@twirl_rabbit
天候、晴天。
気分、晴々。
面々、唖然。
私は、笑顔。
桜の木々を臨める本丸の大広間には、朝餉の時間ということもあって刀剣たちが揃い踏みだった。皆々が一様に私を見て、顔を顰める。和やかな春の陽気とは裏腹な、刺すように冷たい視線と空気に口元が歪む。キリ、と胃がうずいた気もするが無視を決め込んだ。
「俺達より遅くくるたぁ、審神者っつーのは良い御身分だよなぁ。」
静寂から生まれた言葉は刺と毒しか孕んでいない。鍛刀によって彼がこの本丸に来てくれた日を昨日のことのように懐かしく思える。彼は審神者である私を見て、開口一番なんといったか。ああ、そうだ。とても心にくる言葉を吐かれたものだ。
和泉守兼定、ここ本丸で最も練度が高く、最も私に当たりの強い刀剣。
「申し訳ありません、ですが皆様が揃ったころにと、思いましたので。」
私の身体は広間に入りはしない。廊下の板の上で、正座する。広間の面々は訝しげに私を見る。
それもそうだ。朝から私の姿を見るものはほとんどいないのだから。
「お伝えしたいことが、あります。」
すう、と、息を吸う。
清涼な空気だ。雰囲気とは程遠い、澄んで心地の良い空気が私の肺を満たす。バクバクと鳴る心臓を叱咤して、昨日一晩悩んで悩んで考えた一言を、いっそ質素簡潔に纏めた台詞を口から出す。
「一ヶ月後に、私は審神者という立場を退き、この本丸から去ります。」
今まで有難うございました。
そう言って、頭を下げ、一呼吸してから広間に視線を戻す。
私は、審神者を辞める決意を固めた。
* * *
少しだけ昔を振り返ろうと思う。
普通の社会人、そのへんの中小企業で事務員として私は働いていた。朝起きて、会社に行って、夕方帰宅し、明日の準備をして寝る。休日は平日にできない些事を片付けて、たまに趣味を満喫する。至って普通の一般人である。
平々凡々を実体化したような私の手元に政府から封筒が届いたのは、気持ちよく晴れた日曜日だった。厳重に封をされた分厚いそれを開けてみれば、「審神者候補に選ばれました」という内容の堅苦しい文章と、手続き書類一式だった。
なんの冗談かと首を傾げて、とりあえずパソコンを立ち上げた。得体の知れない封筒はドッキリか新手の詐欺か、文章に書いてあるキーワードを元にインターネットで検索をかける。1秒もしないで表示された検索結果にただただ目を瞠った。膨大なる検索結果、トップの行には「政府が「審神者」とかいう新しい職種に就く人間をかき集めてる件」という某掲示板のまとめ記事だ。
その記事に目を通してわかったのは、これは決して冗談ではないこと、初めての試みであるということ、日本の歴史に重大に干渉する可能性のある職種ということ、そして、「未来」の人間が携わっているということ。
頭は混乱を極めていた。落ち着いてテレビをつけてニュースをみても、「審神者候補」なんて単語はどこにも出てこない。某所で伝統行事が行われました、某所で傷害事件があり経緯を調査中です、まもなく開催される市をあげたマラソン大会に関して小学生たちも張り切っています。すごくどうでもいい情報ばかりだ。欲しい情報は何一つ流れてこない。
震える手で今一度、手元の紙を見つめる。小難しい文字は頭のなかで自然と簡単な内容に改変されて入ってくる。けれど飲み込み易い形になったからといって浸透するとは限らない。
「これは国家機密である」、そのわりにインターネットに駄々漏れである。このご時世厳戒令などあってないものだ。
「「未来」の日本政府からの依頼である」、釣りかな?盛大な釣りなのかな?こんなのに釣られクマー。
「貴方は審神者としての資質を秘めていることが判明した」、これ膨大な受講料取られる詐欺の謳い文句みたいだな。やっぱり詐欺なのかな。
「審神者となるために長期に渡り講義・訓練を受けてもらう」、え、無理なにそれ死んじゃう。
「ついては下記日時場所詳細ご確認の上必ず集合のこと」、強制してくるとか政府って何様のつもりなんだろうか。
「集合しない場合厳重なる罰則を課す」、あ、これ逃げれないやつや。
「なお、勤務先には追って政府より通達する。」、嘘だろジョニー。
手の中で紙がクシャリと音を立てる。
日時は、明日月曜日である。
