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審神者を辞めることにしました。【7/前編】

全体公開 6 11009文字
2015-09-07 12:41:54


 審神者を辞める、と、そう宣言して半月が経った。
 その半月は、審神者という職に就いてからの月日よりも、ずっと濃く感じられた。刀剣たちの言葉を聞いて、私自身を振り返る。驚きと悲しさと遣る瀬無さ、少しの喜びと溢れでる後悔。あの時ああしていれば、こうしていれば、ウジウジくよくよ嘆いて、本当に湿っぽい。
 けれどこれが私なんだ、そう開き直れば前を向ける。ご都合主義とか自分勝手とか言いたければ言えばいい。私は弱い、弱くて馬鹿で、救いようのない小心者だ。悪く言いたければ言えばいい。
 最近、すっかりと定位置になってしまった縁側で、五虎退とその虎たち、秋田藤四郎や今剣たち短刀が遊ぶのを微笑ましく思いながら見守る。気持ちはとても、穏やかだ。二頭の虎は私の横で陽だまりをその体に溜めながら居眠りをしている。暖かな身体を撫ぜれば、柔らかい毛皮の感触が気持ち良い。
 提出すべき書類も報告書も今朝には全て終わった、今日はこのままのんびりしよう。そう思っていた矢先に、誰かが近づいてくるのを目の端で捉えた。
 最初に気付き顔を強張らせたのは、五虎退だった。次いで彼の足元にいた三頭の虎が警戒するように毛を逆立てる。それを見た短刀達が、一斉に顔を上げた。
 足音が、近づく。
 寝ていた虎たちも気配に気づいき目を覚まし、さっと立ち上がる。それらを全て見届けてから、彼らの視線の先へ私も目をやった。
 長く艶やかな黒髪、空色の瞳、臙脂の衣の上に目を引く浅葱のダンダラ羽織を纏う、長身の男。
 彼はこちらを一瞥すると、今いいか、と、声を掛けてきた。

 天候、快晴。
 気分、平常。
 面々、吐露。
 私は、

 私は、もう、逃げない。

* * *

 和やかな空気が一変して、緊迫した空気に変わる。身構える短刀たちを見て、和泉守は面倒くさそうな顔をした。
「別になんもしねーよ。」
「しんようできません。」
 即答だった。
 今剣の不信感あらわな声に、短刀達が同意するように頷く。うぇ、と嫌そうに声を上げて、和泉守は頭を掻いた。短刀達は責めるような目で彼を見上げている。
 この短期間で、彼らの中で生じた反応を未だに私は理解していない。ただ、以前も聞いた出撃の話から鑑みるに、私を守ろうとしてくれているのだろうか、と自意識過剰気味に考えてしまう。もしもそうならば、少しだけ、面映い。
私も、お話したいと思ってました。
 皆さん、少し彼と二人だけで話をさせていただけませんか。」
 ただ、彼と話をしたいから、今は席を外して欲しかった。驚いたように私を見上げる短刀達は、次いでお互いに目を見合わせ、渋々と去っていく。最後まで残っていた五虎退の足下に、私の側に居た虎が駆け寄る。
 彼は、金の瞳で私を見つめる。何か言いたそうだったが、やがてゆっくりと、そこから立ち去った。

