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審神者を辞めることにしました。【9/大和守安定編】

全体公開 6 9704文字
2015-09-07 12:44:43


 月見をしようと、思った。
 夜空に浮かぶ月に薄ら雲かかり、朧となった光が目に優しい。脇に控える星たちも一生懸命に輝いて、絶好の月見日和だった。
 正直、自己主張の激しい満月よりも、欠けたくらいの月でちょうどいい。そんなことを考える頭に、ふと老獪な男の顔が浮かんだ。艶然と微笑む顔は、確かに老若男女誰しもが見惚れる魅力があるはずなのに、妙な苛立ちを私に植え付ける。
 いや気分を変えよう、今日はのんびりと、月光浴をしてから寝るんだ。
……ねえ、」
「ええ?」
 不意に、響いた声に驚く。近づいてきた足音に、気付かなかった。
 ここは私の私室の前だ。今は夜中、こんな時間に訪ねてくる刀剣などいない。いや例外はあったがあれは本当に例外なだけだ。
 朧朧たる月光が、彼の姿をはっきりと映し出す。
 普段は結っている髪が今は降ろされていて、一瞬別人かとも思ったが、その身のこなしと空気、なにより声ですぐに分かる。
「大和、守、」
「僕、別に幽霊じゃないよ。そんな顔しないでよ。」
 からかうような口ぶりとは正反対に僅かな嫌悪を滲ませながら、彼は私から少し離れて縁側に腰を下ろした。

 気まずい。
 気まずすぎる。
 和泉守のときとの気まずさとはまた別の気まずさだ。
 まず夜、音がなさすぎる。周囲の暗さ、安心感がない。加えてこの沈黙、何をしにきたんだ、話すなら早く話して欲しい。
 正直彼は同田貫より苦手だ。同田貫は感情が読みやすい。嫌いなら嫌い、好きなら好きですぐに雰囲気が変わる。ただ、大和守は表情を隠す技術を身につけている。笑顔を向けられて安心したのもつかの間、その綺麗な顔で「近づかないでくれる?」と言われた時は半日落ち込んだ。
 そんな彼が、私に会いに来たのだろうか。
 一人悩んでいると、彼が、おもむろに口を開いた。
僕が来た日、覚えてないでしょ。」
「お、覚えてますよ?」
「嘘だ。」
 間髪入れない否定の言葉だった。それに少しだけむっとして、ちらりと彼を横目で見る。彼の顔は前を向いているのにややうつむき加減のせいで、長い髪がその表情を推し量れなくしている。表情を見ることができないのは、不安だった。感情の機微が見えないのは不安だった。けれど彼は、その笑顔の下に感情を隠してしまうからどのみち意味はないか、とこっそり息を吐いた。
「嘘じゃない、です。堀川が、貴方を見つけて拾ってきた。」
 彼は、私の三振目の刀だ。
「貴方は、自分を扱いにくい刀剣だと卑下した。」
 だから、よく覚えている。
「私はそれに、「扱いにくいかは私には分かりませんが、貴方の力を頼りにしています。」、そう言いました。」
 はっと、息を吐いた音がする。
 単なる呼吸から来る音ではない、明らかに、嘲笑の音だ。
 それに再びむっとする。問いかけてきたからそれに答えた、それなのに彼に嘲笑される理由はよくわからない。
「じゃあ、その日の夜は?」
「夜、」
 夜、彼が来たその日の夜。そう確か私は、本丸をただふらりと歩いていた。あの日は、月が出ていただろうか、月が出ていなかっただろうか。良くは覚えていない。ただ、眠れなかったことは覚えている。
そして、そう、彼を見つけた。
 縁側に腰掛けて、呆と庭を眺めていた彼を。
貴方がいた、から、私は声を掛けました。」
 こちらを、彼の目が、貫いてくる。
 どう見たって良い色は宿していないそれに、何か言われる覚悟をした。

