カルみと前提モブ→みと
モブ目線 捏造相棒アンドロイドあり
シナリオネタバレあり
@popo_trpg_ss
公安局刑事課アンドロイド事件捜査係、通称ドロ課。
設立当時は窓際部署だなんだと囁かれていた部署だったが、半年前に起こった事件によってその偏見は塗り替えられた。
今や公安局の花形部署にもなろうとしているこの部署に、俺が配属されてから三ヶ月と少しが経つ。
係長は優しくて丁寧な人で、バディとなったパートナーロボットとの相性もいい。公安局の中でもかなり平和な部署だと思う。
加えて部署の先輩として紹介された青年は、絶世の美男だったのだから。
神無三十一の噂は、他の部署で働いていた頃から聞いたことがある。類稀なる才能と頭脳をもって、最年少で刑事となりドロ課に抜擢された男だ。
その裏では親のコネだと囁かれていたし、実際例の事件によって養父が黒田矢代だと判明した時は俺も、彼のことを正直馬鹿にしていた。
そんな彼を見下した凡人の僻みも甚だしい状態で、先輩として敬うなんて冗談じゃないと内心唾を吐いていたのだ、が。
『はじめまして、神無三十一です。』
『ドロ課では先輩だけど、刑事歴は全然後輩だからさ、お互い落ち着かないだろうし苗字呼び捨てでいいよ…です、よ?』
慣れていない敬語を使った彼が、恥ずかしそうに頬を掻いて笑いながら手を差し伸べた。
そうだ。絶世の美男が、笑った。
御尊顔大勝利。100年に一度の美男。世が世なら国一つ滅ぶ美貌。そんな数少ない語彙力が駆け巡るほどの衝撃。
端的に言えば「うわ顔良」である。
この歳にもなって一目惚れなんて恥ずかしいが、それ以外に言い表す言葉が無いのだから仕方がない。とはいえ、パートナーの初仕事が『主人のえげつない手汗を拭くためにハンカチを差し出す』になってしまったことは、本当に申し訳ないと思っている。
そんな一悶着も二悶着もあった初対面だったが、気を取り直して彼に淡い片想いを抱き一喜一憂する浮かれポンチの甘酸っぱい日々が続くはず、だったのだ。
今朝、神無三十一に彼氏がいるという事実が発覚した。
「男がいるのは予想の斜め上ぇ!!!」
声を上げてジョッキで机を叩けば、呆れた表情を浮かべて向かいの席に座るパートナーのVOIDであるモモがコースターを弾いて寄越す。
店の迷惑になる騒音はやめろ、という無言の圧に従って、俺は渋々ジョッキをコースターの上に置いた。
「マスターの失恋の慰めは僕の業務に含まれていません。」
「そんなこと言わずに慰めてくれよモモぉ…」
急遽外泊申請を出して業務後に連れ出された相棒は、泣きつく無様な主人のつむじを手持ち無沙汰に押しながらため息を溢す。そこは確か下痢になるツボではなかったか。
「恋に“落ちる”とは言い表しますが、ああも見事に人は垂直落下するものなんですね。」
モモが呟いて振り返っているのは、おそらく三ヶ月前の神無と知り合った時のことだろう。
隣で見守っていたモモ曰く、爆発的な体温と脈拍の上昇を確認したらしい。あと少し規定を上回っていたら、強制的に医務室に運んでいたと後から教えられた。
「だって仕方ないだろ……神無はもう、なん…なんか……顔が良くて…顔が良いんだよ…」
「はぁ。」
曖昧な返事をしたモモは、運ばれてきた焼き鳥をもぐもぐと咀嚼している。
神無のパートナーのディーノに勧められて、モモにも食事機能を導入したのは正解だった。
一緒に食事をすることでモモとの距離が縮まったし、彼の考えることが分かるようになった気がする。こいつ今多分、俺の話ほとんど聞いてない。泣きそう。
