@twirl_rabbit
言葉の足りない私と彼は、不器用なまま拗れていった。
ボタンを掛け違えるように、紐が絡んでしまうように。
長い時間をそうやって過ごして、修復することはできたはずなのに、見て見ぬふりを貫いた。
動き始めた時には、私に残された時間は残り僅かなものとなっていた。
瞬きぐらいの時間の中で、もしも許されるならば。
私は、彼に、伝えたい。
「人間」として、彼に。
* * *
「……人間関係って、会話が大事なんですよ。」
私の、今までの人間関係はどんなのだっただろうか。
少し考えて気づくのは、とても楽だった、ということだった。もちろん友達と喧嘩をするし、人間関係に悩んだこともあった。ただ大抵は浅く済んでいた。
その原因はきっと、私の周りには「察する人」が多かったからだ。経験則、とでも言うのだろうか。いまこの人はこんなことを考えているな、いまこの人はこんな風に感じているな、そういう今までの人間関係で学んだ経験則を活かした交流が多かった。その経験則に頼りすぎて、見当違いな方向に相手を解釈してモメることもしばしばだったが、余程のことがない限りは和解もできた。
その関係はとても生ぬるく、察することができると必要以上の会話がなくなる。「私はいまこう感じているの」、「私はいまこう思っているの」、それが言葉となって出てこない。察してよ、空気を読んでよ、そんな押し付けを相手にして、自分は傷つかないところにずっといた。
ここに来てからはそうはいかなかった。人間関係の経験則が無い刀剣たちとの触れ合いで、自分の気持ちも伝えずに相手に求めるばかりだった。言葉にせず相手に評価を求め、話し合わぬまま非を押し付け、心明かさぬまま疑いを掛ける。
言葉は、心を伝える一番の道具なのに、それを使わなかった。
それはここの刀剣たちにも言えることだろうけど、その手本を見せなければいけなかったのは「人間」であり「審神者」である私だろう。けれどその私が一番、言葉を使わなかった。
「私は生まれてこの方、「人間」しか経験していません。
人間関係は経験則で幾らでも楽をできる、ただ楽をし過ぎると八方塞がりになって自滅する。
そうならないために、会話が、言葉が必要なんです。」
私は言葉が足りなかった、と、ため息混じりに呟く。
チチ、と、鳥が鳴いている。桜はそよ風が吹くたびに、やわらかな花弁をそっと落とす。青い空には一つ二つの白い雲が、その身をなすがままにしていた。そういえば、和泉守と初めてここに来た日も、青空が広がっていたか。
「私と、他刀剣の不和は貴方だけのせいではありません。むしろ私にこそ原因がある。」
「…原因?」
私は空を眺めながら、言葉を続ける。
和泉守は庭を眺めたまま、話に乗る。
視線がかち合わないままの会話でも別にいい。膝頭突き合ってするような会話でもない。
「貴方に、認められたかったんです。
一生懸命、行軍の作戦とか考えて、鍛刀も頑張って、「すげえな」と、言われたかったんです。」
くだらないでしょう?と、問いかける口ぶりは自嘲そのものだ。そして彼は、それに対して何も答えない。別に是非が欲しいわけではない、私自身がはっきりと自覚している。
「そんな私に、みんな気づいていました。自分たちを見てくれない主についていく必要はないと、そうやって見限られた。事実そのとおりだし、そうされる謂われが私にはあります。
…確かに、貴方の行動にも原因はあるかもしれませんが、全てのキッカケは私なんです。」
きっぱりと言ってのけ、つい、と、和泉守に視線を映す。
和泉守は、渋面を作っていた。予想外の反応だった。ここまでの流れからすれば、「まあそりゃろうだな」、くらいの軽い言葉が返ってくると思っていた。
「…それこそ言ってくれなきゃわかんねーよ。」
そして、苦々しげにそう言った。
ああ、どうしよう、罪悪感を感じさせただろうか。気づけなかったと、察せなかったと。それは違う、絶対に。
