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愛以上、恋未満。

全体公開 キバユウ作品 4 47202文字
2023-05-05 22:33:06

キバナさんに憧れるユウリちゃんが、少しずつ距離を縮めて結ばれるお話。

プロローグ

 初めて彼を見たのはテレビ画面の中。
「ダンデ! エキシビションといえど、オマエの無敗記録、終わらせる!」
 爛々と輝くスカイブルーの瞳。重心を低くして、身体全体でパフォーマンスをするその姿は本当にドラゴンのような気迫で。
 チャンピオンダンデがガラルの王様だとするならば、彼は王の傍らで控えながらもその首を狙う獰猛な竜のようだ。そう感じた。
 結局その日のバトルでは、キバナさんはダンデさんに敗れてしまったけれど、その対決はいつまでも私の記憶に鮮烈に残っていた。

 それからちょっとした縁があって、私はポケモントレーナーになった。
 チャンピオンダンデに初めてのポケモンをもらえるという光栄な機会。でも、選べるのは炎タイプ、水タイプ、草タイプの三種類からだった。キバナさんが得意とするドラゴンタイプに有効なポケモンがいないことに、私は少しがっかりした。
「それなら……コータス、ギガイアスを意識して、メッソンかな?」
 口の中で小さく呟いて、私は目に涙を溜めて震えているポケモンを手の中に招き入れる。その時、目の前にいたチャンピオンダンデの目がきらりと光った。
「ほう、キバナを意識しているのか。いいと思うぜ。倒すべき相手の明確なイメージがあった方が、トレーナーとしても成長できるからな。でも、最終的にはオレとのバトルを目標にしてくれると嬉しいぜ。キバナを倒して、オレのところまで辿り着くんだ!」
 そうダンデさんは笑ったけれど、その時の私は自分がダンデさんと戦うことになるなんて思ってもみなかった。
 だって、チャンピオンカップの決勝戦でダンデさんと戦うのは、毎年毎年キバナさんだった。
今回は、私もジムチャレンジに参加はするけれど、勝ち上がってダンデさんと戦うのは当然キバナさんだと思っていた。
 ジムチャレンジの最初の関門はヤローさん。彼から順にジムリーダーを倒していき、最後の門番がキバナさんだ。彼に認められて初めてセミファイナルトーナメントの参加資格が得られる。ジムチャレンジ参加者の中でも、彼を突破できるのは数人だけの狭き門。その中のたった一人だけが、本気のジムリーダーが参戦するファイナルトーナメントに出場できるのだ。しかもキバナさんと戦えるのはトーナメントの決勝戦。その道のりは気が遠くなるほど遠く険しい。
 私は、自分がそんないばらの道を踏破できるとはちっとも思っていなかった。ただ、参加するからには全力を尽くしたい。簡単に戦うことを諦めたくはない。そう考えていただけだ。
 だけど、いつかは本気のキバナさんと戦ってみたい。キバナさんに本気を出してもらえるようなトレーナーになりたい。そう、ポケモントレーナーの卵だった私は夢を抱いていた。
 ともあれ、今がスタート地点。全てはこれからなのだ。
 まだまだ私も相棒もひよっこ。
まずは友達になったばかりのメッソンに、私は「よろしくね」と声をかけるのだった。


 結論を先に言ってしまうと、私はキバナさんどころか、チャンピオンダンデとのバトルにも勝利して、ガラルの王者、チャンピオンになってしまった。
 これには私もびっくりだ。
 ポケモンバトルに負けなかった。ただそれだけのことで、私は上へ上へと押し上げられてしまったのだ。
 私の世界は一変した。
 私は新米チャンピオン。ダンデさんは新米リーグ委員長、兼バトルタワーのオーナー。
 多忙なダンデさんに代わって、私にポケモンリーグの仕事を教えてくれたのは、キバナさんだった。
 ドラゴンストームという二つ名を持つほどの荒々しいバトルスタイルから、私は彼を気性の荒い人だと思いこんでいた。けれども、実際に出会ったキバナさんは穏やかで知的な人だった。
彼のバトルも見た目は荒々しいけれども、その戦術は緻密に計算されている。キバナさんとバトルで相対して、そしてプライベートでその人柄に触れて、私は彼の認識を改めた。
 先輩として私の指導に当たってくれたキバナさんは、優しくて朗らかで親切で。
最初はとても緊張したけれど、彼と一緒にいる時間はとても楽しいものだった。
そして、私はどんどんキバナさんに惹かれていった。


 これはそんな私とキバナさんの、一言では言い表せない絆の物語。



 kbyu版深夜の60分一本勝負 お題【勝負】 より


「キバナさんってカッコいいよね」
 その言葉は、控室にある大きなモニターを見上げる私の口から零れ落ちた。
 今日はシュートスタジアムでトーナメントが開催されている。一回戦でホップに快勝した私は、控室のベンチでさっきまで戦っていたホップと一緒に寛ぎながら、次に行われているキバナさんとダンデさんの試合を観戦していた。
「そうか? キバナさんよりも、アニキの方がカッコいいんだぞ!」
 私は断然キバナさんの方が素敵だと思ったのだけれども、ホップはそう思わなかったようだ。
 ……まあ、ダンデさんはホップのお兄ちゃんだもんね。兄弟補正で、お兄ちゃんはカッコよく見えるよね。仕方ない。
「ほら、今のギルガルドのキングシールド、タイミングが完璧なんだぞ!」
 私がもやもやと考えていると、突然ホップが興奮して飛び跳ねた。画面の中では、キバナさんのヌメルゴンがダンデさんのギルガルドに強烈なカウンターを食らっているところだった。アップになったキバナさんの口元が、悔しそうに引き結ばれる。
 ……へぇ。ダンデさん相手でも、キバナさんはあんな顔をするんだね。
 今までキバナさんの悔しそうな顔を引き出せるのは、私だけだと思っていた。そうでもなかったことが悔しくて、私はほんの少し口を尖らせる。
「やったぁ。さすがアニキなんだぞ! いけっ! 頑張れ!」
 バトルは終始ダンデさんが優勢だった。ホップは飛び跳ねて喜ぶけれども、私はちっとも面白くない。
 ……ふんだ。キバナさんだって強いもん。今日はちょっと調子が悪いだけだもん。
「ダンデさんのバトルってさ、相手を力とスピードで押さえつけようとするんだよね。戦略としては悪くはないけど、面白くない。私は、天候を操ったりして駆け引きを楽しめる、キバナさんのバトルの方が好きだなぁ」
 我ながら、ちょっと嫌な言い方をした自覚はあった。ポケモンバトルの戦い方は人それぞれ。それを粗探しするなんて意地が悪い。でも勝ちっぱなしのダンデさんと、ふがいないキバナさん。その両者に腹が立って、私はつい愚痴っぽい言葉を吐いてしまった。
 案の定、ホップはすぐに不機嫌になった。
「ポケモンの力量を上げるのは、トレーナーとして当然のことだぞ。小細工や駆け引きなしで正々堂々と戦うアニキのバトルこそ最高なんだ!」
……すぐに迷子になる癖に」
「うっ……
 言いがかりをつけて、悪いな、って気持ちが一瞬だけ頭をよぎった。でもイライラ、ムカムカが募って、私は言葉を止められなかった。
「すっごく迷惑なんだよ。毎回探しに行く私の身にもなって欲しいよね」
「リザードンがいれば迷子にならないんだぞ!」
「燃えるものが多い建物の中ではリザードンも出せないでしょ。いつまでもリザードンに頼っているから、方向音痴も治らないんだよ!」
 声を荒げ、私とホップが睨み合った時、ひときわ大きい歓声がモニターから響いてきた。画面の中で、キバナさんが項垂れている。ダンデさんのリザードンが、キバナさんのジュラルドンを倒したのだ。
 ホップの「いやっほう!」と喜ぶ声と、私の「ああ……」と落胆する声が、控室の中に同時に響いた。
 私ががっくりと息をつく間にも、フィールドでは速やかに次のバトルの準備が始まっていた。次のバトルは二回戦。私とダンデさんの対決だ。控室に私を呼び出すアナウンスが響くと、私の心に仄暗い闘志が沸き上がった。
「ふふふ……。ダンデさんなんか、ぼこぼこのぎたぎたにしてやりますからね」
 一気に飲み干した紙パックをぐしゃりと握りつぶして立ち上がると、ホップがびくりと肩を震わせた。「やばっ。ユウリを怒らせちゃったんだぞ……」と呟くホップの声が聞こえてきたけれど、私は彼を無視して部屋を出る。
 フィールドへ向かう通路を歩いて行くと、汗を拭きながら歩いてくるキバナさんとすれ違った。
「キバナさん! お疲れさまでした!」
「おお、ユウリか。さっきのホップとの第一試合、いいバトルだったな。カッコよかったぜ」
 自分はつい先ほど負けたばかりなのに、キバナさんは私を労って褒めてくれた。彼のそんな優しい気遣いが、私は大好きだ。
「ありがとうございます。キバナさんは……残念でしたね」
「まあ……ダンデも最近好調だからな。それに、結局はオレサマの実力が足りなかったんだ。仕方ねぇよ」
 キバナさんはおどけるように肩を竦めてみせるけど、その目は決して笑ってはいなかった。
そんな風に格好をつけて、悔しさを隠そうとするところも好き。
 でも、いつかは悔しさや悲しさも、本音で語り合えるような仲になりたいな。
 ちらりと浮かんだ想いを誤魔化すように、私はぎゅっとキバナさんの手を握った。
「キバナさんの敵は私が討ちますからね。ダンデさんなんて、軽くのしちゃいますからね!」
「お、おう。頼んだ。応援してるぜ」
「任せてください! なんていったって、私は無敵のチャンピオンですから!」
 力強く頷いてキバナさんの横を通り抜け、私はフィールドへ向かって歩いて行く。
 キバナさんが応援してくれるなら百人力だ。ダンデさんに負ける気は、これっぽっちもしない。
 フィールドの反対側に見える燕尾服の男性を睨みつけながら気合を入れて、私は大きく息を吸い込むのであった。


 kbyu版深夜の60分一本勝負 お題【片思い】 より

「はぁ。私、恋ってもっと綺麗なものだと思っていました」
「あら、突然どうしたの?」
 その日、私はソニアさんとブラッシータウンでランチを食べた後、マグノリア博士の家へと向かっていた。
のんびりとおしゃべりを楽しむ私たちの両手は、たくさんの袋をぶら下げている。これは全部ソニアさんの買い物の戦利品だ。
 今日はぽかぽかいい天気。暖かな陽気に誘われたのか、小さなココガラが二匹、道の端でじゃれ合っている。
 ソニアさんとの会話が弾んでつい漏れてしまった私の言葉に、ソニアさんは酷く驚いたようだった。大きな目をぱちくりと瞬かせて、ソニアさんは私を見下ろした。
「ユウリの恋の相手って……キバナ君のこと?」
……うん」
 そう、私が好きなのはガラルポケモンリーグ、トップジムリーダーのキバナさん。
 彼のことを考えると、重たいため息が零れてしまう。
「なになに? ナーバスそうじゃん。何かあった? 経験豊富なソニアお姉さんが、話を聞いてあげるわよ」
 心配と好奇心の入り混じった顔をしたソニアさんの言葉に甘得ることにして、私は鞄から一冊の雑誌を取り出した。
今日、ブラッシー駅の売店で購入したばかりの最新号。表紙には、女性のモデルさんとポーズをとるキバナさんの写真が掲載されている。
「キバナさん、カッコいいですよね。隣のモデルさんともお似合いで」
 その一言で、ソニアさんは私の言いたいことを察したようだった。優しい顔に苦笑が浮かぶ。
「気にしすぎよ。有名雑誌の表紙だもん、知名度のある二人が選ばれただけよ」
……わかってはいるんですけど、なんかもやもやするんですよね」
 私はキバナさんの恋人でも何でもない。だからきっとこの感情は、嫉妬なんかじゃないはずだ。けれども、エキゾチックな美人さんの隣で笑うキバナさんを見るのは面白くない。よくわからない気持ちを持て余して、私の心は沈んでしまう。
「そんなにキバナ君のことが気になるなら、アタックしちゃえばいいじゃない。キバナ君も、ユウリのことは嫌いじゃないわよ」
「もう、ソニアさんたら、他人事だと思って!」
 面白がるように笑うソニアさんがを軽くにらんで、私はまたため息を一つ。
好きと嫌いじゃないは似ているようで全然違う。そのことがわからないソニアさんじゃないはずなのに。
大人の色気がたっぷりのキバナさんに対して、私はまだまだお子様だ。そんな私のことを、キバナさんが意識するはずがない。
 そよぐ北風に誘われるように、私はナックルシティがある北の方角を眺めた。キバナさんは私の気持ちなんてちっとも知らずに、今もナックルジムで働いている。
「キバナさんは誰にでも優しいですもん。みんなの人気者ですから」
 決して私が特別扱いされているわけじゃない。そう思いながら発した言葉は思った以上に覇気がなく、妙に物悲しく響いてしまった。ソニアさんはそんな私の頭を、ポンと優しく叩く。
「よしよし。あんたも難儀な人を好きになっちゃったんだね」
 難儀な人……なのかな。でも、私はキバナさんを好きになったことを後悔はしていない。
「励まし、ありがとうございます。でも、私はキバナさんのことを簡単に諦めたりはしませんよ。もっと大人になったら、ちゃんと告白します。それまでに、キバナさんともっと仲良くなってみせますから!」
「お、さすがユウリ。前向きじゃん」
 なんてったって私はチャンピオンだ。そう簡単に夢を諦めたりはしない。勝つ可能性が少しでもあるならば、最後まで戦い抜いてみせるのだ。
 私はポケットからスマホを取り出して、ソニアさんに示した。
「キバナさんのことを知るために、SNSのチェックも欠かせないんですよ」
「それって……ストーカー?」
「違います! キバナさんの公認アカウントです! ほら、ここ。ついさっきの投稿です。『今日の仕事は順調。定時に帰れそうだぜ』ってありますよね。こういう日にナックルジムに寄ってみると、キバナさんと一緒に帰ることが出来たり、お家にお邪魔できたりするんです」
「え? ユウリ、キバナ君の家に遊びに行く仲なの?」
「はい」
 ソニアさんは少し驚いたように目を見張った。でも、特に驚くようなことでもないと思う。キバナさんは、お家に色んな人が遊びに来るって言っていた。きっとソニアさんもキバナさんの家に行ったこと、あるよね?
 その時、ぴこん、とスマホが通知を表示した。キバナさんが新しいコメントを投稿したのだ。
「わー。キバナさん、今日はカツカレーを作るんですって。楽しみだなぁ」
「え? ユウリ、楽しみって……キバナ君の家でご飯も食べるの?」
 ソニアさんは、眉を顰めて怪訝な視線を私に向ける。でも、私はソニアさんがどうしてそんな反応をするのかがわからず、戸惑いながら頷いた。
「はい」
 だって家にお邪魔して、ちょっとお喋りをすればすぐに七時になっちゃう。ご飯の時間だ。
「そっかー。キバナ君、そんな囲み方をしてるのかー」
 ソニアさんはこめかみに手をあてて呻いた。何か問題があるのかな? 私には今一つピンとこない。
ソニアさんは、うんうんとひとしきり呻って、最終的には納得したようだった。
「まあ……キバナ君、優しいもんね。うんうん。ユウリとキバナ君なら、すごくいい関係になると思うよ。この調子でがんばりな。応援してる」
「はい。ありがとうございます!」
 盛り上がっているうちに、私たちはマグノリア博士の家の前に到着した。ここでソニアさんとはお別れだ。
今からブラッシータウンに戻って電車に乗れば、ちょうどナックルジムの終業時間にキバナさんのところへ行くことが出来る。
「付き合ってくれてありがとね」
「いえ、私も話を聞いてもらえて気が楽になりました」
 荷物を置いて、お辞儀をして。私は来た道を駆け戻った。
 これからキバナさんに会えるかと思うと、心が弾んで足取りも軽い。さっきまで悩んでいたはずなのに、我ながら現金な性格だ。
 でも、この恋のおかげで毎日がとても楽しい。
 チャンピオンのお仕事は大変だけれど、頑張ろうって気持ちになれるのだ。
 私はそんな幸せな気持ちを抱えて、ナックルシティ行きの電車に乗り込むのであった。



