カルみと中心に🎃総愛され
シナリオネタバレあり
0514の愛君悪より
@popo_trpg_ss
「げ、雨酷くなってる。」
窓の外に視線を向けた縞斑は、顔を顰めてぽつりと呟いた。
縞斑とアサギリは現在、ドロ課との合同捜査のために警視庁に来ている。彼の呟きを聞いて、同じ室内で資料を捲っていた神無とディーノも顔を上げた。
外は朝から更に天気が悪化して大雨になっていた。部屋の窓を雨粒が強く叩き、風も強いのか街路樹が大きく揺れている。
「ありゃ、ほんとだ。」
「本日は午後からの降水確率85%です。だらだら先輩とアサギリは、傘をお持ちでないのですか?」
「持ってきたには持ってきたんだけど…うーん……」
本日縞斑は、小雨だからとアジトからアサギリと二人で一本の傘に入ってここまでやって来ていた。さすがにこの雨を一本で乗り切るのは厳しいだろうと、彼は顔をしかめる。
そんな縞斑の隣で、アサギリは心底不思議そうに首を傾げた。
「私は濡れても問題ありません。十分に防水加工されていますので。」
「いやいや、だとしても俺だけ傘差すのは違うでしょ。」
元はと言えば、外出時にアサギリの天気予報を流してしまった縞斑の落ち度だ。とはいえ、アサギリは自分が傘を差して縞斑が濡れることなど決してゆるさないだろう。
神無の隣のディーノも、アサギリ同様理解ができない様子で首を傾げる。そんなディーノの頭を撫でた神無も、俺もディーノには濡れてほしくない、と言い聞かせていた。
縞斑は窓の外に視線を戻す。今朝のアサギリの言葉通りであれば、ここから更に雨足は酷くなるという話だった。彼はため息を吐くと、席を立って部屋の扉を開く。
「よし、今のうちにもう一本傘買っておこう。ちょっと出てくるよ。」
「いってらっしゃーい。」
「欲しいものある?甘いものとか。」
「んーん、大丈夫。ありがと。」
ひらりと手を振った神無は、縞斑とアサギリを見送って再び資料に視線を落とした。その目元には色濃い隈が見えて、縞斑は僅かに表情を歪める。
扉を閉めた縞斑は、何事もないように廊下を歩き出した。その一歩後ろを歩くアサギリも、特に言及する気配はない。
「アサギリちゃん、休憩明けるまであと何分くらい?」
「9分38秒です。」
「よしよし、買って帰るくらいの時間はあるね。」
そんな会話を交わしながら廊下を歩く縞斑の姿を、他の課の人間が遠巻きに眺めている。異物を見るようなその視線にすっかり慣れてしまった縞斑は、気にした様子もなくエレベーターを目指した。
その時、窓の外が大きく光り、凄まじい音が庁内に響き渡る。
「うわ、」
一瞬体を強張らせた縞斑は、尚も聞こえる空の唸り声に顔を上げた。
そちらに視線を向けたアサギリは、素早く周囲の地形データの照合を行い、ゆっくりと口を開く。
「…落ちました。」
「だよねー…あぁ…外でたくない……」
「私が買いに行きましょうか。」
「だからそういうのは違うでしょ……」
家事全般を丸投げにするくせに、買い物の代行はだめなのだろうか。基準が分からないアサギリは、しばらく考えるように首を傾げる。
廊下を歩き出した縞斑を見た彼は、ひとまずは分析ではなく主人の付き添いを優先しようと足を動かした。
一階へ降りるエレベーターに乗りながら、アサギリはそういえばといった様子で口を開く。
「その後、神無さんとはいかがですか?」
「いかがって……えっ、今ここで惚気ていいの?休憩時間終わるけど?」
「そういう意味ではありません。結構です。神無さんが不憫なのでやめてください。」
「そこまで言わなくても………」
アサギリからの話題提供としては意外過ぎるテーマに思わず前のめりになる縞斑だったが、意図を受け取り間違えたらしく、否定の言葉が次々に放たれる。