「女がいるのは、あるかなって思ってたんだよ。その時は潔く諦めるつもりだったさ。」
古今東西万国共通、顔の良い男には女がいると相場が決まっている。いっそ神無に彼女でもいてくれたら、この片想いにも終止符を打てるのにと思う日もあった。
「でも男ってなったら別だろ……」
「…何故神無さんの恋人が男なら諦めないのです?」
「だって!!俺も男じゃん!!!まだ勝率ゼロじゃないじゃん!!!」
「生物学的規模の共通点じゃないですか。」
そんな大枠の条件では検索の絞り込みも出来ないですよ、とアンドロイドらしい感想を述べるモモに、ぐうの音も出ずに押し黙る。
相棒となって半年だが、こういう一面を目にしない限り彼がアンドロイドであることを忘れてしまいそうになる。それほど最近のアンドロイドは人に良く似ていて、そこに違和感を感じない。
それをあの事件の当時は怖いと思ったけれど、隣で彼と過ごすうちにその考えも変わっていった。きっと彼らも、人と同じ感情を持った種族なのだ。
「それにしても、マスターは同性愛者だったのですね。」
「違うよ、普通に女の子が好きだよ。」
「……うん?」
俺の言葉に、モモは怪訝な表情で首を傾げる。神無のことを女だと思っているのか、とでも言いたげな哀れみの目だ。ここまでパートナーに馬鹿だと思われている主人はなかなかいないかもしれない。
俺は彼の疑問に応える前に酒を傾けると、通りかかった店員に追加を頼んでから口を開いた。
「神無は男だってことは分かってるけど……いやまぁぶっちゃけ、神無は下手な女の子より可愛いし、めちゃくちゃ可愛い匂いしてるんだよな。」
「可愛い匂い。」
「あいつが通った後、めっっっちゃ甘い匂いすんの。野郎しかいないドロ課で香ったら駄目だろって匂いなの。」
初めてその事実に気がついたのは、配属二日目に神無が書類の説明のために隣に立った時だ。
ふわりと香った林檎や桃のような、バニラのような、メープルのような、とにかく甘く柔らかい匂い。
俺は思わず戦慄してしまった。おおよそ二十二歳の男性から香る匂いではない。男所帯のドロ課の中で、そんな甘い匂いを纏っていいのだろうか。
香水だとしたら確信犯だと考えながら指摘したところ、危機感が皆無らしい神無はふわふわと不思議そうに「今朝パンケーキ食べたからかも」なんて笑いやがった。
パンケーキ食っただけでここまで人を惑わす甘い匂いが纏えるなら、今頃世の女性たちの誘惑で国の一つや二つ傾いていてもおかしくないんだよな。無自覚って怖い。
「そんなにきもちわ…ネジの飛んだ思考なのに、よく勝率とかほざきましたね。」
「彼女いない歴二桁突入間近の俺にだって、相手を選ぶ権利くらいあるだろ!!俺は神無がいいんだよ!!!」
「その理屈で言うと神無さんにも相手を選ぶ権利があるんですよ。」
ロボット法もなんのそので俺を罵倒しようとしたモモは、俺への気遣いだけでその発言を撤回して言い直した。
出会った日に、間違ったことがあったら罵倒してでも殴ってでも止めてくれと伝えて以来、モモの俺に対する暴力は言語肉体問わず許可されているのだ。
油断したらいつ拳が飛んでくるか分からない。そんな状況で言葉の応酬を繰り広げていれば、やがて埒が開かないといった様子でモモが深いため息を吐いた。
「そもそも…ソースはどこなんですか?」
「そっか、モモの起きる前だったな……青木係長だよ。」
モモはその名前を聞くと、あぁ、と頷いてから再び首を傾げる。