◇◆◇◆◇◆


「ね、キバナさん。私とキバナさんの関係って、一般的にはなんて言うんでしょうね?」
 ソファーの上で本を読んでいる彼にもたれて、スマホに目を落としたまま聞いてみる。
 私とキバナさんが知り合ってから、もう二年の年月が流れた。年月を経て、」私達はずいぶんと親しくなった。今では、私は毎週のようにキバナさんの家に遊びに来て、彼と一緒の時間を過ごしている。
先輩後輩、仕事仲間、友人。色々な言葉はあるけれど、そのどれよりも私たちは親密な気がした。
 私はキバナさんが好き。大好き。
 きっとキバナさんも私のことが好きだと思う。けれども、欲深い私はそれだけじゃ満足できなくなってきた。キバナさんの特別な女性になりたい。そう思ってしまうのだ。
 でも、キバナさんは大人、私は……まだ、未成年。しかも私たちはチャンピオンにジムリーダーという関係だ。交際を始めようものならば、周りの人たちが大騒ぎをするのは目に見えていた。
「どうした? 急にそんなことを言い出して。オレサマにとって、ユウリはユウリだぜ」
 そう言ってキバナさんは、私を見下ろして朗らかに笑った。
 ……うーん。なんだかちょっと、はぐらかされた気がする。
 でも確かに、私とキバナさんの関係なんて、私たちだけがわかっていればいい。だから、無理に呼び名を付けなくてもいいのかもしれない。キバナさんの言い分もわかる気がして、私は話をそこで終わらせ、再びスマホに視線を落とした。
 だけど、心のどこかでは勘づいていた。
はっきりと恋人と言えないこの宙ぶらりんな関係では、結局のところは、私は恋人以下なのだ。膝の上には座れても、彼にキスする資格はない。
だから、私はキバナさんにはっきりと言って欲しかった。大っぴらに交際できなくても、「好きだよ。愛してる」って。その言葉が欲しかった。
 ……でも、今は我慢しなくっちゃ。欲張れば、せっかくのこの親密な関係も壊れてしまうかもしれないから。
無くなってしまうくらいなら、ぬるま湯のような寂しさに蓋をして、私は彼の隣にいたい。
 そんな事を考えながら、SNSの画面をスクロールしていく。
 けれどもその内容は目の上を滑るばっかりで、ちっとも私の頭の中には入っていかなかった。


 kbyu版深夜の真剣60分一本勝負 お題【無敵】 より


 正直に言うと、今まで女性との付き合いに不自由を感じたことはなかった。本命との交際でも、ちょっとした……まあ、遊びの関係でも。
 だからと言って、女性を軽く見ていたわけではない。
 男は女性をエスコートして楽しませてやるもの。それがオレサマの中の常識だった。ポケモンを育てるように、心を込めて褒めて、楽しませてやる。時には相談に乗ってやったり、愚痴を聞いてやったり。それで女性は満足するし、オレも楽しい。
 新チャンピオンにも、最初はそんな軽い気持ちで誘いをかけた。
 ガラルの南端の田舎町、ハロンタウンからシュートシティに引っ越してきたユウリは、慣れない都会での生活に参っていた。そんな彼女に優しく声をかけて食事に誘えば、すぐに仲良くなれると思ったのだ。
 今は固くなっているが、ジムチャレンジをしている頃の彼女は目標に向かいながら、のびのびとバトルを楽しんでいた。オレはそんな姿をとても好ましく感じていたのだ。
無邪気な表情が、バトルの時には凛々しく研ぎ澄まされる。そのギャップも魅力的だった。
彼女は成長したらいい女になる。そう思ったし、ガラルの英雄と注目されている彼女と仲良くなっておいて損はない。そんな打算もあったんだ。

 初めてユウリを食事に誘った時の表情が忘れられない。
 オレの誘いに彼女はココガラが豆鉄砲を食らったかのような顔で目を瞬かせた。それから迷うように視線を動かし、眉を寄せてオレに言った。
「今日はワイルドエリアの天気が霧なんです。捕獲したいポケモンがいるから、ご一緒できません」
 それだけを告げると、ユウリは軽く頭を下げて身をひるがえし、鞄を揺らして駆けていく。その背中に、「予定があるのに悪かったな!」と声をかけながら、オレは内心驚いていた。女性を食事に誘って断られるなんて、初めての経験だった。
……まさか、オレサマがワイルドエリアと天秤にかけられて負けるなんて。
 男としての自信が崩れていくような情けない気分だった。その自信を取り戻すためにも、彼女に断られっぱなしではいられなかった。
 それから、オレは機会があるたびにユウリを食事に誘うようになった。
「無敵のプレイボーイが、ずいぶんとご執心ね」
 雑誌の表紙の撮影のために訪れたスタジオで、共演するモデルの準備を待っていると、同じく撮影の仕事だったらしいルリナが、揶揄うように声をかけてきた。
 ルリナが言っているのは、おそらくユウリのことだろう。
今日も彼女に食事の誘いを断られていたオレは、ふんと鼻を鳴らして足を組みなおした。
「別に執着してるわけじゃねぇよ」
「あら、そうかしら? あの子がチャンピオンになってから、付き合いが悪くなったって聞いてるわよ。ずっと恋人もいないんでしょう?」
 そう指摘されてオレは思い至る。確かに、最近友人と遊ぶことはほとんどなくなっていた。
 ユウリはオレサマの誘いを断る癖に、ちょくちょくナックルジムには遊びに来る。そういう時に食事に誘うと彼女は素直についてくるのだ。近づこうとすると離れるが、放っておくと寄ってくる。まるでチョロネコみたいなやつだ。
 だからいつユウリが来てもいいように、自然とオレも毎日の予定を入れなくなっていた。ユウリがいつ来ても良いように。来なくて予定が空いた日は、ポケモンのトレーニングに当てていた。
ユウリと対等なバトルをすれば、少しは彼女に近づけるような気がしたのだ。バトルの戦術を話題にすれば、遠慮がちな彼女との会話も弾む。
「あなたがバトルに熱を入れていることをダンデは喜んでいたけれど……。気を付けなさい。ユウリは繊細な子だから」
 そう、警告とも忠告とも取れる言葉を残して、ルリナは自分の撮影スタジオへと去って行った。
……ユウリが繊細なことはよく知っているさ。
 けれども繊細だからと、彼女をこのまま放っておくわけにはいかない。チャンピオンの重圧と勝利へのプレッシャーを受けたせいか、ジムチャレンジをしていたころの彼女ののびのびとした良さはすっかり消え失せていた。
最初は好奇心と興味本位で近づいたオレが偉そうに注進するつもりはない。けれども、ユウリには誰か大人の支えが必要だ。
その役目は、別にオレじゃなくてもいい。けれども、今のところはオレが一番適任なんじゃないか。自惚れかもしれないが、オレはそう思っていた。
……あのチョロネコと触れ合うのも、ちょっと楽しくなってきたしな。
 相変わらずユウリは素っ気ない。けれども、彼女の澄んだヘーゼルアイはちょくちょくオレの方へ向けられる。そんな彼女と少しずつ距離を縮めていくのは、警戒心の高いポケモンを手なずけるようで達成感があった。
……ユウリは、きっとオレのことが嫌いじゃない。
 むしろかなり好意的に接してくれている。ユウリをよくよく観察して、そう気づいた。ただ人一倍警戒心が強いだけなのだ。それは裏を返せば、それだけ臆病と言うことだ。それが彼女のポケモントレーナーとしての強さの一因でもあるのだろう。
 ともかく、彼女がオレに興味があるなら、親しくなる方法はいくらでもある。彼女に警戒心を抱かせずに、懐に入り込めばいいのだ。
……負けないぜ、ユウリちゃん。オレサマは無敵のプレイボーイだからな。その頑な心を優しく解してみせるぜ。
 オレ自身、なぜユウリのことがこんなにも気になるのか疑問だった。少なくとも、オレが今まで経験してきた愛や恋と言った感情が原因ではないとはわかっていた。
……強いて言うなら……情、か?
 もしオレに妹がいたら、こんな気持ちになるのかもしれない。彼女のことを構いたい。笑わせて、幸せにしてやりたい。オレが想うのはそれだけだ。
 その感情も一種の愛情と言うのだろうが、その時のオレはその事には気づかずに、ただ自分でもよくわからないユウリへの想いを持て余すのだった。


 kbyu版深夜の真剣60分一本勝負 お題【良い子・悪い子】 より

「ただいまー……っと、うわ……
 ホーホーの鳴き声響く午後十時。欠伸をかみ殺し、疲労困憊の身体で自宅の扉を開けると、玄関には見慣れた茶色のブーツが転がっていた。
「ユウリのやつ、また来てるのか。おいこら、ユウリ、ユーウーリー!」
 靴を脱ぎながら声を張るが返事はない。耳を澄ませると、リビングから何人もの賑やかな笑い声が聞こえてきた。
「ユウリ?」
 リビングを見回してもユウリの姿はない。点けっぱなしのテレビが煩く光っているだけだ。
(ったく、またこんなに散らかして……
 足元に脱ぎ捨てられていた灰色のカーディガンを拾い上げてハンガーにかける。大きな鞄は椅子の上に置いて、ベレー帽もその上に乗せる。机の上に出しっぱなしのオレンジジュースの瓶と、食べかけのパイは見なかったことにして部屋の中を見渡すと、目当ての少女はソファの上で、幸せそうにすやすやと眠っていた。
「おい、こら、ユウリ。起きろ。風邪ひくぞ」
 声をかけながら身体を揺すると、ユウリはゆっくりと目を開く。寝ぼけたヘーゼルアイが、オレを映してパチクリと瞬いた。
「あ、キバナさん。おかえりなさい……
 にへらっと笑ってオレに抱き着くユウリ。そんな彼女から、チョコレートの匂いがふわりと香る。
……ったく、あれほど食事のバランスには気をつけろと言っているのに、こいつはまた甘いもので腹を膨らませたな。
「ほら、しっかりしろ。……そうだ。オマエ、また家の鍵をドラパルトに開けさせたろ。止めろって言っただろ。それ、不法侵入だからな」
 きつめの口調で叱ると、ぼやけていた瞳に理性が宿り、気まずそうに上を向く。
「う……。ごめんさい。つい、待ちきれなくって。でも、ほら、ちゃんとキバナさんには行くよってメールしましたし……
「連絡すりゃぁいいってもんじゃないだろ」
「でも、キバナさんにしかしませんし……
……家の鍵をやるから、もうするな」
「え? いいんですか? やったぁ! ついに憧れの合鍵デビューです!」
 説教をしていたはずなのに、何故かユウリは大喜びで飛び跳ねている。本当にわかっているのかと問いただしたかったが、疲れたオレはこれ以上の言葉を飲み込んで、ユウリにバスタオルを投げつけた。
「ほら、いつまでもはしゃいでないで風呂に入ってこい。もうじき寝る時間だぞ」
「はーい」
 素直に風呂場へと歩いて行くユウリを見送り、散らかっている食器を片付けていく。
「全く、とんだ悪ガキだ」
 そう愚痴りながらも、オレの心は小さな達成感で満たされていた。
 初めて会った時、ユウリはとても従順だった。大人しく椅子に座って、かしこまったまま大人の顔色を窺っている。そんな子だったのだ。
……んで、これはまずいなって思ったんだよな。
 ユウリは明らかに無理をしていた。このままでは近いうちに潰れてしまう。直観的にそう思ったオレは、なるべくユウリのことを気にかけ、甘やかすようにした。相談に乗り、食事に誘い、遊びに連れ出すようにも心掛けた。警戒心の強い彼女が、オレの家に遊びに来るまでに懐いた時には、思わずガッツポーズをしたものだ。
……ちょっと、甘やかしすぎた感じはあるけどな。
 掃除機をかけてソファーの周りのパイくずを片付け、積み上げられた大量のチョコレートの袋をぎゅっとゴミ箱に押し込む。
ユウリはストレスが溜まると、甘いものを暴食する傾向にある。この量のチョコレートを食べたということは、またかなりのストレスを抱え込んでいるのかもしれない。
 ユウリのためにできる限りのことはしてやりたいと思っている。けれども、オレサマ一人で支えてやれるほどチャンピオンの仕事は甘くない。
……何か目標とか、目指す指標があればまたやる気も出るんだろうけどな。
 オレの場合は、チャンピオン・ダンデを倒すことが目標で、それを目指して切磋琢磨ができた。けれども、すでに頂点に立ってしまったユウリには、何が目標になりうるのだろうか。
かつてのチャンピオン、ダンデは、自身が相棒と向き合い、トレーナーとしてのさらなる高みを目指していた。けれども、それは異常なほどに自己愛と自己肯定感の高いダンデだからできた偉業だ。自信がなさそうにおどおどして辺りを伺う少女に、ダンデと同じことを要求するのは無理があるだろう。しかしこのまま自分を押し殺して、大人に言われるがままのチャンピオンを演じるのも辛いはずだ。
……そういう心の機微については、ダンデは苦手そうなんだよなぁ。
 朴念仁のリーグ委員長のことを考えながらテーブルを拭いていた時、可愛らしい鼻歌が聞こえてきた。ユウリが風呂から上がったのだ。
「ユウリ、バスタオルはちゃんと洗濯機の中に入れておくんだぞ。後、髪の毛はすぐに乾かす」
「はーい」
 素直に返事をして、脱衣所から鞄の置いてあるダイニングへ。パジャマ姿のユウリはとことことキバナの前を歩いて行く。
「ん。良い子だ」
 何の気なしに、鞄を漁るユウリの頭をぽんと撫ぜてやると、ユウリはにこっと可憐な笑顔を見せた。
「えへへ。私、良い子ですか?」
……ああ。ユウリは頑張り屋さんな、とっても良い子だぜ」
 散らかり放題だった部屋のことには目を瞑って褒めてやると、ユウリは嬉しそうにはにかんで洗面台の方へと歩いて行った。程なくして、ゴーとドライヤーの音が聞こえてくる。
(やっぱり、少し甘やかしすぎかな?)
 そう自嘲気味に笑いながらも、オレは「ま、これくらいのことはいいか」と思い直すのであった。

