X以外のSNSでの投稿にはPrivatter+がおすすめです

審神者を辞めることにしました。【2】

全体公開 6 11392文字
2015-09-07 12:37:18


 天候、曇天。
 気分、安寧。
 面々、焦燥。
 私は、感傷。

「本当によろしいのですか?」
 とことこと足元に毛玉が絡みついてくる。
 補助サポーターとして各審神者に与えられる狐の神使みたいなロボット。本物のように動くのに機能はハイスペックで、どこぞの青狸も真っ青だ。この狐もどきは審神者と刀剣たちの様子を逐一政府に報告する役目を担っている。刀剣と審神者の仲が著しく悪かったり、審神者が鍛刀・手入れをできなくなったりしたらそれも余すことなく報告する。
 この狐もどきがきちんと我が本丸の様子を上に報告していれば、私はもっと早くここから立ちされたのではないかと今でも思う。
「もう決めました。私はここを去ります。貴方がこの本丸のことをきちんと報告していれば私はもっと早くこの本丸をされたと思うんですが、職務怠慢なんじゃありませんか?」
 私の毒に心外だとばかりにしっぽをブワリとふくらませる。その尻尾を鷲掴みたいが我慢した。これの毛並みが思うほど柔らかくないことを結構早い段階で知ったからだ。
「ご冗談を!私はこの目で見たことを余すことなく全て報告しています!
 この本丸は刀剣と審神者の仲は悪いですがそれ以外は順風満帆だったじゃないですか!」
「そうね、それ以外は順風満帆ね。」
 そこが大事じゃないかと、深くため息を吐いた。

 審神者としての任期は、残り二十九日。

* * *

 私は基本的に私室から動かない。動く必要がないからだ。
 政府は審神者が本丸に住まうにあたり、審神者の執務室に一つの配慮をしてくれた。それは、ガス水道電気を通し、簡単なキッチンと洗濯機と3点ユニットバスの配備だった。あまりにも現代的な設備に慣れすぎた審神者にとってそれらは本当に涙を流さんばかりの配慮だった。
 特に私にとって、私室をでなくてもよくて助かった。幸い料理は苦ではないし、食材は政府の定期的な資材配給の時に頼めば一緒に届けてくれた。これも現代食に慣れた審神者への配慮だった。
 住居と食事に関しては本当に気が利く政府で助かった。それ以外は推して知るべし、だが。
 そのような理由もあって、私は部屋からほとんどでない。なぜなら出たところで刀剣たちと顔を合わせればこちらの精神がすり減るだけだったからだ。例外は、刀剣たちの手入れの時に手入れ専用の部屋に行くくらいか。刀装は刀剣たちが勝手にできるようで、私はそこには触れていない。
 毎朝顔を出してくれる薬研を今日は見ていない。昨日怒らせてから一日中会話もなかったから、もしかしてこれから退任するまでそういう態度を取られるかもしれない。
 話し相手がいなくなるというのは辛かったが、私はそれ相応のことをしたので仕方ないと諦めた。
 それよりも、ここを出たらなにをしようか。
 引き継ぎや今までの任務に関するレポートの草案を持って私は縁側へ足を運んだ。空は曇っているが、雨が降る気配はない。昨日の晴天が恋しかったが、文句をいう相手もいないのでそのままそこに腰をおろした。
 書類に目を通しつつ、思考は遠くへと飛んで行く。
 思えば遠くへ来たもんだ、なんてどこかで聞いたことのあるフレーズが頭をよぎった。

