ソーシャルゲーム「Sky 星を紡ぐ子どもたち」のシーズンイベント「羽ばたく季節」の登場人物およびストーリーを軸にした二次創作小説となります。精霊は喋るわオリジナルの名前がついてるわと、妄想に妄想を重ねたミルフィーユみたいな話に仕上がりました。何でも許せる方のみ御覧ください。
@aureliaShimiz
■来訪
からん、からん。
懐かしい音が聞こえたような気がして、石のように重い瞼をゆっくりと持ち上げる。
薄目越しの世界には特に変わったものは見当たらない。何度も見上げた空の色が視界いっぱいに広がっているだけだ。
気のせいか、と再び微睡みのなかに意識を沈めようとした時、それはもっとはっきりと僕の耳に届いたのだった。
からん、からん。
本能に突き動かされるように飛び起きる。その勢いで急いで立ち上がろうとしたら足がもつれ、そのまま地面に倒れ込んでしまった。先ほどまであんなに重かった身体が今は羽根のように軽い。気を抜いたらそのままどこかへ飛ばされてしまいそうだ。
音の正体を僕は知っている。気が遠くなるほど長い間、死んだように静まり返っていた鐘たちがちいさな体を揺すり始めたのだ。すなわち、
『おぉ、ちゃんと預言通りになったな』
体を起こして振り返ると、凝り固まった身体をほぐすようにカーターが大きく伸びをしたのが見えた。他の仲間たちも僕と同じように目を醒ましたらしい。
ごつごつとした大きな背中。
ちょこんと座り込んでいる小さな背中。
ふわふわとした髪は風に揺れ。
鳥の翼を模した鮮やかな羽織はしなやかにひらひらとはためく。
懐かしい顔ぶれが次々と起き上がり、辺りを不思議そうに見回す姿には言葉では言い表せない感慨深さがあった。
『それで……どうするんだ、リーダー?』
カーターが私の肩を軽く小突きながら問いかける。これもまた懐かしいやり取りだ。
「その言い方はよしてよ、私はもう君たちを引っ張っていく力なんて無いんだから」
『そうさ。導くのは俺の専売特許、ってね』
グイドが上半身を軽く捻ったり反り返らせたりしながら得意そうに宣言する。
『僕の風鈴もなかなかいい仕事をすると思うよ?』
『わ、私だってみんなの力を借りれば!』
チャイムがそれに張り合うように拳に力を込め、チックも負けじと声を張り上げた。
『だからね、アウラ。キミはもっと大切な人を導いてよ』
「大切な……人?」
かつての仲間たちはうんうん、と一様に頷いた。
『この街道にやってくる久方振りのお客様をさ!』
■羽ばたく案内人の話
〈 こんにちは! 〉
作業していた手を止めて振りかえる。
そこに立っていたのは小さなこどもだった。枯れ葉色の羽を風にはためかせ、悪戯な風に弄ばれたような乱れた髪の毛を手櫛でいそいそと直している。背丈はチックよりもずっと低く、仕草は見た目の割に少し幼くて、生まれたばかりの赤子を目の前にしているような気持ちにさえなった。
なるほど、彼がそうなのか。
「こんにちは、旅の御方。風の街道へようこそ」
〈 かいどー? 〉
首をかしげる小さな旅人を手招きして、私は島の外側にある分厚い雲で覆われた一角を指差した。
「今は塞がれてしまっていますが、昔はこの先に道があって自由に行き来ができたのです。道は王国のあらゆる場所に通じていて、いろんな方がここへ来て、新たな地へと旅立っていきました」
〈 あら、ゆ? 〉
「ええと、王国の中のどこにでも行けるってことです」
こどもは興味深そうに白くけぶる壁を見つめている。
〈 よあけのしまにも? 〉
「ええ」
〈 ゆきのまちにも? 〉
「おそらくは」
〈 くものうえの、のはらには? 〉
「……勿論です」
懐かしい言葉に少しだけ声が詰まる。それ以外にも彼が名前を挙げた場所は、どこも王国を代表するような景勝地や拠点だった場所だ。この旅人はその小さい体で多くの場所を旅してきたのだろう。私の知らない土地も訪れたことがあるのだろうか。巡礼の旅とは名前ばかり堅苦しく聞こえてしまうものだが、案外楽しいものなのかもしれない。
〈 ぼくも『あらゆ』、したかったなぁ 〉
少しだけ寂しそうに衣服の裾を掴んで俯くその姿には、不思議なことに見覚えがあるような気がした。彼に逢うのはこれが初めてだが、何故そんなふうに思ったのかはよくわからない。
「……では、試してみましょうか?」
幼い旅人がこちらを振り替える。
「この道を、元通りにしてみたいですか?」
その目の奥には我々にはない、みずみずしい命の輝きが脈打っているように感じた。
あぁこの力だ、と思った。自分たちには無い、この輝きが必要だったのだ。
満面の笑みを浮かべて、彼は元気よく答えた。
〈 うん! 〉
■腕利きの工匠の話
かーん、かん、かーん。
遠くから石同士がぶつかり合うような音が聞こえる。ぶつかり合うというよりは片方がもう片方に打ち付けられている時に出す音に近い。
寝床から起き上がって窓の外を覗いてみる。空は白んでいるがまだ夜明け前で、息を吸うと窓の隙間から冷たい空気が肺の中に音も無く滑り降りてくるので軽く咳き込んだ。
外套に身をくるんで外に出ると、工房から少し離れた場所で弟子が何やら作業をしている姿が見えた。外は涼しいというよりまだ寒いというのに、額から流れてくる汗を手で拭っている。俺が近づいてくることに気づいた弟子は慌ててこちらに早足で歩いてきた。
「申し訳ありません、師匠。起こしてしまいましたか」
「あー……いや、今日はもともと早く起きる予定だったからな、むしろ助かったよ。それよりお前、夜中からずっとここで作業を?」
「いえ、やり始めたのはついさっきのことで」
曰く、夜中に何度も目が覚めてしまいよく眠れなかったらしい。普段俺が朝叩き起こそうとしてもなかなか起きようとしない彼にしては珍しい。作業台の上には作りかけの船の部品がいくつか横たわっていた。どれも数日前に俺が作り方を教えたものだ。
「こないだの復習か?」
「はい。出発される前に見ていただこうかと」
弟子がそわそわと期待を込めた眼差しをこちらに向けてくるので、仕方なく部品を手に取って軽く眺め回す。悪くはないが、よくできていると褒めるには至らない程度というのが所感だ。だがどこまで口を出してよいものだろうか。仮に作り直しを命じたとて、それをもう一度俺が見られるだろうか。
しばらく無言の時間が続いたのが堪えたのか、おもむろに弟子が口を開いた。
「本当に今日、出ていってしまうのですか?」
「前からそう言っていたろ? 予定を変える理由も特にないからな」
「そうですか……」
草原の神殿がよく見えるこの場所で俺は船を造っていた。元々は国が建てた大規模な造船所の中で小魚の群れの一匹のように暮らしていたが、ある時ふと思い立って自立を決意した。理由はもう覚えていない。覚えていないということは大した理由ではなかったのだろう。最初は独りで黙々と仕事を引き受けて成果を納品するだけだったが、仕事先で新人指導をしたり、若手の職人を一時的に雇って仕事を振ったりしていたら、いつの間にか小さな工房になっていた。正直俺のどこがいいのかはさっぱりわからんが、定期的に仕事仲間から新人の面倒を見てくれと頼まれたり、弟子になりたいと自ら志願してやって来る奴がいるのでそれを受け入れ、弟子として自立させることもやってのけた。この寝不足の男は俺が育てた職人の中では最も新しい弟子で、現在工房には俺とこの弟子のたった二人だけが住み込みで働いていた。元々工房が小さく、俺が一度にたくさんの弟子を教えられるほど器用でもないためこの場所で働く頭数は少なかったのだが、このときは彼の直近の兄弟子たちが一度に二人も巣立っていき、新しい弟子もまだ取ってなかったのでいつも以上にこじんまりとした仕事場になっていた。同じ床で睡眠を取り、二人で飯を食い、二人で仕事をすることが当たり前になりつつあった。そこから俺が出ていくとなれば不安がるのも当然と言えば当然ではある。俺だって弟子の立場だったら同じようにしていただろう。
「今見てるこれも含めて、お前には俺の知ってることはだいたい全て教えたつもりだ。一人立ちするにはいい頃合いだろ?」
「はぁ……自分なんてまだまだ未熟だと思うのですが」
自信なさそうに背中を丸める癖は初めて俺のところに来たときと変わっていない。だが、両親に連れられてやってきた当時に比べると体つきはよくなり、幼さの残る顔立ちは消えてすっかり青年の顔つきになっていた。最も新しい弟子は最も長い間面倒を見た弟子でもあり、親が子供の成長を見守るというのはこんな感じなのだろうかと、子育てはおろか結婚もしたことがない俺はぼんやりと考えていた。
「俺だって未熟さ。一昨日も船の装飾を落として壊しちまったし」
「でもあれは偶然手が滑ったって」
「偶然だろうが必然だろうが関係無いさ。職人てのは生涯皆未熟なんだ。それを理解していない奴が勝手に俺たちに価値をつけて騒いでいるだけだ」
数ヵ月前、とある依頼主にお前では駄目だとか師匠の足元にも及ばないとか散々な言葉を浴びせられて帰ってきたやるせない背中を俺は知っている。確かにこいつは俺からしてみればまだまだひよっこだ。予定が遅れていたり悔しい思いをした日に夜遅くまで根を積めて作業するところは結局直せなかった。規則正しい生活をしろと口酸っぱく繰り返しても、奴は自分が納得できるモノを作るまで眠ろうとしない。そこが奴の持ち味でもあり、職人らしい一面でもあるのだが。俺だって本当はこいつの世話をいつまでもしていたい気持ちがないわけではない。ただ、このままではいつまで経ってもこいつは自立できない。俺の腰巾着に成り下がってしまう。時には心を暗黒竜のようにしなければならぬのだ。
「……知ってはいますけど。でも俺と師匠じゃいろんなものが違うでしょう。経験の多さ、とか」
「そんなの当たり前だろ、お前はこれからそれを積んで行くんだから」
「でも、だからって」
どうして俺を置いていくんですか、と語気が語っている。どうして、わざわざ自分の築き上げた工房を俺に託そうとするのですか? 出ていくのは寧ろ俺の方なんじゃないですか?