「真面目でしっかり者の、あの係長が?」
「あー…モモから見たらそうなるのかぁ。あの人、前はもっとふわふわおどおどしてる人だったんだよ。」
係長の青木玲斗は、前も真面目ではあったけれど、今のように人の上に立って指示を飛ばす余裕のある人間ではなかった。
今も人と話をすることは苦手らしいが、それでも人を嫌ってはいないことが分かるから好感を持って接することができる。
「あの人、半年前の事件の功労者の一人だからな。」
「…だとしたら、もっと出世しているのではないですか?」
青木係長はあの事件以来階級も上がっておらず、役職だって黒田元係長の後を継いだだけといえばその通りだ。
モモの抱く疑問は最もだが、事件当時を知る俺としては、彼の立場は立派な昇級であるし、そもそも刑事を辞めさせられていないだけでマシだろうと思える。
俺は届けられた新しい酒を傾けると、遠くへ視線を向けながら口を開いた。
「あの人事件の日に、制御室の監視カメラ類を乗っ取って、留置所に捕まってた神無とディーノを助け出したんだってさ。」
「………え?」
モモが絶句する。アンドロイドの思考を停止させるほどのギャップ溢れる違反行為に、俺は思わず嘘じゃないというようにこくりと頷いた。
「一人で…ですか?」
「あー…データ見る限り青木係長と、そのパートナーのレミだけだったかな。」
二人だけでどうやって神無とディーノのことを連れ出したのかは謎だが、実際に彼らは警視庁から逃れることができたらしい。
事件当時は配属が違ったため、配属前に色々と調べたが、そこには神無とディーノが歩んだ壮絶な戦いの跡が残されていた。
「事件解決に貢献したとはいえ、あの人のやったことは盛大な違反行為ってことで…功績と相殺して係長に就任したらしい。」
「なるほど…本来なら懲戒免職ですから、妥当と言えば妥当ですね。」
「で、そんな感じで時にファンキーなことをする青木係長が、今朝盛大に口を滑らせた。」
発端を遡ること十時間前、業務開始前のドロ課には和やかな空気が流れていたのだ。
室内には、情報整理を終えたアンドロイドたち…言うところの『起床した』アンドロイドたちも顔を出し始めており、そろそろ俺のところにもモモが起きてくるだろうと考えていた時だった。
「え……青木、ほんとにいいの?」
「はい!是非使ってください!」
驚いた様子の神無の声と、それに力強く返事をする青木係長の声が聞こえて、俺はそちらへと視線を向けた。
そこには二枚分のチケットを手に、嬉しそうに笑っている神無の姿がある。遠目に確認したのは、郊外にある小さな温泉宿の招待チケットだった。
「親戚が営んでいる宿で、招待券を貰ったんですけれど…僕はあまり遠出は得意ではないので……」
「あんまり外に出ないと、レミが心配するぞー?」
「あはは…昨日の夜にディーノにもそれ言われました……」
恥ずかしそうに頭を掻く青木係長の姿に、最近配属したばかりの刑事たちが微笑ましげな表情を浮かべている。
そんな青木係長と話をしていた神無はおかしそうに、にゃはは、と笑い声を上げた。は?何?可愛い。
そんな始業前の穏やかな会話を見守りながら、会話に混ざる理由もないし、珈琲でも淹れようかと俺がカップを手に席を立ったときだった。
「まだ出来たばかりで人も少ないですし、よければ彼と一緒にどうでしょうか。」
ッパーン!と手の中のカップが床に落ちて砕け散る。中身入れる前でよかった。でも結構このカップ気に入ってたのに。いや、そうじゃない、そこじゃない、今あの人なんて言った?
