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家路の人

全体公開 アルカヴェ 3 4907文字
2023-06-03 16:54:22

アルカヴェ+旅モン

Posted by @dounudon

※アルカヴェ+旅人とパイモン



 どこにいても目立ってしまうひとというのは現実問題存在する、と、蛍は知っている。
 それは単純に見た目か、佇まいか、オーラのような見えそうで見えないなにかのせいか、あるいはそれらが複雑に組み合った結果か――それに関してはなんとも言えないが、とにかくなにをしていても目立つひとというものは確実にこの世に存在していて、そういうひとはどれだけ周りと同じことをしていてもなぜか目を引くようになっている。そういう仕組みなのだ。鍾離のような本来目立って目立って仕方ない存在が凡俗に埋もれ流れるように市井をうろうろしていることのほうが例外で、あれはまさに年の功というほかなかった。ふつうの人間があの域に達するには果てしない年月が必要だろうし、そもそもふつうの人間ははじめからそれほどの年月を肉体に持ち得ない。つまり、不可能。
 だから、パイモンと蛍がほぼ同時にそのひとの後ろ姿を認識したのは必然といえた。
「なあ旅人、あれって」
 ただし口に出すのはパイモンのほうがいくぶん早かった。蛍は頷き、そのひとの名前をつづけた。
「アルハイゼンだ」
 スメールローズ色の天蓋に無数の星を抱いたスメールシティの夜はしずかで深い。昼間の穏やかなにぎやかさが完全に失われて、どこか都市自体がまどろんでいるかのような雰囲気になる。それでも都会は都会、まだ通りを歩く人もいるにはいて、アルハイゼンとすれ違った彼らは一様にその異様さへ目を向けていた。夜更けに出歩く少女とちいさな一人という蛍たちよりもうんと人目を引いている。
「うわあ、オイラ、手が見えるぞ。それに……足も!」
 パイモンのためらいがちな表現は蛍にも理解できた。見えている「手」と「足」がアルハイゼン本人のものではないからだ。アルハイゼンではない、ほかの誰かの手足がアルハイゼンの背中に絡みついている……おそらくは、彼の真正面から。
 ただでさえ目立つひとがそんな有様になっていたら、それはもう目立って仕方ないはずだった。
「回り込もう」
 蛍はそう言ってわずかに反応の遅れたパイモンを置いて歩みを早めたが、それでも彼(または彼ら)に追いつくのは大変だった。まずは一歩一歩に対しての圧倒的なリーチの差、次によりによって坂道に突入してしまったこと、すべてが追いかける者への逆風となった。誰よりも大きな逆風に襲われているはずのアルハイゼンは人ひとり腕に抱えているとは思えない安定感でスメール特有のうねった坂道を上っていく。体幹の見事な男だ。蛍の知っているどんな学者ともちがう。
「こんばんは」
 しまいには小走りにならなければならなかった蛍は、その勢いのまま彼らの行方を遮るように前方へ立ちはだかった。三秒遅れて到着したパイモンも自然に横へ並ぶ。
「ああ、君たちか。こんばんは」
 アルハイゼンは特に驚いた様子は見せなかった。たぶんとっくに自分たちのことなど気づいていたのだろう。
「こちらに戻っていたんだな」
「昨日は稲妻、一昨日は璃月、明日はスメール。明後日はどうだろう、モンドかもしれないし新しいどこかを目指すかもしれないね」
「ふむ。ある種の人たちには理想の生き方だ」
「私にはただの現実なんだけど」
「なにをのんきに話してるんだよ! そうじゃないだろ。アルハイゼン、おまえなにしてるんだ?」
 パイモンの目線は明らかにアルハイゼンの正面にまとわりつく人間の背中を見ていた。坂道のきつい傾斜のおかげで普段より視線の高い蛍からもその背中はよく見えた。彼のしっかりとした首と肩の付け根にしなだれた金色の頭も。
「見てわからないか?」
 わからないから声をかけたのだとパイモンと一緒になってまなざしで訴える。聡い彼には訴えが届いたようだった。
「廃品回収だ」