「"貴方に認めて欲しくて頑張りました!"、って?」
だから、軽い口調で明るく言ってみせれば、彼は目を丸くした。
「褒めねえだろうな。」
「ほら、そうでしょう?」
ククと和泉守が喉を震わせたから、私も息を吐くようにフフと笑った。
「でもまあ、そうやって言われりゃ違っただろうな。」
「ええ、違ったでしょうとも。…少なくとも、現状のようになることは、なかったはずです。」
この半月で嫌でも思い知らされた。
感情の煩雑さ、会話の大切さ、そして、「人間」という面倒臭さ。
ただの刀剣、道具であった彼らが人間となって顕現したその戸惑いは計り知れない。感情を持て余して苛立った回数はどれほどだろう。悩むことの苦しみを昇華できない夜はどんなに長かっただろう。
そしてそれに手を差し伸べるべきはずの私までが、感情に振り回されていた。
人間関係と感情の処理に教科書はない。人間はそれを学ぶのに幾年も時間を費やすが、それでも振り回されるし上手に処理できないことがある。だから逃げる方法を学んで、自衛する。私はその自衛があまりにも幼稚で拙なかった。そして、彼たちとの仲を余計にごちゃごちゃにしてしまった。
これからはそんなこと、決してあってはならない。
彼らは人間の形をとり、感情を持ち、様々な刀剣と触れ合うようになって時間が短い。だから、その複雑怪奇さに驚き、戸惑い、悩む。上手に処理する方法も、上手に逃げる方法も知らない。
だから、私は彼に伝えたい。
「新しい審神者とは、会話をしてください。」
突拍子もない私の願いに、和泉守はまた目を瞬かせる。それを無視して、彼の目を見ながら、ゆっくりと言葉を口に乗せる。
伝わって欲しい、理解して欲しい、そう思いを込めながら。
「恥ずかしいのは一時的なものです。審神者と打ち解けて、皆の手引となってください。」
誰か一人が見本となれば、どう接すればいいのか自然とわかる。審神者に対して不信感を持っていたとしても、仲間が打ち解けていれば惹かれるように会話をするはずだ。まして、和泉守はここ本丸一番の刀剣だ。そして彼の下には温和な堀川もいる。この二人が、審神者との仲を良好にさえしていれば。
「もし私が、まだ「審神者」として…、いえ、一人の「人間」として、発言することが許されているのならば。
言葉を、惜しまないでください。
言葉を、飲み込まないでください。
私の二の舞いにならないように。」
私の言葉は、彼に届いてくれるだろうか。
* * *
審神者を、辞めると言われた日から、考えた。
今までの自分の目的、目標。
「主」と慕うことのできない彼女のために、一日でも早くこの戦いを終わらせる、こと。
それのために何も考えずにひたすらに突き進んできた、走り続けてきた、敵を斬り伏せ続けてきた。彼女と向き合うこともせず、理解しようともせず、頑なに拒み続けてひたすらに。
しかしどうだろう、その目標が、目的の対象外なくなってしまう。
自分はこれから、どうすればいいのだろうか。
ぎゅうと、心臓が痛む。頭に血がのぼり目頭が熱くなる。知れずに呼吸は浅くなり、嫌な汗が額に滲んだ。
立っているはずなのに、確かに地に足を付けているはずなのに、そこが崩れていきそうな不安にかられる。ヒビが入る音とほぼ同時に、ガラ、と一欠片、二欠片、次いで大小の瓦礫となって足場が崩れる。ヒヤリと肝が冷える、浮遊感に背筋が凍る。
否、否、自分は地面に足をつけて立っている。大丈夫だ、現実では起こりえない。そんなことは起こりえない。
ただ、心の中ではどうだろう。心の中での立ち位置は、こんなにも不安定で、脆く崩れ去る足場の上だ。己の足元が、怖くてみることができない。
彼女ありきの行軍だった。
彼女ありきの自分だった。