「今日はにやけてねーのか。」
 人一人が入れるくらいの距離を空けて、和泉守がどっかりと腰をおろした。あぐらをかいて膝に肘を付き顎を支える。こちらを見て話す気のない仕草と、事実ではあるが刺を含んだ言い方に、苛立ちよりも呆れが先行してしまった。
いつも、にやけてるわけじゃないですよ。」
「にやけてただろ。」
 気持ち悪い笑顔貼り付けて、心のそこでは何思ってるかもわからねぇ。
 ビリビリと、彼の感情が伝わってくる。苛立ち、不信感、他にはなんだろうか。隠すことのないその負の感情を、真っ向から受け止める。前までなら、この時点で怯んで逃げ出していただろうな、と、どこか他人事のように感じた。
「何か、ご用事でしょうか?」
 なんだろう、この発言つい最近した気がする。ああ、三日月が来たときにしたんだ。
 彼は結局、「おやすみ」と言ったあとに本当にそのまま自室へと戻ってしまい、真意を聞くことができなくなってしまった。そっと、心に染み込ませるように囁いた、「生き永らえる」方法。実行する気はさらさらないはずなのに、どうしてだろうか、ずっと、染みとなったまま離れてくれない。拭おうとしても、ずっとずっと、薄くもならずに心に残っている。
 そんな風に、別のことを考えている私を止める者がいない。
 はた、と我に返ったとき、どのくらい思考に時間を飛ばしていたのかわからなくなった。数分なのか、一時間以上も経っているのか、慌てて隣を見れば、ここに来たときと変わらずぶすくれた表情で座ったままだった。
 なにしに来たんだろうか、この男は。
 単純な疑問の答えは会話するしか無いのだが、その会話のきっかけが生まれない。こちらから聞けばいいのかと思ったが、いや、先ほど声はかけている。用事は何かと聞いている。しかしそれは、話をしだす皮切りにはならなかったようだ。
 彼が黙っている、となると、こちらから話しかけてもいいんだろうか。
 聞きたいことがある。
 私を厭う理由は正直だいたい察しがつくから聞くつもりはない。私のような人間に命を預ける気には到底なれないだろうし、こんな女が上司だなんて彼にとってどんなに悪夢であろうか。私自身がそう思うのだから、間違いない。自分で自分を卑下するのもどうかと思うが、事実だと思う。
 私が聞きたいのは、どうして無理な行軍を続けたのか、というただそれだけだ。自分の命をかけて出撃を繰り返す。私のことを主と認めていないのならば、「審神者の責務」である「歴史修正主義者の抹殺」などに協力する必要などないのだ。彼らが戦わずにいれば、私はもっと早く、辞任ではなくクビという形でここから去ることになっていただろう。少し考えればわかるはずのことなのに、何故彼はしなかったのだろうか。誰も、そうは助言しなかったのだろうか。
 どうしよう、聞いてみるべきか、黙っているべきか。もし話しだした時に相手と出だしが被ってしまったらどうしよう、この話が地雷だったらどうしよう。考え出したら止まらない、逃げないって決めたのにこんなところで立ち止まってしまった。いや、これは逃げていることにはならないのではないだろうか?この考えは自己弁護か?
 ええいままよ!と、口が開く。
「国広に、」
「 、」
 すんでで言葉を飲み込むことができた。よかった、発言しなくてよかった。絶対に被っていた。
 一人で勝手にやきもきしている私を他所に、彼は言葉を続ける。
「今、話をしておかないとずっと後悔するって。」
……、」
 罰が悪そうに、和泉守が唇を尖らせる。
 なんだか、いつもと違う。普段ならば、私の前でそんな顔はしない。無表情か、怒ったような顔ばかりだったはずだ。話をしにきた、というだけあって、彼もぶっきらぼうながらに会話をしようとしているのかもしれない。
「けど、今さら何を話せってんだよ。」
そう、ですね。」
 審神者と、一番最初に鍛刀された刀剣。
 本来ならば一番結束が強く、信頼関係が厚いはずの私達は、それの対極の関係にある。結束など微塵もなく、信頼なんて言わずもがな、失笑することすらもったいない間柄だ。
 そんな私達が、今こうして二人並んで座っている。
初めて、ですね。こうしてお話するの。」
そうだな。」
 ぎこちない。
 そして気まずい。
 本当に、今まで日常会話すらままならなかったのだ。あるのは業務的な会話と口喧嘩。おはようおやすみの日常挨拶でさえないのである。いや、日常挨拶がないのは私が引きこもっていたのが悪い、全面的に私が悪い。
 鳥が、鳴いている。空を自由に飛びながらさえずっている。羨ましい、私も今すぐこの場から、この雰囲気から脱出したい。
 苦手な相手と二人きりというのは本当に、苦痛に感じる。
 ちら、と、目線を和泉守に向ける。やはり、ムスッとしながら庭を眺めている。こちらを見ようともしない。
 それなら、それでいい。見つめ合ってお話し合い、など私達には似合わないと思う。行く先が交わらないならば、平行線もまた、良しとして。
 声を出せ、喉を震わせて、空気を押し出して、音にしろ。 
 頑張れ、私。
「貴方は、」
 はっきりと、声が出る。
「貴方は、どうしてあんなに我武者羅に戦い続けていたのか。教えて、頂けませんか。」
 言い終わるか終わらないかのうちに、ピリ、と、空気が変わる。覚えのある、相手を怒らせたときの、あの緊張感。しまったやっぱり地雷だったんだと、身体が硬くなる。
お前がっ、」
 絞りだすような、声だ。腹に力を込めて、それでも何か叫ぶのを抑えるような、そんな、暴れそうになる感情を押さえつける、音。
「お前が、「何回続けるのか」って、言ったんだろうがっ!」
 咄嗟に横を見ても、彼の表情は、見えない。