* * *

 静かな夜だった。寝付けなかった私は、まだ三振りしかいないせいで人気の感じられない広い本丸をふらりと歩いていた。夜中に出歩くことは褒められたことではないのかもしれないけれど、眠れないから何かきっかけが欲しかった。眠れるきっかけでなくてもいい、単に暇だったから何か新しいことが欲しかった。
 こんなところを、あの長髪の刀剣に見られたらどう思われるのだろう。今日もまともに会話が続かなかった。連続して出撃をして、刀剣を拾ってきたかと思えばまた何処かへと消えていった。傷はそんなについていないように見えたが、無傷にも見えなかった。堀川が手に持った刀を差し出して、私に言った。新しい仲間です。私の心はひやりと冷えて、怯えにも似た気持ちでそれを受け取った。鍛刀儀式を行う部屋で、背後に堀川を控えさせながら、私はその刀を両手に持つ。「どうぞお目をお覚まし下さい」、何度となく練習した言葉。何度となく口にした言葉。ただ本番で口にしたのは、まだたったの、三回目。
 桜の幻影を身にまといながら現れたその刀剣は、私を見るなりなんとも返しに困る言葉を口にした。
「大和守安定。扱いにくいけど、いい剣のつもり。」
 自分で扱いにくいと言ってのけてしまうのは、その素直さゆえなのだろうか。にこりと笑う顔は、かっこいいというよりも可愛らしく整っている。目元の泣きぼくろが印象的だった。彼は私をじっと見下ろしてきている。口元は笑みをかたどっているのに、目元が笑っていない。
 値踏みを、されている気がした。
扱いにくいかは私には分かりませんが、」
 静かな部屋に、私の声が響く。後ろに控えている堀川は何も口出ししない。
「貴方の力を頼りにしています。」
 告げた言葉に、わずかにその眼に喜色が滲んだ気がした。それに私は、ほっと胸をなでおろす。どうやら最初の印象は良い方向に転んだのだろう。会話ともいえない会話が途切れた頃にようやく、堀川が彼に声をかけた。「ひさしぶり」、その五文字が堀川の口から零れた理由に首をかしげる。しかしその答えを私が出す前に、顕現したての彼も笑って言った。ひさしぶり。そこにいろいろな感情が含まれているのを、部外者ながらに感じることができたのはその二振りの表情故だろうか。
 お互いに見つめ合って、穏やかなようで、寂しそうなようで、それでも、どこか信頼しあっているようなそんな顔。二振りの間に挟まれながら、私はじっと彼らを観察した。その間にはきっと、見えない糸が繋がっている。それはきっと途切れることもなく、私が間に入る余地もないのだろう。
「主さん。」
……え、あ、はい。」
「案内、してきますね。」
 大和守を。きっと言葉の後にはそう続くはずだ。当たり前だこの場には堀川以外に私と彼しかいない。私は声も出さず、ただ頷きだけを返した。
 部屋を去り際に、大和守はちらりとこちらを振り返った。その視線の意味がわからずに身を固くすれば、その口元にまた、笑みが浮かんでいた。
 ただその目元にも笑みが浮かんでいたから、私は安心したのだ。
 そして、彼は堀川に連れて行かれてしまった。私は鍛刀部屋に一人残されしばらく呆けてから、その場を後にした。それから一刻すぎるかすぎないかのうちに、私の初期刀である長髪の彼和泉守兼定が本丸にボロボロになって戻ってきて、私と衝突したのだ。なんでそういう戦い方をするのか、お前には関係ない。頭に血が上る私と鬱陶しそうにいう彼を見て、堀川と大和守はなんとも言えない顔をしていた。その後のことはもう思い出したくもない。
 ああ、なんだか考えていたら疲れてきた。体に変な怠さが生じる。眠気にも似た疲労感が背中にずっしりと押しかかってきた。ただ廊下を歩きながら一日を振り返っていただけなのだが、肉体的よりも精神的にどっと疲れてしまった。もうこれ以上は考えないことにしよう。
 あてもなくふらふらと本丸の中をさまよっていた。無論、和泉守たちが休んでいる部屋には近づかないように。ただ、そうやって歩きながら疲れることを思い出したお陰で眠気も訪れてきたことだから、そろそろ戻ろうと私は体を反転させた。来た道を戻るのも芸がないから違う道を選んでみたら、廊下の先が仄明るくなっていた。月明かりのようだった。もしかして雨戸を閉め忘れただろうかと近づいていけば、人影があるのに気がついた。
