@dounudon
※いつかワンライ参加してみたいな🎶と思って試しに一時間で書けるか試してみたけど全然だめだったやつ(参加はできませんでしたがお題の『おかえり』と『日常』をお借りしました)
アルハイゼンはあきれるほど耳がいい。
だいたい、言語の習得が得意な人間は耳がよいものと相場が決まっている。読み書きだけではなく聴く話すを前提として新たな言語を学ぶ場合、もっとも効率がよいのはその言語を母語とするネイティブと日常的に接して耳に入れつづけることだからだ。さらに言うなら、その相手が恋人だとなお理想的――ということになるのだが、アルハイゼンの恋愛についてカーヴェはまったくと言っていいほど知らないので、彼がお得意の言語習得にそういうテクニックを使ったかどうかはわからない。わからないけれども、彼の耳がいいのはまちがいなかった。彼はカーヴェがひどく苦労した教令院の教養科目としての典礼言語において、現代テイワットの人々が日々使用している言葉にはない古代語特有の音をいともたやすく発音したのだったし、璃月の一部に根強く残る古式ゆかしい声調言語の聴き分けと使い分けも群を抜いていた。
言語学は広義の音声学も包括しているのだから、知論派に属して狂気的に貪欲に知識を探究しつづけている彼がそんなふうなのも無理はないことだった。
だが、人間関係のさみしい彼の貴重な友人としてカーヴェがその美質をいつでも受け入れ称賛できるかとなると話はべつだ。
その日、カーヴェはとてもくさくさしていた。
アルカサルザライパレスの一件があってから、しばらく個人宅の設計とは距離を置きたいとうだうだしていたところに、建築家仲間から注文住宅で悩んでいるとある一家の話が持ち込まれたのだ。
シティのはずれに家を新築したいというその一家の主は、娘の要望をききとってほしいとカーヴェに注文した。神経質そうな眼鏡の男性とその妻とは最近結婚したばかりで、娘は六つで、妻の連れ子で、まだあまり新しい父親に心をひらいていない。新しいおうちはどんなのがいいかと彼が訊いても、素直に答えてくれないのだという。
カーヴェは果たしてそれが自分にふさわしい依頼なのかわからずすこし悩んだが、一家の新宅の設計を引き受けたという妙論派の同窓生に「きみって昔から子どもに好かれるタイプじゃないか。特に異性のさ。きみしかいないよ。適任だよ」と畳みかけるように言われたことでしぶしぶ承知した。とはいえ、もしかしたらそのあとに付け加えられた「報酬ははずむよ」のひと言のほうが大きいかもしれない。
新しい家族の新しいはじまりのために新しい家を建てることを考えている男性は、産まれて六年経ってからひょこんと自身の娘になった女の子のために「特別な部屋を仕立てたい」と考えている。そのために、女の子の素直で率直な希望をききとり設計に反映させたいと思っている。
カーヴェは同窓生に「うまくいくかどうかはわからないぞ」と釘を差しておいた。建築家仲間は「絶対にうまくいくと知っているよ」と星読みをする明論派学者のようなことを言ってカーヴェとその一家を引き合わせた。
そして、実際、うまくいったのだ。
見知らぬ大人の男を警戒することを知っている聡明で利発な女の子(新しい父親なるものが突然現れたら当然の反応だとカーヴェは思った)は、当初、母親のうしろに隠れてカーヴェをこわごわ窺っていた。カーヴェは無理に距離を詰めることはせず、まずはその母親を含めて三人でお茶を楽しんだ。一時間も経つころには女の子は母親がこっそり席をはずしても平気になっていて、カーヴェを自ら自分の部屋に案内して――手を引いてくれた!――たくさんのぬいぐるみのお友だちを紹介してくれた。たくさんのお友だちも一緒にさらに一時間も遊ぶころになると、彼女はすっかり打ち解けて、「まるい鳥さんみたいでかわいい」風スライムのぬいぐるみを抱いて新居への希望を熱く、しかしちいさな女の子の内緒話ならではの愛らしいひそやかさで、カーヴェに語ってくれた。
「あのね、こういうベッドがいいの」
彼女は先週ママに買ってもらったというとっておきのお絵かき帳を引っ張り出してきてクレヨンを握った。子どもらしい不安定な描線ではあったが、なにを伝えたいのかは一発で読みとれた。そういう意味で彼女は非常に達者な絵描きだった。
彼女はスメールではあまり見かけない四柱式のベッドを望んでいた。「すごく高貴な感じがするでしょ?」とおしゃまな口調で言う。その言葉がもう高貴だった。カーヴェは自然と微笑んでいた。
彼女はベッドカーテンはいらないと言い、その代わりに「毎朝すてきな光が飛び込んでくるお花の窓」をほしがった。お花の窓という表現にカーヴェの頭はとっさにモンドの大聖堂へ飛んだが、彼女が言っているのは古典的で大規模な薔薇窓ではなく、スメールではごく一般的に普及した色硝子の窓をとびきりの花模様にしてほしいということだった。
「あのね、ほんとうじゃないお花がいいの。わたしだけのお花がいいな」
そう言う女の子を膝にのせて、カーヴェは彼女から借りたお絵かき帳に少女のための架空の花候補を次々とスケッチしていった。依頼人と意見をすり合わせながら彼らの理想に寄せていく作業はカーヴェには慣れたものだった。少女は純粋で、必要以上のわがままも言わない良質な顧客だった。クレヨンで雑に着色した「わたしだけのお花」見本を惚れぼれと眺めているところなどカーヴェの胸まで打たれた。