◇◆◇◆◇◆


 今日はキバナさんとデートの日。
 一日中キバナさんと一緒にいれるのは久しぶりのこと。私はうきうきしながらアーマーガアタクシーに乗り込みナックルシティを目指す。
 ……今日もワイルドエリアでキャンプがしたいな。げきりんの湖はあいにくの吹雪だけれど、吹雪だからこそ珍しいポケモンが出てくるんだよね。でもキバナさんは吹雪が苦手だからなー。……お、こもれび林は晴天だ。うーん、森林浴をするのもいいね。……うわっ! キバ湖の瞳は霧じゃん! これは、オノノクスと勝負しにいかないと。
 今日はキバナさんと一緒にチーズまみれカレーが作りたくて、モーモーチーズも鞄に入れてきた。準備は万端で、キバナさんに会うのが待ち遠しい。
 私は逸る気持ちを抑えながらスマホをタップして、今日のデートに思いを馳せるのであった。

 遠くに見えるワイルドエリアの空を眺めるうちに高度は下がっていき、アーマーガアタクシーはナックルシティに着陸した。大急ぎでお金を支払い、私は待ち合わせ場所へと駆けだす。
 ……キバナさん、もう来てるかな?
 ナックルシティの正門が見えてきた。でも、いつものパーカー姿は見当たらない。
 ……あれ? そろそろ待ち合わせの時間だよね?
 時間を確認するためにスマホを手にした時、後ろから聞き慣れた声がした。
「よっ、ユウリ。三日ぶりだな!」
「あ、キバナさん! ごめんなさい。遅れちゃいましたか……って、えっ?」
 振り返った私は驚きに目を見張る。キバナさんは、普段とは全く違う服装をしていた。
トレードマークのバンダナは外され、長い髪の毛を後ろに垂らしてハーフアップにしている。着ている服もナックルカラーのオレンジではなく、グレーの薄手のパーカーに黒のジャケット。黒のパンツを合わせて、光沢ある革靴がめちゃくちゃカッコいい。どこのお嬢さんとこれからデートに行くんですか? と言いたくなるほどの色男ぶりだ。
 って、これから私とデートのはずなんだけど……
 ……え? 私、このキバナさんとデートするの?
 私は慌てて自分の服装を見下ろした。ワイルドエリアで砂嵐にまみれてもいいように、着古したジーパンと少しよれたTシャツ。パーカーは先月買ったばかりものだけど、靴は叩けば砂が出てきそうなくたびれ具合。
控えめに言っても、今のキバナさんにはとうてい釣り合わない格好だ。
 反対に言うなら、キバナさんの服装は、ワイルドエリアに行けるようなものではなかった。その事実に気づいた私は、顔を引きつらせて一歩後ろに下がった。
「ん? ユウリ、どーした?」
「あ、いや、今日って……デートでしたよね」
「おう。そうだな」
 私の戸惑いに気づかないはずはないのに、キバナさんは「楽しみにしていたぜ」と満面の笑みを向けてくる。
「ごめんなさい。私、今日もワイルドエリアに行くものだと思い込んでいて、こんな格好なんです」
 キバナさんと見比べると、自分がとてもみすぼらしく思えて、ウキウキ気分がしぼんでいく。
 道行く人たちが、私とキバナさんを見て、そのアンバランスさを笑っている気がしてくる。
 でも、キバナさんはしょぼくれた私の手を引いて機嫌良さそうに歩き出した。
「き、キバナさん、どこに行くつもりですか? 私、こんな格好だから出直した方が……
「そのままで構わないぜ。ユウリ、いつも似たような服ばっかり着ているだろ? だから今日はブティックに行って、服を選んでやろうと思ってさ」
「え? いいですよ。そんなの……
 そんなことよりも、私はキャンプに行きたい。ワイルドエリアが私を呼んでいるのだ。
 でも、私の断りの言葉をキバナさんは遠慮と受け取ったようだった。「いいから、いいから。お兄さんに任せなさい」「子供は遠慮するもんじゃないぜ」。そう言い含められて、私はブティックへと引きずられて行った。
 ひとたびブティックに入ってしまったら、もう後戻りはできなかった。
 私はキバナさんと店員さんに着せ替え人形のごとくもてあそばれ、ひたすらに大量の服を着させられては脱がされた。
「んじゃ、これ。カードで。んで、荷物はこっちはここに、あっちはここに送ってくれ」
「ええっ? キバナさん、これ、全部買うんですか!」
 キバナさんは、「アリだな」と呟きながら選別した服の山全部を指して支払いをしようとする。
私は思わず悲鳴を上げてしまった。
 ……だって凄い量だし、絶対に金額も凄いはずだ。きっと私の小さなクローゼットには入らない。いや、確実に入りきらない。
「いいから、いいから。オレサマがユウリに買ってやりたいんだよ。んで、今度はその服を着てまた買い物に行こうな」
 キバナさんはそう笑いながら、自分も新調した服を着て自撮りをしている。店員さんは文字通り、山となった服の梱包に忙しそうだ。
 はしゃぐキバナさんを椅子に腰かけて眺めながら、私は大きくため息を吐く。
 正直、お店の中はBGMの音楽や人のざわめきが賑やかで、とてもくたびれた。服を着て、脱いで、また服を着る。キバナさんはとても楽しそうだったけれど、私はあまり楽しくなかった。きっとワイルドエリアに行った方が、何倍も楽しかったのに。
「じゃ、行こうか。結構有名な店のランチを予約してあるんだ」
 キバナさんは、自分のコーディネートした服装に包まれた私の手をとって、ご機嫌な様子で歩き出した。くたびれてしまった私は、欠伸をかみ殺してキバナさんについていく。
 ……あーあ、チーズまみれカレー、食べたかったなぁ。

 その日から、キバナさんは私を街中デートに誘うことが多くなった。
 もちろんワイルドエリアへも付き合ってくれる。その割合はちょうど半々。ワイルドエリアデートをしたら、次は街中デート、といった具合だ。
 当然、私がワイルドエリアへ行く回数はそれまでの半分に減ってしまった。そのことが、私は不満だった。
 そんな不満を拗らせたある日、とうとう私はキバナさんからの街中デートの誘いを断ってしまった。マリィに、「そんなに悩んでいるなら、少し距離をおいてみたら?」と提案されたのだ。
 口裏を合わせて、スパイクタウンに遊びに行くから、と嘘を付き、私は一人でワイルドエリアにキャンプに来た。
 日中は力いっぱいポケモンバトルをして、久しぶりのワイルドエリアを満喫する。けれども夜に一人で星空を見上げていると、嘘をついてしまったキバナさんと、彼を騙すために協力してもらったマリィへの罪悪感が湧いてきた。
「ごめんね。でも、もう街中デートは嫌だったんだよ……
 キバナさんは好き。大好き。でもキバナさんとの街中デートは好きじゃない。
 ポケモンと触れ合えないから私も相棒もつまらないし、繁華街は賑やかすぎてとても疲れる。
キバナさんのファンの女性が現れて、突然始まる写真撮影会も嫌だ。その間私は待ちぼうけ。
いっぱい物を買ってもらえるのはありがたいけれど、買ったものを今度はどこにしまおうかと考えるのも憂鬱だ。
「私達、合わないのかな……
 弱気になると、普段は考えないように蓋をしている気持ちが溢れてくる。涙が零れそうだから上を向いていたのに、言葉と共に溢れた涙が頬を伝った。
 私はポケモンバトルだけが取り柄の、ハロン出身の田舎娘。その上かなりの人見知り。一方のキバナさんはナックル生まれのナックル育ち。おしゃれで人とのおしゃべりが大好きな生粋の都会っ子だ。
「そんなこと、最初から知ってたけどさ」
 ぐしぐしと涙をぬぐって、近くに落ちていた小石を握る。八つ当たりの力を込めると、石ははるか遠くへと飛んでいった。
 最初はキバナさんのことを知るのが楽しかった。キバナさんがいるのは私が全く知らない世界だった。キバナさんのことを一つ知るたびに、少しずつキバナさんに近づける気がして、私はとても幸せな気持ちになった。
「でも、どうしてなんだろうね。今は苦しくて苦しくてたまらない」
 どれだけキバナさんのことを知っても、もうちっともキバナさんに近づけたようには感じないのだ。むしろ、どんどん遠くなる。住む世界が違うんだって、実感させられる。
 こんなことを、ぐるぐるとずっと考えているくらい、キバナさんのことが大好きなのに。
「キバナさん。好き。大好きなんだよ」
 満天の星空に手を伸ばして、もどかしい気持ちを声にしてみる。
 もちろん、どこからも返事は帰ってこなかった。


 NL版pkmn真夜中のお題交換会 お題【ダンス】 + 愛以上恋未満 本文 より

 キラキラしい華やかなドレス。目の前を行き交う燕尾服。ゴージャスなシャンデリアの光を反射して輝くアクセサリー。
 化粧と香水の匂いが流れる中、人々の笑い声がそこかしこで弾ける。そんな賑やかな空間に花を添えるのは、ナントカという楽団の生演奏。

 今日はポケモンリーグ委員会とガラルの上流階級の方々の交流会だ。
 立食形式のパーティで、方々が上品に歓談し合う。そんな彼らの前で、私はキバナさん、ダンデさんとデモンストレーションバトルを行った。その後ドレスアップをして、夜はダンスパーティに出席する。
 レースのリボンが揺れるピンクのドレスに身を包んで、慣れない笑顔を振りまくお仕事。もうすぐ十七歳になるというのに、この可愛らしすぎるドレスは本当に嫌だ。でも私は文句を言わずに大人しく従う。
仕方ない。これがお仕事だもんね。
 けれどもダンスパーティが始まっていくらも経たないうちに、私は慣れないヒールにくたびれてしまった。だから私はこっそりと人の輪から抜け出して、壁に寄りかかりながらぼんやりとダンスホールを眺めていた。
 まばゆくライトアップされたダンスホールでは、青いマーメイドドレスに身を包んだルリナさんが長身の美青年と、燕尾服をきっちりと着こなしたキバナさんが深紅のドレスを着たグラマラスな女の人と、優雅な踊りを披露していた。
 ……キバナさん、すっごくカッコいい。
 その美しいダンスに釘付けになっている私の視界の中で、キバナさんは踊りながらお相手の女の人と言葉を交わし、くすくすと笑い合っていた。
 ……何を話しているんだろう。
 気にはなったけれども、羨ましいなんて嫉妬する気にもなれなかった。それくらい、二人はお似合いで、完璧だった。

 スロー、スロー、クイック、クイック
 スロー、スロー、クイック、クイック

 スローフォックストロットという舌を噛みそうな名前のステップに合わせて、私の頭も左右に揺れる。ちなみに私はこのステップは踊れない。
 最後に華やかなファンファーレを鳴らして、音楽は終わりを告げた。
 キバナさんは女の人と頬を寄せてから一礼して、どこかへ行ってしまった。
 拍手で二人を祝福していた私も、壁から離れて会場の外へと出ることにした。キバナさんの踊らないダンスホールに興味は無い。
扉を開いたドアマンに会釈して通路に出た私は、そのまま人気のない方へと歩いていった。
 誰もいない閑散とした廊下で、私は窮屈な靴を脱ぐ。ヒールはとっても低いけれど、それでも足のあちこちが痛い。ストッキングを履いただけの足で絨毯を踏みしめると、ふかふかな感触が直に足に伝わってきて、とてもいい気分だった。
 ……今ならワルツも踊れそう。
 少しテンションの上がった私は、少し開けた場所でリズムを口ずさみながら、ワルツのステップでくるくる回った。ドレスの裾がふんわり広がって、気分は舞踏会のお姫様だ。