そんなアサギリに苦笑いを浮かべてその言葉の真意を促せば、彼は僅かに言葉に悩むような素振りを見せた。
「何と言いますか……今まで以上に、甘やかしてるように感じたので。」
縞斑と神無が付き合っているのは、二人の相棒であるアサギリとディーノだけが知っている事実だ。
外では縞斑も神無も、恋人らしい素振りを見せない。仕事に私情を挟むことも一切ない。おそらくドロ課の同僚たちもスパローの仲間も誰一人気が付いていないだろう。
しかし最近、二人の関係を知るアサギリの目には、外でも縞斑は関係を疑われない範囲内であれば、神無を甘やかすようになったと感じたのだ。
「なにか、きっかけがあったのかと思いまして。ただの疑問ですので、言いたくなければ結構です。」
「うーん……最近、神無ちゃんが疲れてるから…かなぁ。」
アサギリの言葉に心当たりのあった縞斑は、無意識の自分の行いに納得した様子で頷く。一階に辿り着いてロビーを目指しながら、縞斑は話を続けた。
「あの事件で見ての通り、神無ちゃんって限界来ても周りに何も言わないじゃない?」
「そうですね。」
「一回壊れかけた前科があるのに、それでも甘えられない…いや、弱みを見せるのが苦手、が正しいか。」
神無は甘え上手だが、自身の弱みを見せることがどこまでも下手だ。それはひとえに、彼が身を置いてきた環境がそうさせたのだろう。
黒田矢代という義父のコネクションだと思われないように欠点を見せず、完璧と天才を謳う自信家。それに今までは努力と才能で結果を伴ってきたのだから、ある程度の敵は反抗する前にねじ伏せられる。
神無の立ち振る舞いは、自身の心や家族の名誉を守るために根強く身に付いたものだった。
「恋人としては、もっと頼ってほしいんだけどねぇ。」
「それが出来ないから、せめて甘やかしている…と?」
「まぁ多分、分析するならそんなところかな。ディーノちゃんもいるし、余計なお世話かもしれないけど…」
恋人である縞斑が気付いた神無の疲労を、相棒として四六時中一緒にいるディーノが気付かないはずがない。
何かを吐き出す先が、自分でなくとも構わないからどこかにあってほしいと思う縞斑だが、彼は額に手を当てて唸る。
「ただ…神無ちゃんにとってディーノちゃんはきっと、俺以上にかっこつけたい相手でしょ。」
「……でしょうね。」
神無にとってディーノは、現在の相棒であり元幼馴染だ。人間の頃の記憶を取り戻したとはいえ、まだ感情や常識に不慣れな部分がある彼のことを、神無は弟のように可愛がる節がある。
そんな神無が、ディーノに対して自身の弱みを見せたり、あまつさえ甘えるなどとても考えられなかった。アサギリも同意見らしく、こくりと大きく頷く。
「まぁこればっかりは、神無ちゃんが自覚しないと治らないことだから。」
「…当分は、難しいでしょうね。」
相槌を打ちながらアサギリは、傘を差した縞斑の隣に並んだ。
そうして、彼らが土砂降りの外へ一歩踏み出そうとした次の瞬間。一際大きく空が稲妻の形に光ったかと思えば、耳を劈くような音が襲う。縞斑が驚いて身構えるより先に、彼の視界は暗くなった。
「うわ……停電?」
「近くに落ちたようですね。」
「あらら…ちょっと待ってね、今明かりつけるから。」
アンドロイドであるアサギリは、すぐさま暗視モードに切り替えて縞斑の安全を確認する。
一方、暗闇で視界が確保できない人間たちによって、庁内は俄かに騒がしくなった。縞斑もひとまず尻ポケットから電子端末を取り出すと、ライトを起動してあたりを照らす。
同じような小さな明かりに照らされるフロア内だが、電気が復旧する様子は一向に無い。おそらく先ほどの落雷で、電気設備の何かが壊れてしまったのだろう。
「一度外に出た方が、視界が確保できるかもしれません。」
