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ディカイオスの天秤 第12話

全体公開 22806文字
2023-06-25 22:12:23

第12話 ディカイオスの天秤

Posted by @dika_bal

※本話は暴力的・非倫理的表現を含みますのでご注意ください。全てフィクションとしてお楽しみください。




■1/嫉妬

ざぶざぶと床に水が溜まってしまっている。ここには精密機械もあるっていうのに、漏電したらどうしてくれるのだろうか。
鈴丸は不快の様子を隠すこともなく顔に貼り付けていた。目の前の自分のそっくりさんは相変わらずの無表情具合いで、余計に不快感が増す。
相手から放たれる水の飛礫をこちらも水でいなしながら、隙を見ては距離を詰めて拳を打ち込む。
あわよくば掴めればいいのだが、さすがにそう簡単に思い通りにはさせてもらえない。
広いとも言えない室内戦、足元が水を吸ってもたつく。
近接戦なんて自分の専門外なんだけどな、など思いながらも鈴丸は異能力もそこそこに、己の手足の筋肉をむりくりに働かせる。
(いやしかし……)
鈴丸は相手の襟首に手を伸ばしながら、相手の顔を見る。
どう見ても自分の顔だ。弟もそりゃ同じ顔なのだが、明らかに自分の、鈴丸 誓の顔だと思う。
(これほどまでに殴りやすいというか、躊躇なく殴れる顔は他にはないな。だって自分だし)
襟首を引っ掴もうとするも また避けられる。遠慮なくでかい舌打ちをかまし、鈴丸は勢いのまま一歩踏み出した。足元で飛沫が上がる。
長い廊下にはみ出すと、相手は下がりながら足元の水を巻き上げていった。目に見える形に水流が相手の体の周りを巡る。
…………。」
鈴丸は相手を追いつつも冷静にそれを見ていた。
同じ異能力だからこそ理解る。──これは己の劣化だ、と。
変わらず無表情のまま、相手はその水流を一気にこちらへと放出してきた。鞭のような水流が廊下の壁や天井を破壊しながらすごいスピードで向かってくる。



自分より劣っている存在をどう思っていたのだろうか。あいつは──弟は俺をどう思っていたんだろうか。
俺は、今 目の前の俺を劣化……劣っていると思ったよ。

ずっと選ばれたかった。比べられて『違う方』っていうのから抜け出したかった。
弟に勝てないっていう、この醜い嫉妬心を消し去りたかった。
でも、今だって結局ずっとそれは抱えたままなんだ。
今、俺が俺じゃない俺自身を劣っていると思ってしまうのは、やっぱりどこかでわかっているんだ。俺は弟よりも劣った人間なんだって。
人間を優劣で見る時点で、俺は弟よりも人間として劣っている。それはどこかでわかっていたんだ。

今までずっとわからないフリばかりしていた。
あいつには出来ないことをやって俺の正義を示そうとしたり、俺はあいつと違う有用性があってあいつよりも優れているって誰かに認められたかった。
……そんなことで認められることはないって、本当はわかってたけど、それすら認めたくなくて俺は俺の正義を信じていた。

それでも、そんな俺でも、鈴丸 誓を選んでくれた人間がいる。
話をしようと、これからも。俺自身を選んでくれた2人がいる。
わからないことも、わかりたくないことも、わかってて知らないフリしてることも、受け渡せそうな人ができたんだ。
事実として存在する現実も守りたい理想も、どっちも邪魔でどっちも大切で、未だにわからないことばかりで。
でもそれは、生きているから。生きていて、立ち止まることを許されていないから。
わからなくても、生きて選んでいかなければいけない。選ばれても選ばれなくても、自分も選択をしていかなければならない。

だから俺は選んだんだ、弟が目覚めるまで弟を守るんだと。
こいつが目覚めた時に、ちゃんと話をしたいんだと。
何を話していいのかはまだわからないけど、それでも俺を選んでくれた人たちがいることだけは話したいと思った。
──それに……今は、 こいつに目覚めてほしいと思うことが、ちゃんとできているんだ。



鈴丸は向かってくる水流に向かって手を振りかざした。
鞭のようにしなる水流が鈴丸の前で急激に角度を変えていく。複数の水流は川と川が合流するように1つになると、鈴丸が翳す手の前で勢いよく回転しながら球体を構築する。

──強さっていうのは、現実から目を背けない力のことだ。
理想や綺麗事ばっかの柔いものなんて足をすくわれるだけの要素だと思っていた。
けど、もしかしたらそれがあったっていいのかもしれないとも、少しだけ思えた。本当に少しだけ。
「悪いけど、もう死ねないんだ」
やりたいことがある。やらなければならないこともある。
それに……自分と同じ顔の野郎にやられるなんて真平御免だ。


球体は相手の放出する水流の勢いを殺さず、そのまま凄まじいスピードで集中される。
ここまで正確な異能力の操作には非常に高い集中力を求められるが、そんなことは鈴丸にとって尋常茶飯なことだった。並大抵の訓練は積んでいない。
自分の力を信じたいため、弟に追いつきたいがため、鈴丸は己の異能力について妥協することは遠の昔に捨て去った。
水流を受けきって1つの大きな球にまで成長させると、鈴丸は改めてそれへ力を込める。
「俺のコピーだか何だかは知らないけど、似せたいならもっと死物狂いでこいよ。俺より強いやつばっかなんだから──なっ!!」
飛んできた倍のスピードで手元にある大きな水球を撃ち出す。
音を置いていくほどの勢いでそれは相手へと命中すると、長い廊下をすっ飛ばし奥の壁へと相手の体を叩きつけた。
衝撃で壁に大きなヒビが入り、一部がボロボロと崩落する。
相手は動かず、ずるずると壁伝いに床へと雪崩落ちると、大きな水球が音もなく破裂し、水が降り注いだ。
「やば漏電
鈴丸は悠長にそんなことを口から漏らしながら相手へと駆け寄り、素早く手錠をかけた。
首元に指を当てて生死の有無を見てから、相手が意識を失っている状況なのを確認して一息つく。短く大きな息を吐くと、鈴丸は足元の水へ目を落とした。
水位が少し上がり、階下へと流れていっているようで、緩やかな流れが目にとれる。
二次、三次被害なんてごめんだと、念のために異能力で足元や周囲の水を気化させようとするのだが……何故だか一向に何もできない。
……おかしい。いくら集中しようとも己の能力が使い物にならず、不安よりも疑問がわく。
……もしかして、まだ面倒事があるっての?」