耳を疑って背後の二人を確かめれば、案の定周囲の人間も口を噤んで彼らのことを見つめていた。
俺のカップが叩き割れる音が紛れるくらい、部屋には書類が舞い、機材が倒れ、粉々のカップがいくつも落ちている。
「あ、ええと…これは、その、違くてですね……」
そんな俺たちの反応に、ようやく失言だと気付いたらしい青木係長が焦ったように視線を泳がせた。それがますます情報の裏付けとなっていることに、きっと彼は気付いていない。
部署内の人間全ての視線が神無に集まった。そんな俺たちの視線に気付いているのか、彼は俯いたまま黙っている。
そうして俺は気付いてしまったのだ。神無の俯いた耳が赤く染まっていることに。伺ったその頬は林檎のように真っ赤で、それはまさに。
「恋する乙女……!!!」
「…神無さんは男性では……?」
「いやあれはメスだね…絶対ネコだ間違いないね……俺の刑事の勘がそう言ってる」
「……神無さんは人間ですよね?」
心底理解できないという表情で首を傾げるモモに、下世話な知識を吹き込むのは気が引けた。
適当に説明を濁せば、彼は話題を逸らされたことに対して不服げな表情を浮かべていたが、やがて気を取り直した様子で口を開く。
「そういえば…特に交通安全課などの女性が多い部署は阿鼻叫喚でしたね。」
神無に男がいるという話は、瞬く間に警視庁内に広まった。
神無のことを僻む人間は多いが、それと同数かそれ以上に神無に憧れを抱く人間も多いのだ。
あんな美貌の青年を女性方が放っておくはずがなく、神無の隠れファンクラブが存在することを俺も知っている。ドロ課に書類を届けに行くお使いをかけて、壮絶なじゃんけん大会が繰り広げられたことも小耳に挟んだことがあった。
中でも特に女性の割合が多い交通安全課は、朝からその噂を耳にした女性警察たちによって大騒ぎだったらしい。
「とはいえ、半分くらいは悲しんでたけど、もう半分くらいは歓喜してたよなぁ。」
深くは追求しないが、美男への劣情の形は人それぞれだ。そこに自分が介入することを望まない女性も中には居る。
後者の狂喜乱舞していた彼女たちはつまり、そういうことなのだろう。趣味嗜好はそれぞれだ。
「喜んでいた女性方が口を揃えて唱えていたのですが…『てーてー』とはなんですか?」
「多分それ『てぇてぇ』だな。尊いってことだよ。」
「神無さんが男性とお付き合いしていることは、尊いことだと……?」
こてんと首を傾げたまま運ばれてきたつくねを頬張るモモに、腐ったお姉さんたちの知識を植え付けるべきか悩む。
最近は偏見もだいぶ薄れてきたが、未だ同性愛には禁断の印象を抱く人間も少なくない。それに伴って、その禁断の恋に惹かれる女性や男性も一定数存在するのだ。
「まぁ…追々な。話すと長くなるから。」
「もし仮に万が一…いえ、億が一にマスターが神無さんとお付き合いしたとしても、僕はマスターのことを尊いと思える気がしません。」
「お?なんだ喧嘩か?」
大人気なくジョッキを握る手のひらに力を込めてガン飛ばせば、悪びれなくモモは適当に謝ると俺に焼き鳥盛りの皿を寄越した。
大人しくその中からたれ串を選んで齧りついていると、それにしても、と前置きをしてモモは口を開く。
「神無さんに直接会うまでは、彼が先輩など絶対に嫌だと散々に廊下で愚痴をこぼしてらしたのに。」
「まぁ…最初は嫌なやつだと思ってたんだよ、俺も。」
先述の通り、事件をきっかけに神無の養父が黒田元係長であることが判明した。やはり彼は親のコネでここに来たのだと嫌悪すら覚えたし、そんな彼が養父の殺人未遂で捕まった時はざまぁみろとまで思ってしまった。
けれど、結局それは全て誤解だったのだ。元捜査第一課の赤星透也というアンドロイドが仕組んだ罠に嵌って、神無は養父殺害の疑いを掛けられた。彼の無実を信じていたから、青木係長は彼のことを逃したのだろう。
「…兄のように慕っていた人間が実はアンドロイドで、その上でそいつが殺そうとした父親の罪まで自分に擦りつけるってさ、世界が終わるような絶望だろ。」
