@bottysuna
土を踏む音がして顔を上げた。彼の視線の先にいたのは、見慣れない肌と髪と瞳の色をした、ヒトの雄のかたちをしたモノだった。
髪は藁のような明るい茶色、肌は白く、瞳は、金星が輝き始める頃の空の色だ。顔立ちや身体つきも、彼らが造った人間のそれとは違う。神の手にならぬものが、神の領域に入り込んだ。彼は静かに立ち上がった。
明らかに警戒を向けた神の前で、それは、ぽんやりと小首を傾げる仕草をした。子供のような、と言うよりは、思考が上手く回っていないのだろうと思わせる振る舞いだった。
「テスカトリポカ……?」
「何者だ、貴様」
知らない音の連なりだった。それなのに、彼はそれを己を示す記号だと間違いなく感じた。だからこそ余計に彼は警戒を強めた。いくらかたちは似ていても中身が違う。これは彼と同じ星の外、否、宇宙の外から来たものだ。それが何故、「 」にある音で彼を呼ぶのか。何故、ここにいるのか。不審は募るばかりで、彼はこの楽園の主として、この出来たばかりの園を守る義務があった。
はち、はち、と数度瞬きをする時間をかけて、それは「……、ああ」と、ようやく頭が回転し出した、とでも言うふうに頷いた。
「そう固くならないでくれ」
と、それは微笑った。それが、あまりに彼の思う美しい笑みのかたちそのものであったので、彼は驚いた。
「オレは確かにおまえの民ではないが、おまえが戦士と認めるだけの戦いはしたよ。そうでなければ、この焚火の前までは来られない」
「……」
事実だった。彼は視線は外さないまま、焚火に当たることを許した。戦士であれば構わない。クズでも化物でも。それが彼と言う神だ。
それは彼の前に座った。堂々と、火の温かさをいちばん感じられる位置に。神の前だぞ、もうちょっと遠慮はないのか。
「不敬だぞ」
「いいだろ、最期だ」
さいご、と言う男の言葉に、彼は男を見た。擦り切れて、もうこの楽園でも修復出来ないであろう魂を。この魂に次はない。その熱量がもうないのだ。
「何をやった?人類史の終わりまで戦い抜いてもそうはならん」
「はは。まあ、創造主を相手に億年ほど戦争をな」
呆れと、それにもまして讃嘆がこもった問いに、それははにかむように笑った。億。とんでもない桁の時間が出てきたが、彼は否定しなかった。確かにこの魂は、それだけの時間、それほどの戦をくぐり抜けてきたのだろうと思ったからだ。そう神に思わせるだけの真が、その声にはあったからだ。
じっと己を見つめ返す彼の眼差しを、それは静かに受けた。しばらく、沈黙が過ぎる。ぱち、と火がはぜた。紫のひとみが穏やかに、微睡むように緩んで――それから、ぽつりと。
「……彼らの仇くらいは取れた、かな」
吹けば崩れる枯れ木のような声だった。けれど、そこに宿った誇りは疑いようもない、翡翠より、黒曜石より、黄金よりもまばゆい、戦士のものだった。
「……そうか」
彼は手を伸ばし、きょとんとしたままの男の肩を抱き寄せた。骨が太く、肉の厚い、だがもうそこに何もない身体。何も無くなるまで戦い抜いた身体。神にはそれが解る。それがあったと、確かめてやることが出来る。彼は戦士の神、戦いで死ぬ全ての戦士たちを祝う神、生きるために足掻いた全ての命の苦しみを認める神なのだから。
「よく戦った。もう休め」
「―――ああ」
深い、ふかい、あまりに深い吐息が、男の唇から漏れた。
「よかった――おれのルーラー――」
裁定者、とそれが言った言葉を、神が理解するのは、この数万年後だ。
だがその声に宿る安堵の響きだけは、彼は確かに受け止めた。受け取った。それは信仰だった。そしてそれ以上に、そう、きっと――友情だった。それを、神は忘れなかった。
――おまえはきっと、そう言ってくれると、信じてたんだ
そうして、その魂は滅んだ。宇宙のどこにもなくなったその魂を、宇宙そのものである神は忘れなかった。何故なら、その魂がこの宇宙にあったことだけは、絶対に確かなことだったからだ。
まさか、と思った。
濃い金髪、日に焼けた肌、けぶる睫毛の下から覗く瞳の色は、夜明けの紫。――いつか、見たことのある。
『――されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者』
穏やかな声は低すぎず、わずかに甘く柔らかく響き、聞き易かった。ほとんど掠れてひび割れていたあの声とは違う。
