ナヒさま家庭訪問
@dounudon
※ゼンのエピソード動画で平和のところが=ナヒちゃんでお花がぶわっとなるのあまりにもサチすぎたので書いた
カーヴェはやかましい男だ。このうえなく上品な顔立ちで品性のあるふるまいをしているはずなのにどうしてか挙動のひとつひとつがやかましいし、言葉のほうは言うまでもなく率直にうるさい。もちろん家に帰ってくるときだってやかましい。どんなに勘の働かない者でも彼が帰宅したら察することができるだろう。アルハイゼンは雑音を遮断する特製のヘッドホンを家でははずして過ごしているが、同居人の帰宅に居合わせたときはその選択を後悔してしまう。
しかし、今日の彼はしずかだった。もっと詳しくいえば、いつもの調子で居間に入ってきた瞬間にしずかになった。
その目はカウチの彼の定位置(これは彼が勝手にそう決めているだけで、家主であるところのアルハイゼンは決して承知していない)で微笑む少女に向けられている。
「おかえりなさい、カーヴェ。急にお邪魔してごめんなさいね」
表情を消すと一気に「なにかまともなことを考えている」ように見えるカーヴェの思考がアルハイゼンにははっきりと読めた。彼は帰宅したら自宅――便宜上ここはいまの彼の自宅だった――で自国の偉大で愛らしい神がくつろいでいたことに驚いているのではない。アルハイゼンの家にアルハイゼンと彼自身以外の誰かがいることに絶句しているのだ。アルハイゼンがどれだけ家に他人を入れたがらないかは彼がいちばんよく知っている。
「アルハイゼン、君、とうとう草神様までかどわかし……」
「いいえ、私が無理を言って連れてきてもらったのよ。彼がいつも定時になったらうきうきと帰っていくものだから、どれだけすてきなお家なのかしらとずっと気になっていたの」
「うきうきはしていない」
「まあ、自覚がなかったの? でもそうね、あなたがそんなふうだから私は代理賢者なんて大役を安心して任せていられるのね」
「早く解放してほしいものだ」
「ちょっと待て、君っていつもそんなに不敬なのか? 相手は草神様だぞ、僕をないがしろにするのとは話がちがう」
「驚いたな、ないがしろにされている自覚はあったのか」
カーヴェは腕を組んで明らかにむっとした顔をした。ふだんなら言葉を話せないうさぎよろしく足を踏み鳴らして自身の感情の昂りを表現するところだが、敬愛する神の存在を思ってなんとか踏みとどまったようだ。
少女の姿をした神は本物の少女のようににこにこと笑った。
「旅人からきいたの、こういうのは家庭訪問って言うのですって。私からすれば社会見学でもあるのかしら?」
「それならアルハイゼンほどつまらない生態のいきものはいないでしょう」
「あら、そうでもないわ。あなたたちってとても興味深いし……それに、この家が居心地のよい場所だとわかったもの」
「居心地って、……あ! アルハイゼン――君、お茶くらい出せよ! 君にはもてなしの心ってものがないのか? 信じられないやつだな! クラクサナリデビ様、なにかお飲みになりますか?」
「コーヒー。濃いめの」
「君にはきいてない!」
ちっとも気分を害したふうではない少女は、うふふ、と両手を口もとに当てて可憐に笑ったあと、「なにがあるのかきいてもいいかしら。いまは新しいものをなんでも試してみたい時期なの」と立ち上がる。もちろん、とうなずいたカーヴェは迷わず彼女をキッチンに導いた。ふつう客人を通すにはなかなかためらわれるはずの奥向きも、この家では広くひらかれている(そもそも他人が入り込まない家だということをべつにすれば)。アルハイゼンは収納や配置を完璧に計算し整頓していて、カーヴェのやたらめったら散らかす才能もここまでは及ばない。誰に見せても恥ずかしくない完全に機能的に整えられたキッチンは、すました顔をしてはじめての来客を迎えた。
「なにがいいですか? お茶、コーヒー、ジュース、ミルク……」
「すごいわ。なんでもあるのね」
「アルハイゼンが飲むものならなんでもありますよ」
「あなたの好みは反映されていないの?」
「僕は居候というかよわい立場なので、彼の決定にしたがうしかないんです。偉大な代理賢者兼家主さまが濃いめのコーヒーを飲むとなったら、どんなに胃の痛む朝でもそのおこぼれにあずかってありがたいありがたいと啜るしかない」
アルハイゼンはひらいた本の文字を目で追いながら、自称かよわい立場の同居人のあまりに堂々とした虚言に心のなかでため息を吐いた。彼の口からいま挙がったもののうち、すくなくともザイトゥン桃のジュースとミルクに関してはカーヴェが買い求めたものだったし、棚に並ぶ茶葉の三分の一は彼がアルハイゼンの名前で勝手に取り寄せたものだ。かよわいがきいてあきれる。店に行くたびに覚えのない注文品をいかにも喜ばしいもののように押しつけられるアルハイゼンとしてはたまったものではないが、唯一の救いは彼の選んだ茶葉の味がどれも悪くないことだった。彼ご自慢の審美眼は味覚にも通ずるらしい。