 初めて和泉守兼定と共にここへ来た時は、緊張と感動で手が震えたものだ。彼は一つ舌打ちし、さっさと中へと入っていってしまった。
 私の足元にいた狐もどきが、早速出陣に行こうと言い出して、私はそれに従った。和泉守兼定和泉守は嫌そうに顔を歪めて、渋々出陣してくれた。
 そして、重傷を負って帰ってきた。一振りの刀とともに。
 それは驚いた。初陣でボロボロになるなんて聞いてないし、戦地へ向かった帰りに刀剣を拾ってくることがあるとは聞いていたが、その事象にこんなに早く立ち会えるとも思っていなかったのだ。
 兎にも角にも手入れしましょう、と言えば、「お前なんかに任せて大丈夫なのかよ」となんとも言えないお言葉を賜った。大丈夫です、そう豪語すれば、重そうに身体を引きずって手入れ部屋に入ってくれた。
 私が手入れの準備をしていると、ゴトリと硬い音が聞こえた。振り向けば床に二振りの刀剣が身体を鞘に収めた状態で横たわっていた。一振りは先程彼が持ち帰った刀、であればもう一振りは彼なのだと考えれば合点がいく。
 ああそうか、手入れの時は本来の姿に戻るんだった、と講義で習ったことを思い出す。
 ずっしりと重い太刀は実習の時と同じ重さのはずなのに、緊張感からかもっと重く感じられた。
 道具を使って、早く治れ、早く治れと思いながら丁寧に作業を進める。実習の時と変わらない作業だが、目に見えてボロボロだった刀身が治っていく。そして作業を進めれば進めるほど、手先が冷えていく感覚があった。
 ああ、これが寿命を削っているということなのだろうか。
 ひと通り作業が終わり、はぁ、と息をつく。
「終わりましたか。」
 狐もどきがいつの間にか側にいた。それを目の端に捉えて、一つ愚痴をこぼす。
何度、これを続けるのでしょうか。」
「終りが来るまでですよ」
 貴方の命の、と、続くのだろうか。その言葉の後ろには。
 すべての作業が終わったが、和泉守は人型を取ることなくそのままだった。しょうがなく刀掛けに置く。
 そして床に置き去りにされたままだった刀剣に手を伸ばした。
 脇差のようで、鞘から引き抜いてみる。やはりボロボロなそれに閉口して、先ほどと同じように手入れをしてやる。
 和泉守のときよりも短時間で済んだそれを今一度鞘に戻し、鍛刀時の時と同じく、言葉を紡ぐ。
「どうぞ、お目を醒ましてください。」
 ふわりと、桜の花びらのように光が舞う。なんなんだろうこの特殊演出。
 刀身が光ったかと思うと、それが掻き消えて代わりに一人の少年が現れた。
 くり、と、どこか見たことのある色の瞳が辺りを見回して、こちらを捉えた。
「すみません、こちらに兼さんはいらしてますか。」
 開口一番それですか?、と、言いかけて止める。
「兼さん、とは」
「あ、失礼しました。和泉守兼定のことです。」
「ああ、それなら」
 こちらに、と言う前に、私の背後を見て目の前の少年が喜色を宿して叫ぶ。
「兼さん!」
「うるせーぞ国広。」
 和泉守に飛び込むように抱きつく少年、そしてそれを嫌がる素振りも見せずに受け入れる彼に驚く。ぐりぐりと少年の頭を撫で、その顔には笑みさえ浮かべている。むっすりとした顔しか知らなかったから、案外表情豊かなのだとこの時知った。
「貴方が、僕の主さんですか?」
 ひとしきり触れ合って満足したのか、ようやく国広と呼ばれた少年がこちらに向き直った。立った二人に対して、私は座ったままだったが、わざわざ彼は目線を合わせるように腰をおろして。
 そして和泉守に引っ張られよろけるようにまた立ち上がったのだ。
 きょとんとする国広の腕を掴んで、和泉守は部屋の入口へと向かう。
「挨拶は後回しだ国広。こっち来い」
「ええええ!?ちょっと、兼さん!あ、あのすみません!またあとで、」
 ご挨拶に伺います!という声が、フェードアウトしていった。
 それを、口を開けたアホ面のまま見送ってしまったのだった。

