カルみと 煙草の話
シナリオネタバレあり
@popo_trpg_ss
神無三十一が目を覚ますと、広いベッドには誰もいなかった。
「ふぁ……んー…い、ててて…」
起き上がってひとつ、大きな伸びをする。
途端鈍く痛んだ腰に、彼は顔を顰めて身を丸めた。思わず漏れた声は酷く掠れており、昨晩激しい情事を思い出してしまった神無は頬の火照りを覚える。
「…だらだら先輩?」
さて、恋人はどこに行ったのだろうか。神無は彼の名を呼んで改めて部屋を見回した。
今日は神無の非番に合わせて、縞斑も時間を作ると言っていた。緊急の呼び出しを受けて出掛けたのだろうか、それともシャワーを浴びに向かったのだろうか。
考えながら神無は耳をすませてみるが、水の流れる音は聞こえてこない。どうやら後者ではないようだ。
それなら前者だが、枕元の端末を手に取った神無は着信がないことを確かめると、こちらもありえないと首を横に振った。彼が神無に何も言わずに家を出るとは思えない。
それなら一体どこに。
神無が首を傾げていると、不意にベランダで人が動く気配がした。そちらに顔を向けた神無は、あぁなるほど、と一人納得する。
神無の恋人…縞斑狩魔は、ベランダで煙草を吸っていた。
部屋着に袖を通した彼は、ぼんやりとベランダの向こうを見つめており、目を覚ました神無に気付く気配はない。
彼は時折、こうして煙草を吸う。
神無が知る他のスモーカーに比べての判断だが、恐らく依存症という程ではないのだろう。激務だった刑事の頃の名残で、今でも時々吸いたくなるのだ、そう話していたことを思い出した。
寝室のサイドテーブルにも縞斑の煙草とライターが置かれているのに彼がわざわざベランダに出て吸っているのは、おそらく神無への気遣いなのだろう。
「よいしょ、」
何気なく神無は、テーブルの上の煙草に手を伸ばす。
黒い小さな箱に収まる半分ほど減った中身。そっと鼻を寄せると、縞斑が時折纏う嗅ぎ慣れた匂いがした。
神無も職場の同僚に、煙草を吸わないかと勧められたことがある。しかし根が真面目な彼は、なんとなくその誘いを断っていた。
神無にとって、煙草とは大人の象徴だ。指先に白筒を摘んで、ふわりと紫煙を吐く縞斑を姿を目にした時、その色気に悔しながら今の神無では敵わないと思ってしまった。
「んー…こう、か?」
箱から一本抜き取り咥えると、神無はライターを手探りで探す。見よう見まねの拙い手つきで火をつけて、神無はその煙を吸い込んだ。
「…ッ、げほっ!げほッ…!!」
肺を満たした苦味と独特の香りに、神無は思わず咳き込む。これを美味しいと思えない自分の舌は、まだ子供なのだろうか。少し悔しい。
咽せているうちに滲んだ涙を彼は片手で拭う。後から口に広がったのは、嗅ぎ覚えのある匂いだった。
「けほ…ッん、はぁ……よし、」
一通り噎せた神無は、もう一度と意気込むと煙草を咥えて吸い込んだ。今度は上手に煙を吐き出すことに成功する。
ふわふわと口から漏れる中毒の煙。
これを癖にするには少々単価が高すぎやしないか、ふと先日目にした値上がりのニュースを思い出して、神無は苦笑した。
「…ふー……っ、けほ…」
吸い込んだ匂いは、大好きな彼の纏う匂い。
口に広がるのは、大好きな彼と唇を重ねた時と同じ味。そうぼんやり考えながら、神無はじっと煙草を見つめる。
燃え尽きた灰を灰皿に落とし、もう一度咥え直そうとしたその時、神無の手首が不意に掴まれた。
「…何してるの?」
見上げれば、眉を顰めて少しだけ不機嫌な表情で神無を見下ろす縞斑の姿がある。
いつの間に部屋に戻ってきたのだろうか。考え事をしていた神無は、どうやら彼が戻ってきたことに全く気がつかなかったらしい。
神無が何か言うより先に、縞斑は彼の手の中の煙草を取り上げる。
まだ吸いかけなのに、という不満げな神無の言葉を無視すると、縞斑は残りを咥え吸い込んだ。
「だらだら先輩の真似してただけだよ。」
「喉痛めるでしょ。」
「それを言うならあんただって。」
「俺はもうおじさんだからいいの。」
暴論で無理やり説き伏せられた神無は、納得がいかずシーツをぱたぱたと叩く。縞斑はそんな彼を気にせず、神無から顔を背けて煙を吐き出した。
