@dounudon
※ヴェの申請書類の住所欄がゼンの家なのとNext of kinがゼンなのめちゃめちゃエッッッッだなと思ったので(女体化成分はオチ担当なので特にエモくない)
「君を最近親者の欄に書いていいか?」
ふいにカーヴェの声が飛んできた。めずらしくスケッチでも製図でもない動きで熱心にペンを走らせているとは思っていたが、ずっと書類に記入していたらしい。ちなみにアルハイゼンはめずらしくもなく読書をしていた。よくある休日の昼下がりだ。正確には、アルハイゼンは以前の渋々の休日出勤の代休で、カーヴェはなにやらややこしそうなフィールドワーク出発前の休養日だった。
「遺言状なら遠慮しておく」
「僕にわざわざ遺言を認めるような財産があるとでも? 僕の死後代わりに負の遺産を処理してくれるつもりなら用意しておくが――教令院外での実地調査に係る事前申請書だよ。万一のことがあった際の緊急連絡先が必要なんだ。最近教令院の締め付けが厳しくなったのは君も知ってるだろ、前回例の砂漠の大建設のときに未提出で行ったらあとからこっぴどく叱られた。ふんっ、この歳になってあんなさんざんに叱られるとはね。新入生に戻った気分だった!」
よくひとりでそこまでぺらぺら話せるものだと内心あきれながら立ち上がる。カウチから離れテーブルセットのほうに寄ると、なるほどたしかにカーヴェのペンは〈Next of kin〉の欄で止まっていた。
「配偶者は?」
「いたらここにいないだろ」
「ふむ。故郷の家族はいいのか」
「いいよ、君のほうが判断も話も行動も早そうだ。それにこれは保険みたいなもので、どうせなにも起こらないんだから」
単なる緊急連絡先ではない、最近親者はいわゆる『いざというときに病室に入れる人間』だ。当人が意識不明の重体など意思確認のとれない重篤な状態に陥った際は、代理として医師の提案する医療行為への同意もおこなわなければならない。非常に重大な立場となるため、申請者に配偶者がいる場合は配偶者が優先され、いなければ次は両親兄弟……とたいていは籍か血のつながった近しい間柄の人間から選ばれた。たいていは。
「構わないが、そこまで言うならたしかになにも起こしてくれるなよ。俺は忙しい」
「起こすものか。僕は君とちがってちょっとばかりの刺激的な出来事は人生のスパイスと思ってるタイプだが、さすがにこの欄の人間に連絡するような場面をそうは思えない。お忙しい代理賢者さまのお手は煩わせないようせいぜいお利口にするさ」
アルハイゼンの承諾を得たカーヴェは早速その名を書き込んだ。
「Relationship……は家主でいいよな? 大家?」
「大変わきまえていて結構なことだ」
「やっぱり同居人にしてやる。同居人だ同居人」
できた、とカーヴェが誇らしげに掲げる申請書の現住所欄はアルハイゼンにとっては実になじみ深いアドレスで埋まっている。
快活ではあるが冷静さを失わない性格を買われて補佐に選ばれたパナーが血相を変えて駆け込んできた時点で、アルハイゼンは一度舌打ちをしていた。最近の教令院ひいてはスメールは忙しなくはあったがいろいろなことに一段落ついて落ち着いていたところだったし、草神様が健やかに過ごしていることは今朝ちょうど対話する機会があって確認したところだったし、そうなるとあの補佐官がこれほど焦る可能性はほぼ絞られる。
せいぜいお利口にするなんて豪語すればするほどそうはいかないものなのだ。豪語したのが彼であれば特に。案の定、パナーの報告はカーヴェが提出していた申請書の最近親者欄に基づくものだった。現在はオアシスの拠点で臥せっているという。
「オアシスで臥せたまま? 医療行為が必要というならシティか、せめてアアル村への移送は」
「それが容態の詳細はよくわからないんです。砂漠の遺跡構造とギミック研究に同行しているファルザン……先輩によれば、無理に動かさないほうがいいかもしれない、と」
医療環境の充実よりも優先されるものがあるということは、深刻な外傷の類ではなさそうだと結論づける。それは不幸中の幸いという意味合いでの、いわゆるひとつの朗報ではあった。