■2/強欲

……あれ、俺、何かやっちゃいました?」
びしょ濡れの丹所が上体を起こしてメンバー達の方へと振り返り、メンバー達も丹所へと視線を向けていた。
……何故か気まずい沈黙。
しかしすぐに大鷹がハッとし「手錠 手錠」と異能力者用の手錠を手に丹所の方──というか、丹所が乗っかっている偽及川へと駆け寄る。
手錠をかけると、異能力者用の手錠に仕込まれている麻酔が作用して偽及川もぱたりと動かなくなった。
ようやく一息、といったように全員が息を吐く。が、燃々焼だけはズカズカと丹所の前に近寄ると、目線を合わせるようにその場へと行儀悪くしゃがみ込み、また自身の指を擦り合わせた。
……だがしかし、やはり炎は出ない。
……きさんの能力か」
「あ、いや俺、ボーダーなんですけど
幼少期の検査でも何も出なかったですし、と丹所は首を傾げていた。
「でもどう見ても丹所さんが何らかのトリガーになっているのは明らかですけどね。美杜さんはどうですか」
桐野が後方にいる美杜へと振り返る。美杜は己の手のひらを見つめていたが、ちらりと顔を上げると首を横に振った。
「ガキの頃、あるだろうとは思ってたが本当にあったんだな……無効化。初めて見た」
大鷹の言葉に丹所は己の両手を見つめる。
──自分が、異能力者?
「少なくとも、炎と血液を関する異能力には影響があるようだね。どこまでの範囲に効果があるのかはわからないけど、君の異能力は切り札にも成り得る」
研究のしがいもありそうだし興味深いね、と桐野はいつものように微笑んだ。
そうだな。丹所 お前、先に警察省の方に戻れ」
「え? 何でですか、大鷹先輩」
「警察省の方も今 異能力者のヴィランが入り込んでて緊急事態だそうだ。お前の異能力がどこまで通用すんのかはわかんねぇけど、必要となってくるかもしれない」
「あ~確かに局長も何か大変だとは言ってたような……。あ、応援もそのうちこっちに来るはずなんですけど」
「じゃあ、それはこっちで巻き取る。お前は先に戻れ」
「了解で~す!」
気が抜けるほどいつも通り緩やかに敬礼で返す丹所。



特に何か高尚な思想や目的があって警察官になったわけではない。
そもそも自分は交番勤務で、勤務先の近所の平和を守るのがお仕事だった。
ただ何となく誰かの役に立てればって、自分に出来ることがあるのならばと思ってこの職に就いた。
人が、人の笑った顔が好きなんだ。

びしょ濡れになった病院着から急いで着替えて、丹所は病院を飛び出す。
先日折れてくっついたばかりの足の感覚を確かめるようにトントンとつま先で地面を叩いてから、楽観の笑みを浮かべた。
「とりあえず、行きますか~」
地面を蹴り、走り出す丹所。途中で何かしら足を手に入れることができればいいのだが、何だかんだと考えるのは苦手だ。
ひとまず足を動かす。何でもやってみてから考えてもいいだろう。

……異能力だとかどうだとか、正直な話、よくわからない。
ただ、自分に何か出来るのならば何でもやるだけだ。
手が届くのならば手を伸ばす。手が届かなければ近付いていく。
どんな人でも、助けられるんなら全部手助けしたい。
強欲とも言えるお人好し──彼はただ真っ直ぐに仲間たちの元へと駆けていった。



■3/忠義

戦闘による建物への被害も結構なものだと判断し、美杜はまず引き連れていた病院関係者や動けていた患者たちを外へと誘導する。
「応援もいつ来るやら」
「中の状況も見回りきってないしな、まずは救助活動優先だろ」
「あの化け物と偽メンバーがもういないといいけどね」
桐野と大鷹は残弾を確認しつつ、周囲警戒を行う。
その最中に、階段から下りてくる人影を見つけた。
その人は「あ」とあまり愛想もない単語をこぼして、ラフに手をひらひらと振ってきた。
……鈴丸さん、居たんですね」
「居たし仕事もしてマシタ」
態と厭味ったらしく声を低くして、ジトリと桐野を睨む鈴丸。
鈴丸の様子もお構いなしに「警察省の方は」と大鷹が聞くと、「多分やばいのが来てる」と鈴丸は淡々と答えた。
そこに転がってんのは及川の偽物?」
「あぁ、そうらしい」
「倒されんならホンモンでもニセモンでもどうでもええわ」
「おい燃々焼」
大鷹の小言が始まる前に鈴丸の方も「俺のコピー品もいたし、他も出るかもな」と早々に口を挟んだ。
「ところで異能力の調子悪いんだけど、何か影響あることに心当たりある?」
「それなら」と大鷹が説明に入ると、桐野は燃々焼の方へと近づく。
「燃々焼さんも警察省の方に戻ってください」
「ハッ、指図しっせ。言われんでもわぁっとるわ」
「話が早くて助かります。あ、美杜さんもお願いします」
急に話を振られた美杜は視線を逸しながら一度頷いた。
「この現場は俺と大鷹とで対応します。応援もあまり期待していませんが来るそうですし」
「あ、俺も残るよ。他のコピーくん来るんなら面倒なことになるだろうし、それに……
鈴丸の言葉が途切れると桐野が「それに?」と首を傾げながら続きを促す。
……身内がいるんだよ、ここに」
「あぁ、なるほど。それならば、そばにいた方がいいですね」
桐野の言葉に鈴丸は頷きも返事もせず、ただそっぽを向いた。



残留者の早急な搬出・救出が必須だ。
化け物も誰かさんのコピーもまだ院内に残っている可能性があるため、動けるだろう病院関係者たちを引き連れて行くわけにもいかない。
まだ動ける人間たちは外でテントやシートを準備し、応援や救助が来るまでの緊急の救護所を拵えることとした。

桐野・大鷹は拳銃を装備し、鈴丸が三歩ほど先行する二等辺三角形のような形で院内を巡る。
……で、何だっけ。新興宗教団体の方はどうだったの」
あまり緊張感のない鈴丸は歩きながら後方の2人に話を振る。あまりにもざっくりとした遠慮のない話しぶり。
隣の大鷹の様子を横目で見てから、桐野は「ははは」と棒読みの、愛想笑いになっていない愛想笑いを返す。
その返しに鈴丸も「はっ」と定型的な息を吐くような笑い声が出てしまう。愛想の終了している面子だ。
「どうもありませんよ。現状は証拠不十分ということで手が出せていないですが」
桐野の答えに鈴丸は鼻で笑うように息を吐いて、口を開いた。
「法じゃどうにもできないタイプか。常識やモラルがまかり通らない世界なんてごまんと存在するからね」
……あんた、そういう話好きですね」
大鷹はうんざりした様子で鈴丸の背中を睨みつける。前を歩く男の表情は伺い知れないが、またいつかの居酒屋の時の様な真顔なのかもしれないと思うと、あの時の不快感が腹の底からふつふつ蘇ってくるようだ。
「別に好きじゃないよ。……まあ法律に寄りかかるだけで振りかざす正義はさぞかし楽だろうねとは思うけど」
「はい、ディベートストップ。思考実験したいならレポートでもまとめてください」
大鷹と鈴丸の雰囲気を察して桐野からレフェリーストップ。
「鈴丸さん、だいぶ楽しいお考えをお持ちのようですが現場 ここ俺の前にいる時には省内規律に従ってください」
……善処するよ」
「ありがとうございます。ふふ、貴方が度し難いクソ野郎ではなくて助かります」
「あはは、言うね~」
「俺なりの真心ですよ」



