え❤ちなシーンは一切ないけど一応事後の話
@dounudon
※浮かれる男vs理想と現実のギャップに動揺する男
※実装前に一度はまともに(?)付き合っているふたりを書いておきたかった
想いを通じ合わせた相手とはじめて一緒の夜を過ごした(この「過ごした」にはもちろん文字どおりでは済まないたくさんの意味が含まれている)あとの朝について、カーヴェはかねてからいろいろと考えていた。こうなるのだろうという想像からこうしようという理想まで、それはもう考えに考え抜いていた。なにしろカーヴェはロマンチストの理想家だった。現実と対峙するまえには、こうであったらいいのにという考えうるかぎりの最高の状態に関して、思考をめぐらせないわけにはいかなかった。
まず、想像について。こういう朝、つまり恋人とはじめての共同作業に従事したあとの朝は、カーヴェの頭のなかではもっと輝かしいものだった。昔話のめでたしめでたしよろしく祝福の喇叭がにぎやかに鳴り響き、天からは花と甘露が舞い降り落ち、世界は一夜にして生まれ変わったようなきらめきで満ち、肉体と精神の幸福な充足に圧倒されたカーヴェはそのまぶしさに思わず目を閉じる――そんな光景を想像していた。
次に、理想について。前述したようなハピリーエバーアフターのしあわせな朝をひととおり味わったあとは、隣でまだ眠っている恋人の寝顔を堪能する。彼女が起きるまではカーヴェも寝台を出ない(それは一種の責任感に近い)。そして彼女が目を覚ましたら「おはよう○○ちゃん」と言い、額か頬にいたわりのキスをしてようやくベッドを出る。もちろん昨夜の労働で疲れている彼女にはまだ横になっていてもいいと言ってから、自分はキッチンで簡単な――けれどこういう朝にふさわしいそこそこ見目のいい――朝食を用意して彼女の待つベッドへ運ぶ。この理想は幼いころに盗み読みした母のロマンス小説からインスピレーションを受けたものだった。ロマンス小説のヒーローは初夜のあと満ち足りたくたくた感に弱っているヒロインのことを「仔猫ちゃん」と呼んでいたが、カーヴェはそこは可変的なものとした。カーヴェの相手が仔猫ちゃんにふさわしい人物とはかぎらなかったからだ。もしかしたらリスちゃんとかうさぎちゃんとかそういう形容のほうが似合う相手かもしれないし、そうであれば、カーヴェは彼女に最適な愛らしい呼び名を自分で見つけたかった。
しかしあくまで想像は想像で、理想は理想だった。現実は非情だった。祝福の喇叭も花も甘露もとっさに目を瞑ってしまうまばゆさもない。どちらかといえば昨夜の疲労にもたれた視界はちょっとかすんで暗い。部屋のなかはしずまり返っていて隣から平穏と愛の象徴のような寝息はきこえず、手を伸ばして触れたシーツはすっかり冷えている。同衾者はかなりまえにベッドを抜け出したようだ。
なにより、カーヴェは記念すべき思い出の夜の相手に同性を想定していなかった。
「起きたのか」
遠慮なくひらかれた扉の向こうには冗談でも仔猫ちゃんとは呼びたくない男が立っていた。仔猫もリスもうさぎも似つかわしくない、この期に及んでちっとも弱っていない相手のことを、カーヴェはなんと呼べばいいのかわからなかった。しかも弱っているといえば自分のほうが弱っている始末だ。そんなふうだったので仕方なく、
「……アルハイゼン」
と、いつもどおり呼んだ。墓から貴重品の盗掘ついでに掘り出されてうっかり息を吹き返してしまった死体のような声に自分であきれかえり、つい笑いそうになる。風邪をひいたわけでもないのに声が嗄れることもあるのだ。
「目を覚ましたなら湯を浴びてくるといい。君が出るころには朝食ができているだろう」
「朝食は……ベッドで食べるものだと思っていた。特にこういう朝は」