 それが、今日仲間になった刀剣だと気づくのにさして時間はかからなかった。
 彼は私に気づくと、少しだけ困ったように笑った。そんな表情もするのかと思いながら、こんばんは、と声をかける。彼は何も言わなかった。その代わり、拒みもしなかった。
 そばに寄って、縁側に座る彼の横に私も座る。人一人入れそうなくらいの距離をあけて。
 人によってパーソナルスペースは異なる。彼のその領域がどのくらいかは知らなかったから、一応きちんと距離を取ったつもりだ。
 お互いに座って庭を眺める。春の象徴、桜の花が月光を浴びているのにその彩度はだいぶ落ちていて、まるで白い花のように見えた。そういえば、と隣の彼を見る。昼間は浅葱色を身につけていたし、髪は綺麗な藍色でその鮮やかさがとても目を惹いた。それなのに今は、白の夜着、髪は夜の暗さも相まって黒く見える。なんだか別人のようだった。いや、別人と言えるほどもまだ彼のことをよくわかっていない。本当は彼は、昼間見た彼ではなく違う刀剣なのかもしれない。
 眠たい頭は次から次へと馬鹿げた考えを生み出していた。そんな私に、横から声がかかった。
「眠るって、怖いね。」
え。」
 怖い、の意味がわからなかった。人間の三大欲求の一つにあげられる睡眠を怖いと言う存在に私は初めて出会った。その意味を推し量りかねて黙りこんでいると、彼は独り言のようにぽつりぽつりと言葉を落とした。
「頭がフワフワして、何も考えられなくなる。堀川に言われて横になって目を閉じた瞬間、すっと、暗いところに落ちたんだ。……それを感じたことはないけど、死ぬって、こんな感じなのかな、って。」
 死ぬ、その言葉に胸がズキリと傷んだ。生きている限りそれは他人ごとではないのだけれど、今の私にとっては酷く身近な現象だった。自分の身に明日降りかかってもおかしくないものだった。 
 彼が「死」に反応しているのは、前の主の影響があるのかもしれない。彼の以前の持ち主は、日本史の苦手な私でも名前をよく知る人物だ。そんな前の主の経緯を考えれば、今横に座っている彼が、眠りに至るまでの過程を「死」と関連付けて、感傷に浸るのも道理なのかもしれない。
 とはいえ、どのように声をかけていいのかもわからない。下手な声掛けは逆効果になると知っている。かといって気の利いた言葉がすぐに浮かぶほど人生経験は豊富ではない。心の中で唸りながら言葉を考えていると、また彼が口を開いた。
……わからないまま暗いところに落ちたはずなのに、気づいたら目の前に、沖田くんがいたんだ。」
 沖田くん、という人物。彼の前の持ち主の名前だった。しかし彼はもう故人であり、この場に存在するはずはない。なぜ現れたのか、なんて予想はすぐにつく。
そう、寝ていたのだから、答えは簡単だ。
「沖田くんが僕に笑いかけてて、でも何も言ってくれなかった。僕を、その手に取ることもしなかった。」
 抱えた膝に顔を埋めて、どこか悲しそうに彼は言った。
 いまこの本丸にいる刀剣三振り、彼らはまだ前の主を想っているようだった。和泉守は私の前ではそんな素振りを見せないけれども、函館に言った時にそういう話をしてしまったと堀川が照れくさそうに話していた。歴史を変えさせないために、僕らは顕現したんですよね。そう告げた彼の顔の、寂しそうな顔に何も感じないわけではなかった。
 刀剣にとって、歴史を変えさせないということはどれほど苦痛なことなのだろう。前の主の末路を、最期を変えたいと願わないはずがないのに。
 私ならその立場に立ったならどうするのだろう。
「僕は沖田くんの名前を叫んだんだ。叫んだはずだ。でも何も、音にはならなかった。」
 漏らす言葉は、聞こえづらい。聞こえづらいはずなのに、夜の静けさの前ではそんなこと関係無かった。
「目の前で浅葱色があの、青が翻ってそれで、気づいたら目の前が暗かった。天井があった。起き上がったら、あてがわれた部屋で、僕は。」