「……飯にしようか」
気がつけば辺りはすっかり太陽が昇って明るくなっていた。工房の真上の小高い場所に作業机を置き、簡単に朝食を済ませる。こうして二人で飯を食うのもこれで最後なのかと思うと感慨深いものがあった。先程の会話を引きずっているのか、弟子は無表情で淡々とパンを咀嚼している。
何故俺がこの場所から去る決心をしたのか。理由は単純明快で、付き合いの長い顧客のうちの一人からとある場所での住み込みの仕事を提案され、俺がそれを了承した……ただそれだけだ。場所は雨林の奥地にあるという巨大な浮島で、王国のほぼ中心に存在するという利点から、物流の拠点にすべく何年も前から計画が寝られていたそうだ。計画の実現は決して容易ではなく、風の流れが複雑で雲の扱いも難しく過去に一度開発が断念されたらしいのだが、とある協力者が結界を固定する方法を編み出してから再開発することになったのだという。そこで何人か船大工を募集しているのだが、出来れば職人たちの統率者になれるくらい卓越した技術と指導力を持った人材が欲しい、ということで、顧客は俺の存在に行き当たったということらしかった。
最初は別の職人を紹介して代わりに行ってもらおうと思っていた。今まで育ててきた弟子の誰かを提案することも視野に入れていた。しかし、結局俺自身が行くことにした。そこに特別な想いなどは無い。逢えて何か動機を挙げるとすれば、退屈だったのかもしれない。長年同じ場所に住み、慣れた仕事をこなし、代わり映えのしない日常に飽きていたのかもしれない。それか、過度に期待されることに疲れたのかも。新しい場所に行けば、前評判こそあれ見ず知らずの新しい仲間たちとフラットな関係からコミュニケーションを始められる。それはここでは決して手に入れることの出来ない体験だ。重い荷物を下ろし、自由になれる場所を、知らず知らずのうちに求めていたのかもしれない。勿論弟子のことは心配だが、俺がいなくなったくらいでダメになるような奴ではないはずだ。そのために知識を与え、経験をさせてきたのだから。それを最大限発揮してもらうためにも、結局俺が出ていくことが一番いいという判断に行きついた。
俺がそんなことを考えているとも知らず、弟子は朝食を食べ終わってもまだ沈痛な表情を浮かべている様子だった。
「そんな落ち込むなよ。今生の別れってわけじゃあるまいし」
「え、そうなんですか?」
「おいおい、大げさだなぁ。ここと例の街道予定地はそんな離れてるわけでもないだろ?」
「あ、そっか、そうですね。そういえばそうだ」
目に見えて弟子の顔が明るくなる。ひと安心かな。
「あの、俺もいつかそこに行っていいでしょうか?」
「構わんさ。いつでも遊びに来いよ。あ、人手が足りなくなったらこき使わせてもらうかもな」
「師匠のためなら力を尽くしますよ!」
「おいおい、冗談だって。真に受けるなよ……」
えぇ~と残念そうに肩を落とす姿を見て、つい口の端が緩んでしまう。俺もまだまだ甘いな。
「とまあ、俺の身の上話はこんな感じかな」
最後に取った弟子よりも若い新しい師匠は、俺が話し終わると少しだけ照れくさそうに、しかしどこか申し訳無さそうに、そよ風になびく髪を指先で弄んだ。
「そんなことがあったのですね。お弟子さんには申し訳ないことをしてしまったような気がします」
「そう気にするな。どうせアイツのことだ、ここが開通したら何かしら理由をつけて俺に会いにくるだろうから」
「あはは、ではその時にお詫び申し上げなくては」
俺と新しい師匠……アウラは離れ小島から雲の通り道を固定するのに努めている術師たちを遠巻きに眺めていた。あれが確たるものになった時、街道がこの国に暮らす住民たちすべてに開放されることになる。俺たちの仕事はそれよりも前から始まっていて今もやることは山積みのはずなのだが、都から届くはずの資材がまだ足りていなかったり、ここで働く作業員が集まり切っていないこともあり、俺たちは忙しいんだか暇なんだかよくわからない時間をともに過ごすことが多かった。今も二人でぼんやりと茶を飲みながら雑談に花を咲かせている。ここ数日で俺がアウラについて知ったことといえば、彼が俺が毎日のように見ていた神殿の職員であったということと、彼の淹れる茶はいつも独特な風味がするということくらいだ(不味くはないのだが、今まであまり味わったことのないクセの強い味がする。慣れればきっと美味く感じるようになるだろう)。
「カーターさんには、なにか挑戦したいこととかありませんか?」
「挑戦ねぇ……」
ここに来る前に目を通した資料を思い出す。募集しているのは船大工や整備士の他に船の誘導手、売店の店員や医療スタッフ、それから、
「確か風鈴職人も来るんだっけか? 何ていったか……」
「チャイムさんのことですか?」
「そうそう、そんな感じの名前だった。俺は今まで船しか作ってこなかったから、そいつに風鈴の作り方を教わってみるのもアリかもしれん」
「それはいいですね! 彼が来たら私からもお願いしてみましょう」
「はは、そうしてもらえると助かるよ」
注ぎ足してもらった茶を啜りながらこれからの新しい生活に想いを馳せる。毎日港に停泊する船の点検や整備をして、必要があれば修理し、時にはまた自分で一から船を作るのも悪くない。風鈴職人に弟子入りして、いつか俺の造った船に自作の風鈴を飾ろう。弟子が来たらアウラから教わった茶を淹れて仕事の愚痴でも聞いてやろう。思い描く未来はとても穏やかで満ち足りていて、
それがまさかあんな結末を迎えるとは、この時の俺にはまったく想像が出来なかった。
***
〈 やったー! できたよ! 〉
枯葉色の影が誇らしげに飛び跳ねる。彼の視線の先では、壁のように立ちはだかっていた雲の壁が取り払われ、大きな空洞が姿を現していた。離れ小島から仲間たちが旅人に手を振っている。
「よくできました。これで道があちこちの場所に繋がるはずです」
〈 ほんと?! どこにでもいけるの?! 〉
「うーん、まだ全ての道が開いたわけではないので行ける場所は限られていますが……」
〈 ふうん。ねぇ、あのみちはどこにつながってるの? 〉
「ええと確か……」
■工夫好きな風鈴職人の話
「あの弟子、また来てるよ」
「よほど師匠のことが好きなんだね」
グイドとアウラが浮き島の端っこに腰を下ろして本島のほうを見ながら何やら話している。仕事に付き合わせてしまったお礼にお茶の準備をしていた僕はつられて本島の方を覗き込んだ。二人が向いている方角に視線をずらす。すると遠くからでものっぽであることがわかる大きな影が二つ、作りかけの船を囲みながら何やら話をしているのが見えた。片方はカーターだ。作業中に動いて暑くなったのか、帽子を扇子代わりにしてぱたぱたと顔を扇いでいる。もう片方は確か、彼が草原の工房に置いてきたという愛弟子。カーターが最近造り始めた試作舟を舐め回すように見つめながら、時々彼に話しかけてはその内容を熱心に手帳に書き込んでいる。
あの勉強熱心な弟子が街道に来たのは(記憶違いでなければ)もう五度目だ。態度といい姿勢といい、余程カーターのことを慕っているように見える。例えるならば、まるで生まれたばかりの雛が親鳥に甘えているよう。自分を突然置いていった相手に対してこれほどまでの好意をあらわにすることが出来るとは、不思議なものである。そんな彼を見ていると僕はなんだか無性に腹立たしいというか、表現しがたいおぞましさのようなものをおぼえるのであった。
「あーやだやだ、気持ち悪い! 僕が師匠ならあんな奴すぐ追っ払ってやるのに」
思ったことがそのまま声に出ていたことに気づいたのは怪訝な顔をした二人と目が合ってからだった。
「あ、急に大声出しちゃってごめん。びっくりしたよね」
茶器一式を乗せた盆を地面の上に置きながら謝ると、アウラたちは一瞬顔を見合わせた。
「確かにびっくりはしたんだけど、そっちじゃなくて……その、珍しいことを言うなぁって思って」
「情緒不安定だな。また徹夜したのか?」
「してないよ! こないだ注意されてから一度もね。たまにちょっと遅くまで起きてることはあるけど全く寝てない訳じゃないし!」
やれやれと肩をすくめるグイドの隣で、アウラは腑に落ちなさそうな顔をしていた。
「チャイムは師匠にいい思い出がないの?」
「……なんでそう思うのさ」
「あ、ごめん。言いたくなかったなら別にいいんだけど」
アウラが申し訳なさそうに肩を丸める。
「私は仕事上いろんな人の話を聞くことが多くて。真面目な話だけじゃなくて、ちょっとした相談とか、なんてことないうわさ話とか……あとは、その人の身の上話とかもよく聞くんだ。結構いろんな人が修行時代にお世話になった師匠とか先輩の話をしてくれるけど、君からは一度も聞いたことなかったなって」
なんだ、気がついていたのか。気を遣わせないように振舞っていたつもりだったが、逆に気を遣わせてしまっていたらしい。
彼の言う通り、その手の話は意図的に避けてきた。話して聞かせるような思い出なんて特になかったし、他の師匠と比べるようなこともしたくなかったからだ。アウラの師匠なんて草原の神殿におわすという大精霊様だし。
「別にあの人が嫌いだったってわけじゃないさ。色々面倒も見て貰えたし、いい人だったと思うよ。ただ僕は、あんな風にしたこともされたこともなかったから。ちょっと気持ち悪いなって、そう思っただけさ」
僕の家系は古くから続く鐘職人の一族だった。草原の神殿から古くなった鐘を引き取り、壊して溶かして、その材料でまた新しい鐘を作って奉納するのが僕たちの仕事だった。
僕の師匠もまた、僕の遠い親戚で歳はそこまで離れていなかったと思う。師弟というよりは、年の離れた兄とその弟のような関係だった。僕が進んで彼を選んだわけではない。代々受け継がれる風習に従って双方の親、あるいは親戚によって決められあてがわれた、「与えられた」師弟関係だった。小さい頃から引っ込み思案の傾向があったので、出来るだけ年代の近い、親しみやすい人を探した結果彼に行きついたのかもしれない。
そこは良く言えば歴史と伝統を重んじる、悪く言えば古くからのしきたりが何より重要視される世界だった。年功序列は当然で、目上の者を過度に神聖視し、規律を守れなければあっという間に追放される。古くから存在するコミュニティにはよくあることだ。生き残るために編み出した戦略の名残であり、いつまで経っても天に還ることの出来ない亡霊のようだと僕は感じていた。師匠はそんなしきたりの流れに身を任せるのが上手だった。実際本人がどう思っていたかはわからないが、場の空気を読むことに長け、媚びを売り、いつも上手いこと仕事をもらって来ていた記憶がある。褒め上手で世渡り上手。当然僕に対しても最初は褒めて伸ばすような指導をしてくれていた。
師匠はその腕も高く評価されていた。彼の造る鐘はとてもいい音がした。当然、周囲の職人たちは僕にもその評判分の期待を上乗せしてくる。当然僕はそれに応えようとした。彼ほどいい音のする物はまだ作れなかったが、その代わり別のもので補おうとした。具体的には、新しい金型を作って伝統的な意匠を受け継いだ新しい鐘を作ってみたりした。けれど、師匠は僕がどんなに自分の作品に工夫を凝らしてもあまり褒めてくれることはなかった。褒めてくれたとしても中身の無い「いいね」という簡素な言葉しか返ってこなくて、それが何だか僕には気にくわなかった。
やがて僕は一族から追い出されることになった。どちらかというと自分から出て行ったといった方が正しいのだが、対外的にはそう伝えた方が体裁を保てると判断したのだろう。革新的なことをしたつもりが、先達の紡いできた伝統を守らず不真面目にやっていると思われていたらしい。真面目にやっていたつもりの僕にはとてもショックな出来事だったが、もっと悲しかったことは師匠が僕の味方をしてくれなかったことだ。監督責任を問われた師匠は当時の首長に「彼には自由にやらせていただけです」としか言わなかった。色々思うところは合ったが、師匠にお咎めが来ることだけは避けたかったので、僕は自ら外に飛び出さざるを得なくなった。そこで偶々見つけたのがこの街道に飾る風鈴造りの仕事だった。そして今に至る。
「あー、まぁ何だ、俺たちとお前じゃ境遇が違うから適当なことしか言えねえけど」
グイドがお茶を三つの器に注ぎ回しながら口を開いた。
「それは『気持ち悪い』で蓋をしてる別の何かだと俺は思うな」
「え」
「うん、私も何となくそんな気がする」
アウラがグイドの淹れたお茶の器を僕に差し出しながら微笑む。
「チャイムなら、いつかその正体に気づけると私は思うよ」
その後工房に戻って作業をしていると、ひと仕事終えたばかりのカーターがやってきた。トレードマークの帽子は腰に括り付けている。
「やぁ、さっきまた弟子が来ていたね」
「あぁ……見てたのか」
ばつが悪そうにぽりぽりと頭をかく姿を見て、あまり感じていなかった罪悪感が突然じわりと湧き上がってくる。
「ごめん……覗き見るつもりはなかったんだけど」
「へ? ……あぁ、いや違うんだ。その、都合が悪かったとかそういうんじゃなくてだな、ええと、」
カーターが慌てている姿がなんだか珍しくて、僕はすぐに自分が勘違いをしていたことに気づいた。
「わかったわかった。とりあえず落ち着いて。さっきグイドたちにあげたお茶が残ってるから飲みなよ。もう冷めちゃってると思うけど」
冷えたお茶を啜ったカーターはひと息ついて、頭の中の考えが整理できたのかゆっくりと、そして少し照れくさそうに話し始めた。
「何というか……俺は曲がりなりにもアイツの師だから、アイツが来るとつい師匠らしく振る舞おうって気概になっちまうのよ。出来るだけ自然体を保ちながら、アイツの身になるようなことをそれとなく、少しずつ教えていく。折角来てもらうんだし、どうせなら土産のひとつやふたつ、与えてやらなくちゃと思ってな……」
あぁ、なんとなく合点がいった。
「つまり……緊張してたってこと?」
カーターの顔が真っ赤になる。図星だったのだろう。
「緊張していた自分を見られるのが嫌だったってことかぁ。恥ずかしがることないのに。僕たちの仲でしょ?」
「それはまぁそうなんだが、だからこそでもある」
「どういうこと?」
「何故なら……アウラにもグイドにも、チックにだって言えることではあるが、今は君が俺の師匠だからだ。師匠の前ではあんまり情けない姿を見せたくないもんだ。君だってそうだったろ?」
今度は僕の顔が真っ赤になる番だった。動揺して持っていたポットを落としそうになって慌てて持ち直す。
「い、いやいやいや! そりゃ確かに僕はあなたに風鈴の作り方とか教えてるけど! でもあくまで僕の知ってるやり方を教えてるだけで! 僕としてはどちらかというと先輩と後輩みたいな気分だったんだけども……師匠?! そんな器じゃないって!」
