つきあってる了モモが深夜にきつねうどんを食べるお話。
ムビナナ後の時間軸(話には関与しません)です。
ぼんやりとした夜のぼんやりとしたポエムみたいなもの。
行為などの直接の描写はありませんが、事後の空気や仄めかしがあります。
苦手な方はご注意ください。
@natsuhaze_i7
温かいのと冷たいの、どっち? と聞かれたので、三秒ほどの間をおいて、温かいの、と答えた。
「刻みねぎ、入れて」
真っ暗な部屋の中、フンと鼻を鳴らすだけの返事が耳に届く。身じろぎする気配があって、床置きのセンサーライトが点灯し、淡い薄橙色の光を生み出した。ベッドから足を下ろしたのだろう。
ライトの光量はごく控えめで、ぼんやりと足もとだけを照らしている。その足が、素足のままキッチンへと向かう。
湿ったシーツの上、仰向けに寝転んだまま、なんとなく目だけを動かして闇に沈む室内をぐるりと見る。
コンクリ打ちっ放しの壁に、天井を走るダクトレール。窓には無機質なシャッターが下りて、外界を遮断している。カーテンは無し、調度品は最低限。殺風景だけれど、あの無駄に豪奢なタワマンよりか余程いい。
ここは、了さんのセーフハウスだ。
ほぼ放置状態だったのを、勾留からの釈放後はメインづかいにしているらしい。単身者用のデザイナーズマンションで、ワンルームのスタジオタイプ。正面入り口の他に、併設の立体駐車場と繋がって入居者専用の裏口があるのがなにかと便利だ。
たとえば、だらだらと長くかかった収録の仕事を終えて、人目を忍びつつ夜食を食べに来る時なんかには。
昨夜、というか数時間前。楽屋で帰り支度をしていたところに、ぽんとラビチャが届いた。
『夜食作るけど来る?』
通知に見えた一行のメッセージに、思わず苦笑する。
今日の収録はひどく長引いた。誰が、何が悪いわけでもなく、ただ段取りが微妙に噛み合わなかったり、小さなトラブルが玉突きしたり。苛立ちに疲弊していく現場で、スタッフにも出演者にも、とにかくすべての人に笑顔と愛想を振りまき、棘を受け止め、ささくれ立った空気を和らげるクッションとして数時間を過ごした。
アイドルにとって、笑顔を作るなんて息をするのと同じようなものだ。しかし、てっぺんを越えてすべての収録が終了し、挨拶を終えて、ぷつりと感情の糸が切れた。笑みの形を作ったまま強張った頬を、てのひらでそっと解し、指先で口の端を引っ張って、への字に下げる。本日のアイドルスマイルは品切れ。さっさとマスクに覆い隠して、部屋に籠ってしまいたい。
そういう夜に、月雲了という人間は、なぜかタイミングよく連絡を寄越す。
メンタルとフィジカルのどっちか、あるいは両方が擦り切れて、アイドルのモモちゃんの魔法が解け、剥き出しのオレに戻ってしまった夜に、自分の機嫌も他人の機嫌も取らなくていい時間と場所をくれる。
不機嫌なままで居ていい場所。不機嫌なままで居させてくれる人。
すべての力を抜いて、心と身体を投げ出せる。掛け値なしのセーフハウス。
……夜食を食べさせると言って呼んでおいて、その前にオレのほうが食べられてしまうのは、ちょっとどうかと思うけれど。
× × ×
キッチンで、ことことと作業の気配がする。しばらくして、出汁のいい匂いが漂ってきた。
身体じゅうが怠い。瞼は重くしょぼつく。でも、それ以上に腹が減ってる。
フロアベッドからのそのそと這い出して辺りを見まわし、思い出す。着替えは全部、シャワールームに置きっぱなしだ。取りに行くの、面倒だな。
丸められてそのへんに転がっていた了さんのシャツを肩がけに羽織って、ローテーブルの前にぺたりと座った。
バスローブ姿で、うどん鉢をのせたトレイを持ってきた了さんに、なんでか三度見くらいされたけれど、気づかないふりをしておく。
「――ところで、なんでうどん?」
「士郎が持ってきたんだよ。時節柄、付け届けか何かだろうね」
へえ、と言って、視線を泳がせた。灰色の部屋、低い位置の家具。了さんと同じ身長の、ŹOOĻのマネージャーを思い浮かべる。へえ。頭のなかで、もういちど呟く。
「宇都木さんって、この部屋に来るんだ?」
口から流すのは、なんということもないような声色。了さんはテーブルに箸を揃えている。
「駐車場までね。書類を届けるついでに置いていった」
「あ、……そう」
うっかり、腑抜けた声が出る。了さんが横目でちらりとこっちを見て、薄ら笑いを浮かべた。口角が上がり、三日月じみた弧を描いている。
牙みたいに八重歯を出して威嚇してやった。
白くもっちりとしたうどんの上に、お揚げが二枚と、たっぷりの刻みねぎと、薄っぺらい蒲鉾が乗っていた。出汁がふわりと香って食欲を刺激する。
きつねうどんだ。
「これってもしかして、推しメニューってやつ?」
葡萄はないの、と冗談で言ったら、タッパーが出てきて、小さな粒々の房がひょいと乗せられた。海ぶどうだ。マジか。
