一世一代の告白が通じなかったア
@dounudon
※(推しカプ内でやりとりされる「はあ?」っていいよねと言いたかった)
君には憎からず想う相手とかいないのかと、ふたりの関係においてはあまりにも唐突なことをカーヴェが言いはじめたとき、それでもアルハイゼンは、きた、と思った。
夕食はすでに終わっていて、アルハイゼンはいつものように本を読み、カーヴェは手酌で控えめに酒を進めていた。先日アルハイゼンに改めてアルコールに弱いことを指摘されたから気にしているのだ。すこしでも長く愉しむために、涙ぐましい努力で、それはもう仔猫の水飲みのようにちびちびやっている。その自制が自宅のリビングではなく酒場のほうで働くのなら彼の苦労もかなり減ると思うのだが、そうならないところがいかにもカーヴェだった。
「おい、なんとか言ったらどうだ」
「君だ」
「はあ?」
この反応はアルハイゼンの予想とはすこしちがっていた。アルハイゼンの想定ではもっと――感激して涙しはじめるとはいかないまでも、すくなくとももうすこしなにかしら心打たれた反応が返ってくるはずだった(たしかに頬はあかいし頬と同じ色合いの目は多少潤んでいるが、それは酒のせいであってこの告白のせいではないと冷静に判断できた)。なにせカーヴェは教令院の誇る稀代の理想家兼ロマンチストなのだから、自身が受けとる告白の雰囲気と内容にもアルハイゼンには理解できないような持論があるはずで、そのために、わざわざ、アルハイゼンは外部から情報を仕入れたのだ。その仕入自体は不可抗力ではあったが。
ある日の知恵の殿堂でアルハイゼンが読書をしていたら、斜めうしろで女子学生の立ち話がはじまった。図書館があまりにしずかだったため、そのときまでアルハイゼンは遮音機能がオフになっていることに気づかなかった。すぐにオンにしようとして、ヘッドホン越しでも耳に飛び込んだ片方の女性の言葉にはたと止まった。「昨日どうだったの」。彼女はそう言った。それは明らかにゼミ発表の顛末や論文指導の行末を確認しているトーンではなかった。
「付き合うことになったよ」
「ほんと? おめでとー!」
手のひらをぎゅうぎゅう押しつけているような拍手ともいえない拍手の音がひそやかに響く。場所を鑑みた彼女たちは相当に声を抑えていたものの、若い女性の歓喜を隠しきれない高らかな音は存外よく通り抜けた。
そのころアルハイゼンは毎日三秒くらいはどうやってあの同居人に告白するかを考えていたので、それは渡りに船の話題だった。アルハイゼンはあの厄介な居候を女性のようだと考えたことはなかったが、こと恋愛の分野において肉体より精神、すなわち手法やムードに重きを置く考え方が自分たちよりよほど女性寄りなのは認めざるをえなかった。生まれながらにして恋愛の達人であるところの彼女たちが喜ぶような、受け入れたくなるような告白なら、それは彼にも通用するだろう。
つまり、その会話はひどく参考になった。
「昨日サシ飲みだったんだよね? そのとき言われた?」
「言われたというか言わせたというか……うーん……、こっちが『いま好きなひととかいるの?』って振ったら、ちょっと考えたあと顔寄せてきて耳もとで『君だよ』みたいな……。ほら酒場のカウンターで隣り合ってたからさ」
なるほど。
そこで遮音機能を復活させたアルハイゼンは、背後の彼女たちが「あの、こういうの言っちゃいけないのはわかってるんだけど、それさぁ」「いやわかるよ。いまはわたしも浮かれて付き合ってるからまあ平気だけど、別れたらあれはないわー!って絶対なるから、そのときは一緒に笑い話にして」とつづけていたことを知らなかった。このヘッドホンの遮音機能は絶大なのだ。
だからアルハイゼンは、カーヴェが突飛すぎる質問をしてきたときに、まるで待っていたかのように受け止めることができた。事実待っていた。ただすこし残念だったのは、自分と彼が別のカウチに座っていたせいで件の成功事例のように耳もとでささやけなかったことだ。さすがにいきなり隣に移動したら不自然すぎるだろう。警戒さえされるかもしれない。そうなっては告白の意味がない。カーヴェ先輩に比べたら恋愛哲学などからきしのアルハイゼン後輩にもそれくらいの良識はあった。