「君はそう思うかもしれないが、」
カーターは近くにおいてあった作りかけの風鈴を手にとって続けた。研磨の済んでいない風鈴は表面がざらざらで、外から差し込んでくる光を受けて鈍い輝きを放っている。
「俺にとっちゃ、君は間違いなく師匠だよ。君の技は匠そのものだ。繊細な意匠、美しい光沢、心地よい音色。どれも到底まだ俺には作れそうにない。実は、前の工房で働いていたときに顧客から『お前の船には飾り気がない』って言われたことが何度かあってな、弟子にもその辺の知識を受け継げなかったことが心残りだったんだ。俺は君を職人として尊敬しているし、あわよくば技術を盗もうとさえ思ってる。この関係を師弟と呼ばず何と言うだろう」
それは『気持ち悪い』で蓋をしてる別の何かだと俺は思うな。
グイドの言葉が時間差で胸の奥の方に浸み込んでくる。
あぁ、そうか。僕は、
「淋しかったんだな……」
もっと愛されたかった。もっと気をかけて欲しかった。あの人が、自分の造った鐘にかけているのと同じくらいに。
たとえそれが上っ面だけのものであったとしても構わなかった。彼が自分を大切にしていたのだと、いつまでも錯覚していられたから。
「どうした、具合でも悪いのか?」
カーターが心配そうに僕の顔を覗き込む。それは先ほどグイドやアウラが僕に向けたものと同じで、気を落ち着けるのに十分だった。
大丈夫、今の僕には彼らがいる。
「ごめん、何でもないんだ。本当だよ? そんなことより、お茶のおかわりはいる?」
***
『よーし、これで大丈夫だろう 』
カーターが膝に付いた砂を払いながら立ち上がった。彼の目の前には直ったばかりの船が一艘、役目を果たす時を静かに待っている。
『チック、マンタを』
『うん。さぁ、こっちだよ』
チックが連れてきたのは浮島を飛び交うマンタの中でも群を抜いて大きい個体だった。元々街道周辺にはマンタはほとんど生息していなかったのだが、街道が開かれた後に楽園で保護されていたマンタのうちの何体かが迷い込んできて、ここが気に入ったのかそのまま住み着いてしまうことがあった。彼もそのうちの一体で、初めてここにやって来た時はチックが抱えられるくらい小さかったのだが、ここの従業員に大切に世話された結果、気がつけばカーターよりも大きくなっていた。人懐こく優しい性格で、船を牽引する仕事も安心して任せられた。
チックが彼を誘導して船の前方の牽引部の方へ連れて行き、私とチックでマンタの体にしっかりとロープを巻き付ける。
『いいよ! お願い!』
『よし来た!』
合図を受けたカーターが港から空に向けて船を押し出す。船に繋がれたマンタはくおぉん、と一声鳴くと船を力強く引っ張り始めた。
『大丈夫、落ち着いて! あなたなら出来るから!』
チックがマンタに優しく声をかける。それに呼応するかのようにマンタはまたくおぉん、と大きく鳴いてぐいぐいと船を空に持ち上げようとする。
〈 がんばれ! がんばれ! 〉
〈 いけいけー! 〉
小さな旅人たちが懸命に声援を送る。目を離していた隙に旅人はいつの間にか増えていた。雨林の晴れ間で船の素材を集め始めた頃から何人か合流したらしく、その数は最初に来たこどもを合わせて四、五人ほどになっている。彼らは見た目にそれぞれこだわりがあるらしく、なかなかにお洒落な見目をしていた。特に目を引くのはその翼の色。一番最初に来た旅人と同じ枯葉色の羽を纏うものも居れば、春野に芽吹いた若草のような緑色、浮島に咲く花と同じ黄色なんかもあった。
子どもたちの応援とマンタの努力が功を奏し、ついに港から船が完全に離れた。船としては簡素で小柄だが、牽引式の船の中では大きい部類に入るため、空を悠々と進む姿はなかなか見ごたえがある。
『問題なさそうだな。さぁ、乗ってごらん』
〈 わぁーい! 〉
子どもたちは一斉にカラフルな羽を閃かせて船の方へ飛んでいった。船の縁に腰かけてみたり、船の上で踊ってみたり、思い思いの方法で船の再出発を味わっている。
『楽しそうだな』
気がつけば隣にグイドがやってきていた。彼は体をほぐしながら一仕事終えた仲間たちを微笑ましそうに見つめている。
「仕事は順調?」
『今のところは、な。ただ、わかってるとは思うが俺たちが使える力には限りがある。あまり甘やかしすぎないようにしてくれよ』
「言われなくとも。あの子たちは私の子供でも弟子でもない……私たちは彼らをただ利用させてもらうだけだ」
私の言葉が意外だったのか、グイドがまじまじと私の顔を覗き込む。
「何? 気持ち悪いなぁ」
『はは、何でもない。んじゃ、俺は仕事に戻るからあとはよろしくな』
彼はひらひらと手を振ると、羽織を利用して器用に別の浮島に飛び去って行った。
〈 案内人さん! 〉
〈 次は何をすればいいの? 〉
船遊びに満足した子供たちが帰ってきてこちらをきらきらした目で見つめてくる。
「そうですね、それでは……」
■光の語り部の話
その日はいつもより雲量が多かった。診療所から見渡す空はどこまでいっても真っ白で、昼間だというのに辺りは薄暗く、今にも雨が降り出しそうな気配がしていた。
本島から少し離れた小島には診療所があった。元々は街道を訪れている最中に具合が悪くなった人を休ませ手当をする場所なのだが、最近はあまり利用する人がいないこともあって、主に光の生物たちが羽を休めるためだけに開かれていた。私は最初看護師としてこの診療所で働いていたが、滅多に現れない病人の代わりに彼らと触れ合ったり、病気や怪我で思うように飛べなくなった子たちの面倒を見るのが日課になっていた。かつて私に光の生物たちと心を通わせる方法を教えてくれたあの人には感謝してもしきれない。
その日も私は診療所の外で光の生物達の世話をしていた。彼らの柔らかい毛並みを撫でながらふと本島の方を見ると、アウラさんと見覚えのない方が立ち話をしているのが見えた。
そのお客様はすらりとしていてカーターさんと同じかそれよりも背が高く、黒くて長い二つの耳がピンと立っている見たことのない生物の面を顔につけていた。遠くからでははっきりとわからないけど、手に短い筒のようなものを持っていて、時折それを持ち換えたり叩いたりしている様子が伺えた。
私が船に乗って本島に近づくと、彼らは軽く手を振って別れ、お客様の方は丁度来た定期船に乗り込んでそのまま雲間に消えていった。
「アウラさん、先程いらっしゃった方は?」
私が訊ねると、アウラさんは軽く伸びをして肩を回しながら答えた。
「あぁ……預言者さまだよ。普段は孤島の石窟にお住まいなのだけれど、用事の都合で立ち寄ったところに偶々居合わせてね。顔見知りではあったのだけど、久し振りに逢ったから緊張しちゃって肩が凝っちゃった。あはは」
預言者の一族のことは聞いたことがあった。昔、私の親代わりになって世話をしてくれた人が、寝物語に聞かせてくれた話の中に出てきたこともある。大昔に彼らの祖が天啓を受け壁画に記したという預言を守り、後世に伝え継ぐことが彼らの使命。彼らが物語の中だけの存在ではないことを知ったのはつい最近のことだ。
「この場所について、なにか預言を残されたのですか?」
「いや、特に何も言わなかったよ。本当に立ち寄っただけみたいだったし。けど……」
アウラさんは表情こそ明るかったが、声音から不服そうであることがなんとなくわかった。
「昔からの付き合いだからわかるんだ。多分、何か私たちに隠していることがあるんじゃないかな」
「隠しごと?」
「うん。彼、小鼓を持っていたでしょ? あの筒みたいなやつ。儀式の時とかに使うらしくていつも持ち歩いてるそうなんだけど……本人に自覚はないみたいなんだけど、緊張したり不安になったりするとあれを触る癖があるんだよね。今日もそれが出ていたから、何か知っていることがあるんじゃないかって」
大切なことなら教えて欲しいんだけどなぁ、と独り言をいいながらアウラさんはそのまま仕事場に戻っていった。
この時から────ううん、それよりも少し前から街道は少しずつ賑やかさを失い、閑静な場所になっていた。行き来する船は少なくなり、何人かの従業員たちが仕事をやめ、街道のその先に繋がるどこかしこに旅立っていった。診療所に勤めていたお医者様も故郷に帰ると言って出て行ってしまった。戦争が原因ということは分かっていたが、彼らがなぜこの場所を去っていったのか、当時の私は知る由もなかった。動物たちの世話が中心で、行き来する人たちとの交流はほとんど無かったので、情報源がそもそも少なったということもある。
当時残っていたのは私を含めて五人。この場所の責任者であるアウラさん、船大工のカーターさん、風鈴職人のチャイムさん、誘導手であり幼馴染でもあるグイド、そして私。私以外は街道が開通したときからここで働き続けている古株の面々だ。彼らは内気な私が心を許せる数少ない人たちで、残ってくれていることは正直ありがたかった。けれど同時に、いつまでここにいてくれるのだろうという不安もあった。
それから数日後、また預言者さまがいらっしゃったのでアウラさんが応対した。私はその間本島の作業場で生薬を調合していたのだが、二人の会話の内容が気になって仕方がなく、なかなか作業に集中することができなかった。遂に好奇心が勝ってしまい。手を止めて岩壁に身を寄せ、彼らがいる方向へ少しだけ耳をそばだててみる。
「──が、────で……」
「でも、────が……」
「待って、────!」
詳細に聞き取ることは出来なかったが、なんだか言い争っているような雰囲気だった。普段怒っているときでさえ穏やかな物言いをするアウラさんしか知らないので、私の想像の中で口調を荒げるアウラさんの姿は何だか新鮮で、同時に理由の説明できない怖さがあった。
しばらくして預言者さまがお帰りになったらしく、二つの空のお茶碗を持ってアウラさんが作業場にやって来た。所作こそ落ち着いているように見えるものの、その表情はいつになく暗かった。嵐の前触れを予感させる曇り空のようだった。
「何かあったんですか?」
「……」
アウラさんは黙っていた。アウラさんが返事すらしてくれない時はものすごく機嫌が悪い時か、心底参っているかのどっちかだ。裏表のないさっぱりとした性格ではあるけれど、だからこそこの人は隠し事が下手で、一人では放っておけない危うさがある。
「言いたくないことなら、言わなくても大丈夫ですよ。でも……」
つい一旦言葉を切ってしまった。こんなことを言っても彼を余計追い込んでしまうだけではないのか、と逡巡してしまう。私が話しかけても相変わらずアウラさんは黙って私の作業机の上をぼんやりと眺めているだけだった。本当にどうしちゃったんだろう。次に続ける言葉を慎重に選びなおし、私はアウラさんにできるだけ優しく話しかけた。
「でも……もし私たちにできることがあったら、何でも言ってくださいね。私たち、仲間なんですから」
私の言葉を聞いて、アウラさんの中で何かが定まったらしい。深いため息を吐くと、アウラさんは私を近くの椅子に座らせてお茶の用意を始めた。長い話をするつもりのようだった。
「……本当は、君たちには直前まで内緒にする予定だったんだ。でも、私のせいで不安が募るのなら、隠しておかない方がいいのかもしれないね」
そうしてアウラさんが話し始めたことは、今まで平和な草原の暮らししか知らなかった私にとって、想像を絶するようなことだった。
【闇】。
預言上ではそう呼ばれている。それが具体的に何を示すことなのかはまだ解明されていない。広範囲に蔓延する病魔なのか、防ぎようのない自然災害なのか、太刀打ちできない化け物なのか。あるいはもっと別の、我々の想像の範疇を超えた未知の脅威なのか。
その【闇】が暗黒竜の襲来とともにこの国に脅威をもたらすことになると、預言者さまは言ったそうだ。そしてそれは、この街道も例外ではないらしい。もし暗黒竜が【闇】を撒き散らしているのだとすれば、すべての拠点への中継地点である街道に到達したが最後、国中に散らばってしまえば対処しようが無くなってしまう。そうなればこの国はおしまいだ。
「『【闇】が広がる前に此処を封じよ』……彼はそう言っていた。私は彼の言うことに従うつもりだ。風の街道は近いうちに閉鎖する。風の流れや雲を固定している術を元に戻して、代わりにこの場所をどこからも行き来できないように結界で封印する。そうすることで被害の拡大を防げるならやるほかに道はない」
「そんな……」
私はアウラさんに一言返すだけで精一杯だった。けれど、アウラさんは話し始めた時よりもいくらか落ち着いた顔をしていた。
「不安がることはないよ。大丈夫、君たちには新しい仕事を斡旋してあげるからね。聞いた話によると、草原や預言者たちの石窟のある孤島はまだ被害を受けていないらしい。特に草原は私を含め、全員に縁ある場所だ。すぐには望む仕事を与えられないかもしれないけど、それまでは神殿で君たちの面倒を見てもらうように頼んでおくよ」
「アウラさんはどうするんですか?」
「私は……私も草原の神殿に戻るよ。大精霊様も今回の件でお困りになっているはずだ。弟子の私にできることがあるなら何でもやるつもりさ」
大丈夫、とアウラさんは俯きがちにもう一度言った。
大丈夫。
その言葉を信じられない、と思ったのはこの日が初めてだった。
「私、行きませんからね」
弾かれたようにアウラさんが顔を上げた。信じられないと言わんばかりに目を見開いて、私を凝視している。
「……どうして」
喉の奥から絞り出したような声に応えるようにぴぃ、と声がした。作業場に置いてあった止まり木で休んでいた小鳥がやってきて、私の肩に音も無く舞い降りる。歳をとって昔ほどうまく飛ぶことは出来なくなってしまった子だが、こうして私のことを慕ってくれている姿を見ると、何とも言えない愛おしさで胸がいっぱいになる。
「この子たちを置いては行けないし、何より、」
一度言葉を切り、大きく深呼吸をする。
本当はこんなこと言いたくない。でも、仮にそれが真実だったとしたら。
緊張で汗ばむ手を握りしめ、私はまっすぐアウラさんを見つめた。
「アウラさん、一人でここに残るつもりなんでしょ」
彼の顔から表情がすとんと抜け落ちたのを私は見逃さなかった。
「やっぱり。そうなんじゃないかと思っていたんです」
予測できる材料は揃っていた。
前回預言者さまが来ていた時には忍び寄る脅威になんとなく気づいていたくせに、彼の周りには避難するための準備が一切されていないのだ。書物や衣服はきちんと整理されているが、移動用にまとめられたような荷物が全くない。それに加え、自分の処遇を言い淀んだアウラさんのその態度が私の予想を確信へと変えたのだった。
何故そんなことをしようとしているの? 責任? ケジメ? それともお師匠さまに怒られるのが怖いから?