 その後、和泉守を中心として部隊は戦場を渡り歩いた。強くなり前へ進むことだけしか頭にないというように、彼らは次々と敵を屠っていった。そして傷だらけで帰ってきた。
「ここまで傷つく前に帰ってきてくださいと、何度申し上げたと思っているんですかっ!」
 ある日傷だらけの彼にそう吠えた。その頃にはすでに主力勢が決まっていて、彼らは私を冷たく見下ろしていた。それにもめげず、いやむしろそれに触発されたかのように私は叫んだのだ。
 そんな私の怒りも嘆きも彼らには届かなかった。むしろ、嫌悪するように顔を歪めて、隊長だった和泉守は舌打ちしながら言い放ったのだ。
「安全な場所で座ってるだけの奴が口出ししてくんな。」
 実際敵と殺し合いをしてるのは俺たちだ。
 ぐうの音も出なかった。むしろ怯んでしまった。言い返せなかった。
 悔しくて涙が出そうだった。目の淵に熱いものがこみ上げ、とっさに顔を伏せた。また、頭上で舌打ちが聞こえた。そのまま私は、声だけは震えないようにと力を込めて、手入れ部屋へどうぞ、と告げたのだ。
 辛かった、悔しかった、悲しかった、苦しかった、怖かった。
 背筋が冷えて、ぎゅうと下腹が熱を持った。声をだしたかったけれど、それは許されなかった。
 戦果は上々で、刀剣の鍛刀・拾得率も上々で、政府は私の報告を聞くたびに喜んだ。一方で、手入れの数が多いことに苦言を呈した。
 そのようなことではすぐに駄目になるのだから、もっと刀剣たちに釘をさせと、なにも知らずにそういった。
 なにを知っている、なにを見ている、なにを理解している。通信の切れたパソコンの前で一人泣いたことは数知れない。こんのすけはそんな私をみて、慰めるでもなく、刀剣たちともっと交流しましょうね、とテンプレートを押し付けてきた。
 できるなら苦労しない。私は主力陣らと直接話をすることさえ許されていない。堀川国広や短刀で唯一話しかけてくれる薬研藤四郎を挟まないと自分の意見さえ言えない。言っても全てが無視されるのだ。
 交流とは互いに歩み寄って初めて成し得る行為なのだ。これがこんなに難しく心を痛めるものなのだと、恥ずかしながらこの歳になるまで気づきもしなかった。私の周りの人間関係とはなんとぬるい湯の中にあったのだろう。

 ぱたり、と、音がしてはっと気づく。
 書類に小さな水の円ができていた。慌てて拭うが少々字が滲んでしまった。提出する書類でもなければ読むに困るほどのものでもなく、ほっと一息つく。
 昨日の今日で心が不安定なのか、昔のことを思い出してしまった。空の暗さが心にまで影を作ってしまったのだろうか。
 いや、昨日まではこんなことを考える心の余裕すらなかったのだ。あと一ヶ月程度でこの苦業から逃れられる、という希望が過去に浸る余裕を作ってくれたのかもしれない。
 今日中にこの草案に手直しを加えてレポートを提出しなければならないのだ。改めて、紙面に目を向ける。
 その瞬間、もふり、と何かが足に触れた。