■4/博愛

「鈴丸さん」
「ん?」
「以前に例えばの話で、あんたが法では裁けないようなどうしようもない悪人だったらどうする?って聞いたの覚えてます?」
……そんなこともあったような」
曖昧に答える鈴丸だが、実際ははっきりと覚えている。
それは以前、2人で飯に行った際に興味本位でつつきまくったことだ。
大鷹の張り詰めたような、思い詰めたような様子に何となくシンパシーのようなものを感じて、少々突っ込んだ会話をしたのだった。
今となって思えば、かなり面倒くさい お節介に近いちょっかいだったと思う。
背を向けていることをいいことに鈴丸は若干バツの悪さを顔に出す。
「あの時の答えですけど……殺しませんよ」
どうしようもない悪人でも?」
「法で裁けないのならとルールを犯すことはきっと簡単なことだと思いますし、倫理観は置いといて感情的にはそれが正しいのかもしれません」
…………。」
「でも、その正しいよりも、世のルールに則った正しさを俺は選択します。俺が正しいと選ぶのはそちらなんで」

未だ遺る『正しい』の言葉。
どんなことでもルールを破る方が簡単で、ルールを守ることの方が難しい。それはそうだ、法は人が守らなければ何の意味もなくなるものなのだから。
胸を張って正しいと言えることを、大多数の人間にとって正しいとされるものを選ぶことが、今の大鷹の『正しい』なのだ。
その正しさに呪われもしているが、同時に願われてもいる。
今の自分の正しさはそうであり、大多数の人間を守るためにも制定されている正しさを守りたいと思う。
いつか天秤のように数多の物事は変わりゆくかもしれないが、それでも多くの人間が遵守し壊すことの方が簡単な弱々しい法という正しさのルールを、大鷹は守っていきたいと選び取った。


■5/憤怒

息が上がる。
絶え間なく巡る思考と動かされる体。頭も体も限界寸前まできていた。
腹部に受けた複数の電撃の矢。幸か不幸か貫通はしており、電気メスのような要領で止血もできている。
ただ、傷は何とかできるにしても、痛みや体力は流石に有限だ。
天野から目を離さずに及川は一旦距離を取るため後ろへと飛ぶ。
天野は先程折られた左腕を庇うこともなく、真っすぐ立っている。以前対面した際の感情的な彼女とは対照的であまりにも不気味だった。そんな様子にも辟易とする。
無表情を貼り付けたままの彼女の感情は何も感じ取ることもできず、疲労感すらおくびにも出さない。……元々彼女の感情は理解もできない恐怖の対象なのだが。

なるべく呼吸を整えるように息を吸って吐く。体力のせいか、どうにも異能力の様子がおかしい。
まるで、あの孤島の時のようだ。……また不調で異能力を使えなくなるなんて嫌だ。
頑張るんだって決めたんだ。何かを守るためには、己の正義を通すためには、1人でもやらなきゃいけない。もっと、もっと頑張らなきゃいけないって。
躊躇わず、強くなるんだと。強く、在るんだと。
もっと集中しろ! 全力で、私のもてる全ての力を集中させて。

……それなのに、何故。
どうしてこんなにも、力が出せないの?

「及川さん!」
誰もいなくなったはずのフロアで声がする。
声の方へと視線を移動させれば、丹所が天野の背後へと目掛けて全力で走り込んできていた。
何で、どうして。でもそんなことより。
その人に、身一つでぶつかりに行くなんて、無事じゃ済まない。
庇わなきゃ、と及川は走り出すがどう考えても間に合わない。及川の目に映る光景がスローモーションのように流れていく。
やめて!と及川が声を上げようと口を開こうとしたよりも早く丹所が叫んだ。
「異能力は出せません!」
叫びながら丹所は後ろから天野の腰に縋り付くように飛びついた。
そんなはず、と思うが丹所が天野に触れている自体おかしいのだ。いつもだったらもう周囲は落雷まみれのはず。
無表情だった天野の眉がピクリと跳ねた。

確かに出ない。出せない。電気が、何も、一切出てくれない。
それは不思議な感覚だった。でも、あの孤島で異能力が一切出てくれなかった時とは違う。
無理矢理に蓋された感覚ではなく、自然にすんなりと何も出ない感覚。まるで最初から異能力なんかなかったかのような、そんな不思議な感覚だった。

拳を握り込み、及川は真っ直ぐに振りかぶる。
勢いと気合を口から一緒に吐き出しながら、己の全身全霊をその拳に込めた。
「はぁぁああああ────っ!!」


及川の拳は天野の形の良い顎を横から思い切り殴り抜く。
それまで超常的な戦闘を繰り広げていたのだが、正真正銘 異能力抜きの己の肉体のみを使用した肉弾戦だった。
丹所の影響もあり、ガードの追いつかなかった天野は派手に吹っ飛ぶこともなくその場でふらりと倒れ込む。
それまで背後から張り付いていた丹所は崩れるその身を受け止めながら、ゆっくりと天野の体を床へとおろした。
異能力さえ使わなければ普通の肉体なのだろう……多分。
急所に綺麗に入ったから脳震盪を起こしているのではないだろうか。中々に呆気なくも感じるが、死闘を続ける方が嫌だ。
及川は肩で息をしながら、その様子をまだ理解の追いつかない頭を回すかどうか考えつつ見ていた。

終わった? ほんとうに?

くらくらする頭はそのままに、及川は携帯している手錠を持ち、よたよたと一歩一歩不慣れそうに近寄っていく。
全く動かない天野を見下ろして、静かに手錠をかけた。
……お疲れ様です、及川さん」
そんな様子をじっと見つめていた丹所がいつも通り微笑むのを目にして、及川の意識は疲労と安堵からか急速にすっ飛んでいってしまった。
及川を支えようと手を伸ばす丹所の方もまた、使用方法もよくわかっていない異能力の出力を全開にしてしまっていたらしく、疲労や消耗の結果 抗いようもなく、こちらも急速に意識をすっ飛ばした。


■6/傲慢

一課異能力班のフロアに降って湧いた獰猛の化身とも言えそうな燃々焼 十焔のそっくりさんは、暴虐の限りを尽くしていた。
派手な炎を容赦なく振りかざし、並の異能力者たちや異能力を持たないボーダーの刑事たちを次々になぎ倒し、力自慢の異能力者たちと現実離れしたバトル漫画ばりの戦闘を繰り広げている。
何人死んだだろうか。アレはいとも容易く命を奪っていく。