光の生物たちの気持ちは理解できても、アウラさんが何を考えているのかは分からなかった。それでも。
「アウラさんが残るんだったら、私も残ります。鳥たちと同じで、私たちは独りでは生きていけないんです。それに二人なら話し相手にも困らないでしょう? お願いです、私をここに残らせて」
「駄目に決まってるだろ!」
我に返ったアウラさんが見たことのない必死の形相で私に詰め寄ってきた。驚いて鳥が逃げるように肩から飛び立つ。
「そんなこと僕が許すと思う? ここは完全に封鎖されるんだぞ?! 【闇】が完全に消滅するまで君はここから出られなくなる。何年続くかもわからない、死ぬまでここから出られない可能性だってある! 気分転換に出かけることも、大切な人に会うことさえ出来なくなる! チック、お願いだから我が儘を言わないで、」
「じゃあ五人ならどうだ?」
気がつけば私達の周りには他の三人も集まってきていた。いつからいたのかは分からないが、私と同じようにアウラさんのことを気にかけ、物陰から様子をうかがっていたらしい。彼らの中では既に結論が出ていたようだった。カーターさんもチャイムさんも、普段は飄々とした態度のグイドさえも、決意を固めた顔をしていた。
「まったく、責任感だけは強いんだから。理由はそれだけじゃないと思うけどさ」
「そうと決まれば色々と準備しないとな! ここでうだうだしていたって仕方がないだろ?」
「そうだな。一人ならまだしも、五人で生活するとなると相当な備蓄が必要になってくるからな。まずは何から始める?」
「ちょっと! 勝手に話を進めないでくれる!? まだ僕は何も、」
アウラさんの言葉をグイドが手で遮る。
「ここから出られなくなる。大切な人に会えなくなる。そんな責め苦を大精霊様のお弟子一人に負わせるなんて、俺たちにできるわけ無えだろうがよ。そんなことされたら俺たちの立場はどうなる?」
「そうそう、神殿の人たちに怒られるのは君じゃなくて僕たちなんだからね。命令されたって聞くつもりないから!」
チャイムさんもいつになく気丈な態度でアウラさんに立て付く。アウラさんはそれでもしかめ面で納得できないと言わんばかりに肩を怒らせていた。
「二人はああ言ってるが、」
カーターさんが私を横目に見ながら二人に続く。
「体裁が悪くなるからっていうのは建前みたいなものだ。俺たちはみんなお前と同じ気持ちなんだよ、リーダー」
「同じ? じゃあ私が何を考えているのかわかるっていうの? 言ってみてごらんよ」
「好きなんだろ、風の街道が」
その言葉を聞いたアウラさんはへなへなと崩れ落ちるように地面に座り込んだ。グイドがそんな彼の手を引いて助け起こし、淹れかけだったお茶をチャイムさんがアウラさんに差し出す。お茶を一口飲んだアウラさんからは既に気迫が抜けていて、寝不足で機嫌が悪い時のチャイムさんのような不貞腐れていると言わんばかりの顔をしていた。
「君たちは馬鹿だよ……でもまぁ、僕も同じか」
「えへへ……これで同罪人ですね、私たち」
アウラさんの手を自分の手で優しく包み込みながら私は呟いた。
これから私達のやろうとしていることは、とても馬鹿げているように見えるだろう。
でも、私はきっと何回生まれ直したって、同じことをするような気がしてならない。
私たちに強い思い入れを抱かせたこの場所が悪いのだ。
簡単に手放すことが出来ないくらい強い執着を、
沢山の思い出を与えてくれた、この場所が。
***
「君とこうやって話をするのが最後になるかもしれないなんて、いまだに信じられないよ」
サンバス殿が残念そうにぼやく。彼は普段王都に家族とともに住んでいるのだが、公私共に街道をよく利用するので気がついたときには顔見知りになり、本島の桟橋に腰掛けて一緒にお茶を飲むくらいには仲が良くなっていた。船の往来は彼が来る少し前から徐々に減っていき、当時は数日に一隻通る程度の交通量にまで減少していた。そしてまた一隻、彼の船が街道から離れていくことになった。
「仕方のないことです。【闇】の侵入を防ぐためにはここを封じるのが最も効率的ですから」
「まぁ、そうなるよねぇ。頭ではわかっているんだけど、どうにも気持ちの整理がつかなくて」
「よくわかります。私自身、まだ現実を受け止めきれていないといいますか……」
昨日の雨で島のくぼみに出来た小さな池の表面がそよ風を受けて小さく波打つ。
「正直、すごく怖いです。今まで自分が当たり前だと思っていたものが、明日にはなくなってしまうかもしれないなんて」
サンバス殿と会話を続けながらも、私の意識は気がつけば古い記憶の中に迷い込んでいた。
よく晴れた青い空。眼下には雲海が広がり、小鳥たちが空を舞い、良い風が吹いている。私は船の甲板から身を乗り出して、遠ざかり始めた港に向かって手を振っている。港には数人の顔見知りともう一人……あの人がいた。昨日まであんなに大きく見えたのに、船から見るあの人はとても小さく見えて、
「アウラくん?」
「え? あ! すみません、少し考え事を」
「はは、私と話すときくらい楽にしていていいからね」
サンバス殿はそう言うと、トレードマークであるサングラスをくいっと掛けなおした。
「私たちはこれからどうなると思いますか?」
「そうだねえ……状況がすぐに好転することはないだろうね。しばらくこの国は、ゆるやかに衰退の一路を辿るだろう」
穏やかな風が私たちの間を吹き抜ける。街道はいつも通り平和そのものだ。この光景をいつまで見ることが出来るだろう。
「だけど、だけどねアウラくん、私は再生の時は必ず来ると信じているよ。どれくらい時間がかかるかは分からないけどね、それでも必ずやって来るんだよ。私にはわかるんだ」
俺にはわかるんだ。カーターが前にそういう話をしていたことを思い出す。単なる憶測ではなく、それを心の底から信じ切っているという、「わかる」。サンバス殿はまだ希望を捨ててはいない。ほんの少しの可能性にも、全幅の信頼を置いているのだ。
ああ、私も彼のように居られたらいいのに。
『アウラ、』
子どもたちから受け取った風鈴を吊るしているところにチャイムが険しい表情をしてやって来た。隣には悲しそうに肩を丸めるチックの姿が見える。
『グイドから言伝。もうそろそろ限界だって』
「……わかった。気にしないで、どうせこうなることは分かっていたからね」
笑顔で返事をしたつもりだったが、最後の風鈴を門に結ぶ手は少し震えていた。
「カーターを呼んできてくれないかな。それと子どもたちも。全員揃ってから始めるとしよう」
暫くすると、本島の山頂は我々と旅人たちでいっぱいになった。旅人は今や十人近くも集まっていて、そわそわと落ち着きのない素振りを見せながら、顔を見合わせたり首をかしげたりして自分たちがここに呼ばれた理由を勘ぐっているようだった。
「皆さん、落ち着いてよく聞いてくださいね」
出来るだけ緊張が声に出ないように、腹の底に力をいれて話しかける。
「今まで皆さんにはいろんなお仕事を手伝って貰いましたね。船を直して貰ったり、風鈴を集めてきて貰ったり……これから皆さんにお願いするのは、今までやって来たお仕事とは少し異なる、ちょっとだけ難しいお仕事です」
ぴりり、と空気が引き締まる音がしたような気がした。うとうとしながら話を聞いていた子もはっとして、こちらを真剣に見つめている。
「どうか、お願いです」
カーターから一本の蝋燭を受け取る。壊れた鐘の一部と、まだここが閉鎖される前にサンバス殿からいただいた水晶の欠片をつなぎ合わせて作った思い入れのあるランタン。そのランタンで大切に守ってきた、特別な一本の赤い蝋燭。その頂点には柔らかい臙脂色の炎が静かに揺らめいている。その灯りを見るといつも懐かしいような、悲しいような気持ちが体の奥の方からせり上がってくる。
私はランタンの蓋をあけて一息にふ、と炎を吹き消した。
「この街道を『救って』ください」
火の消えた蝋燭から暗い緑色の煙が立ち上る。
か細い一本の糸のようなそれは瞬く間に神事のときに使う縄のように、樹齢何百年の木の幹のように太く長く姿を変え、最後は竜のようになって────
猛々しく吠えながら偽りの青空に向かって勢いよく頭を突き上げた。
水のように澄んだ青をした天幕が大きな音とともに破られ、途端に強い風が吹き始める。轟々と音を立てながら風は渦巻き、天幕の欠片を空の彼方へ跡形も無く吹き飛ばした。代わりに現れたるは長い間街道を覆ってきた、何度も見上げた空の色。太陽の光を通さない分厚い雲と闇の花の花粉、捨てられた地から飛ばされてきた砂塵が彩りを加えた空は、何とも形容しがたい暗い緑色に染め上げられていた。
大きな岩が強風に乗って島に飛来する。光の生物たちが風に逆らえず押し流されて、苦し気に藻掻いている。むせ返るくらい濃厚な死の匂いが風に乗って本島まで届く。遠くの方で稲光がばちりと雲間を駆け巡り、雲の通り道の奥の方から低い唸り声のようなおぞましい音がする。
凄惨な光景を目にした子どもたちは怯えるように身を寄せ合っていた。
〈 これはなに?! 〉
〈 きゃあ! 〉
〈 こわい! こわいよ! 〉
驚いている子ども、恐怖で涙目になる子ども、真顔で淡々と今の状況を受け止める子ども。反応はそれぞれだったが、彼らはみな何が起こっているのか、自分達に何ができるのかを突き止めようと必死になって辺りに目を凝らしているように見えた。
「どうか目をそらさないで。これが、」
これが風の街道の、まことの姿なのですから。
■快活な誘導手の話
遠くの方で、獣のような唸り声がする。
腹の一番奥の深いところ、そこから声を響かせているようなおそろしい声。これが雷鳴であればまだ幾分か安心ができるが、その正体は一体何であろうか。噂に聞く、光を食べる化け物の鳴き声なのだろうか。
アウラから預言の話を聞いてから数年が経過していた。数年、というのはあくまでオレの感覚の話であり、実際にどれだけの月日を過ごしたかは当の昔に分からなくなっていた。アウラの指導のもと結界を再構築し、王国の中心にありながらどこにも行けなくなった孤島でオレたちは互いに寄り添って暮らし始めた。最初の内は真面目に数えていた。大きな石板に毎日ひとつ印をつけて、日付の感覚を失わないようにしていた。区切りの良い数になったときは記念日として、ささやかな祝いの会を開いたこともあった。いつも節制している食事を少しだけ豪華にしたり、ボードゲームで盛り上がったりして、その時ばかりは今が異常事態であることを忘れられた。だがそれも空が奇妙な色の雲に覆われるようになるまでの話だった。
最初はいつもより早く夜が来たのかと思った。疑念は不安へと変わり、チックの世話する光の生物たちが怯えて騒ぎ始めたことで確信へと変わった。【闇】が始まったのだ。始めは結界の貼り方を失敗したのかと思い、出所を突き止めようとした。だが、どこを探しても侵入経路を特定することは出来なかった。せめて草原と孤島に続く道は防ぎ切ろうとアウラの指示で結界の補強を行ったのだが、それが完成したころには街道は【闇】に完全に侵食されてしまっていた。うっすらと緑がかった黒雲が空を覆い、浮島を取り巻いていた雲が同じ色に侵食されていったときには、普段仲間たちからお気楽だの能天気だのと揶揄されるオレでも言い様のない不安に駆られた。預言の内容から【闇】が恐ろしいものであるということは知っていたが、それは現実と地続きになっていない神話上の怪物に対して恐怖を抱くようなものだったということをまざまざと思い知らされたのだった。
空が完全に黒雲で覆われ、昼夜の区別さえもつかなくなると、時間の感覚が麻痺するようになった。眠りが浅くなり、半覚醒状態の日々がしばらく続いた。夜が明けるたびに日数を記していた石板は意味を持たなくなり、いつしか島の片隅に追いやられていた。
カーターは体調を崩して寝込みがちになってしまった。俺たちの中では一番体が丈夫だったが最年長でもあり、寄る年波には勝てないな、とぼやいていたのを聞いたことがある。彼の世話はチックがしていたのだが、途中からチャイムがそれを代わるようになっていた。これも師匠の役目だからね、と強がってはいるが、誰よりもカーターが不調であることに動揺していたのもまたチャイムであり、心の健康が危惧されていた。