「………確かに、神無さんにとっては特に、そうかもしれませんね。」
そう呟いて頷いたモモに、俺は小さく首を傾げる。神無にとっては特に、という言葉について説明を求めるように見つめれば、意図を理解したらしい彼は言葉を選ぶようにぽつぽつと呟いた。
「あくまで推測ですが、神無さんはおそらく…僕らが苦手なんだと思います。」
「モモたちがって…アンドロイドが?」
「えぇ。マスターたちにはもちろん、僕らにもそう気付かせないように努力をしているようですが。」
モモの推測は初めて聞いた話だった。ドロ課というアンドロイドと濃密に関わる部署において、そんな致命的な苦手が存在するだろうか。
けれど同時に、少しだけ納得してしまった。彼はきっと、苦手なものや怖いものがあっても、決して俺たちには打ち明けないだろう。
「最も、それは神無さん自身のためではなく…僕らがそれに対して気を遣ったり傷ついたりしないためだと思います。」
神無の自称天才は、一種の自己暗示みたいなものだ。自分の評価によって周りの評価が落ちることを極端に恐れているからこそ、彼はきっと弱みを見せようとしない。
「神無さんは、優しい方ですよね。」
「わかる。それな。」
「語彙をなんとかしてもらえませんか?」
文句を呟くモモに構わず、酒を傾けた俺は事件について調べた時のことを振り返る。
兄との決別、彼の出生、今も昏睡状態の養父。齢二十二の青年が背負うには、あまりに重すぎる事実だっただろう。
それでも彼は立ち止まらなかった。前を向いて、世界のために戦ったのだ。それは並大抵の人間にできることではない。
「刑事とはいえ、命懸けで世界救えるなんてかっこよすぎだろ。」
あんな苦しいことから、一体どうやって立ち直って前を向いたのか、俺には分からなかった。ただ漠然と、その小さくも大きな背中に魅入られて、美しいアメジストの瞳に捉われたいと願ってしまったのだ。
思わず苦笑いをこぼせば、向かいのモモは意外そうに目を瞬いた。酒を飲み干した俺は、机に突っ伏すと今朝の神無の顔を思い出す。
「はぁ…いいなぁ……恋人と温泉宿とかさぁ……個室に露天風呂付きとかもうさぁ…………しっぽりずっぽしすんじゃん…」
「……すみません。お会計と、この人にお冷をお願いします。頭から掛けて構いませんので。」
それはそれとして、羨ましくてたまらない。神無三十一の恋人になりたかった。いや、結婚していないのならまだ勝ち目はあるだろうか。
けぶる視界のまま諦めきれずにえぐえぐと鼻を啜っていると、頭上から呆れ声でマスターにあるまじき扱いを店員に頼むモモの声がしたのだった。
※
モモの介抱によって、どうにか真っ直ぐに歩いて店を出た俺は、彼と共に帰路を辿っている。
外泊申請を行なっているため、今夜はモモは自宅で眠る予定だ。明日は間違いなく二日酔いなので、引き続き介抱してもらおうと決意する。
そんな俺の思考を読んでいるらしいモモは、げんなりとした顔で俺のことを支えて歩いていた。そうしてふと顔を上げた彼が、何かに気づいた様子で口を開く。
「…あれは、神無さんではないですか?」
「は!?えっ、どこ!?!」
その言葉に酔いが覚めた。慌てて身を乗り出す俺がそう尋ねれば、モモが道の先を指差した。
その指先を辿ると、そこには制服を脱いで黒シャツ姿で道を歩く神無の姿がある。
業務外で神無に会えるなんてラッキーだ、そう咄嗟に声を掛けようと踏み出した俺だったが、そんな彼の隣を歩く人間の姿に気がついてぴたりと足を止めた。
「……あれ男じゃね。」
「男性ですね。」
神無の隣を、髪の長い男が歩いている。
手を繋いだり、腕を組んでいるわけではない。けれどその男を見上げて花が咲いたように笑う神無の表情は、今まで見たことのないものだった。
「…モモ、解析。」
「もうしています。けれど、該当がありません。」
「該当がないって……?」