結局、少女はお茶を選んだ。茶葉は棚の高いところに保管してあったので、よさそうなフレーバーに目星をつけようにも彼女の身長ではむずかしかった。するとカーヴェはごく自然に、息をするように躊躇なくその腕を献じ、聖なるちいさなからだを片腕に座らせるようにして抱え上げた。結果として唐突に、敬虔で頭のかたい熱心な草神信奉者が見たら泡を食って卒倒しそうな微笑ましい宗教画ができあがる。
「ありがとう。とてもよく見えるようになったわ」
「なかなかいい椅子でしょう?」
「ええ。とても精緻な細工ですてきよ。でも安定感はアルハイゼンのほうがあったわね」
あれは頑丈だけが取り柄なんですとかなんとか、家主に反発することが生きがいの居候の言い募る声がキッチンから届く。時折そこに幼い神のまろく甘やかな笑い声が混ざった。平和の象徴のようなしゃべる宗教画はアルハイゼンの家に見えない花を芽吹かせては咲き誇らせ、しずかで穏やかな夕闇に包まれているはずの部屋をほのかであたたかな色彩の花びらでいっぱいにした。アルハイゼンがとっさに窒息しそうだと感じる一方で、実のところそれは全然息苦しくないのだった。
まるでほんとうの、文字を覚えたての子どものように、並んだ茶葉のラベルをひとつひとつ読みあげた少女がその豊富な品揃えに感嘆する。次いで音の順番できちんと並べられていることに手を打つ。そして「アルハイゼンでしょう?」とわかりきったことをあえて尋ねてみせる。
「家を調えるのが好きなんですよ」
簡易式の玉座に徹するカーヴェの声はちょっとだけ拗ねている。アルハイゼンばかり彼女の歓心を買っているのが許せないのだ。ひどく子どもじみていた。
「縄張り意識がつよいんです。自分のこだわり抜いたお気に入りで生活空間を固めて、巣づくりに余念がない。彼が獣ならさぞかし優秀なオスだったでしょう」
「獣じゃなくても、彼はとっても優秀な人間のオスよ。私が小鳥の歌に耳をすませていると、ときどき一緒になってきこえてくるの、彼を憎からず思う誰かの声がね。もちろんひとりやふたりじゃないわ。みんな、直接は言えないからひみつのつもりで風に託しているのよ。とても人間らしくていじらしいでしょう?」
「風も大変だ。運ぶものを選べないんだから」
アルハイゼンはいまにも部屋を埋め尽くしてしまいそうな幻影の花びら一枚一枚を数えるように紙のうえの文字をたどっていった。やかましいカーヴェのふしぎなところは、その矛先がアルハイゼンでなくなると、とたんにやかましくなくなることだ。たとえ彼本人はつねに一定の調子でふるまっていたとしても。
そのうち、みずみずしいお茶の気配をいっそかき消すように豊かに、たっぷりと濃いコーヒーの香りが立った。
送るというアルハイゼンの申し出を彼女は拒まなかった。シティには夜の帳がおりている。銀砂を刷いた空の高いところは冴えざえとしているものの、アルハイゼンや彼女の歩く地面に近いところはけだるげな空気が漂って、行き交う人々に夢の予感を与えた。その人々の影もこの時間になるとだいぶ減っている。
「夕食までごちそうになってしまって、ありがとう」
今夜の食事当番はカーヴェだった。彼は料理人としての自覚を持ちながら時に椅子役として覚醒し、興味津々の女神に調理の様子を披露しつつ三人分の夕餉を用意するという器用なことをやってのけた。
カトラリーがいつもよりひとり分多いだけのいつもと変わらない家庭料理はアルハイゼンをどこかほっとさせ、自らの肉体で体験するなにもかもを目新しく感じる神をいたくよろこばせた。彼は積極的に少女と会話をし、少女も快く応じた。その声色、仕草、まばたきひとつからさえ、神を自宅でもてなしている異常事態への緊張は一切感じられなかった。彼のこの驚異的な順応性は建築の次に稀有な才能だった。
いまは家に残って、おそらくぶつくさ言いつつ後片付けをしている。夜半の散歩ついでについて来たがったのをアルハイゼンが意地でも家から出さなかったのだ。こんなけだるい、女神と一緒の夜に彼のやかましさは不似合いな気がした。
「口に合ったならいいが」
「ええ! それはもう、とっても。改めて彼にお礼を言っておいてちょうだい」
彼女が一歩先を進んでいるのか、あるいはアルハイゼンが一歩下がっているのか、はじまりはわからなかったがとにかくアルハイゼンは夜にまぎれる少女の頼りない背中を見ていた。このちいさな背に、遊ぶようにステップを踏み跳ねる両足に、振って折り曲げてバランスをとるか細い両腕に、スメールのすべてがかかっている。
風が吹いた。小鳥の歌声も、誰かのひみつの想いも託されていない純粋な夜風が少女の結んだ髪の毛をやわらかく撫でていく。
「アルハイゼン」
彼女が立ち止まったので、アルハイゼンも足を止めた。
「あなたのスラサタンナ聖処に招いてくれてありがとう」
「……至聖所もたまには人を迎える経験が必要だろう」
そうね、と目を細めた少女の瞳に星がひとつ踊った。
(20230113)