 なんで僕は、沖田くんに会えたのかな。
 彼の疑問が沸き起こる理由がわからない。夢を見ることは普通のことだ。いや、人間に取って普通のことだから、刀剣にとっては普通のことではないのかもしれない。そういえば先ほど眠るのが怖いことだと彼はいった。刀剣は眠らないのだろうか。いや、刀剣だった頃は眠ったことはないのだろうか。刀剣だった頃は、長い時間をどう過ごしていたんだろうか。
 彼の疑問に答える前に私の中には次から次へと新しい疑問が湧いて出た。そういえば私は、何も知らない。刀剣たちのことを何も知らなければ、「刀剣」自体を何も知らない。
 だって習わなかった。そんなこと、習わなかった。
眠るときに人は、夢を見ます。」
夢、」
 私の言葉を彼は繰り返した。ゆめ、の二文字を知らない言葉のように口にして、言葉馴染みのない単語に唇をモゴモゴさせている。ゆめ、また呟いた。やはり、そういう体験をしたことがないようだった。
 幸せなことなのだろうか、不幸せなことなのだろうか。夢を見ないことは、そのどちらになるのだろう。
「眠っているときに脳が見る幻、みたいなものでしょうか。」
……それで沖田くんに会えたのかな。」
…………おそらくは。」
 そっかぁ、と、彼は息を吐いた。また呆と、庭を眺める。
 前の主に対する思いの深さど私には分からない。彼の前の主は、歴史の偉人だ。会ったことなど勿論ないし、その偉人に関する書物を読んだこともない。どういう人だったかなんてぼんやりとしかわからないから、私は何も言わないのが一番懸命だと思った。だから私は、それ以上は言わないことにした。
 人が人を慕うのには理由はある。その慕う深さは人によって違う。それは、他の人にはなかなか理解し難いものだと思う。それを理解できない部外者が口を出して高説垂れるのは、不躾なことだ。それに、そんなことを語れるほど私は偉い人間でもない。
 彼が何を考え、何を思っているのか、それは彼の口から語られるまでは待ったほうがいいのだろう。彼と同じように庭を見ながら、私も貝のように口を閉ざした。
 どれくらい時間が過ぎただろう、肌を撫でる風の冷たさが身にしみ始めた時だった。
今の主は、貴方なのにね。」
………、」
 その言葉の重さが、肩にのしかかった。
 意味が幾通りにも取れる。どういった意味で言ったのだろう。焦る必要などこにもないはずなのに、心臓が少しだけ痛くなった。彼の声は、落ちついている。落ちついているのに、心を落ち着かなくさせる。その声色に乗った感情は、なんなのだろう。短い台詞、その音、あまりにも深読みさせるそれに、私は動くことができない。
 口を閉ざしたままの私に、ようやく彼が視線を合わせてきた。瑠璃紺色の瞳のはずなのに、やはり夜の暗さのせいで、どこまでもどこまでも、黒に見える。
「忘れることは、できないんだ。」
 断言だった。
 その断言で、先ほどの彼の言葉の意味もようやくわかる。申し訳無さ、謝罪、ある種の懺悔。きっとそのようなものなのだ。
 素直な刀剣だ。それが私が彼と過ごして得た、印象だった。
「忘れなくてもいいじゃないですか。」
……いいの?」
 私の返しに、彼は目を丸くした。そう言われるとは思っていなかったのかもしれない。
「忘れなくてもいいじゃないですか。前の主は前の主、今の主は、私。それを理解して頂いているのなら、それで私は十分です。」
 だからこれからよろしくお願いします。そう言って私は、頭を下げた。
……うん。」
 下げた頭の上から、そう返事が落ちてきた。顔を上げれば、少しだけ笑う彼がいた。
 そしてその後すぐに、私は立ち上がった。話の切れ目にはちょうどいいところだった。私に合わせるように彼も立ち上がる。二人で開けていた雨戸を閉めれば、廊下は暗すぎるほどだった。それでも漏れる薄明かりでなんとか道を確認してから、私は彼に、挨拶をした。
「おやすみなさい、大和守。」
「おやすみなさい。」
 ああ、そういえばこの時私は初めて、彼の名前を声に出して呼んだのかもしれない。