はあ、というため息がアルハイゼンの思考を切った。
「まあいいや、君にこんな話題を持ちだした僕が悪かったよ。忘れてくれ」
カーヴェは若干胡乱げな瞳を揺らしてそう言い、残りの酒を一気に呷った。仔猫ごっこには飽きたようだ。
それから十日が過ぎた。アルハイゼンに安定と平穏をもたらす生活の拠点としての家での活動は、同居人の挙動を含めなにも変わらなかった。そう、ちっとも変わらなかったのだ。おかしい、とアルハイゼンは思った。アルハイゼンはたしかに彼が好むはずの方法で――アルハイゼンなりに最大限気を払って――告白したのだから、なんらかの変化はあって然るべきだった。
べつに、原始の恰好でベッドに飛び込んでこいと言っているわけではない。いやしてくれても一向に構わないが、精神的な潔癖性においてそこらの無垢な少女をも凌ぐ謎のこだわりを持っているカーヴェのことだから、たぶんそれはできないだろう。
五日前、風呂に入っていたカーヴェが突然全裸で飛び出してきたときは一瞬まさかと思ったけれども、もちろんアルハイゼンの期待するような展開などあるわけなく、水気を一切拭いもしていない彼は全身からぽたぽたと落ちるしずくを惜しみなく床に施しながら自室に駆け込んでいった。浴槽からあふれる湯を見ていまさら数千の周回遅れで自然科学の原理に気づいたわけでもないだろうが、実態としては似たようなものだった。彼のちょうど悩んでいた設計についての天啓を受けたのだ。彼のような天才はたいてい奇人なので、こういったインスピレーションのために常識的な感性を犠牲にする場面もめずらしくなかった。
とはいえ、アルハイゼンとしては自宅の床が無惨に濡らされてそのままになっているのをただ見守るのも癪だったから、部屋に閉じこもってごそごそしている同居人に責任ある行動を求めた。ドア越しに「わかったわかった、あとでな!」という声が返ってきたが十分経っても二十分経っても出てこない。そこまでくると床材はとっくに水を吸い込んでしまっている。業を煮やしたアルハイゼンは先輩とも思えない先輩の部屋に乱入して驚いたことにまだ服を着ていなかった彼を強引に引きずり出し、寒いだのもう吸収してるからいいだろうだののたまうカーヴェが自身の不始末を処理するまで監視しなければならなかった。かなしいことに全裸の相手に対してなんのときめきも感じなかった(肩胛骨に噛みつきたいなとは思った)。
四日前、カーヴェは風邪をひいて熱を出した。原因は明らかだ。彼はそれをひとしきりアルハイゼンのせいにして大騒ぎしたあと体力尽きて寝込んだ。惰弱。それに尽きた。
三日前、カーヴェの発熱はつづいていた。見るからに水分が足りていない哀れな姿を見かねてベッドの横でフルーツを剥いていると「身動きできない僕の隣で君がナイフを扱っていると、いまにもとどめを刺されそうでこわい」と譫妄か本気かわからないことを言うので、仕方なく手ずから食べさせた。
二日前、ようやく微熱になった。思いやりのつもりで「今日は掃除をしなくていい」と伝えると「頼まれてもするものか!」と返ってきた。
昨日、熱は下がったがまだ本調子でないのは明白だった。ぼうっとしている彼に気遣いのつもりで「夕飯はいらない」と告げると「自分だけ外でいいものを食べてくるつもりだな!」と食ってかかられた。彼の扱いはむずかしく面倒くさい。
そして今日、全快した彼は外の天気と同じ晴ればれとした表情で柔軟運動に励んでいた。ベッドに囚われていたこの数日で強張ったからだをほぐしている。明日からは仕事にも復帰すると言って上機嫌だった。いましかない、とアルハイゼンは思った。
「君は俺たちの関係をどう考えている?」
「……遠回しに家賃の督促をしてるのか? 昨日まで寝込んでいた僕に対して薄情だな君は」
「ちがう。俺たちは十日前から交際関係にあるが、それらしい接触が一切ないことについて君の考えを参考にしたい」
「はあ?」
出た。また「はあ?」だ。アルハイゼンは猫のように伸びをした姿勢のまま硬直したカーヴェをじっと見て、こちらも獲物の隙を狙う猫のようにじっと待った。
カーヴェは伸ばしきっていた腕を戻してどこか厳かにさえ見えるやり方で座り直した。