──このままじゃ本当にまずい。
野焼は何とか白鳥だけでもこの場から逃がせないだろうかと画策するが、当の白鳥にその気が全くない。むしろ積極的に戦闘に向かい、最前線へと駆けていく。あぁもう、本当に勘弁してほしい。
「炎が止まっている! 今がチャンスだ、撃て──!!」
誰かの号令を元に数名分の発砲音が続く。
また炎で焼き尽くされるかと思ったが、何故か相手は炎を出すことはなかった。
それどころか、肩や腕に数発の弾丸を受けるのだが、それでもなおその無表情が崩れることはなく、ただ淡々と近くの刑事を絡め取って投げ飛ばした。
が、ふっ飛ばされる刑事と入れ替わるように相手へと飛びかかっていく男が1人。
「無能共は引っ込んどれ、どいつもこいつも邪魔じゃけェのぉ!!」
周囲からどよめきが上がる。それもそのはずだ。目の前には燃々焼 十焔が2人いるのだから。

柔道の乱取りに似た取っ組み合いの最中、表情のある方の燃々焼が指を擦り合わせる。
「チッ、まだか あんクソガキ
炎が起きないことに悪態をつきながら、燃々焼は引っ掴んだ襟首を強く引く。バランスを崩さまいと出てきた相手の足を掬うように引っ掛けた。無駄のない綺麗な小内刈りだ。
相手が倒れると、燃々焼はそのまま相手に馬乗りになって容赦なく拳を振り上げた。
遠巻きに見ている刑事たちもあまりの容赦なさに若干引いている。

相手も殴られるばかりではなく抵抗を試み、互いの腕がガツンと強く触れ合うと、火花が散った。
その小さな炎に燃々焼の口角が上がる。
「くはは、きおったきおった」
再度指を擦り合わせると、ボッと炎が勢いよく立ち上った。
それを合図に燃々焼は更に腕を強くぶつけて、纏う炎を増幅させる。
あまりの熱量に未だフロアに残る面々は息を呑んだ。
「燃えとうなけりゃとっとと失せぇ──!」

燃々焼の言葉に白鳥は眉間に深い皺を寄せながら「総員退避」の号令をかける。
全員が出て行く行かないを待たずに、燃々焼の炎は更に燃え上がり、フロアを赤く照らした。
恐ろしいまでの遠慮のなさ。
「ハッ、全力でかかってきやんせ」
下に居る己と同じ顔の人間の頭部を右手で豪快に掴みながら燃々焼は再度笑った。
「わしに燃やせんもんはない。」


■7/節制

やりにくい。同僚と同じ顔をした相手を見ながら荒船は若干眉を寄せる。
木端もそれは同じ気持ちらしく、いつもより少しだけ表情は険しい。
木端のサポートを受けながら防衛優先の戦いを繰り広げているが、それもいつまでもつやら。
しかし、そう思うと同時に、ほんの少しだけ違和感を覚える。

柱の陰に背を預けながら、荒船は手持ちの拳銃に弾丸を装填した。
違和感の正体は判然としないが、そればかりを気にしている場合でもない。

荒船がシリンダーを戻したタイミングで、足元でしゃがんでいる木端が小さく声を掛けた。
……荒船くん、すまない。異能力の調子が
「体調不良ですか?」
「いや……何かに、阻害されているというかとにかく何らかからの影響だとは思う」
「わかりました。無理に前へは出ないでください」
木端が頷くのを見てから、荒船は柱の陰から半身出して銃を構える。
真っ直ぐ前を見れば、長いブロンドが目に映った。冷たいルビーの瞳がこちらを見ている。
仲間のために命を賭して戦う姿、すぐに無理をして青白くなった顔、冷え切った指先、強くなりたいと口にする苦しげな眼差し、ありがとうと伏せた瞳……様々なシーンの美杜が一気に脳裏を過ぎった。
それと同時に一切攻撃してこないその姿に違和感の正体が滑り込んでくる。

彼女たちの攻撃は全力ではなく、常にどこかしこに隙を作っている。
まるでそれは、倒されたがっているように。
──何故? 何のために?
荒船は美杜によく似たその人を見つめる。しかし彼女はただ冷たい瞳で見つめ返すだけだ。
荒船の銃口がほんの少し下がったその瞬間、カツカツと響くヒールで走る足音が飛び込んできた。


■8/色欲

「撃って!」
銃を構えた美杜が、対峙している相手越しに飛び込んできた。
「約束守りなさい!!」

美杜の叱咤に荒船はハッとした。しっかりと拳銃を握り直して、照準を合わせるべく前を見据える。
彼女が守りたいとしている仲間を守り、そしてその上で彼女を守ることが、自分の成すべきことではないだろうか……そう思ったんじゃないか。
守るために成すべきことをやりとげよう。
荒船は冷静に引き金を引いた。
弾丸は相手の右肩へと命中。華奢な体が肩を撃ち抜かれた勢いで大きく揺れる。
続けて二撃目、偽の木端へと銃を向けると、また植物のツルを伸ばす気なのか、こちらに手を向けるが……何も起こらない。
「今、省内で異能力は使えない! 今のうちに!」
銃を構えながら倒れた自分の偽物の方へと駆け寄っていく美杜が端的に叫ぶ。原理はわからないがそういうことらしい。
美杜が手錠をかけると同時に荒船も偽の木端へと発砲した。こちらも右肩へと命中すると、肩に引っ張られて偽の木端は後ろへと倒れていった。


■9/怠惰

美杜と荒船が周囲を素早くクリアリングする。
その間、木端は撃たれて倒れた己の偽物のそばへと歩み寄る。
「こちらクリア」
……問題なし」
周囲に敵影がないことを確認すると、美杜は応急処置として偽美杜の止血をし始める。
木端も己の偽物に手錠をかけようと、そばにしゃがみ込む。自分とよく似た顔を見るなんて何だか不思議な気持ちだ。
相手は痛みがあるのかないのか無表情でぼんやりした瞳を木端に向けてくる。何か言いたいことでもあるのだろうかと木端は手錠をかける手を止めた。
……何?」
木端がそう聞くと、自分とよく似たその人は小さな小さな声で「殺して」とこぼした。
急な発言に内心で少々驚きつつも、努めて冷静に「……何故?」と再度問いかける。
私はき、みのクローンだ。何の存在意義も、ない……望まれたもの、ではなく、ただの実験の結果の、産物」
…………だから、存在価値もないと?」
クローンだという彼女は小さく頷いた。先程まで全くの無表情に見えていた表情も、どことなく色がついているようにすら思えた。
彼女は初めから私達に止めてもらうことが目的だったのかもしれない。だからあんなに乱雑で隙の多い攻撃が多かったのか。
木端は呆れたようにため息をついて、微笑みかける。
「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ」
腕の付け根を押しながら気休め程度の圧迫止血を行う。
「どんな命だって変わりない。頼まれたって奪ったりはしない」