封筒の中にはご丁寧に、新幹線のチケットも入っていた。ヤダすごい地方民に対する配慮も万全じゃないこれってやっぱり本当に政府からの書類なのね、などと一人呟いても突っ込んでくれる人は誰もいない。
とりあえず、職場の先輩に連絡をした。
「政府から呼び出し食らったので明日休みます。」
反応は、案外早かった。
「よく分かりませんが、明日も一日頑張りましょう。」
ですよね。
* * *
詳細は省くが、審神者になるための講義と訓練は過酷だった。
全国から集められたという500有余名の審神者候補生はは日に日にその数を減らしていった。座学での成績が悪い者、訓練で適性が低いと判断された者、脱落者は日を追うごとに多くなっていった。
なんの因果か私は候補生として残り続けた。勉強は苦手だったが暗記は得意だったので死ぬ気で覚えた。別に成績不良で脱落するのも手ではあったが、会社を長期にわたって休んでいるし、この「審神者候補生」というものが世間からどう評価されているのか分からない以上、迂闊に脱落することもなんだか憚られた。世間体は大事である。
一番難儀だった訓練はかなりの肉体訓練で、様々な武術(現代においていつ使うんだろうと思うものばかり)や基礎体力をつける内容だった。あまり運動は得意ではないがやはり死ぬ気でついていった。男性の方が有利な訓練だろ、と悪態をついたが、男性でも死にそうになっている人がいるので男女差別は良くないと思った。
講義と訓練は長く続いた。日付の感覚は曖昧になる一方で、世間から隔離されて何日経ったのかわからなくなった。かろうじて、髪の伸びた長さで「3ヶ月半くらいかな」程度だった。そこまでくると候補生は100人も残っていなかった。そうなると候補生同士でも結束が強くなった。ちなみに候補生同士名前を知らない。審神者になるにあたり「名前」は命に等しいことと教えられ、「本名」を口にしないことを徹底された。ただそれだと個人識別が難解なため、各人に渡された番号を名前の代わりにした。一部の人は異なる名前を名乗っていた。政府関係者は「本名でなければいい」と無関心だった。
ある雨の降る日だった。
座学のために集まった部屋でいつものように講義が始まった。歴史の講義がほとんどの中、久々の「審神者とは」という審神者に関する講義だった。
内容は今までの復習みたいなものだったが、今日は少し違う話も入った。
鍛刀および手入れに関することだった。
「みなさんは、鍛刀儀式、手入れ儀式の詳細はもうご存知ですね」
ホワイトボードに「鍛刀」「手入れ」と教官が文字を書く。もう何度も見たし書いたし、ゲシュタルト崩壊も間近だ。
「…ここまでの訓練と講義を全てクリアしてきた皆さんに、一つの揺るぎない事実をお伝えしようと思います。」
部屋の中は静かなものだった。ただ明らかに、空気は変わった。
講演台に両手をつき、まっすぐに私達候補生を見ながら、教官は淡々と語る。
「鍛刀も、手入れも、みなさんの寿命を縮める行為です。
生命力を元に神を降ろします。生命力を元に神を治すのです。なにも代償なしに出来る行為ではない。
訓練では儀式を行っても影響は一切ありません。しかし実際に、審神者になれるかどうかの最終試験で「鍛刀儀式」を行っていただきます。そこが、みなさんが体験する初めての「命を磨り減らす」儀式です。それ以降、みなさんは神を降ろし、歴史修正主義者と戦い傷ついた刀剣たちを手入れする。それを行うたびに皆さんの死が近づいてきます。
生み出された刀剣は、皆さんのために戦うでしょう。皆さんのために傷つくでしょう。しかし寿命を大切にするのならば、一人一人の刀剣と絆を深めてください。そして無理な戦闘は絶対に避けて、全体の練度を上げることが大切です。
政府の意向はともかく、私自身はこれまで共に生活してきた皆さんをみすみす死なせるようなことはしたくはない。刀剣たちと仲良くなること。それはひいては皆さんのためにもなることを、よくよく覚えていてください。」
誰も、言葉を発せなかった。
一つ一つの言葉の意味が、心をぐさりぐさりと刺してくる。刺さるということは、思い当たるフシがあるからなのだ。今までの講義のなかで、それを匂わせるような内容は確かにあった。ただ深くは考えなかったし考えたくもなかったし、なによりそれが事実かどうかもわからなければ、自分にそのような事が起こるなんて今の今まで考えたこともなかったからだ。