 ズー、チャッチャ ズー、チャッチャ
 ズー、チャッチャ ズー、チャッチャ
「おい、こんなところで何をしているんだ?」
「ひゃうっ!」
 不意に後ろから声をかけられて、私は文字通り飛び上がった。
 ドキドキする心臓を抑えて振り返ると、そこにいたのは笑いをかみ殺しているキバナさん。
「なぁんだ、キバナさんですか。びっくりさせないで下さい。心臓が止まるかと思いました」
 口を尖らせて抗議するけれど、キバナさんは笑ったまま。
「はははっ。悪かったな。ガラルのチャンピオンが会場を抜け出して何事かと思えば、靴を脱ぎ棄てて一人舞踏会としゃれこんでいるんだ。全く、可愛い過ぎるだろ」
 そう言ってキバナさんはポンポンと私の頭を叩いた。
 キバナさんは笑って許してくれているけれど、確かにパーティを勝手に抜け出した私の行動は褒められたものではない。恥ずかしくなって下を向くと、キバナさんの手の中にある、脱ぎ捨ててきた靴が目に入った。
うぁっ。やば。私の脱ぎ捨てた靴じゃん。
私は慌てて手を伸ばした。
「ごめんなさい!」
 なんてはしたない。慌てて取り戻した靴を履きなおすと、キバナさんはまたくっくと笑った。
「慣れないパーティで疲れただろ? 後は適当に誤魔化しておくから、もう帰っていいぞ」
「え、いいんですか? ……助かります」
 正直に言うと、知らない人とお喋りしなきゃいけないパーティは、途中で逃げ出しちゃうくらい大嫌いだ。ここはキバナさんに甘えてお暇させてもらおう。
「キバナさんはいつ頃帰れそうですか?」
「オレは……悪いな。パーティの後は打ち上げになるから、今日中には帰れない」
 言い聞かせるように告げられて、心がずんと重たくなる。
……くたくたに疲れた今日は、たっぷりキバナさんに甘えたかったなぁ。でも打ち上げの進行もキバナさんのお仕事だし、仕方ないか。
「わかりました。今日は一人で帰ります」
「おう。気をつけてな」
 会場の出口に向かいながらキバナさんの隣に並んだ時、ふわりと鼻につく匂いがした。それはキバナさんのものとは違う香水の匂い。たぶん、きっと、それは、レディースの。
 ……あ、なんか、やだな。
 キバナさんのおかげで軽くなったはずの心が、ずんとさらに沈んでいく。好きな人が他の女の人の匂いを纏わりつかせているのは、予想以上のダメージだった。
「ここまででいいです。……キバナさん、おやすみなさい」
 本当は玄関の扉の向こうまで見送って欲しいけれども、キバナさんの匂いが嫌になった私はホワイエに出たところで別れの挨拶を告げる。
 でもキバナさんとの時間が名残惜しくて、「さようなら」とは言いたくなかった。キバナさんはそんな私の気持ちを知ってか知らずか、「ああ、おやすみ」と柔らかい笑顔を返した。
 私は仕方なく出口へと向かう。
扉まであと少しというところで、「キバナ、こんなところにいたの?」と、甘えた声が聞こえて、私は思わず後ろを振り返ってしまった。
 キバナさんはまだ私と別れた場所にいた。どうやら私を見送ってくれていたようだ。でも彼の視線は私の方を向いていなかった。彼は、腕に絡みつくシャンパンゴールドの派手なドレスを着た女の人を見下ろしていた。
 キバナさんは何か言ったようだったけれども、その声は私までは届かなかった。代わりに女の人の「だって、キバナと踊りたかったんだもん。いいでしょ? みんなも待ってるわよ」という甲高い声が響いてくる。
 そのままキバナさんは、私の方を見ずに女の人と会場の中へと戻って行ってしまった。
 ……行っちゃった。
 このままぼんやりしていても仕方がない。私はとぼとぼと外へと歩く。
 ……やっぱり、キバナさんって人気者だよね。
 私もキバナさんのことが大好きだけど、同じくらいキバナさんのことが好きな女の人も大勢いるのだろう。
 今頃、キバナさんはあの女の人とダンスを踊っているのかもしれない。キバナさんに恋する女の人たちに囲まれているかもしれない。そう考えると、無性に悲しくなってきて、目に涙が滲んでしまった。
「私、このままキバナさんの隣にいてもいいのかな」
 いいに決まっている。駄目だなんて誰も言わない。
「でも……私はキバナさんの恋人でも何でもないんだよね」
 キバナさんの恋人になったなら、もっと自信をもってキバナさんの隣に立てるだろうか。綺麗な女の人が現れても、こんなに悔しい思いをしなくても済むだろうか。
「わかんない。私には、わからないよ……
 大通りに出た私は、停車しているタクシーに乗って自宅のマンションの住所を告げる。運転手さんが「かしこまりました」と頷いて、タクシーは静かに走り出した。
 ぼんやりと見上げる窓の向こうに、さっきまでいたホールが見えた。色とりどりな光にライトアップされたホールを見ながら、私はキバナさんの彼女になりたい。彼に相応しい女性になりたいと、心の底から願うのであった。



◇◆◇◆◇◆


「キバナさんの恋人になりたい! キバナさんに告白しなきゃ!」
 そう決意したのだけれども、世の中はそんなに上手くはいかないものだ。
 私が十七歳になったとたん、チャンピオンとしての仕事がどんと増えた。どうやら、今まではまだ子供だということで仕事量を手加減してもらっていたらしい。
 大人に近づいて、チャンピオンの仕事ぶりに合格をもらった私に、どんどん仕事が回されるようになった。一人前になったと、評価してもらえるのは嬉しいのだけれども。
……こんなに忙しいんなら、まだ子供のままでいたかったなぁ。
 ワイルドエリアはもちろん、キバナさんに会いにナックルシティに行く余裕もない日が続く。
……はぁ。もう恋人とか、告白とか、どうでもいいから、キバナさんに会いたいよ。
 キバナさんに抱き着いて、チャンピオンの仕事がどんなに大変か、私の愚痴を聞いて欲しい。それから、「ユウリは頑張ってるな。偉い」って頭を撫ぜて欲しい。そうすれば、ぐぐっと元気になれるのに。
 そんなことを考えながらため息を吐き、私は来週のイベントの予定表に目を通すのであった。


 kbyu版深夜の真剣60分一本勝負 お題【CM出演】 より

「これを飲めば元気いっぱい! ポケモンにも、トレーナーにも。チラーミィ印のミックスドリンク! ヨーグルトタイプ、新発売です!」
 賑やかしい音楽の中で、ショートパンツ姿の自分が笑顔で草原を駆け抜ける。その後はチラーミィと一緒にドリンクを飲み干すシーンに繋がるのだけれども、そのシーンが映る前に、私はピッとテレビを消した。
仕事のことを忘れたくてテレビをつけたのに、自分の仕事の成果なんか見たくない。
 真っ暗になったテレビに、しかめっ面の私が映る。
「たかがドリンクで元気になれたら苦労しないって……
 疲労がピークに達していて、ついつい刺のある言葉が出てしまう。
私はソファに寝転んで、ぼんやりと天井を見上げた。
 夕暮れ時の薄暗い部屋に、カチコチカチコチと秒針の音だけが流れていく。
……電気……つけなきゃ。
 そう思いながらも立ち上がる気力が湧いてこない。とにかく身体が重たかった。
「チィ?」
 どれくらいそうしていただろうか。
 可愛らしい声が聞こえてきて、私はソファの下を見下ろした。そこにいたのはチラチーノ。その手にはチラーミィが描かれた緑色のボトルと、私がよく口にしているゼリー飲料が握られていた。
「私に? ありがとう」
 心配させているんだな、と申し訳なく思いながらボトルを受け取ると、チラチーノは満足したように頷いてモンスターボールへと戻っていった。
 ボトルの封を切って口を付ける。思っていたよりも身体は乾いていたようで、あっと言う間に二百五十mlの液体とゼリー飲料を飲み干してしまった。
……寝るか」
 食事も、入浴も、着替えすらも億劫だった。
 重たい身体を引きずって、なんとか寝室まで歩く。そしてそのまま扉も閉めずに、私はベッドに倒れ伏した。

……ん?)
 眠りこけていた私の意識は、何かの気配を感じて浮上した。頭を撫ぜられる感触がしたのだ。重たい瞼はそのままで大きく息を吸い込むと、ワイルドエリアの乾いた土の匂いがした。
「フライ……ゴン?」
 微睡みながら、思い当たるポケモンの名前を呼ぶと、頭の上で誰かがくっくと笑った。
「残念。はずれ。キバナサマだぜ」
「え? キバナさん! ……あぅっ」
 驚いて飛び起きると、ズキンと頭に痛みが走った。
「おい、ユウリ、大丈夫か?」
「大丈夫です……たぶん、疲労からくる頭痛なので」
 心配そうに覗き込んでくる瞳に、へらっと笑いかえす。キバナさんは「ったく……」と呟いて、おいしい水のボトルを差し出した。
「ほれ、水分。ちゃんと飲むんだぞ」
 渡された水は程よく冷えていて、私の中にじんわりとしみわたっていく。
「ありがとうございました。……ところで、今日はどうしたんですか?」
「オマエが心配だったから、寄ってみたんだよ。今日、シュートスタジアムですれ違った時、酷い顔色をしていたからさ」
「え、今日? ……どこですれ違いました?」
 半分寝ている頭で必死に今日のことを思い返す。けれども記憶に霞がかかって、今一つ鮮明に思い出せない。
「やっぱり、気づいてなかったか。ぼんやりしていたもんな、オマエ」
……すみません」
 知らないうちにキバナさんを無視していたことが申し訳ない。肩を落とす私に、「気にすんな」と微笑みかけて、キバナさんは部屋の電気をつけた。ぱあっと明るく光る電灯が目に眩しい。
「何か食うか? 色々と買ってきたぜ。それとも風呂にする? インレテオンが風呂を洗っていたみたいだぜ。それとも……って、おわっ!」
 買い物袋をガサゴソと漁るキバナさんの腕を強く引っ張ると、油断しきっていたキバナさんは、ぼふんと私の隣に倒れ込んできた。
 横になったキバナさんの胸元に顔を埋めるように覆いかぶさる。びっくりして強張っていたキバナさんの身体がふんわりと柔らかくなり、そして長い腕が優しく私を包み込んだ。
……ご飯よりも、お風呂よりも、キバナさんがいいです」
「でもオレサマ汗臭いぜ。良いのかよ」
「いい匂いです。……十分だけ。そしたら、ちゃんとご飯を食べて、お風呂に入りますから」
「そっか。じゃぁ、十分だけな」

 それっきり部屋は静かになって、時を刻む秒針の音だけが部屋の中に静かに響いた。
 
……キバナさん、ありがとうございました。ちょっと元気出ました」
「そっか。良かった。メシにするか」
 私たちはのっそりと起き上がり、寝室からリビングに移動した。
 ほんのちょっと横になっただけだけれど、身体は驚くほど軽くなっていた。キバナさんの効果、本当にすごい。
 何気なくテレビのスイッチを入れると、軽快な音楽と共に、またタイミングよく私のCMがテレビに映し出された。
『チラーミィ印のミックスドリンク! ヨーグルトタイプ……
「お、ユウリのCMじゃん。最近よく流れるよな」
「そうですね。ありがたい話です」
……でも、こんな商品は、結局気休めにしかならないんだよね。やっぱり私が一番元気になれるのは。
 そこまで考えて、私はぎゅっとキバナさんに抱き着いた。顔を彼の腹筋にこすりつけながら、その甘い匂いを胸いっぱいに吸い込む。
「ん? どうした? 今日は甘えん坊だな」
「ふふっ。大好きだな、って思ったんです。今日は来てくれてありがとうございました。嬉しかったです」
 キバナさんは何も言わず、ニヤッと笑って夕食に使う食材をスーパーの袋から出していく。
 私はめいいっぱいの感謝の気持ちを込めて、再びキバナさんに抱き着くのであった。
 
 
 kbyu版深夜の真剣60分一本勝負 お題【すれ違い】 より

 ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ。

 今日も目覚まし時計の音で私は目を覚ます。時刻は四時半。
秋の気配も深まるこの時期の日の出は遅い。辺りはまだ真っ暗だ。
 リビングに移動して電気をつけると、脱ぎっぱなしのキバナさんのパーカーを発見。きっと夜遅くに帰ってきて、脱ぎ捨てたまま眠ったのだろう。一日着たパーカーから香るキバナさんの匂いを堪能して、私はパーカーを洗面所の脱衣かごの中へと放った。
 身支度を整えて、ポケモンに朝ご飯をあげながら私も朝食を口へ放り込む。
 六時になって、窓の外が明るくなってくるとそろそろ出勤時間。シュートシティまで行かなければならないから、私の朝はとにかく早い。
 出かける前にキバナさんの寝室を覗くと、ベッドから垂れ下がる褐色の腕が見えた。よほどお疲れだったのだろう。まだぐっすりと眠っている。
 昨日はナックルシティで会議だった。会議場ですれ違ったキバナさんに、お家にお邪魔してもいいかと聞くと、彼は二つ返事ですぐに頷いてくれた。だからキバナさんとの時間を楽しみにしていたのだけれど、キバナさんが帰ってきたのは、待ちくたびれた私が眠った後だった。
ここ最近は、こんなすれ違いが続いている。
「行ってきますね。キバナさん」
 大きな手の甲にキスをして、そっと布団の中に戻してあげる。
 そして眠るキバナさんを起こさないように静かに扉を閉めて、私はお家をお暇するのであった。

「ただいま」
 重たい玄関の扉を押し開けて、目に入ったのは自分のものよりかなり小さい黒のローファー。それを見るだけでほんの少し元気が出る。我ながら、疲労が極まり重症だ。
 時計を見ると十一時半。今日は何とか日付の変わる前に帰宅できた。
 真っ暗なリビングの電気を点けると、閑散とした空気がオレを出迎えた。ユウリの朝は早い。もう眠ってしまったのだろう。
 キッチンには微かな温もりが残ったスープと、少しいびつなバケットサンドがあった。
(ユウリが作るといつもパンが崩れるんだよな)
 おそらくパンに切り込みを入れる力加減が間違っているのだろう。コツを教えてやりたいところだが、そんなちょっとした時間も取れない現状が憎い。
 夕食を作っておいてくれたことに感謝の気持ちを感じながらも、早く眠りたい一心でバケットサンドにかぶりつき、スープを喉へと流し込む。
 以前、ユウリが来ていることをすっかり忘れて、服を脱ぎ散らかしてベッドに直行してしまったことがあった。翌日、ユウリが服を集めて脱衣籠に片づけてくれたのだが、その時の恥ずかしさといったらなかった。あれ以来、どんなに疲れていてもシャワーを浴びて身支度を整えて寝るようにしている。
 半分眠った頭でドライヤーを終えて、あとは寝るだけだ。
 リビングの電気を消して、暗がりの中、そっとユウリがいる客室の扉を開ける。彼女は布団の中ですやすやと眠っていた。
(ははっ。涎が垂れてる)
 見渡したけれども、暗くてティッシュの場所がわからない。仕方なくオレは自分の指で彼女の口元をぬぐった。
 暗がりの中でもはっきりとわかる白くきれいな肌の柔らかい感触。
思わず唇を寄せたくなってしまったのは、自分が疲れているせいだ。この部屋の香りもいけない。ユウリの甘い匂いに満ちていて、酩酊してしまいそうだ。
「おやすみ、ユウリ」
 布団の中の少女に声をかけると、自分でも驚くほど甘い声が出た。その声が届いたのか、ふっとユウリの口元が緩む。
 名残惜しい気持ちを押し殺して部屋に戻り、ベッドの中に倒れこむ。先ほどまで鼻孔をくすぐっていた匂いを思い出しながら、オレは夢の世界へと落ちていく。
 夢の中はいい。そこはジムリーダーなんて役職に縛られず、年齢も気にしなくてもいい自由な場所だ。
(ユウリ、好きだ。愛している)
 夢の世界にたどり着くことでようやく吐き出せた秘めたる想いは、声にはならずにいつまでもオレの中でくすぶり続けるのであった。