彼女は木端を見上げると木端の表情にあわせてか眩しそうに目を細めた。
「それに君たちは悪いことをしたんだ、相応の償いはしてくれ」
「償い
「そうだ、行いには必ず責任がつきまとう。それと一緒にもう少し考えてみてくれ。私のクローンなんだろう? ならば考えることはきっと苦ではないのではないかい」
木端の言葉を噛み砕くように、彼女は細めていた瞳をゆっくりと伏せた。


■10/慈悲

従兄弟 柚葉からの話を一通り聞くに、かなり厄介なことになっていることを鳳条は悟る。
佐藤の首の爆発物らしきものと室内を少し調べてみると、明らかに爆発物だろう仕掛けが布をかけられただけでごく自然に置かれていた。
この規模のものがどのほどの火力を出すのか全く想像もできない。
やはり専門外のものだ。下手に手は出せない。
……専門の人間をすぐに呼ぶべきだね」
けれども、省内は騒ぎになっていて目当ての人間がすぐに来るかはわからない。一か八か不寝喰に声を掛けた方がいいかもしれない。

鳳条の表情からやはり芳しくない状況であるのだと柚葉は感じ取る。
だがしかし、柚葉は穏やかに微笑むと佐藤の手を両手で包み込む。
「必ず俺たちが君を助けるから。だから諦めないで」

優しく握られる手からぬくもりが伝わってくる。
思考こそまだあまりはっきりとしないのだが、柚葉の声が胸にじんわりと広がって何だか少し目が潤んだ。
佐藤がゆっくりと頷くのを見ながら、柚葉は冷たくなった佐藤の手に温度をわけるよう ゆるやかに撫でた。

……私は一旦警察省の方に戻って爆発物処理関係の人間を連れてきます。道中で未環子さんに会えれば
「何をちんたらやっているんだ!!」
背後から聞こえた高圧的な声に反射で振り返る鳳条。
そこには呼んでもないが白鳥と野焼が居た。ジトリと睨むような目と目が合う。
いつもキチンとした格好の白鳥なのだが、今日はやけに汚れが目立つ。この人も省内で戦闘に巻き込まれていたのだろうか。
「来てやったのだから感謝しろ」
ありがとうございます?」
感謝しろと言われたので、鳳条はとりあえずで感謝の言葉を口にした。
「ちなみに爆発物関係にはお詳しいのですか?」
「一応知識はある。それと、野焼は元爆発物処理班 そっち系だ」
「失礼しますっス」
野焼がするりと室内に入ると、佐藤の首についている物をカチャカチャ弄り回す。
……野焼さん、瞬間移動系ですよね? 首輪だけとか佐藤くんだけとか異能力で移動させることってできないですか?」
柚葉の問いに野焼は一瞬手を止めるが、すぐに作業を再開する。
「自分は異能力としては下の下っス。異能力の使用制限回数もあれば、消耗も激しいっス。正直、異能力者とは思われたくもないんスよ」
「今日はもう使用上限を超えてるだろうから当てにはするな。呪うんなら省内にいる痴女とお前らのコピー品にするんだな。あいつらのせいで酷い目にあった」
「おや、省内はだいぶ大変になっていらっしゃるんですね」
「お前らがちんたらしているせいだろう。どこも人手が足らんのだ。わかったらさっさと出て行って省内の応援に回れ」
白鳥が不機嫌そうに出口を顎でさした。
「白鳥さん、すみません。私は佐藤くんの首の物が外れるまではここに居たいです」
……居るだけで何になる。何の役に立つっていうんだ」
「私は、佐藤くんの精神的なフォローが必要だと考えています。被害者をこの様な状況で置き去ることはできません」
柚葉の真っ直ぐな眼差しに、白鳥は苛立ちつつ目を逸らした。
「野焼、そっちは後どのくらいかかる」
……10いや、7分ほしいっス」
「遅い、1分短縮しろ。他に爆発物はあるのか?」
「あぁ、それならこちらに」
言いながら鳳条が布を捲る。顕になったその存在に白鳥は余計に苦い顔をした。
「こっちを少し触る。野焼、終わったらこっちに合流しろ」
「はいっス」
「GRIMOIRE、お前は他の部屋に爆発物がないか確認しろ。そこの若造が動かないってんならお前が動け」
……仰せのままに」
鳳条は柚葉の頭を軽くひと撫でしてから部屋を出ていった。


■11/暴食

「あらまぁ、まだいたのね~」
資料から顔を上げて振り返ると、部屋の入口には薬師寺が何食わぬ顔で立っていた。
「や、薬師寺サン……
「ここはそろそろ危ないから、はや~く出て行った方が身のためよ?」
薬師寺は不寝喰を気にせずに棚からいくつかの瓶や資料を取り出しては、取っ手のついたプラスチックのケースへと入れていく。
「アナタの目的は何なんですか?」
「目的? 目的~目的……う~ん、強いて言うなら知的好奇心かしら?」
「知的好奇心?」

「キミはわかるんじゃない? 知りたいと思ったことってたくさんあるでしょう。お姉さんねぇ、そういうのを放っておけないの」
……だから禁止されてるクローンも研究しているんですか?」
「そそ、異能力者のクローンとか、ボーダーの後天的な異能力の目覚めだとか、後は単純に異能力についての研究もしてるかな」
「そこまで有用な研究をしているんだったらもっと
「そ~いえば、キミが入省の際の健康診断というか能力関係のところ書き換えたの薬師寺さんなんだよ~」
「え?」
「前々からねぇ、キミのことは中々面白そうな異能力だなぁとは思ってたからさぁ。わざわざ近くに来てくれるみたいだったし、ついでに観察をね。あ、観察と言えば及川くんも便利だったなぁ。何でも実験に付き合ってくれてたしって本人は知らないけどねぇ。あはっ」
薬師寺の無邪気な様子に不寝喰は絶句する。
「お陰様で対異能力者用の色々の開発も進んだし。孤島の時とか酔い止めと称して渡しといたけど、異能力を制限する薬。あれも一定時間なら結構強めの異能力者でも効果あることがわかったし、それに針も……って」
薬師寺は2つ目のプラスチックケースを満タンにし終わって顔を上げる。
「ちょっと話しすぎちゃったわね。ごめんなさい。研究結果を共有するような人間もいないから、話したいことが多くて。困っちゃうわ~」
「そんなコトのために……
「そんなこと? そんなことだなんてとんでもない。知りたいと思う気持ちは大事よ。そうやって人間は文明を進化させていったのだから」
「それと法を犯すコトは別物です。研究者は倫理観を失えばお終いですよ!」
「あはは、随分つまんないこと言うのね。犠牲なくして成功はないのよ。お行儀のいい研究ばかりやって満足出来るなら、そういうのはそういう人間に任せとけばいいの。私はねぇ、気になったことは色々やりたいの」
……アナタは間違っています。人間は、人の命は誰かの都合で好き勝手していいものではありません!」
不寝喰の言葉を聞くと、今までにこやかだった薬師寺が突如表情を変える。
「そう。じゃあ、もういいわ。キミもバラして素材だけにすれば、その面倒くさい思考もなくなるでしょ」

