@twirl_rabbit
天候、花曇り。
気分、心憂い。
面々、陰り。
私は、狼狽。
「……大将、」
障子越しのこの声を聞くのは、なんだか久々な気がする。けれど彼の声を聞かなかったのはたった2日間だけで、遠征にでずっぱりなときはそれ以上の日数を声も聞かずに過ごしていたというのに。
いやそれよりも、声を掛けてくれたことが嬉しい。もう、近づいてきてくれないと思っていた。正直本音を言えば、「仕事だから割りきっているんじゃ」と勘ぐっていることも確かだ。
ただ、今まで一番私を気遣ってきてくれた人だから、仕事のことであっても嬉しい。
「どうしました、薬研」
こちらから入ることを促しはしない。あくまで彼が入ってきたければ入ってくればいいという態度を示したつもりだった。
薬研は少しだけ間を置いて、静かに部屋の中に入ってきた。入ってくる際の彼の背後は仄暗くて、今日も曇っているのかな、と残念に感じた。
ふたりきりになった室内は静かなものだった。正座をして両拳を両膝におき、黙って下を向いている彼の姿は、なんだか叱られに来た子供のように見えた。話があるのかと思って体は薬研の方を向いているが、何もないのならば仕事に戻りたい。
前例のない審神者の途中辞任、更には刀剣を含んだ本丸ごとの引き継ぎ、それらに関する資料作成と書類手続きとやることは山ほどある。事務方だったがゆえにパソコン作業は辛くはないが、時間は惜しい。
こちらから話をするように仕向けるべきか思案していると、ようやく、薬研が顔を上げた。
部屋の薄闇の中でも、彼の瞳は淡く紫色に輝いていて、その色が好きな私は息を呑むように見惚れてしまう。
「大将、」
「なんですか?」
ゆらりと、紫が色を増す。
「……ここを、去らないでくれ」
「お断りします」
即答した。
* * *
私と薬研は現在、縁側にいる。
薬研は目尻を赤くして夢の中、私の膝を枕代わりにぐっすりと眠っている。
なにがどうしてこうなった、と、私は彼が寝ているのをいいことに深くため息を吐いた。
事の次第は今朝、彼が私の部屋に来て、「審神者を辞めるな」と嘆願してきたことから始まる。そして私はそれを断った。それはもうバッサリと切り捨てた。今の私の中に、「ここの本丸に残る可能性」は一欠片も残ってない。
言葉にこそしなかったものの、薬研はそんな私に気づいたのか、珍しく声を荒らげてきた。どうしてなのかと、自分が至らなかったせいかと、去らないで欲しいと、私の肩を掴んで必死に訴えてきた。そんな声は私の頭をくるりと一周するだけで霧散していき、露とも残らず消え去っていく。心にしこりを残す力もなかった。
どちらかと言えば、どうしてこんなにも一生懸命になるのかがわからなくて、疑問ばかりが湧いてくる。
「……、なんだか、不思議な感じですね」
「…は?」
気づくと私は口を動かしていた。流れに反してのんびりとした口調の私に、薬研は勢いをなくしてしまった。
ぽつ、と訪れた沈黙は私の発言を待っているのだと思って、そのまま感じていたことを伝える。
「いや、私を引き止める方がこの本丸にいるなんて、と」
「………、」
大変深いため息を吐かれた。
先ほどまでの緊迫した空気が一気になくなって、いっそ安堵する。だから薬研に、外に行かないかと持ちかけた。彼は素直に頷けば、私が立ち上がりやすいように手を差し伸べてくれる。こういう紳士的な部分が彼を大人びて見せているんだな、と改めて感じた。
空は烟ったような雲に覆われていた。明るいわけでも暗いわけでもなく、どこか半端な色合いだったが、桜の淡い色彩が浮き出て見えるようだった。
先日、五虎退と並んで座っていた場所に腰を下ろせば、薬研は私のすぐとなりに座った。彼の人との距離の近さは嫌いではないが、時折びっくりする。
「さて、薬研が私を引き止めるに至るのに、昨日の五虎退の件は関係あるんでしょうか?」
彼は、何も答えなかった。それが何よりも雄弁に事実を物語っている気がした。
「…どういう変化が彼の、彼らの中で起こったかまでは私にはわかりません。ただ彼らは、私を避けていた…?になるんですかね、その行為を謝罪してきました。まあ、驚きはしましたが嬉しかったですよ。」