「廃品回収ぅ?」
 声高になったパイモンの返答のすぐあと、アルハイゼンの腕のなかの人物がうなされた猫のような声を上げたので蛍は慌ててしーっと人差し指をくちびるに当てた。だが当のアルハイゼンは平然と「廃品」を抱え直し――「廃品」の身じろぎをちょっとばかり鬱陶しそうにしながら――「構わない。君たちがこれに気を遣う必要はないよ」と言ってのける。それが「廃品」を廃棄品らしく粗雑に扱おうとした結果なのか、一時は仲間だったこちらへの気遣いとして出たものなのか、蛍には判断がつかない。
「そいつ、壊れちゃったのか?」
「正常に動いているように見えるか?」
「うぅ、質問に質問で返すのは卑怯だぞ。……見えないけど」
 アルハイゼンの腕のなかでぐだぐだになった金色の「廃品」はその状態でさえどこか輝かしく感じられる。夜風に乗って届くふんだんなアルコールの匂いさえなければ蛍もパイモンも純粋に心配しただろう。
「そのひとがまだ壊れてなかったときに、酔ったから迎えに来てくれってお願いされたの?」
「まさか」
 アルハイゼンは、そんなことは生まれてからいままで一度も考えたことがなかったと言いたげな、いっそ純粋にさえ見えるきょとんとした顔を見せた。
「同居人がまた醜態を晒していると通報があったんだ。本人が恥をかくだけなら放っておけばいいが、通報者が俺の知人で曲がりなりにも多少の恩のある相手だったから無碍にできなかった」
「理性にかき立てられたんだね」
「そう、通報者への義理立てのようなものだ。雨風凌げる屋根を提供しているというだけで俺とこれを結び付けて考えられるのは非常に不本意だが、野良猫のように今晩の寝床を探すこれがご近所一帯のドアをノックして回るような騒ぎを起こしたら目も当てられないだろう。何度も言うが、当人が恥をかくだけなら構わないんだ。ただ残念なことに、俺が彼にねぐらを提供している事実はなぜか広く知られている」
「それを考えたら、今夜のそいつはドアをノックする元気もなさそうでよかったな!」
 ドアをノックする元気もなさそうな彼はアルハイゼンにしがみついて動かない。おそらく眠っているのだろう、時折大きく呼吸をした際に線の細い肩が上下した。
――当人が恥をかくだけの状況でもっとも問題なのは、常軌を逸した精神性の持ち主の当人がそれを恥とも思わないことだ」
「うん?」
「それと、十五ドアに一ドアくらいの割合でいかれた酔っぱらいを家に迎え入れるスメールの森のように広大で寛大な心の主がいること」
「ええっ?」
「こわ!」
 アルハイゼンはもっともらしくうなずいた。
「そう、これは背筋の凍るような怪談話だ。こんな夜更けにはふさわしいだろう?」
「幽霊も怪奇現象も登場しない怪談でこんな気分になれるとは思わなかったぜ……
 パイモンがこれみよがしに二の腕をこする。態度にこそ出さなかったものの、蛍も同じ気持ちだった。
「そうなってくると、本当にドアをノックする元気もなくてよかったみたい」
「そのせいで俺は現状大変迷惑を被っているが、このツケはあとで払ってもらうとして……そういう考え方もできなくはない。まあ、所詮なり損ないの廃品だから叩けば多少の機能回復も見込める」
「そこは酔い醒ましに水を飲ませるくらいにしといてやれよ」
「叩けば直るは特定の分野においては人類の叡智だよ」
 暗に介抱の意思がないことを示したアルハイゼンが歩みを再開する。今度は横に並ぶかたちで蛍もついていった。夜に融けた酒の香りに頭がやられてしまったのかもしれない。なんとなく、このめずらしい友人との邂逅をもうすこし長引かせたかった。
 アルハイゼンは拒まなかった。運動不足の人間なら空手で上っただけで息を切らす角度の坂をすいすい進んでいく。抱えた人ひとりの重みなどまるきりなんでもないような足取りは、身軽な一般人の並足より速いくらいだった。事実、彼に並ぶために蛍は意識して足を速める必要があった。
「アルハイゼン。そのひと、背負わないの?」
「たしかにそうだな。前に抱えるより背負ったほうが動きやすいんじゃないか? そうしたら前は自由になるだろ」