* * *

 再び、目を覚ますことになろうとは思わなかった。
 深い深いところで揺蕩っていたのに、誰かに呼ばれて意識が引っ張られた。目の前に現れた、優しくて柔らかな光に誘われるように手を伸ばす。受け入れたそれは、とても暖かく胸の内にじわりと染み込んだ。ぐうと、さらに強く引っ張られる感覚に意識が揺れたかと思うと、地に足を踏みしめていた。
 いや、足を踏みしめる、という感覚はその時はよくわからなかった。ただただ、感覚があるということに驚いた。薄暗い部屋、何か光に照らされて影が右へ左へと揺られている。
 戸惑っているうちに、目の前に一人の女がいることに気づく。瞬間、理解した。「これ」が新しい「主」であることに。
 何故この女をそう捉えたのだろうか、「あの人」ではない、こんな女を「主」だなんて。こんなに弱そうな人間に自分が扱えるというのだろうか。刀剣としての実用性、美術品としての価値も備えた、この己を。
俺は、和泉守兼定。あんたが、俺の主か?」
 声を出す、という感覚は不思議なものだ。喉が震え、鼓膜が揺れる。身のうちに低く響く音はしっかりと彼女に届いたようで、唖然とした表情のまま返事をされる。
あ、はい。よろしくお願いします。」
「なんだ、女かよ。」
 本当に、この目の前の女が「主」なのか、と。知らず詰めていた息を吐き出す。
 この感覚はなんだろうか。落胆とは違う、この感覚。女の表情が間抜け面から顰め面になるのを見ながら、自分の中に生まれたものを処理できずに心のなかで首を傾げた。
 あの時は、初めての人間の体への戸惑いと、認めたくはないが「新しい主」の登場に動揺してしまっていた。まして、刀剣であった時分は感情などほとんど持っていなかったから、情報に対する心の反応が追い付かなかった。
 ただ、今ならその時の感覚を説明できる気がする。
 言うなれば、「自尊心」だ。自分は太刀であり、多くの命を断つ者だ。到底彼女に扱えるような存在ではない。まして、自分の価値をわかりもせずアホ面を晒しているのだ。こんな人間に扱われるのか、と思うと腹の底が熱くなる。
 ただそれとは別にもう一つの感覚が存在した。「主」が「女」である、その事実が自分を苛立たせたのだ。女は、戦うべき存在ではない。男よりも弱く、柔らかく、脆くて壊れやすい。幾ら戦場に出ないと言っても、第一線に立つことには変わりない。これをなんと表現するのか、後に分かった。「心配」の二文字なのだ。
 しかし、鍛刀されたばかりの自分はそこまで考えつく余裕など一切ない。何故こんな女を気にかけなければならないのか。なんでこの女を「主」だと脳が理解しているんだろうか。絶対に、認めはしない。心が理解を拒絶する。自分の主は「あの人」だけであり、それ以外は存在しない。ただ、彼女も確かに自分の中に巣食っている。それは強制的に植え付けられた「事実」に思えてならない。なんでこんなことを考えなければならないんだ、と、困惑と苛立ちが無口という態度になって現れる。
 女との会話はその後もほとんど続かなかった。こちらをチラチラ気にする素振りはあっても、話しかけてはこない。面倒だったから無視を決め込む。第一、何を話せばいいというのだ。
 拠点となる屋敷について早々に、女がようやく話しかけたと思えば、「とりあえず、出撃して頂けませんか?」という遠慮がちな言葉だった。こちらを伺うような言い方に、締まりがないと思いながら戦地へ赴いた。こう、男ならではのバリッとした雰囲気のないままの出立は、気が緩むというか、なんというか。