「データがないのです。名前も、年齢も…警察のデータベースに詳細が全くありません。」
警察のデータベースは、一般人から警察関係者、果てには海外の犯罪者まで細かく設定されているものだ。アンドロイドたちがそこにアクセスを行えば、大抵の人間の素性は明らかになる。
そんなデータベースの中に存在しない男。彼は一体何者なのか、なぜ神無はそんな得体の知れない人間と歩いているのか。
「誰だあいつ…?」
「口元が『先輩』と動いていますね。」
「先輩……ドロ課の奴じゃなさそうだし、学生時代の知り合いとか…?」
膨れ上がる疑問のままに、俺たちは彼らの後をつけて歩き出す。
数メートル先を歩く彼らに聞かれないようにひそひそと話しながら歩いていれば、不意に男が神無の腕を掴んだ。
「な、っ!?」
ぐいと強く惹かれた神無は、驚いたように目を見開いたまま近くの路地裏へと引き込まれる。
「まずいんじゃないのかあれ!!」
「誘拐でしょうか。」
「わからん!とにかく追うぞ!!」
神無が悪い男に捕まっているのだとしたら、すぐにでも助け出さなければ。そんな正義感を固めて慌てて目的の路地裏へと向かうと、その手前で小さく息を吐く音が聞こえた。
「っ、は……なに、すんだよ、」
続く絶え絶えのその声は、間違いなく神無のものだ。
けれどそれは、苦しげというよりは艶に濡れた声をしていた。思わず足を止めてその声に耳を澄ませる。
「んー…キスしたくなったから?」
聞こえた返事は想像以上に高い声だ。けれど間違いなくそれは男のもので、欲を移した声色をしている。
内容ももちろんだが、その一言だけであの男が神無の恋人なのだと察するには十分すぎる、欲と愛を含む声だった。
「ここ!外だから!家まで発情すんなよ、ばか先輩っ!!」
「仕方ないでしょ、可愛い恋人から温泉旅行のお誘いされたら我慢できなくなっても。」
「だからって、ん…っ、ん」
密やかな会話の後に聞こえた神無の声は、蜂蜜のように甘くて、聞いたことのない色をしている。
これ以上は聞いたらまずいんじゃないのか。そう思う傍ら、怖いもの見たさに負けた俺は思わず、路地裏をちらりと覗き込んだ。そんな俺の姿を見て、俺の上からモモもそちらを確認する。
そこには、こちらに背を向ける神無の姿があった。そんな彼と唇を重ねていた男は、一回り小さな彼の体を抱き寄せて腕の中に閉じ込める。
神無の肩越しに、男の翡翠の瞳がこちらを見た。ばれた、思わず後ずさろうとした俺の姿を観察したその男は、にっこりと笑みを浮かべる。
黒手袋をはめた長くしなやかな指が、ゆっくりと持ち上がり男の唇に当てられた。神無には負けるが、整った顔のその男は確かに俺へと笑いかける。
いや違うな。
目が、微塵も笑っていない。
硬直した俺の手を、咄嗟にモモが引いた。歩き出そうとするモモに向かってぱちりとウインクをして見せた男は、何事もなかったかのように神無に甘い声で囁く。
これ以上聞いてはいけない。なぜかそう漠然と思った俺は、聞こえないふりをしてすぐにモモと共にその場を離れた。
「……マスター」
「なんだ…?」
路地を離れてから、モモはぽつりと呟く。俺の手を掴む彼の指先は、かすかに震えていた。わかる。俺もめちゃくちゃ怖い。
「長いものには巻かれろという言葉をご存知ですか。」
「…うん。」
「マスターは残念な方ですが、僕はまだマスターがマスターのままでいてほしいです。」
「……うん。」
「なので、諦めて帰りましょう。ね。」
「……………うん。」
ずび、と無様に鼻を啜れば、モモが何も言わずにハンカチを差し出してくれた。どこまでも優しい俺の相棒に、より一層涙が止まらなくなる。
「ももぉ……帰って飲み直していい…?」
「二日酔いになったら置いていきますが、どうぞ。」
「あぁ…そこらへんは普通に冷たい……」
かつての偉人はこう言いました。
流れに逆らっちゃいかん。
しかし、流れに流されてもいかん。
今回だけはノーカンで流されてもいいですかね。
俺としても、まだちょっと命は惜しいです。
終