この本丸で私に話しかけてくれる人はほんの一握りだ。ただ、なにがキッカケだったのか今でも謎のままだが、誤解のようなものが溶けたことは僥倖だし、また遊びに来てくれると約束までしてくれた。この一ヶ月を、一人で過ごすことは少なくともなくなったのではと、淡い期待まで抱かせてもらえた。だから、嬉しいという言葉は本音なのだ。
「…なんで、去るって、決めたんだ。」
静かな問いかけだった。一言一言を噛みしめるように、薬研は言った。
それに対する私の回答は、すぐには出なかった。
今回辞任するにあたり、私は政府に対してもっともらしく理由を付けなければならなかった。それは辞任したいと訴えたときの稚拙な内容に肉付けに肉付けを重ね、長大な文書にするほどだった。
ただそれらを要約してしまえば至極簡単なもので、「今のままだと早死するからもう辞めたいです」、だ。
しかしそれを彼らに伝えることはできない。
「鍛刀儀式」「手入れ儀式」を行うことが審神者の寿命を削ることに繋がる、という一つの事実は、刀剣たちに対して秘匿義務があるのだ。自分たちを治すたびに審神者が死に近づくなどと教えようものなら、一部の刀剣たちはその性格のせいで発狂する可能性すらある。我が本丸ではもちろんそんなことはないだろうが、後任の審神者のためもあるし、まして私はまだ審神者なのだから言うことはできない。
初めての鍛刀が成功したときから、私の心には「死」がいつもねっとりとこびりついている。
死ぬのは怖い。ただ、死ぬにしてもその理由くらい選びたい。懐いてくれもしない刀剣たちのために死ぬなんてまっぴらごめんだ。
とどのつまり、審神者を辞める理由は「私の醜いエゴ」なのだ。人間である以上、私は好かれていたいし、嫌われたくはない。何か苦労をするなら私を慕ってくれる人のために苦労したいし、私を忌避する人に優しくなどしたくない。私はなんと浅ましい人間だろうか、罵るならば罵ればいいといっそ開き直ってみせよう。
とにかく私は、これ以上自分の命を彼らに渡したくはないのだ。
しかしこれを話さずに彼を納得させられるだろうか、とも思う。
聡い彼には嘘は簡単にバレてしまいそうだ。
「……、そう、ですねぇ」
バレそうならば、本当のことをオブラートにでも包んでみようか。それならば、嘘だと言われても本当だと言えるし、本当かと言われればはぐらかすこともできる。
「もうこれ以上、皆さんに嫌われ続けるのは辛かったんです。」
これは本心だ。
顔を合わせるたびに向けられるのは負の感情のみで、会話は愚か声を掛けることすらできない。思いは無視され願いは唾棄される。
なぜそんなところにいたいと思うのか。
なぜそんなところにいれると思うのか。
私は聖人君子でも菩薩でもない。まして存在を蔑ろにされ否定されて喜ぶマゾでもない。
だから私はここを去る。
嘘偽りはない。
うまく誤魔化せたのだろうか、隣に座る少年は何も言わない。
なんだか不安になって、そっと、うつむき加減の薬研の顔を覗き見た。
ぽた、
「え、」
ぱたり、ぽた、ぱたた
「ちょ、」
グズ、と、水音。
なんだろう、昨日もこんなことがあった。
「なんで、泣いて、」
「……っく、」
ゴシゴシと目元を乱暴にこする腕を慌てて掴む。顔をそむけてコチラを見ようとしないが、振りほどきもされない。彼に本気で抵抗されれば私など簡単に吹っ飛ぶはずだから、やっぱりこんな状態でも加減してくれるんだ、などと変に感心してしまった。
いやそういうことを考えている場合ではない。
なんで、彼は泣いているのか。
いつもの溌溂とした男前っぷりが嘘のように、俯いた彼の顔からぽたぽた雫が垂っていく。子供のように泣きわめきはしないが、時々鼻を啜る音がした。
どうしようか考えて、ぐ、と強くコチラに引っ張った。抵抗はなく、そのままこちらに体は倒れてくる。左肩に額を押し付けるように頭を抱き込んで、背中を擦った。
薬研は体を固くして驚いたようだったが、すぐに力を抜いて、背に腕を回してきた。ぎゅっと、強くしがみつかれて少し苦しい。