* * *

 どこに行ったのだろう、と、五虎退は周囲を見渡した。いつも五頭一緒にいるが、ふらりと遊びに行ってしまう癖があるのが二頭いた。
 今日も今日とて前田藤四郎や小夜左文字、今剣ら短刀や岩融と遊んでいた時に、ふといなくなったことに気付き本丸内を探し歩く羽目になった。
「おーい、どこに行っちゃったんだろう」
 一頭を抱きしめ、残り二頭を連れ歩きながら少年は本丸の庭を練り歩いた。
 とことこ軒下や木の影などを探すうちに、ふと気づけばあまり立ち寄らない場所まで来ていた。
 それは、審神者の私室の近くであった。
 五虎退自身、審神者と話したことは殆ど無い。いつも、柔らかく微笑んでいる女性、という印象しかない。顔も声も、よく思い出せない。その程度の人間だった。何故か皆が避けているから、それに倣っているだけで、どういう人なのかを全く知らない。
 だからこそ審神者の私室あたりは、短刀たちにとって近づいてはいけない場所だった。立ち寄ったら怒られるわけでもないだろうが、避けなければいけない気がした。
 踵を返そうと思ったが、視界が人影を捉えてしまった。
 珍しく、審神者が外にいた。縁側に座って、何か手元を見ている。虎を見かけなかったか話しかけるべきか、そう逡巡していると足元の二頭が駆けて行ってしまった。
「あぁ!」
 ダメだよ!とまで声は続かなかった。
 短い悲鳴にも似た声に、審神者が気付き顔をあげこちらを見た。ごくり、と喉が鳴る。虎はそんな彼女に無邪気に近寄って、足元にじゃれついた。
 怒られる、五虎退の頭をそれだけがぐるぐると回る。
「す、すみません!」
 足元の二頭を回収するために、恐る恐る審神者に近づく。
 審神者は、ただ笑った。
「謝ることはないですよ、噛まれてもいませんし」
 ねえ、と、審神者は膝の上に声をかけた。はて、と不思議に思い五虎退は恐る恐る審神者の膝上を注視する。
 そこには探していた虎二頭がのんびりと眠っていた。
「あぁぁ!こんなところに!」
「あら、探していたんですか。」
 それは悪いことをしましたね、と、優しげな手つきで虎を撫でる。いまだに二頭は夢の中だった。
 五虎退はどうすればよいかと思案した。思っていたほど審神者は怒っておらず、むしろ柔らかく微笑みながら虎を撫でていた。審神者の足元でじゃれついている二頭も、今は縁側に登って審神者の身体にまとわりついている。
 虎が懐いていることは目に見えて分かった。けれどいつまでもここにいる訳にはいかない。
 理由はない、ただ皆がそうするから、そうするべきだと思ったのだ。
「あ、あの、お邪魔ですよね。」
 それだけ言うのが精一杯だった。
 虎を回収しようと手を伸ばしても、嫌だというように身体を反転させて手の届かないところに移動してしまう。そんな態度に五虎退は涙目になった。
「ふふ、あの、五虎退?」
「は、はい!」
「もし貴方が良ければ、この子達が飽きるまでここに置いていても構いませんよ。無論、虎が心配であれば貴方もここにいていいし、私の側に置いておきたくないなら虎を捕まえるのに協力しましょう。」
 意外な提案だった。
 審神者の手は相変わらず膝上の二頭を撫で続けている。五虎退は迷ったが、審神者から少し距離を置いて、縁側に座った。
 居座ることに決めた五虎退に気を良くしたのか、二頭の虎は審神者から離れ五虎退にじゃれついていく。彼が抱きしめていた虎も藻掻いて拘束から離れると、三頭一緒に縁側で遊びはじめた。
 結構ドタバタとうるさいので、五虎退は気が気ではなかったが、審神者は資料に目を通しながら虎を撫でることをやめはしなかった。叱るでもなく、呆れるでもない。
 ふと、五虎退は考えた。
 どうして、彼女を避けていたのだろうかと。
 仕事中ならば話しかけることも憚られるし、聞く勇気も出なかったけれど、いまこうして並んで座っている限りでは避ける理由など見当たらない。
 どうしてだろう、と考えるうちに、心臓がドクンドクンとうるさく騒ぎ始めた。一つの可能性が五虎退のなかで膨れ上がってきたのだ。
 何もしない、何も語らない彼女は、本当に避けるべき存在なのだろうか。傷だらけで帰ってくる仲間を何も言わずに癒してくれる彼女は、無視してもいい存在なのだろうか。今こうして、五虎退の虎を厭うでもなく、むしろ慈しむように撫でてくれるこの女性は、本当はもっと大切にしなければいけない存在じゃなかったのだろうか。
 次から次へと浮かんでくる疑問符に、冷や汗が浮かぶ。
 考えもしなかった、考えようとも思わなかった。
 だって、皆している。
 皆が、
「あ、あの!」
「はい?」
「あ、あとで迎えに来ます!」
「え、あ、五虎退?」
 五虎退の身体は動き出した。衝動だけが彼の中にあった。とにかく身体を動かしたかった。虎は呆然と五虎退を見つめるだけでついては来なかった。逆に今はそれで良かったのだ。