「…………、」
停電した庁内よりも外の方がまだ明るいかもしれない、そう考えて提案するアサギリだったが、縞斑は建物の奥を見つめたまま動かなかった。
「…マスター?」
「……まずいんじゃないか、これ。」
アサギリの問いに答えず、縞斑はそう呟いて庁内を駆け出した。一瞬主人の行動が理解できずに硬直したアサギリだったが、一先ずその後を追いかける。
縞斑はエレベーターを素通りして非常階段へ続く扉を押し開けると、上に続く階段を駆け上がった。
「マスター、説明を。」
「神無ちゃんはアンドロイドが怖い!密室に閉じ込められるのは駄目だって言ってただろ!!」
同じように階段を上りながらアサギリが投げた声に、縞斑はようやく返事を返す。その言葉を聞いたアサギリは、縞斑が危惧していることを正しく理解した。
「今のディーノさん相手なら、多少は改善されているかもしれませんが、暗闇となれば話は別でしょうね。」
「あぁ、加えてあの子は今、精神的にも肉体的にも参ってる。普段なら耐えられても…!」
以前、赤星の罠によってディーノと共に留置所に閉じ込められた時、神無は取り乱して相棒への破壊衝動に取り憑かれてしまった。
その時削除してしまったディーノのデータは、奇跡的に取り戻すことが叶ったが、今でもあの場所で彼を殺したことを神無は深い傷として抱えている。
事件を経て、ディーノやアサギリに対しては苦手意識が多少薄れた様子だったが、実の母親と幼馴染を奪った血を纏うアンドロイドの腕は、彼にとって完全に拭い去ることはできない強烈なトラウマだった。
「急ぎましょう。」
「分かってる!!」
納得したアサギリは、頷くと縞斑の後に続く。先を走る縞斑は、間に合ってくれと願いながら、階段を二段飛ばしに駆け上がるのだった。
部屋の明かりが落ちたのは、神無とディーノが資料の確認を終えた頃のことだった。
「よし…じゃあ、だらだら先輩たち戻ってきたら突入経路詰めて…」
「……神無。」
話す神無の目の下には、化粧だけでは隠しきれない隈が滲んでいる。居ても立っても居られなくなったディーノは、そんな彼に口を挟んだ。
「顔色が悪いです。大丈夫ですか。」
「そうか…?大丈夫、平気だよ。」
首を傾げて笑う神無だが、その顔色は青を通り越して紙のように白かった。不安げな表情を浮かべるディーノに対して、神無は明るく笑ってみせる。
「大丈夫だって、心配すんな。」
「……ですが、」
それでも食い下がろうとディーノが口を開いた時、部屋が一瞬光り轟音が響いた。
反射でディーノが顔を上げれば、同時にそれまで部屋を照らしていた電灯が一斉に消える。
「……停電?」
近くに雷が落ちて、一時的に室内の電源が落ちてしまったのだろう。ぽつりと呟いたディーノは、ひとまず神無の安全を確認するために声を上げる。
「神無。」
「………、」
「…神無、無事ですか?」
返事がないことを不審に思ったディーノは、素早く暗視モードに切り替えて隣に視線を向けた。
そこには先ほどと同じように、神無が立っている。その姿に安堵したディーノは、彼へと手を伸ばした。
「神無、いるならいると返事を……」
「ッ…!?」
しかし、ディーノの手が神無の肩に触れた途端、彼はびくりと大きく肩を震わせると咄嗟にその手を振り払う。
「………神無?」
払われた手を下ろせないまま、ディーノは呆然と呟いた。そうして彼は、神無の体がひどく震えていることに気付く。
「神無、」
「……、は、っ…はっ……は、」
「神無…?神無?!大丈夫ですか!!」
静まり返った室内に、神無の不安定な呼吸が響いた。ただ事ではないその様子に、ディーノは慌ててそちらへと駆け寄る。
しかし、床にディーノの獣脚が触れる硬質な音と駆動音を聞き取った途端、神無は更に呼吸を荒げて数歩後ずさった。