閉ざされたはずの街道に吹く風は、されど一層強くなっていった。風に交じってどこかから大きな岩が流れてくるようになり、飛ぶことは当然ながら船に乗るのさえ危険になった。普段は自在に空を泳ぎ回る光の生物たちも、強風に流されて思い通りに飛べないでいる。チックはそんな生物たちの面倒を積極的に見ていた。船を出すのが危なくなってしまったので、俺たちは残りの資材をすべてかき集めて中心にある本島で生活をするようになった。
船の行き来が途絶え、誘導手の仕事を失った俺は代わりに本島の見張りをするようになった。変化に乏しい空間では、見張りという役割は形式だけのものに過ぎなかった。それでも俺は島の端から端まで歩き回り、危険なものが流されてきていないか確認した。風に乗ってやって来た闇の花が見つかれば火で炙り、すべてが灰になるまで見守った。島の外に目を凝らし異常がないか観察した。それをひたすらに繰り返し続けた。平和だった頃に比べればどこもかしこも異常だらけではあるのだが、そんなことに思い至らないくらい俺たちは今の生活に慣れきってしまっている。好転の兆しでも悪化の予兆でも何でもいい、泥沼の底で息をし続けるような毎日に刺激をもたらすような何かを、俺は探していた。
一通り見回りが終わると、島の頂上に座ってひとりでぼんやりと黒雲の流れを眺めるのが習慣になっていた。本島の頂には街道のシンボルである飾り門が雲海を見下ろすように建っている。前はそこにチャイムの造った鐘を飾っていたのだが、突風に煽られてひっきりなしにけたたましい音を立てるものだから、ある日を境にすべて取り外してしまった。今では時折、風が空っぽの門を勢いよく通り抜けては、遠くから聞こえる唸り声とはまた違う、なんとも不気味な音を辺りに響かせているだけである。ただそれも、石階段を昇って島の上の方まで来ないと聞こえることはないので、麓の洞窟で寝込んでいるカーターの耳を苛むことはない。わざわざこの音を聴きに来るのは俺くらいのものだ。ここで生活していると人の話し声や物音が極端に少なくなる時があり、俺はその時間が苦手だった。静かすぎるとつい余計なことを考えてしまいそうになる。何も考えず、時々唸る門に耳を傾けながら、ただぼうっとどす黒く染まった雲の彼方に心を置き去りにする。そうすると幾分か気が紛れるのであった。
「見張りは順調?」
振り返るとアウラが立っていた。頭の羽飾りが強風に煽られて枯れ草のように平べったくなっている。
「何か変わったことは?」
「特になし」
「気になることは?」
「なーんも」
そう、と言うとアウラはオレの隣に腰を下ろした。
「暇なのか?」
「まぁね。カーターのことはチャイムが見ているし、チックは仮眠をとってるみたいだったから」
暫くふたりきりで、黙って渦巻く雲を眺めた。話題はとうの昔に語り尽くしていたので、今更何をしゃべったらいいのか思いつかなかった。毎日できる話といえば天気のことくらいだ。
「日に日に暗くなってくるな」
「そうだね。通り道を塞ぎきれなかったせいでもあるけど、想像していたよりずっと大きな波が来ているのかもしれない……少なくとも、私たちだけでどうにかできるようなことではなかったのは確かだ。毎日が延命治療をしているようで気が滅入るよ」
「これ以上暗くならないでほしいもんだけどなぁ。俺ってば夜目が利かないから」
「それは私だって同じだよ。暗いのは怖い」
「お前にも怖いもんがあるのか? 意外だな」
「君は私のことを何だと思っているの?」
アウラは眉をひそめて険しい表情を作った後、頬を緩めてくすくすと笑った。
アウラの第一印象は「何を考えているかわからない」だった。いつも人の良い微笑を浮かべているが、それが相手に本心を知られないように被った仮面であることが俺には何となくわかっていた。似た者同士、通ずるところがあるのかもしれない。身寄りがなく、親戚の間を転々としていた頃はとにかく印象を良くしなければ、好かれなければと必死だった。チックとその育て親であるあの人に逢うことが出来なかったら、今頃俺はどうなっていたのだろう。
俺がそんなことを考えているとは露知らず、アウラは目を閉じて何かに向かって耳を澄ませているような仕草をしていた。
「何してるんだ?」
「風の声を聞いてるんだ」
「風の声?」
耳慣れない単語にぽかんとする俺を見てアウラは首を傾げる。
「私、何か変なこと言ったかな?」
「いや、ちょっと新鮮で驚いただけ。俺達にとって風は読むもので聞くものじゃなかったから。それは大精霊様の受け売り?」
「まぁ、そんなものかな」
アウラはいつもの照れている時の手癖で髪をいじりながら答えた。
「師匠に一番最初に教えて貰ったことなんだ。風の声に耳を澄ませることが大事なんだって」
「へえ。風はなんて言ってるんだ」
「それが……よくわからないんだ」
「は?」
「こんなに強い風が吹いているのに、風は私に語り掛けてくれない。意味のない言葉をわめきたてられているみたい、って言った方が近いかもしれない。今までこんなことなかったのに……」
それからアウラは何も言わず、ただ無言で風に向かって耳を澄ませ続けていた。非力なりに何か行動を起こしたいのだろう。それは俺も同じだ。今もなお、肺腑の奥にくすぶり続けている何かが、ただひたすら立ち止まるな、動け、と俺に囁き続けている。何をすればいいかも、何ができるかもわからないのに、時間とともに焦燥感だけが己の骨身を蝕んでいくようだった。
アウラが風と向き合っている傍らで、俺の意識は開通前の街道に飛んでいた。建設途中の建物が立ち並び、早々に合流したカーターが施設の整備を手伝っている姿や、アウラが国から派遣されたお偉方と地図を広げて何やら話し込んでいる姿が脳裏によみがえる。
そもそもの話。
風の街道は表向きは新しい交通網の中心として、物の流れや人々の長距離移動をより良くするものとしてすべての国民に開かれるはずのものだった。
しかし、その真の目的は戦争に使用する物資を運びやすくする為にあった。王国の中心に位置していたこの巨大な浮島と島につながる雲の通り道を整備することで、草原から食料や光を貯めた蝶が、雨林から武器や防具が、峡谷から肉体的に優れた人材が一か所に────捨てられた地へと集めやすくなる。交通の便がよくなったことにより、諸外国からの攻撃に備えることが容易になったのだ。
俺はこの国の大臣ではないし、国軍の兵士でもないから、この国がどこと敵対しどんな戦いがあり、どんな成果があってどんな犠牲があったのかを詳しくは知らない。確信を以て言えることは、この国はどこかと戦争をしていた……ただそれだけ。ひょっとしたら、まだ続いているのかもしれない。峡谷で行われていた競技大会が中止になり、飛行レースに出ていた好敵手たちが次々に戦士として引き抜かれていったのを俺は目の当たりにしてきた。競技人口が極端に少なくなり、運営が立ち行かなくなったために最終的に俺は仕事を失った。引き抜かれた仲間たちが帰ってこなかったことが、戦争の悲惨さを暗に物語っていた。
代わりに得た誘導手の仕事は楽しかった。選手時代に積んだ経験を十分に生かすことができた。風を読み、島周辺の風の流れを把握する。船と船、あるいは船と生き物たちがぶつからないようにある時は受け流し、またある時は促したりして、こんがらがることのないように道を整えていく。それはまるで大きなパズルを一人で動かして紐解いてくような達成感があり、そこそこやりがいを感じていた。
仕事仲間にも恵まれた。助けられた回数は数えきれない。仲間の多くが島の外へ旅立っていった今では、彼らは唯一無二の家族のような存在だ。力の強い親父と、頼りないけど天才肌の兄貴と、優しくて家族思いの妹、そして親友のような歳近い……弟ってとこかな。アイツのほうが歳上ではあるけどどうも頼りないというか、支えてやらないといけないところが多すぎる。
「なんだろう、あれ……ほら、あそこ」
アウラの声で意識が現実に呼び戻される。アウラが指さした方向を見ると、小さな光の生物が岩に挟まれているのが見えた。身動きがとれないのか、苦しそうに身をよじらせている。見ていて何とも歯がゆい。
「チックに相談した方が良いかな。でも、あんな遠くにいるんじゃ私たちには何も……」
何もできないのか? 本当に?
ちり、とくすぶっていた何かに火花が走る。
「俺が行ってくる」
「えっ?!」
自分でも驚いていた。基本的に厄介事には手を出さない性格だったはずなのだが。
「この中では俺が一番飛ぶの上手いし、適任だろ?」
「でも……危険すぎる、許可できないよ」
険しいアウラの顔を見るのは久しぶりだ。心配するのも尤もではある。今の空模様になってから自由飛行はアウラによって禁止されていた。無事に戻ってきた前例もなければ、無傷で帰ってこれる保障もない。統率者としては許す理由がない。俺がアウラの立場だったとしても同じことを考えるだろう。昂る気持ちとは裏腹に、レース選手だったときの勘が俺に警鐘を鳴らしている。
だとしても……だとしても俺は行かなくてはいけない。
一度火がついてしまったこの感情を止める術を俺は知らなかった。
「大丈夫だって。流石に俺でも出来ることと出来ないことの区別はつくから。なぁ、俺に行かせてくれないか」
永遠にも思われた長い沈黙の後、アウラは仕方ない、といわんばかりの素振りで首を縦に振った。
「……危ないと思ったらすぐに帰ってくるんだよ」
「わかってるって。グイド様を信じな?」
俺の言葉でアウラは少し安心したようだった。普段からの振る舞いはこういうところで効いてくる。
頭のゴーグルをずり下げ、慣れた所作で目を守るように深く掛けなおす。まだ現役だったころからの癖だ。飛行レースが始まる直前にはいつもこうやって自分に気合を入れなおしていたっけ。
「こんな危険なレースがあってたまるかよ……」
地面を蹴り、羽織を広げて宙に身を投げる。こんなに読みづらい風は初めてだった。今まで経験したどの悪天候の試合よりも風の流れが複雑で、気を抜くとあらぬ方向へ吹き飛ばされてしまいそうだ。
身を任せられる流れを慎重に選び、滑空しながら足場になりそうな岩のくぼみに降り立つ。振り返ると、本島の方で心配そうにアウラがこちらを見つめているのが見えた。その奥には仮眠から起きたのか、目をこすりながらアウラの方へ近づいていくチックの姿も見えた。まずいな、俺がこんな無茶をしていると知ればアイツは烈火のごとく怒りだすに違いない。急いで戻った方がよさそうだ。
岩に挟まっていたのは小鳥だった。俺が近づくと、鳥はきぃきぃと鳴きながら自分の場所を知らせるように一層激しくもがくようになった。助けて、ここから出して、と全身で俺に伝えようとしているように見えた。だが、あまり動き方が良くなかったのか、首を除くほぼ全身が深く溝にはまり込んでしまっているように見えた。岩は想像していたよりもずっと硬く頑丈で、少し叩いたり軽く足で蹴ったりしただけではびくともしなかった。このまま一羽だけでずっとここにいたらそのうち力尽きてしまうだろう。
風に乗ってやってきたらしい呪いの花粉が身体にまとわりつく。花粉を吸いこまないように襟巻で口と鼻を覆い、俺は小鳥が挟まっている岩と岩の隙間に両手を突っ込んで、渾身の力で小さな体を引っ張った。小鳥は痛いのか、恐怖に怯えているのか、ぎいぃと警戒音を発して俺の手から逃れようとする。
「こら、暴れんな! 今助けようとしてるんだからじっとしてろ!」
俺が一喝すると小鳥は意外にもすぐに大人しくなり、つぶらな瞳で俺をまっすぐ見つめるだけになった。偶然かもしれないが、こんな小さな生き物にも想いが伝わったのかもしれないと思うと、少し感慨深い気持ちになる。チックが光の生物たちを大事にする気持ちが少しだけ分かったような気がした。
なおも岩と格闘し続けていると、不意に引きの強さが軽くなった。いける。引っ張ってできた隙間に更に手を深く押し込んで、そのまま鳥の体を外へ押し出すと、遂に小鳥の体が完全に外へ抜け出た。助け出された本鳥は今まで聞いたどの声よりも嬉しそうな高い声を上げる。
「よし……もう大丈夫だ」
岩から抜け出た小鳥は自由になった途端、一心不乱に羽ばたいて本島の方へ飛んで行った。もしかしたらチックが世話をしていた個体だったのかもしれない。だとしたらチックに感謝されるかもしれないな。アイツ、鳥たちのことになると本当に必死になるんだから。
「グイド!」
誰かが俺の名前を読んでいる。アウラだろうか。それともチック?