 どうしよう、どうしよう、と焦るたびに目尻が熱くなる。もしかして自分たちは、自分は大変な仕打ちを彼女にしていたのではないだろうか。それに気づかないように蓋をしてしまっていたのではないだろうか。
 見慣れた大きな背中に、飛びつく。
 どっしりと構えたその体躯は揺るぐこともなく、背中にしがみついた少年を首を捻って見下ろした。
「おお、どうした五虎退。虎は見つかったか?」
 五虎退は何も言わない。岩融は首をかしげた。
 五虎退に気づいた今剣が彼に話しかけても、五虎退は無反応のまま、ただ岩融にしがみついていた。
 なにかあったのだと気づいた岩融は、かなりの力でしがみついていたはずの五虎退を背中から引剥がし、地面に下ろす。ずび、と鼻をすする音を立てつつ、五虎退は地面をじっと見ていた。
「どうした五虎退。何があった。」
 答えはない。短刀達は五虎退が虎を引き連れていないことに気付き、一緒に探そうかと持ちかける。しかし五虎退は無言のままだ。
「俺にも話せないか」
 ぴくりと、五虎退の肩が震えた。ふむ、と岩融は顎を撫で、おもむろに五虎退の身体を持ち上げた。
 小さな悲鳴とともに、五虎退の身体は岩融の肩に乗せられる。バランスを取るために頭にしがみつくと、豪快な笑い声が聞こえた。
「独り言を言いたいなら言えばいい。俺より瀬の高い奴はここにはいないからなあ!」
「ずるいです!いわとおし!ぼくにもしてください!」
「がっはっは!案ずるな今剣!次はお前をしてやろう!」
 岩融なりの配慮だと、五虎退は気づいた。確かにこの本丸内で二人だけで秘密の相談は難しい。夜も更けた時間帯ならまだしもこんなに明るいうちからなどとうてい無理だ。
 のんびりと本丸内を岩融は散歩し始める。短刀たちもそれの後に続く。カルガモ親子ってこんな感じだ、と違うことを考えることができて五虎退は少しだけ気が楽になった。
 ぽつりぽつりと、五虎退は先ほど感じたことを岩融にしか聞こえないような声で言う。
 審神者に会ったこと、審神者が虎を愛でてくれたこと、怒らなかったこと、優しかったこと。
 どうして避けていたのか考えたこと、どうして皆と同じことをしていたのか疑問に思ったこと、どうして彼女のことをあんな風に扱っていたのかということ。
 つらつらと、流暢に五虎退の口から漏れ出る音の一つ一つを、岩融は噛み締めて飲み込んだ。そして、自然と笑みが浮かんだ。
 それみろ和泉守よ、気づく奴が出てきたぞ、と。
 岩融自身は審神者のことをなんとも思っていない。というより、何か感情を抱けるほど彼女と接したことがないのは彼も同じだったからだ。ただ傷つき帰って手入れを受けている時に、いつも泣きそうな顔をしているのが気がかりなくらいだった。
 彼女が交流を持ちたくないのではなく、他の面々が交流を持たないようにしているから彼女もこちらに来ないのだと気づいたのはここにきて割りとすぐのことだった。審神者にきつく当たるその中心にいるのは和泉守で、周囲を囲む主力陣も彼に同調するように彼女に接していた。そこに違和感を覚えはしたが、直接関わりのないことであるから黙っていただけだった。
「人の身を持って、感情を持って、面倒ばかりが増えた」
 ボソリと、岩融が呟いた。
「道具として扱われているときは、傍から見てなんと愚かなことをしているのかと嘲笑すらしたが、いざそれに巻き込まれてみるとなんとも言いがたい感情がある。」
 周りに同調しなければいけない、それが一番円滑に物事を進めることなのだと人の身になって分かった。だから人間たちは何か敵を作り、それに向かうことで結束を強めていくのだと。
 そしてこの本丸では、その対象が歴史修正主義者ではなく、上司であるはずの審神者自身であった。
「五虎退、お前はどうしたい。」
「ぼ、くは、」
「お前が動きたい通りにしろ。叫びたいなら叫べ、走りたいなら走れ。
 ぶつかりたいなら、ぶつかってくればいい。俺が言えるのはそれだけだ。」
 それだけいうと、岩融は五虎退の身体を下した。次をとねだる今剣を軽々と持ち上げてから、五虎退の頭を撫でる。
 ためらいがちな瞳に、力が宿った。ぐ、と唇を引き締めて、一つ頭を下げてから五虎退は走り去っていった。
「いわとおし!ごこたいはどこいくんですか?」
「審神者のところよ」
 隠すことなくそう答えれば、案の定短刀達は驚き声を上げた。
「ええ!?あそこ行ってはいけないところじゃないですか。」
「何故だ?」
「何故って、」
 あれ?と、前田藤四郎は首をかしげる。
 釣られて他の短刀も、考え始めた。
 どうして行ってはいけないのだろう。
 どうして近づいてはいけないのだろう。
 明確な答えなどない。あるはずがない。
 これが人間の面倒なところなのだ。
「行くか、審神者のもとへ。」
 ずんずんと歩き始めた岩融に、今剣が連れて行かれた。
 他の短刀たちも、顔を見合わせて頷き合い、岩融のあとを追いかけていった。

