ伏せる。ダンデの放ったリザードンがキョダイマックスする。その光景が、まるでコマ送りのようにゆっくりと感じられた。
(これこそが、オレが求め続けたもの)
 力の限りを込めて放たれたヌメルゴンのダイストリームとリザードンのダイドラグーンが頭の上で激突して、水滴混じりの衝撃波がキバナを襲う。
 吹き飛ばされないように身を低くして衝撃をやり過ごし、キバナはゆっくりと口角を上げる。
 キバナが目指した、ただ一人のライバルからの完全なる勝利。
 それはもう目前に迫っていた。



エピローグ

「キバナさん! 勝ちました?」
 やたらと広いエレベーターの、無駄に大きい扉の向こうのロビーから駆けてくるユウリの姿を見て、キバナは大きく目を見開いた。
「ユウリ……オマエ、帰って寝るんじゃなかったのかよ」
 腕時計の針はもう十一時近くを指している。これから帰って寝るにしても遅すぎる時間だ。何より、未成年の彼女がこんな夜更けに出歩いていることが信じられなかった。キバナは慌ててユウリへ駆け寄る。
 そんなキバナに、ユウリはぎゅうっと抱き着いた。
「キバナさん、おつかれさまです。……くんくん、くんくん。ふんえんの煤と、キョダイゴクエンの煙の臭い。それから、湿った水の匂いがします。……キバナさん、勝ちましたね」
 どんな嗅覚をしているのか、ユウリは匂いだけでバトル内容を言い当ててきた。なんだか諸々が規格外すぎて、説教しようと構えた力が抜けていく。
 いつまでも腹部で引くつく鼻がくすぐったくて、抱き着いたままのユウリを引きはがす。
「ほら、結果がわかったんならいいだろ? いつまでも引っ付いてんじゃねぇ」
「えーっ。せっかくの勝利の匂い、堪能させてくださいよ!」
「やだよ。恥ずかしい」
「むぅ。ま、いっか。キバナさんは勝利を収めたんですし、これでリーグ委員長も決定ですね。やったぁ!」
 無邪気に飛び跳ねるユウリを眺めながら、キバナはバトルをしなくてもダンデが委員長を引き受けてくれたことは内緒にしておこうと決意する。せっかくの喜びに水を差すことはない。
「ってかオマエ、こんな時間に何やってんだよ」
 とっくに寝る時間だろ、と睨みを利かせると、ユウリはキバナから離れてわざとらしく視線を逸らした。
「ちゃんと寝たんですよ。本当に。でもちょっと目が冷めちゃって、で、キバナさんのバトルがそろそろ終わる時間かなって考えたら、いてもたってもいられなくなって、来ちゃいました。……やっぱり、駄目でしたよね」
 そう言ってしおらしく肩を落としながらも、ユウリはキバナを甘えるような上目遣いで見上げる。
 強かな少女を半目で見下ろして、叱る代わりにキバナはユウリを横抱きに抱え上げた。
「きゃっ!」
「じっとしてろ。落とすぞ」
 慌てるユウリを目線で制して、キバナはユウリを抱えたままバトルタワーの外へ出た。
 いつの間にか雪は止み、雲の隙間から射す月の光が、うっすらと降り積もった雪を淡く照らしていた。道には、まっすぐにバトルタワーを目指す小さな足跡が一つ。ユウリの足跡だ。
 キバナはユウリの足跡の上を、大股でずんずん歩いて行く。
「おい、オマエんちはどっちだ?」
「え? あ、お構いなく。自分で歩いて帰れますから」
 キバナの意図を察したユウリが、腕の中でぱたぱた暴れる。そんな彼女を落とさないように腕に力を込め、キバナは雪の上に記された足跡を見下ろした。
「ま、言わなくてもいいけどさ。この足跡をたどって行けば、オマエんちに着くだろ?」
「え? ああっ。そんな卑怯な!」
「卑怯もへったくれもあるかよ。こんな時間に、のこのこ外に出てきて。変な奴に絡まれたらどうするつもりだったんだ? オマエには、チャンピオンとしての自覚が足りない」
「う……ごめんなさい」
 強めに言うと、ユウリも少しは反省したようだった。項垂れて、抵抗を止めたユウリから部屋の鍵を預かって、キバナはもくもくと雪道を歩いて行く。
 普段は夜遅くまでにぎわうシュートシティも、クリスマスの今日ばかりは、人の気配もなく静まり返っていた。物音ひとつ立たない雪道に、ザクザクとキバナの歩く足音だけが響く。
 規則正しい歩みに揺られて、ユウリも眠気が戻ってきたようだ。あどけないヘーゼルブラウンが、ゆっくりと瞼の向こうに消えていく。
 その瞳が閉じるか閉じないかの頃合いに、キバナはぽつりと呟いた。
「サンキューな、ユウリ。今日は、最高の一日だった。……オマエのおかげだ」
 その優しく囁かれる声に、ユウリの瞳がぴくりと動いた。小さな口が緩慢に動く。
「ふぁ……おやすい、ごよう、でふよ……
 ユウリは瞳を閉じたまま、そっとキバナの腕に頬ずりする。
「キバナさ……重く、ない?」
「お、気遣ってくれるのか? 大丈夫、ちっとも重くないぜ」
 むしろ、今はこの重みが心地よいくらいだった。
「ふふっ。キバナさ……大好き……
 幸せそうに呟かれた言葉に、ザクザクと刻む足音がぴたりと止まった。けれどもすうすうと穏やかな寝息が響いて、またキバナの足は規則正しい音を奏で始める。
「ユウリ……オレも、オマエのことが大好きだぜ」
 腕の中で心地よさそうに眠る少女に秘密の告白をして、キバナは寝息を吐く薄い唇に口づけた。そして、足跡の先にあるマンションの中へと入っていった。
 いつしか月は再び雪雲に隠れ、はらはらと雪が降りだしていた。
 しんしんと降り積もる真夜中の雪は、バトルタワーとマンションを繋ぐ二人分の足跡を、静かに消していくのであった。
 


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