「は……っ、は…は…ぅ、ぁ…」
「かみ、な……」
その瞳に映るのは、混乱と恐怖だ。あの事件の時に留置所で覗いた不安定な菫色が、そこでは不安げに揺れていた。
神無は今でもアンドロイドが苦手だが、あの一件でディーノやアサギリならば多少は良くなったと話していた。
しかし、今の暗闇では神無が目の前にいるアンドロイドをディーノだと確認する方法がない。自分の声など、模倣が可能なアンドロイドたちにおいては何の証拠にもならなかった。
「著しい血圧の上昇を確認……過呼吸…?」
咄嗟に神無の体調を分析したディーノは、彼が恐怖のあまり過呼吸を起こしていることに気がつく。以前のように破壊衝動にも至れないほど、暗闇の中に立つアンドロイドという存在に彼は恐れを抱いているのだ。
彼が母親を失い、ディーノが身代わりになったあの日も、雷の鳴り響く真夜中だったことを思い出す。
「神無、どうか落ち着いてください。」
一刻も早く、トラウマを呼び起こすこの状況を変えなければならない。ディーノは机の上に置かれていた神無の端末を掴むと、ライトモードに切り替えて高く掲げた。
部屋の中に小さな明かりが灯り、神無の涙でけぶる視界にぼんやりと見覚えのある青のボディが浮かぶ。
「は…っ、は…でぃ、の…?」
「うん。僕は、君の相棒のディーノだよ。」
努めて低い声で、ゆっくりと話しかけながらディーノは神無に歩み寄る。足音を殺して近寄れば、今度は拒絶はされなかった。
自らの肩を抱いて浅い呼吸を繰り返していた神無は、その場にずるりとへたり込む。端末を固定してディーノの姿を照らすようにすると、彼はそんな神無の背をゆっくりと撫でた。
「神無、もう大丈夫だよ。ちゃんとそばに居るから。」
「っ、ぁ…ごめ……は、ぁ、ご……」
「ううん。ゆっくり息を吐いて。吸わなくていい、吐くことだけを考えるんだよ。」
落ち着いた口調で語り掛けるディーノの声がようやく届いたのか、顔を上げた神無は小さく頷いて細く息を吐き出した。
この密室も神無を苦しめる原因のひとつだ。顔を上げたディーノは、閉ざされた扉へと視線を向ける。
すばやく分析を行った彼は、虹彩認証の電子扉を停電中に開けることは不可能だと弾き出した。
「……スチール製、厚さ35ミリ…」
呟いたディーノは、神無の背をさすっていた手を離すと扉を睨みつける。
「神無、待ってて。」
「っ、でぃー…の…?っは…どこ、に…」
「扉を壊す。」
扉に駆け寄ったディーノは、隙間に指を差し入れると渾身の力を込めた。扉が僅かに軋むが、同時に両腕がみしみしと音を立てる。
離れた場所からそれを見ていた神無は、整わない呼吸のまま小さく息を飲んだ。
「やめろ、でぃーの…っむりだ」
「無理じゃない。」
「ッむりだ!!おまえが、こわれ…るっ!」
「壊れてもいい。」
ショットガンで破壊している時間も惜しい、幸いアンドロイドのこの体は多少の無茶をしても替えが効くのだから。
力を込め続けるディーノだが、頑丈な扉は歪む気配がない。ぱきぱきと音を立てて割れ落ちていく爪を蹴飛ばして、両足を強く踏ん張るとディーノはもう一度強く力を込めた。
「…っ、やめろ…!は…っやめ…命令だ、とまれ…!!」
「…神無、」
「たのむ…から、っ…もうッ、やめ…」
主人の命令を受けたディーノの体から力が抜けていく。ディーノに命令を飛ばすことを好まない彼が、そこまでして止めようとする理由がディーノには分からなかった。
浅い息を繰り返す神無は、興奮したためか再び過呼吸を振り返そうとしている。そちらに駆け寄って背に触れたディーノは、白い神無の顔を覗き込んだ。
「…神無、何がそんなに怖いの?」