何がどうしてこうなった。
また私は短刀の地雷を踏み抜いたのか。たった二回程度の経験が私の心をチクチクいたぶってくる。
「っの、」
絞りだすような、嗚咽なのか意味ある言葉なのかわからなかったが、とにかく薬研が何か言おうとしていることは分かった。けれど、何度言葉を紡ごうにも、呼吸がうまくできずに喉が上擦ったような音を発した。
ゆっくりでいいよ、と、伝わるかわからないが、背中を撫でるのは止めずに、ただ黙ったまま次を待った。
「おれ、の、せいか?」
「………はい?」
なんとか言葉に成した、という感じの薬研の思いは、私の思考回路を停止させるのに十分な威力を持っていた。
もう短刀の思考回路が本当にわけがわからない。どうしてそうなった、本当にどうしてそうなった。
「薬研のせいでは、」
「俺がっ、仲を、取り持てばっ、もっと、っ、ぅ、」
その言葉にクラクラした。
私はなんでこんな小さな子にまで気を使わせているのだろうか。いや、実際は私なんか足元にも及ばないほど歳上なのだが、なんだろうか、刀剣たちはその刀身の大きさに見た目も中身も比例している気がする。だから短刀は幼い容姿・性格が多いようだし、太刀・大太刀たちは一部例外を除いて見た目も中身も成人そのものだ。
だからこそ薬研に関しては外見とキャラのギャップに度肝を抜かれたし、それ以上に頼りがいもあったからついつい色々と甘えてしまってもいたのだ。
それなのにこんな事を思わせていただなんて、むしろこちらが申し訳なくなり罪悪感に押しつぶされそうである。
「えー…と、あなたが何をどうしてそういう結論に至ったのかわかりませんが、私はあなたに感謝しているんですよ。」
「ちが、ちがう、おれっ、おれがっ、」
嗚咽がひどくなる。これ会話にならないやつだわ、と、気付かれないように小さく嘆息した。
ぽん、ぽん、とリズムを一定にして優しく背中を叩く。幼子にするように、ゆったりと、優しく。
どうしてそういう解を導き出したのか早く聞き出したいのは山々だったが、彼が落ち着かないことには始まらない。喋ろうとして呼吸がうまく行かずに咽たり、しゃくりあげるのを落ち着けようとして息を吐いたり、鼻水が垂れるのを一生懸命こらえたり、忙しそうだ。ごめんね、いま貴方に懐紙を差し出す余裕は私にはないんだ。
どれほどそうしていただろうか、少し落ち着いた薬研が、私の肩に額を押し付けたまま話しだした。
「昨日、五虎退たちが、俺に、言ったんだ。
もっと、あんたと一緒にいたいって。だから、和泉守と、仲直りさせる、方法を一緒に考、えてくれって。」
やはり、きっかけはあの子たちで、そんなことを考えてくれたのか、と、じんわり胸が暖かくなる。
「俺、本当は知っていたんだ。
俺が、大将と和泉守の仲を、取り持てば、いいんだって。
けど、俺はしなかった。
だって、大将は、俺を、頼ってくれた。」
声がこもって聞き取りづらいが、必死な薬研は矢継ぎ早に重ねていく。
「他の、兄弟たちに頼ら、れるのとは、違う感覚だったんだ。
皆から、無視されて、仲間はずれにされて、一人でいる、あんたが、俺を、俺だけを頼ってくれて、それが、嬉しくて、」
そこまで言って、彼は首を振る。違う、そうじゃない、と、漏らしながら。
「俺は、どこかであんたを見下してた。可哀想なあんたを、世話して、慰めて、俺は、楽しかった。この可哀想な人を、世話できる唯一の存在が、俺なんだって。なんか、すごく、嬉しかったんだ。最初は、考えた。和泉守と仲良くさせて、皆の輪の、「和」のなかに入っていくあんたを想像もした。でも、そうしなかった。」
じわりと、また肩が熱く湿る。
「可哀想なあんたがいなくなれば、俺は、どうなるんだろうって、思った。この、感覚を手放さなきゃいけないのかって、そう、思っちまったんだ。そしたら、和泉守との仲を取り持つなんて、頭から消えてって、俺は、可哀想なあんたの世話を焼くことが、楽しかったんだ…っ」
ごめん、俺が、俺が悪いんだ。ごめん、大将、ごめんなさい。
吠えるように、薬研は私に謝った。
彼の告白を聞いて、私は何も言わなかった。何も言えなかった。