 kbyu版深夜の真剣60分一本勝負 お題【仕返し】 より

 某月某日。ユウリと喧嘩した。
 
 ことの発端は昨日の夕方。ソファに座ってうたた寝をしていたオレは、ぞくぞくする寒気を感じて目を覚ました。
 しまった、と自覚した時には遅かった。身体が重だるくて、寒いはずなのに頬は火照る。しっかりと風邪の症状だった。体温を計ると三十七度五分。
「あーあ。熱っぽいですね。今日は温かい物を食べて、早目に休みましょうか」
 横から覗き込んできたユウリが、体温計を片手にソファに沈み込むオレのおでこに手を当てる。先ほどまで野菜を洗っていた彼女の手は、ひんやりしていてとても心地良かった。
「体調管理には自信があったんだがな……
 不覚だった。今日は久しぶりにユウリと夕食を一緒に食べてのんびりする予定だったのに。自分の間の悪さが恨めしい。
「このところ忙しくて残業続きだったじゃないですか。仕方ないですよ」
 せっかくユウリが来てくれているのに、自分の部屋に戻りたくはなかった。往生際悪くソファでごろごろするオレに毛布をかけて、「ご飯、急いで作っちゃいますね。台所を借ります」とユウリはキッチンに入っていく。
 オレが体調を崩したというのに、彼女の表情は妙に明るい。きっとオレを看病するのだと張り切っているのだろう。そんな姿を微笑ましく思ったが、オレの気分はあまり上向かなかった。
 ぎこちない包丁の音がして、食欲をそそるいい香りが漂ってくる。なじみのある匂いに、彼女が何を作っているのかはすぐにわかった。
「この匂いは……ポトフだな?」
「えへへ。当たりでーす。もう少しでできますからね」
 そうユウリが笑った時、リビングの反対側から「キュイー、ガガッ!」とけたたましい鳴き声が聞こえてきた。
 振り返ると、食事中のユウリのサザンドラが、隣のミミッキュのポケフードを盗み食いしていた。怒ったミミッキュの中から何かが飛び出し、サザンドラの首を激しく打ちつける。たたらを踏んだサザンドラは、ミミッキュに向かって尻尾を振りがぶった。二匹の応酬の衝撃で、食べかけのポケフードが床へと散らばった。
「ああ! こら! 二匹とも、何やってるの!」
 瞬く間の惨劇に、ユウリは慌ててキッチンから飛び出していく。「キバナさん、ポトフの火を止めてください!」と頼まれたので、オレはゆっくりと身を起こしてキッチンへ向かった。
 言われた通りに火を止めると、泡がついたままの料理器具がシンクに転がっているのが目に留まった。
 ポケモンのブースを見ると、ユウリはまだサザンドラと取っ組み合いをしている。
 ……洗っといてやるか。
 オレは料理器具を手に取って片付けを始めた。包丁、まな板、ボールと洗って、台の上を軽く拭く。その時だ。
「あっ、キバナさん! 駄目ですよ、寝てなきゃ! 私がやりますから、休んでいて下さい!」
 戻ってきたユウリの甲高い声が頭に響き、ズキンとした痛みになった。オレは眉をしかめて痛みをやり過ごし、ユウリに返事をする。
「いいよ。これくらい、出来るから」
 一人暮らしなのだから、こんな事態には慣れっこだ。そもそも、体調は悪いがそこまで熱は高くない。だから洗い物くらいどうってことない。
そう言いたかったのだが、その考えはポケモンを叱りつけて、熱くなっていたユウリには伝わらなかった。
「駄目です! 私がやりますから! 座っていて下さい!」
 何をそんなにかっかしているのか。頭に響く煩いユウリの声が、本調子ではないオレを苛立たせた。
「ユウリ、うるせー」
「だから、休んでいてって言ってるでしょ!」
「あー。わかったよ」
 ユウリが騒ぎ立てて、さらに体調が悪くなった気がする。オレは布巾を放り投げ、仏頂面でキッチンの椅子に座った。
……感じ悪いですよ」
 ユウリがオレのことを思ってくれているのはわかっている。だから苛立ちを抑えようとは思うのだが、ついつい不機嫌なオーラが出てしまった。ユウリはオレと視線を合わせずに少々乱暴に料理を並べていく。
 ……オレは別に悪くねーし。
 体調のせいか、怒りのせいか。全く味のしない夕食を無言で平らげ立ち上がる。静かだった部屋の中に、がたりと椅子の動く音が響いた。
……寝るわ」
「はい。おやすみなさい」
 溜息と共に言葉を吐き出せば、ユウリの方からは今まで聞いたこともないくらい冷えた声が帰ってきた。
 自室の扉を閉める瞬間に、「キバナさんが元気になったら仕返ししてやりましょうねー。バトルでぼっこぼこにしてやりましょうねー」とサザンドラに語りかけているユウリの声が聞こえてきた。その声をかき消すように乱暴な音を立ててドアを閉め、脱いだ服を荒々しく放る。
 寝巻に着替えてベッドに横になる。しかし眠気は一向にやって来なかった。
 苛立ちが収まって冷静になると、後悔の気持ちが沸いてきてどんどん憂鬱な気持ちになってきる。
 ……ユウリ、自分のポケモンの夕食に加えて、オレのポケモンの世話もしてくれていたんだよな。大変……だったよな。
 もちろん、オレに非はなかったとは思っている。頭が痛いといっているのに、大声で怒鳴りつけてきたユウリが悪いのだ。そこは譲らない。
 ……でも、もう少し言いようがあったかもな。苛立ちをぶつけて、威圧して、傷つけちまった。
 色々なことを考えて、眠れないままにただ時間だけが過ぎていく。
 結局、日付が変わってもオレの寝室にユウリが顔を出すことはなかった。きっとキッチンを片付けて、ユウリもすぐに休んだのだろう。彼女の朝は早いから。
 ……せっかくナックルまで来てくれたのに、悪かったな。
 またしばらくユウリに会えないのかと思うと、言いようもない寂しさが襲ってきた。久しぶりに会えたのに喧嘩をしてしまって、もう後悔しか残っていない。
 明日目覚めたら、ユウリに謝ろう。そう決めると、ようやく眠気がやってきた。瞼がゆっくりと落ちていく。
 けれども眠れずに遅くまで起きていたオレは結局ユウリの出勤時間には目を覚まさず、慌てて電話で謝罪して一応の仲直りすることになるのだが、それはもう少し先の話であった。


 ◇◆◇◆◇◆
 

「ううう。なんだか、キバナさんとの距離が遠ざかっている気がする……
 おやすみなさいのメールを送って、スマホを握りしめたまま、私はばたりと布団に突っ伏した。
 とにかく私もキバナさんも忙しすぎるのだ。たまに一緒にいる時間があっても、のんびり語り合う余裕もない。どちらかが体調を崩していたりして、ついつい感情をぶつけあってしまう。この前も、喧嘩をして険悪な空気になってしまった。
ほんの少し前まではあんなにキバナさんに会いたかったのに、今の私はキバナさんに会うのが億劫になってしまっていた。
……キバナさんとの関係も中途半端だしさぁ」
 告白するようなロマンチックな時間も、とてもじゃないけど取れなくて、「告白するぞ!」って決意はとっくの昔にどこかに飛んで行ってしまった。
 でも、それはそれとして私の心はもやもやしている。
 キバナさんと一緒に過ごす時間が少なくなった私は、このまま彼との関係が薄れてフェードアウトしていくことを恐れていた。だから一刻も早くキバナさんに告白して、彼の恋人になりたいのだ。けれども、そんな暇がない。
ただでさえ忙しいキバナさんの負担になるのは嫌だし、体格差、年齢差、遠距離という三重苦を背負っている私が、勢いで「好きです!」なんて言っても、惨敗するのは目に見えている。告白するなら、作戦を練って、雰囲気を作って、しっかりとキバナさんの弱点を突かなくちゃいけない。
「でもさ、その時間がないんだって!」
 思考は結局そこに戻るしかなくて、私はベッドの上で頭を抱え、右へ左へとぐるぐる転がる。
 ホント、どうしたらいいんだろうね。……キバナさんは私のことをどう思っているのかな。
 眠りにつくまでずっと考えていたけれど、やっぱり答えは出ないまま。結局いつもの朝が来て、私はまたチャンピオンとしての日常に忙殺されていく。

「そっか。都合がつかないんじゃしゃーねーな。忙しいんだろ? あんまり無理するなよ」
 電話の向こうから聞こえるのは、いつもと同じキバナさんの返事。
 相変わらずとっても優しくて、私を気遣ってくれる。たとえ約束をドタキャンしても、優しい彼は絶対に私を責めない。……いや、私もわざとキャンセルしていわけじゃないんだけどさ。
 でも、私はキバナさんの態度がなんとなく気に入らなかった。なんだろう? 大人の余裕、っていうの?
 本当は、「会えなくてつまらない」って言って欲しい。「付き合い悪いぞ」って怒ってくれても良かった。でもキバナさんは優しく「そっか。じゃぁ、この次な」って笑うだけ。
 それが私はたまらなく寂しい。
 キバナさんは寂しくないの? 私に会えなくても平気なの? ……私はこんなにも寂しいのに。
 答えの返らない問いかけは、小さな埃のようなストレスとなって私の中に降り積もっていくのであった。


 kbyu版深夜の真剣60分一本勝負 お題【時間】 より

 北から吹き付ける風の冷たさも和らぎ、木々の花芽が膨らみ始める春。
 この時期、ナックルジムのジムリーダーであるオレの仕事は、一年間で最も忙しくなる。

「キバナさま! ワイルドエリア、砂塵の窪地で救難信号を受信しました。遭難者三名。内、けが人一名。現地は砂嵐が激しく、動けないようです」
「ヒトミは救護一班を率いて現場に向かってくれ。レナは状況整理とポケセン、病院の手配を」

「キバナさま! ナックル城の修復工事、終了しました。後ほど確認を願います。」
「わかった。明日になるが、チェックしておくぜ」

「キバナさま! シンオウ地方からの研究団の方々が、宝物庫に到着しました」
「わかった。一時間ほど後に挨拶に出向く。リョウタ、案内を頼んだ」
「かしこまりました」
「キバナさま! 会議のお時間です。けれども、リーグ委員長がまだお見えにならず……
「ほっとけ、どうせ迷子だろう。時間が惜しい。定刻通り、会議は開始する」
「はい」

 雨あられの如く降り注ぐスタッフからの報告に、矢継ぎ早に答えを返していく。なるべく迅速かつ的確に。そうでないと、山のような仕事を捌ききれないのだ。
 それでも仕事は一向に減る気配がない。移動は常に駆け足で、その移動の最中に報告を聞くこともしばしばだ。

 午前の予定をなんとかこなして、執務机で書類に目を通しながら昼食を取る。
 食事を味わう暇なんてない。書類を捲りながら、食物を胃袋に押し込んでコーヒーを啜る。その時、視界にふっと青い何かが映り、オレは視線を上げた。
 それは颯爽と廊下を歩く、バウジムのジムリーダー、ルリナの後ろ姿だった。そういえば今日は、ここナックルジムでエキシビションマッチのリハーサルがある。お膝元であるナックルジムでのリハなのだが、仕事に押しつぶされているオレは欠席だ。
……そういえば、ユウリも来るんだよな。
 ここ半月ほど会えていない少女のことを思い出し、オレは重いため息をついた。一目でいいからユウリに会いたい。その声を聞きたい。
 ちらりと時計に目を落として、今日のスケジュールを思い浮かべる。……無理だ。ユウリに会いに行く時間はない。
 仕方なくポケットからスマホを取り出してタップを二回。カレーライスを笑顔で持つユウリのアイコンを選んでメッセージを打とうとするも。
「キバナさま! 明後日のイベントについて確認なのですが……
 リョウタに声をかけられて、呆気なく、オレの昼休憩は終わりを告げるのであった。

「寒っ! やっぱり夜は冷えるな」
 結局全ての仕事を終えたのは、日付が変わる一時間前だった。
 すっかり暗くなったジムの外へ出ると、昼間の陽気が嘘のような冷たい風が身体を刺す。
縮こまるように肩を丸めて歩き出しかけたオレは、ふと思い出してスマホを開いた。そこには、昼間打ちかけた文書がそのまま残されていた。
『ユウリ、会いたい』
 忙しすぎて、たった八文字を送信する時間がなかったことに、自嘲気味な苦笑が浮かぶ。
メッセージが表示された画面はそのままにスマホをしまい、ジムの門を通り抜けたその時だ。
「キバナさん!」
 久方ぶりに聞く可愛らしい声。疲労からついに幻聴が聴こえたのかと思ったが、続いて体当りしてきた存在が、幻聴ではないと告げてくる。
「ユウ……リ?」
「はい。お久しぶりです」
 降ってわいたような彼女の登場に、オレは呆然とするばかりだった。
「どしたんだ?」
「今日、ここでエキシビジョンのリハがあったじゃないですか。その後交友会があって、で、キバナさんを待っていたんです」
「そっか……
 待たせて悪かったな、と思いながらユウリを抱きしめ、その匂いを鼻孔に吸い込む。と、その身体がやたらと冷たいことに気付いて、オレは彼女の顔をまじまじと見つめた。
「ユウリ……。交流会って、何時に終わったんだ?」
 今は十一時十五分。ついつい流されそうになったが、交流会をこんなに遅くまでやっているはずがない。
 案の定、ユウリはオレの指摘を受けて気まずそうに視線を揺らした。
「ええと、七時半に終わりました……
「それから、ずっとオレを待っていたのか?」
……はい」
 ユウリが大人だったら、この寒空の下、オレサマを待っていてくれた健気さに感動したかもしれない。だが彼女はまだ子供だ。こんな時間まで外をうろうろするなんてもってのほか。
 よく見ると彼女の顔色も悪い。いつもは血色のいいピンクの頬は青白く、目の下にもうっすらと隈がある。彼女自身もかなり疲労が溜まっているのだろう。
「待っていてくれたのは嬉しいけどな、オマエもちゃんと休まないとダメだろ。ったく、子供が、こんな遅くまで」
 ユウリを心配しての言葉だったのだが、オレも疲れから、ついつい責めるような口調になってしまった。目の前で、ほわほわと笑っていたユウリの顔が、ぴしりと強張る。
……あ、やべ。言い過ぎたかも。
 ユウリに「子供」という単語は禁句だ。子ども扱いすると、彼女はひどく傷ついた顔をする。よくわかっていたのに、今日はつい口を滑らせてしまった。
 後悔はすれども、上手いフォローが咄嗟に出てこない。
 内心焦っていると、ユウリは下を向いて、大きく息を吸い込んだ。
……なんて、言わないで下さい」
「え?」
 疲労に加えて、眠気も抱えていたオレは、ユウリの低く唸るような最初の言葉を聞き逃した。問い返すと、怒鳴り声が返ってくる。
「子供なんて言わないで下さい! せっかくキバナさんに会いたいと思っていたのに、馬鹿! キバナさんなんて、大嫌い!」
 そう言うと、ユウリは身をひるがえして駆けだした。
 突然の行動に驚いたオレは、ワンテンポ遅れてユウリを追う。
「ユウリ、どこにくんだ!」
「アーマーガアタクシーで帰ります!」
「もう遅いから、オレの家に泊って行けよ」
「嫌、です!」
 あまりの剣幕に呑まれて、オレはユウリを追いかける脚を止めてしまった。
 ユウリはそのままオレを引き離し、素早くアーマーガアタクシーに乗り込んだ。空へと舞い上がった漆黒のタクシーは、呆然とする俺を残して北の空へと消えていった。
「ユウリ……
 ……ああ、また今日もしくじった。もっとユウリを大切にしてやりたいのに、このところいつも何かを間違える。
……帰るか」
 このまま突っ立っていてもユウリは返ってこない。オレはため息をついて踵を返した。
……そういえば、ユウリも忙しいのに、あいつはいつもナックルに来てくれていたんだよな。
 アーマーガアが飛び去った夜空を見上げながら、オレは自分がほとんどシュートシティにある彼女の家を訪ねたことがなかったことに思い至った。
いつもユウリがナックルに来てくれたから、オレはユウリに会えていた。知らずのうちに、オレはそんな彼女に甘えていたのだ。
……今度は、オレの方から会いに行くか。
 幸運なことに、来週はシュートシティに用事がある。そのついでに、ユウリに会いに行こう。
 すぐにユウリに連絡をするか、それとも彼女が冷静になった頃合いを見計らって連絡するか。この際、突然訪ねて行ってユウリを驚かせるのもありだ。そんなことを考えながら、オレは一人、湿った風が吹くナックルの大通りを歩いていくのであった。