神無の瞳に映る怯えはディーノに向けたものだったが、それは彼がアンドロイドだからという理由だけではないように感じた。
剥がれ落ちたディーノの指先を握りしめて、何度も首を横に振る神無の頬を、涙が次々に伝い落ちていく。
「いやだ……はっ、でぃ…の…はー…ッ」
このままでは症状が悪化する一方だ。自分の発言や行動が更に神無を追い詰めていると感じたディーノは、背を撫でることに集中を移す。
「吸っちゃだめだ。ゆっくり吐いて。」
扉の突破を止められてしまったディーノは、外部に救援を求めようと通信機能を立ち上げた。そうしてアサギリにメッセージを飛ばそうとした時、扉の外からばたばたと足音が響く。
二つの足音はディーノたちのいる部屋の前で止まると、聞き覚えのある声を上げた。
「この部屋です、マスター。」
「ありがとうアサギリちゃん!…神無ちゃん!ディーノちゃん!聞こえる!?」
「だらだら先輩…?」
扉越しに聞こえるのは、つい先ほど部屋を出て行った縞斑とアサギリの声だ。
外に出ていたため、閉じ込められることなくここまでやって来れたのだろう。人としてもアンドロイドとしても先輩である彼らの存在に、ディーノは安心を覚えて声を張り上げた。
「聞こえます…!ここにいます!!神無も一緒です!!」
「ディーノちゃん、これから予備電源に接続するらしい!!もうすぐ開くから!!」
「わかりました!!」
ディーノは声を上げると、安心するように神無の背を何度も撫でる。
「神無、大丈夫です。もうすぐ明かりが付くし、扉も開きます。」
「ふ……っ、ふー…ごめ、……はぁっ…」
扉越しの二人のやり取りが聞こえた縞斑は、悪い予感が当たってしまったと苦い表情を浮かべて扉に手を当てた。
「ディーノちゃん、神無ちゃんの様子は?」
「過呼吸を起こしています。」
「…分かった。アサギリちゃん、レミちゃんに連絡しておいて。扉が開いたらすぐに運ぶ。」
「かしこまりました。」
通信を始めたアサギリを確認した縞斑は、扉越しに啜り泣く神無の声を聞いた。
「ごめ……んなさ、…ごめん、ごめんなさい…」
「…神無、神無、謝らないでください。お願いです。」
何度も謝ろうとする神無を安心させようと、ディーノは息を吐く仕草を繰り返してみせた。それに合わせて呼吸を繰り返した神無は、僅かに落ち着きを取り戻す。
息苦しさと罪悪感から涙が次々に滲み、神無の頬を濡らしていく。相棒のそんな姿を見ているとひどく胸が痛み、ディーノは何とか泣き止むことを祈って何度も涙を拭った。
「神無…僕がいます。だらだら先輩も、アサギリもいます。だから、泣かないで。」
時間にしてみれば僅か5分ほどの出来事だったのだろう。ディーノが神無の横で懇願するように呟いた時、ようやく小さな電子音が響いて部屋が僅かに明るくなった。
「ついた…!」
まだ非常灯の弱い光だが、それでも室内が見回せる程度まで明るくなる。扉の電気も復旧したらしく、廊下から電子音が鳴り間も無く扉が開かれた。
「三十一!!!」
「せん、ぱ…い…?」
扉を開けて部屋の中に飛び込んだ縞斑は、神無のそばに駆け寄る。
浅い呼吸を喘ぐ神無の涙に濡れた顔を見た彼は、切羽詰まった表情で神無を抱き上げた。
「アサギリちゃん、レミちゃんから連絡は?」
「先ほど受け取りました。ドロ課の救護室で処置するそうです。」
「分かった、ありがとう。」
庁内の医務室では、他の刑事の目に触れる可能性があることを加味したのだろう彼女の指示に、縞斑は頷いて神無を抱えたまま歩き出す。
咄嗟にアサギリはぐったりと目を閉じる神無を覆い隠すように自身のジャケットを脱いで掛けてやった。
不安げに横についていくディーノの案内で、彼らはレミの待つドロ課救護室へと急ぐのだった。
救護室に運ばれた神無は、レミの適切な処置によってようやく落ち着きを取り戻した。