縞斑は、煙草を吸わない神無に常に気を遣っている。今日のように神無が眠っているときは、必ず彼は外に出て吸っていた。
これまで縞斑が神無の目の前で煙草を吸った回数は、両手で数えられる程度しか無い。
不貞腐れる振りをしていた神無は、縞斑を見上げると口を開く。
「だらだら先輩の味がして面白かったよ。」
「俺の味?」
縞斑のキスは少しだけ苦い味がする。煙草を吸う人特有なのだと、以前彼本人から聞いたことをふと思い出した。
そう神無が楽しげに話すと、目の前の男は空返事をしながら神無の吸いかけの煙草を吸い終えて灰皿に押し付ける。
手慣れたその仕草を黙って見ていると、縞斑がベッドに片膝をついて乗り上げた。頬に触れる手のひらの感触に思わず目を閉じる。同時に、唇に柔らかいものが触れた。
受け入れるように唇を僅かに開いて彼の髪をくいと引けば、そんな健気なおねだりを受けた縞斑が小さく笑って舌を差し入れる。
「ん、…っん」
いつもより苦い、縞斑の味がした。
鼻から抜けるか細い声が漏れて、太陽の日差しが降り注ぐ明るい部屋に転がる。急に気恥ずかしさが込み上げた神無だが、引こうとした彼の後頭部に手を添えて、縞斑は更に口付けを深くした。
「ん、ぅ…ふ…ぁ…ッ」
「……っは…」
入念に神無の中を暴いた彼は、名残惜しげにゆっくりと唇を離す。
吐いた息が熱い。神無は襲う脱力感に抗うことなく、再びベッドに身を沈めた。
「俺の味なら、こっちで充分でしょ。」
悪戯っぽく笑う縞斑のことを格好良いと思ってしまう神無は、おそらくこの男にすっかり骨抜きにされているのだ。
素直に頷くのは悔しい神無は、何も言わずにそっぽを向く。楽しげに笑う縞斑は、それがただの照れ隠しだと見抜いている様子で、煙草とライターをテーブルの上に戻した。
「先輩は煙草やめないの?」
「んー…いまのところは考えてないかな。」
最近は煙草の値上がりや副流煙についての話をよく耳にするが、縞斑は今のペースで引き続き喫煙を続けるつもりであった。
もともとそれ程出費が響くほど吸っていないことを知っている神無は、納得した様子で相槌を打つ。
「…あぁでも、」
すると不意に縞斑は、何か思いついたように声を上げて神無を見下ろした。
ベッドに仰向けに転がっていた神無が小さく首を傾げれば、縞斑は満面の笑みを浮かべて見せる。
「神無ちゃんが止めてって言ったら止めようかな。」
「ほんとに?」
それはただの好奇心だ。縞斑の自由を縛るつもりはないが、そこまで言うのなら一度禁煙を始めさせてみたい気持ちもある。
しかし縞斑は、神無のそんな思惑すら察しているような含み笑いで言葉を続けた。
「けどそうなると、君が覚えるくらいには気に入ってくれてるらしい“俺の味”とやらはなくなるかもね?」
「う、」
その言葉に口籠った神無は、顔の温度が上がったような気がした。彼の味という言葉が殺し文句であったことに、今更ながら気付いたのである。
何を答えても笑われる気がして、神無は無言で枕に顔を埋めた。そんな神無を見て、縞斑は悪戯が成功したように声を上げて笑う。
縞斑に惚れた過去の自分に、理由を小一時間ほど問いただしたい。そんな現実逃避の思考の中で、神無は枕の中に唸り声を吐いた。
「う"ー…んむ、」
「寒いから掛けておきな。」
ぶんむくれていた神無の腹に毛布が投げられる。枕から顔をずらして見上げれば、ベッドを立った縞斑はそう言い残してキッチンへと歩いて行った。
もう少し優しく渡せないのかと意地を張りたい気持ちは山々の神無だったが、毛布はありがたく拝借することにした。未だに何も着ていない体には、まだ初冬の朝の気温は厳しい。
キッチンから戻ってきた縞斑は、むくれた顔のまませっせと毛布に包まる神無に、笑いながら水のペットボトルを差し出した。
調子がどこまでも狂わされている気がしてならない神無は、促されるままにそれを受け取る。丁寧に一度開けて緩く締められているキャップは、寝起きの神無の力でも簡単に開けることができた。
「……ありがと」
「うん、どういたしまして。」