◇◆◇◆◇◆


「キバナから電話ロト!」
 手にしていたスマホが突然鳴って、私は危うくスマホを取り落としそうになった。焦った私は、心の準備ができないまま、通話ボタンをタップしてしまう。
「ようユウリ。オレさ、今日は仕事でシュートに来てるんだ。あと三十分ほどで終わるから、一緒に飯でも食いに行かねえか?」
 私が怒って深夜のナックルから一人で帰ってきたあの日から一週間。
 キバナさんはいつもと同じ穏やかな調子で私を食事に誘った。けれども彼のことを考えながら鬱々としていた私は、とっさに嘘をついてしまった。
「ごめんなさい。今、バトルタワーの中にいるんです。これからダンデさんに挑戦するから、あと二時間くらいかかるかも……
 本当は、私は自分の部屋でぼんやりとスマホを眺めていた。画面に写るのは、先日の喧嘩についてのキバナさんとのメッセージのやり取り。その中では、私とキバナさんはお互いに謝って、相手を許して、仲直りをしている。そして、また遊ぼうね、って約束を交わしている。
 けれどもいざ会うと、どうしても喧嘩になってしまう。だから、きっと次も喧嘩になるんじゃないかと考えて、会いたい気持ちがしぼんでしまう。
「そっかー。なんか最近タイミングが悪いな。じゃ、また今度な。暖かくなってきたけど、夜はまだ寒いからな、風邪ひくんじゃねーぞ」
 いつもと同じようなやり取りを交わして、ぷつりと電話は切れてしまった。
 私は役目を終えたスマホをぽいとベッドに放り投げる。
「はぁ。私、何やってんだろ」
 キバナさんに嘘をつくのは何度やっても慣れない。言いようのない後味の悪さに、心がじくじくと疼くのだ。
 ベッドの上に転がったスマホのホーム画面では、ヌメラを抱えた私とキバナさんが笑っている。私は肘をついて、ぼんやりとその写真を眺めた。
 その時、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴って、私ははっと我に返った。
 そういえば、インテレオン用のポケフードが今日届く予定だった。
「はーい。今開けまーす」
 私は宅配便屋さんがインターホンを鳴らしたものと思い込んで、不用心に玄関の扉を開いた。
「あ……
 そこにいたのは、先ほどお誘いを断ったばかりのキバナさんだった。
「よ、ユウリ。近くまで来たから寄ってみたんだ。上がってもいいよな」
「あ……は、い……
 断ることなんて出来なかった。私が嘘をついたことをキバナさんは知っていた。それでいて、彼は私に会いに来たのだ。
「突然やってきて悪かったな」
 キバナさんはそう言って、リビングにある椅子の一つに腰掛けた。
 嘘をついたことは後ろめたいけれども、キバナさんに会えたことはちょっと嬉しい。
混乱する私はどんな顔をしていいかわからずに、俯きかげんでお茶を入れた。
 キバナさんの前にお茶を置き、私も椅子に座る。そんな私を無言で待ち、ほんの少しお茶をすすった後でキバナさんは口を開いた。
「ユウリは……オレに会いたくなかったのか?」
「っ!」
 キバナさんの口調は穏やかで、私を責めるものではなかった。でもそのストレートな問いかけは、ぐさっと私の心を抉った。抉られた傷口から罪悪感が溢れ出す。
(私だってキバナさんに会いたかったんですよ。でも……
 会いたかったけど、会いたくなかった。キバナさんに会って、また喧嘩になるのが怖かった。
真逆の二つの気持ちが混ざりあって、私の心は酷く乱れていた。だから、キバナさんと距離を取りたかったのだ。
 正直にそう言わなきゃいけなかったのに、私の口から零れたのは取り繕うような嘘だった。
「そんなつもりじゃなかったんです。ただ、今日は仕事で疲れていて……
 疲れていたのは本当だ。だから今日は半休をもらっていた。
「そっか。……疲れているんなら仕方ないな。ゆっくり休むんだぜ」
 キバナさんはそう呟いて立ち上がった。
(もう帰ってしまうの?)
今にも泣きだしそうな私の前で、彼はばさりとパーカーを羽織った。
「あ……
 会えて嬉しかった。でも私の素っ気ない言葉のせいで、彼はもう帰ろうとしている。
(やめて。待って。帰らないで。もっと一緒にいたいのに)
 どうしたら彼を引き留められるだろうか。「帰らないで」って言いたい。でも、唇ははくはくと戦慄くばかりで、たった一言が出てこない。
「じゃぁ、オレは帰るから」
 キバナさんの口から恐れていた言葉が飛び出して、私はもう無我夢中だった。帰ってほしくない一心で、私はキバナさんの手を掴む。
「あ、あ、あの……
「ん? どした?」
 キバナさんが首をかしげる。頭の中がぐちゃぐちゃで、混乱の中にあった私は、ずっとぐるぐると考えていた言葉をキバナさんに投げつけてしまった。
「キっ、キバナさんが好きなんです! 私を、恋人にしてください!」
 大好きな青色の瞳が大きく見開かれて、私は自分の失言を悟った。慌てて口を押えるけれど、届いてしまった言葉は取り消せない。
 私たちは暫く驚きの表情で見つめ合っていた。
 ふと、キバナさんが視線を下げた。ああ、優しいキバナさんは私を傷つけない言葉を探しているんだ。彼のしぐさで、私はそうわかってしまった。
「ユウリのことは好きだぜ。好きでもない女の家になんて来ねーよ」
 キバナさんの口から出たのは、とても優しい言葉だった。でもその重々しい声色が、彼の本音を雄弁に語っていた。
「でも、おまえを恋人にはできない」
 彼から投げられた言葉がぐさりと心に刺さっても、みっともなく取り乱すことはなかった。だって、どうせ断られると思っていたから。
 そう強がってはみせるけれど、いざキバナさんの口から告げられると、悲しみで目の前が真っ白に滲んでいく。
「どうしてですか?」
 気がつくと私はキバナさんに詰め寄っていた。
……
「好きなら、付き合ってくれたっていいじゃないですか! 私がチャンピオンだからですか? 子供だからですか? ……どっちが先に生まれたかどうかなんて、どうだっていいじゃないですか!」
「ユウリ。今日はどうしたんだ? 何か嫌なことでもあったのか? オレでよければ話を聞くぜ。だからちょっと落ち着け」
 キバナさんは私の肩に手を置き、身体をかがめて視線を合わせてくれた。その困惑しきった表情は、こんな時でもとてもカッコいい。
 でも私には、そんなキバナさんの態度が、私を誤魔化そうとしているように感じられた。どうして恋人になれないのか、彼ははっきりと答えてくれなかったから。
 溜まりに溜まった悲しみの気持ちが、怒りの渦になって私の中を駆け巡る。
 なんだか私一人で悲しんで、怒って、バカみたい。挙句の果てに、キバナさんに八つ当たりして困らせて。これじゃあまるで、幼稚な駄々っ子だ。
 そう自覚しているからこそ、私を子ども扱いするキバナさんに腹が立って仕方がなかった。
「私が嫌なのは、ちゃんと私に向き合ってくれないあなたの態度です」
 キバナさんを責める私の声は、自分でも驚くほど冷たかった。
 キバナさんが眉尻を下げて口を開く。
「ユウリ。ごめん。オレ、そんなつもりじゃなくて、ただ……
 私は手にしていたモンスターボールを開いた。キバナさんの言い訳なんか、今は聞きたくなかった。
「もういいです。……さよなら」
 私がポケモンをけしかけるとでも考えたのか、キバナさんが身構えた。そんな彼と私の間に、小さなケーシィが出現する。
「ユウリ、待て。話を聞いてくれ!」
 私の意図を察したキバナさんが、私を掴もうと手を伸ばす。けれども、もう間に合わない。
「ケーシィ、テレポート」
 キバナさんの手が私に触れる直前で、彼の姿は掻き消えた。おそらく、シュートシティのポケモンセンターにでも飛ばされたのだろう。
 ……強制的に追い出すなんて、ちょっと乱暴だったかな?
 静まり返った部屋の中、私は身体の力を抜いて窓に寄りかかった。シュートスタジアムの近くに、ポケモンセンターの光が見える。
「さよなら、キバナさん……大好きでした」
 そこにいるであろう人のことを思い浮かべながら、ぽつりと呟く。
 さよなら、大好きだった人。さよなら、私の恋心。
 こんなことをしでかして、きっとキバナさんは私のことが嫌いになる。とても悲しかったけれど、ぐちゃぐちゃだった私の気持ちはゆっくりと落ち着きを取り戻していた。
 ……これで、いいんだ。これでもう、キバナさんのことで思い悩まなくていい。
 久しぶりに訪れた心の平穏に安堵の息を吐きながら、私はいつまでもポケモンセンターの光を見つめるのであった。


 kbyu版深夜の真剣60分一本勝負 お題【時間】 より

「っあー。ホント、今年は厄年だよな」
 ユウリと大喧嘩をして、ケーシィの力で強制退去をさせられてから一か月が経った。
 あれ以来ユウリと連絡は交わしていない。
あの時のユウリの泣きそうな顔が脳裏に張り付いて、しばらくは夢見が悪かった。本当はユウリのことが気になって仕方がなかったのだが、少し距離を置いた方がいいと思い、オレは断腸の思いでユウリのいない孤独を耐え忍ぶことにしたのだ。
 そしてオレはジムリーダーとしての日常に戻ったのだが、目まぐるしい忙しさのせいで、ほとぼりが冷めてもユウリに連絡をできずにいた。
 今日もナックルジムの一角にあるジムリーダーの執務室で、オレは机に積み上げられた報告書に埋もれながら溜息を吐く。
 先週末からワイルドエリアは天候やエネルギー状態が不安定になり、様々な問題が発生していた。ワイルドエリアのナックルシティ側の責任者はオレだ。休むことは許されないオレは、もう一週間もナックルジムに缶詰状態だった。
「ジムチャレンジャーの行方不明が二名。砂塵の窪地での流砂の発生。新しいポケモンの巣穴の発見に、ガラル粒子のエネルギー量の突然の増加。後、昨日出てきた案件はなんだっけ……あ、ストーンズ原野のバンギラスの異常繁殖か……
 昨日、新しく増えた報告書をさらに上に積み上げながら、朝食のベーグルを牛乳で押し込んでいく。仕上げに、カロリー補給のためのゼリー飲料を流し込めば、朝食は終了だ。
 もぐもぐと口は動かすが、疲労のせいか何の味もしやしない。
 ここ数日間、ワイルドエリアの状況は緩やかに悪化していっている。これ以上大きな事故に発展しないように、オレは必死で問題の対処を考えていた。
 
「キバナさま、ナックル丘陵でギアルが大量発生したようです。駆除依頼が来ました」
「悪い、そっちに人手は回せない。ラテラルのサイトウに応援を要請してくれ」

「キバナさま、行方不明のジムチャレンジャーの捜索隊、出発しました。しかし本日は風が強く、捜索は難航すると思われます」
「九時頃には助っ人のチャンピオンが現場に到着するだろうから、今日は彼女の指示に従ってくれ。……天候には十分注意するように」
「キバナさま、マグノリア博士が到着されました」
「応接室に通してくれ。リーグ委員長に報告をしてからオレも向かう。レナ、博士に資料を渡して、先に説明をはじめていてくれ」

「キバナさま、チャレンジャーがジムチャレンジを申請しています」
(んのくそ忙しい時に!)
 後にしろ! と怒鳴りたくなるが、ジムチャレンジャーとバトルすることもオレの仕事の一つだ。おろそかには出来ない。
……十時半まで待ってもらえ。それから、ジムチャレンジを始める」
 今日も家には帰れそうにない。それどころか眠る時間もないかもしれない。オレは頭痛の兆しのある頭をぐりぐりと揉んで、大きくため息をつくのであった。