* * *

 それ以降、彼も交えた出撃が繰り返され、本丸はどんどん賑やかになっていった。賑やかになる一方で、私の周りはどんどん静かに冷えきっていった。それの理由はもう語らなくてもいいはずだ。
……あの日の夜はそうやって、終わりました。」
 締めくくるようにそう言った。
 月には相変わらず雲がかかっている。雲が薄らと金色にも見える。綺麗だなぁ、もうそろそろ寝たいなぁここからいなくなりたいなぁ。現実逃避をしようと思っていたのにそれを彼は許してくれない。
「あの時だけだよね、僕らの会話。」
 非難するような、声だ。
 言われて記憶を掘り返す。大和守と言葉を交わしたのはいつが最後だっただろうか。ぐるぐる、と脳がせわしなく動き始めるが、思い当たる記憶に行き当たらない。
 さ、と頭から血の気が引いた気がした。手入れ部屋に促すときと、出陣をお願いするときに彼の名前を読んだ記憶はある。だが、「会話」かと聞かれればそれはどうだろう。そもそもどのあたりから「会話」になるのだろう。「手入れ部屋にどうぞ」、「うん」、これは会話だろうか。
 いやきっと、会話にはなり得ない。
……あんたの目は、和泉守しか見てない。」
 混乱する私をよそに、大和守がそういった。その言葉を聞くのは、二回目か。彼もそう思っていたのか、そう感じていたのか。いやそうなのだろう。そういうことなのだろう。ズキズキと心臓が痛むから、私は言った。
「申し訳ありません。」
 謝罪の言葉は、心を軽くする。現実を見なくても逃げる手段になる。相手によってはその言葉を繰り返すだけで満足してくれる。そういう道具にもなると経験上知っている。
 ただ私は本当にそう思ったから、申し訳ないと思ったからその言葉を口にした。自分の卑怯さも臆病さも知ったから、何を言われても仕方がない。そして、何を言ってもきっと言い訳にしか聞こえないだろう。今更理解してもらおうなどとも思わない。私はそれだけのことをしたのだと思う。
 舌打ちが、聞こえた。
「あんたがいなくなるって知ったときに、逃げるんだと思った。」
……そう、思われても仕方ないかと思います。というより、それはとても、正解に近い。」
 いろいろなことに蓋をして勝手に見て見ぬふりをして傷つくのが嫌で気づかないふりをして、そうして限界だと子供のような我儘を言った。それは否定のしようがない、事実だ。
 そんなずるさを振りかざした私に、大和守はぶすくれた声で、言った。
「頼りにしてるって、言ったくせに。」