白衣の下、どこに隠し持っていたのか薬師寺が注射器を取り出す。
……部屋の入口に近いのは薬師寺。位置が悪い。逃げ出すにはそれなりの博打が必要かもしれない。
不寝喰は後手でその辺にある瓶を手に取った。


■12/純潔

「先輩、こっち完了っス」
首から異物が取り除かれると、佐藤は震える手で自分の首に触れた。
……GRIMOIREの、さっさとそいつ連れて行け」
「は、はい!」
柚葉が佐藤を気遣いながら立たせていると、鳳条が戻ってきた。
「白鳥さん、1階に他爆発物は確認できません。2階は未環子さんが居て見て回っていると思うのですが」
「わかった、もういい。2階も空振りで3階にあるんだったらまだマシだからもう放置しろ。お前もそいつらと2階の奴 連れてさっさと建物から出て行け」
……わかりました」
…………。」
心配そうな2人に野焼は片手でごめんのポーズをしてから「先輩、代わるっス」と白鳥の方へと近寄っていった。



……2人共大丈夫かな
「優秀な方たちだからきっと大丈夫。信じて任せよう」
建物入り口までゆっくりと移動する。柚葉は残した2人が気になる様子で何度も後ろを振り返った。
優、いや柚葉、私は未環子さんを呼んでくるから無理ない程度に2人で先に外へ
そこまで言ったところで、上階から何かが割れる音がした。
不寝喰だろうかと鳳条が階段の方を見ると、上段の方から転がり落ちるように階段を下りてくる不寝喰がいた。
鳳条は咄嗟に、いつ体勢を崩してもおかしくないような不寝喰を階下で抱き留める。
一体何が、と聞こうとしたところで、階段上 ヒールで床を蹴る音がした。
「あ~りゃりゃ、まだいたのか。……ご丁寧に実験用まで連れ出して」
段上には薬師寺が立っており、こちらを見下ろしている。いつものにこやかさとは縁遠い無表情に近い不機嫌そうな顔。
「『この私』も もういいや」
薬師寺はそう言うと、どこからか取り出した注射器で己の首を突き刺す。
何が起こっているのか全員理解が追いつかない。

使用済みの注射器を投げると、薬師寺は階段の一番上から"跳んだ"。
各々が呆気にとられている中、薬師寺は慣れたような動きで着地すると、目にも止まらぬ速さで一気に間合いを詰めてきた。
動きが人間離れしすぎている。
気が付くと薬師寺は柚葉の目の間に立っており、柚葉に向かってにこりといつも通り微笑む。
まだ状況が把握しきれていない柚葉だったが、身の危険だけはいち早く察知し、すぐ隣にいる佐藤を少しでも遠くへと出口から外へ押し出した。
それと同時に、薬師寺の手刀が柚葉の首にクリーンヒットして、柚葉はものすごい勢いで吹っ飛んでいく。
廊下を二度三度バウンドして、勢いが死ぬまで転がった。

「柚葉クン!」「優っ!!」
急ぎ柚葉の元まで2人は駆け出すが、それよりも早く薬師寺が柚葉のそばで腰を落とす。
薬師寺は柚葉の首を片手で掴み上げると、距離を取りつつ立ち上がる。
喉を掴み上げられ締められている柚葉は呼吸もできないのだろう、苦しげな喘ぎが口から漏れ出るばかりだ。
「今すぐおろしなさい」
鳳条がすぐさま拳銃を構える。

すると薬師寺はいつもみたいなへらりとした笑いを浮かべると、片手で掴み上げている柚葉を盾のように己の前へと持ってきた。
「撃ってもいいよ」
にこやかな声音。
「でもキミ程度の射撃精度でこの子は無事かなぁ」
「────っ」


■13/救恤

柚葉・鳳条・佐藤の出て行った後、部屋にある爆発物に着手した。
どうやら佐藤の首についていたものと一部が連動しているらしく、あのまま扉をくぐればセンサーが反応して首のもこっちのも爆発する仕掛けがあったようだ。
……これ、前にあった連続爆破事件のブツに似てるっスね。北昴学院の」
「そもそも薬師寺が関わっていたんだろう。上層部も抱き込まれている……どこまで腐ってたんだ警察省は」
「先輩、首輪と連動してる方のお願いするっス」
「あぁ。…………そっちはどうなんだ」
白鳥の触る付属部位はC-4に近いだろうか……複雑なセンサー付きで何をどう考えればこのような悪魔みたいな物作りの発想を得られるのだろう。
およそ善良な人間は一生作ることないだろうものを分解しながら、白鳥は野焼の方へ視線を送る。
野焼の触っている爆発物は白鳥の知識外のものであり、未知のものだとしか表せない。
……かなり、考えられているっスね。褒められることじゃないっスけど」
「解除はできるのか」
「正直言ってこれ解除しないと、ここと隣の科捜研ビルも倒壊する可能性あるっス」
……警察省までまずそうか?」
「いやそこまではいかないと思うっスけど、今の警察省、戦闘でボッロボロだからちょっと風吹くだけでも危なそうっスし、どっちみちまずいのは変わんないんじゃないんスかね」
「笑えんな」

黙々と手を動かしていた2人なのだが……部屋の外から銃声がして手が止まった。
「俺が行く。お前は作業を続けろ。何かあれば連絡する」
「了解っス。お気をつけて」
銃の残弾を確認しながら白鳥は部屋から出ていく。
慎重に様子を探るが、繊細さの欠片もない戦闘中らしく、複数人いることだけはわかった。
拳銃をしっかりと握り、柱の陰から覗き見ると鳳条・不寝喰と柚葉・薬師寺の姿が確認できた。
ひとまず、緊急事態であることは察して、白鳥は攻撃のタイミングを図るためにも様子を見続けることにした。



「威嚇射撃なんてしても威嚇にも何にもならないわよ?」
薬師寺の足元へ一発発砲するも、薬師寺は全く動じている様子もない。
……要求は何ですか」
「要求? う~ん……特にはないかな。見逃してっていうのも全員殺しちゃえばいいだけだし」
何でもないように笑う薬師寺の顔はいつもどおりなのだが、どう考えても普段のフィジカルを超えている。
先程の注射器のせいだろう。これは離島であった紗良木 さらぎ ツキナが暴れ回っていたの件に関係があるかもしれない。
異能力の増幅なのか、身体能力の向上なのか……いずれにせよ常識外の代物だ。