「いまから背負い直すのはむしろ面倒だろう。彼がこの状態で体勢を変えることに協力的かは疑わしい」
「それはそうだけど……
 でも、まるで――蛍は考える。アルハイゼンのそのひとの抱え方は、まるで子どもを抱っこしているみたいなのだ。それで浮いている。腰ではなく尻で支えるやり方は、あのタルタリヤがかわいいかわいい弟あたりにいかにも実践していそうなもので、つまるところある程度の年齢差とそこから導かれる体格の差があってこその成果で、自分自身と同じくらいの背丈の相手にするにはすこしばかり難易度が高い気がした。まったく平気そうなアルハイゼンを見ていると考えすぎなのかもしれなかったが、彼らが必要以上に目立っていた理由はそこにもあるにちがいなかった。いい大人がいい大人を向かい合って抱えていたらいやでも目立つ。それがアルハイゼンとその連れならなおさら。
 アルハイゼンの広い背中に回ってなお余った手足の長さには目を瞠るものがあった。
「君は、誰かを背負っていてふいに首から肩にかけてなまあたたかさを感じたことがあるか?」
「え?」
「直後に饐えたにおいが鼻孔をつく感覚も」
「うん?」
「俺は二度とこいつを背負わないと決めている。それにこちらのほうが都合がいいんだ。すくなくとも、この向きで抱えている限りは危険な兆しを感じたら俺の意志で放り出すことができるからな」
「それってつまり、」
「酔っぱらいはところ構わず吐く」
 ほら。アルハイゼンがいつでも手放せることを証明してみせるかのように酔いつぶれた同居人の上半身を引き剥がすと、癇癪を起こした幼児じみてのけぞった(のけぞらされた)酔っぱらいの口からはくぐもった不満の声が上がった。乗り物酔いしたかわいそうな仔犬を思わせる曖昧な悲鳴にうろたえたのは蛍とパイモンのほうだった。まだ危うい兆しがないことを確認したアルハイゼンは彼お得意のすました顔で哀れな「廃品」をふたたび引き寄せる。仔犬の嘆きは落ち着いた寝息になめらかに戻っていった。
 抱える側にも抱えられる側にも遠慮や気取りといったぎこちない距離感が一切見受けられない。彼らのなかではこれは幾度となく繰り返されたことなのだ。
 そして彼らはこのまま家に帰っていく。彼らの共有する屋根の下に。
「さあ」
 ある分かれ道でアルハイゼンが足を止めた。
「もう遅い。君たちも明日、あるいは今日のために眠るといい。学者のなかには睡眠不足を貫禄と勘違いしている人もいるが、君たちのような生き方をする人はじゅうぶんな休息を欠かしてはならない」
……うん。そうだね。おやすみなさい、アルハイゼン」
「ちゃんと水飲ませてやれよ!」
 そのとき、アルハイゼンの肩に頭を預けていたそのひとがなにか言った。風のささやきよりははっきりしていて、寝言よりは危なっかしい。なにを言ったのかは掴みかねた。
 パイモンが首をかしげる。
「そいつもおやすみって言ったのかな?」
「酔いどれ語は学んでいないからわからないな。水より酒を持ってこいと言ったのかもしれない。なにせ脳が酒に漬かっているから。なんにせよ、正体を失った人間の言葉など耳を傾けるだけ無駄だ。おやすみ」
「おう、おやすみ!」
 それきりアルハイゼンは振り返らなかった。彼はきっと道の先に待つ家をみている。ここから近いのか遠いのかも蛍にはわからないけれど、彼にはそれが見えている。眠るそのひとも含め、彼らだけが拾い上げられる花色の夜の星くずの目印を辿って、たしかにそこにある家へ帰り着くことができる。
 この世界に家を持たない旅人としての蛍は、あまり生活リズムを気にしていない。いつ起きてもいつ寝てもそこが家でない限り変わりはないからだ。その生活を、生き方を、苦しいきついと受け取ったことはない。
「旅人ぉ! なにぼーっとしてるんだよ、早く今夜の宿へ行こうぜ!」
 でも、今夜はどうしてか無性にうらやましかった。


(20221123)


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