「交際関係? 接触ということは単なる友人や家主と店子のような関係じゃないってことだよな? 誰が? 僕と君が? どうして、いつから?」
「君は俺に憎からず想う相手の存在を訊いてわざと俺の言葉を誘ったし、俺はそれに対してきちんと応えただろう。君だと」
「は――えっ? あれって冗談じゃなかったのか?」
「俺はその手の悪趣味な冗談を好まない」
雲行きの怪しさを感じたのはアルハイゼンだけではなかったようで、カーヴェはなにか言いたげにくちをぱくぱくさせたあと、軽く曲げた指で言葉の出ないくちびるを隠した。
「いや、アルハイゼン、それはまずい」
「俺の告白を実は受け入れられていないということか」
「そういうことですらない、僕はひとに頼まれてあの質問をしたんだ。気が進まなかったけど以前すごくお世話になった女性だったから断れなくて……僕は、君がそんなの見透かしたうえで煙に巻く冗談を言ったのだと思っていた。なぜなら君はアルハイゼンだからだ。それがまさか」
「本気だなんて?」
カーヴェがうなずく。
「仮に僕が君に気があるとして、そんなまどろっこしい駆け引きをして望む言葉をほしがるようなやつとは思われたくないけど……それはそれとして、ここのところ僕は君をずいぶん期待させていたんだな?」
「否定はしない」
「わかった。それについては悪かった。でも返事についてはもうちょっと待ってくれ。どうせ十日待ったんだからあとすこし待ったって同じだろ」
三日後、めずらしくアルハイゼンより遅く帰ってきたカーヴェは見事な花束を抱えていた。淡色でまとめられ、大きさのわりに豪華というよりも可憐な印象の花束は、つかつかと歩んできた彼によりそのままアルハイゼンに突きつけられる。剣先を向けられるよりも得体の知れない威圧感があった。しかしアルハイゼンは手にしていた本を閉じなかった。
「なんだ?」
「君がほしがっていたものだ。よろしくお願いしますの花束」
「俺の調べたデータでは、告白の際に花束を渡すのは逆効果とあったが」
「それは出先で渡されたら持て余すからだろ! ここは君の家なんだから持て余すもなにもない」
「いや、そもそも花を扱う習慣がないからもらっても困るという結果も出ていた」
「ああそう、だったら受けとらなきゃいい。ただ僕の返事もいらないのか、花束だけいらないのか、それを決めるのは君に任せる。というか君に決めてもらわないと困る」
「ふむ」
アルハイゼンは今度こそ本を閉じてテーブルに置いた。分厚いハードカバーはやけに重々しい音を立てて持ち主の手を離れる。
「では君の返事ごと受け取ろう。だがそれの処理は君に一任する。どうせ俺がしたところでこの花にこの色の花瓶は合わないとかこの形の花瓶はそぐわないとか、デコレーション精神にあふれた誰かが横でいつまでもうるさいだろうからな」
大きな花束を一度腕のなかに入れ、その慎ましく愛らしい香りを感じて満足すると、カーヴェの手に戻してやる。彼ははじめからこうなることがわかっていたかのように出戻りした花束を迎え入れた。誇らしげでさえあった。
「やっと内装のセンスに欠けていることを自覚したんだな! いい心がけだアルハイゼン、ご褒美にひとつ教えてやる。この家にこの花束に似合う花瓶はない。つまり僕たちはこの家をもっと明るく華やかで住みよい場所するため新しい花器を買いにいかなければならないわけだ」
「俺についてこいと?」
「もちろん。じゃないと誰が支払う? ここは君の家だろう」「花束を持ち帰ったのは君だ」
「君ってほんとうにどうしようもないな! 考えてもみろよ、僕の選んだ花束のための花器を一緒に買いにいく。そのあと食事をして帰る。ほどほどの酒もついているとなおいい。多少なりともアルコールで浮ついた君はずっとしたいと思っていたことをもっとしたくなるだろうし、正体を失わない程度に酔った僕は君のずっとしたかったことに対してすごく寛容になるかもしれない。はじめてのデートとしてはなかなか悪くないだろ?」
悪くない、とアルハイゼンは素直に思った。
「君が仔猫のように愛らしく飲むと約束するなら、それで手を打とう」
そして実際、悪くなかった。
(20230123)