拳銃は分が悪い。
鳳条は、柚葉を奪取できるのならば己が身を犠牲にしてもいいとすら考える。
銃を構えたまま横の不寝喰に視線を送ると、肉弾戦になるだろうことは理解しているようで、後ろ手で右から行くと合図をもらった。
短く息を吐いてから吸うのと同時に走り出す。構えたままの銃はギリギリまでそのままに、隙を狙う。
「遊んであげるよ」
薬師寺は柚葉を鳳条目掛けて投げつけると、そのまま不寝喰の方向へ足を踏み込む。
鳳条は咄嗟に拳銃を捨てて柚葉を受けとめた。
不寝喰の目の前で、薬師寺は左足を軸に回転し、中段の後ろ回し蹴りを繰り出す。
あまりの速さに目が追いつかず、脇腹付近に反射で出たガードの腕に命中した。硬くて重い一撃。
勢いに押されて、左側に吹っ飛ぶ。蹴りで右腕が折れたようで、受け身もできない。
左肩から床へと落下し、勢いを殺せず廊下の壁へと激突した。
「未環子さん!!」
打ち付けた痛みで息が詰まり、一瞬呼吸ができなくなる不寝喰。
追撃がくる、と思った瞬間──銃声がした。

薬師寺の腹部からだくだくと血が溢れる。
一体誰がと思う間もなく「下がれ!!」と号令がかかった。
それは、白鳥の声だった。
白鳥は走り込みながらもう一撃を薬師寺の脇腹にかすめる。外れたことに舌打ちをし、倒れている不寝喰を抱えた。
柚葉を抱えた鳳条が自分より後ろに下がるまで待ちながら、片手で銃を構えるとそのまま薬師寺に向けて発砲。流石に当たるわけもない。
出入り口まで柚葉を運ぶと、鳳条は白鳥の元へと戻り小脇に抱えられた不寝喰を回収する。
ようやく両手が自由になった白鳥は再度銃を両手持ちで構えるが、すでに薬師寺はもう目前まで迫っており、構えた銃目掛けて足を蹴り出していた。
白鳥はたまらずバックステップでそれを躱し、再び照準を定めると、躊躇なく撃った。
薬師寺の腹部にまた2発の弾丸が命中すると、白鳥に向かっていた蹴りの体勢が崩れて、床へと雪崩落ちた。

息の上がっている白鳥は銃口を向けたまま、薬師寺を見下ろす。
腹から流れ出ている血が床へどんどんと広がっていた。
「私も所詮は薬師寺 菫いや、『ソロモンの鍵』のクローン。ただの代用品。だからキミたちも私の相手をしたところで意味はないのよ。あはっ」
「黙れ。本体はどこにいる」
薬師寺は白鳥の問いを無視して話を続ける。
「でもキミたちは代わりがいないから、一緒に連れて行ってあげる。『ソロモンの鍵』の邪魔をするな」
……どういう意味ですか」
戻った鳳条も拳銃を構えながら薬師寺を見下ろす。
そんな2人を見上げながら、薬師寺はにっこりと笑った。
「と、いうわけで、後3分で爆発しま~す! 頑張って走ってみなさい。あははっ」
「は?」
急な言葉に困惑するが、白鳥はすぐに走り出す。
「GRIMOIRE! 全員連れて退避しろ!! とにかく離れろ!!」
「白鳥さんは?!」
「俺は野焼を連れてくる!!」
「わかりました!」
時間がない。心臓が早鐘を打つ。



「野焼!!」
「先輩! 急にタイマーが作動してっ!!」
「奴の仕業だ!! もういいから逃げろ!!!」
「いえ、先輩は他の方連れて行ってください。俺はこれを処理するっス」
……間に合うのか?」
「大丈夫です。いざとなったら能力使うっス。実は1回だけ取っておいたんで」
野焼は急いで手を回す。顔には焦りが滲んでいるが、手元は冷静だ。
っ」
このまま話していても埒が明かない。言葉を投げるだけ作業が遅くなる可能性もある。
それにGRIMOIREの方も重傷だろう。手を貸さねば万が一の事態の時どうにもならない。
……こいつを信じるべきか。しかしもしものことがあれば……
クソ、早急な決断が必要な場面で俺は何をやっているんだ。


「先輩っ!!!」
野焼の必死の叫び。
「早く行ってください。自分はやり遂げます」
…………わ、かった。絶対解除しろ!!」
噛み締めた唇が切れて、血の味がした。




流石に3人は抱えきれない。
「未環子さん、すみません。立てますか?」
「アタシは、大丈夫、です。柚葉クンと佐藤クンを、優先してください」
咳き込みながら不寝喰が無理やり立ち上がる。
フラフラしながらも、右腕を庇いつつ佐藤の元へと近づき、声をかける。
鳳条は柚葉を背負い、不寝喰と一緒に佐藤に肩を貸しながら、なるべく早足でビルから離れだした。

「GRIMOIRE!!」
少し出たところで白鳥が合流し、有無を言わさず不寝喰を抱え上げると、走りのペースを上げさせた。
「野焼さんは」
「あいつはアレを止めるそうだ」
「そんな、いくら何でも無茶
「黙って足を動かせ。口を動かす元気があるんならこの男も抱えろ」
少しでも遠くへ。鳳条と白鳥は怪我人を支えながら必死にその場を離れる。
しかしどうか、どうか何事もなく止まってくれ。白鳥は心の中でただそれだけを祈っていた。



「止まった
緊張と焦りで息が短くなる。
デジタルタイマーが8秒前で止まったのを野焼は瞬きも忘れて見つめた。
「止まっ……
再度事実を確認するために口からそう言おうとした瞬間、無情にも電子音がまた鳴りだした。
完全に停止したはずのそれがまた動き出してしまったのだ。
「なんで」
疑問が口からこぼれ落ちたと同時に、自分の命の終わりを察した。

「先輩……ごめんなさい」
嘘をついた。
異能力の使用上限はとっくに超えている。もう逃げることもできない。
異能力者とのやり合いがなければ、なんていくら言っても変わらない。
あってもなくても、先輩を助けるために同じようなことをしていただろう。
やっぱ切り札ってのは最後までちゃんと取っておくものなんだろうな。来世ではそうしよう。

憧れの先輩。真っ直ぐで いきすぎなくらいの正義感。周囲にどう思われようとも立ち向かっていく姿。
こんな出来損ないの異能力者にもきちんと向き合ってくれた。
あの時からずっと、先輩は自分の憧れの刑事です。
「どうか、お元気で」




ビルが爆発すると、衝撃と爆風が音速を超えて到達し、ビルから離れる5人はそれらに巻き込まれる。
一瞬浮いたような感覚。その後に受け身も取れないほど地面を転がされた。
瞬きの間だったのか数秒だったのか数分だったのか、気を失っていたようだが、目が覚めると全身が痛くて、ビルが炎上して崩落していた。
不寝喰はそれを見てから、己の異能力のことを思い出す。
柚葉も鳳条も佐藤も白鳥も、みんな怪我を負っている。自分がいる限り悪化していくだろう。
でも、この場を離れたくても体が言うことを聞いてくれない。全身が痛くてたまらない。
だ、れか」
祈るように口を開く。
誰か、誰かみんなを助けて。みんなをアタシから遠ざけて。
警察省の方から誰かが走ってくるのが見えて、そこを最後に不寝喰は再び意識を手放した。