俺は呼びかけに答えようと右腕を挙げ、
強い衝撃が脳髄を揺らした。
流れてきた岩に頭をやられたのだと気づくのに時間がかかった。
目に見える世界が全部ぐちゃぐちゃに混ざり合うような、ばらばらに砕けて消えていくような感覚が全身を駆け巡る。
今までに経験したことのない激痛が頭に牙を突き立てる。
やられたのは頭のはずだが、頭だけでなく全身から力が抜けていくのを感じる。
アイツもこんな感じだったのかな。現役時代、俺との一騎打ちの最中に頭から岩壁に衝突してそのまま動かなくなった、将来有望だったあの選手。試合相手が不注意だったとか俺がわざとぶつかるように誘導したとか、あること無いことあげつらわれて、どんな気分だったのだろう。
意識が薄れ、視界にもやがかかったようになる。
誰かが島から身を乗り出して叫んでいる。こちらに向かって手を伸ばしているようにも見える。アウラかチックか、どっちだろう。
どちらにせよ、アイツらの力じゃ俺を引き上げようとして一緒に落ちてしまうかもしれない。カーターがいれば話は変わったんだがなぁ。
勘弁してくれよ、俺はもう何も失いたくないんだ。
やめてくれ、それ以上俺を見ないでくれ。
俺に期待しないでくれよ。うんざりなんだ、そういうの。
走馬燈とでもいうのか、今までここで積み上げてきた生活の一部が飛来する。
初めてアイツの淹れた茶を飲んだ時のこと。
造りかけの船に悪戯して怒られたこと。
鐘を門から取り外した時に一つ落っことして割ってしまったこと。
それを一緒に謝ってくれた、小さなあの子のこと。
死ぬのが怖い。
その割に不思議と胸の内は穏やかだった。何物にも代えがたい安堵感があった。
これで誰も、俺に手出しができない。
恐怖と焦燥感に苛まれていた日々はやっと終わりを迎える。
煩わしい視線も、
恐ろしい怪物も、
砂が風に、さらわれていくように、
いしきの外へ、
そのかなたへと、きえていく。
あぁ、やっと これ で、
おれは、 じゆ う に 、
***
「……あなたがこの地にいらっしゃるとは思いませんでした」
久しぶりに再会した友人は小鼓をいじりながら、低く小さな声でぼそぼそと呟いた。
「このようなことを申し上げるのは非常に心苦しいのですが」
「でもあなたはここに伝えることがあってやって来た。そうでしょう?」
フェトは聖域である孤島の石窟に住まう預言者と呼ばれる一族の末裔だった。私とフェトは幼い頃からの知り合いで、子供時代は草原でよく一緒に遊んでいた。フェトが一族のしきたりに倣って伝道師の修行を始めてからはお互いに連絡を取り合うことも無く、ほとんど音信不通のような状態が続いていた。預言者たちはその特異的な役割によりほとんど石窟から出てくることはない。それはフェトも同じはずだった。彼が石窟を出、孤島を離れるときは大抵なにか重要なお告げを知らせる場合だけ。それは吉兆のときもあれば、凶兆のときもある。今回は後者のようだった。
私の問いかけに応えるようにフェトは小鼓を持ち直してぽぽん、とリズミカルに鳴らした。かつて彼が練習だといって披露してくれた伝道師が話を始めるときの合図だ。
「古より伝わる預言では────」
そうして彼によって語られた内容の半分くらいは幼い時に彼が暗唱していた耳なじみのある言葉だったが、残りの半分は初めて聞く内容だった。これから先この国に何が起こるのか、何が始まるのか。それが小難しくも曖昧にぼやかした表現で語られていたが、あまり預言について詳しくない私でさえも、それが滅びの預言であることは容易に理解できた。
この国はそう遠くないうちに滅びる。
予感が全くなかったわけではなかった。やってくる船の積み荷の変化や、通行人たちの会話の端々に潜んでいた仄暗さから、この国に良くないことが起こりつつあるということだけは何となく感じていた。それが言語化され、彼の口から語られただけだというのに、今まで体感したことがないほどの胸のざわめきに、自分が動揺していることを嫌というほどわからさせられた。
「どこからが君が受けた託宣?」
「……すべて預言です。そういうことにしています」
フェトが一族の代表になった理由の一つには彼の持って生まれた能力が関係していた。私もそのすべてを知るわけではないが、彼には今より遠い未来のことが視えるらしい。一族で話し合って決めたことなのか、彼の独断なのかは分からないが、フェトは預言だけでなく、自分が予見した内容を物語に織り込んで国中に伝えているらしかった。何かしらの意図があってのことだろうが、それが一体私たちにどう影響するのかまではわからなかった。
「どうにかして回避する術はないの? 今から私たちにできることは?」
「先ほども申し上げた通り、この場所は遅かれ早かれ【闇】に呑まれます。この場所を封じ、安全な場所へ避難することを推奨します」
「安全な場所ってどこのこと? 君の言うことが本当なら、この国に安全な場所なんてなくなるんじゃないの?」
「どのようになさるのかは貴方次第です。私にできることは伝えることだけですので」
「……そんなの無責任だ。散々怯えさせておいて、結局何もしてくれないなんて」
意地悪なことを言っている自覚はあった。フェトの言う【闇】がどんなものかはわからないが、私や彼が何か行動を起こして簡単に止まってくれる相手ではないことくらい、話を聞いていればわかる。それでも、このざわめく胸に溜まり続ける感情をぶつけられずにはいられなかった。癇癪をこらえきれないくらい幼くはなかったが、己の無力さをおおらかに受け止められるほど大人でもなかった。
「では、私はこれで」
連絡船の到来を告げる鐘が鳴る。フェトは言いたいことを言いたいだけ言うと、くるりと背を向けて桟橋の方に歩いていった。
「フェト、待って!」
彼の足が止まる。
「昔君が見た僕の、」
「子供の戯言だよ」
彼はこちらを振り向かなかった。
「未来がどうなるかなんて誰にもわからないんだ。私にも」
自分に言い聞かせるようにフェトは呟く。その肩は僅かに震えていた。
それから再び彼と会うことはなかった。意図的に避けて来たんだろう、と思う。私が彼の立場ならきっと同じことをしただろうから。せめて喧嘩別れではなく、もっと穏やかな別れ方をしたかった。もう一度逢うことが出来たらあの時のことを謝りたい。今でもそう強く想う。
渦巻く嵐の中を、子どもたちが飛んでいる。
風に弄ばれ、泣きそうな顔をしながら、それでも役目を果たそうともがいている。
一番最初にこの島に訪れたあの子と一瞬目が合った。彼もまた強風に負けないように懸命に枯葉色の羽をはばたかせ、風に流されている光の生物たちに懸命に手を差し伸べている。
< おしえて。ぼくはなにをすればいいの? >
小さな巡礼者たちに「お願い」の話をしたあとすぐに、彼は決意に満ちた表情で私の元へやって来た。
< ぼくにもおしえて! ぼくもやるよ! >
< わたしも! >
彼に続いて多くの子どもたちが私の元に駆け寄ってきて、爛々と輝く瞳で私を見つめる。
あの人も────師匠も、こんな気持ちだったのだろうか。
彼らのことは信頼できるのに。こんなに心強いことはないはずなのに。
希望とは別に、今まで出来るだけ考えないようにしてきた感情が鎌首をもたげる。
私は────────僕は、無力だ。
風の気まぐれで本島に打ちつけられ、戻ってきたグイドの遺体を埋めてやることしかできなかった。
立つこともできなくなり弱り果てていくカーターの手を握りしめることしかできなかった。
茫然自失となり食事を受け付けなくなったチャイムに水を飲ませることしか、闇の花の花粉の影響で壊死しかけたチックの腕に包帯を巻いてやることしかできなかった。
本当なら、これはみんな僕が引き受けなければいけなかったことだ。
本来なら、この場所の責任者として彼らの先頭に立ち、率先して羽を広げ導かなくてはいけない。
だけど今の僕にできることは、これだけしかない。
子どもたちを危険に晒し、その行く末を見守ってやることしかできない。
師匠、僕は、
僕は本当にこれで良かったのでしょうか。
■???
「最近どうだ? 調子の方は」
飲み干したばかりのティーカップの底を無意味に覗き込みながらカケヤは僕に尋ねた。
「うーん、そこそこかな。と言っても正直なところ、まだ自分の役割にピンと来てないんだよねぇ」
「まだって……お前、大精霊として生まれ直してから月が何度満ち欠けを繰り返したと思ってるんだ」
「六回くらいかな」
「分かっているなら尚更……いやいい、お前は昔からそういう奴だったな。生前からよく知ってる」
長い髪をいじりながらカケヤはため息を吐いた。歳は同じくらいだったと記憶しているが、彼女は僕よりも早く精霊の儀を執り行ったので僕よりも先輩になった。だからなのか、ここ最近は目に見えて先輩風を吹かせたがるというか、僕だけに留まらず草原の神殿で働く者たちの面倒さえも積極的に見ようとしているようだった。僕としてはこそばゆいような、気恥ずかしいような気がしてなんだかモヤモヤするのだが、彼女の気が済むのならまあ少し位は我慢してやるか、と思っている。
「雨林の大精霊様は優しいね」
「優しくしているのではなく、諦めているんだ。あとその呼び方はやめろと言っただろ、バド」
「ケー、お茶のおかわりは?」
「ん、貰おう」
草原の神殿の裏側────その奥にある雨林と草原の境目にある小さな憩いの場で僕たちは幼い頃からよく遊んでいた。雨林では雨が振らない日は殆どないそうなのだが、この場所は比較的日照時間が長く、雨が降ったとしても辺りを囲む木々が傘代わりになりそこそこ過ごしやすい。大人になり、お互いが使命を担う姿になってからは、お互いの職場にほど近い場所という価値が付加され、時々お茶や茶菓子を持ち寄ってお茶を飲むようになっていた。
「今日の茶はいつもと違う味がするな。産地を変えたのか?」
「僕特製のオリジナルブレンドだよ。って言っても、中途半端に余っていた茶葉を適当に混ぜただけなんだけどね。これを機に新しい味を追求するのもいいかもしれないな」
「なるほど。不味くはないが、私はもっと甘い方が好きかな」
季節は夏も盛りを過ぎ、秋の気配を感じる頃。涼やかな風が木々の間を吹き抜ける音や、光の生物たちのささやく声に混じって、誰かが鼻を啜っているような音が耳に届いたような気がした。
振り替えると小さな子どもがこちらをじっと見ていた。私の背丈の三分の一もないくらい小さくて、見覚えのない意匠の服を身に着けている。この辺に住んでいる子ではなさそうだ。子どもは服の裾をぎゅっと握りしめ、物欲しそうにこちらを見ている。私たちが設営したテーブルの上には私が持ってきたお茶と、カケヤが持ってきた満月のように丸い焼き菓子が並べられている。これが欲しいのかな。私の視線の先にあるものに気づいたカケヤが訝しげな顔をする。
「知り合いか?」
「いや、初めてみる子だ。お腹がすいてるのかい? 君もこちらへおいでよ」
私が手招きすると、彼は一瞬驚いたような顔をして、それからおずおずとこちらに近づいてきた。よく見ると服や髪が土で汚れている。新しくついた汚れではなさそうだ。
「いるかい?」
小さな子どもは僕の差し出した焼き菓子をじっと見つめていたかと思うと、我慢できなかったらしく私の手から菓子をもぎ取ってかぶりつき、あっという間に平らげてしまった。
「失礼なヤツだな」
「まあまあ。お腹が空いていたんだね。僕のぶんもお食べ」
僕が皿ごと菓子を譲ると、彼は信じられないと言わんばかりに目を丸くして、やはり空腹に耐えられなかったのか、見ているこっちが心地よくなるようなくらいの食いつきを披露してくれた。
「君、ひとりでここまで来たの? 親御さんは?」
「むぐ……お、やご?」
「お前、どこから来たんだ? 誰かと一緒じゃないのか?」
「……どこ?」
何を聞いても、おうむ返しで中身のない返事が返ってくる。
「それはこちらが聞いていることだ、解答になっていない。お前は何処の者だ?」
苛立ったカケヤが語気を強めると、子どもの丸くて大きな目からたらりとしずくが溢れるのが見えた。
「……ぅえ、」
突然、子どもは自分の服の裾をギュッと握りしめ、次の瞬間にはしゃくり上げるように泣き出してしまった。
「あーあ、泣かしちゃった」
「待ってくれ、これ私が悪いのか?!」
「僕も僕だけど、君も近所の子を泣かしてた時から全然変わってないねー」
「うっ……自覚があるから何も言い返せない……」
カケヤが頭を抱えているのなんかお構いなしに子どもは泣きじゃくり続けている。彼の鳴き声を聞きつけて彼のことを知る誰かがやって来ることを期待したのだが、残念ながらそれが叶うことはなかった。広場には私たちの他に誰も居なかった。この広場は高台にあり、雨林側から来るには上昇気流に乗れる何かを使って飛んでくるほかに道は無く、草原の神殿の裏口には鍵がかかっていて、その鍵は先ほど僕が閉めたばかりだ。ますます彼がどこからやって来たのかわからなくなる。
「落ち着いて。ほら、このお茶を飲むといいよ」
彼はお茶が並々注がれた器を持つことでようやく泣き止んでくれた。しかし、またいつ彼の貯水池が決壊してしまうかわからない。早々に解決への糸口をつかんでおかなければ後々大変なことになりそうだ。
「改めて聞くけど、君はどこからきたの?」
「どこ……わ、かんない」
「ご家族は? 友だちとか、知り合いの人は?」
「ない……」
「それなら、自分の名前は言える?」
「なまえ……?」
僕たちは顔を見合わせた。ただの迷子というわけではなさそうだ。それよりもっと深刻な事態のように見える。カケヤが何か言いたそうな顔をしているが、彼女が近づこうとすると彼は慌てて僕の背中に隠れようとして、建設的な議論は不可能のように思えた。
「……とりあえず、この子は僕が何とかするよ」