幼いころからの理想は予定とは正反対の現実と直面したあとでもなかなか捨てられない。おはよう仔猫ちゃんの空想をひきずったままそう言うと、アルハイゼンは露骨に、不快感を隠しもせずに顔をしかめた。――ベッドで食事を? 正気か? と言う彼の声がきこえてくるようだ。実のところ、カーヴェもベッドは寝るところであって食事をするところではないと思っているタイプなので、冷静になってみればそれは全然うつくしく魅力的な提案ではなかった。適材適所という言葉は大事にしていきたい。
「君の衛生観念がどうなっているかは知らないが、俺だったらそのベッドで食べ物を広げるのは遠慮したいところだな。それより早く洗濯させてくれ。まだ横になっていたいなら身ぎれいにしてから自分の部屋で寝るといい」
腕を組んで壁に寄りかかったアルハイゼンに言われ、一気に現実を認識した。そう、これはただのベッドではない。家を調えることに熱心で整理整頓に一家言あるアルハイゼンが洗って干して日なたの香りを植えつけたばかりの清潔なシーツではない。昨夜のいろいろを自分たちとともに経験した仲間のベッドなのだった。カーヴェはふいに、夜の名残もまだなまなましい、さわやかな朝の食事とはいちばん遠いところにあるベッドを、一刻も早く出なければならないという気になった。そうしてなによりなまなましい自分をどうにかしなければ。
「……僕のシャツは? 誰かがこのあたりに投げ捨てていた覚えがあるんだが」
「洗った」
「洗った?」
「当然洗うだろう。なぜだ? 風呂から出たら新しいのを着ればいい」
「じゃあその風呂まではどうするんだ? 君はどうか知らないが、僕は服も着ずにあたりをうろつくような原始的な生活はとっくに卒業したんだ。それがここから浴室までの短距離走であってもね」
アルハイゼンが無言で取りだした服を投げてくる。黒のタートルネック。カーヴェはとっさに首を振った。
「頭からかぶるようなのはやめてくれ、腕を上げるのもだるい。軽く羽織れるのがいいな……そうだ、君、式典用のシャツを持ってただろ。あれを貸してくれ」
「君は式典用のシャツがなにに使われるものなのかわかっているのか?」
「もちろん、式典だろう? 晴れがましい式典の会場が我が家の浴室になったシャツは不服かもしれないが、僕だって本来の予定とは全然ちがう状況に立たされて困惑しているんだからこの際お互い様だ」
そうしてカーヴェの手に落ちてきた正装用のシャツはおそろしく肌ざわりがよかった。用途が用途なので素材から仕立てまで一級品なのがよくわかる。腕を通しただけのシャツ泣かせのラフな着方をしたカーヴェはにわかに気分をよくして、その盛り上がった気持ちのまま浴室に突撃しようとしたが、なにもかも理想と異なる現実はそううまくいかなかった。
腰から下に力が入らない。完全にばかになっている。そこだけ他人のパーツをくっつける改造を施されたようだった。
「……急に瞑想に目覚めたわけではないんだろうな」
「ある意味では正しいが。……股関節がいかれてる。人生ではじめてするような足のひらき方を長時間していたらこうなるという最悪の見本だ」
「柔軟運動でもするといい。何事も慣れだ」
「僕はそもそも関節は軟らかいほうなんだぞ! 膝をぺたんとつける例の座り方だってできるし! というかなんだそれ、そんな運動、まるで僕がとても意欲的みたいじゃないか」
「意欲的でなにが悪い? 相互の協力があってこその行為だろう」
カーヴェはきしむ関節に鞭打ってなんとか姿勢を変えた。腕の一本でも貸してもらえればかろうじて立ち上がることのできる体勢になる。
「じゃあ君はいったいどんな協力を見せてくれるっていうんだ」