■14/希望

警察省のビルは半壊。隣接していた科捜研のビルは大規模半壊。
死傷者多数の恐ろしいテロだと、これらは大きなニュースとして世間を賑わす。
このニュースにあわせて警察省上層部の様々な悪事も表に出ることとなり、警察省自体の体制が崩壊。
警察省は丸2日完全に機能を停止し、動ける者たちだけで何とか無理矢理にでも形をとりなした。
……再度完全に持ち直すまでは時間がかかるかもしれない。
警察省の体制が弱っている間に様々な事件が勃発。動ける者たちは休みなく動き続けることとなる。





「おい、報告書出す部署間違ってるぞ。組対二課に回せ」
「す、すみません!!」
狭いスペースに机と椅子と人をぎゅうぎゅうに詰め込み、周囲は人の声で騒がしい。
環境も悪ければ人手も足りない。とにかく忙しくて、仕事以外の何かを考えることも難しい状況だ。
大鷹は積み上がった書類と、画面上のデータファイルと連絡の確認と……手も足りなければ目も足りずうんざりして目頭を押さえた。
「大鷹」
「あ?」
見れば、この人だらけの室内でも目立つ長身の友人が立っていた。
「ちょっといい?」
……あー……あぁ、うん。木端さん、すみません、5分ほど外します」
「わかった。5分と言わず10分でもいいし、何なら仮眠をとってもいいよ」
「その言葉はそっくりそのままお返ししておきます」
ため息混じりのその言葉を木端は快活に笑い飛ばす。
と、そこへ人混みをよいしょよいしょと分けながら、及川が顔を出す。
「あ、木端さん。私、そろそろ巡回出ます!」
「もうそんな時間か。すまないがちょっと手が離せないから美杜くんと出てもらっていいかい?」
「わかりました! 美杜さんにもお伝えしておきます!」
行ってきます!と及川は挨拶をしてから、そばにいた大鷹と桐野にもちょこんと頭を下げると、またぴょこぴょこしながら人波をかき分けに行った。
それを見ながら、今から自分もこの波に分け入るのかと大鷹は少しげんなりした。

外に出ると青い空が見える。眩しくて大鷹は目を細めた。
……もう昼前か」
そう言いながら大鷹は伸びをする。飯を食ったのは何時間前だっただろうか。
「もう少し休んだら?」
……多分もう少ししたら落ち着くだろうから、それまでの辛抱だ」
「お疲れ様」
桐野は自販機で缶コーヒーを買って、それを大鷹に渡してやる。「ん」と気の抜けたような態度でそれを受け取る大鷹。
……大鷹はさ、これからどうするの?」
缶のプルタブを開けながら大鷹は「どうって……」と何となく空を見上げる。
「ただできることをやるだけだな」
「変わらず?」
「あぁ」
そっか、と桐野は肩の力を抜いて首を傾ける。
……落ち着いたらさ、飯でも行こうよ」
「そうだな。って、そっちも今立て込んでるって聞いたけど」
「大丈夫、すぐ終わるよ。今日も燃々焼さんが頑張ってるし」
「はぁ……余計なことしてなきゃいいが
缶コーヒーを一気にあおり、缶をゴミ箱へと投げ入れる。
カンッと小気味良い音がして、缶はゴミ箱へと収まった。





柚葉・鳳条・不寝喰・白鳥は軽度の火傷や戦闘での負傷で入院を余儀なくされた。
特に柚葉は喉への強い衝撃の結果、声が出なくなった。
また、救出された佐藤も状態が酷く、長期の入院になるだろう。

殉職した者たちは二階級特進扱いとし、共同の葬儀が行われた。
多くの人間が亡くなった。野焼も慰霊碑に名前が刻まれた。
……ペアだった白鳥は絶対安静で葬儀に出ることすらできなかった。

体制の崩壊に伴い、GRIMOIREも自然と解体された。
一旦全員は捜査一課異能力班扱いとなり、日々の軽犯罪や異能力犯事件に当たることとなる。
警察省の再構築に伴い、進退も各々に任されるようになった。
「私はこの警察省を立て直すためにもう少し頑張ろうと思います。よければ貴方も手伝ってください」
バラバラとなったGRIMOIREメンバーひとりひとりに風守は会いに行って頭を下げた。
勿論進退は自由だ。肯定も否定も心のままに選択できる。

それぞれは己に問いかける。
守るべきものはまだあるのか、命を賭して戦う覚悟はあるのかと。





『警察省から中央各局、中央区にて男性1名逃亡中。異能力者の可能性有り。現場 げんじょう上片通り方面。近い局どうぞ』
「行こうか」
アイン……訂正、異能803、上片北より向かいます」
丹所が赤色灯を車上部へ取り付けて、ハンドルを握った。
「あ、そう言えば鈴丸先輩の弟さん、意識が戻ったそうですね」
「そう
「あぁ、だからしばらく休暇を取っているようだ」
「荒船さんも美杜さんもお見舞い行かれました?」
「柚葉たちのところへは行ったが、そちらはまだだ」
「じゃあ、これが終わったら寄ってみましょうか~」
……急な訪問は迷惑よ。それにあなた、今日も異能力抑制の
「丹所待て。丹所待て。スピード。安全優先だ」
「大丈夫大丈夫♪」




■15/エピローグ

──数年後。
「聞いたか、新設の課 立ち上げるらしいぞ」
「あぁ、でもそれって前に一度解体になったチームらしい」
「何ですかそれ
「新入りは知らねぇか。ほぼほぼ対ソロモンの鍵部署みたいなとこだよ」
「うわ、やばすぎ。なんですかその死にに行くようなところ
「ホントにな。全く、白鳥局長も何考えてんだか」
「風守次長のご推薦だそうだ」

人がそれぞれに持つ、様々な価値観や倫理観。
それらは主に育つ環境や遭遇する出来事に左右されるもので、1人として全く同じだという人間は存在しないのかもしれない。
そんな曖昧なものの集合が人の生活する世の中であり、世の中こそまた人の在り方というものを定義するものである。
曖昧で弱々しく、少しのことで揺れ続ける天秤。
これからも『正しさ』は罪の数だけその種類を増やすかもしれないし、『正しさ』によって『正しさ』を粛清することすらあるかもしれない。
願わくば、己の天秤を信じ続けていけるように。

人の世は──人生は続いていく。






『Special thanks』

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ご協力、心より感謝申し上げます。




最後までお付き合いありがとうございました。
関わっていただいた全ての方へ感謝を。
また遊んでください。

主催/るーしー




※この物語はフィクションです。作中に登場する事象・思想・個人名・団体名などは全て架空のものであり、現実のものとは一切の関係がございません。フィクションとしてお楽しみください。


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