 あっと言う間に一日は過ぎ、間もなく西の山に日が沈む。
 方方を駆けずり回り、就業時間間際にようやくナックルジムへと戻ってきたオレは、疲れた身体を来客用のソファに沈めながら、上がってきた今日の報告書に目を通していた。
「さて次は行方不明者の捜索か……お、見つかったのか」
 頭を悩ませていた問題の一つが解決して、鉛のように重たかった身体が心なしか軽くなる。喜びを思わず声にすると、近くにいたヒトミも嬉しそうに微笑んだ。
「はい。チャンピオンが無事に発見してくれました。行方不明者に脱水症状は見られましたが、命に別状はありません」
 思わぬ助っ人の活躍に、ついついひゅうと口笛が飛び出す。
「助かったぜ。流石はユウリだ」
 暫く顔を見ていない少女の姿が思い浮かび、ほんの少し頬が緩む。感謝の気持ちを抱きながら、オレは次の報告書をめくった。
「お? 砂塵の窪地の流砂も止まったのか? ……って、これもユウリか」
 ユウリがナックルジムの応援に来てくれたことは知っていたが、これほどの大活躍をするとは思ってもみなかった。しかし目の前の報告書には、見慣れた丸っこい文字が並んでいる。この問題も、ユウリが解決してくれたのだ。
 ユウリと共に現場を担当したリョウタが嬉しそうに報告する。
「チャンピオンがダグトリオ、サンドパンと共に対応してくれました。すなじごくとじならしを組み合わせて、流砂の流れを止めたのです。見事な手並みでした。念のため、がんせきふうじで現場は囲ってありますが、数日のうちに地盤は安定すると思われます」
 目を通し終えた報告書の最後のページには、「キバナさん、お仕事お疲れ様です。ちゃんとご飯食べてますか? 寝てますか? 忙しくても、ちゃんと体調管理をしないといけませんよ」とメモ書きがされ、ヌメラの絵が添えられていた。
「あら、嬉しいこと言ってくれますね」
 報告書を覗き込んだヒトミがくすくす笑う。
「いやしかし報告書に落書きがあっちゃまずいだろ。ヒトミ、消しといてくれ」
 苦笑交じりに書類を渡すが、思いもよらないユウリの気遣いに、口元が緩むのは止められない。
確かにオレはユウリを振って傷つけた。喧嘩別れもした。それでも、こうしてユウリがオレを気遣ってくれることが嬉しかった。オレがユウリを想うように、ユウリもオレのことを想ってくれているのかもしれない。
 オレは書類をそろえて、確認済みのサインをしてから机の端へと積み上げる。そして人差し指でさりげなく、涙の滲んだ目じりをこするのであった。


 kbyu版深夜の真剣60分一本勝負 お題【ここだよ/ここがいい】 より

「勝者、アラベスクジムジムリーダー、ビート!」
 広いスタジアムの中に、どよめきと悲鳴の混じった歓声が響く。そのざわめきの渦の中心で、オレはビートと握手を交わした。

 リーグ委員長にチャンピオン、そして二名のジムリーダーが交代した、あの激動の年から早くも四年が経とうとしていた。
 今シーズンはアラベスクジム、ジムリーダーのビートがとても好調だった。アラベスクジムのトレーナー達の戦績も良く、今年はビートの推薦を受けた何人もの選手がジムチャレンジに参加し、ポケモントレーナーの登竜門、エンジンシティを突破していた。
 残念ながらオレサマはドラゴンタイプのポケモンを軸にして戦うため、フェアリータイプを得意とするビートとはとても相性が悪い。それでも、相棒のジュラルドンと共に、今日までは何とか勝利を重ねてきたのだが。
「くっそ……
 控室に退出して、ぎりりと歯を噛みしめる。非公式のトーナメントとはいえ、今日のバトルもビートには勝つつもりだったのだ。
 忙しさ、不調、慢心、戦略ミス。敗北の理由が頭の中に浮かんできては消えていく。言葉にできない悔しさで、じりじりと心が焼け付くようだった。

 その日から、オレサマはスランプに陥ってしまった。
 ジュラルドンも自信を無くしてしまったようで、攻撃にキレがない。事態を好転させようと焦るせいか、息も合わなくなり、バトルに精彩を欠くようになった。
 折しも、ジムチャレンジも終盤戦に差し掛かる時期だった。
 ビートの目覚ましい活躍に、彼と同期のマリィも調子を崩し、スパイクジムを通過するチャレンジャーの数は例年の倍近くになっていた。
 オレ自身も不調であり、その上、止めどなくやってくるチャレンジャーとの連戦で疲労も溜まっていく。忙しさで、ポケモン達と向き合う時間もなかなか取れない。
 様々な要因が重なって、オレサマは通常の三倍近い、十五人ものチャレンジャーをチャンピオンカップのセミファイナルトーナメントに通過させてしまったのだ。
 これにはリーグ委員長のダンデも呆れていた。
「キバナ、トップジムリーダーとして、キミを頼りにしているんだ。しっかりしてくれ」
 と、オレサマは叱責に近い励ましを受ける羽目になってしまった。

「あー。情けねぇ」
 ジムチャレンジも終了し、仕事も落ち着いたオレは、久しぶりに日が暮れる前に家に帰ることができた。
 けれども何もやる気が起きない。来月にはチャンピオンカップが始まる。のんびりしている場合ではないのに、オレはソファに座ったまま何をするでもなく夕日を眺めていた。その時だ。
「ユウリから、メールロト!」
 テーブルの上に置きっぱなしだったスマホが、淡く光って着信を告げた。ユウリからの、半月ぶりの連絡だった。
 ユウリからメールが来る理由に心当たりはなかった。文面も予想がつかず、オレは恐る恐るメールを開いた。
『ジムチャレンジ、お疲れさまでした。今年も有望な選手が大勢いますね。でも、私はチャンピオンとして、この場所でキバナさんが来るのを待っています。頑張ってください。応援しています』
「ユウリ……
 ぽたり、ぽたりと手の上に雫が垂れた。
 今年のオレは絶不調だ。仕事も上手くいかない上に、忙しさを理由にしてユウリを傷つけてしまった。バトルの腕も鈍っている。
 なのにこの我儘な女王様は、今から死ぬ気で態勢を立て直して、彼女の前まで勝ち上がってこいと言っている。こんな情けないオレと、戦いたいと言ってくれているのだ。
……オレを、信じてくれているんだよな。
 チャンピオンに、共に戦いたいと指名される。一人のトレーナーとして、こんなに嬉しいことはない。
 こんな激励をもらって、腑抜けている場合ではない。オレは気合を入れて立ち上がり、モンスターボールを手に取った。そして、ユウリからのメールにもう一度視線を落とした。
 丁寧ではあるが甘くはないメールの文面に、ユウリらしさを感じて頬が緩む。
……ああ、ユウリに会いたいな。
 彼女と別れて半年。ようやくオレはユウリに会いたいという気持ちを自覚した。自覚した瞬間から、その想いはどんどんと膨れ上がっていく。
……ユウリに会いたい。顔を見て、声を聞いて、彼女を笑わせて、抱きしめて、それから。
「バトルを……してぇな」
 無意識に口から零れた願望が、すっかり忘れていた感情を呼び覚ました。最後にユウリとバトルをしたのはいつだったろう。すぐには思い出せないくらい昔の話だ。だから、すっかりと忘れていた。
 あの、血液が沸騰するような興奮を。鳥肌が立つような緊張を。頭が馬鹿になるような酩酊感を。そして、ひれ伏したくなるほど美しい、フィールドに立つユウリの雄姿を。
……駄目だなぁ、オレは。すっかり忘れていた。だから、あんな甘っちょろいバトルが出来たんだ。
 自分に対する怒りと共に、腹の中から懐かしい感覚が込み上げてくる。
 それは理性を吹き飛ばすほどの、純粋な闘争本能。
……不調? 不利? 実力不足? んなもん、どうでもいいんだ。オレサマの前に立つ奴は、誰であろうとぶっ飛ばす。例え、そいつがオレよりも強くとも。
 宵闇深まる室内にモンスターボールを放り投げ、ジュラルドンを呼び出す。
 ひんやりとしたメタルボディに手を当てると、鋼の身体の奥に息づく彼の呼吸を感じた。
「悪かったな。色々考えすぎて、簡単なことを忘れていた。また、オレと一緒に暴れてくれるか?」
 差し出した拳をジュラルドンがこつんと叩く。視線を合わせると、ジュラルドンは任せろと言うように大きく頷いた。
「よろしくな。相棒」

 そして迎えたチャンピオンカップのファイナルトーナメント。
 順調に勝ち進んだオレは、今までの不調が嘘のように、圧倒的な力でビートを倒した。
「悪いな、ビート。あの場所はまだオマエには譲れない。あそこはオレサマの特等席なもんでな」
 そう告げると、涼やかな彼の瞳が悔しそうに歪んだ。
 彼の怒りを受け流して、オレは彼の向こうに立つ少女へと視線を送る。ユウリは、満面の笑みを浮かべてオレの視線を受け止めた。
……ここへ帰ってきたぜ、ユウリ。オマエの望んだこの場所へ。
(おかえりなさい。キバナさん)
 割れんばかりの歓声の渦の中で、そう、ユウリの声が聞こえた気がした。
 



◇◆◇◆◇◆


 失恋して落ち込んだって、日は昇って朝が来る。
 仕事は待ってくれないし、なんなら弱っている私を倒そうと、狙っている人たちは山ほどいる。ツライ。
 上司であるダンデリーグ委員長に、プライベートでキバナさんとトラブっていたなんて知られるわけにもいかず、懸命に日々の仕事をこなしている間に、飛ぶように月日は過ぎていった。
 そしてあっという間に、チャンピオンとして一年で一番大切な日。チャンピオンカップを迎えた。
 チャンピオンカップは、セミファイナルトーナメントとファイナルトーナメントの二日間で執り行われる。
 今日のセミファイナルトーナメントの優勝者が明日のファイナルトーナメントに進み、ジムリーダーを交えながら戦う。その優勝者とチャンピオンである私が、最終戦を行うのだ。うーん、何度か経験しているけれども、なんともややこしいシステムだ。
 今日の戦いを勝ち上がったジムチャレンジャーが、私の対戦相手になるかもしれない。
 私はシュートスタジアムのチャンピオン専用の席で、真剣に彼らの戦いを分析していた。
 この関係者席には、私の他にリーグ委員長のダンデさん。明日のファイナルトーナメントに出場するルリナさん、オニオン君がいた。私は聞くとはなしに、彼らの話に耳を傾ける。
「今年のジムチャレンジ通過者は、十五人もいるから大変だぜ」
「そうね。全く、キバナは何を考えていたのかしら」
 例年は午前中で終わるはずのトーナメントだけれども、今年は参加者が多すぎて十六時までみっちりと試合が組まれている。観戦チケットも、午前の部と午後の部の二部制に区切られた。
「キバナさんも、忙しかったんですよ」
 後ろで顔を顰めている二人を振り返り、私はキバナさんのフォローをした。
 諸々の会議に参加できないほど忙しいと聞いて、心配で何度か様子を見に行ったけれども、いつもキバナさんは疲れた顔をしていた。
「でもな、キバナも例年はあれくらいの仕事はこなしていたんだぜ」
……何か事情があったのかしら? 例えば、誰かとトラブルになったとか」
……
 なんとなく心当たりはあったけれども、「私がキバナさんと大喧嘩したせいです」なんて申告できるはずもない。私は二人から顔をそらして、目の前の試合へと視線を戻した。
「ま、キバナのことは心配だったが、土壇場で持ち直したな」
「そうね。むしろ吹っ切れたのか、前より強くなったんじゃないかしら? あいつ、ジムリーダーの予選トーナメントでメロンさんに圧勝していたわよ」
 視線はそらしたけれども、後ろの二人の会話を私はばっちりと聞いていた。
……やったぁ! キバナさん、スランプを脱出できたんだ。良かったぁ
 もしかしたら、今年も決勝戦でキバナさんと戦えるかもしれない。いや、キバナさんなら絶対に勝ち上がってきてくれる。そう思うと、わくわくが止まらない。
「ビート選手……は、好調だけど……今回、も……ドラゴン、ストーム……が、勝ち上がる……かもね」
「不本意ながらそうね。私はアイツとは当たらないけれど、ヤローが心配だわ。……にしても、どうしてあいつがあんなにやる気になったのかしら?」
「それは確かに疑問だな。しかし、なんにせよ喜ばしいことだ。オレも強くなったキバナとバトルがしたいぜ! 明日のユウリくんが心底羨ましいな!」
 喧嘩をしたあの日以降、私とキバナさんはほとんど会うことが無かった。だから、キバナさんがどのようにスランプを克服して強くなったのかはわからない。
 でも、私もあれから強くなった。バトルに勝つ自信は、ある。
 だけど、キバナさんがフィールドに立った時、私は平静でいられるだろうか。ちゃんと実力を出し切れるだろうか。
 それだけが少し、不安だった。
 
 翌日、私は満員御礼のスタジアムの中心で、トーナメントを勝ち上がってきたキバナさんと相対した。
 期待通り、私のところへ勝ち上がってきたキバナさん。彼はいつもと同じように、優しく微笑んだ。
「ユウリ……久しぶりだな」
……そうですね」
 どこでも、どんな時でも、バトルでキバナさんと向かい合う時はわくわくとした期待に満ちていた。
 でも今は、ほんの少し心が重たい。
 今の私達には特別に語る言葉はなかった。ほんの少しの沈黙の後、キバナさんはにいっと笑う。その拍子に彼の犬歯がちらりと見えて、フィールドの空気がぴんと張り詰めた。
 私達の再会の場から、チャンピオンと挑戦者の決闘の場へと、空気が研ぎ澄まされていく。
「じゃ、いっちょやるかな」
 まるでデートにでも行くかのような気楽さで、キバナさんは片手を上げた。その手の中にはモンスターボール。それを放ると同時に、キバナさんは表情を変えた。
 彼は青い瞳は煌々と光らせ、一部の隙もなく私を見据える。重心を低くし身を屈め、両手を振り回して大きく吠える。それはそれは楽しそうに、生き生きとして。
 ……ああ、これこそが私の大好きなドラゴンストーム。
 喧嘩をしても。離れていても。私を見ていてくれなくても。
 やっぱり、私はキバナさんが大好き。彼とのバトルが大好きだ。