……どうしましたか、そんなに慌てて。」
 走り寄ってきた五虎退に、声をかける。ゼエゼエと小さな肩を上下させて、汗を拭っている。
 どこから走ってきたのだろうか、彼は。そう思っていると、いつになく真面目な顔で……とはいいつつ、あまり顔を合わせたこともないが今までの記憶の中では一番の真面目な顔で……五虎退は叫ぶように吐いた。
「主様、ごめんなさい!」
……へ?」
 気の抜けた返事だと、我ながら思う。
 彼はなにかしでかしたのだろうか。
 なにかしでかしたとしてもこの本丸で実権を握っているのは和泉守兼定で、情けないことに私ではない。五虎退のしでかしたことの謝罪対象が彼ではないとすれば、諸生活の雑事を任されている燭台切光忠や薬研藤四郎あたりに謝罪しなければいけないのではないだろうか。
 悲しくも彼とはほとんど関わりがないがゆえに、この謝罪の意図がつかめず困惑するばかりだった。
 そこへちょうど、岩融と他の短刀たちも現れた。頭を下げている五虎退をいて短刀たちの顔色が変わる。彼がこんなことになっているのは私のせいじゃない、と情けなくも困り果てれば、岩融が笑うことなく私をじっと見ていた。その視線が居心地悪くて、頭を下げたままの五虎退に視線を戻さざるをえなかった。
 ともかく今の私の最優先事項は、この小さくてふわふわした少年の頭を上げさせて、何が起こったのかを聞くことだった。
あの、五虎退。貴方は何も謝るようなことはしていないでしょう。」
「い、いえ、したんですっ」
 なにをだよ。
 わけが分からなくて私も泣きそうだ。五虎退の常ならぬ様子に虎たちも不安になったのか、次々に起き上がり五虎退の元へ歩いて行った。
 どうすればいいかもわからず、でも声をかけるにもどうかけていいかわからない。とりあえず、小さな子供にするように、五虎退の頭をそっと撫でた。先ほどまで虎たちにしてやったように、優しく頭を撫でる。
 途端に、五虎退は頭を上げて呆然と私を見てきた。触られるのが嫌だったのだろうか、わからないまま、ごめんなさい、と謝った。するとくしゃりと泣きそうに顔を歪める。
 なんなんだこの少年は、何がしたいんだろうか。私が泣きたいくらいの混乱を極めていると、五虎退はようやく口を開いた。
「ぼ、ぼく、訳もなく貴方を避けていました!」
……はい?」
「貴方のことをよく知らず、みんなが、皆がしてるから、って、貴方を、っ」
 音がしそうなほど、大粒のナミダが白い頬を伝って地面に落ちていく。雨のように降るそれに虎が驚いているのがなんだか面白い。そんな現実逃避をしながら私は次の言葉を考えた。どう言葉を掛ければいいか考えた。なのに五虎退は私に考えをまとめさせないとでもいうように声を出す。
「本当は、優しいのに、皆を、考えてくれてるのに、ぼく、ぼく、なにも知らないのに、っ」
「ちょ、ちょっと、待ってください五虎退。泣かないでください。貴方は何も悪くないんですよ。」
「悪いんです~~っ!」
 わーっと。
 声を上げて泣かれて途方に暮れる。
 どうこの場を納めればいいかわからないが、資料を脇に寄せて立ち上がる。固まった膝関節が動かずよろけそうになったが、なんとか動かして腕を伸ばす。
 ぎゅうと、母親が子供にするように五虎退の頭を胸に抱え込んだ。びっくりしたのか五虎退は一瞬声を止めたが、間を置かずに嗚咽を漏らしてまた泣き始めた。
 なんだどういうことだ。彼の脳内でどういう化学反応が起きてこうなっているんだ。
 こちらを見るばかりの岩融たちに、助けを求めるように視線を動かす。もしかしたら、短刀を泣かせてなにやってるんだみたいなきつい視線を受けるかもしれないが、もしそうならいっそ腹をくくって五虎退に接しようと思った。