 そんな生ぬるい気持ちでいたせいか、敵本陣でバッサリやられた。失態だった。せっかくまた力を発揮できる様になったのに、無様にも程がある。なんとか全員を倒しきり、全身で呼吸をして息を整える。刀傷がこんなにも激痛を伴うとは思わなかった。人間はよくこんな傷を負うことも恐れずに戦えたものだ、と変に感心した。刀剣であったころは痛みなんて感覚とは無縁だったから尚更だった。一呼吸ついてから、ふらつく身体を叱咤して本丸へ戻るべく足を動かす。足があるというのは便利だ、自分で動けることはなんて素晴らしい。
 ふと、地面に転がる一振りの刀に目が止まる。見た目で脇差しとわかるそれがどうしても気になり、手にとった。ずしりと重いそれは、手負いの体には負担がかかる。だが捨て置く気にもなれずに、持ち帰ることにした。
 ほうほうの体で帰還すると、女が血相を変えて走り寄ってきた。キンキンと響く声で、何故怪我するまで戦ったのかと怒ってくる。戦いに出たんだから当たり前だろ、と悪態を付きたいが、あいにく帰ってくるのに予想以上の体力を使ってしまってそんな余裕もなくなっていた。
「兎にも角にも、手入れをしましょう。」
 あちらへ、と、手入れ部屋と思しきところへ促す女。
 その細い腕で、小さい手で自分を治す?なんの冗談かと思った。そんなことが、本当にできるのかと疑った。
お前なんかに任せて大丈夫なのかよ。」
 抑えきれない不満と不安はつい、声に出てしまっていた。女はむっとしたように顔を歪ませたが、大丈夫です、と豪語した。
 手入れ部屋に入り、女が手入れのための準備を始める。ふらり、と、身体がふらついたと思えば、身体の感覚がなくなった。持っていたはずの脇差しが、落ちて転がる音がする。
……、」
 何も見えない、だが意識はあるし、音は聞こえる。おそらく刀剣本体の状態に戻ってしまったのだろう。そんな自分に驚くこともなかったようで、何も言わぬまま、女は自分の手入れを始めた。
 手入れをされるとは妙な感覚で、重怠くギリギリとした痛みが嘘のように消えていく。妙な心地よさに、すぅ、と、意識が遠のく感覚がした。完全に落ちる手前のところで意識を保ったまま、手入れを受け続ける。女でも、手入れはできるものなのか、とか、刀身を触って怪我しないだろうな、とか、そんな取り留めのない疑問を抱いていると、全てが終わったのか、ほぅ、と息を吐く音がした。
 意識がはっきりとし始める。ぐぅと意識が引っ張られるような、鍛刀されたときと同じその感覚が襲ってきたのだが、あと一歩、というところで留まることができた。ここから先へ進むときの、一枚の膜のようなものを感じる。ここを超えれば人型になるのか、と境界線のようなものを見つけて少し得をした気分だ。
 ひとまず、人間体として顕現しようと思ったときだった。
「終わりましたか。」
 女の足元をちょろちょろしていた、狐の声がした。
 なんとなく出鼻を挫かれた気分になってそのままでいると、女は言った。
何度、これを続けるのでしょうか。」
 「何度」。
 何度、と言ったか。
 彼女が「戦え」と言ったから、出陣し、傷つきながらも勝利を収めて帰ってきた。戦うことのできない、無力な彼女の代わりに、だ。
 それなのに、「何度」、だと?
 ふつふつと、湧いてきたのは怒りだった。まさかこんな言葉を吐かれるとは思わなかった。
 彼女は、こんなことを「望んでいない」。
 そう思った、そう感じた。なぜかはわからない、けれど彼女は現状に対して明らかに不満を持っている。やりたくないことをやらされている、そういう声音だ。
「終わりが来るまでですよ。」
 狐が、女の問いにそう答えた。
 手入れが終わっても人間の姿に戻らない自分を、刀掛けにでも置いたのだろうか、彼女の手が自分から離れるのがわかった。
 湧き上がった熱が、急速に、冷えていくのを感じた。