ず、と、鼻をすする音を皮切りに、あちこちで嗚咽が漏れ始めた。
ああ、死ぬかもしれないのか。
案外早く訪れるかもしれない死を、こんな無機質なコンクリート剥き出しの壁に囲われた部屋では感じたくなかった。
衝撃的な講義の数日後、いよいよ最終試験の日となった。
全身真っ白の袴に身をつつみ、「鍛刀儀式」を行うのだ。
誰かが、ぽつりと言葉を漏らした。「死に装束みたいだね」、と。
否定も、賛同もなかった。あるのは無言だけだった。
順番に、儀式のための専用の部屋に入る。渡されるのは資材一式と、「手伝い札」と呼ばれる鍛刀に必要な時間を短縮する得体の知れない札だった。これを使うと、時間は短くなるが必要な生命力を一気に奪われるために、気絶もしくは昏睡する可能性があるとも説明を受けた。今回は試験を迅速に行うために協力してくれと言われ渡された。使用を渋ったとしても強制的に使わされるのだろう。鬱だ。
いよいよ私の番になった。資材は大量に用意されている。使用量は任意だから、最小量をつぎ込んでも、最大量をつぎ込んでも構わないと言われている。
だから本当に、適当に。
心のなかでは、失敗しますようにと願いながら。
鍛刀精霊という小さな人型をした付喪神が、鍛冶場の道具を前に目を閉じて座っている。資材を用意し祈祷して、この小さな生き物が動き出せば成功なのだが。
資材を捧げて、作法に乗っ取り儀式を行う。
すると、どうだろうか。
その付喪神が瞼を上げて、ゆっくりと動き出した。
「おめでとうございます。貴方は、審神者としての適正があります。」
後ろに控えていた教官が、事務的に告げてきた。
嬉しさは微塵もなかった。今この瞬間、刻々と私の生命力が削れているのかと思うと得体のしれない恐怖のようなものが背筋を走る。
「さあ、手伝い札を。」
促されるままに、私は手伝い札を使う。
掲げるように持った瞬間、それは淡く光り端から燃えていった。
カァン!と一際大きな音がたった。はたと付喪神を見れば、自信満々に一振りの刀を差し出してくる。いつの間に鍛刀を終わらせた。
「………、番号110番、身体に不調はないか。」
「……いえ、なんとも?」
両手で刀を持ったまま、振り替えずに答える。少しだるいような気もするが、危惧していたほどでは全然ない。ふむ、と息を漏らす教官を無視して、私は刀に呼びかける。
「どうぞ、お目を醒ましください。」
ふわりと、桜の花びらのように光が舞う。
刀身が光ったかと思うと、それが掻き消えて代わりに一人の男性が現れた。
「……俺は和泉守兼定、あんたが俺の主か?」
「…あ、はい。よろしくお願いします。」
「なんだ、女かよ。」
じろりと、不遜な態度でこちらを見下ろしてくる長髪の男性。
彼が、私の初めての刀剣なのだと感慨深く思うと同時に、なんだか話しに聞いていたよりも敵愾心剥き出しな気がしてならなかった。
* * *
そこから、私の審神者業が始まったのだ。
全ては、政府のお達しだったのだ。
それがどうして冒頭に至ったのか。
どうして辞めることになったのか。
簡潔に言えば、刀剣たちが私を一切慕ってくれないことにある。
会えば無視、舌打ち、嫌味は当たり前。戦場に出せば無理をするなと達してあるのに命令を無視し重傷で帰ってくる。手入れ部屋で何故無茶をしたなどと小言を言おうものなら「これだから女は」とまさかの性差別。
女だからなんだよ畜生見返してやる、と意気込んで寿命のことなど頭から追い出して次々と鍛刀を繰り返した。希少刀剣もかなり揃ってきてドヤ顔決め込もうと思ったら「男はべらして楽しいか?」と嫌味一発。いやはべってくれないじゃないかと喉元まで出かかった言葉をギリギリ飲み込んだ。
一番練度の高く刀たちの中心となっている和泉守兼定が、審神者いじめのような行動をしているせいで皆引きずられるようにして私を厭った。打刀と太刀は一部を除き私を命令を無視するものが多かった。大太刀たちは静観を決め込んでいるのか近づきもしないが嫌われているということもないように感じた。短剣たちは他刀の対応に戸惑い自然と私には近づかなかった。演練とかいう他審神者の刀剣との練習試合で相手宅を見ることがあったが、うちの刀剣たちと違いすぎてめまいがした。