「ふむ。体力でもつけるか」
「殺す気か? いい加減にしろよ!」
「いい加減にするのはそちらだ。そんなところで喚いていても状況は変わらない。いいから早く湯を浴びてさっぱりしろ。羽繕いをやめられない鳥並みにきれい好きな君のことだから、それだけでずいぶん気分がよくなるだろう」
「ちょっと待った! 寄るなよ、抱えあげて運びでもしたら一生ここに寄生して君の人生を邪魔するからな」
アルハイゼンはなにかとなにかを天秤にかける顔をしてベッドと扉のちょうど中間で足を止めた。カーヴェは足腰の不自由な老人でももうすこしてきぱき動くだろうという驚異的なのろさで足を動かし、手を動かし、言うことをきかない全身をばかばかしくばらばらに制御しながら、なんとか腕の一本も借りずにベッドを脱出する。産まれたての草食動物になった絶望的な気持ちだった。
膝の手術を受けて退院した祖母でもこれよりはまともな動きをしていた。迷路を攻略するように延々と壁に手をついて進みつつ、大きく息を吐いたカーヴェは三秒だけ目を伏せた。背後に立つアルハイゼンの視線が全然ぴったりじゃないサイズの式典用の高級シャツで隠された背中に突き刺さった。自ら立ち歩くよろこびを知ったばかりの頭でっかちの子どもが転ばないか見守っているみたいだ。屈辱的だった。
もっと屈辱的だったのは結局途中で行き詰まって彼の腕一本を借りなければならなかったことだ。運んでもらわなかったのはカーヴェのプライドの問題で、強引に運ばなかったのはアルハイゼンのせめてもの「協力」だった。おそらく。
「うわ……」
屈辱はつづいた。
浴室の手前、大きな姿見のまえで絶句する。
「君は僕のからだをキャンバスかなにかだと思っているのか? 自由な意思表現活動の場とでも? これはどういうテーマの芸術なんだ、抵抗と抗議か? 暴力を否定するための暴力? すくなくとも思いやりと愛ではなさそうだな。この恰好で外に出たら傷害沙汰に巻き込まれたと判断するひとのほうが多いと思う」
「君がストリーキングに目覚めるのは自由だがそれは俺の家に君の部屋がなくなってからにしてくれ」
「僕はこの惨状についての君の意見を訊いてるんだ」
母の愛読書のロマンス小説では、鏡のまえに立ったヒロインが鎖骨のあたりにひっそりと残っている情愛の痕跡を見つけて恥ずかしくなるという愛らしい場面があった。思いやりと愛とほんのすこしの衝動と独占欲のあらわれに、照れながらもうれしく思うシーンだ。それが医学的には単なる内出血で、一夜明けたらあまりかわいらしいとはいえない色に変化しているとしても、そのくらいなら微笑ましいで片付く光景となる。
それがどうだ。鏡と向かい合ったカーヴェは自身の痛々しさに泣きそうになった。つよく吸われたあとだけならまだしも、確実に噛んだのだろうという痕までがまんべんなく残っている。色がまたあまりにもかわいそうな感じなのだ。恥ずかしくて照れるどころかいますぐ医者に駆け込んでこの惨状を披露し、よく効く軟膏のひとつやふたつ処方してほしかった。
「……君の皮膚が特別うすいんじゃないのか」
「仮にそうだとしても! そう思ったならそこからは君の努力義務だろ。風化してぼろぼろで日光に当てたらいまにも褪せて消えそうな文献を無造作に触れるわからず屋を見て義憤に駆られる君はどこへ行ったんだ? 僕は君のなかで出土した文献以下なのか? 痛いって言ったのに!」
「君だってなにが痛くていたいいたいと言っているのか途中からわからなくなっていただろう」
「なにもかもだろ! 君のなかで僕がどういう立ち位置なのかはよくわかったよ、一度だめになったら不可逆の文献とちがって、ありがたいことに僕のこれは一週間もすればきれいさっぱり消えるだろうからな。調子に乗った君が一週間のうちに追いうちをかけなければ、もとどおりまっさらのキャンバスになった僕がふたたび君のまえに現れるというわけだ」