* * *

「お前が「何回続けるのか」って言ったんだろ!?だから早く終わらせるようにしたんだろ!」
 自分は、彼女を「主」とは思えない。しかし、身に巣食う「彼女は主である」という絶対的な感覚は消し去れな。
 だから、思ったのだ。主と認めることができないならば、自分が彼女にしてやれることをしてやろう。自分は刀剣だ、敵の命を断つ太刀だ。この女が、早く解放されたいと願うならばそれに応えてやろう。それが、彼女を主としては認めはしない今の自分ができる、最大の奉仕だ。
 そう考えてしまった、そう結論を出してしまった。結果的にそれが、「刀剣としての自分の尊厳」と「守らなければいけない人間に対する憂慮」を慰める目的にもなったのだ。
 深くは考えたくなかった、ひとつの結論にしがみついたままでいたかった。ただひたすらに戦うこと、それが一番単純でわかりやすくて、気持ちが楽だった。
 そうと決まれば、後は戦う道しか残されていない。ただひたすらに前を向き、後ろは振り返らず、自分の手を、身体を返り血に染めるだけだ。
「戦って少しでも多くを蹴散らして、お前が審神者から早く解放されるようにって思いながら!」
 散らしても散らしても、次々と歴史修正主義者とかいう敵が涌いて出てくる。イタチごっことはこのことか、と苦虫を噛み潰す気分だ。
 長引けば長引くほど、自分の苛立ちは増す一方だった。早く「全てを」終わらせたい、だが終わりが見えない。自分の中に渦巻く感情のせいで女の態度が日に日に鬱陶しく感じるようになった。手入れのときはいつも泣きそうで、そんなに嫌なのかとまた腹立たしくなった。鍛刀したと新しい仲間を紹介されると、役立たずだと言われている気分になった。全部思い込みだ。知っている、消化しきれない苛立ちを女にぶつけていることもわかっている。けれどどうしようもない、どうすればいいかわからない。
 言葉にすれば、伝わることもあったのだろうか、と、考えなくもない。それはとても気恥ずかしく、格好悪いことのように感じた。「お前のために戦ってやってるんだろう」?「一日でも早くお前を解放できるようにするから」?そんなこと言えるはずがない。どの面下げてそんな台詞を言えというのか。こういう性格が、さらに彼女との距離感・仲をぎこちなくさせている一端にもなっているのだろう。
 ああ、本当に、何故こんなにごちゃごちゃ考えなければならないのか。ただ力を振るっていればいいだけならばよかったのに。どうしてこんな面倒なことになっている、どうしてこんな面倒な「感情」を持っている。苛立たしい、腹立たしい、憎たらしい。
……私の、ために?」
 不意に、力のない声が耳に届く。いまいちわかっていないような雰囲気のそれに、渦巻いていた激情が頂点に達した。
 怒鳴ってやろうかと女のほうを向く。
……は、あは」
 彼女は、笑っていた。 
「お前、なに、笑って、」
 泣きながら、笑っていた。
 面食らって声が出ない。しかし彼女は、ボロボロ涙を零しながら、笑っていた。
「は、ははなに、え、本当にはは、あはは