そうしている間に、電気も無事復旧をしたらしく、明るくなった部屋のベッドの上で、神無は先ほどから膝を抱えて俯いている。
「…神無、大丈夫ですか?」
ディーノの言葉に、神無はこくりと小さく頷いた。まだ調子が悪いのだろうかとおろおろ視線を泳がせるディーノに、震える唇を神無はおそるおそる開いた。
「ごめん……また、迷惑かけて、」
「神無、」
ディーノは思わず声を上げるが、それでも神無の言葉は止まらない。僅かに顔を上げた彼は、縞斑とアサギリの姿を見つけると泣きそうな顔で言葉を続けた。
「先輩もアサギリも、ごめんな。打ち合わせ、途中だったのに…こんなことに、時間とらせちゃって…」
「そんな…」
堪らず声を上げたアサギリを、咄嗟に縞斑は手で制した。顔を上げたアサギリは、彼が神無に歩み寄る様子を見て口を噤む。
縞斑は神無の前に立つと、ぐっと唇を噛む彼の顔を見つめて深いため息を吐いた。
呆れられた。怒られる。そう身構えた神無は、びくりと両肩を震わせて目を閉じて俯く。
「こんなこと、ねぇ。」
「……ご、ごめ…」
「あのさ、神無ちゃん。」
腰を折った縞斑は、ベッドの上の神無を見上げた。怯えた様子の彼に、縞斑は幼い子供に言い聞かせるようにゆっくりと話し始める。
「ディーノちゃんがどうして、手を壊してでも扉を開けようとしたかは…分かるよね?」
言われた神無はちらりと心配そうに立つディーノへ視線を向けた。制服の裾を握りしめるその指先は、綺麗な黒の爪先が全て剥がれてしまっている。
苦しげに表情を歪めた神無は、縞斑に視線を戻すとこくりと頷いた。
「…ディーノは、俺の相棒だから。」
「うーん…その答えじゃ50点かな。」
「え…?」
顔を上げた神無の手を取った縞斑は、彼を責めないように穏やかな声音で話を続けた。
「確かにディーノちゃんは君の相棒だけれど、それだけの理由じゃない。」
「………、」
「アサギリちゃんが君のところまで走ったのも…元後輩だからだけじゃない。俺は君の恋人だけど…それは全ての答えじゃないよ。」
「…なら、なに?」
縞斑の言葉に、神無は小さく首を傾げる。
その瞳は、何かに怯えるように揺れていた。勘のいい彼はきっと、縞斑がその先に続けるつもりの言葉を理解しているのだ。
分かっていながら口にすることを避ける。そうであって欲しくないと、僅かな望みに縋る。そんな肩を落とした神無の手を取った縞斑は、真っ直ぐに言葉を伝えた。
「君に、その価値があるから。もっと有り体に言えば、君を愛してるからだ。」
ぱちぱちと、神無は目を瞬く。その言葉を聞いたアメジストの瞳が、みるみる悲哀に滲んでいく様を、縞斑は黙って見上げていた。
「……あいさ、ないで…」
首を横に振った彼の頬を、静かに涙が伝う。彼がその言葉を発するために、どれほどの勇気を振り絞ったか、縞斑には全てを推し図ることができなかった。
俯いた神無が瞬きをするたびに、溢れた温い雫が縞斑の手を濡らした。
「こわい、んだ……愛されたら…その分、愛したくなるから。」
向けられる愛を素直に受け止めて、それを同じだけ返そうとするのは、神無の真面目な考えであり、家族に愛されていた紛れもない証拠だ。
しかしその証拠こそが、今の神無を苦しめる楔となっているのだろう。
「俺を愛したばかりに…俺に愛されたばかりに、傷ついたひとたちを、嫌ってほど見てきたのに…」
身寄りのない神無を引き取って、実の父親のように愛を注いだ黒田の血溜まりに沈む姿が、神無を愛したが故に、命令に従うことができず自ら死を選んだ赤星の姿が、神無の中で浮かんでは消えていく。
この先の未来で、ディーノや縞斑やアサギリが、ドロ課やスパローの仲間たちが同じように傷ついてしまったら、神無はきっと耐え切れない。繰り返すのは嫌だ。呟いて何度も首を横に振る神無は、苦しげに息を吸う。