まだら模様の首から下を努めて無視して今度は鏡のなかの自分と――自分の顔と見つめあう。細工が悪すぎてびっくりした。くちびるもなかなかひどいが、わけても目の腫れ方がひどい。思えば最初から最後まで泣いていた気がする。こわくて泣いたし、いたくて泣いたし、最後のほうは、まあ、うれしいとかきもちいいとかポジティブな気持ちでも泣いていた。ベッドの上へのせた相手にあれだけわんわん泣かれてよく彼は最後まで勢力を保っていたなと場違いな感心に襲われた。
「……なにも泣くことはないだろう」
そう言ってカーヴェの頬を拭う彼の声がいつもよりやわらかかったので、すくなくとも泣き顔に興奮する厄介な性癖ではないことがわかった。ちょっと安心した。
「僕は案外自分の顔がすきだったんだなと思ったんだ」
「その顔立ちなら誰だってそうなるだろうな」
もう褒められているのかばかにされているのかもわからない。高級なシャツの袖にさんざん涙をしみ込ませてしみったれた意趣返しに満足したあと、ふるえる腕で脱ぎ捨てて斜めうしろで待機するアルハイゼンに投げつけたカーヴェは、やはりふるえる足取りで浴室に入った。
もしかして気を遣われているのかもしれないと思ったのは、カーヴェの頭を手ずから乾かした男がその髪を恭しく編みはじめたときだった。
湯と石けんと一緒にあらゆるものを流したカーヴェはずいぶんさっぱりして、気持ちのほうもかなり上向いていた。皮肉だがアルハイゼンのアドバイスは正しかった。衝動と独占欲とほんのすこしの思いやりと愛の犯行現場のせいで、いつものシャツがとてもではないが着られないことがわかったときはまた落ち込みかけたが、いちばん悲惨な状況であろう今日が休日だったことでなんとか持ち直した。
「……アルハイゼン。君、もしかして反省しているのか?」
らしくないという意味を込めてそう言ってみる。背後に立つ彼はなんとも応えなかった。それでカーヴェもわずかに殊勝な心持ちになってしまった。
「たしかに君が九割方アレだったけど、まあ一割くらいは僕もアレだったよな。君はまたばかにするだろうけど、僕には昔からこういう朝の想像と理想像みたいなものがあったんだ。こういう……めでたい朝は、天からの祝福を授かっているような気持ちになるものだと思っていた。自分のみじめさに改めて涙するのじゃなく」
「なにか大いなる祝福がほしいなら、草神様に報告すればいい。よろこんで祝福の言葉をくださるだろう。ちょうど明日お会いする予定がある」
「冗談でもやめろよ! 草神様のお耳を穢すな」
「彼女はあれでこういう話題も好きだと思うが。ゴシップも知識の一種だろう。活字中毒すぎていかがわしいタブロイド紙にも目を通す精神性と同じだ」
「くれぐれもやめてくれ。彼女のためもだが、これ以上いたたまれなさで僕を泣かせるな」
カーヴェほどではないものの、それなりに器用なアルハイゼンの手がひとつずつヘアピンをとめていく。今日は日がな一日家でごろごろして過ごすつもりだったので――というか外に出てまともに活動できる気がしない――髪型などどうでもよかったのだが、せっかく彼が慣れないことをしてくれたのでありがたく受けとることにした。
しばらく沈黙がつづいた。いつの間にかそばに置いていたヘアピンがなくなる。カーヴェはふと思い立ち、今度はかすかな確信を込めて問いかけた。
「君、もしかして浮かれているのか?」
またしてもアルハイゼンはなにも言わなかったが、その代わり、頭のてっぺんにキスが落ちてきた。
(20230116)