「そうしてもらえるとありがたいのだが、本当に大丈夫か?」
「わからないけど、どうにかする他ないでしょ。こんな場所で待っていてもらうわけにもいかないし」
ささやかなお茶会を切り上げ、テーブルを解体して背中に担ぐと、置いていかれると思ったのか慌てて子供が僕の手をぎゅっと握りしめてきた。僕には兄弟も子供もいなかったのでこうやって頼られるのは嬉しいようなくすぐったいような、なんとも複雑な気持ちにさせられてしまう。
「そうやっていると本当の親子のようだな」
「この子のご両親が今も探しているかもしれないのに、親を名乗るのは気が引けるなぁ」
ふと、まだ祖父が天に還っていなかったときのことを思い出した。祖父は変わり者で、実の孫の僕にでさえもおじいちゃんと呼ばれることを嫌っていた。彼は僕のことをなんて呼んでいたっけ。
「それじゃ、君は今日から僕の弟子だ」
「で、し?」
「そう、弟子。弟子なら師匠が面倒を見ていても別に変じゃないでしょ? 君は草原の大精霊の弟子だよ。そんで僕が、君の師匠ね」
「……ししょ」
ししょ、ししょと彼は口の中であめ玉を転がすように繰り返し呟いた。彼の後ろではカケヤがどうなっても知らんぞ、と言わんばかりの視線をこちらに投げ掛けている。一方彼は、まるで宝物をもらったかのように頬を紅潮させ、嬉しそうに僕を見上げた。
「ししょ!」
「師匠、待ってください~」
僕がアウラと名付けた幼子はすくすくと育ち、いつの間にか神殿の人気者になっていた。誰も彼もが彼のことを気にかけ、贈り物をしたり遊び相手になったりして彼に気に入られようと躍起になっていた。けれど僕がいないことに気づくと涙目になって探したり、神殿の入口で帰りを健気に待っていたり、そういうところがいじらしいというか、親心を一層くすぐられてしまうのだった。今日も蝶集めに出ようとする僕の後を小走りでついて来ようとしている。
「僕はこれから仕事があるから遊ぶのはまた後でね」
「いやそうじゃなくて……ぼくはもっと師匠のお役に立ちたいんです! 何か手伝わせてください!」
まったく、子どもというのは本当に恐ろしい。成長する速度も体力も大人とは段違いだ。ついこの間までは紙で作った鳥を飛ばして遊んでいたというのに。その体の中には太陽でも入っているのだろうか。
「気持ちだけありがたく受け取っておくよ。君はまだ子どもなんだし、子どもは子どもらしく遊んでおいで」
「そんなぁ! ぼくは師匠の弟子なんでしょ?! なんかこう、それっぽいことしたいんですけど!!!」
「わかったわかった……それなら師匠らしく弟子に修行のお題でも出してあげようか」
「やったー! で、何をすればいいんですか?!」
「じゃあほら、ここに座って」
言われるがままにまだ小さな弟子はぺたんと草原に腰を下ろした。
「そのまま目を閉じて。肩の力は抜いてね。こら、寝転がろうとしないの……そうそう、上半身は起こしたままにするのが重要なんだ。その状態で辺りに耳を澄ませてごらん。何が聞こえる?」
小さな弟子は両手を耳に当て、やけに真剣な顔つきで周囲の音に耳を傾ける。
「……草が風に揺れてる音がします。さわさわ、さわさわって」
「そうだねえ、他には?」
「時々、つむじ風が通り過ぎる音がします。ひゅいーんって」
「それは風の声だよ」
「かぜの、こえ?」
「うん。つむじ風がアウラにお話をしてくれているんだよ」
「えっ、ほんと?! でも、ぼくにはただの風の音にしか聞こえません……」
「今のアウラにとってはそうかもしれないね。でも僕にはちゃあんと風の言葉が分かるよ。これは『草原に春が来て嬉しい』っていう意味だね」
「すごーい! 師匠は風とおはなしできるんですね! ぼくにもできるようになりますか?」
アウラは目をきらきらさせて尊敬のまなざしを向けてくる。半分はしつこく追ってくる彼を撒くための口実のようなものなので、少しだけ心が痛む。僕も子どもの頃先代から似たようなことをやらされたことがあったが、あの時の僕はあまり真面目な弟子ではなかった記憶があるので、既にあの頃の僕よりアウラの方が何倍も優秀な弟子になっている。
「今は意味が分からなくても心配ないよ。時々こうやって風の声に耳を傾けることが大事なんだ。そのうちアウラにも風の声が分かるようになるさ。風は物知りで、僕たちの知らないことを沢山教えてくれるんだよ」
「……もしかして、これが修行? 思ってたより地味……」
「嫌ならやらなくてもいいんだけど」
「やる! やります!」
小さな真面目な弟子は、姿勢を正して背筋をぴんと伸ばし、ぎゅっと目をつむって再び風の音に耳を澄まし始めた。力を抜くことが重要って伝えたはずなんだけどなぁ。
「あんまり気負わずに、適度に休憩をはさむんだよ。やる気満々なのはよくわかったから」
「はい! 頑張ります! ぼく、師匠みたいなつよくて優しい、リッパな大精霊になりたいので!」
アウラの無邪気な笑顔には力がある。向けられた人を自然と笑顔にしてしまう力。彼の渾身の一撃をもろに受け、よろめきそうになってしまう。未来という名の眩しい可能性に満ちた、彼の力強さに気圧されるようにして僕はその場を後にした。彼がどんなに耳を澄ませても僕の声が聞こえないだろうという距離まで歩いたところで、こらえきれずにぼそりと独りごちる。
「……僕は、君にこれを受け継がせるつもりなんてないから」
『われわれはしぬと、にくたいをすてて、せいれいになる』
本を読めるようになったばかりのカケヤが得意げに朗々と語る声をまだ覚えている。
『だいせいれいは、ほかのせいれいとちがい、』
『とくべつなぎしきをへて、だいせいれいへと、うまれかわる』
それは何百年も前から続く儀式だと、僕の祖父は言った。
先代の大精霊は祖父であった。僕が物心つく前から彼は神殿に勤め、亡くなった者の魂を天上に還す仕事をしていた。
大精霊にも代替わりが必要な時がある。精神を著しく病んでしまったり、齢を重ね能力に衰えが見え始めるようになったとき、神殿で働く者の中から後継者を選んで、先代の魂を後継者に投げ上げてもらうことで継承の儀式は成立する。
祖父は後継者に真っ先に僕を指名した。僕には祖父から受け継いだ大精霊の素質があったからだ。本来であれば次の代は祖父の息子である僕の父の役割だったのだが、彼は僕が幼い頃徴兵されてそのまま帰ってこなかったので、代わりに僕が引き受ける形になった。大精霊を勤めることを拒もうとは思わなかった。それが当たり前であるように思っていたからだ。芋虫が蛹に、蛹が蝶になるように、絶えず流れゆく時間の中で生きている我らにとってはごく自然な世界の摂理であり、僕もそれに組み込まれているのだと漠然と考えていた。
暗闇のなか、魂の明かりだけがぼんやりと揺らめく部屋で行われた儀式を経て、僕は肉体を捨てた。
嘘偽り無く感想をのべると、とても苦しかった。痛い、よりも苦しい、という感情が勝った。
カケヤも同じ痛みを味わったのだろうか。神殿によって儀式の方法は異なると聞いているので、雨林では全く違うことをしたのかもしれない。あの槌を使ったのだとしたら僕の時よりずっと痛そうだ。これ以上はあまり考えたくない。
もしアウラが僕の跡目を継ぐことになれば、彼にも同じ儀式に参加してもらわねばならない。苦しみに耐え、己が使命を果たして天上に召し上げられるまで、与えられた役割と神殿に縛られながら生きることになる。あの子には僕と同じ苦しみを味わせたくない。それ以外に理由なんて無かった。彼には翼がある。僕には名ばかりで、ついに使いこなせなかった翼。それを自由に羽ばたかせて、何処へでも飛んでいけるんだ。それを奪うことは僕には到底出来そうになかった。
その後、アウラは順調に成長していった。曲がりなりにも僕の弟子ということもあり、僕が受け持っていた仕事の半分を手伝うようになっていた。彼の仕事ぶりは内輪だけでなく、外からの評判もそこそこ良かった。外と言っても彼が関わるのは専ら雨林か聖域の孤島での仕事であり、ほとんど内輪のようなものだったが。他人に厳しいカケヤからもそれなりに評価されていたようだ。
カケヤから風の街道の話を聞いたとき、僕は真先にアウラを指名した。
僕から離れていくことに寂しさを感じないわけではなかったが、いつか子どもは親元を離れて巣立たねばならない。僕とアウラの関係はあくまで師匠と弟子ではあるのだけれど、年はかなり離れているし、こんなに長い間面倒を見ていたのだから親子も同然だろう。彼が僕のことをどんなふうに思っているのかはわからないけど。
アウラが街道へ旅立つ前日の夜のこと。枕を抱えた彼がふらりと僕の部屋にやって来た。ひどく暗い顔をしていたのを覚えている。
「眠れないのかい?」
「はい……いろいろ考えてしまって。今日がここにいられる最後の日かもしれないので」
「そんな悲しいこと言わないでよ。帰ってきたかったら、いつでも帰ってきていいんだよ」
僕の言葉を聞いたアウラは暗い顔を一層歪めて、ふらつく足取りで僕に近づいてきた。
「違う……」
彼と僕との距離が無くなると、アウラは僕のお腹に顔をうずめながらくぐもった声で呟いた。
「昔フェトから聞いたんだ……僕はこの草原を一度離れたら、もう戻ってこられないんだって……」
フェト。
預言者の一族の末裔で、聡明な子だという話は聞いていた。先見の才を持っているという話もあった。
その彼が子供の頃、アウラの最期を視たのだという。同じ能力を持っている大人でさえ嫌がりそうなことだが、まだ善悪の区別もつかないほど幼かった時の話だ。好奇心が恐怖に勝ってしまったのだろう。
「『雲の海に囲まれた島、小高い丘に四つの墓を建て、その上に倒れ伏す』……街道の立地の話を聞いたとき、すぐにそうだとわかりました。いつかはわからない……もうすぐかもしれないし、ずっと後になるかもしれない。だけど、僕の死に場所はきっとあそこなんだ。貴方のお役目を継ぐこともできず、お傍にいることさえも叶わない」
「アウラ、」
「最後に……今日が最後の夜かもしれないから……」
涙声でアウラは僕に乞う。
「一緒の布団で寝てもいいですか? 昔みたいに……」
かけるべき言葉が思いつかなかった。
なぜこんな残酷なことを、彼が知らなくてはならないのか。
僕は彼を抱きしめた。強く、強く抱きしめた。僕の魂の一部がアウラの中に溶け込んで、いつか彼を支えてくれるように。
翌日、カケヤが寄越した迎えの船に乗ってアウラは草原を離れた。皮肉にも預言は当たり、彼とはそれが今生の別れになった。彼を送り出すことに後悔がなかったかと言われればそんなことはなかったが、それを表に出すようなことはしなかった。僕にしてはかなり強がってしまった方だ。アウラは甲板から身を乗り出して私に手を振っていた。その顔は笑っていたが、悲しみをこらえているような不自然な笑い方だった。あの顔を忘れることはこの先無いだろう。
間もなくして風の街道が開通した。評判はそこそこ、便利で使いやすい、なによりあの場所を管理している職員たちが親しみやすくて好感が持てる、という話を聞いたときは自分のことのように嬉しかった。
アウラからは時々手紙が届いた。二度と逢えない、と泣きながら抱きついて来たあの夜が夢か何かだったかのようにしばらくは明るい内容の手紙ばかり続いた。
内容に変化があったのは暗黒竜による被害が著しく増えてきた頃だった。逢うたびに世間話をしていた商人の一家が疎開を始めたとか、街道に立ち寄る人々から聞いた各地の様子なんかが淡々と書き連ねてあった。
時を同じくして、国立書庫の番人であるリベラ殿からも一通の手紙が届いた。内容は短く、この国の玉座に座っていた彼の方を天にお送りしたという内容が記されていた。後継者については特に何も書かれていなかった。次代に誰を据えるつもりなのか、それとも王政そのものを辞めるつもりなのか。草原の神殿は国都から遠く離れた場所にあるため(街道が開通する前は流通や手紙の行き来に関しては聖域の島に次いで最悪だった)、あの方の意思がどういったものであるのかを此処から推測するのは難しかった。
「この国はどうなるんだろうな」
お茶を啜りながらカケヤがぽつりと呟いた。国の情勢が変わっても二人だけのささやかな茶会は続いていた。少しずつ物資の質は落ちていったが、お菓子を食べたりお茶をブレンドするくらいの余裕はまだあった。彼女好みの茶葉の調合も今やお手の物だ。
「あの女のことを信用していいのかもよく分からなくなってきた。元々気にくわない奴だったが」
「あの方にはあの方なりの考えがあるんでしょう。そう思うしかないよ。僕たちが怒りをあらわにしたところで何かが変わるとは思えない」
「はは、昔っからお前は変わらないな。お人好しで事なかれ主義で、どこか抜けてる」
「変わらないことが僕のとりえみたいなところがあるからね。君も昔そう言ってたじゃないか」
「ああ、本当に……」
カケヤの顔は目に見えて疲弊していた。目からは生気が失われ、少しやつれているようにも見える。肉体を持たないとはいえ、エネルギーを自己生成できない僕たちにはまだ栄養補給が必要だ。同じように休息も。僕の目には、カケヤにはそのどちらも足りていないように見える。
「少し休んだ方が良いんじゃないか? 霊体が疲れているとそのうち頭も働かなくなるよ」
「今休んでるだろう」
「そうじゃなくて……僕に何か手伝えることはあるかい?」
「気持ちはありがたいが、これは雨林の問題だからな。何かあったとき、お前は自分の仲間を守らないといけない。そのために余力は残しておくべきだ。資源もな」
雨林では呪いの花の侵蝕による深刻な土壌汚染が始まっていた。元々日射量の少ない土地であったことが災いし、花の成長がほかの地域に比べて格段に速く、生い茂げる範囲の拡大に対応が追いついていないという話を雨林で働く神官たちから聞いていた。花から放出される胞子が自然だけでなく人体にも影響を及ぼし始め、多くの住民が病に苦しみ、その何人かは既に命を落としているという。