アルハイゼンはここ三日間でいちばん大きなため息を吐いて腰を上げた。
「すぐに出る。午後の会議は延期か、もしくは俺の代理を立てて進行してくれ。参加者には欠席の理由をそのまま伝えてもらって構わない。どうせそのうち広まるだろう」
水晶のような月がいつまでもあとをついてくる。ずっと乾燥した砂の味しかしなかった風に紺青の夜のしずくが混ざった。オアシスだ。
昼間立派に働いた学者や職工はすでに眠りについていて、ありがたいことに唐突な代理賢者の登場もさほど騒ぎにならなかった。アルハイゼンの出迎えはほかの寝所の群れからすこし離れた場所にあるやや大きめなテントの前でおこなわれた。救護所を示す旗はなびいていないからカーヴェのために用意されたものだろう。家でああでもないこうでもないと言いながら荷造りしていたあのどうしようもない男が、現場ではそれなりの立場と礼節でもって扱われている点はときどきアルハイゼンをはっとさせる。
テントの前には手製のギミックと戯れる少女が座り込んでいた。
「ファルザン、」
「先輩!」
「……先輩」
ファルザンは満足げに頷いて立ち上がる。いまにも手を打って「よろしい!」と言いだしそうな指導者の仕草だ。いまのアルハイゼン相手にはなかなか見ない挙動でもあった。
「やっと来たか若者。たしかに百年よりは短かったが、それでもワシが待ちくたびれるにはじゅうぶんな時間がかかっておるぞ。しかしまあ、この時間に到着したのは正解かもしれぬが……カーヴェの呼び出し人がいまをときめく代理賢者とわかったときはそれなりにざわついたからのう」
「それで、やつは?」
「眠っておる。遺跡のなかでワシがお前の呼び出しを決めたときからいまに至るまでずっとじゃ。……なんじゃ、その目は? お前、眠っておるだけならわざわざ自分を呼び出すなと考えたな? まあワシの話をきくがよい。まずかわいい後輩のために言っておくが、今回のカーヴェは自分の失敗の責任を自分でかぶったのではない。他の学生がうかつなことをして意図せずギミックを起動させた際にたまたまそこに立っておったのじゃ」
「よくある話だ」
そういう間の悪さは彼にはままあることだった。本人がお利口にしていてもどうにもならないわけだ。アルハイゼンはいたく納得した。そしてテントの中から医師が慌てて飛び出してこないところを見るに、彼はほんとうに眠っているだけなのだろう。曲がりなりにも安堵感らしきものを抱いたまま重たい布をめくって中に入ろうとすると、即座に横から鋭い待ったの声がかかった。
「年長者の話は最後まできかぬか! いいか、これからお前は衝撃的な光景を目にするかもしれぬが決して取り乱すでないぞ。お前もひと目見たらなにゆえワシがあの子をここに留めたかわかるじゃろう。ひとつには遺跡から受けた力が時を重ねても安定しているかどうか観察するため、もうひとつは、まあ……本人が知らない状況であまり多くの人目に晒すべきでないと思ったからじゃ」
「そんなに悪いのか?」
「他人のうっかりに巻き込まれて命を落としたり、自分のミスのせいで百年身動きがとれなくなるよりはずいぶん運がいいとワシは思うが――完全に第三者のワシからすればちょっと喜劇的でさえあるが――どう感じるかはカーヴェ次第じゃな。人によっては魂が西の果てに飛ばされるより受け入れがたいことかもしれぬ。それに、大方の人間は自身の魂が西へ果てたら受け入れるも受け入れないもないからの」
説教じみて連なる言葉の終わりが見えないのはまちがいなくこの有名な先人の欠点だった。アルハイゼンはもう付き合う気も起きずに黙ってなかへ入る。ファルザンもなにも言わずついてきた。とりあえず言いたいことは言いきったらしい。
寝台に書き物机、背の高いランプに低いチェストという簡素な仮設拠点のなかで彼はひとり淡々と眠っていた。灯された明かりはほのかでやや夜の成分が濃いが、視界に困るほどではない。上掛けから出ている顔を見るかぎり目立った異変はないように思われた。いつもどおり天が丹精したような破綻のない顔だ。かすり傷ひとつない。