彼女がいなくなったならば、自分はどうすればいいのだろうか。また闇雲に戦い続ければよいのだろうか、それとも、もう手を抜いていいのだろうか。新しい審神者が来た時にどうすればいいのだろうか、打ち解けることなどできそうにもない、その新しい審神者のために戦うことはできるのだろうか。「あの人」を「主」と思いつつ、特に大義名分もないままに新しい審神者のいうことを聞いて、死と背中合わせの戦場へ、行けるのだろうか。
無理だ。
カラカラに喉が乾いた、動悸が激しい。
どうすればいい、「自分のために」彼女を引き止めることはできるのだろうか。いや、無理だ。彼女とまともに会話したことすら殆ど無い。それなのにいまさらどうして「残ってくれ」なんて言えるんだ。言えるはずがない。ましてその言葉には、「自分が戦う理由がなくなる」という、自分勝手な気持ちがほとんどだ。彼女に残って欲しくての言葉では、ない。
ス、と、障子が静かに開く。
「……兼さん、ひどい顔してるよ。」
「…っるせぇよ、なにしに来た国広。」
「出陣もせずに珍しく引きこもってるから、様子を見に来たんだ。」
チクリと嫌味のように言葉が刺さる。今の心理状況が、彼の台詞を刺のように感じさせているのかもしれない。
部屋のすみで座っている自分の横に彼は腰を下ろす。
「…主さん、辞めちゃいますね。」
「ああ、そうだな。」
「いいんですか?」
「何がだよ。」
「後悔しますよ。」
ひやりと、首筋に刃物を突きつけられるような、そんな空気だ。むっとして国広を睨めつければ、彼の瞳はまっすぐにこちらを見抜いてくる。
「…兼さんの態度にも、なにか意味があるんだと自分に言い聞かせてここまで来た。けど、こんなことになって…。
ねえ、兼さん。言わなきゃわかんないんだよ。」
「…分かってる。」
「分かってないよ、兼さん。
面倒だからって避けて、腹の中見られたくないからって逃げてる。」
「っうるせえ!黙れよ!」
カッとなって、国広の胸ぐらを掴み上げる。体格の差から持ち上がる格好になり、苦しそうに顔を歪めた。それでも自分を映す瞳はそれることはない。
「黙らない!そうやって怒るのは図星だからでしょ!?兼さんは主さんから逃げてる!自分からも逃げてる!
そんなのカッコ悪いよ!!」
言葉に詰まった。
そんなことはない、自分は逃げてなどいない。その台詞が出てこない。
パンっと、手を払われる。それにハッとして国広を見れば、喉元をさすりながら衣服の乱れを正していた。バツが悪くて、思わず目を逸らす。
「…よく、考えて。」
そう、一言だけを言い残し、国広は部屋を出て行った。
後悔、の二文字が胸を焼く。ジリジリと火傷のように痛むそれに、手を余す。
あの女に、どの面下げて会いに行けばいいのか。
あの女と、いまさらどんな話をしろというのか。
じりじり、じりじり。
火が、点く。
* * *
「……、逃げんのか?」
口をついて出たのは、挑発だった。
女の眉が、ぴくりと動く。その変化がどのような意味を持つのかを察することはできない。ただおそらくは、良い感情の変化ではないだろう。
彼女の心のうちを少しだけ垣間見ることができた。自分と同じように、言葉足らずで、弱気で、人間であるがゆえのずる賢さで現実から逃げていた。
なんだろうか、苛立ちもあったが、安心もあった。
この女も、自分と同じだったのか、と。
「どういう、意味ですか。」
「次の審神者、よりは、今の審神者、のほうがいいと思わないか?」
今度は彼女のほうが面食らったように目を瞠る。
もしも、歩み寄るならば、審神者との信頼関係を築きあげるならば、0から始めるのではなく、今この場からやり直すでいい気がした。彼女にどんな事情が絡んでいるかは分からない。けれどもしその事情が、刀剣同士の不仲であるならば、これからの対応次第では払拭も可能だろう。自分がその手本になれというのならそれも厭わない。
この感情は、彼女に残ってほしいという思いはどこから来るのだろうか。自分が目的を失うことからの恐怖感か、それとも彼女に対する微小な罪悪感からか。目的を失うことがそんなに恐ろしいか?彼女に対して申し訳ないと本当に思っているのだろうか?