「なぁバドウィン、私たちがやっていることは本当に意味のあることなんだろうか?」
「……君がそんなことを言っちゃあ助かるものも助からなくなってしまうだろう。カケヤはよくやってる。僕はちゃんと見ているよ」
「ありがとう……お前に言ってもらえると気分が少し楽になるよ。この先もお前とこうして茶を飲んでいたい。それだけで私には十分だ……」
カケヤはそう言いながら力無く笑った。しかし残念なことに、彼女とのささやかな茶会はこれが最後になった。
アウラから手紙が来なくなった頃、時を同じくして街道が封鎖されたという話を聞いた。さらにそこから月が何度か満ち欠けを繰り返したあと、私のもとにフェトがやって来た。今は各地を巡り、この国の民に一族に伝わる預言を説いて回っているのだという。会うのは数十年ぶりだった。一族の長として貫禄が出てきたな、と思った。神殿にはもう私を含めて片手で数えられる程の人数しか居なかった。そのうちの何人かも病に臥せり、皮肉にも元気なのは元々死人だった僕くらいになっていた。
僕が出したお茶を飲んだフェトは少し驚いたようだった。
「街道でアウラに淹れて貰ったものと同じ味がします」
「はは、そうだろうね。淹れ方を教えたのは僕だから」
純粋に羨ましいと思った。僕は神殿からあまり遠くには行けない霊体なので、アウラの活躍は誰かから聞くか彼の手紙を読まないとわからない。出来ることなら、実際に現地へ赴いてその雄姿を目に焼き付けておきたかった。でも、あの子は嫌がりそうだな。恥ずかしいからやめてよ、って言われたりして。
「アウラは元気だった?」
「はい」
「街道を封鎖したあと、何処へ行ったか知っている?」
「……いえ。ですが、最後に逢った時は峡谷の方へ避難するつもりだと言っていました」
体の横に置いた小鼓を軽く指でなぞりながら彼は応える。昔彼がアウラと二人で遊んでいて、事故で壺を割って蝶を逃がしてしまった時のことを思い出す。背丈はこんなに伸びたのに、中身はあの時からそこまで変わっていないのかと思うと少しだけ安心した。
「昔君が見たというアウラの最期の話を聞いても?」
フェトはびくり、と身を震わせた。仮面で顔は隠れているが、何故そんなことを知っている、と言わんばりにこちらを凝視しているのが僕にはわかる。
「……本人から聞いたんだよ。勘違いしないでほしいのだけど、僕は君を責めたり恨んだりするつもりはない。君のせいであの子が死ぬわけではないのだろうし。ただ、僕は曲がりなりにもあの子の保護者をしていたからね。僕が育てたものがどんな結末を迎えるのか……あるいはもう迎えたのか、それを知りたいだけだ」
「……後悔すると思います」
「構わない。知らないほうがきっと後悔してしまうだろうから」
フェトはお茶をひと息にぐいと飲み干して、徐に口を開いた。
「アウラは……まだ街道に居ます。彼の仲間たちとともに────」
フェトが去り、静かになった神殿の中。
私はぼんやりと神殿の天井を見上げながらアウラが旅立ちの前夜に私に話してくれた内容を思い返していた。
『初めて僕に教えてくれたこと、覚えてますか? 風の声を聞く、ってやつ。最初はどういうことかよくわからなかったけど、最近わかるようになってきたんです』
『風はいろんなことを教えてくれるんですね。北風が冷たくなったら冬が始まる。暖かい南風が吹いたら春がやってくる。風に乗ってやって来る花びらや甘い香りは、その花が風上で咲いていることを教えてくれる。湿っぽくなるのは雨が降る前触れで、風が強くなるのは嵐が近い証拠』
『そうやって、些細な変化に気づけるようになることが大事なんですよね。そうすることで僕たちが次に何をすべきかわかるから。冬が近くなったら食料の備蓄を増やして暖かい服を用意する。嵐が近づいているなら外に出してあるものを中に入れる。そうすれば僕たちはよりよく生きることが出来る』
『ずっと考えていました……今吹いている風は僕に何を伝えようとしているのか、って』
『僕は自分にできることなら何だってやりたいんです。誰かの役に立ちたい。師匠があの時僕を助けてくれたように、僕も誰かを助けられる人になりたい。大精霊じゃない僕にもできるでしょうか』
僕も、僕にできることをやろうじゃないか。
先日リベラ殿から届いた二通目の手紙には、各地に散らばる大精霊を王都に呼び寄せたいという旨が記されていた。僕たちは各々の勤めの地から遠くには離れられないということは彼女も重々承知しているはずだが、一体どうやって僕たちを一所に集めようというのだろう。フェト以上に聡明な方が用意した策略がどのようなものであるのか考えもつかないが、災厄に対してこちらから打って出られることがあるのならば、喜んでこの身を捧げるつもりでいる。
雲海に囲まれた遠き地にいる君に、師である僕から残せるものがあるというのならば、僕は君の風となろう。
アウラ。
僕に吹いた、ひとすじの爽籟。
君のことを想う。
どうか君に、良い風が吹きますように。
***
『あー、良かった良かった! やっと肩の荷が降りた!』
『俺たちのやったことが無駄にならなくてよかったな。ひとまずお疲れ様、だ』
「……」
『アウラさん、大丈夫ですか?』
「え、あ、うんごめん、ちょっとボーッとしてた」
『安心して気が抜けちゃった?』
「えへへ、そうかもしれない。起きてからずっと心配事が絶えなかったから」
『お、見ろよ。あそこに誰か立ってるぜ。お迎えかな』
『げ、ありゃ俺の弟子だ。あーあー、人前だってのにあんなに泣きはらしちゃってもう……』
『グイド、先生もいるよ! 真ん中にいる人は誰だろう、あんまり見たことない方だけど』
『え? なんかすっごく大きくない? ご先祖様なのかな。ちょっと怖いんだけど』
「あれは……」
■帰還
星の子どもたちによってアウラたちが天上へ召し上げられたと聞いたとき、僕は真っ先に彼らを迎えに行くことにした。
その話をすると何人かが同行する意思を見せた。最期の瞬間まで己の仕事に従事していた職人が数名、それと鳥の声を持つ語り部も名乗りを上げた。カケヤにも声をかけたのだが、最近召し上げられたばかりの精霊の子供たちの世話で忙しいといって断られた。年下の子供を泣かせていた君がねえ、とからかおうかとも思ったが、彼女の拳骨は洒落にならない痛さなのでやめておく。
長きにわたる勤めを終えて還ってきた僕の弟子は、僕を見るなりこちらに走ってきて、無我夢中になるあまり自分の足につまづいて盛大にすっ転んだ。助け起こそうとするも彼はそれを拒み、自分の足で静かに立ち上がろうとする。彼は悔しさと疲れが入り交じったような顔をしていた。その顔には見覚えがあった。日に日に闇の花に蝕まれていく雨林の中で孤軍奮闘していた幼馴染。自分自身から向けられる猜疑心に苛まれ、己の為すべきことに誇りを、意味を持てないでいるあの顔。
「師匠、僕は」
「アウラ、何も言わず私についてきなさい。他の皆さんも」
きょとんとした五対の瞳に見つめられながら、私は迎えの精霊を含めた一同を天空のある場所へと連れて行った。
天空の中でも比較的地上に近いところにある崖のひとつ。境界に対して横に平たく、長椅子のようにもなっているこの場所は地上を見下ろすことが出来る展望台でもあり、そこからは風の街道が良く見えた。僕も少し前まで足しげく通っていたお気に入りの場所だ。私はそこに召し上げられた五人を座らせた。
「目を閉じて、耳を澄ませてごらん。君たちには何が聞こえる?」
彼らは言われるがままに目を閉じた。僕も、同じようにして目を閉じる。
【闇】に蝕まれていた当時に比べると今の街道は驚くほど静かだった。嵐の唸り声も雷の怒鳴り声も聞こえない。
それでも、彼らの耳には何かが届いたようだった。
『あの嵐の後だから何でも静かに聞こえるだろうと思ってたら、意外といろんな音がするもんだな』
『前よりもずっといい音がする。材料も条件もそんなに変わってないはずだけど。何が違うんだろう?』
『気の持ちようかもしれないな。俺には船のきしむ音さえ今は音楽に聞こえるよ』
『光の動物たち……すごく楽しそうに笑ってる』
嬉しそうな声に交じって、聞いたことのある音が聞こえる。こらえきれなくなった誰かが鼻をすすっているようだ。
「風の……風の声がします。もう、こんな声は聞こえないと思っていました」
震える声でアウラは言った。
風に交じってかすかに巡礼の子供たちの笑い声が聞こえてくる。風に体を預けて、お互いにじゃれ合いながら楽しげに飛び回っている。そんな情景が目に浮かぶようだ。
「彼らのお陰です。彼らがいなかったらこうはなりませんでした」
「そうだね。あの子たちには感謝してもしきれない。でも僕は、あの子たちの力だけではうまくいかなかったとも思うよ」
目を開くと、僕の目の前には一人の青年が座っていた。ぼろ布を着て雨林を彷徨っていた小さな子どもはもうどこにもいない。優れた統率者である君のすべてが僕にとっては誇らしく、かけがえのないほど愛おしい。
「君が、彼らを導いた。これは君のお陰でもあるんだよ」
よくやった。君は本当によくやったよ。
君は間違いなく、私の一番の弟子だ。
「おかえり、アウラ」
広げた腕の中に、小さなつむじ風が飛び込んできた。
「ただいま、お父さん」
<了>
■あとがき
改めましてこんにちは、紙魚頭です。
「爽籟来たりて」、いかがだったでしょうか。
ここからは作者による長~い余談コーナーになります。お時間に余裕のある方は見ていただけると幸いです。
・全体的な話
何度も言いますがこれは妄想の500%濃縮還元小説です。
アレとかコレとか、実際に配信されたイベントで「そんなもん見てねえよ」と思うものが多々あったかと思いますが、そう思った方の記憶力は正常です。大正解。存在していないものはだいたい私の空想です。改めてご承知おきください。
・大精霊の話
大精霊の設定については一度「楽園~」で出してしまったのでもう引き下がれないと思い、ざっくりしていた脳内設定をマッシュアップしたものにして使うことにしました。多分今後別の二次創作小説を書くときも同じものを出すと思います。新しく考えるの面倒くさいし。
他の精霊と違い、彼らが何故「大」精霊と呼ばれているのか。それを私なりに解釈して、与えられている断片的な情報をもとに「最高位の神官であり、市井とは一線を画したヒトならざるもの」として今回は話を進めさせていただきました。私は公式Discordの内容とかあまり把握していないので、もしかしたら齟齬があるかもしれないです。でもいいよね。考えるだけならタダだし。
・名前(本作オリジナル ※Not公式)の由来
せっかく考えたので見て欲しいな~という気持ちが強くなってしまったので公開します。解釈違い大歓迎!
アウラ … 羽ばたく案内人。aura(ラテン語:微風・香り・光輝)から。
古代ギリシャ語の「風」という言葉が語源になったとされている。
カーター … 腕利きの工匠。carpenter(英:大工)から。
チャイム … 工夫好きの職人。chime(英:鐘)から。
チック … 光の語り部。chick(英:雛鳥)から。
グイド … 快活な誘導手。guide(英:ガイド・案内人)から。
バドウィン … 草原の大精霊。bird(英:鳥) + wing(英:翼)の造語。
鳥の羽みたいな髪型だなあと思って。
カケヤ … 雨林の大精霊。掛矢(日:大きな木槌を指す言葉)から。
フェト … 預言の案内人。fate(英:運命)から。
サンバス … 満足する日光浴者。sunbath(英:日光浴)から。
リベラ … 書庫の大精霊。library(英:図書館)、libra(英:天秤座)、liberal(英:自由な、自由主義の)から。
※ファンタジーの世界に此方の言語事情を持ち込むことはどうかと思う人もいらっしゃるでしょうが、
あくまでこれは「和訳」だと思ってください。
実は前回出てきたサンバス一家の皆様+楽園の案内人にもこっそりオリジナルの名前を付けているのですが、その辺の情報に関してはいずれまたお話しできたらと思います。
・今後の予定とちょっとした宣伝
今回の執筆を持って、一旦Skyを含めたすべての二次創作活動をいったんお休みしようと思います。
何故なら! 今年の11月に東京で開催される「文学フリマ」にサークル出店することになりそうだからです!
持っていくのはもちろん新刊! 現在鋭意執筆中! オリジナル短編集です! 予算にもよるけどオフセがいいな!
今までほとんど個人で創作物として形に残せるものを作ったことが無いので、何もかもが初めてで(自分でやるって決めたにもかかわらず)あたふたしておりますが、せっかくの努力の結晶を落とさないようにだけ気をつけようと思います。
Sky二次創作はいったん休むだけで、まだ書きたい題材が何個かあるので(特に作者が星の子として生を受けた当時にやっていた魔法の季節については可能であれば1本書きたいと思っている。最近始まった瞬きの季節もちょっと気になっています)、今回の話が面白かったよ~という方は気長にお待ちください。短くてもいいので感想とかいただけると投稿予定日がちょっとだけ早くなるかもしれないし、ならないかもしれない。紙魚頭さんマイペースだから。
・SpecialThanks
執筆が思うようにいかずダレてた中の人に檄を飛ばしてくれたゆっきぃ様
本作の執筆意欲を再び高められた理由である「#ほしのこ集中庵」の主催者であるあきら様
集中庵で一緒に作業してくださった星の子の皆さん
私をこの世界に招待してくれた師匠2名
いつも仲良くしてくれるフレンドの皆さん
そして何より「Sky 星を紡ぐ子どもたち」というゲームとここまで読んでくださった読者の皆様に多大なる感謝を!