 私のためと、言ったか。
 この男は今、私のためと言ったのか。
 一気に、色んな感情が駆け巡った。嬉しい、憎たらしい、とても滑稽で、苛立たしい。相反する感情は私の脳を、身体を、心を勢い良く流れ続け、ぐるっと一周すると同時にすっと落ち着いた。本当に、潮が引くように。
馬鹿みたい、一人で悩んで、すれ違って。話もせず相談もせず、本当に。」
 馬鹿臭くなった。
 ずっと、私のことを嫌っていると思っていた、憎んでいると思っていた。
 全ては私の勝手な思い込みだ。話してくれればよかったのに、なんて言葉は飲み込む。私だって話さなかった、打ち明かさなかった。そうやってお互いに、お互いの腹の中を明かさないまま勝手に思い込み合って、こうなった。
 いや違う。彼は正しく私の気持ちを汲み取っていた。あの時、一番最初の手入れのときに。誰が好き好んで自分の寿命を縮める行為をするだろうか。そんな被虐趣味を持ち合わせる人間を私は知らない、少なくとも私の知り合いにはいない。だからこそのあの発言だ、こうやって、傷をつけるために刀剣を送り出し、生き延びた彼らの手入れをする。私の、命を削って。そんな思考が、ぽっと私の口をついて出たのだ。
 あの台詞を聞かれているなんて思わなかった。刀剣の姿のときでも声は聞こえているのは知らなかった。そうか、彼は私のその言葉で、声音で、全てを悟ったのか。本人にとっては憶測にすぎないことであっても、まさしく図星だ。
 情けない、本当に、私が一番「最初」だったのか。
女はすぐ泣く。」
「ふ、ふふ、すみませ、ん。」
 ぐずり、と、鼻が鳴る。煩わしそうに、けれどチラチラと視線がこちらに投げかけられる。
「怒鳴るに怒鳴れねぇだろ。」
「怒鳴って頂いても構いませんよ。むしろそうされて然るべきです。」
「んな気も失せた。」
 はー、と、重い溜息が隣から漏れる。
お前のためって思って、戦って、強くなって、勝ちをもぎ取る。」
 遠くに思いを馳せるように、和泉守は目を伏せる。
「死合をして、目の前の敵に集中すれば、お前のことなんか頭からなくなってた。」
 考え事をしたくなくて、別の何かに打ち込む。覚えのある行動だ。他のことに集中している間は、その間だけは「問題」を忘れられる。
 彼の「問題」とは、私と向き合うことだったのだろうか。そこまでは、私には分からない。和泉守は、ただ淡々と語り続ける。
「それがなぁ、楽だったんだよ、正直。ここに戻りたくなかった。お前が辛気くさい面して出迎えて、俺を見上げてくる。それを見るたびに、なんでこいつのために戦ってんだろうって思ったよ。戦いなんか望んでねえ奴のために、って。」
 私が、なんでこの人達のために命を削っているんだろう、と思っていて、彼もまた、なぜ主とも認めていない人間のために命をかけ戦わなければいけないのか、と悩んでいた。
 言葉の足りなさ、一人で悩む様、相手に対する不信感。
 私たち二人は、なんだか似ている。
 しかし彼は私のように、すごく遠回りはしなかったのではないだろうか。五虎退も薬研も、三日月も、自分のそういったところをきちんと享受していた。ただそれを昇華させられたかというのは、個々で違った。良くも悪くも、刀剣達は「感情」に、とても、とても素直だ。
「けど、お前にもあったんだろ、事情ってやつ。」
ふふ、すみません、お答えできかねます。」
「なんだそれ。」
 今日の彼は随分と饒舌だ。程々に止まった涙を袖で拭いながら、彼の言葉に耳を傾けた。こうして聞いていると、とても心地良く響く声なのだと、場にそぐわないことを感じながら。