「行けっ!コータス!」
 キバナさんの一番手はいつも同じポケモン。コータス。耐久性に優れていて、水タイプの攻撃に弱いはずなのに、特性のひでりで水タイプの技のダメージを半分にしてくる嫌な奴だ。
 けれどもキバナさんがコータスを繰り出してくるのは予想済み。私もポケモンを繰り出した。
「頑張ろうね!フーディン!」
 この子は数カ月前にキバナさんをテーポートで吹っ飛ばしたあの子だ。その時のことを思い出したのだろう。キバナさんは一瞬だけすごく嫌そうに顔を顰めた。
 コータスは鈍足だ。私は先制の攻撃を命じる。
「フーディン、サイコショック!」
 攻撃は上手くコータスに命中。でも、あまり効いているようにない。
 ……うっ、予想よりも、さらに硬い。
 コータスのひでりの効果で、コータスのほのお技は威力は五割増しになる。私とフーディンは、コータスの反撃に身構えた。
 しかし、キバナさんは私の意表を突いてきた。
「コータス、ステルスロック!」
「ええっ? 今のタイミングでそれですか!」
 コータスが体を震わせると、無数の尖った小さな岩がバトルフィールドへとばらまかれた。その岩は、これから出てくるポケモンに食い込んでダメージを与えるのだ。
 ちなみにこの技は岩タイプ技なのでリザードンに効果は四倍だ。この技があればダンデさんのリザードンの攻略が一気に楽になる。だから覚えさせるといいと何度も進言したのに、キバナさんはずっと「オレのバトルスタイルじゃないから」と拒否していたのだ。
 なのに今、この場所で、それも私に使ってくるなんて……
『それだけ、オレサマもこの勝負に本気なんだぜ!』
 鋭い岩石群の向こうで、キバナさんがそう吠えたような気がした。
 その後は攻撃技の打ち合いになり、フーディンはコータスに競り負けてしまった。
 ……うーん。この流れは、まずい……ね。
 私はぐっと奥歯を噛みしめ、次のモンスターボールを握りしめた。

 ステルスロックのけん制効果は絶大で、私とキバナさんは一進一退の攻防を繰り広げた。
 私のインテレオンがキバナさんのバクガメスのだいばくはつで吹き飛ばされ、私たちは同時に最後のモンスターボールを投げる。
 キバナさんが繰り出したのは、絶対的エースのジュラルドン。対する私は、ラプラスを呼び出した。
 本当は、ラプラスはいざという時の保険のつもりだった。彼に順番が回る前に、キバナさんを倒してしまうつもりだったのだ。
 でも、キバナさんがこんなにも強いなんて想定外だった。私の判断ミスだ。
でも、どうしよう。この状況が、どうしようもなく楽しい。一つのミスも許されないぎりぎりの緊張感が心地よくて、私はにやりと口角を上げる。
 ラプラスがステルスロックで大きなダメージを受けた。ステルスロックは、氷タイプのラプラスにも効果が抜群だ。
 既に戦況は私が不利。
 両者は共にキョダイマックスをする。
 そして全力の技を打ち合う。
「ダイスチル!」
「キョダイセンリツ!」
 轟音がとどろき、スタジアムが揺れる。
 巨大化して体力も増えたはずのラプラスは、しかし僅かに苦しそうだった。
 ……大丈夫。キョダイセンリツの効果で、次の攻撃のダメージは半分だ。耐えられる、はず。
「ラプラス、攻撃に集中! もう一度、キョダイセンリツ!」
「こっちももう一度攻撃だ! オマエなら勝てるぜ! ダイスチル!」
 お互いに一歩も引かず、全力を込めた技と技がぶつかり合う。その衝撃は場内の空気をかき乱して渦巻いた。行き場のないエネルギーがバチバチと火花を立てて荒れ狂い、フィールド内に粉塵を巻き上げる。
 そしてその粉塵が落ち着いて視界がクリアになった時、立っていたポケモンは一体だけだった。


◇◆◇◆◇◆


「キバナさーん!」
 死力を尽くしたバトルが終わり、閉会式も終了して。
 熱いバトルの興奮を分かち合いたくて、いてもたってもいられなくなった私は、キバナさんを探して会場の中を走り回っていた。
 でも、どこにも彼の姿は見当たらない。
 人気の少なくなったロビーで、ようやく「ドラゴンストームなら裏口から出て行くのを見ましたよ。接戦を逃して、泣いているんじゃないですか?」というビートくんの証言を得た私は、スタジアムの裏口へと走っていった。

「キバナさん!」
 キバナさんは誰もいないシュートスタジアムの陰で、風に吹かれながら静かにスタジアムを見上げていた。
 私の声が届いたのか、彼はゆっくりと私を振り返る。
 喧嘩した。気まずかった。もう、二人っきりで話すことなんてないと思っていた。
 そんな感傷は全部ぽいっと放り投げて、私は走った後の息の乱れもそのままに、キバナさんに話しかけた。
「バトル、ありがとうございました。キバナさん、とっても強くなっていて、今までとは全然違うバトルで、とても楽しかったです」
……結局負けたけどな」
「序盤はキバナさんが優勢でしたよ。私は、食らいつくので精一杯でした」
……惚れなおしたか?」
 優しいスカイブルーが私を見つめる。もっとその青がよく見たくて、私は一歩彼に近づいた。
「はい。惚れなおしました。……やっぱり、私、キバナさんのことが大好きです」
 そう本音を告げた瞬間、大きく見開かれた瞳から、はらりと涙が零れ落ちた。
 キバナさんが泣くなんて思ってもみなくて、私はぎょっと目を見張る。その瞬間、私はキバナさんに抱きしめられていた。
「オレも好き。ユウリが、大好き。……もう離れたくない。離したくない」
「キバナさん……
 キバナさんは微かに震えていた。ぐすぐすと耳元で鼻をすする音が聴こえる。私は、彼の大きな背中にそっと手を回した。
「私はどこにも行きませんよ。キバナさんから離れません」
……あの時はオレをテレポートで引きはがしたじゃん」
 ……そういえば、そんなこともあった……ね。
「だって、あれは、キバナさんが!」
 弁明をしようとした私の唇が、不意にキバナさんの唇でふさがれた。甘いキバナさんの匂いがふわっと香り、目の前できらきらとしたサファイアが蕩ける。
 触れるだけの可愛らしいキス。だけどそれは、私の頭を混乱させるには十分な威力で。
「えええええ! ちょっ、キバナさん、どうし……え?」
 いったん離れて冷静になろうと思ったのに、キバナさんはより一層強く私を抱きしめた。キバナさんに包まれたままで冷静になんてなれるはずもなく、私の心臓はどくどくと早打ち、体温はぐんぐん上がっていく。
「どうしてって? こうやってくっついておかないと、オマエはまたオレをテレポートで吹っ飛ばすだろ?」
「飛ばしません、飛ばしません! だいたい、ケーシィはフーディンになっていたでしょ。テレポートはもう覚えていませんから!」
……それもそうか」
 キバナさんはそう呟いたけれど、その後も私を抱きしめて、頬をすり寄せて、顔を首に埋めて。ようやく解放された時には私はヘロヘロで、思わずその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫か?」
……だいじょばないです。どうしたんですか、突然」
 好きって言ったり、抱きしめたり、キスしたり。
 どれも私がずっと欲しくて欲しくて仕方のなかったものばかりだけど、一度にやってくると心臓が持たない。
 キバナさんはそんな私を抱え上げると、再び頬にキスをした。
「ごめんな。オレ達、色々あって拗れていたけど、ユウリがオレを好きなままでいてくれたことが嬉しくってさ。もう止まんない」
 そう言いながらキバナさんは私にキスの雨を降らせる。その唇がだんだん私に触れる時間が長くなってきて、耳を食みだしたところで私は慌ててキバナさんを止めた。
 このままでは、また中途半端な関係に戻ってしまう。その前に確認しておかなければ。
「キバナさん! ちょっ、ちょっと待ってください。す、少しお話をしてもいいですか……っ、ひゃぁ!」
 キバナさんは私の耳たぶをチュッと吸って、ようやく顔を離してくれた。
「ん? なんだ?」
「た、確かに私はキバナさんを好きですけど、キバナさんも私のことが好きなんですよね?」
 まずはお互いの意思の確認。これ、大事。
「もちろん。好きでもねー女にこんなことしねーよ」
「じゃぁ、私を恋人にしてくれるんですか?」
 いつかのあの日の答えはノーだった。でも、今のキバナさんなら違う答えを返してくれる。そんな予感がして、私は期待を込めてキバナさんを見つめた。
 その期待にたがわず、キバナさんは見惚れるような満面の笑みを浮かべた。
「もちろん。愛してるぜ、ユウリ。大好きだ。オレサマの恋人になってくれ」
 欲しくて、欲しくて、夢にまで見たその言葉。もちろん私には断る理由なんてなかった。
「はい。こちらこそ。よろしくお願いします!」


◇◆◇◆◇◆

 
 昼間の熱気が嘘のように静まり返るシュートスタジアム。その前の道を二人、手をつないで歩いていく。
 煌々と光る満月が、影が浮き出るほど明るく私たちを照りつける。それは、まるで私たちの再出発を祝福しているようだった。
「ところでキバナさん。ずっと私のことを好きでいてくれたなら、なんで今まで恋人にしてくれなかったんですか?」
「え? お前が、子供……十八歳未満だったからだよ。ダンデにきつく止められていただろ? 未成年との恋愛はご法度だってな。あー、ホント、長かったぜ」
 ……えっ? ええっ!
 キバナさんは、さも私も知っているかのような口調で話してくるけれども、そんなこと、私は初耳だった。
 確かに、私は先月、キバナさんと喧嘩した後、十八歳の誕生日を迎えた。
でも、まさかダンデさんが十八歳未満は恋愛禁止だと言っていたなんて。
 私が足を止めて間抜け面を晒したからだろう。キバナさんも私の驚きを察したみたいだ。
「え? まさか知らなかった……のか! だって、オマエ自分で言ってなかったっけ? 『子供だから恋人になれない』って。あれ、ダンデの指示のことを言っているんだと思ってたぜ。だからてっきり、オマエもオレサマの事情を知っていると……
「違いますよ。キバナさんが私を子ども扱いして、女性としては見てないっていう意味で言ったんです」
「んなわけねーだろ。恋人じゃなくても、恋人以上だって思っていたぜ」
「私は、子供だからこそ甘やかされてるって思ってました」
「うわーっ。マジで? 伝わってなかったのか……
「ちゃんと言ってくれなきゃわかりませんよ。キバナさんの考えなんて」
……お互いにな」
……そうですね」
 月明かりの中、キバナさんの青い目が照れくさそうに細められた。それが案外可愛らしくて、私はふふっと笑い返す。
 私たちは手を繋ぎなおして、夜の散歩を再開した。
 暫く歩いて、キバナさんがぽつりと口を開く。
「ユウリ、ありがとな」
……どうしました? 突然」
「ユウリ、喧嘩した後もオレのことを気にかけてくれていただろ? ナックルジムの仕事を手伝ってくれたり、応援メッセージをくれたり」
 確かに、そんなことをした記憶があった。喧嘩して距離を置いても、私はずっとキバナさんのことを見ていた。目をそらすなんて、できなかった。
「あれ、すっげぇ嬉しかったし、励まされた。あのおかげでオレは強くなろうと思えた。……もう一度、ユウリの隣に立ちたいって奮起できたんだ」
 ……そっか。離れていたけれど、私は、ちゃんとキバナさんの役に立てていたんだ。
……それに、バトルでオマエに食らいつくことが出来たら、きっとまたオマエとこうして話ができる。……そんな下心も生まれたしな」
「え? ええっ!」
 そんな風に思われていたなんて考えてもみなかった。私が驚くと、キバナさんは茶目っ気たっぷりに、「だってほら、バトルの後に、ユウリの方からオレサマに会いに来てくれたじゃねぇか」と笑った。
「た、確かに、そうでしたけどっ!」
 それはそれで、全てをキバナさんに見透かされているようで、面白くない。けれどもキバナさんは上機嫌で私の頭をぽんと叩いた。 
「ははっ。ユウリの事なんかお見通しだぜ」
 そう言えば、キバナさんはいつも私の希望や、やりたいこと、好きなものまで何でも知っていて、先回りするように全てを私に与えてくれていた。
 それだけキバナさんに愛されていることが誇らしく思うと同時に照れくさくもあって。私はにやつきそうになる顔を彼の腕に埋めて隠した。
「キバナさん。大好き、愛してる!」
「おう! オレも愛してるぜ」
 ……ああ、もう、幸せすぎて夢心地だ。
 すこし落ち着いてから見上げると、キバナさんの頬はほんのりピンク色だった。その端正な顔の向こうに、ライトアップされたバトルタワーが見えた。
 そこで私の頭に、ふとダンデさんの顔が思い浮かんだ。
……にしても、ダンデさんが、ちゃんと私に十八歳までは恋愛禁止だよって説明してくれていたら、こんなことにはなりませんでしたよね」
 もしかしたら、私たちは喧嘩することもなく二人で一緒に十八歳の誕生日を祝って、私はキバナさんからロマンチックな告白を受けていたかもしれない。
 そう気づいてしまったら、幸せな気分の中、ふつふつと静かな怒りが込み上げてきた。
「そうだなぁ。どう考えても、悪いのはダンデだよなぁ」
 私の怒りが伝染したのか、上機嫌だったキバナさんの瞳にも剣呑な光が宿る。
 私はスマホを取り出して何度かタップを繰り返す。確認するのは、ダンデバトルタワーオーナーの今夜の予定。
「キバナさん、ダンデオーナーは二十一時半からならバトルタワーにいるみたいですよ」
「ほう……。今から飯を食って向かうと、ちょうどいい時間だな」
 キバナさんの目が、楽しそうにぎらりと光った。その時の私も、大概に悪い笑みを浮かべていたと思う。
 今夜の獲物を見定めた私たちは、腕を絡めて歩きながら作戦を練る。
「私が先にダンデさんをぶちのめしてもいいですか?」
「おいおい、全力のユウリにのされたらダンデだってひとたまりもないだろう。先にオレサマにやらせてくれよ」
「えーーーっ。今日のチャンピオンカップは、私が勝ったのに」
「だからだよ。オレサマにも華を持たせてくれ」
……今日の夕ご飯をステーキにしてくれるなら、譲歩します」
「なら、決まりだな」
 私はキバナさんと顔を見合わせてくくっと笑い合う。
 二人の考えていることがぴったり一致して、とても愉快で爽快な気分だった。
どうして自分がキバナさんと合わないだなんて考えていたのだろう。何をうじうじしていたんだと、過去の自分を蹴り飛ばしてやりたくなってくる。
「明日のセレモニーは十一時からなので、深夜の二時くらいまではバトルできますね?」
「馬鹿言うな。オマエが起きてられねーだろ? 二十三時には帰るぞ」
「えーっ。限界まで行けますよ。だって、キバナさんに連れて帰ってもらえばいいんですから」
「オマエ、その言葉を他の男の前でいうんじゃねーぞ」
「言いませんよ。キバナさんだけへの言葉です」
 だって、私を連れ帰って欲しい人はキバナさんだけ。私は、キバナさんがいいのだから。
 私の言葉に、頬を赤く染めて口ごもるキバナさんが愛おしい。
 だけどその頬は高くて私には届かないから。
 私はキバナさんの手袋を外して、その大きな手の甲にそっと口づけるのであった。


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