この水もきっと、神無のために縞斑があらかじめ買い置いていたのだろう。些細なことだが確かな愛情を感じた神無は、蓋を開けながらもごもごと呟く。
二人きりの寝室で、彼の言葉はしっかり縞斑の耳に届いたらしく、含み笑いの返事が返ってきた。
「それで、俺に煙草止めてほしいの?」
「ぶ…っ!!その話蒸し返すか?!」
思わず噴き出してしまった神無の唇の端から、漏れた水がぼたぼたとベッドに滴る。
昨晩のうちに新しいものに取り替えたシーツだったが、後でベッドマットも洗濯決定だなと縞斑は笑った。
一緒に持って来たらしいタオルで口を拭かれながら、神無はどうやってこの話題から逃れるかの算段を必死に練る。成功した試しは一度も無い。
「いや…どうなのかなー?って思って。」
「もういいだろこの話!やめようって!!」
結局、天才的頭脳を持ってしても口の達者な縞斑を上手くはぐらかす方法は思いつかず、神無は直球で話を跳ね除ける作戦に出た。
当然縞斑がそんな神無を逃すはずもなく、ベッドから腰を浮かせた彼は横になる神無の頭の横に手をついて見下ろす。
「ちょ、せんぱ…い?!」
さらりと彼の背から長い黒髪が落ちて、神無を閉じ込める檻が完成する。
昨夜の行為がフラッシュバックした神無は、彼を見上げて戸惑いの声を上げた。そんな神無の頬を指で撫でると、縞斑は意地の悪い顔で口を開く。
「…答えなかったら、このまま襲う。」
「は!?ちょ、今何時だと思って…!!」
現在時刻は朝の6時過ぎだ。今から行為に及べば、今日は一日中ベッドの上で痛む腰を抱えて唸ることになる。神無はひくりと頰を痙攣らせた。
神無が必死で縞斑を説得する言葉を探す間に、彼の間延びしたカウントダウンが始まった。
「はい。ごー、よん、さん、」
「ちょ、まってまってまって答える!!答えるからそのカウントダウンやめ」
「にー、いち」
「ああぁあぁ待ってお願い!!っていうかあんた絶対一回じゃ収まらないだろこの絶倫!!!」
律儀に突っ込んでいる場合ではないと分かっていても、指摘せずにはいられず神無は声を上げる。神無の抵抗も虚しく、ぜろ、と宣告した途端、縞斑は再びその唇を塞いだ。
訪れたのは、少しだけ薄れた苦味。
せめてもの抵抗で唇を真一文字に結んでみた神無だったが、毛布の中に入り込んできた縞斑の手によってそれもあっさり破られる。
「ん、……っ、う…」
必死に声を抑える神無だが、それが長く持たないということは彼自身が一番良く知っている。
抵抗することを諦めてこのままいっその事縞斑に委ねてしまおうか、神無が自ら舌を絡ませた瞬間、ぱっと唇が離された。
「冗談だよ。さすがにこんな朝から襲ったりしないって。」
よっこいしょ、という親父臭い掛け声と共に縞斑は離れていく。呆然とそれを見ていた神無は、着替えるために部屋から出て行こうとする彼の腕を慌てて捕まえて引き止めた。
振り返った彼の浮かべる満面の笑み。その笑みを見た神無は、ここまでが全て縞斑の計画通りだということを理解した。
「…なぁに?」
「ぐ、ぬ……」
縞斑から手を出すつもりは無いらしい。あくまで神無からの誘い待ちなのだ、ここまで手を出しておいて。
それならこっちにだって考えがある、そう神無は挑発に乗って縞斑の腕を強く引いた。
素直に腰を折った縞斑に、神無は更に不意打ちで彼のシャツを両手で引っ張る。そこでようやく、冷静を装った縞斑の顔が崩された。
「お、」
今度は神無から唇を奪う。
驚いて反応がないのをいいことに、唇を甘噛みしてから解放すると、まだ目を丸くしたままの縞斑と視線が絡んだ。
「えっと…朝から大胆だね神無ちゃん?」
「どの口が言うんだよ。………ちゃんと責任取れ。」
計画通りと言わんばかりの縞斑の笑みに腹は立つが、意固地になっても神無が損をするだけだった。
そういえば煙草の継続についての質問からは逃れることができたなと、神無はふと考えた。自分の腰が代償に捧げられることは割に合わないが、蒸し返したところで今更だ。
目を覚ましたら、せいぜいベッドの上から縞斑をこき使ってやろう。自分は煙草の匂いに酔っただけだ、絶対に悪くない。
そう自分に言い聞かせて、神無は強請るようにそっと目を閉じるのだった。
終