「戦って戦って、終わりがあるのかないのかわからないことを続けてたら、お前がいきなり辞めるって言い出しただろ。」
 残り一ヶ月で、この場を去ると女は宣言した。まっすぐに、大広間に集まった刀剣たちを見据えながらだ。
 あの時は、頭が真っ白になって二の句が告げなくなった。普段ならば、冗談いうなと一蹴してやるところだ。しかし実際は言葉なんて出てこなかった。彼女は、「自分を見ることすらなく」その場から去っていった。大広間は水を打ったように静まり返り、やがてヒソヒソと小声がさざなみのようにあちこちから沸き上がる。
兼さん。」
 隣に座っていた国広が、強張った表情で見上げてきた。それを見ても、心が落ち着かない。こういったときに自分がビシッとしなければいけないのに、声が出なかった。そんなところへ助け舟を出したのは、大和守だった。「さて、刀装の確認してこようかな。」、たったその一言で、未だざわめきは消えないものの、各々割り振りに応じた仕事につきはじめた。頭の中の整理がつかないまま、それに合わせるように自分も動く。
 その日は出撃の予定があったが、取りやめた。それを国広を通じてを申し伝えると、同田貫や大和守がすっ飛んできてぎゃあぎゃあ騒いだ。が、ひと睨みで黙らせた。この本丸で自分に敵う刀剣など現状いない。
 今はただ、考えたかった。
 なぜ、彼女が「審神者を辞める」と言い出したのか、よくわからない。行軍は終わりは見えないものの、順調だったはずだ。他刀剣たちの練度も高く、安定した勝利が臨めている。刀装が破壊されることによる怪我はあるものの、新人がいない限りは重傷者が出ることすら稀になっていたほどだ。仕事だって書類仕事程度だろうし、何が不満だったというのか。
 辞める理由は、翌々日には判明した。薬研が目を腫らしながら、報告を上げてきたからだ。
「あんたの、せいだ。」
「あ?」
「あんたが、あんたらが大将を蔑ろにするからだ!」
 子供のような、的を得ない暴言だ。疑問符が頭のなかに充満する。考えて、噛み砕いて飲み込んで、合点がいった。女と自分の関係、それに感化された刀剣たちを、彼は批難しているのだと。
 早く終わらせるならば、慣れ合いなど無用だと思った。彼女と自分の間にあるのは「義務」だけでいい。だから、必要最低限以外は関わらないようにした。堀川にたしなめられようとも、変える気はなかった。ただ誤算だったのは、自分の態度が他刀剣と彼女の関係に必要以上の悪影響を与えたことだった。確かに彼女に対しての怒りが消えず、帰還したときや手入れの時など八つ当たりのようなことをした覚えもある。常に第一部隊隊長として他刀剣を率いる身としては、そのような振る舞いは表立って見せるべきではない。これに関しては、自分が悪いことは自覚している。だがまさか、それに他刀剣達が引きづられるとは思わなかったのだ。第一部隊の面子だけならいざしらず、遠征組や短刀のような者たちまでがだ。
「んなつもりはなかったけど、よくわかんねーな、人間じゃねーけど、人間関係っつーもんは。」
「そうですよ、面倒なんです。」
俺の態度が悪かったって、言えりゃよかったんだろうけどよ。格好悪いとか、恥だとか、体面気にしちまうんだよ。」
「それはそうですよ。仕方のないことです。」
「なんだよなぁ。」

 お互いに、ため息を吐いた。
 怒鳴ろうとした和泉守の鼻っ柱を、泣き笑いという形でへし折ってしまった結果、なぜかこんなに穏やかな会話が続いている。言葉の一方通行でも、中身の無い口喧嘩でもない。
 これ以上の会話は、冗長かもしれない。
 けれどもう少し、もう少しだけ、彼に私との会話に付き合ってもらおうと、勝手に決めた。



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