分からない、分からないから、言葉にする。
彼は、何を言いたいのだろう。
今の台詞は、私にここに残って欲しい、というように聞こえる。
戸惑っていると、彼は本当に、その言葉を吐いてしまった。
「ここに残ればいいだろ。」
「無理です。」
即答する。
なんだろう、この会話にデジャビュを感じる。
みるみるうちに、和泉守はしかめっ面を作っていく。まさかの発言を食らったこっちこそがその表情を作りたいのに。
拗ねたように、彼は唇を尖らせる。発言の意図がわからずにそのまま見つめていれば、はぁ、と溜息を吐かれた。
「……俺の、戦う理由、なくなっちまう。」
ピン、と、きた。
彼は、「私を審神者から解放するために」戦ってくれていた。それを大義名分として自分を奮い立たせ、戦場で力を振るい続けてくれていた。その目的となる人物がいなくなるということは、確かに彼にとっては苦痛以外の何物でもないだろう。
ただこればかりは、助言することは難しい。「歴史修正主義者を抹消する」ということは、我々審神者の任務であり、彼らにはそのために力を貸してもらっているに過ぎない。彼らにとっての一番簡単な理由は、「主命」なのだ。
しかし現状、我が本丸に「主命」など存在しないに等しい。ここはほとんど和泉守兼定により運営されてきた。私が噛んだのは本当に初期の頃だけで、後は彼に任せきり。彼は私のためにと脇目もふらず突っ走ってきたから、「他の理由」を探す暇などなかっただろう。
どのように、言葉をかけるべきか悩む。
言葉を掛けないほうが、良いのかとも思う。
ただ、ここまで来たならば少しでも彼の手伝いをしてやりたい。これは、私の罪滅ぼしだ。
「……目標を、見つけるということは簡単なようで難しいです。」
与えられた任務をただこなすことと、自分で目的を持って動くことは難易度が段違いだ。どこを目指せばいいか分からない、どこが終着点かわからないならなおのことだ。主命を果たすことに意義を感じるならいざしらず、そこに戦う理由を見いだせないのならば苦しいだけだろう。
「こればかりは、私も指標を指し示すことはできない。
けれど、悩んでても始まらないんですよ、こういうのって。」
目の前の小さなことを片付けることから始めていく。
きっかけはなんだっていい、そこから見えてくることもある。
「理由も目的も、他人に与えられたままでは成長できない。
ここが、踏ん張りどきなんですよ。」
「…なーんか、審神者らしいこと言ってやがる。」
「…審神者です、けど。」
「そこは言い切れよ。」
言い切れるとでも思っているのだろうか、この男は。
「わーかったよ、腹くくればいいんだろ。」
吹っ切れたように、腹から出したのであろう声は少し大きい。怒鳴られているわけでもないが、いきなり大きな声は少し心臓に悪い。
彼はおもむろに立ち上がる。立ち上がったその姿から受ける印象は、今日ここに現れたときとはだいぶ、違う。
彼を恐れる理由も、避ける理由も、もう、ない。
ちらとこちらを見下ろしてくる、碧の瞳とかち合う。前は、その目の光を怖がって直視することができなかった。けれど今は、まっすぐに見ることができる。わだかまりが解消できたからか、それとも自分が成長したからなのか。
どちらでも、いい。
「……ここから、去る前にあなたとお話ができて、良かった。」
「…こっちの台詞だ。」
* * *
彼は、その後出撃していった。いつものメンバーを率いて、厚樫山へ行ったらしい。どんなに練度が高かろうとも、敵の攻撃が強く刀装を破壊しやすい難易度の高い場所だ。
出撃の知らせは薬研から聞いた。どうして出撃したことを報告してきたのか、いつもなら事後報告のはずなのに珍しい。ああ、久々に手入れが必要になるかもしれないから、一応報告してきたのだろうか。
そう思って身構えていると、彼は微笑んだ。微笑むだけで、答えてはくれなかった。
日が暮れて、部隊は帰ってくる。
薬研に手を引かれ、玄関へと連れられる。帰還した部隊を出迎えるなど久々すぎて、心臓が痛いほど脈打っている。
手入れをしなければいけないだろうと、覚悟を決める。
最後の手入れ、になるかもしれない。怖い、怖いけれど、いいや、やっぱり、怖い。
がら、と、戸が、あく。
「…んだよ、珍しいな。」
「あ、るじ、さん?」
一番最初に顔を見せたのは、和泉守兼定。次いで、驚いた顔をする堀川国広。その後ろに控えている同田貫正国と大和守安定は、私をみて顔を歪めた。その下で私に気づいた秋田藤四郎と今剣がひょっこり顔を覗かせて、キラキラしながら飛びついてきた。
「あるじさまーただいまー!」
「主君、いま帰りました!」
小さな身体を受け止める。隣で、薬研が笑っている。
同田貫を見ても、大和守を見ても、堀川や秋田、今剣を、和泉守を見ても、誰も、傷ついていない。
「お、かえり、なさい。」
ぎこちない言葉が、情けない。
「……応。」
ただ和泉守は、笑って返事をくれた。
天候、快晴。
気分、平常。
面々、吐露。
私は、
私は、これからの二週間を、彼らとどう過ごして変わっていくのだろう。