けれど、それでも判った。判らないはずがなかった。テスカトリポカはシステムだ。自らの楽園に迎え入れた魂を――この腕の中で終わらせた魂 のことを忘れるなど、そんなミスは起こり得ない。
飛びはねるように起動する。「グランドバーサーカー・テスカトリポカ」の座が躍動する。ま隣の弟から「何してるんデス!?」と怒鳴り声が来たが知ったことか。魔力を回す。世界を動かす。神霊にして今なお生きる神、座の主たる英霊、テスカトリポカの分霊を造る。クラスはバーサーカー、混沌とそれから生まれ出る全ての可能性を祝福する神に相応しいクラスだ。解ってるじゃねえか、と口元に笑みが浮かぶ。
ただ、いくらサーヴァントとは言え神霊を使役するのは難しいだろう。見たところ魔力回路もしょぼい。しょうがねえ人の器も造って――と、異聞帯に権能を向けた、その瞬間。
「がッ!」
魔力炉たる心臓をわし掴みにされた。
「アっ――アラヤァ!」
吼え猛る。しかし拘束は緩むことはない。これほどの無礼を、たかだが人類集合意識ごときから受けるとは思わなかった。死の権能を振るいうちのめす。
テスカトリポカは人類が発展するための全ての悪の表象であり、しかしその悪を乗り越えた先に見える希望でもある。人理にとって正面切って事を構えるにテスカトリポカほど注意が必要な神も他にない。だから、たいていはテスカトリポカが不快であることを見せれば抑止も譲歩した。しかし今回は引く気を見せない。何故、と考え、理由はすぐに思い至った。――あれが人類ではないからだ。
「ユーラシアのヤツらの尻拭いを散々させておいてこの態度か! まったく人類は忘恩がお得意だな!」
彼ら自身の選択をテスカトリポカは決して否定も批判もしないが、それでも四騎も冠位が減った後の仕事の増加はテスカトリポカだとて面白くはなかった。だが彼はそれに文句を言ったことはない。仕事だからだ。
これも同じだ。テスカトリポカは喚ばれた。テスカトリポカが応えるに足る、素晴らしい戦士が、名指しで、おまえしかいないと手を差し伸べて彼を喚んだ。ならばテスカトリポカはそれに応えなければならない。それがテスカトリポカと言う神だからだ。
しかし人理は拒否した。
――いけない
――あれはわれらをしんりゃくする
「ンなもんいまさらだろうが! そんなに外宇宙が恐いならな、まず先に小娘ども の座を掃除してから言いやがれ!」
この惑星に命と言う資源が増えてから、どれだけ侵略の危機があったと思っているのだ。その全てに打ち勝ってこそ霊長だ。勝てないなら、勝つ気がないなら、さっさと絶滅でもなんでもすればいい。そうして後に生まれる命に道を譲れ。生きるための戦いを懼れるようになったその瞬間に、命と言うのは終わるのだ。テスカトリポカはそう考えている。
「あのヴォイドは戦おうとしている。生きようとしている。自らの定めた命の意味を証明するために足掻いている! あれは戦士だ、オレが援けねばならない意思 だ。これを見過ごせばオレはオレでなくなる――人理!」
テスカトリポカの言には正道があった。道理があった。テスカトリポカがテスカトリポカであるために必要な正しさがあった。この星がテスカトリポカに望んだ正しさがあった。それを人理も解ったはずだ。判ったうえで、そして。
「―――ッッッ!」
抑止は、テスカトリポカの座を停止させた。
(こ、の、クソッ……!)
召喚が終わる。座と異聞帯との路が絶える。伸ばした右手の先に何も現れなかったことを確認して、男は一度だけ瞑目した。次に瞳を開けたとき、男はもう全てを受け入れ、そして決めていた。
(させる――かよ!)
おまえは戦士だ。おまえは人間だ。オレがそう認める。オレはそれを認める神だ。そのようにあることを誓った神だ。だからオレは絶対におまえを見逃さない。見落とさない。見放さない。
(だか、らっ……)
薄れゆく意識の中で、権能を振るう。我が右足、我が鏡。事象を入れ替え、運命のさいころをもう一度振らせる未来にして過去なる赤。振るえ、震え、揮え。召喚の先を替える 。
(こたえろ、楽園よ……!)
今なお生きる死そのもの。テテオカンの北の主。焚火の前であの男を抱きしめた俺。おまえに託す。
(クラス、は……)
ああそうだ、あの男は言ったじゃないか。
――オレのルーラー、と。
最初から決まっていたのだ。運命のように。