最初は泣いたし苦しんだ。胃痛が止まらなかった。政府に愚痴ったら「そのような状態は初めて聞くからしばらく報告を続けろ」と実験サンプル扱いされた。味方はいないのか。ああ、薬研藤四郎や、奇跡的に鍛刀できた三日月宗近・鶴丸国永と、小狐丸。このへんは普通に接してくれる気がする。
話しかけても無視・舌打ち、出陣や遠征の旨を伝えれば嫌味や命令無視、それらをしばらく繰り返して、ある日ふと悟ったのだ。
ああ、私は群衆における「そういう」立ち位置なんだと。
それをすとんと理解してしまえば、全ての仕打ちに諦めがついた。傷つくことは傷つくが、私を厭う刀剣たちにも笑顔で接することができた。「気持ちが悪い」「ニヤニヤするな」「うざい」、笑顔の私を皆はそうこき下ろした。不思議となんとも思わなかった。なぜなら私はそういう立場なのだからだ。
ただ今度は、迫り来る寿命に怯えるようになった。重傷で帰ってきて手入れするたびに私の命は減っていく。見返すために調子に乗って鍛刀もした。私の余命は幾ばくなのだろうか。聞けば、審神者でいる限りとりあえず寿命が訪れても死ぬことはないらしい。しかし、寿命を使い果たせば鍛刀も手入れもできなくなるという。ということは、これを繰り返して重傷者を治せなくなったその時が、私の死なのである。
それはなんとしても避けたい。けれどどうすればいいのかわからない。
だから考えた。足りない頭を使って考えた。
結論は、「余命を大事にしたい」だった。だから、私は審神者を辞めることにした。
政府に連絡をとった。何故辞めるのかと叱責された。私は尤もらしいことを伝えた。今のままでは重傷者の手当で私の寿命は尽きる。重傷者を治せなければ出撃もままならない。まもなくくるその未来で慌てるよりも今から引き継ぎをしていたほうがいいだろう。私がここにいると刀剣たちの士気にも関わると思う。何事にも早めの対応が必要だろう。要約すればそういうことをくどくどと毎日訴えた。審神者の私室にある報告用のパソコンで必死に訴えた。
訴えは見事聞き遂げられた。長い戦いだった。その間にも私の寿命はゴリゴリ削られた。それでも手入れできたくなるということはなかったから、私の寿命は意外と長かったのかもしれない。手入れでどの程度寿命が短くなるのかわからないからなんとも言えないところではあるが。
「引き継ぎの審神者をなんとか手当できた。番号110ほどではないが、そこそこの実力者ではある。」
政府関係者からの連絡で告げられたのは私が待ち望んでいた内容だった。画面越しに顔は見えないからと思わず笑顔になる。
「私は実力者なんかじゃありませんよ。」
「あの三日月宗近を鍛刀しておいてそれは謙遜というものだ。それに、所持刀剣数も比較にならない。それだけの刀剣を維持できるのはありえないことなんだぞ。」
「……そんな私の代わりをよく見つけられましたね。」
「こんなことは言いたくないが、君たちは「使い捨て」だ。代わりは用意しなければいけないことは必然だ。こんなに早いとは思わなかったがな。」
なんとでも言えばいい。面と向かわない嫌味など痛くも痒くもない。
ああ、ここから抜け出せる。そう思うと身体が軽く感じた。
政府の連絡から数日後、最近機嫌がいいな、と薬研に声をかけられて、そんなに目に見えてわかるほど浮かれているかと思ってしまった。ふふ、とただ笑った。
「明日の朝、ちょっと大事な話をしようと思ってるんです。」
「…大事な話?」
「はい。ああでも、みなさんにとっては瑣末なことかもしれません。ただ伝えないのも失礼かと思いまして。」
首をかしげる薬研がおかしくて、私はまた笑ってしまった。
* * *
広間を後にすると、慌てたように薬研が駆けてきた。
「大将!どういうことだ!?」
怒る薬研が珍しくて目を瞠ったが、すぐに笑顔に表情を戻す。
「薬研もお疲れ様でした。私みたいな人間の下に就くことは酷だったでしょう。でももう1ヵ月だけお付き合いください。」
ああ、引き継ぎが早まる可能性もありますので。
そう伝えれば、目の前の短刀は歯噛みする。
天候、晴天。
気分、晴々。
面々、唖然。
私は、笑顔。
平穏無事に本丸から去ることができないと、この時の私は知る由もなかった。