黙々とうどんをすする。光沢のある細麺のうどんは、しなやかな食感がありつつ喉越しはつるりとしていて、飲み物みたいにいくらでも呑み込めてしまいそうだった。ツクモの手配だし、きっと良いものなんだろう。
たっぷりとかけられたつゆには、お揚げからも味が出ていて、透きとおっていながら濃い味が美味しい。しかし熱い。一口、二口と飲むうち、額に汗が滲んでくる。
てのひらでぱたぱたと顔を扇いでいると、了さんが立ち上がって窓を細く開けた。気持ちばかり、ぬるい風が入ってくる。外は真っ黒で、何も見えない。
星を見るには都心に近すぎる。夜景を見るには灯かりが足りない。そんなどっちつかずな場所に、了さんは住んでいる。オレは夜食を食べに来る。
空きっ腹が満たされて人心地がつき、はぁっと息を吐いた。ふと見ると、テーブルの隅に文庫本が置かれている。汁はねで汚しそうだ。脇に除けようと手に取って、タイトルが目に入り、思わずゲッと声が出た。
イソップの寓話集だった。多分、狐と葡萄の話も載っているやつ。
「あっちでは退屈だったから、ひととおり読んでみたんだけど」
お揚げを箸で持ち上げてぎゅうぎゅうとつゆを絞っていた了さんが、つまらなそうな顔で言った。
「どれもこれもあれもそれも、予定調和な因果応報で終わるの何? もしかしてこれがざまぁ系ってやつ?」
「了さん、よくそんな単語知ってんね。まあ確かに、一気読みしたらちょっと胸やけがするかも」
教訓話は、道徳の時間にひとつふたつとか、絵本できれいな絵と一緒に読むから心に入るのであって。文庫本にびっしりと文字を詰めて、数百篇も収められていたら、それだけで圧がきつい。
「ああでも、ひとつモモ向けの話があったよ」
「オレ向け?」
了さんがオレの手から本を取り、しおり紐の挟まれた箇所を開く。テーブル越しに覗き込むと、ページの隅に挿し絵があった。
なにかを口にくわえて丸太橋の上に立ち、水面を覗き込んでいる犬。
「……犬じゃん」
「犬だけど。なにか問題が?」
狐の話じゃないのか。と思ったのは言わないでおく。
「だって、モモは犬じゃないか」
一瞬、ぴくりと頬が動きかけたが、どうにか平静を保つ。昔、憧れの人たちに知らぬ間につけられていた不名誉なあだ名を、この人は知らないはずだ。
「あの時、モモは言ったよね。了さん、あんたの犬だよって。前言撤回されてないから、モモは僕の犬なんだよね。ワンワン!」
は?
あの時、って。
「それ言う? その話する? 趣味が悪いってレベルじゃないんですけど!?」
「やだなあ。趣味が良かったら、こんな夜中にこんな男と、きつねうどんなんか食べてないだろう?」
どっちの話だ。オレか。了さんか。
どっちでもあるのか。
「ほんっと、趣味、悪い……」
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好物の骨をくわえた犬が、橋を渡ろうとしていた。
ふと足もとを見ると、見知らぬ犬が、もっと立派な骨をくわえてこちらを見上げている。羨ましくなった犬は、こいつの骨を奪ってやろうと、大きく口をあけて吠えたてた。途端、くわえていた骨は川へと落ちて、流されてしまった。
見知らぬ犬は、水面に映った自分だったのだ。
犬は、すべてを失ってしまった。
もとから持っていた大好きな骨も、奪おうとした幻の骨も。
欲望のまま、両方を手に入れようとした報いとして。
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欲ばりな犬、というタイトルがついていた。
文庫本をテーブルの上に伏せて置き、羽織っていたシャツを身体に巻きつけて、ずりずりと移動する。
了さんの隣に膝を抱えて座り、首を傾けて、上目遣いに下から覗き込む。お揚げはすっかり絞られて、うどんの上で萎びていた。後でスタッフが美味しくいただきます。
「オレさぁ。リバーサイドで暮らすんだよね」
僅かに肩が揺れた。
「……ふうん? いいんじゃない?」
川はいつだってオレの傍らにあり、オレはいつだって川の傍らにある。
水の鏡に映る自分を、これまでも、これからも、ずっと瞳に映していく。
「でもさ、大丈夫。ないものねだりで吠えたりしない。くわえた骨は離さない。こんなふうに」
不意打ちでバスローブの襟を引っ張る。つんのめるように姿勢を崩した了さんを受けとめて、ガチリと歯をぶつけるように口を合わせ、唇を食んだ。たがいに目は閉じないまま眼光が絡みあう。軽く歯を立てると、観念したように少しだけ目の光が和らいだ。この刹那がとても好きだ。
キスをするとき。オレを抱くとき。了さんの瞳には、常からの皮肉めいた色に隠して、いつも、いつまでも、戸惑いの色が消えない。
手のなかにあるのが信じ難い、とでも言いたげな顔をする。
だったら、信じられるようになるまで、いつまでだって、口に入れてやる。
かじりついてやる。離してなんかやらない。
骨になるまで。骨になっても。
御伽話の向こう側まで。