 しかし現実は非情で、他の短刀達まで今にも泣きそうだ。どうしたここは保育園なのか、釣られ泣きは幼少時に卒業してきてくれ。
 今剣がひょいと岩融の肩から飛び降りて、こちらに駆け寄ってくる。前田藤四郎も、平野藤四郎も、あの小夜左文字までもがこちらに来た。
 そして皆一様にして私にしがみついてきた。
 待って待って待って、なんですかこれどういう状況なんでしょうか。四方八方から抱きつかれて困惑する。この役目は岩融の役目のはずだ。たまに空気の入れ替えで障子を開けた時に、短刀を鈴なりにしながら駆けまわる彼を何度となく見かけた。楽しそうだなぁと羨んだこともあったが、自分が岩融の立場になるとは夢にも思わなかった。
「えー、その、私の考えが間違えてれば訂正していただきたいのですが。
 なんでしょう、五虎退は、特に理由もないのに他の刀剣と同じように私を避けていたことを謝りたいんでしょうか。」
「はいっ」
 なんだそんなことか。
「岩融、貴方なにか吹き込みましたか?」
「俺が?何を吹き込むというのだ。五虎退が自分で気づいて自分で考えた結果がそれよ。」
 からりと、彼は笑った。
 それからひとしきり、彼らは私にしがみついて泣いた。全員目元を腫らしてグズグズ鼻をすすっている。小夜左文字は泣きこそはしなかったが眼は真っ赤だった。いまこの様子を彼の兄二人に見つかったら私は寿命が来る前にこの世から去らなければいけないのではないかと割と本気で思った。
「まあ、なんですか。」
 私が口を開くたびにビクリと身体を震わせないで欲しい。今剣、おっきいお目目で見つめないでください。罪悪感で胃が痛くなる。
「私は何も気にしていませんので、安心してください。もし気に病むようならば、今後の戦闘では決して無理をしないことを約束してください。」
 私の言葉に、短刀たちはただひたすらに頷いた。岩融は保護者ヅラして皆の頭を撫でているから、つい口が滑った。
「岩融、貴方もです。」
 急にふられて驚いたのか、目を丸くしてこちらを見る。しまった失言だっただろうかと身構えれば、思った以上に大きな声で笑ってくれた。
「あいわかった、従おう。」
「あ、りがとうございます。」
 つい、と、袖が引かれて下を見る。
 一番先に泣き止んだ五虎退が上目遣いで見つめてきていた。なにか言いたそうに口をモゴモゴさせて、言いよどんで、でも、ぐっと顔を上げてまっすぐにこちらを見てきた。
「また、ここに来ていいですか。」
……いつでも、どうぞ。」
 まさか刀剣から歩み寄ってくれる日が来るなんて、と。胸が熱くなった。
 ふにゃりと笑う五虎退に、僕も私もと短刀が声を上げる。
 だから私はいつもどおり笑みを浮かべて、それらの好意を受け取った。
「いつでも遊びに来てください。一ヶ月は案外長いのです。」

 その言葉に、短刀たちがぴしりと固まった。
 しまった地雷だったのか、と冷や汗を流す私をみて、岩融がなんとも言えない顔をした。

* * *

 岩融と歩きながら、五虎退はポツリと呟いた。
「もっと、主様と早くお話していればよかった。」
 誰も、それに答える者はいない。今剣ですら口を閉ざしている。
 ざり、と砂利を踏みしめて、刀剣達は歩く。
「少しばかり、残念ではあるなぁ」
 岩融が漏らした音は、その場の全員の胸にじわりと染み込み、早鐘を打たせる。
 彼女を引き止めることはできないのだろうか。
 時間は、ない。

 天候、曇天。
 気分、安寧。
 面々、焦燥。
 私は、感傷。

 昔とは、何かが変わったのかな。
 私の心はまた、思い出へと沈んでいった。



© 2026 Privatter All Rights Reserved.