 頼りにしてると言われたとき、胸が熱くなった。ぶわりと体の中を何かが駆け巡って、よしやろう、なんてやる気みたいなものが湧いて出てきた。
 人から頼られることが嬉しかった。そう、彼が、前の主が自分を手にとってくれた時のように、本当に嬉しく感じられたのだ。
 それに、初めての夜を迎えた自分に、彼女は言った。忘れなくてもいい、そういった。前の主が頭から離れず、ともすれば彼に会いたい、彼に振るってもらいたいと思うほどだというのに、彼女はそれでもいいと言ってくれた。どこまで理解してくれているのかも分からない、けれどその時は本当に救われた気がした。この主なら自分を受け入れてくれる、そう思ったのだ。
 変わらないままの自分でも、頼りにしてもらっている。それだけを胸に戦ってきた。
 けれど刀を振るえば振るうほどに、疑問と不信が積み重なった。自分の心にずっと彼が居座っているように、彼女の目には初期刀しか映っていなかった。なんで自分を見てくれないのだろう、あの時言ったではないか、そのままでいいと言ったではないか。心の中の不信感はやがて憎しみに変わっていった。「それ、逆恨みっていうんだよ。」、いつだったか堀川がそう言った。心の中に巣食う感情が苦しくてしょうがなくて、誰かに聞いて欲しくて選んだ人選だったが、間違ったかもしれない。そう思った。
 けれど自分の態度を鑑みれば、「逆恨み」という言葉は妙にしっくりと心に馴染んだ。
……僕は勝手にあんたに期待した。」
 忘れなくてもいい、そのままでいい。そう言って許してくれたけれど、だからといってそのまま愛してくれるわけではない。言葉もろくに交わさずに、交わすこともできずにどうやって愛してもらえるというのだろう。そもそも自分を眼中に置いてくれていない人間が愛してくれるはずがない。好かれているか嫌われているかもわからない。あの時言った言葉は嘘だったのか、忘れることができて今の主に傾倒すれば愛されたのだろうか。きっとどちらも不正解だ。
 どうやったって、愛されはしない。
「愛してほしかったんだ。刀として、側に置いて、愛でて、振るって、愛してもらいたかった。」
 自分の気持ちを言うのはこれが初めてだ。今まで言うこともなかった。言う場もなかった。言うつもりもなかった。わかってくれていると思った、そう思い込んだ。
 しかしそれは間違いだった。言わなければ相手には伝わらない。そういうものだと思い知った。そうだとわかったときにはもう遅かった。刀剣たちと彼女との間には深すぎる亀裂が入っていて修復不可能だった。それに自分の中に抱いた「恨み」の気持ちがあまりにも大きすぎた。
 なんで気づいてくれないんだよ。その不満と恨みが、どんどん態度を冷たくさせた。いつしか「愛されたい」という気持ちは負の感情に飲み込まれて押しつぶされて、爪の先ほども残らなくなった。
「言わなきゃわかんないって、わかってるよそんなの。でも、その時はわからなかったんだ。」
 八方塞がりになって、それでも出撃を繰り返していた矢先に、彼女は審神者を辞めると言った。
 完全に捨てられる、そう、思った。
「だからあんたがいなくなる前に、言っておきたかったんだ。」
 顔を横に向ければ、まっすぐにこちらを見てきていた。
 女だ、目は大きいし頬は丸い。首は細くてすぐにでも折れてしまいそうだ。体の小ささも儚さも、男とは比べ物にならない。
 彼女は自分の主だ。今の、主だ。
「僕はあんたが、大嫌いだ。」

 大嫌い、その言葉が胸に突き刺さるのに納得できる。
 彼の目は、私を見てきている。朧月夜では判別しにくい瑠璃紺色なのに、その感情はよくわかった。
 ああ、私のことをちゃんと見て、その上で言ってくれている言葉なんだ。そう思った。
ええ、わかっています。」
 嫌いならばそれでいい。私の目を見て言い切ってくれるのならばいっそ気持ちがいい。
 主だからといって必ず好かれるはずもない。「感情」を有しているのならばなおさらだ。好きな人間がいれば嫌いな人間もいる。万人に好かれる人間なんていない。それは当然のことだ。この広い本丸における、人間と刀剣の狭い人間関係の中でも好き嫌いは無論発生するものだ。
 何も言ってこない刀剣たちよりも、はっきりと嫌いと言ってくる彼には、今更ながらに好感が持てる気がした。
……話してくれて、ありがとうございました。」
 自分の気持ちを相手に伝える難しさも辛さも、よく分かっているつもりだ。私は彼らよりもずっと長く、「人間」をやってきている。
 だからこそ謝辞を述べた私に、彼はグシャリと顔を歪めた。
 とても、嫌そうに。

……やっぱり、大嫌いだ。」
……念押ししなくても、いいじゃないですか。」

* * *

 どうしたって嫌われることはある。
 ただ理由があるかないかで違う。
 理由があって嫌われるのはしょうがないことだと思う。
 それを語ってくれた彼は、やはり素直な刀剣なんだと思った。



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