ただ、ここからがうまくいかなかった。
女の子は良質な顧客だったが、新しい父親のほうはそうでもなかった。彼は女の子とその母親が出かけたタイミングでカーヴェの報告をきくなり、「四柱式ベッドにオーダーメイドの硝子窓? そんなのきいてませんよ!」と声をあげた。カーヴェは頭痛がした。あなたがきけなかったから僕が呼ばれたんだろう、そう言いたくなったのを寸前のところで抑えた。
要するに施主としてはそこにそれほどの予算は割けないということだった。施主はせいぜい既製品の取り寄せで済むと考えていたこと、色彩硝子のオーダーメイドにかかる金額へのたいそうな不安、現実的な予算ラインなどをカーヴェにも披露した。それについてカーヴェが口を出す資格はない。個人と家庭にはそれぞれの事情があることをカーヴェは経験上よく知っている。だとしても、ちょっとした皮肉として「特別な部屋を仕立てたい」気持ちはどうなったのか確認してみたくはあった。もちろんそれをしないだけの良識も備えていたが。
だからくさくさしていた。いつか新居が完成したとき、彼女のための子ども部屋に導かれた女の子は、いったいどう感じるだろうか。カーヴェに資金さえあれば援助でもはみ出した予算分の埋め合わせでもなんでもしたいところなのに、こういうときにかぎってモラがない。人間生活の基礎の基礎であるところの衣食住の一部さえ後輩に頼っている始末なのだ。
あのきらきらした目が曇るところを想像するだけで気が重かった。
「ただいま」
それでも、家に着くころにはなんとか感情を切り替えた。アルハイゼンに関係のないところで起こったカーヴェの情緒の不安定さを彼の家に持ち帰るのは不誠実な気がしたし、持ち帰ったところであの合理主義の権化に愚痴を言えるわけでもない。職務上の守秘義務もある。
カーヴェは自分をとても誠実で切り替えのできる男だと思っていた。
「おかえり」
めずらしく先に帰っていた家主は居間のカウチで本を読んでいる。顔を上げもしない挨拶はいつもどおりだが、そのあとがいつもとちがった。
「今日は他愛ない仕事じゃなかったのか? ずいぶんごきげんななめだな」
「そんなことはない」
「知らないのなら教えてあげるが、君は隠しごとが致命的に下手だ。声のトーンがいつもより低い」
「知ったふうに僕を分析するのはやめろ! そういうのは君の大事なお友だちの文字とか言葉とだけやってくれ」
そのままカーヴェは自室に直行してふて寝した。自分が帰路のすべてをかけてなんとか切り替えた感情をあっさりと暴かれたことに無性に腹が立っていた。まったくアルハイゼンはあきれるほど耳がいい。そしてその遣い方に容赦と配慮がない。いかにもアルハイゼンらしく、それが悔しかった。
ふて寝はきっちり熟睡に移行した。翌朝カーヴェがまぶたをひらくと、室内はすでに我が物顔で跳ね回る明るいひかりであふれていた。睡眠のさなかでも昨日の出来事にとらわれていたらしいカーヴェの頭は、ほんの一瞬、自室の窓があの架空の花々で彩られていないことをふしぎに感じた。その思考はそのまま昨夜自分がアルハイゼンにいかに理不尽にふるまったかの記憶に通じた。
カーヴェが浴室に入ったときしずまり返っていた屋内は、湯気を立てながら出てくると一変していた。生活の気配がする。淹れたてなのかふくよかなお茶の香りが特につよい。
アルハイゼンは食卓にきっちりふたりぶんの朝食を並べていた。とても誠実で切り替えのできる男として、彼と彼の用意した食事と向かい合うまえにカーヴェにはしなければならないことがあった。
「……昨日は悪かった。他愛ないはずの仕事で我慢ならないことがあってくさくさしていたんだ。でもだからって君にあたるのはまちがってたよ」
「まあ、そういうこともあるさ」
自分本位で皮肉屋の家主の反応はそれだけだった。厭味のひとつも飛んでこなかったことにカーヴェは拍子抜けして、その脱力のまま椅子に座った。するとカーヴェと同じようにほかほかと蒸気をまとったお茶がポットから注がれ、流れるようにバクラヴァののった皿がサーブされる。学生時代は試験前の不穏な精神状態のうちに味わっていたために気づかなかったが、いまこうして見ると、表面のシロップが朝日に映えてつやつやときらめいている。宝物のような菓子だ。
「君はこれを朝食にするつもりなのか?」
「朝だからこれは食べられないとか言うほど繊細な腹じゃないだろう、君は」
それもそうだった。おとなしく手をだしたバクラヴァは懐かしく甘やかな正真正銘プスパカフェの味がした。君はわざわざこんな朝からテイクアウトしに行ったのか、と、アルハイゼンに訊きたいけれど訊けなかった。脳みそがとろけそうに強烈にあまい菓子がカーヴェの舌をしびれさせた。
どういうわけか知らないが、アルハイゼンは彼の言うところの「ごきげんななめ」のカーヴェにはあまいものを与えておけばいいと思っているふしがある。子どもの相手がカーヴェほど得意ではない彼のせいいっぱいの子ども向けの知識のようで、それはなんとなく癪で……同時になんだか健気で、カーヴェが拒むことを拒んだ。
「なあ、アルハイゼン。誰かをがっかりさせなければならないのはいつだってしんどいな」
「うん。まあ、そういうこともあるさ」
昨夜と同じ返答に、同意の相槌がひとつくっついた。
口に含んだお茶はリラックス作用のあるハーブの香りがした。
(20221225)