「俺は…愛されるべきじゃない……!」
絞り出すように、自分に言い聞かせるように、神無はその言葉を口にした。
神無が自身に掛けてしまった呪いは、強く強く彼の心を蝕んでいる。
小さな言葉ではきっと、神無には届かないだろう。神無の痛みの断片が、手のひらの温度に溶けて消えていく。
「……確かに、もしも君に無関心だったら…彼らは傷付かなかったのかもしれないね。」
縞斑の言葉に神無はびくりと肩を揺らす。繋いだ手のひらを解いて、痛みを分けることすら拒絶しようとした神無を、縞斑は指先を絡めて引き留めた。
呪いの全てを取り払うことは出来ずとも、真っ直ぐに気持ちを伝えることで変わることはある。口にしなければ、抱いている思いは相手に伝わらないのだ。
「でも…俺たちには、それでも君を愛した彼らの気持ちが、何となく分かる気がするよ。」
「……っ、なに」
「不器用で、無茶しいで、抱えなくていいものまで抱えて、愚かで、真っ直ぐで、どうしようもなく優しい君のことを……愛さずにはいられないんだ。」
ね、と同意を求めるように縞斑が顔を上げる。制服を握りしめて俯いていたディーノと、その肩を撫でて慰めていたアサギリがこくりと頷いた。
四人を見守るレミや青木の表情は穏やかで、そんな彼らを見回した神無は目を丸くする。溢れ落ちた涙を指先に乗せて、縞斑は語り掛けた。
「俺たちも、君を置いて先に消えてしまうことがあるかもしれない。君より先に死なない、そんな無責任な約束はできない。」
彼らが歩く道は、いつだって危険を伴う。明日死んでしまうかもしれない、それは神無だって同じだ。
小さく頷いた神無は、じっと縞斑の言葉を待っている。両手に抱える愛おしい気持ちが、少しでも多く彼に伝わるように、縞斑は言葉を紡いだ。
「けれど絶対に…君を愛したことを後悔はしないよ。これだけは断言できる。」
きっと、彼らもそうだったはずだ。確かめる方法は今はないけれど、彼らの注いだ愛が本物であったからこそ、神無は今こうして苦しんでいるのだから。
「…だからお願い。愛されることを恐れないでほしい。」
縞斑は神無の手を引いて、その体を抱きしめる。呆けた表情でされるがまま腕の中に収まった神無は、ぽつりと口を開いた。
「………あったかい」
「まだこれだけじゃ足りない。もっともっと、君は火傷するくらいこの熱に包まれていいんだよ。」
腕の中で神無が小さく息を呑む。行き場なく彷徨っていた両腕が、おずおずと縞斑の背中に回された。
喉が小さく震える。石を飲み込んでいるような、重く熱い感覚が喉から全身に伝わり、神無は縞斑を抱き締め返した。
胸に顔を埋めて小さく鼻を啜れば、そんな神無の背を撫でて縞斑は微笑む。
きっと今、少しだけ彼に縞斑の声が届いた。
「…愛されるべきじゃないなんて、そんな悲しいこと言わないでよ。」
それまで黙って俯いていたディーノが、ぱっと駆け出すと縞斑に抱きしめられていた神無の背中に抱きついた。歩み寄ったアサギリは、そんなディーノと神無の頭をそっと撫でる。
「ディーノ…アサギリ…」
「ぼくも、同じです。同じ気持ちなんです。」
「…私たちの愛する人を、傷つけないであげてください。」
ぎゅうぎゅうと苦しいほどに抱きしめる彼らの腕の中で、滲む涙を拭った神無は、こくりと小さく頷いた。
今はそれで十分だ。愛される自分と愛する自分を、少しだけでも許せるようになれたなら、それは大きな進歩なのだから。
いつか、彼が再び笑顔で誰かを愛せるように。向けられる愛情に心から笑うことができるように。
もしもその一歩が自分であったなら、それは願ってもないことだと、縞斑はそう思うのだ。
終