いや、とアルハイゼンは視線を定めた。いつもどおりであるはずなのにどことなく違和感があった。小づくりな全体の顔立ちの印象は変わらないものの、小石が長らく川遊びをしたあとのように、どこか角がとれて丸みを帯びている……ような気がする。まっすぐ下りた髪の毛ときっちり上げられた上掛けで見えづらい首もとも心なしか頼りない。
軽い素材の上掛けに手をかけて思いきり剝く。
「こら!」
途端にファルザンの叱声が飛んだ。それを黙殺したアルハイゼンの眼は一点に固定される。……胸がふくらんでいた。
「お前はレディへの礼儀を知らぬのか!」
大きな手から布地を奪い返した大先輩はそれを元どおりカーヴェにかけてやると子どもにするようにぽんぽん叩いた。位置的に胸に触れているように見えたが賢明なアルハイゼンは口を結ぶ。なにせ、彼女たちはいまや同性仲間なのだった。
「まったく、見たければ本人の同意を得てからにするがよい」
べつに見たかったわけではない。確認がしたかっただけだ。しかしそれをこの場で言っても無駄なのはわかっていた。
「……日常的に見せ合う仲だと言ったら?」
「お前たちが真にそういう仲だったとしても、それは男のカーヴェとじゃろう。いまの様子が見たければ改めて求愛するのじゃな。もともとロマンについて一家言ある子じゃから、性別が変わって情緒が高まっている状態だとお前にはちと厳しいかもしれぬが――こらこらこら、目を動かすでない! いまの調子で腰から下に手をかけたらその不埒な手がどうなっても知らぬぞ!」
ファルザンの感情の昂りに応じて生じたちいさな風が、威嚇する猫の尻尾のように爆発したふたつの髪束をふよふよ揺らした。次があれば彼女は容赦なく弓を取り出すだろう。アルハイゼンは聞き分けのよい後輩を演じて従順に一歩下がる。彼女の言い方からしていまのカーヴェが完璧に性別を変化させているのは見当がついた。同時に、彼女がアルハイゼンを呼んだ理由も、これまでいろいろと並べ立てていた理屈も腑に落ちた。
「……アルハイゼン?」
耳慣れない高音の呼びかけに自然とアルハイゼンの眉根が寄る。長い眠りから目を覚ましたばかりのカーヴェはいかにもぼんやりしていて、自身の声の異変にも気づいていないようだった。
「どうしてここに……うう、だるい。手を動かすのもだるい……」
のんきにあくびをしながらだるいだるいと言うカーヴェは寝起きの人間というだけでは説明のつかないぎこちなさで腕を動かし、手首から先を上掛けの外に露出させた。すかさずそれをとったファルザンが寝台に寄る。
「ようやくお目覚めじゃな。まったく先輩を心配させおってからに。それにこんなに骨っぽくなってしもうて、ワシが此度のプロジェクトの経費を握っておればお前にたらふくご馳走してやるものを」
「経費をそんなことに遣うな」
「ほれこのとおり、栄えある代理賢者様が来たからにはせいぜいお腹いっぱい食べさせてもらうのじゃぞ」
「僕の手首はもともとこれくらい骨ばっていたような気が……いや、うん?」
砂漠の夜明けじみて茫漠としていた瞳にゆっくりと理知の輝きが宿る。飽きずに細い(より細くなった)手首をさする大先輩と、洗練されていない原始の動作で身を起こそうとする同居人の姿を、アルハイゼンは腕を組んで見ていた。性別が同じというだけで妙に結束をつよくする女性同士のやりとりは傍観するにかぎる。
そうして上掛けがしずかにすべり落ちた。
「カーヴェ、しばらくいつものシャツは禁止じゃ」
厳かに言い渡されたカーヴェはファルザンを見つめ、首をめぐらせてアルハイゼンを一瞥したあと、おもむろに目を下げた。すこしは機能を思い出したらしい指先が大きくひらいたシャツの前をつまみ、さらに大胆に、思いきり引っ張る。
「ああ、なるほど?」
カーヴェ、というファルザンの悲鳴めいた叱責を背景に、急な頭痛に襲われたアルハイゼンはこめかみを押さえて目を伏せた。
(20230108)