彼は、「可哀想な」私の面倒を見ることで明らかな優越感を得ていたようだ。そしてそれのせいで、和泉守たちと仲直りもできずに悩み、結果として審神者を辞することに私が決めたのだと。
そう思っているようだ。
なんと、愚かなのだろう。なんと、愛おしいのだろう。
それは人間誰しもが必ず抱いたことのある感情のはずだ。少なくとも、私はある。
この刀剣は、この付喪神はとても人間臭い。自分よりも弱い者を世話をすることで優越感を得るような、いっそ親しみ深いとまで感じる存在だ。
私は、彼に伝えなければいけない。それが直接的な原因ではないことを。薬研が原因ではないことを、伝えなければいけない。
「……薬研、薬研、私の話を聞いてください。」
顔を上げさせて、真正面に彼と見つめ合う。眼は真っ赤で涙がボロボロ、頬も朱に染まり、少しだけ鼻水が垂れている。大泣きした子供そのもので、なおのこと愛おしいと思った。
私がこれから彼に伝える言葉は、きっと正解ではない。むしろ彼を追い詰めるかもしれない。
だが私は、私は確かに、
「私は、貴方に救われていました。貴方がいなければ、この本丸にいた時間はもっともっと短かったはずです。私を審神者として、主として接してくれて本当に、嬉しかった。」
「でもっ、大将、あんたは、」
「ええ、もう私は決めたんです。私は、ここを去る。けれど覚えていてください。
私は貴方に感謝こそすれ、貴方に怒りを覚え、恨みを抱くことは決してない。
私は、貴方を嫌わない。
私は、貴方が大好きです。」
それを聞いて、また、薬研は泣いた。
今度は声を出して、子供のように泣いた。
彼が懺悔から泣いているのか、後悔から泣いているのか、私には分からない。
けれどまた私にしがみついて、声を上げてなく彼は、おおよそ神とは思えない、勇ましく刀を握り敵陣へ切り込むような刀剣とは思えない、普通の子供だった。
だから私は、そんな彼を抱きしめて、幼子にするように、ただひたすらにあやしたのだ。
私の膝で泣きつかれて眠ってしまった薬研の髪をもてあそぶ。
「優越感」、という感覚を薬研は知らなかったのだろうか。それとも単に口にしたくなかったのだろうか。
これは私の憶測ではあるが、彼ら刀剣は人の形をとってまだ時間が短い。以前の刀剣そのものであった時はほとんど感情もなく、ただあるがままを受け入れていたはずだ。しかしこうして人の形・人の感情を得ることになって、周囲で発生する物事・情報量の多さに対処しきれていないのではないだろうか。太刀や打刀のような、大人の刀剣ならばいざしらず、短刀のような子どもたちは自分の持つ感情に戸惑い、処理できずにいるのではないだろうか。
だから、彼は、薬研は、大人ならば上手に処理できたかもしれない感情を、抱え込んでしまって、結果こうして爆発してしまったのではないだろうか。
全ては憶測だ。
けれどもしそうならば、人間という七面倒なものに近づいてしまって、気の毒にすら思う。
「ともあれ、もう子供の泣く様は見たくはないなぁ。」
はぁ、と、重いため息を一つ吐いた。
「珍しいこともあるものだ。」
「………三日月」
いつでも飄々とした空気を崩さない男が、声を掛けてきた。
それ自体は別段珍しくもなんともない。この本丸で私に話しかけてくる数少ない刀剣のうちの一振りだからだ。
「はっはっは、いつもの姿では考えられんな。」
「…いつから、見ていたんですか。」
「そうだなぁ、主が薬研を最初に抱き寄せた辺りか。」
「……ほぼ最初ですよね、それ。」
出歯亀かよ、と心で悪態をついた。
どうせ言ったところで流されるのは目にわかっている。
「どれ、運ぼう。」
膝上の薬研に、彼は手をのばそうとしたが。
「……いえ、このままでいいです。」
私はそれを断った。
「ほう?」
それもまた、よい。
そう言って笑う彼に、私は曖昧に微笑んでみせる。
私はこの刀剣が、苦手だ。
天候、花曇り。
気分、心憂い。
面々、陰り。
私は、狼狽。
審神者としての任期は、残り二十八日。
しばらくしてから目覚めた薬研は、罰が悪そうだったけれど、いつもどおり笑ってくれた。